ああ、痛ましい哉、我等幾千かの仏肉を食い、我等幾千かの仏血を吸い、我等幾千かの仏命を断ち、我等幾千かの仏眼を決り、我等幾千かの仏肩を桂り、我等幾千かの仏皮を着つる」と『大智度論』の中で申され竜樹のみ心に、一歩いな半歩たりとも近づかせていただきたいものであります。 | ||||||||||||||
ああせよと 口で言うより こうせよと してみせるこそ 教えなりけれ | ||||||||||||||
ああ尊 ああああ尊 ああ尊 輝きたまう 大ミオヤ様 | ||||||||||||||
挨拶 矢のたとえ!一番の矢と二番矢 苦の一番矢を受けても二番の苦の矢は念仏を称えている人は受けない! 一番矢楽は二番矢は欲の働きによって苦の始まりになる。 苦楽 挨拶 | ||||||||||||||
挨拶文は感謝、懺悔、回向 | ||||||||||||||
愛の反対は無関心だ マザーテレサ 人権 関心 怨憎会苦は関心がある | ||||||||||||||
愛撫 碍えられぬ 光のみ手に 抱きしめて 常に我らを 愛撫し給う 無碍光 光明 護念 愛撫 増上 | ||||||||||||||
仰いで願文を看れば、涙 双眼に浮かぶ、万劫まれに聞き、今始めて値い奉る、彼の宝刹に詣でんこと、今いくばくの曉夕をや。 | ||||||||||||||
垢 浄と不浄 元々はないけれども自分で造っていく 意の垢でつくる。 火の車 作る大工は おらねども 己がつくりて 己が乗り行く 自我オレガの心が作っていく。 | ||||||||||||||
垢 滝つせの 清きいづみに そそげかし 日々に新たに こころのあかを | ||||||||||||||
垢 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月 (明恵)主客 川端康成 ノーベル賞 月 美 | ||||||||||||||
明るく 三宝 @仏ー明るく A法ー正しく B僧ー和やかに 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
秋 春に百花あり、秋に月あり、夏に涼風あり、冬に雪あり 四季、季節 春夏秋冬 慧海禅師 | ||||||||||||||
秋 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり 道元禅師 四季 季節 春夏秋冬 | ||||||||||||||
秋 あみだぶに そむる心の いろにいでば あきの梢の たぐいならまし 法然上人 秋 染める 梢 | ||||||||||||||
秋風に たなびく雲の たえまより もれいづる月の かげのさやけさ | ||||||||||||||
秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる 人生の春夏秋冬 信仰の芽生え 古今集・秋上・一六九、藤原敏行 秋が来たと目にははっきりとは見えないが、風の音で気づいたことだ。 | ||||||||||||||
秋の野に 咲きたる花を 指 折り かき数ふれば 七草の花 (秋の野に咲いている花を指折り数えてみると、七種類になります) (山上 憶良) | ||||||||||||||
秋萩に おける白露 朝な朝な 玉とこそ見れ おける白露 | ||||||||||||||
悪 我は欲する所の善を行うわたわず 欲せざる所の悪を行う あぁ悩める我なるかな。(パウロ)十夜 善 悪 欲 苦 意思 | ||||||||||||||
悪業 三垢 意は三垢(惑=煩悩・業=悪業・苦=受苦) 垢質 | ||||||||||||||
阿号 伊賀 黒田の上人 伊賀の黒田の上人 俊乗坊重源 東大寺 大仏再建 阿号の始祖 | ||||||||||||||
阿号 黒田の上人 伊賀の黒田の上人 俊乗坊重源 東大寺 大仏再建 阿号の始祖 | ||||||||||||||
朝起きや 身を働かせ 小食に 忠孝ありて 灸をたやさず | ||||||||||||||
朝顔と千利休 千利休の屋敷の庭一面に咲くに朝顔の花は大変美しいという噂が立った。これを耳にした秀吉が「明朝見に行くからそのつもりでいるように」と利休に言いつけた。翌朝秀吉は利休の家を訪れ、露地を歩き始めたが朝顔の花などどこにも咲いていない。あの噂はいいかげんなものだったのかとだんだん不愉快な気分になり、「利休も利休だ。わしが見に行くといったときに、朝顔の花など咲いておりませんと言えばよいものを」と思うと一層腹が立ってきた。しかし、そのまま帰るのも大人げないと思い、躙り口(にじりぐち)を開けふと床を見ると、朝顔が一輪だけ生けてある。それを見た秀吉は、庭一面に咲き誇る朝顔には見られない独特の美しさに感動し、また利休にいっぱい食わされたということがようやく分かった。利休は前日に朝顔を一輪だけ残し全て抜き取り、それを生けてみせたのである。黄金づくりの茶室を得意げに見せびらかしている秀吉に対し、一輪の花が持つ美しさを示した利休の作意であった。 (全体と一点) | ||||||||||||||
朝顔に つるべとられて 貰ひ水 | ||||||||||||||
朝な朝な 飯食ふごとに 忘れじな めぐまぬ民に 恵まるる身は | ||||||||||||||
浅原才一 鈴木大拙集 いいなぁ 世界虚空がみな仏 わしもその中 南無阿彌陀佛 | ||||||||||||||
あさ緑 蕗の臺ひとつ 土もたげ 春 彼岸 味 苦い | ||||||||||||||
あさみどり 澄みわたりたる 大空の 広きをおのが 心ともがな | ||||||||||||||
朝夕の つらきつとめは 御仏の 人になれよの 恵みなれかし | ||||||||||||||
味 あさ緑 蕗の臺ひとつ 土もたげ 春 彼岸 味 苦い | ||||||||||||||
あししとも よしともいかで 云ひ果てん 折々かはる 人のこころを | ||||||||||||||
葦原の 瑞穂の国の 万代も みだれぬ道は 神ぞひらきし | ||||||||||||||
明日ありと 思う心の あだざくら 夜半に嵐の ふかぬるものかは | ||||||||||||||
暑き日も 寒きその夜も 雪の夜も 五劫思唯の ことを思えば 荒巻くめ 五劫思唯 暑い 寒い 雪 | ||||||||||||||
暑き日も 寒きその夜も 雪の夜も 五劫思唯の ことを思えば 荒巻くめ 五劫思唯 暑い 寒い 雪 | ||||||||||||||
あづさ弓 放たぬさきに 岩が根も つらぬく征矢は 心なりけり | ||||||||||||||
集めては 国の光と なりやせむ わが窓てらす 夜半の蛍は | ||||||||||||||
あはれなる 遠山はたの いほり哉 しはのけふりの 立つにつけても | ||||||||||||||
阿鼻地獄 等活、黒縄、衆合、叫喚、大叫喚、焦熱、大焦熱、無間(阿鼻) | ||||||||||||||
天の原 ふりさけ見れば かすがなる 三笠の山に いでしつきかも | ||||||||||||||
天の原 ふりさけ見れば かすがなる 三笠の山に いでしつきかも | ||||||||||||||
阿弥陀 生きてよし 死してまたよし 極楽の 弥陀のみ許に 生まる嬉しさ 生死 阿弥陀 往生 極楽 死 | ||||||||||||||
阿弥陀 光明はくまなくそそぐ 限り無きいのちに生きよ 人間の智慧なたのみそ み恵みは人を択ばず ただ頼め阿弥陀佛とおしえたる いみじさの我等が祖師や A煩悩を絶てとは告らず みだれたる心もゆるし 人間の性のまにまに み佛の国に往き行く この道は誰かひらきしなさけある 慕わしのわれらが祖師や (佐藤春夫 作詞)法然上人頌 煩悩 阿弥陀 光明 祖師 | ||||||||||||||
阿弥陀 子を思う親の心 私を思う仏の心 親子 親・子 阿弥陀 佛 | ||||||||||||||
阿彌陀amita a 計算 mi メジャー ta過去受動分詞 〜せられた。 | ||||||||||||||
