更新日08/01/31 平成13年 平成14年 平成15年 平成16年 平成17年 平成18年 平成19年 12月号・1月号合併号 「われ元極楽にありし身なれば、定めて帰り往くべし」 年末の師走になり、忙しくなってきました。先生(師)が走るとかきまして「師走」何故走るのか?。 それは歳の瀬の〆切を目前にして、新年のお正月を迎えるためである。本年にお世話になった人々に感謝の意を表すための、「お歳暮」。借金の返済等。 目的は「新年を迎えるためです」その為に忙しく走るのです。 「われ元極楽にありし身なれば、定めて帰り往くべし」 わたしは元々極楽にいた身の上であるから、間違いなく極楽へ帰ることでしょう。と 北朝鮮からの 帰国 曽我ひとみ さん (四十三歳) の ことば 二十四年ぶりに故郷に帰ってきた。とてもうれしい。人々の心、山、川、谷、みんな温かく美しく見える。空も土地も木も「おかえりなさい。頑張ってきたね」とわたしにささやく。だから、わたしもうれしそうに「帰ってきました。ありがとう。」と元気に話します。 曽我ひとみさんには故郷、新潟、佐渡の山、川、谷が「おかえり」と聞こえたようです。 普通では聞こえない「おかえり」声、・・・仏さまも同じように、私たちに声かけてくれているのだが、煩悩まみれで、聞こえない悲しい人間です。 最後ぐらいには、曽我ひとみさんのように、聞こえさせていただきたいものです。 という不二子富士夫さんがいらっしゃいます。子ども達に大きな夢を与えてくださった漫画家です。 どうして子どもに夢を与える「どらえもん」が完成したか?と申しますと、毎日毎日が〆切で各社の編集員さんが詰め掛けて、先生の監視役、「書いてるかな?」 と編集員さんが毎日詰め掛けて、〆切におわれたのです。そのおかげで「どらえもん」という 子どもに夢を与える漫画が出来上がったのです。 一回死んだつもりで新年を迎え、身綺麗にスタートしたいものです。また、新しい人生もスタートします。 皆さんが良き歳でありますよう祈念いたします。 *大分県 蓮華寺 にて 「道心和合会」 実演 2002.12.10 発表の一部 11月号 落ち葉舞い 滝とどろけし 三段峡 先日 三段峡(広島県)、匹見峡(島根県)へとお檀家さんと日帰り旅行へ出かけてきました。 紅葉は少し早かったようですが、ドングリ系の椎の樹は黄色に色づいていました。 紅葉は一本の木で上から赤、黄、緑を三色をいっぺんに楽しませてくれました。 冬一番の風の中、木の葉が舞い散り、滝の音の楽に合わせて、滝底で木の葉のダンスが始まっていました。 落ち葉舞い 滝とどろけし 三段峡 自然のおりなす風景はダイナミックでした。これも私たち眼の見える人たちに仏さまが楽しみを与えてくださっているのだなぁ〜と思いました。 野も山も 瑠璃の光に かがやくは きよきに入らしむ しるしなるらめ 改めて、大自然の中で生かされていることに気づかされた一日でありました。 10月号 流刑さらに恨みとすべらかず、すこぶる朝恩ともいふべし 秋の夜長をなきとおすあ〜おもしろい虫の声♪という歌があるが、法然さまの物語(勅集御伝)にも松虫姫、鈴虫姫という虫ではないが虫の名が出てくる。 京都、鹿ヶ谷に、法然の念仏道場あり、住蓮房、安楽房という二人の青年僧がいまして、上人の高弟として道場をとりしきり、二人の説教は、都の貧しき人、女人たちの崇拝を一身にあつめていた。 或る日、この二人の青年僧をしたって女性がふたり、念仏道場の門をくぐった。 気品ある顔立ちを頭巾でそっとかくし、うつむきかげんに入門したふたりの若い女性は、実は御所をこっそり抜け出した、松虫、鈴虫というふたりの女官だった。 心のよりどころを念仏道場に求めた二人の女官は、後鳥羽上皇(1183〜1198)の熊野詣での留守をねらって、宮中をそっと抜け出して鹿ヶ谷にたどり着いたのだ。 が、人目をしのいだとはいえ、美しい女性二人の姿は、村人を驚かせ、たちまち都の噂になった。 ”美女脱出事件”は、間もなく上皇の耳ににも伝わった。「無断で宮中を抜け出して、邪教にうつつを抜かすとは」と上皇は激怒して、二人の青年僧をとらえ ”打ち首”の刑にしてしまった。 そして師僧である法然上人を土佐へ島流し”念仏停止”の令を言い渡した。世に云う”承元の法難”である。 松虫、鈴虫の二人は出家して、尼となったが、恋募った青年僧が”打ち首”という極刑。 法然上人は今でいう刑務所(流刑)となり恨まずに、朝恩であると、受けた罪を切り換えした。 尼僧になってからは”松虫、鈴虫伝説”は、大阪阿倍野に”松虫通”、法然上人の流罪先の広島県の光明坊、へと身をひそめて、人生を終えたのである。
