「布教師の安心・起行」 鶴山瑞教師

  平成十四年十二月九日〜十日

  「同心和合会 研修会」大分県武蔵町蓮華寺


 

同称十念

何か私までも何か話してくれということで、用意もなにもありません。大雑把な布教という話だけチョットさせていただこうかと思います。

 え〜今日、名簿を頂いて見てみますと、あの人はあの方の息子さんかな!というような人がおりまして、自分も歳をとったなぁ〜とつくづくそういうことを思いました。と同時にこうして若い人が勉強してくれて、頼もしい限りであります。

先程、羽田先生とチョット話したのですが、我々の時代よりも今の若い人の方が、説教が上手ですな!とちょっと話したのですが、本当にそんな気がします。

こうして、羽田先生に感謝申し上げなならんのが、講評という仕事はとても嫌な仕事ですわ。その嫌な仕事を引き受けてくれて、こうしてやって下さっておる。え〜これ本当に羽田先生に感謝申し上げなならんことであります。

そういうことで、大雑把なまとまった一つ何か話をせよ!ということでありますから、させてもらおうと思いますが。

一枚起請文に安心起行という言葉がありますね、言うまでもなく安心というのが心構えです。起行というのは実行の問題ですね。よくあれは目と足に喩えられます。

安心というのはこの目ですな。起行というのはこの足ですよ。目と足が揃うて初めて目的地に到達することが出来るのです。で、どっちが狂うても、目的地は見失れてしまうのですわ。

その安心起行心構えと実行の問題というのは、え〜これは宗教に限ったことではないと思うのです。すべてのものに、備わってはおらなならんのが安心起行なのです。

お百姓さんにはお百姓さんの安心起行があるのです。職人には職人の安心起行があるのです。公務員には公務員の安心起行があるのです。

最近、外務省の問題が槍玉に挙げられて、これだけ腐っておった所か?ということで、国民の憤激をかっておるでしょ。それは外務省のお役人さん達の安心が狂うておるのですよ。国益よりも先に省益を重視していく。その省益より部益を重視していく。はては、私益を重視していく。これは安心の狂いですね!

今、外務省があのように槍玉にあがっておるということは、この安心の狂いを指摘されておるのですよ。だから安心起行というのは、必ずしも宗教の問題だけじゃないのです。すべてにこれは揃うてなければならんです。だから私は布教師さんには布教師さんの安心起行があると思うんですよ。

それで布教師さんの安心起行というのはなんだろうかなぁ〜と思います。まっ!急に言われて、私はなんだろうかなぁ〜先程私はいわれてと考えて、二つあるような気がいたします。

その第一は自信偈ですかね?!自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 眞成報佛恩これが布教師さんの第一の安心であると思う。こうして説法するということはご恩に報ずるためにあるである。その心構えがド〜ンと心に入っておらんと、布教師さんはいくらお話が上手であっても、どっか変な所にいってしまうのではないかと思います。

私、あるお寺に行きましたら、ご巡錫の記念に一筆おねがいしますということでお寺には宿帳というものがあるでしょう。我々はそう呼んでいる。何か一筆書け!あ〜何を書いたものかな?“道重信教大僧正”というお名前聞いたことがありますか?とても大きな器で浄土宗の重人として聞こえた方ですね!

その“道重信教大僧正”がこう書いていますよ。

「演説正法 酬四重恩」

私これ!見ましてね、あ、これ布教師さんの安心だ。それで初めてのお寺に行ったらまず、これを書くようにしている。読んで字の如く。

「正法を演説して、四重の恩に酬いたてまつらん」

お説教をするというのは外ではない。四重の恩というのは四恩といいますね。四恩に酬い奉る。「四恩に酬い奉る」ということが布教師さんの一番の根幹になる安心でなければならない。これが狂うたら布教師さんは妙なことになってくる。芸人と同じですよ。

その「四重の恩に酬いたてまつる」方法に私は三つあると思う。

一つは身口意の三業と言われる、意業ですよ。意業をもって「四恩に酬いたてまつる」と言う方法があるような気がするのです。心の問題ですね。心が浄められて行く。そして、四恩に酬い奉られていく。こういう方法がある。

 けれども、よくよく考えてみますと、この私自身は罪悪生死の凡夫。それより外のなにものでもない。そうする時に、意業が浄められて、四恩に報ずるという事はとても大事、尊いことでありますけれども、現実の問題として、私たちは及びのつかない問題です。ね。

次の身業をもって「四重の恩に酬いたてまつる」ということは、いわゆる、良き行いが出来て、四重の恩に酬いたてまつる身の上になると言う事ですな!