阿弥陀一仏 無余修 阿弥陀一仏を信じ、念仏の一行を行ずる。 宗教的貞操を守ること。 阿釈薬観天天八蔵 | ||||||||||||||
阿彌陀樣 念仏者の心本尊は六十万 11万億の奥行の堂 阿彌陀さまを頂く、畏敬 | ||||||||||||||
阿弥陀仏と 十声唱えて まどろまん 永き眠りに なりもこそすれ 法然上人 十念 すいじ十念 就寝 寝る時 | ||||||||||||||
阿弥陀仏と 申すばかりを つとめにて 淨土の荘厳 見るぞうれしき 法然上人 浄土 荘厳 見佛 念仏 三昧 | ||||||||||||||
阿彌陀佛に帰命し、称名念仏によりて、往生淨土のために(所求 本尊、所帰 目的、去行 方法) | ||||||||||||||
あみだぶと いうよりほかは 津の国の 難波のことは あしかりぬべし 法然上人 | ||||||||||||||
阿彌陀佛と いうより外は 津ノ国の なにはの事も あしかりぬべし | ||||||||||||||
阿彌陀仏と 如何なる契り ありけらし 昔の事を 聞かまほしさよ | ||||||||||||||
あみだぶと 心は西に うつ蝉の もぬけはてたる 声ぞ涼しき 法然上人 夏 念仏 蝉 涼しき | ||||||||||||||
阿彌陀仏と 心は西に 空蝉の もぬけは果てたる 声ぞ涼しき | ||||||||||||||
阿彌陀仏と 十聲唱へて まどろまん 長きねぶりに なりもこそすれ 睡時十念 | ||||||||||||||
阿彌陀仏と 称うるごとに すすむ数珠 積もるを見れば なお勇みける 佛定 念珠 | ||||||||||||||
阿彌陀仏と 無為の都に 住む身にも 有為のなみ風 たちさわぐかな | ||||||||||||||
阿彌陀仏と 申すばかりを つとめにて 浄土の荘厳 見るぞうれしき | ||||||||||||||
阿彌陀仏に そむる心の 色にいでば 秋の梢の たぐいならまし (抜苦与楽) | ||||||||||||||
あみだぶに そむる心の いろにいでば あきの梢の たぐいならまし 法然上人 秋 染める 梢 | ||||||||||||||
阿彌陀仏に 助け給えと すがるより ほかに頼りの なき身なりけり | ||||||||||||||
あみだ仏の み名を称えれば あみだ仏の こころとなるを ふと気づきたり (念仏) | ||||||||||||||
雨あられ 雪や氷と へだつれど とくれば同じ 谷川の水 | ||||||||||||||
雨たれに くぼみし軒の 石見ても かたきわざとて おもいすてめや 四障 四機 | ||||||||||||||
あめつちの 神と君との めぐみにて よをやすくふる 徳に報いや | ||||||||||||||
天生の 足こそよこに 月夜蟹 心は清き 水にこそすめ | ||||||||||||||
あやにしき とり重ねても 思ふかな 寒さおほはむ 袖もなき身を | ||||||||||||||
歩み 怠らず 行かば千里の果ても見ん 牛の歩みのよし おそくとも 無間修 四修 | ||||||||||||||
歩みすら あたわぬ子なけど 死出の旅 まもらせたまえ 南無阿彌陀佛 | ||||||||||||||
荒磯の 岩にくだけて 散る月を 一つになして かへる波かな | ||||||||||||||
アラがある ゆえ好きなは お前何せ お前はおらが国 | ||||||||||||||
あら尊と 青葉若葉に 日の光 清浄光 松尾芭蕉 | ||||||||||||||
荒巻くめ 暑き日も 寒きその夜も 雪の夜も 五劫思唯の ことを思えば 荒巻くめ 五劫思唯 暑い 寒い 雪 | ||||||||||||||
あらやしき【阿頼耶識】 (梵Dlaya-vijDnaの訳。蔵識、真識、阿梨耶識、無没識などと訳す)仏語。唯識宗で説く八識の一つ。宇宙の万有を保って失わず、万有が展開する際の基体であり、万有を収蔵している心の主体。 |
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あら玉の 年もくれなば つくりつる 罪ものこらず なりやしぬらん | ||||||||||||||
ありがたし つめ切った指が 十本ある」 尾崎放哉(おざき ほうさい)は、明治18年生まれの自由律俳句作家です。東大を卒業したエリートでしたが、社会生活になじめず酒で失敗をくりかえし、 信仰の道を求めてさすらいました。大正のはじめに荻原井泉水により創刊された自由律俳句誌『層雲』に参加して見いだされ、俳人として開花しました。大正15年、放浪の果てに住まいした小豆島南郷庵(みなんごあん)で42歳で没する。 | ||||||||||||||
有りがたや かかるめでたき 世に出でて たのしみ暮らす 人ぞ一とく | ||||||||||||||
ありなしと なに名を換て 思ふらん 見れば一つの このみなりけり | ||||||||||||||
あわれなり 我が身のはてや 浅緑 ついには野辺の 露と思えば | ||||||||||||||
行華 昔、ある青年が菩提心を起こして、是非とも仏になりたい。そのためには当時の仏様にお花を供養しなければならない、弟子入りの作法として。そこで、お花を捜すんですが、どこの花屋にも花がないんです。ないはずです。その国の王様が、仏様にお花を供養したら功徳が大きいということを聞いて、国中の花を独占して買い占めていた。だから、どこの花屋にも花がない。はなはだ困った……。そこへ、一人の娘さんが花を持ってきます。「その花を私に分けてください」「分けられません」「どうして」「これは王様に予約済みです。今から持っていって、頂くお金が私の貧しい家の足しになるんです」「いや、私はどんな犠牲を払ってもその花がほしい」「あなた、どうしてそんな無茶なことおっしゃるんですか」「私は今、菩提心を起こし、是非とも仏になりたい。成仏をしたい。だから、仏様にお花を供養したい。出来たら、あなたも私と一緒にお花を供えてくれませんか」その青年の意気に感じた娘さんが、赤い花を青年に渡し、自分は白い花を持って、ふたり揃って仏様にお花を供養した。二人の若者の捧げた花は、永遠にしぼまなかったが、王様の独占したお花は一晩にしてしぼんだ。それがご縁となって、ふたりは結ばれて結婚をします。それが、その世だけの契りではなくして、その次の世もその次の世も、二人は結ばれて夫婦になる。そうして先程申したように、力を合わせ心をひとつにして成仏めざして修養した。最後に青年が、インドの国シッダルタ太子として現れて、最後に釈迦牟尼仏という成仏の位に到達した。そうして、娘がヤソダラ姫となって青年と結婚し、釈迦牟尼仏によって救われて成仏します。そうやって仏教の結婚は、夫婦が成仏めざして互いに助け合い、補い合いながら修養していこうじゃないか、これが仏教の結婚観でございます。と共に、夫婦がひとつになるということは、容易ならぬ過去からの縁があったわけでございますね。「生まれる前から結ばれていたそんな気がする紅の糸」、これ『命くれない』……。そういうわけで、どうぞひとつ、結婚ということは単なる子孫保存だけが目的じゃなく、修養のためだ、成仏のための結婚であるということを忘れないでいただきたいのでございます。 | ||||||||||||||
安心 安とは安置なり、心とは心念なり。念を所求、所帰、去行の三つに置くを安心という。 聖冏(観経伝通記 5) 安置 所求 所帰 去行 安心 | ||||||||||||||
安心 総安心 厭離穢土 欣求浄土 別安心 三心 至誠心 深心 回向発願心 安心 | ||||||||||||||
安心 来迎=往生の増上縁、 三心=往生の安心 往生 増上縁 三心 安心(勅修御伝随聞記19) | ||||||||||||||
安心 来迎の蓮台=舟、来迎の光=智慧 (勅修御伝随聞記24) 蓮台 舟 智慧 光 安心 | ||||||||||||||
安心(智目)・起行(行足) 起行 二重 修行 | ||||||||||||||
安心とは安置 | ||||||||||||||
