一口放(法)談 

毎月始めに更新しております。月間誌「長命」より

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12月 1月天空に 思いを馳せる 午の歳

今年ももう少しで終わり、来る歳は午の歳です。お寺も無事に本年を終えることができました。毎年お正月がきますが、また1歳歳を重ねなければなりません。みんなこうして老いていくのでしょう。

昔はカレンダーを眺めていると、このカレンダーの中に、いろんな事があるのだなぁ〜と思っていました。が、今はパソコンの時代に突入し、パソコン上では100年200年先の予定表が存在します。

便利な物で、いろんな予定をこの中に入れておくのですが、さすがにこの日は病気になる日、とかこの日は事故に逢う日、この日はよいことがある日、とか、ついにはこの日は死ぬ日とか?(ё_ё)書き込んでいないのです。

でも、この100年の間に、いろんなことに遭遇していかねばならないのです。お釈迦様は時間的には無量寿と申して時間は永遠である。と言っております。そのとうりだと思います。

人間としての時間は限りがあり、紆余曲折(うよきょくせつ)の人生で苦もあれば楽もあります。

自分勝手の言い草で苦楽があるのです。自分勝手でなければ全て良しといけるのですが、やはり我々凡夫には、理解し難いものです。

今年は午の歳で、午といえば、馬で、荷物を運び、千里を走るといわれています。名馬は、競馬とか?乗馬とかです。昔も今もやはり競馬が名馬の部類に入るでしょう。

皆さんが来る午の歳が佳き歳で、天空に飛躍出来ますようにお祈り致します。

住職は今年の目標は、午にちなんで!V(^0^)

「馬の耳に念仏にならぬよう心掛けたいものです。」

うよきょくせつ【紆余曲折】

道などが曲がりくねっていること。  事情がこみいっていて、いろいろと変化すること。紆余。「紆余曲折を経る」

 

馬の耳(みみ)に=風(かぜ)[=念仏(ねんぶつ)] 

(「馬耳東風(ばじとうふう)」による。馬の耳に風が当たっても(馬に念仏をきかせても)馬はいっこう気にとめないところから)人の話が耳にはいっても全然心を動かさないことのたとえ。牛の角に蜂。@うわのそらで、人の忠告に従う気がないことのたとえ。A無知なために、高尚なことを聞いても、いっこうに理解できないことのたとえ。B自分の利益にならないことを聞いて、関心を示さないことのたとえ。知らぬ顔。

 


 

11月

仏にも まさる心を 知らずして 鬼婆なりと 人は云うなり

歌人に税所篤子(さいしょ あつこ)さんがいる。昔はお嫁さんとお姑さんの戦いがあった。私達の情報の源である「眼 耳 鼻 舌 身」の一つに「眼」がある。

「娘見る眼は 糸より細く 嫁見るときは 猿眼(さるまなこ)」と昔の人は眼を細めたり、大きくしたりして、起用につかいわけていたものです。  現代の人は余り上手でない!?V(^0^)

税所さんのお姑さんは近所評判の「やかまし屋」で世間では「鬼婆」と陰口されていました。

ある時、お姑さんが外出しようとしていますと!

近所の青年が「鬼婆のおでかけだ!」というのが耳に入ってきました。  腹をたてて帰るなり、・・・・・・・

私が下の句を詠むから、あなたは上の句を詠みなさい!入れないと、今日から家を出て行きなさい!との剣幕です。

下の句は「鬼婆なりと 人は云うなり」さぁ〜下の句は?

税所さんは間髪入れずに

上の句を「仏にも まさる心を 知らずして」と詠みました。

そのお嫁さん(税所さん)の心が常々思っていましたので、直ぐに詠んだのです。 それからお姑さんは心打ち明け、「悪かった」とそんな心で接してきたのに!ごねんね!と

私達の情報の源も受け取り方によって、様々変化いたします。

六根清浄と浄めたいものです。「どっこいしょ!」

でも、いまのひとは「よっこいしょ!」 四根清浄と2根足りない!

