更新日08/01/31 一口放(法)談  毎月始めに更新しております。月間誌「長命」より

 平成13年   平成14年  平成15年 平成16年 平成17年  平成18年 平成19年

12月・1月

日々 ( ひび ) ( これ ) 好日 ( こうじつ )

先日 ( せんじつ ) 中国 ( ちゅうごく ) ( ひと ) ( ) った。

広島 ( ひろしま ) 大学 ( だいがく ) 医者 ( いしゃ ) 勉強 ( べんきょう ) をしているそうだ。

ハルピンの ( ) まれで、 勉強 ( べんきょう ) 日本 ( にほん ) にやってきたそうだ。中国 ( ちゅうごく ) にはいったことがないので 色々 ( いろいろ ) ( たず ) ねてみた。

( いま ) 工業化 ( こうぎょうか ) 拝金 ( はいきん ) 主義 ( しゅぎ ) ( かね ) 一番 ( いちばん ) という ( かんが ) ( かた ) )でしょうね〜」「それは ( むかし ) 日本 ( にほん ) もそうでしたよ!」

「それはそうだ!」「でも 日本 ( にほん ) はすばらしい ( くに ) ですよ」「なんで?」「 日本 ( にほん ) 文化 ( ぶんか ) ( ちが ) う」「 中国 ( ちゅうごく ) ( むかし ) のやり ( かた ) ( ) てて ( いま ) ( わか ) ( ひと ) 生活 ( せいかつ ) をしている。

だから、 毎日 ( まいにち ) 生活 ( せいかつ ) 習慣 ( しゅうかん ) がバラバラだ。だから ( なに ) ( ) につかない。」

日本人 ( にほんじん ) ( あさ ) ( ) きたら「おはよう!」と ( こえ ) をかけ ( かお ) ( あら ) ( あさ ) ご飯 ( はん ) をつくる。」

中国 ( ちゅうごく ) はそのような 規則 ( きそく ) ( ただ ) しい 生活 ( せいかつ ) しないのです。」

毎日 ( まいにち ) ( ) ( かさ ) ねが 習慣 ( しゅうかん ) 文化 ( ぶんか ) をつくり、 技術 ( ぎじゅつ ) をつくる。

日本 ( にほん ) 資源 ( しげん ) がないので、 ( あか ) ちゃんは 本当 ( ほんとう ) ( ひだり ) ( ) きだが 日本 ( にほん ) ではわざわざその 左利 ( ひだりき ) きを ( ) 器用 ( きよう ) にするために 右手 ( みぎて )にした。

先人達 ( せんじんたち ) 文化 ( ぶんか ) ( たまもの ) である。

日本 ( にほん ) 生活 ( せいかつ ) そのものが 毎日 ( まいにち ) 生活 ( いかつ ) がよくなるように!と 向上 ( こうじょう ) 好日 ( こうじつ ) である。

そのためには 感謝 ( かんしゃ ) ( こころ ) 必要 ( ひつよう ) である。

( ) ( ) わせこの 一年 ( いちねん ) 感謝 ( かんしゃ ) したいものである。


11月

紅葉 ( こうよう ) ( きた ) ( ほう ) からやってきている。

( あき ) はどうしたものか? 旅行 ( りょこう ) ( ) ( ひと ) ( おお ) い。

みんな 紅葉 ( こうよう ) ( もと ) めて ( あき ) 満喫 ( まんきつ ) している。

わざわざ ( とお ) くに ( ) かなくても12 ( がつ ) になれば ( こと ) 石山 ( いしやま ) 京都 ( きょうと ) ( あらし ) ( やま ) いじょうに ( いろ ) づき ( はじ ) める。

日本 ( にほん ) 四季 ( しき ) 感謝 ( かんしゃ ) する ( とき ) である。

法然上人 ( ) ( うた ) に「 阿彌陀仏 ( あみだぶ ) に  ( ) むる ( こころ ) の  ( いろ ) にいでば  ( あき ) ( こずえ ) の たぐいならまし」お 念仏 ( ねんぶつ ) をお ( とな ) えさせてただきますと、 丁度 ( ちょうど ) ( あき ) 紅葉 ( こうよう ) のように 阿弥陀 ( あみだ ) ( さま ) ( こころ ) 私達 ( わたしたち ) ( こころ ) ( なか ) ( いろ ) づいてくださる。(もったいないことである。)