安心は 知ることかたく 具しやすく 知ること易く 具しがたきかな 無能 安心 | ||||||||||||||
安心は 知ることかたく 具しやすく 知ること易く 具しがたきかな 無能 安心 | ||||||||||||||
安とは安置なり、心とは心念なり。念を所求、所帰、去行の三つに置くを安心という。 聖冏(観経伝通記 4) 安置 所求 所帰 去行 安心 | ||||||||||||||
安忍 強忍と自分の力でしいて忍ぶのではなく、はじめはなかなか忍び難かったことも、大ミオヤさまのみ力によって安んじて忍ばれるようになる。人生は修養の道場と自覚されてくれば、ののしられ、そしられても、皆大ミオヤさまが私の鋼鉄を鍛錬して菩薩の名刀となさしめんがためのご方便と安忍されてくる。菩薩に常の師はない、自分の欠点を指摘し非難を加え、自分の短所をよく見出してそしる人こそ、私を矯正し指導したまう恩師なりと合掌されてくる。 | ||||||||||||||
安楽淨土は菩薩慈悲の正観より生じ、如来神力本願の所建なり | ||||||||||||||
いいなぁ 世界虚空がみな仏 わしもその中 南無阿彌陀佛 浅原才一 鈴木大拙集 | ||||||||||||||
伊賀 黒田の上人 伊賀の黒田の上人 俊乗坊重源 東大寺 大仏再建 阿号の始祖 | ||||||||||||||
いかにして 誠の道に 叶いなん 千歳のうちの 一日なりとも 良寛 理想 | ||||||||||||||
いかにして 我極楽に 生まれなん 弥陀の誓いの なき世なりせば | ||||||||||||||
いかにして佛の道にかないなん 千才のうちの一日なりとも 菩提の種 | ||||||||||||||
怒り にわかに怒りをなすことなかれ、今用いずとも たまたま用いることあり。譬喩 瓢箪のはなし。骨董好きな王様の新婚の家来 新婚の妻の下に夜に男がいる。(怒り)瓢箪のなかの言葉思い出しよく確かめてみると父だった。殺さなくてすんだ 忍辱 怒り 煩悩 | ||||||||||||||
生きてよし 死してまたよし 極楽の 弥陀のみ許に 生まる嬉しさ 生死 阿弥陀 往生 極楽 死 | ||||||||||||||
生き別れ 形見とて はかなき親の 留めてし この別れさえ またいかにせん 法然上人 泰氏 母 別れ 生き別れ 形見 親 | ||||||||||||||
いくたびか 思ひさだめて 変るらん 頼むまじきは 我が心なり | ||||||||||||||
いくよ流転の浪まくら ゆられゆられていつまでか うきさすらいの旅の空 ふるさと恋し親恋し 招くお慈悲にさそわれて かど門の戸たゝく南無の声 答はきけどまだあえぬ あえぬみ親ぞなお恋し 声に心がのせられて かよう十万億の園 凝らす心にうつり香の 身も世もあらぬかんばしさ 微妙荘厳無辺際 ひれ伏し拝む尊さに 不思議心の新天地 澄みし流れの路かわる | ||||||||||||||
畏敬の念 念仏者の心本尊は六十万 12万億の奥行の堂 阿彌陀さまを頂く、畏敬 | ||||||||||||||
池の水 人の心に 似たりけり 濁りすむ事 さだめなければ | ||||||||||||||
池の水 人の心に 似たりけり 濁りすむ事 さだめなければ 法然上人 罪 穢れ 清浄 心 濁り | ||||||||||||||
いけらば 念仏の功をつもり 死なば浄土にまいりなん とてもかくても この身には思い煩う 事ぞなき 法然上人 生死 称名 | ||||||||||||||
活ける天地に合掌し 念をはこぶ心霊界 端厳微妙なつかしき 大悲のミオヤ見そなわす | ||||||||||||||
石 持戒念仏往生の機 世の中は 賽の河原の 石なれや 積んではくずし くずしては積む 世の中 賽の河原 石 積む | ||||||||||||||
意思 我は欲する所の善を行うわたわず 欲せざる所の悪を行う あぁ悩める我なるかな。(パウロ)十夜 善 悪 欲 苦 意思 | ||||||||||||||
意識なき 花の色香も いもとせの むつみてう夜の ひみつならずや | ||||||||||||||
衣食住の三は、念仏の助業なり。これすなわち自身安穏にして念仏往生をとげんがためには、何事も皆、念仏の助業なり (法然上人) | ||||||||||||||
衣食足りて 礼節を知る | ||||||||||||||
急がねば 日がくるる あせると足が地につかぬ 弁栄上人 | ||||||||||||||
いそぎ行く 足に踏まるる 珠の露 こぼれて匂ふ 言の葉ごとに | ||||||||||||||
一隅を照らすものは国の宝なり (伝教 大師) | ||||||||||||||
一年の計は元旦にあり、一日の計は朝にあり | ||||||||||||||
一年三百六十五 にちにち春風ふく家に なろうなそうの 掌を合わす 人の長所に 目をつけて | ||||||||||||||
一白 三羯磨=仏の種の撒き方 これが仏性心田への仏の種を蒔く蒔き方でございます。「一白」と申しますのは、明日、私、戒和尚が「今から授戒をいたします」と音三一一口をする。それを「一自」と申します。次の「三羯磨」というのは、三遍問答を繰り返す、ということでございます。三遍問答を繰り返す。それを「三掲磨」と申すのでございます。 | ||||||||||||||
一より二にでて、 二を含んだ一に立て (山崎 弁栄 上人) | ||||||||||||||
一輪の その一輪の 美しさ 尊厳 人権 千利休 全体と一点 | ||||||||||||||
一蓮托生 露の身は ここかしこにて きえぬとも こころはおなじ 花のうてなぞ(一蓮托生) | ||||||||||||||
一休禅師 闇の夜に 鳴かぬ鴉の 声きけば 生まれぬ先の 父ぞ恋しき (父子相好) 一休和尚 | ||||||||||||||
一口は一代の全挙力なり(甘酒とおしっこ 参照) | ||||||||||||||
一切衆生 悉有仏性 (涅槃経) | ||||||||||||||
一心專念 弥陀名号 行住 坐臥 不問時節久近 念念不捨者 是名正 定 之業 順 彼仏願故 | ||||||||||||||
一心不乱 本願の三心=一心不乱=「観経」 至心、信楽、欲生我国 | ||||||||||||||
一水四見 ここに一つの水がある。この水を眺める者の立場によって、その水の眺め方がちがってくる。魚は水を自分の棲み家と見るのであるが、餓鬼は水が火に見えるのである。人間は水を飲み物と見るが、天人は瑠璃と見るのである。眺める者のちがいによって、眺め方がちがうことを仏教では一水四見という。 手を叩く鹿は寄り来る鳥は飛ぶ下女は茶をくむ猿沢の池 (物の見方、受け取り方) | ||||||||||||||
一点 一輪の その一輪の 美しさ 尊厳 人権 千利休 全体と一点 | ||||||||||||||
いつみても 暇そうなのは ヘソばかり (藤堂 俊 章 台下) | ||||||||||||||
いつもても 暇そうなのは ヘソばかり | ||||||||||||||
いつもニコニコ明るい笑顔 いつもハキハキやさしい言葉 いつもイソイソ働く手足 | ||||||||||||||
いつもより 遅れて行けば 泣きながら 手握る妻よ 童の如し(看病に行って、病の妻は泣いていた。) | ||||||||||||||
稻 山は青々日はうらら 田には漫々慈悲の水 秋はみのらん無量寿を 歌え南無阿弥田植え歌 青い稲葉はその中に 白いお米のみのるため 死ぬる身体はその中に 死なぬ命のそだつため (田中木叉 心田植歌) | ||||||||||||||
命 時は今 ところ足元 そのことに うちこむ命 永久のみいのち 椎尾辨匡 今 人権 命 精進 | ||||||||||||||
言ふべきを 言はざるも又 言はざるを 言ふも道に はかなはざる也 | ||||||||||||||
今 時は今 ところ足元 そのことに うちこむ命 永久のみいのち 椎尾辨匡 今 人権 命 精進 | ||||||||||||||
