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29歳の朝日新聞横浜支社勤務者が26歳の時に癌になり、闘病生活中です。

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高橋 賢次さん(64)=横浜市保土ヶ谷区

 すべての人に感謝の気持ち

  横浜市保土ケ谷区の高橋賢次さん(64)は、三つの異なるがんと向き合った経験があるそうです。この夏には胃がんの手術を受けました。

 横浜駅の西口でいわし料理屋を経営しており、次男が継いだ後の現在もお店に顔を出しています。また、県合唱連盟の仕事を四十年以上続けており、現在は副理事長兼事務局長です。

 

心の支えになっているものはなんですかとうかがったところ、次のような答えが返ってきました。

 

 「私には店があり、合唱連盟も一年中行事の準備があって、なかなか忙しい

毎日です。あっという間に一日がすぎ、思い悩んでいる時間もあまりないのが実情です。この仕事と趣味があるから、大病しても気持ちを切り替えられるのかもしれません」

 

  新聞紙上で「がん」という文字を見ると、いつも緊張します。記者の体験記

とあって身を乗り出して読みました。

 

 小生の病歴は、@直腸がん(一九九一年七月末から八月末)A結腸がん

(九四年二月半ばから三月半ば)B胃がん(今年六月初めから七月初め)です。

 

 現在も腹膜転移が残り、抗がん剤を服用、週一回通院して採血し、県立が

んセンターで検査を受けています。

 

 一回目からいきなり本人に「がんです」と告知でした。あまりにはっきり言う

ので、「先生が自信を持って治してやるということだろう」と解釈し、「負けてた

まるか」と前向きに気持ちを転じました。

 

 がん三度目の今年は、取りきれなくてがんと共生することになりました。仕方

がないので、仲良くやっていこうと思っています。

 

 家内も昨年六月、子宮と卵巣にがんがみつかり、五カ月ほど市民病院で抗

がん剤治療を受けました。幸い、今は元気です。私と同じでしょげる性格では

ないので、私としては助かっています。

 

 店は家内の協力なくしては成り立ちません。夫婦時間差の入院となったの

は、神様のおかげかもしれませんね。

 

 心の隅には一抹の不安もあり、連載は一字一句、自分のことを思い出しなが

ら読みました。でも、さしたる焦りもなく淡々と日常を過ごしています。特に悲観

もしていません。無病息災という言葉がありますが、一病くらいあった方が日常

生活で体に注意するようになっていいのかなと思っています。

 

 胃の手術後しばらくは、便で苦労しました。トイレのそばを離れられない時期

もありました。良くなってからの毎日は排便後、トイレで「神様、主治医の先生、

ありがとうございます」と感謝の言葉を口にします。そして、すべての人々に対

する感謝の気持ちも一層、増しました。

 

(11/22)

●投稿を紹介します (2)

養護教諭の女性(54)=横浜市内在住

 過去形で語れる日きっと

 

 横浜市内在住の乳がんだった養護教諭の女性(54)は「マラソンが支えにな

った」そうです。

 

 告知、手術であきらめかけた四二・一九五キロ完走の夢を、医師の励ましを

背に再び追いかけました。ゴール後、走りきった感激にひたり、「思い残すこと

はない」。でも、しばらくすると、もう一度出たいという思いが膨らんだといいます。

 

 自分が走ることで、周りの人々に「もう、大丈夫」というメッセージを届けたい

気持ちもあったそうです。

 

 「マラソンががんを退散させたようにも思います。一日一日、精いっぱい、大

事に生きていかなくちゃいけないなと、最近ますます思うようになりました」と話して下さいました。

 

 

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 連載の(1)を読んで、五年前を思い出しました。指示された検査をこなすた

め、抜け殻みたいに病院の廊下で待っていた自分を。

 

 「これは夢?」「子どもたちはどうなるの?」「まだ死にたくない」

 

 あふれる涙を機械的にふいていました。健康そのもので、ジョギングもしてい

たのに……。

 

 職場の検診で見つかった乳房のしこり。日帰り手術を受けようと気楽に出か

けたその日、医者は言いにくそうに「今日の手術は中止することにします。悪い

細胞が見つかったのできちんとした手術が必要になりました」と言ったのです。

 

 がんの告知でした。手術で切除したリンパ節すべてにがん細胞が見つかった

ため、抗がん剤治療を受けました。

 

 副作用はすさまじいものでした。髪の毛は一本残らず抜け落ち、つめは黒い

マニキュアを塗ったようになりました。吐き気とおう吐のせいでやせていく自分

を見ていると、「私の人生もこれで終わりか」と投げやりになりました。

 