身業というのはですね、人の目に見えますから取り繕うことが出来ますよ!だから身業は暴れはせんけれども、人目がありますから、よく考えたら、これも又、自分の手に負えない問題である。

 僅かに出来ることが口業ですよ! 僅かに出来ることが口業ですよ!

これは、法然上人もおしゃってますね。浄土宗の聖典にない浄土眞宗の聖典にありますがね、法然上人が何故お念仏を勧めたか?ということは、口と言うのはこの三業の中で一番いうこときくから、法然上人が念仏申せ。といわれたのだ。とこういう説明をしている。面白いな〜と思いましたね。本当にその通りですよ。

時々この田舎のお寺には、ここ田舎ですからね。お檀家の人が「奥さん!お野菜が出来ました」と野菜を持ってくることがある。ここの蓮華寺の奥さんは一つの可愛そうな病気をもっておりまして、朝8時15分になると、15分間のテレビドラマ見ないと、一日中頭が疼くという病気ですわ。

これが、そういう時に限って、お野菜もって来てくれんですね。そしてあれ、立ち上がる時に、あぁ〜あとため息ついておるのです。で、出て行きますが、ため息をついて出て行くが、奥さん、どういうじゃろうか?思いましたらね、ため息ついた素振りは一つも見せませんよ。「わぁ〜今日も持ってきてくれてたのですか」とこうして言っておるわ。持って来た奥さんが「では、ここに置いときます。さよなら!」と帰りかけると、「チョットお上がりなさい」といいておる。上がれどころか、とっとと置いて帰ってもらいたいのですわ。そして次見たいのじゃ私はよう分かとる。それでもチョット上がれ。「いや、奥さん今忙しいから!朝の準備で忙しいから」「いや、今丁度済んで暇なのだから、チョット上がれ」と袖をひっぱって上がっておるんです。口というものは便利なものじゃな〜とつくづく思います。皆さんこういうことは、日常生活に中にありますね。

意業は悪いものです。身業はまた自分の手におえないものです。僅かにいうこときいてくれるのが口業だけですよ。だから、法然上人が念仏を申せ!先ず口をつかって口称の念仏を申せというのは、そこだ!ということを、浄土眞宗の文献に書いている。本当に私はある意味で、法然上人の真意をついておるな。とつくづく思ったのです。我々に出来ることは、口業だけなのです。これが布教師が口を使って説法しなさいと言う事と思うのです。

だから布教師さんは意業もかなわん。身業もかなわん。せめて話すことによって。四重の恩に酬いたてまつらん。とこういう気持ちで、演壇に上がるということが大事であります。これが、布教師さん第一の安心であるとおもいます。

次に、第二の安心ですがね、皆さん方、こういうお名前の方聞いたことがありますか?「村田静照」

この人は大正時代に活躍した真宗高田派では神様のような存在の人です。しかし、ただ単に、この高田派というような小さな宗派に納まるような人ではないのです。この人のご説法の時には、禅宗のお坊さん、真言宗のお坊さん、それから日蓮宗のお坊さん聞きに来ておったそうですね。宗派を超えた力を持っておったお坊さんですよ。この人の原稿録が出ておるのです。

その原稿録というのはね。この人は大体一時間なら一時間という聴講のご説法はしなかった人です。一日中本堂で念仏しておるのです。一日中念仏して、念仏中にフイフイとこうして思い浮かぶことがあるのです。そうすると、その和上の本堂は小さいお寺ですが、いつもお寺はいっぱいでした。