いまします 仏の姿 よく見れば みな苦しみに 耐えしみ姿 苦 代修 代苦 | ||||||||||||||
今までは 人のことかと 思うたが おのれが死ぬとは こいつはたまらん (死) | ||||||||||||||
岩清水 谷川の 木の葉の下の おぼれ水 流るるもゆく 滴るもゆく (つぶつぶもゆく ざらざらもゆく) 示現 岩清水八幡 林 227 | ||||||||||||||
岩清水八幡 念珠のとり方 1、眞修ー一称一顆 粒粒念佛 2、早くりーざら念佛 谷川の 木の葉の下の おぼれ水 つぶつぶもゆく ざらざらもゆく | ||||||||||||||
岩もあり 木の根もあれど サラサラと ただサラサラと 水の流るる | ||||||||||||||
引接結縁(いんじょうけちえん)の楽 一には聖聚来迎(しょうじゅらいこう)の楽、二には蓮華初開(れんげしょかい)の楽、三には身相神通(しんそうじんずう)の楽、四には五妙境涯(ごみょうきょうがい)の楽、五には快楽無退(けらくむたい)の楽、六には引接結縁(いんじょうけちえん)の楽、七には聖聚倶会(しょうじゅくえ)の楽、八には見佛聞法(けんぶつもんぼう)の楽、九には隨心供仏(ずいしんくぶつ)の楽、十には増進仏道(ぞうしんぶつどう)の楽なり。(往生要集 卷上の第6) | ||||||||||||||
有為をいとい 無為にいるは、真実の 報恩なりといへり | ||||||||||||||
憂きことの なほこの上に つもりかし 限りある身の 力ためさむ | ||||||||||||||
憂きことの 品こそ変われ 世の中に ものは思はで 住む人はなし (苦) | ||||||||||||||
鷽の 声もききつる あしたより 春の心に なりにけるかな 良寛 | ||||||||||||||
牛 怠らず 行かば千里の果ても見ん 牛の歩みのよし おそくとも 無間修 四修 | ||||||||||||||
有始無終 法蔵菩薩の五劫思唯の阿弥陀様は報身の阿弥陀様である。(有始無終) (無始無終、有始有終の現象学による。) | ||||||||||||||
有始無終 法蔵菩薩の五劫思唯の阿弥陀様は報身の阿弥陀様である。(有始無終) (無始無終、有始有終の現象学による。) | ||||||||||||||
嘘聞いて喜んで、本当聞いて腹立てた。 世間 愚者 愚か 真実 | ||||||||||||||
嘘つきや 人事咄し さし出口 高慢ありて 自慢する人 | ||||||||||||||
美しき 葉巻煙草の 色も香も 息ひきとれば 灰とこそなれ (藤堂 俊 章 台下) | ||||||||||||||
打つ人も 打たるる人も もろともに ただひとときの 夢のたわむれ | ||||||||||||||
うづみ火の あたりのどかに 兄弟の まどゐせし夜ぞ 恋しかりけり | ||||||||||||||
器には 随ひながら 岩をもとほすは 水の力なりけり | ||||||||||||||
憂田 憂きことの 品こそ変われ 世の中に ものは思はで 住む人はなし (苦) 有田憂田 | ||||||||||||||
有田憂田 有宅有宅 無量寿経 苦 求不得苦 | ||||||||||||||
生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の始めに暗く、死に、死に、死に、死んで、死の終りに冥し。空華、眼を眩かし、亀毛、情を迷わして実我に謬 著し、酔心、封執(かたくなに執着)す。」(『秘蔵宝輪』冒頭文) | ||||||||||||||
生まれては まづ思いでん ふるさとに 契りし友の 深きまことを | ||||||||||||||
生まれては まづ思いでん ふるさとに 契りし友の 深きまことを 法然上人 故郷 友 往生 | ||||||||||||||
敬いて ただ名ばかり 日日に 命のかぎり 勤むるが四修 四修 | ||||||||||||||
有余涅槃 無余涅槃 | ||||||||||||||
盂蘭盆 盆はな 盆はうれしや 別れた人が はれてこの世に 会いにくる | ||||||||||||||
うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ (良寛) | ||||||||||||||
瓜食めば 子等おもほゆ 栗食めばまして しのはゆいづくより来たりしものぞまなかひにもとな懸りて安眠し寝さぬ | ||||||||||||||
嬉しいから笑うのでなく、笑うから嬉しくなる。悲しいから泣くのでなく、泣くから悲しくなる。 | ||||||||||||||
慧海禅師 春に百花あり、秋に月あり、夏に涼風あり、冬に雪あり 四季、季節 春夏秋冬 | ||||||||||||||
慧可禅師は肘を切る。二祖の慧可大師が嵩山に達磨大師尋ねた時、慧可は大師に入門を請うもなかなか許しが得られず、「許しが戴けるまでここを動かじ。」と堂の前に座り込むと、折から雪の季節と見えて雪は慧可の膝を没し、腹を没し、胸にまで達すると、さしもの慧可も「達磨さん、何とか弟子にして下さい。このままだと死んでしまいます」と言う。「死ぬとはどうなるのか」「死ぬとは命がなくなるのです」「ならば、その命をここに持って来い」ここで万策尽きた慧可が剣を抜いて片肘をたたき落とす。血は吹き出しても命の出て来ようはずはありません。その様を見て達磨は「命は見つかったか」と言う。慧可は「見つかりません」と答えながら打ち落とした片肘を達磨の前に差し出したという。 (制戒 惠可禅師は臂を剪って伝法の表し の文言の説明) | ||||||||||||||
回向 先立ちし 人よかれとの追善は 我が身よかれの 祈りなりけり 回向 追善 | ||||||||||||||
回向発願心 総安心 厭離穢土 欣求浄土 別安心 三心 至誠心 深心 回向発願心 安心 | ||||||||||||||
会者定離は、常の習い、今始めたるに非ず。何ぞ深く嘆かんや。宿縁虚しからずば、同一蓮に座せん、浄土の再会甚だ近きに有り。今の別れは暫くの悲しみ、春の夜の夢の如し。誹謗共に縁として、先に生まれて、後を導かん、引接縁は、これ浄土の楽しみなり。それ現生すら、猶もて疎からず、同名号を唱え、同一光明の中にありて、同聖衆の御念をこうぶる、同法尤も親し。愚かに疎しと思し召すべからず。南無阿弥陀仏と唱え給えば、住所は隔つと雖も、源空に親しいとす。源空も、南無阿弥陀仏と唱え、奉るが故なり。念仏を縡(こと)とせざる人は、肩を並べ、膝を組むと雖も、源空に疎かるべし。三業に皆異なるが故なり。黒谷源空上人伝 『十六門記』13 | ||||||||||||||
縁 寺じゃてるてる 道では曇る うちに帰れば 雨が降る 縁、在阿、在心 在縁 在決定 | ||||||||||||||
縁 寺は照る照る 帰りは曇る 家に帰れば 雨が降る 縁、在阿、在心 在縁 在決定 | ||||||||||||||
縁 柳生家の家訓 「小才は縁に出会って縁に気づかず 中才は縁に気づいて縁を生かさず 大才は袖すり合った縁をも生かす」縁怨憎会苦 不可思議 「袖すりあうも他生の縁」 | ||||||||||||||
閻魔 念仏は閻魔の鏡 閻魔 鏡 わが心 鏡にうつる ものならば さぞや姿の 醜かるらん (心の気持ちの表れ、気表⇒けほ⇒かほ⇒顔) | ||||||||||||||
厭離穢土 欣求浄土 総安心 別安心 三心 至誠心 深心 回向発願心 安心 | ||||||||||||||
老い 枯れはてて しかも花咲く 梅が枝に 声もたてず 鶯のなく | ||||||||||||||
老い 身 年 一 百 歳、 長 愁 八十 児 (100歳の老親が81歳の児を心配していることで、老婆親切である。その上に往生を願い、念仏者になった) | ||||||||||||||
おいあくま 怒るな、威張るな、焦るな、腐るな、負けるな | ||||||||||||||
往生 来迎=往生の増上縁、 三心=往生の安心 往生 増上縁 三心 安心(勅修御伝随聞記19) | ||||||||||||||
