布教伝道者としての要件

(私にはできませんが・・・・・一応以下のようになっております。)
 道綽禅師は『安楽集』に、「説法者に於いては、医王の想いを作せ、また抜苦の想いを作すべし」と説かれている。
 古来より、説法者には能化の資格として、次の八草を具備することの必要を主張しておられる,
 (1)声(2)弁(3)行(4)徳(5)博学(6)才知(7)慈悲(8)道心

※布教師の必要なる条件


(一)精神的要件


@ 信仰の確立・・・・いかに巧妙なる弁舌技巧を有し、大雄弁を振る舞うといえども、信仰のない説教はなんの権威もないものである。「仏陀の勅命、宗祖の真意、−切衆生救済の為の登壇である。」と心得るべきである。だから「私はこの様に信じています。故にあなたも信じなさい。」と反覆して力強く言うべし。決して躊躇するような言い方はしない事である。さすれば必ず信者に感銘を与え、その心を導くことが出来ます。


A 慈悲及び熱誠‥‥伝道は『命がけ』との意気が必要である。この熱心さと至誠心とが人の心を動かすのである。いかなる困難にも打ち勝って伝道を実行するという熱意をもつこと。この不惜身命の熱意は、崇高な慈悲心から生ずるものである。


B 沈着と才知・・・『高僧伝』には、(1)声(2)弁(3)才(4)博、なりと説いてあり、また鸞師は三種の菩提門として、(1)智慧(2)慈悲(3)方便、なりと説いている。常に念仏者であるとの落ち着いた態度が身業説法となり口業、意業、説法の為には才知もまた必要である。


(二)肉体的要素
@健康・・・平素より健康に注意して、任務を全うする努力をせねばならない。平素より放縦な生活を避けて、つとめて規則的な生活をして暴飲、暴食、喫煙などに注意すること。また、説教直前の食事や飲食はつつしみ、睡眠を充分とって風邪や咽喉等に充分注意することである。


A風貌・・・常に修養錬磨して精神充実すれば、自然と尊敬される風貌ができる。よって品位及び威儀にも常より注意すべきである。『喩伽論』には説法の十事を説いて、「威儀具足す、即ち説法の時手足乱さず。頭はげしく動かさず。面変せず。進止往来の威儀正しくすべし。」とある。『十住毘婆沙論』には「威儀ありて法音を敷衍するに、顔色和悦にして人皆伝授す。」『往誦律』には、「威儀を知らざる者、応行処・不応行処を知らざる者とか、戒法を破りても怖畏心亡き者は説法するべからず。」とある。


B音声・・・単に外にあらわれる声だけではなく、心より出ずる声でなければ人心をゆさぶる事はできない。よって精神的要素が完全でなければならない。
以上の如く、布教師としての必要なる要件が整えば、次の「布教師としての訓練」を積まねばならない。


布教伝道者としての訓練


@静室養心・・・週に一日くらいは静室にて精神を休養せしめ、他日、人の二倍三倍の活動価値を現すべき準備をなしておくべし。


A 瞑想的考察・・・常に深く内観反省するべし。


B 書斎生活・・・常に読書修養を−生の行事と心がける。元祖様の「聖教を見ざる日なし。」の如し。


C 実際見聞・・・実際を見聞して確信を得るべし。


D 組立推敲・・・念仏弘通・祖徳仰讃・祖山興隆のため、元祖大師の御法語を熟知して、自己に浄土宗義の信仰が確立するまでは他宗の経典にふれるべからず。

常に『法説・比喩・因縁・合釈』の組立を訓練するべし。しかして後、種々応用するなり。


布教十訓


l、法を説く者は、先ず本願を深く信ずべし
2、法を説く者は、報彿恩の心得に住すべし
3、法を説く者は、時機を鑑むべし
4、法を説く者は、文義に分別なるを要す
5、法を説く者は、大胆沈着にして躊躇を慎むべし
6、法を説く者は、言語の粗野を戒むべし
7、法を説く者は、威儀を厳粛にすべし
8、法を説く者は、名利の念を慎むべし
9、法を説く者は、瞞了の念を戒むベし
1O、法を説く者は、聴者の生信を唯一の目的とすべし



1、 法服部


イ、裟と法衣・袈裟と法衣は壊色のものを用いるのが本儀である。
・特別の法儀で朗色の法衣を用いることもある。


ロ、袴・・・壊色の法衣を用うる時は袴を着けないのが本儀である。


ハ、領 帽・宗定により10月1日より翌4月30日まで着用する。(但し10月中は使用しない地方もある。


[付 記]法服類は6月1日より9月30日までは夏衣を用いる。但し地方の慣例によることもある


2、執持部
イ、 数 珠・日課数珠又は百八数珠を用いる(顕色の法衣の時は荘厳数珠を用いる)
・ 日課数珠は合掌のときは両空指にかけ、その他の場合は左手首にかける。
・ 百八数珠は、二重又は三重とし、日課数珠の執持法に準ずる。


