人生の帰趣 0302 |
無辺光 ― 般若即ち一切慧 智慧相大にして普く法界に遍し、処として照さざるなきを無辺光と名づく。 如来絶対心の属性なる写象一切慧は宇宙に周遍して照知せざるなし。 宇宙の慧態は個人写象の如く相待的に相互に写象するにあらず。 虚徹霊明の写象本来周偏せり。 信論に相大とは大智慧光明の義の故に?照法界の義の故に真実識知の義の故にと。 大とは宇宙遍満の義。 如来の真知は意識的にあらず、自然智なり。 宇宙物と心との万象は即ち如来全智海の所現ならざるはなし。 吾人の心象は絶対心の有識的個現に外ならず。
如来の一切慧を四種に分つ。
吾人の写象(自観的観念)は絶対写象の分現なり。 宇宙を全うして如来の大円智なる時は吾人心窓開く時は内外同く一切慧の光明なるを知る。
衆生は(現象)感覚の方面より万物差別の相を識知す。
天然を超へて本来自性の理体より自観する時は平等なり。 理性自照の智、人心窓を開きて自性を観ずる時は万法一如、物心不二、迷悟一体なるを観る。
衆生三昧に入つて観ずるときは種々の妙象顕現す。 大乗ヘ中に説く処は、法華三昧海中に現ずる霊山会上等また一切諸仏が仏事を現し、華厳三昧の中に重々無尽の蓮華蔵界を現じ乃至如来の神聖正義恩寵等の内容が本来宇宙心の如来の恩徳として存せり。 これが衆生の心器に啓示として現じたるなり。 若し宇宙心に斯の如きの徳象具有せざるに個人心に現ずべき理あることなし。 宇宙の内面には無尽の徳象具備せり。
吾人は現界の万物につきて作智の一片を知る。 吾人の作智またその分たり。 然れども賦与せられたる範囲内に作すのみ。心霊開きて霊に入る時は、如来の作智霊界に於て五妙境界の微妙の感覚界に於て実に不可思議なる浄土の万物悉く如来作智の所作なるを識る時あらん。 観経等所説の浄土の荘厳及び一切は是如来作智の所作なり。
此写象によるが故に虚徹霊明にして万物互に相写象す。 天体無数の星界は一微塵中に映現し無量の星界は人の脳裡に写象せらる。 相互の写象より重々無尽論起る。其原は絶対写象なり。
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