往生 生きてよし 死してまたよし 極楽の 弥陀のみ許に 生まる嬉しさ 生死 阿弥陀 往生 極楽 死 | ||||||||||||||
往生 生まれては まづ思いでん ふるさとに 契りし友の 深きまことを 法然上人 故郷 友 往生 | ||||||||||||||
往生 極楽へ つとめて早く いで立たば 身のをわりには 参りつきなん 法然上人 往生 | ||||||||||||||
往生 頼みなば ただひしひしと 頼むべし 生き賢きは 道に遠きぞ 愚鈍 念仏 往生の機 | ||||||||||||||
往生 ちとせふる 小松のもとを すみかにて 無量寿仏の 迎えをぞまつ 法然上人 来迎 正念 往生 | ||||||||||||||
往生 露の身は 此処彼処にて 消えぬとも 心は同じ 華の台ぞ 法然上人 流罪 露 華 淨土 往生 倶会一処 | ||||||||||||||
往生ー彼土往生ー理想的浄土ー有余涅槃ー精神更生ー不体失往生 | ||||||||||||||
往生ー此土往生ー理想的浄土ー有余涅槃ー精神更生ー不体失往生 | ||||||||||||||
往生ー此土往生ー理想的浄土ー有余涅槃ー精神更生ー不体失往生 | ||||||||||||||
往生すること@と往生がやって来るA。雪下に 春の声あり コトコトと 見えぬ小川の 流れ音聞く (北海道・釧路)現象学 地下に春がやって来る。春がやって来た。(往生することと往生がやって来る。 | ||||||||||||||
往生するは 無心の世界に 一たん飛び込むことだ。 | ||||||||||||||
往生は よにやすけれど 皆人の 誠の心 なくてこそせね (至誠心、眞の心) | ||||||||||||||
往生は よにやすけれど 皆人の 誠の心 なくてこそせね 法然上人 至誠心 三心 誠 | ||||||||||||||
往生要集に別相観、総相観、雑略観が説かれている。別相観とはまず阿彌陀佛の座し給える華座を觀念し、次にその華座の上に座し給える相好炳 然の如来を、頂上 肉髻より始め足下の千腹輪相に至るまでいちいちに思いを凝らして観ずるを順観といい、これに反して千腹輪相より頂上の肉髻相までを観ずるを逆観という。このように順逆十六遍反復して心相を極めて明了ならしむるを別相観という。総相観とは、これは始めは華座観をなし、次に佛眼は四大海水の如し、身長は六十万億恒河沙由旬と、いちいちの相好でなくみ仏の御身総体について心相を凝らすのである。次に雑略観とは白毫相とか光明相とかを観じて、自分が極楽に往生して極楽の荘厳を思想に住するのが雑略観である。これらの念仏にあらずして、ただ心をいたして専ら阿彌陀佛のみ名を称念するのであるから、称我名号というのである。この念称是一の釈から称名念仏が蔚然としておこるのです。自解仏願の妙釈と仰ぐのです。 | ||||||||||||||
大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天橋立 | ||||||||||||||
大空に 聳えて見ゆる 高嶺にも 登れば登る 道はありけり | ||||||||||||||
大空を 照り行く月し 清ければ くもかくせども 光り消なくに | ||||||||||||||
大ミオヤの 慈悲のみむねを 知れかしと 教えてかえる子は 知識なり | ||||||||||||||
大水の さきに流るる 橡殻も 身を捨ててこそ 浮かぶせもあれ | ||||||||||||||
おかあさん おかあさん おかあさんたら おかあさんなんにも ごようはないけれど なんだかよびたい おかあさん 親縁 | ||||||||||||||
拝む 恭敬修 | ||||||||||||||
起きて見つ ねて見つ蚊帳の 広さかな | ||||||||||||||
沖遠くも れ出づる月の さやけさに ろかいもとらじ 波のまにまに | ||||||||||||||
沖遠し 見るも波立つ 我心 しばしな吹きそ 秋の山風 | ||||||||||||||
憶念や 觀念解義に あらずして 称我名号 これぞ念仏 | ||||||||||||||
奥山に むすばずとも 柴の庵 心がらにて 世をいとふべし | ||||||||||||||
奥山の おどろが下も 踏み分けて 道ある世ぞと 人に知らせん | ||||||||||||||
怠らず 行かば千里の果ても見ん 牛の歩みのよし おそくとも 無間修 四修 | ||||||||||||||
お釈迦様十大弟子 @智慧第一(ちえ) 舎利弗 A説法第一(ときかた) 富楼那 B神通第一(はたらき) 目犍連 C論義第一(はなしかた) 迦旃延 D頭陀第一(はげみ) 摩訶迦葉 E持律第一(たもちかた) 優波離 F天眼第一(みとおし) 阿那律 G蜜行第一(おさめ) 羅睺羅 H解空第一(しりかた) 須菩提 I多聞第一(ききかた)阿難陀 | ||||||||||||||
汚染 塵境 心情を汚染するから塵境 五塵 | ||||||||||||||
汚染 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
恐るべし カッと怒りの 胸の火が 我と我が身を 焼き尽くすなり 嗔恚は功徳の林を焼く | ||||||||||||||
恐るべし 嗔恚は功徳の林を焼く 「恐るべし カッと怒りの 胸の火が 我と我が身を 焼き尽くすなり」腹立ち、三毒、煩悩、 | ||||||||||||||
織田· なかぬなら殺してしまへ時鳥
織田右府(織田信長) · 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉) · なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康) · 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火 |
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穏やかな ことば使えば おだやかな こころとなるに ふと気づきたり (称名) | ||||||||||||||
おっしこと甘酒 (逃げれない苦)人生には、いくら避けようと思っても避けることができない出来事というものがあります。「今良寛」と呼ばれてきた鎌倉の建長寺の名僧 菅原時保老師が小僧の時分に体験したのもでした。 ある時、お檀家の七日に代理に行きました。お経を唱えていますと、来客があって奥さんが出ていきました。脇では赤ん坊がしゃもじを持って遊んでいました。やがて、赤ん坊はおしっこをもらしそのしゃもじでおしっこをいじり始めました。そして、しゃもじをおひつの中に入れてしまったのです。 時保さんは止めようにもお経の途中でどうにもなりません。足を伸ばして子どもを制しようとしているところへ奥さんが戻ってきました。「時保さん、ありがとう。御礼にご飯を用意しましたのでたくさん食べてくださいね〜」 さっきの光景を見ていた時保さんはあわてて腹を押えて、「今日はおなかをこわしているので」と言って逃げて帰りました。また七日のお参りに行きました。こんどは赤ん坊はぐっすり寝ていましたのでホットしました。その日は丁度寒い日でしたので、甘酒を出してくれました。大好物だったので、時保さんは何杯もお代わりをしました。そして、御礼を言って帰ろうとした時、奥さんが「この甘酒は、この前召し上がらなかったご飯でつくったんですよ!」と一言。時保さんは シマッタ!と思いましたがあとの祭りです。 「一口は一代の全挙力なり」と悟った。避けては通れない。 | ||||||||||||||
おなじ御親のはらからとひとついのちを分けあいてとわのたびじに手をつなぐきつても切れぬこのゑにし悪いが悪いところにも無理もない点きつとあるあいての身にもなってみて大きくいきるおもいやり一年三百六十五にちにち春風ふく家になろうなそうの掌を合わす人の長所に目をつけて | ||||||||||||||
