更新日08/01/31 一口放(法)談  毎月始めに更新しております。月間誌「長命」より

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10月

災難 ( さいなん ) ( ) ( とき ) には、 災難 ( さいなん ) ( ) うがよい  良寛 ( りょうかん )

今年 ( ことし ) 台風 ( たいふう ) 地震 ( じしん ) 天変地異 ( てんぺんちい ) があった ( とし ) のようだ。

新潟 ( にいがた ) ( ふる ) くより 地震 ( じしん ) にあっていたようで、 良寛 ( りょうかん ) さんの 有名 ( ゆうめい ) 文句 ( もんく ) ( ) まれた。

災難 ( さいなん ) ( ) ( とき ) には、 災難 ( さいなん ) ( ) うがよい。

( ) ( とき ) ( ) ぬのがよい。

これは 災難 ( さいなん ) ( のが ) れるよい 方法 ( ほうほう ) だ。」

と1828 ( ねん ) にかいてある。

凡夫 ( ぼんぶ ) はそう 簡単 ( かんたん ) にこのようには ( おも ) われない。やはり ( なに ) かよい 手立 ( てだ ) てがあるのであろうと 思案 ( しあん ) したり、 ( ) ( ) にぶつけたりする。

どんなに ( ) をつくしても ( ) からの ( のが ) れがないことに ( ) づかせられる。ここでやっと! 良寛 ( りょうかん ) さんの 文句 ( もんく ) ( ) にしみてくるようになる。

地球 ( ちきゅう ) ( うえ ) では 人間様 ( にんげんさま ) 世界 ( せかい ) のように 勘違 ( んちが ) いして、 ( わたし ) たちは ( ) らしている。

地球 ( ちきゅう ) に間借 ( まが ) りして、 屋敷 ( やしき ) ( ) ち、 ( いえ ) ( ) て、 家族 ( かぞく ) とともに ( ) らしている。

( ) わらぬ ( はる ) 勘違 ( かんちが ) いして ( ) らす。

自分 ( じぶん ) ( ) ( うえ ) ( ) きて ( はじ ) めて ( ) づく、 ( かな ) しい 凡夫 ( ぼんぶ ) である。

 


9月

阿弥陀仏に 染(そ)むる心の 色にいでば 秋の梢(こずえ)の たぐいならまし

 

台風が去り、一気に朝夕の冷え込みで秋がやってきた。

暑い猛暑、温暖化で段々と暑くなってきている。

人間様の快適生活で車、電気の使い放題の賜物である。

法然上人の詠に

「阿弥陀仏に 染むる心の 色にいでば 秋の梢の たぐいならまし」

阿弥陀様におまかせの生活をしていると、丁度秋の紅葉の色のようであると。

この世は、オレガ、自分勝手、愚痴(ぐち)の心があるから、苦が始まり苦に沈む世の中であるが、御念仏をさせてもらう生活の中では苦は苦ながも楽を与えてくれる心境にならさせていただく。

お経(観無量寿経)には

「多く念仏せしむれば、能(よ)く瓦礫(がれき)をして変じて金(きん)と成さしむ」とある。

瓦礫とは苦であり、金とは楽である。

そこを法然上人は秋の梢と詠を詠んだのであろう。

これこそ彼岸の境地である。


7月・8月

己が身を 救い給いし 施餓鬼かな

お盆の季節がやってきました。お寺では7月からお盆バージョンに突入し、お施餓鬼のお参りを朝夕しています。

お釈迦様の十大弟子の一人に「目連尊者」の母が餓鬼というところに堕ちていたことにより、お盆の季節には真宗を除いて各お寺で「お施餓鬼」が行われています。

目連さんの母はわが子にに対してはとてもやさしい母でした。

ところが他人の子にはやさしくなかったようです。

「父母恩重経」にも「爲造悪業の恩」

わが子のために親は罪を造っていく。という恩である。

悲しい親の罪である。

お施餓鬼のお参りで目連尊者の母が餓鬼から救われた日が7月15日(旧暦)である。

喜びのあまり嬉しくて目連さんが踊ったのが盆おどりの始まりである。


6月

長命寺 庫裡 落慶 法要  特集号 173号

お陰さまでお天気にも恵まれ?