私達 ( わたしたち ) のどうしょうもない ( こころ ) 、どす ( ぐろ ) ( こころ ) ( なか ) 阿彌陀 ( あみだ ) ( さま ) がわざわざ ( ほとけ ) ( いろ ) ( ) めてくださるのである。

( はる ) には 五重 ( ごじゅう ) がございます。その 時間 ( じかん ) だけでも ( ほとけ ) ( こころ ) ( ) めてみたいものです。

10月

この ( ) には、 ( おも ) ( わずら ) うことぞなし

10 ( がつ ) ( あき ) になるとこの 時期 ( じき ) には、 ( かき ) ( ) るのだが 今年 ( ことし ) 去年 ( きょねん ) 台風 ( たいふう ) 影響 ( えいきょう ) で柿 ( かき ) ( すく ) ない。

幼稚園 ( ようちえん ) 徳山 ( とくやま ) 動物園 ( どうぶつえん ) ( ) ったら、 動物園 ( どうぶつえん ) ( かき ) 豊作 ( ほうさく ) のようである。

法然上人 ( ほうねん  しょうにん ) 言葉 ( ことば )

( ) けらば 念仏 ( ねんぶつ ) ( こう ) ( ) もり、 ( ) なば 浄土 ( じょうど ) にまいりなん、とてもかくてもこの ( ) には ( おも ) ( わずら ) うことぞなし。」

( ) きている ( あいだ ) はお 念仏 ( ねんぶつ ) 功徳 ( くどく ) ( ) んで、阿弥陀 ( あみだ ) ( さま ) のお 慈悲 ( じひ ) 光明 ( こうみょう ) ( あたた ) めて ( いただ ) き、 苦楽 ( くらく ) ( ほとけ ) ( こころ ) ( ) ( ) める。

この ( ) 苦楽 ( くらく ) 現象 ( げんしょう ) 自分 ( じぶん ) 勝手 ( かって ) ( ) ( ) ると ( ) になる。 人生 ( じんせい ) 最大 ( さいだい ) 問題 ( もんだい ) 四苦 ( しく ) ( しょう ) 老病死 ( ろうびょうし ) )である。

( ほとけ ) ( こころ ) ( ) ( ) るためにお 念仏 ( ねんぶつ ) をお ( とな ) えする。 ( わずら ) いのない 人生 ( じんせい )

苦楽 ( くらく ) は、 ( しょう ) ( じゅ ) 両手 ( りょうて ) ( ) け) 拝受 ( はいじゅ ) ( おが ) んで ( ) け) ( ) ( じゅ ) ( ほとけ ) ( こころ ) ( ) けるの)である。

9月

朝顔 ( あさがお ) に つるべとられて もらい ( みず )

( ぼん ) ( ) みやっと 一安心 ( ひとあんしん ) といったところです。いろいろとご 協力 ( きょうりょく ) ( いただ ) きまして ( ) える事 ( こと ) 出来 ( でき ) ました。

加賀千代女 ( か が ち よ じ ょ ) 俳句 ( はいく ) に「 朝顔 ( あさがお ) に つるべとられて もらい ( みず )

( むかし ) 井戸 ( いど ) 釣瓶 ( つるべ ) ( みず ) を汲 ( ) んでいた。

( いま ) 水道 ( すいどう ) 蛇口 ( じゃぐち ) ( ひね ) れば ( みず ) ( ) てくる。

その 井戸 ( いど ) ( あさ ) ( みず ) ( ) みに ( ) ったら 釣瓶 ( つるべ ) 朝顔 ( あさがお ) のツルに 釣瓶 ( つるべ ) をとられていた。