ロ、 如 意・持ち方は左手を上にして胸の前に斜めに(表を上方に向けて持つ)
問訊及び置き方は中啓に準ずる。

ハ、柄香炉・右手で柄の下部をにぎり左手で柄の中央を受けて香炉を前方にして捧持する。
置き方等は宗定に依る。


ニ、 説 相・両手で胸前に捧持する。如意又は扇を合わせ持っときは説相を下から支えるように受けて持つ。
(扇類は宗定の執持法に依る)

・荘厳数珠は宗定の執持法による。
[付記]荘厳数珠には中啓が、日課、百八数珠には雪洞か略扇がふさわしい。



3、威儀部


イ、合 掌・宗定に依り堅実心合掌と又手合掌を用いる。


ロ、焼 香・焼香は相伝に依り1回又は2回又は3回とする。
      [註]香は自分のものを献ずるのが本儀である。番盒は左袂に入れる。
      焼香の後は、柄香炉を捧持せざるを本儀とする。


ハ、礼 拝・礼拝の作法は宗定に依る。説前に、仏前において三拝し、説後一拝する。


ニ、歩 行・左足より踏み出し、一間五単歩とする。右折左折の作法は宗定の法に依る。


ホ、登高座・高座前に蹲居し、説相、如意を高座上に置き、前方に押し進め、規定の如く登高座する。


説相は前卓(説相箱)に、如意は説相(説相箱)の右側に縦に置く。その後、威儀を正し、心を落付け聴聞衆を確認する。


へ、説法作法・袱紗を頂いて後、右、左、前方の順に開く、合掌して割尺一下(木魚念仏停止)「如来大慈悲云々」又は「令声不絶云々」の文を唱え「同唱十念」と発声して割笏一下。次に開経偈(無上甚深微妙法・)を発声、割尺一下・次に讃題拝読・十念の後、説話に入る。


・説話を終り同唱十念と発声して、割笏一下・袱紗を手前、左、右の順にたたむ。

(・袱紗作法 付けたり)

蓮華初開楽(れんげしょかいらく)  蓮華の華を開くようにゆっくり両手で右左前と袱紗を開く 終わったら十念の後に袱紗を閉じる。


ト、下高座・少しく後方に退り、如意説相を膝前に取り込み、規定の如く下高座して蹲居し、如意・説相を手前に引き寄せ、如意等を採り仏前に至り、一拝して退堂する。


4、讃題前文例
・ 謹んで拝読す ・敬って拝誦し奉る ・謹み敬って拝読し奉る


5、 講演と法話
・作法は説教に準ずるが法服は略衣でさし支えない。
・場合により讃題は略してよいが、同称十念は必ず行う。


  参考(上記は ある布教師会の参考資料より)


以下は布教師の安心起行

大本山 善導寺「聖光」192号 2003.01号「布教師法話」

演説正法 酬四重恩」大分県武蔵町 蓮華寺 鶴山 瑞教 師 による

 

昨年末、拙寺を会場に30人ばかりの若い布教師さんたちの研修会が営なまれた。老兵にも何か一言喋ってほしいとの申し出があったので、次のような話をさせてもらった。これは、その時の要旨である.

安心、起行というが、安心とは心がまえ、起行とは実行の問題である。

これは宗教用語ではあるが、人の職業のうえにおいても必要なものであり、職人は職人の、商人は商人の安心、起行が揃ってないと、その職業は全うされない。

今、北朝鮮による拉致問題で外務官僚に対する批判が高まっている。何よりも国益を旨とすべき彼等が、省益、部益、はては私益を旨として動いていたのではないかという疑いがもたれているのである。

即ち、彼等の安心が問われているのである。正しい安心を定め、実行に励むということは何人にも必要なことで、布教師にとっても必要なことである。

まず、布教師の安心とは何か。私はかねがねそれは「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 眞成報佛恩」 の報恩回向偈に、それが示されていると思っている。

即ち、仏恩に報恩するために説教するのである。これが布教師の安心でなければならない。道重信教大僧正の 「演説正法 酬四重恩」という遺墨を拝ませてもらったことがある。「正法を演説して、四重の恩に酬いたてまつらん」と読むのだろうが、報恩回向偈の精神と軌を一にするものである。布教師の安心は、この一点に定められるべきであると思うのである。

思えば浄土宗は、このご恩に酬いたてまつらんという心がまえを特に大切にして頂いていかねばならぬ集りではなかろうか。それは源智上人が寺を創建して、それを「知恩院」と名づけたことからして伺える。知恩、報恩、感恩−これが浄土宗なのである。四恩に、どのようにしてお酬い申すか。最上の方法は、意業が浄められるというかたちでお酬い申すのが、一番望ましいかたちである。しかし、罪悪生死の私には、及びもつかぬことである。身業においても、また然り。わずかにできることは口業だけである。