9月号 先日小学校の国語研修会に行った。講師によい先生(工藤直子先生)がみえるということで、盆の疲れを背中に背負ってでかけた。 子供たちの間で密かに話題になっていて、工藤直子さんの「あいたくて」という詩です。が気にいったので皆さんに紹介いたします。 なんといっても人は貪瞋痴の煩悩を持っているから!取りあえずは、名誉、金の虜(とりこ)にだまされやすいでしょう。 「人はみな 金や名誉にだまされて まことの道に 入らぬ愚かさ」 聖光上人は「念仏とは、不離佛の義なり、値遇佛の義なり。」と申しておられます。 日々、念仏生活の中で、佛様と離れず、お会いする(念ずる)。 常に、如来さまを値遇して(念じて)、一時も離れず、常に仏様に私たちは見守られ念じられている身の上であると!信じて、お互いお念仏に精進させて頂きたいものです。 現在若い人々は携帯電話の「出会い系サイト」で出会い、事件等に巻き込まれています。 出会いにも良い出会いと悪い出会いがあります。仏様に「よかれ」と見守られているかぎり人にも物等にも良い出会いが待っていることでしょう 皆さんによき出会いがありますよう祈念致します。
ちぐ 【値遇】 (「ぐ」は「遇」の正音)前世の宿縁によって現世にであうこと。また、仏縁あるものにであうこと。ちぐう。
7月8月号 山より高き父の恩 海より深き母の恩 恩こそ知るぞ人のはじめなれ 父母恩重経に山より高き父の恩 海より深き母の恩 恩こそ知るぞ人のはじめなれと書いてある。海は命の源である。 お寺の横の川にも大潮の時は、潮がやってくる。海は月の引力によって満ち干きを繰り返す。1分間に17〜18回である。 人間が1分間に呼吸する数と同じである。その呼吸数を2倍すると35回になります。 それは人間の体温35度と数字が繋がります。体温を2倍すると70これは1分間に打つ脈拍数です。脈拍数の2倍は140で血圧数である。もちろん健康な人の数値である。 この2倍は280で胎児の胎内日数280日(40週)にあたります。そして、280の100倍が28000でこれが人間さまの天命?(28000日)といわれております。 このように、海の波動と人間さまの呼吸の数字を基といたしまして不思議な繋がりがあり、唯、人の命もまた大自然の中に生かされている尊い命の私たち一人ひとりなのです。 28000日という膨大?な日数もまた私たちひとりでは、生きることが出来ないのです。 ご先祖様や親のすべてのオカゲなのです。
6月号はお休みでした! パソコンのハードディスク壊れたため! バックアップしてましたので、それなりに安全でした。 HDは3年が寿命か? 諸行無常である! 大事をとってXPに買い替えました。 皆様にご迷惑を掛けないように! しょぎょう‐むじょう(ショギャウムジャウ)【諸行無常】 仏教の根本主張である三法印の一つ。世の中のいっさいのものは常に変化し生滅して、永久不変なものはないということ。 5月号 一期一会(いちごいちえ) お茶のことはわかりませんが、江戸時代の幕末に井伊直弼という人が「一期一会」という言葉?を言い出しました。すばらしい言葉を残されて私たちに警鐘を鳴らしたいるようです。 みなさんのご存知の言葉に一期一会がある。この言葉こそ、この井伊直弼が著書「茶湯一会集」でしたためたものであります。 「そもそも茶の交会は、一期一会といいて、たとえば幾たび同じ主客と交会するとも、今日の会に再びかえらざることを思えば、実にわれ一世一度の絵なり」(井伊直弼著書「茶湯一会集」より)