何故いっぱいか?というと、お念佛申しておる間に、和上がチョットこうして後を向いて、今お念仏をもうしておる間にピンと浮かんだことを、2、3分程度の言葉でいうのです。その2,3分程度の言葉が実に凄い言葉がある。え〜文芸春秋社から30年も前ですが、「村田和上原稿録」という本が出ておるから、もし古本屋にあったら、お買い求めなさい。私は座右の銘としてこの人の原稿録は座右の銘の一つとしてはいっておる。実に後ろを向いてお説教する2,3分の説教というものは肺腑(はいふ)を突くのです。

ある若いお坊さん達の集まりで、チョットこうして、お話をしておる。「皆さん寺に居って、お念仏しなさいよ。」「お寺に居って念仏しなさいよ。坊主の念仏は、鬼の念仏よりも珍しいとしたものだから。」坊主がお寺で念仏しておったら、みんなが見に来るぞ。」こういっておる。実に、腑(はらわた)をえぐるような一言をいっておる。短い説法を言っている。皆さんその通りですね。お互い念仏しましょう!念仏しましょう!というけれども、どれ位念仏しておるか?です。ね。どれ位念仏しているかです。

坊主の念仏は、鬼の念仏よりも珍しいのです。だから、念仏さえしとけば、何処に行って説法せんでもええ、人が集まってくるのです。その通りの人だったのです。この人は他所に行ってお説教するということをしなかった人です。念仏している間にヒョット後を向いて、思ったことをパッパと言うだけです。その2,3分の言葉を聴くために小さな本堂はいつも満杯になっていたという人です。

でその人が若い坊さん達に向かってこう言うておる。「あなた達はお説教聴く時に、集まった人達に話をして聞かせると思ったら、間違いですよ。」とこう言っておる。「ここに集まって来ておる人達はね、貴方の懈怠(けたい)を防がせんとして、諸佛、諸菩薩が身をやつしてして来て下さった方である。」とこうおしゃっておられる。ね。お参りに来ておる人達は貴方の懈怠を防がんがせんとして、諸佛、諸菩薩が身をやつしてして来て下さった方である。そこの所をドーンと腹に入れて話をしなされや。これが、布教師の安心であると思いますよ。どういう気持ちに立ってお話をするか?ということが大事。

私はそういう和上の言葉を聴いた時にね、大智度論の竜樹菩薩の言葉を思い出すのです。竜樹菩薩がこう、おしゃっておられますね。「如来は我独りの為に法を説き給う。余人のためにはあらず。」とこう、おしゃっています。親鸞上人はここを引かれて「親鸞独りが為なり」と言われました。あの言葉の出所はここになっているです。あの和上の言葉を思い出す時、説法するということは、自分独りが為である。そういう言葉を思い出すのです。私はそれが布教師の安心だと思いますよ。

そして、和上はこうおしゃっている。「説法が聞かせ三昧に終る」みんなに拍手してもらおうと思って、媚(こ)びって、みんなが聞いてくれるような、話をしようとする心が動く。話三昧に終る。仏法の堕落というのは、ここから始まっていくのだと思いなさい。

私もささやかながら布教師として、末席を穢しているものでありますけれども、いつもこの和上言葉は胸の中深くにたたんで、高座に上がるのです。流暢な亊を持って、一流の布教師とするような、そういう考え方が一般でありますけれども、そうして、流暢にして聞かせ三昧に走る所に、仏法の堕落というものがあるのですよ。そこをよく心得て、高座に上がりなさい。これが私は布教師の安心と思いますよ。でまだいろいろ言わなければ、いけないことがありますが時間ですから、これでやめます。

起行の方は、布教師の起行というのがあると思います。布教師の起行とは何かな?と考えた時に、中村ガンエモンという歌舞伎役者がいますが、なかなか俳句が上手な方ですね。「転がって 初めて起きる 術を知る」という句を詠んでいます。これは皆さん布教師さんの起行ですよ。

私の存知上げている九州の若いお坊さんがお彼岸か何かで、3〜4ヶ寺掛け持って説教に行ったのです。ところが、2日目からね、このお坊さん行方不明になったのです。

耐え切れない訳ですね。耐え切れない訳ですね。そういう有名な話がある。この人は転がってその痛さの為に立ち上がれなくて、行方不明になったのです。いや。そういうことあるのですよ、みなさん。