その口業を通して、四恩に報ずるという安心を定め、正法を演説するという起行に励みたいと思う。

思えば、このご恩という言葉が世間の会話にのぼる機会が、めっきり減った昨今である。日本人が堕ちるところまで堕ちた、「日本沈没」という声が高い。これは恩の思想を排除した戦後教育の結果である。戦後教育が恩の思想を排除した原因が二つある。

一つは内に原因があって、そうなった。恩の思想は、もともと往復のかたちで説かれるのが望ましい。「親の恩」があれば「子の恩」、「目上の者の恩」があれば、「目下の者の恩」があるといったぐあいである。そのように往復の考え方の中から、敬上慈下という望ましい人間関係が育てられていく。戦前の恩の説かれ方がどうだったかというと、一方通行のかたちで説かれた傾向が強い。その反動が戦後の教育である。


第二は外からの外圧である。アメリカをはじめとする大東亜戦争(あれは「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」と呼ぶ方がふさわしい) の戦勝国が、日本人が恩の思想を大事にすることを嫌ったからである。なぜなら、日本人が恩の思想を大事にする限り、彼等にとって好ましい 「日本解体」が望みにくくなるからである。彼等にとって日露戦争に有色人種の日本が勝ったということは、はかり知れないショックを与えた。

そこで日露戦争直後、白人たちで「オレンジ計画」がたてられた。これは日本絶滅計画である。これについては今までアメリカ国防省倉庫の奥深くに眠っていた秘密文書が公開され、「オレンジ計画」(新潮社刊)となって出版されたので、これを読めばその間の事情がよくわかる。日本人を連帯させていた恩の思想を解体し、そして、今後はこれでやれと押しつけられたのが、自由、平等、人権の個人思想である。日本人はこれを進歩思想と受けとってしまった。

これが外圧である。かくして日本人から恩の思想が消えた。戦前の日本は「縦の思想」に傾きすぎていた。戦後の思想は「横の思想」一本槍である。布切れは縦横の糸がなければ織れないように、健全な社会は縦横の思想が交差することで織りなされていく。

浄土宗の布教師は、今こそ恩の思想を説くべきである。そうして四恩にお酬い申したい。

詳細はこちら!


 

以下は私事による。

私事その1

ある心理学者の一説によると、相手の言っていることに好感を持つ時のポイントを数値で表した場合

『言葉』は7%、その言葉を発する

『声の表情』が38%。

そして最も高い数値は、

『顔の表情やしぐさ』で55%という結果が出ています。

しぐさほどその人の心の中が吹き出して見えてしまうものはないという顕著な例かもしれません。

私事その2

言葉はそう左程は無いようです。日進月歩 精進が一番です。

私事その3

扁桃腺で布教をパスしました!法事もパスしました!(2000/1/)

該当の関係寺院、檀家さんすみません!m(_ _)m

健康第一です。若者は走れ!年寄りは歩け!で糖尿病防止!毎晩酒盛り(^-^)で私も軽い糖尿病です。毎日?(気が向いた時には)260mの飯の山(大島町)に登っています?1時間ぐらいです。

私事その4

100人100樣ですから、人権にお気をつけて配慮をお願い申し上げます。(自分では解らないですがね!)

 


解読法 

一におしだし、二に作法  (いちにおしだし、ににさほう)

通訳 一におしだし  

        (初めの入堂の見た目のこと!襟元足元とか)

    二に作法   

     (袱紗のさばき方、割笏を打つ時、ご法語を頂き方とか)


くすぐり 

通訳 前の話と次の話の間にチョト和む話をいれると聴衆が聞きやすい。

    要するにダジャレ、ギャグみたいなものを入れる。内容の休憩。

    前の話と次の話の間に入れると少し和んで、聴衆と話す方との一体化をはかる。


座が下がる

通訳 尊さが失われる。 


初め


講評の仕方

1、先ず誉める。

2、せっかく役目を頂いておりますので、・・・言い難いのですが、

3、一言いわせていただきます。

   一般的な法話の話を先にする。

 譬ば、電車に乗って京都から東京に旅行に行くとしましたら、電車の出発時間到着時間があります。

 出発の駅に着くまでは、旅行の準備をしたり、駅までの時間を計算したり、身だしなみを整えて駅に向かいます。

 電車が来て乗るわけですが、自分の席を探し、座る。それから、新聞や本屋、御茶、ビール(微笑)を頂くのです。

 

そうしている内に、旅先での話しが盛り上がって、いろんな話題が次から次へと出てくるそうしている内に東京へと到着時間が近づいてくる。

名残は惜しいですけれども、到着の電車を降りる準備をする。

そして到着である。

これが大方の時間の過ごし方である。

組立推敲の仕方も同じ

常に『法説・比喩・因縁・合釈』の組立を訓練するべし。しかして後、種々応用するなり。

4、本への指摘とアドバイス

5、講評自身の反省で終わり。


五七五七七の歌の三十一文字(みそひともじ)の扱い方

一回では分りにくいので一つの歌で二十分位のはなしでないと聴衆が分りにくい。