すなわち「一生涯にただ一度の出会い、それは会った瞬間が別れのときであること。」 信じがたいかもしれませんが、それは疑う余地のない自然界の法則であります。たとえ、幾度同じ人に出会ったとしても、今、このときは再び戻らない。 この真実を深くそれぞれの懐に受け入れることができるなら、今がいかに貴重なものであり、今このときを無為なものにすることなく生きていくことの大切さに私達は改めて気づくことでしょう。 出会いを大切に!しましょう! 三猿 見ざる (相手の悪いところを!・・・・見ていても?) 言わざる (相手の悪口を・・・・知ってても!) 聞かざる (相手の悪口を・・・・聞いていても?) すばらしい人生が開けてきます。 一休禅師も「なにごとも 見ざる言わざる 聞かざるは ただほとけにも まさるなりけり」 と・・・・。 いちごいちえ(‥イチヱ)【一期一会】 (安土桃山時代の茶人、山上宗二の著「山上宗二記‐茶湯者覚悟十体」にある「一期に一度の会」から)一生に一度会うこと。また、一生に一度限りであること。 いい‐なおすけ(ゐいなほすけ)【井伊直弼】 幕末の政治家。彦根藩主。掃部頭(かもんのかみ)。安政五年大老となり、勅許なしで日米修好通商条約の調印を断行。反対派の諸大名、公卿、武士たちを弾圧して安政の大獄を起こす。のち水戸・薩摩の浪士らに江戸城桜田門外で殺された。(一八一五〜六〇) しんし【真摯】 (形動)まじめでひたむきなこと。一所懸命に物事に取り組むさま。「真摯な態度」 かいこう【邂逅】 (―する)思いがけなく出会うこと。めぐりあうこと。 (形動)まれなさま。古く、多くは「たまさか(に)」と訓読されていた。
4月号(別枠) 苦楽の第一の矢、第二の苦の矢とは?
矢が当たると痛い、当たっていいのは宝くじ(笑)
この挨拶の元の意味は次のようになっている。
だたしお念仏を称えている人はその次の第二の苦しみ矢は受けない。
ところが人間様は欲という毒を持っているので、 「まだ良い花見の場所はないか?」と第二の矢が楽のはずが苦の第一矢となり苦しみの始めとなる。これが現代の心の病気である。 お念仏をすると第二の矢は受けないと雑阿含経に説いている。
いちあいいっさつ【一挨一拶】
禅家で、師と修行者、または修行者同士が言葉や動作で、互いに軽くまたは強くためすこと。 一対一の、空気の張りつめた真剣勝負を思わせるものがあります。「いまどきの若者は挨拶のしかたも知らない」という年輩の方からの厳しい意見がありますが、本来の挨拶をされて平気でいる人は少ないでしょうね。。 「挨」は押す・開く、「拶」は迫るという意味で、お坊さんが修行中の弟子の所へ行き、肩をポンと叩くと弟子が心を開いて「はい、頑張っております」という気持ちを込めて返事をする。この問答が「一挨一拶」で、こうした気持ちのやり取りが挨拶の基本姿勢として受け継がれている訳です。 ある心理学者の一説によると、相手の言っていることに好感を持つ時のポイントを数値で表した場合『言葉』は7%、その言葉を発する『声の表情』が38%。そして最も高い数値は、『顔の表情やしぐさ』で55%という結果が出ています。しぐさほどその人の心の中が吹き出して見えてしまうものはないという顕著な例かもしれません。
今年の春は早くやって来ました。幼稚園の桜もチューリップも満開です。 お寺の玄関にも何処から飛んできたのか?菫のような草花が咲いている。 もう10年ぐらいだろうか?丁度玄関の石に行く先を遮られた種が宿ったのでしょう。 居心地がよかったのでしょうか? 芭蕉(ばしょう)の句に 「山路来て 何やらゆかし 菫草」(やまじきて なにやらゆかし すみれぐさ) とあって、推敲を重ねたのである。始めの句は 「何とはなしに何やら床し菫草」(なんとはなしに なにやらゆかし すみれぐさ) 「スミレ」は「ひとはぐさ」とも呼ばれ、 蕪村にも「骨拾う人に親しき菫かな」という句がある。菫の花びらはよくよく見ると何やら人面のような模様がある。そこに昔の人の面影を見たのでしょう。 私もスミレグサのように大分から山口に飛んできて15年長命寺の護持にあたり、玄関の花が他人事のようでない。自分のように、愛着を感じ、色々と思いをめぐらしているこの春です。 飛びに来て 思いめぐらし 菫草 1 スミレ科の多年草。各地の山野の日当たりのよい場所に生える。高さ一〇〜二〇センチメートル。全体に細毛を散生。