そこでツルをはずして ( みず ) ( ) んだ。 

江戸 ( えど ) 時代 ( じだい ) 自然 ( しぜん ) ( あるじ ) 人間 ( にんげん ) ( きゃく ) であった。

自然 ( しぜん ) ( なか ) 人間 ( にんげん ) ( ) きている。

( いま ) は人間 ( にんげん ) ( あるじ ) 自然 ( しぜん ) ( きゃく ) になってしまった。

本末転倒 ( ほんまつてんとう ) である。

そのつけが 地球 ( ちきゅう ) 温暖化 ( おんだんか ) ( など )である。

地球 ( ちきゅう ) にやさしく」とお ( ) びしている。

人間 ( にんげん ) ( きゃく ) ( ) 加賀 ( かが ) 千代 ( ちよ ) ( じょ ) ( ) である。


7・8月

( こい ) しきと  ( おも ) ( こころ ) は  ( われ ) ならで  ( おや ) ( こころ ) の かよいくるなり

季節 がやってきました。 さま、 きている さまが って られる。この「お 行事 ( ぎょうじ ) ってくださった 御釈迦様 ( おしゃかさま ) 感謝しよう。」と 坂村 ( さかむら ) ( しん ) ( みん ) さんの ( ) にある。

「恋 しきと  心は  ならで  の かよいくるなり」

自分の 心から 親や 人を思っているのもそうですが、よくよく 思いますのにその 親や ( おも ) いが には えない 力となって 伝わってくる。 

しい」という 心が 自然に ( ) いてくる。

 自分で 思っている( 自ら)もう 一つは 相手 から われている( 他から)

自分 ( じぶん ) 信仰という 手を 合わせる( ら)

もうひとつは 亡き 生きている 仏、 から をあわせられている( から)。

には 見えない ( かげ ) ( かたち ) もない 仏、

達者 生き 仏達が「ただいま」「おかえり」と 声を 合うお 盆でありたい。  ナムナム。


6月

一輪 ( いちりん ) の その 一輪 ( いちりん ) の  ( うつく ) しさ

以前 から、 中は 恵まれ、 心さみしい、わびしい 時代になってきたといわれる。

これは 日本人の「わび、さび」という ( こころ ) われる 時代になったことである。

  千利休 ( せんのりきゅう ) 朝顔がその 有名 話である。 利休 朝顔 一面に 咲 き っていた。

それを 聞いた 秀吉 が「 明日行 く」と 利休 に 言った。その  利休 庭の 朝顔の 花を 全部とってしまった。

秀吉が 利休 家に 行くと 朝顔 一つも 咲いていなかった。

秀吉は腹を 立てながらも、 仕方 なく茶室に ると、 床の 間に 一輪 朝顔 生けてあった。

秀吉 はその 朝顔 見 てえらく 感動した。

庭一面 朝顔 もよいが、この 一輪の 朝顔の美 しさの 尊厳 さに 感動したのである。

のサツキも 今が ごろ。

 

 

5月

祖師 ( そし ) ( あお ) ぎ  報恩 ( ほうおん ) ( した ) いし  八百 ( はっぴゃく ) ( ねん )

 

法然上人 ( うねんしょうにん) 岡山 美作 ( みまさか ) 生まれた。

今は 誕生寺としてっている。

長承(1133)に 生まれ、9 歳で 夜討ちに い、  別れ、 比叡山 ( ひえいざん )   くために  とは れとなる。

比叡山 では

遺言 (わす ) (がた ) くして」

父の 遺言は

仇打 ( あだう ) ちはせず。

父の 菩提をってくれ、 打てば、その 子孫を 永遠 仇打ちがえない。

いまお 仇打ちをやめて、われる ( おし ) えを 求めてくれ。」

遺言 忘れずに 比叡山での 修行 ( しゅぎょう ) 励み善導 ( ぜんどう ) 大師 ( だいし ) 御文 い、 念仏 えにわれたのである。

その 法然上人 建暦 ( けんりゃく ) 年(1212)にこのって、 後6 年で 八百 である。

( ほとけ ) はいつも

( ) てござる。

( ) いてござる。

( ) ってござる。

( おも ) 念仏 ( ねんぶつ ) したいものである。   

法然上人の父の遺言は

「仇打ちはせずに菩提を弔う」の言葉は

現在のテロと報復の名のもとでの仇打ち合戦に警鐘をおくっている。


4月

( まえ ) 弥陀 ( みだ )   ( うし ) ろは 釈迦 ( しゃか ) に  ( なか ) ( われ )   ( ) され ( ) かれて  ( あゆ ) 白道 ( びゃくどう )

 

 