 ところが、単細胞人間の私は、治療が終わり少しずつ身体が回復すると、「ど

うせ死ぬのならフルマラソンを走ってからにしよう」と思うようになりました。術後

半年で、ジョギングを再開しました。

 

 主治医は「目標を持つことは免疫力を高めるのにとてもいい。何でも挑戦して

ください」と賛成してくれました。結局、これまでの五年七カ月の間に、フルマラ

ソンを三回、五キロや十キロマラソンは数回完走しました。現在は十二月に

沖縄で開かれるNAHAマラソンを目指して練習しています。

 

 大変な経験も、「あんなことがあったな」と過去形で語れる日が必ず来るで

しょう。

(11/22)

●投稿を紹介します (3)

湘南地域の50代の女性

 試練乗り越えてこそ生きること

 

 湘南地域の五十歳代の女性は、九年前、大学生の長女ががんだと知らされ

たときの思いと、親として娘の闘病に向き合った経験を書き送ってくださいました。

 

 元気になった現在、娘さんは仕事に家庭に忙しい毎日で、「前を見ながら精

いっぱい生きている」そうです。「縮こまることなく存分に人生をおう歌してほし

い」と思う一方で、親としては無理をしているのではないかと、ハラハラする気

持ちもあるとのことでした。

 

 彼女は長女の病気を通じて「自分の人生でも、やりたいことはやっておこう」

という意識になったと言います。ご自身も大学に通って勉強を続ける一方、

すっかり魅了されているフランスにも年二回、足を運んでいるそうです。

 

 九年前の六月、親元を離れて学生生活を送る十九歳の娘から電話があり

ました。娘は「健康診断で引っかかったから、明日精密検査を受ける」と元気

な声で言いました。

 

 翌日、大学の保健管理センターの医師から電話があり、「来てほしい」と言

われました。

 

 医師は「悪性の腫ようが、縦隔の手術のできない場所にある。薬はあるが、

副作用が強いので社会復帰は難しい」と言い、「自分の妹も同じ病気で死んだ」

と目を潤ませました。

 

 娘本人は明るく、元気で自覚症状もなし。授業とサークル活動でとても忙しい

生活を送っていました。だから、レントゲンだけで「死ぬかもしれない」と言われ

ても納得できません。医師に何度も聞き返しました。

 

 帰りの電車の窓から夏の雲を見ながら、手を振って大学に戻っていった娘の

笑顔を思い出していました。「何かの間違いだ」と思いながらも、涙が出て困り

ました。何事にも一生懸命な娘の「生」が、途中で切断されてしまうなんてたま

らないという気持ちでした。

 

 娘が都内の大学病院に入院した後は、「私が守るんだ、できることはすべて

しよう」と思いました。

 

 医者とは何度も話をしました。薬についていろいろな情報を調べては「本当に

必要なのか」と聞いたり、「一人の生身の人間として娘を見て下さい」と言ったり。

 

 特段裕福ではなく日ごろから節約に励んでいましたが、「この子のためならす

べてを使ってもいい」と思いました。自分の体力も大事と思い、混雑する電車で

はグリーン車も使いました。幸い娘は元気になり、昨年、結婚もしました。

 

 人間、やって来る試練は乗り越えていかなければならないのです。それが、

生きていくことそのものなのではないか。渦中では分かりませんでしたが、

今はそう思っています。

 

 

(11/23)

●投稿を紹介します (4)

 

 

横浜市の主婦(42)=横浜市保土ヶ谷区

 病棟の仲間と励まし慰め合い

 

 

 横浜市在住の主婦(42)は、子宮体がんで再発も経験した方です。つらい

治療を共に乗り越えた仲間と会って話すことが、一番の薬になっているようです。

 

 また、抗がん剤の副作用で髪の毛が抜けてしまうことが、「女性にとっては

なによりもショックなはず」とおっしゃいます。高価で気に入らないかつらしか

手に入れられなかった経験から、ニーズに合うかつらを安く仕入れて提供しようと考えているそうです。

 

 「デパートなどでは、ファッションとしてウイッグ(かつら)がはやっていますが

、がん患者の気持ちが分かる売り手も必要だと思ったんです」と話していました。お店という形ではなく、自宅で少しずつ始めているそうです。

 

 

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 五年前、子宮体がんのュ期で手術を受けましたが、二年後に再発。尿管を

押しつぶすがんで、抗がん剤と放射線の治療を受けました。

 

 婦人科病棟には、がんなどで子宮や卵巣を摘出し命をかけて治療している

患者、流産した若い女性たちがいます。一方、廊下から出産後の家族の喜び

の声が響いてくることもあり、それぞれの家庭の色んなドラマが詰まっている

場所でした。

 