ろっこん(ロク‥)【六根】

六識がその対象となる六境に対して認識作用のはたらきをおこす場合、その拠り所となる六つの認識器官をいう。眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根の六つ。六情。六界。


 

10月

渋柿の そのまま変わる 甘味かな

9月11日におこったテロの報道が毎日のように行なわれています。アメリカは報復行動にでるでしょう。 日本ももう一度戦争をしようか?というような雰囲気です。 第9条の「戦争放棄」を忘れて、解釈論議に徹しています。

 法然上人の父「時国(ときくに)」は夜打ちにあい、死んでしまいたしたが、遺言には「このたび夜討ちにあったが、決して恨まないで、私の菩提を弔う僧侶になってくら!また相手を殺せば、そのまた次の子がお前を殺すであろう。」と繰り返し殺しの悲劇がくりかえされると最後の言葉でした。

この遺言によって、法然上人が念仏を広めるきっかけとなった。

敵、味方の相対する者同士が一つになるよういのりたいものである。

ちょうど、渋柿が甘さにかわるように!

「渋柿も そのまま変わる 甘味かな」

ほうねん(ホフ‥)【法然】

平安末期から鎌倉初期の僧。浄土宗の開祖。諱は源空、号は法然房、勅諡は円光大師・明照大師など。法然上人、黒谷上人、吉水上人などと尊称する。承安五年善導の「散善義」を読んで開眼、念仏の人となる。文治二年、大原問答によってその名声を高め、建久九年には「選択本願念仏集」を著して事実上の立宗宣言を行う。建暦元年、「一枚起請文」を書き、まもなく没した。その遺文集に「黒谷上人語灯録」一八巻がある。(一一三三〜一二一二)

 

長命寺の渋柿は 今年は 豊作です。

方丈さんは忙しい!柿もぎに!(^0_0^)

 


9月号

名月や 団子供えし 我もまた

10歳で夭折した坊やの四十九日の法事があって、お斎の席に着いた時、床の間に安置された位牌と写真を見て、"坊や、私たちだけ頂戴して済まんなァ"という気になり、ジュースをコップに移してお供えした。するとしばらくして末席にいた亡き坊やの兄が自分の食べ物を半分わけて盛りつけたお皿を持って来てお位牌の前にお供えした。
 それを見て私はやさしい心根に打たれ、ほのぼのとしたものを感じ、失われた宝が手許に戻ったような気がして嬉しかった。というのは、いつか新聞にこんな記事が載っていたからである。

それは──息子が学校からテストの答案を持ってきた。見ると、「お月見・・・だんご・・・???」という問題で、息子の答えは「供える」だったが採点はバツだった。
「正解は?」
と息子に訊ねると「食べる」なんだそうで、息子も腑に落ちない風だった。いやはや、教育の変わりように驚いてしまった。今日の教育にどう対応したらよいのかその難しさをしみじみ感じたという文章だった。

 戦後の教育は心より物の教育だったので、あまりにも現実的即物的な人間をつくり上げ、敬うべきものを敬う心を育てなかった。その結果、お月見にだんごを「供える」ではなく「食べる」といった"花よりだんご"の実利的な生き方が大勢を占めるようになった。

 これは人間として実に大きな損失であり、奥床しい人格の中心をなすまことの喪失につらなるものとして憂慮に耐えない。

佐藤俊明師より

 


賑(にぎ)やかし 参(まい)らせ給(たま)ふ お盆(ぼん)かな

7 8 月号

 東京は7月のお盆で、その他は8月お盆である。お盆には、我々の生きている仏さまや今は亡きご先祖さまが故郷の帰って来るものである。

 我々のことを生き仏、ご先祖を亡き仏といい、どちらも仏さまである。

 ところが、この世は、悪縁によって、悪い事人殺しとかもする人がいます。大概は、ご先祖さまに見守られ人を殺すようなことはしない。

 お蔭様でわたしはまだ、そういう悪縁にあっていないだけである。あったらわたしも人を殺すかもしれない?