鬼や蛇を かくまい置いて 何にする アミダ仏ぶつ 云うて責出せ (地獄の対処) | ||||||||||||||
おのおのが初蒔きつけの麦畑の穂の出悦ぶ子らもあるかな | ||||||||||||||
おのが身を かへりみずして 人のため つくすや人の つとめなるらむ (俸氏) | ||||||||||||||
おぼつかな 誰かいいけん 小松とは 雪をささふる 高松の枝 | ||||||||||||||
おぼつかな 誰かいいけん 小松とは 雪をささふる 高松の枝 法然上人 冬 雪 高松 | ||||||||||||||
面影の 静かに浮かぶ 寒さかな (西 厚子) | ||||||||||||||
重荷曳く 車の音ぞ きこえける 照る日の暑さ 堪えがたき日に (苦) | ||||||||||||||
思ふこと うちつけに いふ幼子の 言葉はやがて 歌にぞありける | ||||||||||||||
思ふこと 繕ふことも まだ知らぬ をさな心の うつくしきかな (子) | ||||||||||||||
親 恋いしきと 思う心は われならで 親の心の かよい来るなり | ||||||||||||||
親 孝は 百行の本 | ||||||||||||||
親 里帰り 子どものまえで 子にかえる 親 子 | ||||||||||||||
親 父母の 恵みをあだに おもうなよ 弥陀たのむ身を 育て給えば 親、恩 | ||||||||||||||
親 ながながと お世話になりし 菊の花 恩 親 | ||||||||||||||
親 形見とて はかなき親の とどめてし この別れさえ いかにせん 法然上人15歳比叡山 秦氏 母親子 | ||||||||||||||
親 孝とは辞典 1、善く親につかえる行為 2、善く祖先につかえる行為 4、親を大事にすること 親 恩 | ||||||||||||||
親 孝の字形は子が老人を負うている形の文字であります。 老人とは我が親である。 親 恩 | ||||||||||||||
親 子を思う親の心 私を思う仏の心 親子 親・子 阿弥陀 佛 | ||||||||||||||
親 善知識は これ汝の父母なり。 汝らの菩提心を養育し給えばなり。 法句経 親 菩提心 | ||||||||||||||
親 父母が 頭かきなぜ 幸あれと 言いし言葉ぞ 忘れかねつる 親 恩 | ||||||||||||||
親 憐愍の恩 親はおのれ死して後にも、子の身を護ることを願う | ||||||||||||||
親 形見とて はかなき親の 留めてし この別れさえ またいかにせん 法然上人 泰氏 母 別れ 生き別れ 形見 親 | ||||||||||||||
親 身年 壱百 歳 、 長 愁 八十 児。 100歳の老親が80歳の児っを心配している。 老婆親切 | ||||||||||||||
親 はえば立て 立てば歩めと 急ぐなり わが身に積もる 老を忘れて 親、恩 | ||||||||||||||
親思う 思いも親の 思わする 思いと知りて 親思うかな (親子) | ||||||||||||||
親思え 生の先より 死の後も 子のために泣く 親を思えよ (親子) | ||||||||||||||
親子 子を思う親の心 私を思う仏の心 親子 親・子 阿弥陀 佛 | ||||||||||||||
親子 身 年 一 百 歳、 長 愁 八十 児 (100歳の老親が81歳の児を心配していることで、老婆親切である。その上に往生を願い、念仏者になった) | ||||||||||||||
親子 はえば立て 立てば歩めの 親心 わが身に積もる 老いを忘れて 育て 守り 親子 老 四苦 | ||||||||||||||
親子 おかあさん おかあさん おかあさんたら おかあさんなんにも ごようはないけれど なんだかよびたい おかあさん | ||||||||||||||
親子関係 恭敬修 恭は体で敬う。 敬は心で敬う。 心で舌を出し、身体で敬う。日常他人に対する。 心で敬い身体では敬ない 親子関係。 仏に対しては心と身体で敬う。何もいわないから! | ||||||||||||||
親の恩 1、わが身が人となりし恩 2、念佛者にならせていただいた恩 | ||||||||||||||
親も子も 親しみかはし 家の内の 賑へるこそ 楽しかりけれ | ||||||||||||||
折り得ても 心ゆるすな 山ざくら さそふ嵐の ありもこそすれ (惑い) | ||||||||||||||
オレガ 浄と不浄 元々はないけれども自分で造っていく 意の垢でつくる。 火の車 作る大工は おらねども 己がつくりて 己が乗り行く 自我オレガの心が作っていく。 | ||||||||||||||
愚か 嘘聞いて喜んで、本当聞いて腹立てた。 世間 愚者 愚か 真実 | ||||||||||||||
愚か 盗みせず 人を殺さずを よきことに われ罪なしと 思うおろかさ 徳本上人 | ||||||||||||||
恩 ながながと お世話になりし 菊の花 恩 親 | ||||||||||||||
恩 親の恩 1、わが身が人となりし恩 3、念佛者にならせていただいた恩 | ||||||||||||||
恩 孝とは辞典 1、善く親につかえる行為 2、善く祖先につかえる行為 5、親を大事にすること 親 恩 | ||||||||||||||
恩 孝の字形は子が老人を負うている形の文字であります。 老人とは我が親である。 親 恩 | ||||||||||||||
恩 父母が 頭かきなぜ 幸あれと 言いし言葉ぞ 忘れかねつる 親 恩 | ||||||||||||||
恩 父母の 恵みをあだに おもうなよ 弥陀たのむ身を 育て給えば 親、恩 | ||||||||||||||
恩 はえば立て 立てば歩めと 急ぐなり わが身に積もる 老を忘れて 親、恩 | ||||||||||||||
怨親 平等・・・怨みの人も、親しい人も、皆同じ様に接する (仏の相好) | ||||||||||||||
怨憎会苦 愛の反対は無関心だ マザーテレサ 人権 関心 怨憎会苦は関心がある | ||||||||||||||
怨憎会苦 憎むとも 憎み返すな 憎まれて 憎み憎まれ 果てしなければ (怨憎会苦) | ||||||||||||||
怨憎会苦 柳生家の家訓 「小才は縁に出会って縁に気づかず 中才は縁に気づいて縁を生かさず 大才は袖すり合った縁をも生かす」縁怨憎会苦 不可思議 「袖すりあうも他生の縁」 | ||||||||||||||
戒 盗みせず 人を殺さずを よきことに われ罪なしと 思うおろかさ 徳本上人 | ||||||||||||||
戒定慧 離れし念仏 称えなば 不思議や 遊ぶ三学の園 | ||||||||||||||
戒定香 前念後念=念念 「念念梵燒戒定香」(香偈)(法事讃) | ||||||||||||||
戒体とは、妙色荘厳にして、十五夜の秋の月の如く、十方世界に周偏す。唯、仏と菩薩のみこれを見たまふ。声聞 縁覚は、徳、少なくしてこれを見ることあたわず。この戒法は三羯磨の後、一刹那の剋に受者の身内に来入す。これを戒体と号す。信有れば来たる。信無ければ来たらず。 | ||||||||||||||
戒体不起而已 起即性 無作仮色 (戒体は起こさずんばやみなん 起こさば すなわち性なる無作の仮色) (天台 智) | ||||||||||||||
戒においては破戒無慚、定においては散乱粗動、慧においては鈍根無智 | ||||||||||||||
帰る旅) 帰れる旅は楽しいのである。旅のさびしさを楽しめるのも、わが家にいつか戻れるからであるこの旅は、自然に帰る旅である。 | ||||||||||||||
科学 かつてWTO(世界保健機構)はアフリカのマラリア患者の多い地域で徹底的なマラリア樸滅作戦を展開した。その結果、乳幼児の死亡率が10分の1に低下した。そかし10年あとには、その地域の住民のほとんどが餓死してしまった。マラリア患者がいなくなって、爆発的に人口が増加したためである。WHOは、はたして良いことをしたのか?悪いことをしたのか頭をかかえこんだという。 慈悲 科学 理論 良いこと 悪いこと 知恵 | ||||||||||||||