時々、血の小便が出る思いがある。そういう所を繰り返し、繰り返し、乗り越え、乗り越えて行く。これが布教師さんの起行であろうと思うのです。その起行の所について、法喩因縁合釈とか、いろいろな要点がありますけれども、それは誰か?人に譲ってお話をさせてもらって、今日はまぁ、布教師さんの安心起行。布教師さん全般に対するお話をチョットだけしてくれという事ですから、させて頂いた次第です。有難うございました。       

 同称十念

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同称十念「演説正法 酬四重恩」

私これこれが浄土宗の布教師さんの基盤とならん心構えであると思うのです。

あの恩というのは、今日的感覚では、私たち戦後の一種のマインドコントロールを受けておりますからね。ま、そういう話は今からさせて頂こうか?と思いますが。

それで、すぐ、つい、恩というと封建思想だという受け取り方をするのですよ世間は。そうではありません。恩という字のあれをよく思い浮かべてみますと、原因の因という字の下に心という字を書いてありますね。あれは自分が今ここに居って立つ所の真の原因を心に刻み付けることを恩というのです。

それで、もう少し噛み砕いて言うと、どんな人でも自分の歩いて来た過去を振り返る時に、「懐かしいなぁ〜」そういう思いの1,2つない人はないと思いますね。そのように懐かしいなぁ〜と心が感じたならば、それを知恩の心というのですよ。封建的でもなんでもないのです。

ただ、今までのご恩の説き方が一方通行であった。それに対する批判が封建主義というような考え方になるのですね。

恩というものは、元々、往復なものなのです。親の恩があれば子の恩がある。先生の恩があれば、生徒の恩がある。こうして元々往復で考えていかねばならんものが方一方通行の親の恩とか、先生の恩とか、そういう方向だけで説かれていた。そこに欠陥があるのです。

その過去を振り返った時の懐かしいなぁ〜という思い。これが人間によって立つ基盤だろうと思うのです。人間というのは姿格好だけが人間の形をして居ったのだけでは、それは人間とは言いませんね。

「有難う」「すまなかった」だからせめて、これぐらいのものはさせていただかねばいかん。感謝、懺悔、回向ですなぁ〜。これがあるから、私は人間だと思うのですよ。

恩というのはそういう感謝、懺悔、回向というような花を咲かしめていくところの大地のような役目をする。これが私は恩と思うのです。

だから、この恩の思想が無かったならば、心が無かったならば、感謝の花も、懺悔の花も、回向の花もよく咲きうることは出来ない。咲いたとしてもそれはイビツなものですよ。

恩というものこそ私は人間を人間たらしめるところの大地のようなものであると常々考えております。その恩がどうして今日のような説かれ方をしたか?ということは、今までの恩の説かれ方というものにチョット偏りすぎた面があったという面がある。

それからもう一つ、こちらが大きいのです。これは戦後、日本人がマインドコントロールされておるのです。このせいなのです。

恩という言葉が口の端に出ないようになった。封建思想である。白い目で見られる。これはマインドコントロールの勢でなのです。

そこで、チョット昔の事にさかのぼりますと、近代史というのは日露戦争をもって近代の歴史が始まったと言ってもいいのではないかと思うのですが、この日露戦争のことすら、あの戦争がどうして起こったという原因を知らない人が多いのですな。

「あれは侵略戦争だ」と。このように立派な教養を受けた人までも、そういう発想をするのですね。ま、そんな話をしておる時間がいくらあっても足りないので、申しませんけれども。

そういうような教育を施されているということは日本人がすでにマインドコントロールに罹(かか)っておるのです。あの日露戦争というものは、決してそんなようなものではないのですよ。

その証拠に東南アジアの方では東郷ビールというて、日本人が勝ったことを祝って「東郷平八郎」の名前を付けられたというようなビール会社があるのですよ。それからトルコの方では東郷通りという大通りがあるのですよ。

これはなぜか?植民地政策によって苦しめられておった国、いわゆる有色人種というものは、俺たちもやれば出来るのだという自信を与える契機になったのが、あの日露戦争なのですよ。

だから、日本人はあの戦争の意味をよく解しないまゝ条件反射的に侵略戦争という判断を下すけれども、当時植民地で苦しめられておった人たちは、まったく違う価値判断に立って居ると言うことだけは、皆さん方よく腹の中に収めておって下さい。

