更新日08/01/31 一口放(法)談  毎月始めに更新しております。月間誌「長命」より

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12月1月

秋尋ね 雪装いし 山眠る

先日広島三段峡、島根匹見峡に行って来た。

12月だったのでお店がしまっていた。

行くときは秋の紅葉狩りであった。 

三段峡は少し山の頂上が雪景色で遠崎の人には珍しい風景であった。

三段峡から匹見峡に行くときに、山と道路まで雪でチェーンをタイヤに巻きつけて3キロ程走り、チェーンをまた外してゆきは困難であったので益田から天文台の日原へ出て六日市「ゆらら」岩国玖珂を通って帰宅した。

匹見峡ならぬ雪見峡になってしまった。自然の力にはどうしょうもないと思った。遠崎では季節特に冬を感じることが他のところより遅いのだが、山々でか確実に秋から冬の装いがはじまっていた。

秋を尋ねていったつもりが、実は冬を尋ね、雪景色を見にいったようである。

「秋尋ね 雪装いし 山眠る」雪の白く美しい白さ純白である。日本人の美意識の中の雪月花の一つである。雪を何故「ゆき」と発音するようになったのか?

や行は音が柔らかいその柔らかさと雪の柔らかさ、又凛とした緊張感の肌寒さが万葉人古来の日本人の心の意識がある。

ユキと呼ばせた先祖である万葉人に感謝したい。

 

 


9月

付録 長命裏面より


秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども
風の音にぞ 驚かれぬる 

秋立つ日によめる 藤原敏行詠

(古今集・巻四、秋上、一六九)  驚く=気づく

口語訳 

秋が来たと目にははっきりみえないけれど、吹いてくる風の音で、もう秋が来たと気づくことよ。

朝夕の風が吹きひと夏より涼しく感じられる頃、この歌が思い出される。 

 稔りの秋、自分に何が稔るのでしょう?。

@身体の秋。何時までも若いと思っていた自分が歳を重ね、手足が言う事を利かないようになった。もう身体は秋になったと気づく

A人生の秋。人生終盤戦に入ってきたなぁ〜。と気づく。

B信仰の秋。神も仏もあるものか!と威勢が良かったが、今は手を合わせる身の上に、自分がなれさせて頂いた。と気づく

 


7・8月号

盂蘭盆会 連れて来られし わが家に

お盆の季節がやってきました。亡き仏さま、生きている仏さまが帰ってこられる。

このお盆とセットになっているのが「お中元」


 

6月

もまれねば この味はでぬ 新茶かな

セツ♪セツ♪セツ♪のよいよいよい♪、夏も近づく八十八夜・・・

お茶所では茶摘みをやっている。山口県では宇部の小野茶。他県では静岡、京都の宇治茶、福岡の八女茶、佐賀の嬉野茶、鹿児島の知覧茶等いろいろあります。人生でもきつくもまれ、(世間さまにもまれ)時にはやさしくもまれ(心温かい励ましの声)をかけられ人生の味を出していく。

人生で四苦八苦という厳しくもまれ、忍び、諦め、新たな前に前進してゆく。

そこに人には出来ない私自身のまた新しい味が出てくる。以然にはなかった再生された味が出てくるのである。皆さんはどんな味を楽しんでおられますか?

 

 


5月

さのぼり(早昇り) と さおり(早降り)とに 感謝

5月から6月にかけて日本では田植えの準備が始まる。田の神は女神である。

その名残として、早乙女(女神)が稲を植えるようになっている。早乙女の女神が地上に降りてきて種を蒔き、稲づくりをし、田植えをするようになっている。

田植えが終わると早乙女の女神は天に昇っていく。

早乙女が地に降りてくることを「さおり」といい。天に昇ることを「さのぼり」という。

しかし遠崎では「泥おとし」といっている。

「さのぼり」が訛って「さのぼり」とかいう地方もある。もう少しすると全国的に早乙女の女神たち?(ヤンマー姫クボタ姫イセキ姫)の田植えがはじまる。早乙女たちの苦労と豊作を願うのが「さのぼり」のお祭りである。

将来、世界には人口が増えて、食料がなくなる予定。早乙女に祈るのみである。


4月

五重相伝特集

前は弥陀 後ろは釈迦に 中は我 押され引かれて 歩む白道

五重のお話に「二河白道」というお話がある。

二河とは右に水の川、左に火の川のことである。

白道とは長さ百歩、幅四五寸(15センチ)に道のことである。

水の川は嵐のように渦巻いて深く底無し。

火の川は炎が昇っている。

その中にかすかな白い道(白道)がある。

水の川は私達の欲張りの心を表す。

欲の心は深くとねどないので、底は無い。

欲深いひとは青い顔をしている。→青い水の川

火の川は私達の腹を立てる心を表している。

腹を立てるとみさかえがなくなる。

ところかまわずあたる。我慢が出来ないのである。

その時は赤い顔をしている。→赤い火の川

白道は、この世で初めて育つ信仰という道。

わずかな細い道→白い道(白道)である。

 


3月

不思議な縁に むすばれて 昨日に変わる 我が姿

(五重和讃)

いよいよ五重相伝を迎える月になりました。

直前になりまして時間と日があっという間に過ぎ去っていく感じが致します。

伊達政宗の五常訓の一つに「この世に客に来たと思えば何の苦もなし」と誡めている。

こんにちのようにホテルや旅館が多く親戚知人のお宅に泊まることが少なくなった。

私も年にそれでもお寺さんに何日かご厄介になることがある。

他人のお宅になると、普段の家とはリズムが違い、気遣いというスパイラルの苦に陥る事がある。

人生の客としてこの世は自分勝手。ママならない!

我侭(わがまま)は通らないのである。

そう改めて気づかせて頂き、本当の自分を再認識して頂くのが五重の一つです。

 

 


2月

 

 


 

12月・1月

日々是好日

先日、中国の人に会った。広島の大学で医者の勉強をしているそうだ。

ハルビンの生まれで、勉強で日本にやってきたそうだ。

中国には行ったことがないので色々尋ねてみた。

「今工業化で拝金主義(金が一番という考え方)でしょうね〜」

「それは昔の日本もそうでしたよ!」

「それはそうだ!」


「でも日本はすばらしい国ですよ」

「なんで?」

「日本は文化が違う」「中国はは昔のやり方を捨てて今の若い人は生活をしている。だから、毎日の生活習慣がバラバラだ。だからなにも身っかない。」

「日本人は朝起きたら「おはよう!」と声をかけ顔を洗い朝ご
飯をつくる。」

中国はそのような議則正しい生活しないのです。」


毎日の積み重ねが習慣文化をつくり、技術をつくる。日本は資源が無いので赤ちゃんは本当は左利きだが日本ではわざわざその左利きを手を器用にするために右手にした。

先人達の文化の賜である。

日本の生活そのものが毎日の生活がよくなるように!と向上、好日である。

そのためには感謝の心が必要である。

手を合わせこの一年に感謝したいものである。