葉は長さ三〜五センチメートルの三角状披針形で先端は円く、長柄をもち根もとに束生する。早春、葉間から花柄を伸ばし、先端に長い距のある紫紅色の花を横向きに一個ずつ開く。果実は、長楕円形で三稜があり、三裂して小さな種子を飛散する。和名は「すみいれ」の略で、花の形が墨壺に似ているところからの称とする説がある。漢名紫花地丁を当てることがある。すもうとりぐさ。すもうとりばな。かぎとりばな。かけびきばな。ひとはぐさ。すみれぐさ。《季・春》 スミレ科スミレ属の草本の総称。数百種ある。 江戸前期の俳人。俳諧の革新を大成した蕉風の祖。本名忠右衛門、甚七郎宗房。幼名金作。通称甚七郎。俳号ははじめ宗房、のち桃青、芭蕉。別号釣月軒、泊船堂、風羅坊など。伊賀国(三重県)上野の生まれ。藤堂良忠(俳号蝉吟)に仕えたが、良忠の病死とともに致仕。京にのぼり諸学を修め、のち江戸に下り延宝八年深川の芭蕉庵に入居。談林風の俳諧にあきたらず新風を求め、漢詩文調、破格調を経て蕉風を確立。天和三年「虚栗(みなしぐり)」を刊行、江戸俳壇の主流となる。以後没年まで各地を行脚、紀行文を残し、その間、ますます円熟の境地を示し、蕉風俳諧の頂点をきわめた。さらに「高悟帰俗」の理念のもと、晩年に至り「軽み」を提唱。元禄七年西国行脚を志したがその途次、五一歳で病没した。句は「冬の日」「曠野」「ひさご」「猿蓑」などに収められ、ほかに紀行文「笈の小文」「野ざらし紀行(甲子吟行)」「奥の細道」など。(一六四四〜九四) 「野ざらし紀行」の別称。のざらし‐きこう(‥キカウ)【野ざらし紀行】 俳諧紀行。一巻。松尾芭蕉作。貞享二年の成立後も、推敲を重ねた。貞享元年八月、門人苗村千里(ちり)を伴い江戸深川を出発、伊勢を経て故郷伊賀上野に至り、大和、近江、美濃、尾張を回って伊賀上野で越年、さらに奈良、京、大津、尾張、甲斐を経て、四月江戸に帰るまでの旅の見聞・体験を記す。甲子吟行。甲子紀行。芭蕉翁道之記。 すいこう (‥カウ)【推敲】(唐の詩人賈島が「僧推月下門」の句を作ったが、「推(おす)」を「敲(たたく)」に改めた方がよいかどうかに苦慮して韓愈に問い、「敲」に決したという故事「。渓漁隠叢話」から)詩や文章を作るにあたって、その字句や表現をよく練ったり練り直したりすること。 3月 日向路(ひゅうがじ)に 仏集いて 梅香る 先日、宮崎に行ってきました。まァ〜宮崎はやはり暖かい処でした。山口は雪が降っているのに、宮崎は春心地です。汗を掻いての日暮でした。 日本列島の南北の長さを、改めて身体で感じた思いでした。 宮崎はシーガイヤ等の設備が整いすばらしいものでした。 農家のお檀家が多く、小さなお寺で300軒ちょっとしたお寺で800軒で毎日忙しいようでした。 廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で仏さまやお寺を全部崩され、終戦後はアメリカ軍上陸で町中焼かれてしまったようです。みんなでお寺を盛り上げようととして、今は二代目三代目の歴史の新しいお寺さんばかりでした。 また、お寺を建立しようとみんなで力をあわせています。本当に仏さまのような方々です。来年には宮崎市に1000坪のお寺さんが建つようです。 このような話を聞いて、本当に生き仏さまに出会ったように感じました。「日向路に 仏集いて 梅香る」遠崎に帰ってきても、余韻がありました。 2月 懺悔僧(さんげそう) おおきな一打 山眠る 人は大きな過ちを時にはするものだ。 菊池寛の「恩讐の彼方に」には、「市九郎」という青年が妻「お菊」を取るために、主を殺した。 そこで、山小屋の茶屋で夫婦で隠れて住んでいた。妻「お菊」と共に泥棒家業?に専念し、今まで数え切れない程殺していた。あるとき、若い農夫婦が茶屋に来た。 農夫婦は「宿まではどのくらいですか?」と尋ねたが、本当は遠いのに、「すぐそこですよ!」とお菊が言った。 はぁ〜今夜仕事があるな!と市九郎は思った。 夜、農夫婦は宿へ急いでいたが、待ち合わせていた市九郎は夫婦に飛び掛り、金銭を奪い取った。しかし顔を見られたために、殺してしまった。死体を始末した。 茶屋に帰り、お菊に金銭を渡した。 間髪いれずに、お菊が言った「おまえさん頭の物は?」