ところが、あの日露戦争で一番パニック状態に陥ったのが白人なのですよ。肌の色の白い人達ですよ。絶対に白人優位主義というのは、今でも白人の間では、牢固たるものがある。一つだけ例を出しましょう。

南方の島で捕虜にあっていました日本人たちは白人の部屋の掃除をさせられるのです。で、白人の方にも軍医であるとか、看護婦さんがおるのです。そういう人の部屋の掃除をするわけですよ。

そういたしますと日本人が掃除をしている時には、女の人達は裸でおっても平気なのです。ところがそこにイギリス人が入ってきたら、ギャーと大きな声を出して女の人は服をまとうのです。

ということは何か?この辺の事情につきましてはね、京都大学の何とかと言う先生が、よーくそのことを書いていました。

そのことは何か?有色人種というのは人間として見られてないのですよ!猿なのですよ! 猿なのですよ!そこで、日露戦争で日本人が勝ったということは物凄い衝撃を白人に与えたのです。猿と思っていた人間が我々に勝ったというのです。

それで、日露戦争の直後、19世紀の末期にアメリカの国防省を中心にして、「オレンジ計画」というのが立てられたのです。オレンジというのは黄色でしょ。みかんの色でしょ。

だからアジア人の中の代表である日本人に対する対抗政策なのです。これはね新潮社から「オレンジ計画」という分厚い本が出ておりますから、それを丹念に読んだら、もうアメリカ、白人達は日露戦争の直後から、対日政策、日本をどうして弱体化させるかという作業に着手しておったということがよく分かります。日露戦争の直後から白人はもう日本絶滅計画を立てておったのですよ。

ですから、真珠湾の攻撃も南方の戦争あたりも全部その中に折込済みだったのですよ。それがアメリカの国防省から秘密資料として、こんどやっと公開された「オレンジ計画」の書物読んだらよく分かる。

あぁ〜日本人はこうして孫悟空と同じである。自分で戦争するつもりではあったけれども、白人の大きな手のひらの上で踊らされておったのだな!ということがあの資料を見たらよく分かる。それで皆さん日本絶滅でしょ。

大平洋戦争で負けましたでしょ。すぐ日本弱体化計画が始まったのです。日本人と言う民族は恐ろしい民族だから、これを滅ぼさねばいけないというわけですよ。

進駐軍が来て、一番最初にやったことは、家族制度の解体です。日本が一番恐ろしかったのは、家族制度なのです。

これがあるから、日本人は強いのだ。これを崩せというわけですよ。それを日本人は民主化を受け取ったのですな。

そういう風な意味でマインドコントロールの真っ只中におるということだけはよ〜く考えなければいけない事です。

そして、家の解体と同時に恩の思想の解体が始まったのです。この2つを日本からたたきのめせば、日本の国は弱体化するというのです。

私が勝手に言っておるのではないのですよ。「オレンジ計画書」の中に書いてあるのですから、アメリカ国防省の機密資料として格納庫にあった書類の中にチャ〜ンと書かれておるのです。

それは。それでですね、恩をいうような思想は封建思想だと進駐軍からマインドコントロールされてしまったのです。

そして恩の代わりに与えられたのが、自由、平等、人権でしょ。これが与えられたのです。自由平等人権というのは、この話もしだしたら時間が無くなるのですが、もう時間が無いから申しません。一種の共産思想です。

この思想を掘りつめていけば、共産思想にいきつくのです。これはみんな。共産思想というのはね、横糸の思想です。

今まで日本は縱の思想できたから、横の思想で持って、日本解体をやっていけ!ということなのです。それで日本は彼等の言うことを民主主義というような感覚で受け取ってしまったのですな。それで、今から横の思想で行くのだ。

だから、学校の先生も教壇もない。平地に立った上でやることが一番いいことだと!こういうことでしょ。運動会も1着2着もあったら、いけない。ドベもあったら、いけないから、みんなゴールに入る時には手を繋いで入れ!とこうなる。