鏡 念仏は閻魔の鏡 閻魔 鏡 わが心 鏡にうつる ものならば さぞや姿の 醜かるらん (心の気持ちの表れ、気表⇒けほ⇒かほ⇒顔) | ||||||||||||||
鏡 後の世の 人の鏡に のこしおく 南無阿彌陀佛 知識をぞ見よ 徳本行者 鏡 無明と明 | ||||||||||||||
鏡にうつるわが姿 ツンと向かえば向こうもツンと 笑うて向かえば笑うて返す にらみつくればにらんで返す ほんにこの世は鏡の影よ 泣くも笑うも我次第 | ||||||||||||||
鏡見て かげはづかしく 思ふなら はやく心を あらためよ人 | ||||||||||||||
かかる時さこそ生命の惜しからめかねて無き身と思ひ知らずば | ||||||||||||||
柿 渋柿の 甘柿となる 日の恵み 柿 煩悩 | ||||||||||||||
柿とろと 頭の上を ながめたら きれいなお月さま 笑っておる お月様(仏様)が見ているからやめよう(藤堂 俊 章 台下) | ||||||||||||||
覚 悟る 動詞と名詞の受け取り方がある。 動詞で受け取るならば、「目覚め」「覚醒」「無辺の悟り」 覚 気づき | ||||||||||||||
かくすればかくなるものと知りながら止むに止まれぬ大和魂 | ||||||||||||||
覚醒 悟る 動詞と名詞の受け取り方がある。 動詞で受け取るならば、「目覚め」「覚醒」「無辺の悟り」 覚 気づき | ||||||||||||||
I林涅槃 伝え聞く 鶴の林の 夜半の声 皆子を思う言葉なりけり 貞極 I林涅槃 釈迦 | ||||||||||||||
家訓 柳生家の家訓 「小才は縁に出会って縁に気づかず 中才は縁に気づいて縁を生かさず 大才は袖すり合った縁をも生かす」縁怨憎会苦 不可思議 「袖すりあうも他生の縁」 | ||||||||||||||
影は光によって生じる。真夜中、一暗闇ですと影がございません。朝、お天道さまが出ていらっしゃると、それにふさわしい影が出てきます。それと同じように、念仏を申さない間は、如来さまのお光明をいただかない間は、自分の罪悪の影に気付かないのであります。ですから、最初は、我々も煩悩の我であるということを信じて、お念仏申しているうちに、お光明がいただけてまいりますと、自分の罪悪に気付かせていただく、初め信じておったものがわかってくるのです。その自分の罪悪に気が付くから、阿弥陀さまにおすがりする気持ちが強くなって、真剣な念仏が出る。 | ||||||||||||||
賢いと愚かは一如である ( 光と影、善と悪 極楽と地獄 ) (聖徳 太子) | ||||||||||||||
我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 従身語意之所生 一切我今皆懺悔(われ昔より造れる所の諸悪業は、皆無始の貪瞋痴による。身語意より生ずる所なり。一切われ今、皆懺悔す。) | ||||||||||||||
迦葉 拈華微笑 釈迦が説法せずに、金蓮を拈じた。大衆はその意味がわからずにいたが、迦葉だけが微笑したこと | ||||||||||||||
かずならぬ我が身は花に吹く嵐すむ夜の月にかかる浮き雲 | ||||||||||||||
かぞふれば我身につもる年月をおくりむかふと何いそぐらん | ||||||||||||||
形見とて 何かのこさむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみぢ葉 | ||||||||||||||
形見とて はかなき親の とどめてし この別れさえ いかにせん 法然上人15歳比叡山 秦氏 母親子 | ||||||||||||||
形見とて はかなき親の 留めてし この別れさえ またいかにせん 法然上人 泰氏 母 別れ 生き別れ 形見 親 | ||||||||||||||
かたみとて はななき親の とどめてし この別れさえ 又いかにせん 法然上人 母上 | ||||||||||||||
かたらじと 思ふこころも さやかなる 月にはゑこそ かくさざりけれ | ||||||||||||||
かつてWTO(世界保健機構)はアフリカのマラリア患者の多い地域で徹底的なマラリア樸滅作戦を展開した。その結果、乳幼児の死亡率が10分の1に低下した。そかし10年あとには、その地域の住民のほとんどが餓死してしまった。マラリア患者がいなくなって、爆発的に人口が増加したためである。WHOは、はたして良いことをしたのか?悪いことをしたのか頭をかかえこんだという。 慈悲 科学 理論 良いこと 悪いこと 知恵 | ||||||||||||||
かつてWTO(世界保健機構)はアフリカのマラリア患者の多い地域で徹底的なマラリア樸滅作戦を展開した。その結果、乳幼児の死亡率が10分の1に低下した。そかし10年あとには、その地域の住民のほとんどが餓死してしまった。マラリア患者がいなくなって、爆発的に人口が増加したためである。WHOは、はたして良いことをしたのか?悪いことをしたのか頭をかかえこんだという。 慈悲 科学 理論 良いこと 悪いこと 知恵 | ||||||||||||||
かつてWTO(世界保健機構)はアフリカのマラリア患者の多い地域で徹底的なマラリア樸滅作戦を展開した。その結果、乳幼児の死亡率が10分の1に低下した。そかし10年あとには、その地域の住民のほとんどが餓死してしまった。マラリア患者がいなくなって、爆発的に人口が増加したためである。WHOは、はたして良いことをしたのか?悪いことをしたのか頭をかかえこんだという。 慈悲 科学 理論 良いこと 悪いこと 知恵 | ||||||||||||||
かつてWTO(世界保健機構)はアフリカのマラリア患者の多い地域で徹底的なマラリア樸滅作戦を展開した。その結果、乳幼児の死亡率が10分の1に低下した。そかし10年あとには、その地域の住民のほとんどが餓死してしまった。マラリア患者がいなくなって、爆発的に人口が増加したためである。WHOは、はたして良いことをしたのか?悪いことをしたのか頭をかかえこんだという。 慈悲 科学 理論 良いこと 悪いこと 知恵 | ||||||||||||||
かつてWTO(世界保健機構)はアフリカのマラリア患者の多い地域で徹底的なマラリア樸滅作戦を展開した。その結果、乳幼児の死亡率が10分の1に低下した。そかし10年あとには、その地域の住民のほとんどが餓死してしまった。マラリア患者がいなくなって、爆発的に人口が増加したためである。WHOは、はたして良いことをしたのか?悪いことをしたのか頭をかかえこんだという。 慈悲 科学 理論 良いこと 悪いこと 知恵 | ||||||||||||||
勝つ者怨みを招かん 他に敗れたる者苦しみて臥す されど勝敗の二つを棄てて 心 寂静なる人は 起居共に幸いなり | ||||||||||||||
門松や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし | ||||||||||||||
悲しい海、悲しい空、今日も真っ青に澄んだでいます。あなた方の悲しい死によって、あなた方の悲しい死を通じて、私たちは今漸くにして一つの考えを持つことができるようになりました。もう、自分一人の幸福を求める時代は終った。他の人が幸福でなくて、どうして自分が幸福になれるだろう。もう、自分の国だけの平和を求める時代は終った。他の国が平和でなくて、どうして自分の国が平和であり得よう」 | ||||||||||||||