(朝曇り、昼3時より雨、夜大雨)、

お稚児さんも34名、お寺さん20名、参詣者160名、

(祝宴出席者70名)とたくさんのみなさんのおかげで法要を済ませることが出来ました。

 長命寺 本堂、庫裡は全席椅子席となりひざの痛い人にもお参りしやすいようになりました。 

 ありがとうございました。


5月

風薫る いにしえ伝ふ 無量山 庫裡落慶なりし 稚児ら微笑む(庫裡落慶によせて  20世 伝誉 詠)

5月には山々が新緑に輝くころになりました。

お陰さまで庫裡の工事も最終段階に入り、長命寺、横の河川工事も終えることが出来ました。

後は荷物の移動だけです。荷物の移動?これがかなりやっかいなものです。

裏の庭にはサツキやロウバイの木々がお日様が照るようになり、6年ぶりにエビネの花がさきました。

裏庭の横にプチ(小さな)畑ができました。

山門前の参道には「ドウダンツツジ」を植えました。

着々と落慶法要の準備を整えております。

落慶法要 平成16年5月15日 

9:00〜 稚児

10:00〜法要

11:00〜記念法話  (広島瀬戸田 法然寺 別府信空上人)

12:00〜祝宴  (全席 椅子席 になりました。)

 


4月

春は芽生えて 夏茂り 秋はみのりて 冬おさむ

冬の寒さ和らぎ、山桜が満開を迎えています。

やっとお寺も冬の寒さ(工事)から抜け出すことが出来ました。

工事が秋より始まって、春に完成いたしました。

いよいよ皆さんに庫裡を活用していただけるようになりました。

まさに「春芽生えて」であります。

140年建っていた古い庫裡と別れ、またこの新しい庫裡の歴史がスタートいたしました。どんな歴史が刻まれるのか?楽しみです。

御念仏の『声』とともに庫裡の新たなる魂が入ることでしょう。

落慶法要 平成16年5月15日 

9:00〜 稚児

10:00〜法要

11:00〜記念法話  (広島瀬戸田 法然寺 別府信空上人)

12:00〜祝宴


3月

わが心深き底あり よろこびも 憂(うれ)いの波も とどかじと思う

秋の末からすっかり枯れ果てて褐色色になっていた芝生(しばふ)が、暖かい春の陽光にてらされる。

芝生が好きだった寺田寅彦(てらだとらひこ)先生が

「芝生に水をかけるときは根の深いところまでしみこむようにせず、上つらだけ浅くかけただけだと根が表面近く張っているから大寒にあうと枯れて駄目になってしまう。芝生の水やりは根気よくかけることだ。」

と随筆に書いてある。

哲学者西田幾多郎先生は

「わが心深き底あり よろこびも 憂(うれ)いの波も とどかじと思う」

毎日あくせくして、いらいらと暮らしていると、チョットの苦樂に左右させられてしまう。運不運、幸不幸も届かない、不変不動の私たちの奥深い心がある。

春彼岸、慈悲(じひ)の水で深い心の種の芽を出しましょう。

そのためにお念仏を称えましょう。


2 月

釈迦(しゃか)捨(す)てし 凡夫拾いし 涅槃(ねはん)かな

2月はお釈迦様 涅槃の月で、全国各寺では涅槃さんの絵がかけられている。この時期にお寺巡りをするとおもしろいと思う。

お釈迦様は王子さまで生まれ、地位も名誉も財産もあり、妻も子もいましたが、29才の歳で出家しました。

今でいうなら持っていたものすべてを投げ捨てた。

29歳から6年間の荒行をし、菩提樹(ぼだいじゅ)の樹の下で49日間座って悟りを開かれました。

それから、仏の教えをみんなに説いて80年の生涯を閉じたのが、この如月(きさらぎ)(2月)満月(15日)でした。

今日、私たちはお釈迦さまが捨てた地位、名誉、財産等をコツコツと追い求めて?何十年。

このお釈迦様との違いに!なんともいいきれなむ思いがおります。

これが私たち凡夫の悲しい身の上なのです。

「釈迦(しゃか)捨(す)てし 凡夫拾いし 涅槃かな」

 

 


12月 1月

一期一会

「逢うて別れて 別れて逢うて  泣くも笑うも あとやさき
  末は野の風 秋の風  一期一会の 別れかな」

井伊直弼(いいなおすけ)の著書(ちょしょ)「茶湯一会集」にあります。


出会いひとつとってみても、楽しい出会いもあれば、また悲しい出会いもあります。

楽しい出会いが、一転して悲しい別れになることもあります。

まさに「泣くも笑うもあとやさき」であります。


「一期」とは、わたしたちの一生涯のことで、「一会」とはただ一回の出会いということであります。

つまり、一生涯でたった一度の、めぐり会いをしていることをさしています。


 ふつう、わたしたちは人や出来事に何度も出会っています。

よくよく考えてみますと、その時の出会いはその時の一度だけで、

二度と同じ機会がもどってくることはないのですから、

何度出会いを重ねても、やはり毎回「一期一会」になります。

 

よき出会いを!!!!!

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