それをよいと思っている。日本人。実はそれは「オレンジ計画」の中にズーッと折込み済まれておった事実なのですよ。

そのようにして、恩の思想が解体されてしまって、今、日本ははたして生きのけて、いけるかどうか?というような日本沈沒という声があちらこちらで聞かれるでしょうが。

この日本沈沒というのは何か?横糸だけになった社会に対して、生まれた混乱。これが日本沈沒になっておるのです。

で、お釈迦様は阿含経の中で一枚の布裂を出してお弟子さんに説明しておりますね。「布裂というのは必ず横糸と縦糸が組み合わさって布裂というのは織りなされていくというのです。」そういうご説法されてますね。

ということは、人間のものの考え方と言うものは、横糸だけではだめだといことですよ。縦糸も通さねばならないというのです。

それが我々の使命だと思うのですよ!布教師の!こんなこと言うのはお寺の坊さんしかおらんのです。恩の思想を説くということは、横糸だけに偏重してこのバラバラになりかけているこの日本を救うていくたった一つの方法なのですよ。縦糸を通すというのは。その恩の思想を説けるのはお寺のお坊さんだけにしかいない。

その中でも特に、知恩院というような名前の本山を頂く我々は「仏のご恩に報い奉らん」がために、今こそ、私は今ご恩という思想を!ですね。説いて行く!これが我々の使命ではなかろうか?と思うのです。

そこで、私はご恩の話をあちらこちらでするようにしているのですがね。つい一週間程前、杵築市宗近中学校という中学校で年末のPTA総会をするから、お話をしに来ておくれ。というのでお話に参りました。

そして、私は先ず一番、最初にこう切り出したのです。今日は皆さん今日の講師さんはこんな格好で、今日は変な人が来たな!と言う感じを持つでしょ!こういうような所から、確かに私は変わっておるのですよ。

しかし、皆さん方が聞いておる自由平等人権こういつも皆さん方が聞いているお話はまた背広を着ている人に聞いてください。

今日は貴方たちがめったに聞いたことでは聞けない話をするために、ここに来ました。こういうような切り出しから、今日は和尚さんは、「ご恩がえし」というお話を今からさせていただこうかと思います。

こう言いますとね。「ご恩」と言う言葉を知っている人チョット手を挙げてください。と言いますと4,5人の生徒さんが手を挙げてくれましたね。まっ知っておって挙げなかった生徒もあるでしょうが、ほとんどがご恩がえしというような言葉すら知らないのです。

それで、私は皆さん、人間が生きる為には、誰かのお世話にならなければ、生きられませんよ。こういうお話をしました。

たとえば、自分の稼いだお金で食べているのだから、何を文句いうか?と言っても、リンゴ一つ剥くのにも、これを作ってくれる人、農薬を作ってくれる人、肥料を作ってくれる人、これをここまで運んでくれる人、ナイフで皮を剥くナイフを作ってくれる人。こういうお世話にならなければ、いくらお金があっても、リンゴ一つ食べられないでしょ。

死ぬ時のそうでしょう。誰も他人の世話にならないと言っても、自分一人で棺おけの中に入れますか?一人で歩いて、火葬場まで行けますか?生きても死んでも、人間は他人のお世話にならないと生きられないのです。

この人は好きな人、この人は嫌いな人といろいろと色眼鏡をつけて見るところがある。好きな人のお世話になって居ること位は分かるが、嫌いな人にお世話になっていることが分からない人もあると思いますので、嫌いな人もやはり、何処かでお世話になっているのですよ!

とこう言うて、私は例を一つ出したのです。アメリカのアリゾナ州にケーバブ公園という自然の広大な国立公園があります。ここの名物は鹿です。その鹿を目掛けて、多くの人達が休日にやって来るのです。

ところが困ったことに、それは広大な公園ですからね。狼やピューマがおりまして、管理しておりましても、どうしても狼たちから食い殺されるのです。

それで、公園の人たちは狼たちが居なかったら、鹿たちが喜ぶと思って、ピューマや狼たちの掃討作戦をやったのです。鹿は喜びましたね。ドット、ドットと増え始めたのです。

ところが、ある一定のレベルまでいったら、パタット頭数が頭打ちになったのです。それから今度は、ドットドットと死んでいったのです。最後は全滅していったのです。

何故か?と言うと食料不足という問題だけでは解決出来ない問題がある。人間で言えば、ストレス、ノイローゼとしか言いようの無いような死に方を鹿がして、バタバタ死んでいくのです。