 話が外れましたが、お盆はお釈迦様の10人の1人である「目連(もくれん)」さんの母親が7月15日に餓鬼道からすくわれたことに日にちの設定がなされているのです。母が救われた慶びの余り、目連さんが踊りを踊ったことにより、盆踊りになったのです。

 日本では月暦の7月15日すなわち太陽暦の8月15日になるのです。

 月の7月という月は七夕さまがありますが、これもお盆の入り日の一つで、今では「七日参り」と言って、8月七日お墓の掃除等をするようになっています。

みなさんは何処へお参りですか?


 

 

始皇帝(しこうてい) 仕(つ)えし人の 兵馬俑(へいばよう)

6月号

 先日、雨の合間の晴天の中、広島県立美術館の四大文明展の中国文明展に出かけた。

 始皇帝といえば、ご存知の壮大な 5000km におよぶ「万里の長城」を築いた人である。自らの技術で壁を築き、有名な兵馬俑(へいばよう)を6000体(1号坑だけで)が整然と隊列を組んでお墓に従えたのである。

 昔の人もお酒を好まれたようで、何品もの酒器があった。

 戦国時代に入り、富国強兵策で勝利の酒盛りをしていたのであろう!始めは美味しい酒であったのである。

 始皇帝が50歳で死んで、各地に動乱がおこり、何と秦の国はたったの15年しかもたなかったのだ。

 始皇帝の亡き後は苦い酒に変わったのでしょう。

 亡き後お墓を兵馬俑を作り続け、税金がオーバーしたのだ。

 秦を滅ぼしたのは、農民出身の劉邦(りゅうほう)である。後の漢(400年間)が築かれた。

 始皇帝に仕えた人は今の中国の基礎を築いたのであるが、栄枯盛衰、諸行無常には、勝てなかった。

 そこで考えたのは、自分の生きた証として、始皇帝のお墓に自分と親戚?仲間?にそっくりな兵隊さんを大きなハニワとして、6000体も残したのであろう。

 私たちは、生きた証として、なにを残して死ぬのであろうか?

 


手と足の喧嘩(けんか) 比較の悩み 4月号

昔の書物にこういうことが書いてある。手と足とがある時ケンカしたという話が書いてある。

まず、足が不足を言いました。

手よお前はいいなぁ〜いつも上から、ブラァ〜とぶら下がってばっかしやぁ〜 

俺はお前の全部を担いで歩かんならん。 今日もご主人さまは1里も歩かれたが。

その間、お前はお前は俺に担がれたままで、のんきな格好をしておる。

その間ご主人さまは3回ほど立ち止まって、オシッコをなさったが、

そういうときには、俺はオシッコまみれや。お前は濡れんでいいなぁ〜汚いめをして、

お前の重い荷物を担いで歩かなならん。

だから、大きな顏してお前は俺の上に手をのせて休んでおるけれども、俺はいつも難儀をしているのだから、可愛そうだと思え!(◎-◎)

頭こそいつも何にもせんで威張っているのだから、頭の上に行って休め!」と言ったそうであります。

 

ところが、手も黙ちゃおりません。   

「足さんよ!そんなに言うけれども、俺はあんなにお前がうらやましい〜と思うておる。

なぜかと言うと、あのお風呂好きのご主人さまは、毎日お風呂をお焚きになる。

焚(た)き物を折って、クドにくべるが、そういう時はね、俺は時々スイバリ(とげ)が刺さる時がある。

それほど、難儀をして沸かした風呂だから、ご主人様は、俺に一番最初にイイメをさしてくれるかと思うて、楽しみにしておったら、せっかく俺が難儀をして沸かした風呂に、1番先に入るのは、お前だけじゃないか! (・・,)グスン

 冬の寒い日に、ご主人さまは炭団を入れて、オコタにお入りになるが、炭団を 炭点けて、燃やすのはワシの仕事やで、ワシ、真っ黒になって、働いて、

さぁ、今から暖ませてもらおうと思うたら、中に入って温もりできるのは、お前だけじゃないか!俺は何時もテーブルの上に、置かされて、凍えておらなならん!