 つらい抗がん剤の治療中、「一日も早くこの病棟と縁を切りたい」と思ってい

ました。でも、病棟で病と闘う仲間たちは、励まし合い、慰め合い、戦友のよう

でした。おしゃべりしたり、調子のいいときはお菓子を分け合ったり、修学旅行

のようなにぎやかな雰囲気でした。

 

 退院後もみんなで毎月一度、会っています。年齢の違いはあっても、一緒に

お昼を食べたり、日帰り旅行をしたり、私にとってはとろけるようにうれしい時間

です。

 

 板一枚の上に立たされても生きていくという気持ちをこめ、映画「タイタニック」

のヒロインから名前をとって「ローズ会」としました。

 

 十三人の会員で、電話連絡網も決まっています。同じ苦しみが分かるから、

あっけらかんと話ができます。

 

 悲しいことに、先日、一人亡くなってしまいました。また半月前には仲の良い

友達に再発の兆候が出て、三日間眠れませんでした。自分も月一回、検査の

結果を聞くときは心臓がどきどきします。

 

 けれども、そういうことも、怖いばかりではありません。自分も含め、それぞれ

に一生懸命生きているという気持ちがあるからでしょう。亡くなった方について

は、笑顔ばかりが思い出されます。お葬式でも「よく頑張ったね」という気持ち

になるのです。

 

 

 

(11/23)

●投稿を紹介します (5)

 

 

20代女性

 故郷の母の胃がん

 

 県内で一人暮らしをしている二十歳代後半の女性は「実家の五十歳代の母

が、四日前、胃がんの手術を受けました」という電子メールを送って下さいました。「向き合う家族より」とありました。

 

 実家に戻って執刀医と話し、回復中の母親にも会って「一安心して帰ってき

ました」とありました。しかし、約一週間後、転移していたことが分かり、「もって

一年」と言われたそうです。

 

 「全然、向き合えていないことを実感しました」「どこまで本人に話せばいいの

でしょうか」というメールが再度、届きました。

 ご本人とお話しし、現在、家族のがんに直面している方の気持ちを、紹介さ

せていただくことにしました。

 

●(19)希望をくれた同病体験者の言葉

 

 僕と同じ病気を経験した「ノブさん」からの電子メールには、いつも勇気づけ

られた。当時二十八歳、同世代だった。

 彼は、二十歳のときに睾丸(こうがん)腫ようになり、三回の抗がん剤治療を

乗り越えて退院。二十五歳のとき、リンパ節に転移・再発したが、再び退院に

こぎつけて社会復帰をとげていた。

 彼は体験を一部ホームページで公開していた。情報を必死で集めていた妻

が見つけて、メールを送ったところ、返事が来てやりとりが始まった。

 「(痛みなどの)自覚症状が出ないうちに治療に入れたことは、なんといって

もラッキーでしたね」「貴重な経験ですから有意義な入院加療生活をお過ごし

下さい。たのしい生活を!」

 初めての僕あてのメールにはこんな言葉が書いてあった。

 その後「一回戦(一回目の治療のこと)おつかれさま」「髪の毛はいかがです

か? 私の場合はそろそろでした」「奥様がいてよかったですね。きれいな看

護婦さんがいても、我慢我慢」といったメールが来た。

 副作用や気持ちについても、「そうそう、その通り」と思うようなことが書いて

あった。そして、コミカルで前向きな言葉が並んでいた。

 「下痢でトイレで座りながら吐き続けたときは、涙がでましたよ。はっはっは」

「半年後には私と同じ立場になり、化学療法をやっている方に同じようなメール

が書けるようになりますよ」

 同じ病気だった人が、再発まで乗り越えて現に働き、暮らし、メッセージを送

ってくる。当時の過酷な体験を冗談交じりに振り返っている。

 その事実だけで、希望を持つことができた。

 「大変ですよね」「つらいですね」という言葉も、同じ体験をくぐった人間が発す

ると重みがまるで違う。

 さらに、ノブさんは二分せきつい症という先天性の病気で、体に障害があった

。障害者の協会で活発に活動していると聞いて、筋金の入ったたくましさを感じ

た。

 「がんになると自分の一生などいろんなことを考えます。健康な人なら考えな

いことまで考えられるんです。生きることのすばらしさや偉大さを身をもって思

います」

 告知以来、僕が常に感じてきたことを、彼がずばりと書いていた。

 顔も声も知らない相手からこんなに力をもらったのは、初めてのことだった。

(上野 創・29歳)

 

 

 

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