それで、とうとう全滅したのです。そういうお話をしましてね。人間と言うものは、どんなに嫌いだと思っている人、こんな奴の世話になるかと思っている奴にも、どこかで、こういう形でお世話になっているのですよ。と、こういうお話をしましてね。

そしてそこから、無財の七施のお話をしていったのです。ご承知ですね。お布施の話になっていったのです。

お布施は人にあげて喜ばせるものと考えられているが、決してそんな単純なものではないのですよ。他人のお世話にならねば、一日だって生きることが出来ない私が出来るご恩返しの方法それをお布施というのですよ。

そのお布施の中でもこうして資本がかからないお布施がこうして七つあります。ということで無財の七施のお話をしてきたのです。

だから、布施をするということも、あれは単なる慈善でやることではありませんね。これはもう、皆さん専門家の方々ですら、言うほどのことではありませんけれども、そうではありませんね。

ご恩返しの方法なのですよ。報恩謝徳の方法が布施なのですよ。我々はそうして、他の人々から生きている人からも、亡くなった人からも「よかれ、よかれ」と何処かでお世話になっているのです。これを皆さん還相回向と言いますね。

私の父は三十代の後半からパーキンソンという病気に倒れていりまして、五十五歳で死にました。死んだ時に、お寺が大分荒れておりました。その荒れている事を父は気にしておりましてけれども、自分はそんな病気ですから、なんともならなりません。

それで、私は先般ついこの間、落慶式がありましたので、お檀家の人たちにこう申しました。皆さん私ほど恵まれた住職はありません。平成元年に本堂を新築させて頂いて、今回はこうして、庫裡を新築させて頂きまして、非常に幸せな住職です。皆さん方が心一つにして頂いたお陰で、このようになりました。とこのように言ったのです。

私はその時には申しませんでしたが、心の中でこういう思いがあるのです。荒れた寺を苦にして、「何とかせなならん!」と思い続けて逝った父があの世から、「立派になってくれよ!なんとか復興してくれよ!」という無言の祈りが私に不断に届けられていた。

だからこそ、私はこの寺を復興することが出来たのです。と自分ではそう思っているのですよ。父の還相回向によって、これが出来たのですから、これは私の力でもなんでもないのです。その還相回向というのは、そういう思いに立ってですよ。

「ご恩に酬い奉らん」という気持ちを起こしていく。これが浄土宗の布教師の一番土台ではないかと思うのですよ。今日の社会は恩を奉ずるというような事を言うと、流行らんことを言う。ということで肩身が狭い思いをすることがあるのではないかと思います。

しかし、世の中の人々が口を揃えて言うようなことは、坊さん喋れなくてもよい。口に出さないことを坊さんが話していく所に坊さんの存在価値があるのではないかと思いますよ。坊さんも社会の人間ですから、世の中の流れに逆らってはいけませんよ。同じ流れをしなければなりません。

けれども、同じ流れに行っても、私は二通りの流れがあると思うのですよ。泥棒が逃げて行っています。警官は後から追っていますよ。これ、同じ方向に流れていますよ。泥棒も警官も!でもね、心は違うのですよ、泥棒は先に行こう!チョットでも先に行こうと、ドンドン行っているのですよ。

一方警官は、同じ方向に走っても、止まれ止まれという気持ちでもって同じ方向に走っているのですよ。同じ流れでもね、心の持ち合いが違う。

坊さんは時代の流れに流れて、泥棒のような流れをしてはいけないと思います。同じ流れでも警官のように止まれ止まれという心でもって、世の中に流されて行かなければならないと思うのですよ。

これが皆さん坊さんの、浄土宗の布教師の根本的な心掛けではないか?と思います。いまこそ、ご恩の思想を説いて四恩に酬い奉らん。

これ程四恩の報い奉る時が要求されている時代はないと思うのですから、そこの所をドンと心の中に押えて高座に座りたいと、私は考えております。そういうことで、お許しをいただきます。

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