五重 ( ごじゅう ) 御話に「 二河 ( にが ) 白道 ( びゃくどう ) 」というお 話がある。

二河とは、 のとである。

白道とは 長さ 百歩 ( ひゃっぽ ) 五寸  (15センチ)の 道の 事である。

水の のように いて 底 なし。

( ) 炎 が 昇っている。そのなかにかすかな 白道 ( びゃくどう ) )がある。

水の 私達 欲張 りの す。

深くとめどないので、 底 はない。

欲深 青 い 顔をしている。→ 青 い

私達 てる している。   てるとみさかえがなくなる。

ところかまわず、あたる 我慢 できないのである。

その 時は 赤い をしている。→ 火 の

白道は、この 世でめて 育 つ 信仰 という。

わずかな 細 い   白道  )である。


3月

あさ ( みどり )   ( ふき ) ( とう ) ひとつ 

もたげ冬 眠 りから 穏やかな 春 の き、お 裏庭 蕗が 顔を しだした。

毎年 225 日ころから 蕗の 臺 が てくる。

あ〜っもう 春 なんだな〜とづかせてくれるひとときである。

「あさ 緑  ひとつ  土 もたげ」

蕗の 通 しして、かくって、すり 味噌 砂糖 油をして 春の 保存食の 出来 あがり。この 苦味 がなんとも えない。

(食 べることしか えていない。悲 ( かな ) しい〜)

人生にも しい( 砂糖 しい( い) しい( 苦味 しい( 塩辛 さ)といろいろあるから 楽しい!

 

田中 ( たなか ) ( もく ) ( しゃ ) さんが

人生甘いだけが じゃない。苦 い いも のうち」

言ったことが  される。

子供 味と 大人 みの いここにある。

しい( 砂糖 

しい( い)

侘 しい( 苦味 

しい( 塩辛さ)

味わいたい。

合掌


 

2月

瞋恚 ( しんに ) 腹立 ( はらだ ) ち)は 功徳 ( くどく ) 信用 ( しんよう ) 努力 ( どりょく ) )の ( はやし ) ( )

節分が わると 正月 本格的 ( はる ) 到来 である。

節分、 立春 、バレンタインデー、 涅槃会 がある

節分には、 まきをする。

( おに ) さんは 赤鬼、 青鬼 二人  ?が 登場 する 昔話い。

赤鬼 さんは 腹立 ちの 青鬼  さんは 欲深 登場 私達 心の 模様をたとえている。

瞋恚 ( しんに ) 功徳 ( くどく ) ( はやし ) ( ) く」

といわれるようにマスコミでにぎわしている。

腹を 立 てて 暴力 をふるい?

まで んできた 功徳  信用 努力 をたった 一度 ( いちど ) でなくしてしまう。

ここで 我慢 ( がまん ) 必要 ( ひつよう ) となってくる「じっとこらえよ 3 分間 」である。

一言 いたい! げたい!その 時期 をじっとこらえるのである。

るように、 相手 わせる。

いてあげる。

の3 分間 ( おだ ) やかな る。


 

12月 1月

災難 ( さいなん ) ( ) ( とき ) には、 災難 ( さいなん ) ( ) うがよい 

良寛

( りょうかん )

今年

台風  地震 と 天変地異 ( てんぺんちい ) があった ( とし ) のようだ。

新潟

くより 地震にあっていたようで、 良寛  さんの 有名 文句 がまれた。

災難 逢 う 時  には、 災難  うがよい。

時 は 死ぬのがよい。

これは 災難 逃 れるよい 方法 だ。」

と1828 年 にかいてある。

凡夫 ( ぼんぶ ) はそう 簡単にこのようには われない。やはり 何 かよい 手立てがあるのであろうと 思案 したり、 他にぶつけたりする。

どんなに をつくしてもからの れがないことに づかせられる。ここでやっと! 良寛 さんの 文句 にしみてくるようになる。

地球 ( ちきゅう ) 上では 人間様 世界  のように 勘違いして、 たちはらしている。

地球に間借 りして、

屋敷 を 持ち、

家を て、

家族 とともに らしている。

変 わらぬ 勘違いして 暮 らす。

自分の 身の 上に 起 きてめてづく、 しい 凡夫 ( ぼんぶ ) である。