布教伝道者としての要件 (私にはできませんが・・・・・一応以下のようになっております。)
常に『法説・比喩・因縁・合釈』の組立を訓練するべし。しかして後、種々応用するなり。
(・袱紗作法 付けたり) 蓮華初開楽(れんげしょかいらく) 蓮華の華を開くようにゆっくり両手で右左前と袱紗を開く 終わったら十念の後に袱紗を閉じる。
以下は布教師の安心起行 大本山 善導寺「聖光」192号 2003.01号「布教師法話」 「演説正法 酬四重恩」大分県武蔵町 蓮華寺 鶴山 瑞教 師 による
昨年末、拙寺を会場に30人ばかりの若い布教師さんたちの研修会が営なまれた。老兵にも何か一言喋ってほしいとの申し出があったので、次のような話をさせてもらった。これは、その時の要旨である. 安心、起行というが、安心とは心がまえ、起行とは実行の問題である。 これは宗教用語ではあるが、人の職業のうえにおいても必要なものであり、職人は職人の、商人は商人の安心、起行が揃ってないと、その職業は全うされない。 今、北朝鮮による拉致問題で外務官僚に対する批判が高まっている。何よりも国益を旨とすべき彼等が、省益、部益、はては私益を旨として動いていたのではないかという疑いがもたれているのである。 即ち、彼等の安心が問われているのである。正しい安心を定め、実行に励むということは何人にも必要なことで、布教師にとっても必要なことである。 まず、布教師の安心とは何か。私はかねがねそれは「自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 眞成報佛恩」 の報恩回向偈に、それが示されていると思っている。 即ち、仏恩に報恩するために説教するのである。これが布教師の安心でなければならない。道重信教大僧正の 「演説正法 酬四重恩」という遺墨を拝ませてもらったことがある。「正法を演説して、四重の恩に酬いたてまつらん」と読むのだろうが、報恩回向偈の精神と軌を一にするものである。布教師の安心は、この一点に定められるべきであると思うのである。 思えば浄土宗は、このご恩に酬いたてまつらんという心がまえを特に大切にして頂いていかねばならぬ集りではなかろうか。それは源智上人が寺を創建して、それを「知恩院」と名づけたことからして伺える。知恩、報恩、感恩−これが浄土宗なのである。四恩に、どのようにしてお酬い申すか。最上の方法は、意業が浄められるというかたちでお酬い申すのが、一番望ましいかたちである。しかし、罪悪生死の私には、及びもつかぬことである。身業においても、また然り。わずかにできることは口業だけである。 その口業を通して、四恩に報ずるという安心を定め、正法を演説するという起行に励みたいと思う。 思えば、このご恩という言葉が世間の会話にのぼる機会が、めっきり減った昨今である。日本人が堕ちるところまで堕ちた、「日本沈没」という声が高い。これは恩の思想を排除した戦後教育の結果である。戦後教育が恩の思想を排除した原因が二つある。 一つは内に原因があって、そうなった。恩の思想は、もともと往復のかたちで説かれるのが望ましい。「親の恩」があれば「子の恩」、「目上の者の恩」があれば、「目下の者の恩」があるといったぐあいである。そのように往復の考え方の中から、敬上慈下という望ましい人間関係が育てられていく。戦前の恩の説かれ方がどうだったかというと、一方通行のかたちで説かれた傾向が強い。その反動が戦後の教育である。
そこで日露戦争直後、白人たちで「オレンジ計画」がたてられた。これは日本絶滅計画である。これについては今までアメリカ国防省倉庫の奥深くに眠っていた秘密文書が公開され、「オレンジ計画」(新潮社刊)となって出版されたので、これを読めばその間の事情がよくわかる。日本人を連帯させていた恩の思想を解体し、そして、今後はこれでやれと押しつけられたのが、自由、平等、人権の個人思想である。日本人はこれを進歩思想と受けとってしまった。 これが外圧である。かくして日本人から恩の思想が消えた。戦前の日本は「縦の思想」に傾きすぎていた。戦後の思想は「横の思想」一本槍である。布切れは縦横の糸がなければ織れないように、健全な社会は縦横の思想が交差することで織りなされていく。 浄土宗の布教師は、今こそ恩の思想を説くべきである。そうして四恩にお酬い申したい。
以下は私事による。 私事その1 ある心理学者の一説によると、相手の言っていることに好感を持つ時のポイントを数値で表した場合 『言葉』は7%、その言葉を発する 『声の表情』が38%。 そして最も高い数値は、 『顔の表情やしぐさ』で55%という結果が出ています。 しぐさほどその人の心の中が吹き出して見えてしまうものはないという顕著な例かもしれません。 私事その2 言葉はそう左程は無いようです。日進月歩 精進が一番です。 私事その3 扁桃腺で布教をパスしました!法事もパスしました!(2000/1/) 該当の関係寺院、檀家さんすみません!m(_ _)m 健康第一です。若者は走れ!年寄りは歩け!で糖尿病防止!毎晩酒盛り(^-^)で私も軽い糖尿病です。毎日?(気が向いた時には)260mの飯の山(大島町)に登っています?1時間ぐらいです。 私事その4 100人100樣ですから、人権にお気をつけて配慮をお願い申し上げます。(自分では解らないですがね!)
解読法 一におしだし、二に作法 (いちにおしだし、ににさほう) 通訳 一におしだし (初めの入堂の見た目のこと!襟元足元とか) 二に作法 (袱紗のさばき方、割笏を打つ時、ご法語を頂き方とか) くすぐり 通訳 前の話と次の話の間にチョト和む話をいれると聴衆が聞きやすい。 要するにダジャレ、ギャグみたいなものを入れる。内容の休憩。 前の話と次の話の間に入れると少し和んで、聴衆と話す方との一体化をはかる。 座が下がる 通訳 尊さが失われる。 初め 講評の仕方 1、先ず誉める。 2、せっかく役目を頂いておりますので、・・・言い難いのですが、 3、一言いわせていただきます。 一般的な法話の話を先にする。 譬ば、電車に乗って京都から東京に旅行に行くとしましたら、電車の出発時間到着時間があります。 出発の駅に着くまでは、旅行の準備をしたり、駅までの時間を計算したり、身だしなみを整えて駅に向かいます。 電車が来て乗るわけですが、自分の席を探し、座る。それから、新聞や本屋、御茶、ビール(微笑)を頂くのです。
そうしている内に、旅先での話しが盛り上がって、いろんな話題が次から次へと出てくるそうしている内に東京へと到着時間が近づいてくる。 名残は惜しいですけれども、到着の電車を降りる準備をする。 そして到着である。 これが大方の時間の過ごし方である。 組立推敲の仕方も同じ 常に『法説・比喩・因縁・合釈』の組立を訓練するべし。しかして後、種々応用するなり。 4、本への指摘とアドバイス 5、講評自身の反省で終わり。 五七五七七の歌の三十一文字(みそひともじ)の扱い方 一回では分りにくいので一つの歌で二十分位のはなしでないと聴衆が分りにくい。
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