足が痺(しび)れたと言うて、揉(も)んでやるやるのも、俺やで!

足に ね!ヒビが入ったというて、膏薬(こうやく)を張ってやるのも、この俺や!

俺は何時もお前のために奉仕させられて、俺のような損なものはないと、思うで!」とこう言うてぼやいた。

そしてお互いに、俺は損じゃ。お前は楽じゃ。損じゃ。楽じゃ。と言うて、止め処なく、愚痴を言いおうたそうです。

こう、

比べる時に、このそういう愚痴が出てくるんですね!愚痴が出てくる。 

手と足だけでなく、人は頭が善いから、この比較の苦しみが発生するのです、地位、金、等

知力と言うものが、曇っているのです。

これが悩みの始まりです。  ナムナム

世界的に、比較すれば、一番?善い生活をしている日本人なのに!  愚痴が止まないのです。


災害は忘れた頃にやってくる

芸予地震は少し大きかったようだ。震度5強で昨日も静岡で地震が起きたようだ。 \(゚o゚;)/ウヒャー

遠崎にもやってきた。お寺は仏さまやお墓がダンスをしているようだった。丁度瀬戸内海で船から釣りをしているかの状態だった。

仏さまの帽子(すいかん)が落ちて朽ちたり、お位牌もダンスのしすぎで落ちてしまいました。  (・・,)グスン

お墓の方はみんな、時計回りに15度ぐらい横をむき、地震とは大変大きな力なんだなぁ〜と感心させられた。

まぁ〜私たちはこの宇宙船『地球号』のお客さまですから、しょうがないんですが、お客様といっても、地球号には一銭のお金も払わず、キセル乗車ですから、文句の言いようがありません。

だって、地球も生き物ですから、アクビの1つぐらいしても、何の不思議なことでは、ありませんし、いいのでは?

人間様も 『今から、アクビをするけど、いいかな?』とは誰も言いません。ヽ(^○^)ノファーーァ!とするだけです。

寺田寅彦さんが「災害は忘れた頃にやってくる」と

又来月あいませう!(^^)-(^^)-(^^)-(^^)-(^^)-(^^)-(^^) ♪♪

てらだ‐とらひこ【寺田寅彦】 

物理学者、随筆家。東京出身。東京帝国大学卒。筆名は吉村冬彦。号は藪柑子。地球物理学・実験物理学を研究し、東大教授となる。

また、漱石門下として多くの随筆・俳句を発表。著「冬彦集」「藪柑子集」など。(一八七八〜一九三五)

 


知に働けば、角が立つ。意地を通せば、窮屈だ。

 人には人間関係というものがあるらしい!これがなかなか難しいらしい!

 人間関係には親子、兄弟、親戚、夫婦、孫等である。

 これらには、全て、ケンカという字が入る。親子ゲンカ、兄弟ゲンカ、親戚同士のケンカ、夫婦ゲンカ、孫ゲンカ?これは80年という長寿社会の現代の産物である。新聞にも「孫殺し」とある。

 これらは、当事者になるとなかなか大変である。最終的には人をも殺してしまう。特に現在のわたしたちの辛抱の足らない人には。

 これを解決するには、自分が第3者になることであるが、これが難しい。

 この解決の近道にお念仏がある。

 夏目漱石さんが『知に働けば、角が立つ。意地を通せば、窮屈だ。』と皆さんの人間関係がうまくいきますように!