「頭の象牙のかんざしはどうした?」 忘れた!と市九郎は言った。 何年この家業をやっているのかい?とお菊 忘れたならわたしが取りに言ってこよう! 取りに行くお菊の後ろ姿を見て、唖然とした。この女を得るために主をころしたのか?と。嫌気をさした市九郎は、茶屋を出ていった。 それから、市九郎は懺悔の念を抱き、仏門に入り、懺悔僧になった。 ある時、地方に行き、川の道が狭いため一年に10人川に落ちて死ぬことがあると聞いて、「よし!ここに道を造ろう!」を一大懺悔の念を起こし、残りの生涯を一打一打、今までの懺悔をした。 完成間際になって、昔、「お菊」を取るために殺した主の息子が恨みを晴らすためにやって来た。「もう少しで完成だから殺すのは待ってくれ!」そのうち仇打ちに来た息子と市九郎と2人共、一打一打ともにするようになった。 そして、念願の完成を見た。 市九郎は「さあ!殺しくれと!」 息子はこの偉業に携わった感激のあまり、仇討ちなどもっての外と涙を浮かべて手を取り合った。 大分県 山国川 耶馬渓の話である。 人は縁によって、過ちを犯すこともあるでしょうが、「悪かった」「ごめん」という懺悔の念をおもいだしたいものである。 人は殺めなくとも、人は何万何億いう生命を奪い食べていかなければ、生きていけない悲しい動物です。 きくち‐かん(‥クヮン)【菊池寛】 作家。香川県出身。京都帝大卒。正しくは寛(ひろし)。第三・四次「新思潮」同人。文芸春秋社を設立。「文芸春秋」を創刊、芥川賞、直木賞を設定。著「無名作家の日記」「恩讐の彼方に」「真珠夫人」「父帰る」など。(一八八八〜一九四八) 【耶馬渓】大分県北西部にある峡谷。山国川が溶岩台地をきざみ、岩石・森林・渓流美を備える。本耶馬渓・深耶馬渓・裏耶馬渓などに分かれる。耶馬日田英彦山(やばひたひこさん)国定公園の一中心。
12月 1月 天空に 思いを馳せる 午の歳 今年ももう少しで終わり、来る歳は午の歳です。お寺も無事に本年を終えることができました。毎年お正月がきますが、また1歳歳を重ねなければなりません。みんなこうして老いていくのでしょう。 昔はカレンダーを眺めていると、このカレンダーの中に、いろんな事があるのだなぁ〜と思っていました。が、今はパソコンの時代に突入し、パソコン上では100年200年先の予定表が存在します。 便利な物で、いろんな予定をこの中に入れておくのですが、さすがにこの日は病気になる日、とかこの日は事故に逢う日、この日はよいことがある日、とか、ついにはこの日は死ぬ日とか?(ё_ё)書き込んでいないのです。 でも、この100年の間に、いろんなことに遭遇していかねばならないのです。お釈迦様は時間的には無量寿と申して時間は永遠である。と言っております。そのとうりだと思います。 人間としての時間は限りがあり、紆余曲折(うよきょくせつ)の人生で苦もあれば楽もあります。 自分勝手の言い草で苦楽があるのです。自分勝手でなければ全て良しといけるのですが、やはり我々凡夫には、理解し難いものです。 今年は午の歳で、午といえば、馬で、荷物を運び、千里を走るといわれています。名馬は、競馬とか?乗馬とかです。昔も今もやはり競馬が名馬の部類に入るでしょう。 皆さんが来る午の歳が佳き歳で、天空に飛躍出来ますようにお祈り致します。 住職は今年の目標は、午にちなんで!V(^0^) 「馬の耳に念仏にならぬよう心掛けたいものです。」 うよきょくせつ 【紆余曲折】道などが曲がりくねっていること。 事情がこみいっていて、いろいろと変化すること。紆余。「紆余曲折を経る」
馬の耳(みみ)に=風(かぜ)[=念仏(ねんぶつ)] (「馬耳東風(ばじとうふう)」による。馬の耳に風が当たっても(馬に念仏をきかせても)馬はいっこう気にとめないところから)人の話が耳にはいっても全然心を動かさないことのたとえ。牛の角に蜂。@うわのそらで、人の忠告に従う気がないことのたとえ。A無知なために、高尚なことを聞いても、いっこうに理解できないことのたとえ。B自分の利益にならないことを聞いて、関心を示さないことのたとえ。知らぬ顔。 |
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