ナムナム


今日は節分、

1月く、2月げる、3月る と 月は流れてゆきます

♪ツノツノ1本 赤鬼さん ♪ツノツノ2本 青鬼さん♪

と幼稚園の子どもたちは歌っています。

節分とは?  基本(季節の分かれ目)

立春の前日。四季のうち、冬から春になる時で、古くは一年の境と考えられた。この夜、柊(ひいらぎ)の枝に鰯(いわし)の頭を刺したものを戸口にはさみ、節分豆と称して、煎った大豆をまいて、厄払いの行事を行う。せちぶん。《季・冬》

問題は厄払い!なんの厄を払うか?です。お金ではありませんが。チョト親父的になりましたが(ギャグ)

豆まきで鬼を追い(厄)払う、厄とは仏教てきに申しますと、煩悩です。

明智光秀ではないが、『敵ははなはだ近きにあり』

この私のこころの中に赤鬼。青鬼。黒鬼。がいたのです。腹を立てる。欲張り。愚痴を言う。

この3匹の鬼を払う年に1度のイベントが節分です。

赤は腹立て  ―  怒ると顔が赤くなる。から!

青は欲張り  ―  欲が出ると、顔が青くなる。から!

黒は愚痴   ―  知恵が病気。痴!お先真っ黒け!

この3つの鬼を3つの煩悩といいます。

3つの煩悩を毒とか、垢として、取り扱われ嫌がられていました。

ところが、この3つは別に嫌がられるものでない!

法然上人はこの3つを除くと人として生きていくことは出来ないといいました!ちょうど顔の鼻や口をもぐようなものだと!

ということは、人間関係で申しますと!

赤は腹立て  ―  ケンカはいやだなぁ〜

青は欲張り  ―  仲良くしたいなぁ〜

黒は愚痴   ―  わたしも悪かった!

とこういうふうになります。

ですから!この3つは別に悪者ではありません。

問題は受け取り方です。ここに良くなるか?悪くなるか?の大きな分かれ目です。

悪いほうになると!オレガの心になり、地獄の毎日

良いほうになると!オカゲの心になる。極楽の毎日

それを作るのがこの私です。

の車作る大工はおらねども、オノガ作りてオノガ乗り行く!

この腹立ちのの車は不幸のはじまりです。

手を合わせ、南無阿彌陀佛と称えて、自己反省いたしましょう。結構いけるものですよ!

付録?  蛇足?

昔はお寺もお宮も一緒でした。明治より分かれました。

大きなお寺の近くには、必ず大きなお寺があります。

小きなお寺の近くには、必ず小きなお寺があります。

お寺もお宮も昔は、親戚のようなものです。

長命寺の近くにも、松戸八幡宮があります。

皆さんの近くにもありますよ!探すと歴史が面白くなります。


 

あけまして おめでとう ございます。

本年も 何卒よろしく お願い 申し上げます。

 

前号

ひときわに  あわただしさの  20世紀   

 

20世紀ももう少しでおしまいです。

いろいろありました!

 阪神神戸大震災  1995  

広島長崎 原爆投下 ポツダム宣言 1945

アポロ11号 人類初月面着陸  1969

 オウム真理教 地下鉄サリン事件 1995

 日航ジャンボ機 墜落   1985

等ありました。パソコンでは WIN95が発売され、昔のパソコンを知らない私、聞くところによると、今よりはるかに高価で(150万)程で、余り仕事が出来なかったらしい!ちなみにお寺は99年3月に購入した。  SONY VAIO PCV-R70,PCV-505D,である。

途中何回も、リカバリ−を重ね、今はPCV-R70をバイオスも新しくし550MHZ 250MB、150G、MIDI,CAMERA,ISDN,MO、CDRW等いろいろやってみました。

来年にまたいいパソコンが出る。

 

昔はそろばん、電気計算機、ワープロ、電卓、パソコン、携帯電話等技術は進歩を遂げ、又さらに進歩し続ける。

パソコンのお陰でだいぶ、お寺は楽になりましたが、会社の事務をパソコンがとって変わり、不況をさらに深刻なものにしてしまいました。

昔から手に職を持て!といわれながら!又今も手に職を持っている人が職にありつける。

政府も IT革命 ともてはやしている。やはり、中学生ぐらいからパソコンは知っていないと世界から遅れをとるに違いないし、また後進国もこの機会にパソコン1台で仕事が出来るようになる。

世界中が緊密、平等になるのが、21世紀であると思う。

 

又来年会いましょう。