かなしきかな、かなしきかな、いかがせんいかがせん。ここに我等如きは、すでに戒定慧の三学の器ものにあらず。この三学のほかに我心に相応する法門ありや、我が身に堪えたる修行やあるやと、よろずの知者にもとめ、諸の智者にもとめ、諸の学者に、とぶらいしに、をしふるに人もなく、しめすに輩もなし。然る間なげきなげき、経蔵に入り、かなしみかなしみ、聖教にむかひて、手づからみづから、ひらき見しに、善導和尚の観経の疏の、「一心に専ら弥陀の名号を念じ、行住坐臥に時節の久近を問わず念念に捨てざる者 是を正定の業と名づく 彼の仏の願に順づるが故に」という文を見得てのち、我等がごとくの、無智の身は、偏にこの文を仰ぎ、もはらものことはりをたのみて、念念不捨の称名を修して、決定往生の業因に備ふべし。 | ||||||||||||||
悲しみ ゲーテ 涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の味はわからない ゲーテ | ||||||||||||||
かへらじとかねて思へば梓弓なき数入る名をぞとどむる | ||||||||||||||
神様はどこまでも包んでいます。(包含 compli catio) その神様は私たちに中から展開する。(展開 expl catoi) 参照 如来蔵思想、内在と超越 万有在神論 包含と展開 | ||||||||||||||
神はよし祖とあらずも我や子の子たらん道を尽さであらめや | ||||||||||||||
亀 めしいたる 亀の浮き木に あうなれや たまたま得たる 法の端舟 高弁 本願に遇う 亀 | ||||||||||||||
鴨 | ||||||||||||||
から衣 たちぬふ人は あらなくに 秋の夜さむと なりまさりつつ | ||||||||||||||
かりそめの いろにゆかりの こいにだに あふには身をも をしみやはする 法然上人 恋 | ||||||||||||||
仮初めの 色の縁の 恋にだに 逢ふには身をも 惜しみやはする | ||||||||||||||
かりそめの 色のゆかりの 恋にだに あふには身をも おしみやはする | ||||||||||||||
枯れはてて しかも花咲く 梅が枝に 声もたてず 鶯のなく 老い | ||||||||||||||
河波 雪下に 春の声あり ことことと 見えぬ小川の 流れ音聞く 清浄光、 河波 | ||||||||||||||
川端康成 あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月 (明恵)主客 川端康成 ノーベル賞 月 美 | ||||||||||||||
かわやにて 申す念仏に とがあらば 召しこめよかし 弥陀の浄土へ 法然上人 便所 不浄 清浄 行住坐臥 | ||||||||||||||
願海 同体 別体の三宝 の願海をおどろかし申してもうさく。 授手印 二祖 鎮西聖光 | ||||||||||||||
歓喜 お百姓さんが秋のゆたかなお米の稔りを収めたいという欲望から、あの炎暑の中に汗を流して働けることを、少しも苦としておられないように、私たちも心霊を完成させたいという欲望から出る業務であれば、どんな仕事にも喜んで、これに従事してゆくことができる。現在の不幸の中にも将来の幸福を認め、病気の中にも健康を味わい、困苦の中にも矯正と規律を見出し、悲憂の中にも勇気を鼓舞し、常に満足を知り不平の念をおこさず、愉快の中にかこまれて失意落胆の情にうち勝ち、喜んで重荷をにない、眼にうつるもの一として歓喜ならざるものなしである。 | ||||||||||||||
歓喜光 それ衆生ありて、この光に遇うものは三垢消滅し(清浄光)、身意柔軟に(智慧光)、歓喜踊躍して(歓喜光)、善心生ぜん(不斷光) 礼拝儀 無量寿経 | ||||||||||||||
観経 本願の三心=一心不乱=「観経」 至心、信楽、欲生我国 | ||||||||||||||
観経月かげの 至らぬ里は なけれども ながむる人の こころにぞすむ 住む 澄む 済む 光明遍照 観経 第九 | ||||||||||||||
感謝 目がさめて 今日もうれしや わがからだ | ||||||||||||||
勧請の祈願の指導 如来の分身たる霊応身を我が身心に請じて常住の指導を祈る。一、この身は如来の霊応を安置し奉る聖なる宮と信ずべきこと。二、霊応の常住を請うこと。三、聖意の指導を仰ぐこと。 | ||||||||||||||
関心 愛の反対は無関心だ マザーテレサ 人権 関心 怨憎会苦は関心がある | ||||||||||||||
ガンディーに質問した「あなたは、非暴力(アサンサー)でインド独立を勝ちとりましたが、今、あなたに向けて原子爆弾を搭載した爆撃機があなたの頭上に飛来してきたら、どうされますか?」するとガンディーさんはその記者に微笑みながら、こう答えたといいます。「私は私に向かって原爆をつんだ飛行機が飛んできたら、その飛行機に手をふって笑顔で敵意のないことをしめすだろう」 | ||||||||||||||
完徳=perfect | ||||||||||||||
寒に耐え梅花 うららかなり 彼岸 | ||||||||||||||
堪忍と聞けば易きに似たれども己に勝つの替へ名なるべし | ||||||||||||||
感応 道交 | ||||||||||||||
観音 頂戴 冠 中 住 (中夜礼讃) 念仏者の基本 頭上の化仏 善導 | ||||||||||||||
観音頂戴冠中住 (観音は頂戴して冠中に住す)種種妙相宝荘厳 (種々の妙相の宝をもって荘厳す)能伏外道魔僑慢 (掛く外道と魔との廓僻ビを伏す)故我頂礼弥陀尊 (故に我れ弥陀尊を頂礼したてまつる) | ||||||||||||||
看病 三宝 @仏ー名医 A法ー名薬 B僧ー看病 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
寒紅は 無常の風に誘われて莟(つぼ)みし花の 今ぞ散り行く | ||||||||||||||
帰 桃の夭夭たる、その葉蓁蓁たり、之子干に帰ぐ、かの家人宣し 大学 桃 帰 結婚 | ||||||||||||||
帰 1、身命を仏に帰趣するの意 2、仏の教命に帰順するの意 3、命根を一心の本元に還帰するの意 | ||||||||||||||
機 法と機と 合うか合わぬかを 調べての 後に行う 道を定めよ 機法一体 機 法 | ||||||||||||||
機 頼みなば ただひしひしと 頼むべし 生き賢きは 道に遠きぞ 愚鈍 念仏 往生の機 | ||||||||||||||
黄色 春は黄色い花が多い 花 黄色 | ||||||||||||||
利きもあれば鈍きもありて取りはけるつるぎに似たるひとごころかな | ||||||||||||||
起行 安心(智目)・起行(行足) 起行 二重 修行 | ||||||||||||||
聞く時は げになるほどと 思いつつ 下駄はくときは とうに忘るる | ||||||||||||||
綺語 今日ほめて 明日わるく 云ふ人の 泣くも笑うも うその世の中 | ||||||||||||||
きささぎの 中の五日の 夜半の月 入りにしあとの 闇ぞかなしき 西晋 涅槃 釈迦 | ||||||||||||||
機信 不断煩悩(機信)即涅槃(法信) 曇鸞(善道) | ||||||||||||||
疑心 念仏は アクビの後の 口なおし 信心 疑心 信心が有るような無いような | ||||||||||||||
機信 富士の白雪や朝日に解ける 胸の氷は思案じゃとけぬ 機信 信機 | ||||||||||||||
鬼神も 泣かするものは 世の中の 人の心の 誠なりけり | ||||||||||||||
季節 春に百花あり、秋に月あり、夏に涼風あり、冬に雪あり 四季、季節 春夏秋冬 慧海禅師 | ||||||||||||||
季節 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり 道元禅師 四季 季節 春夏秋冬 | ||||||||||||||
気付き 悟る 動詞と名詞の受け取り方がある。 動詞で受け取るならば、「目覚め」「覚醒」「無辺の悟り」 覚 気づき | ||||||||||||||
きによって説け鶯の法法華経 | ||||||||||||||
昨日まで 鬼の住みにし 胸殿も 今日みだ尊の 御堂とはなる | ||||||||||||||
昨日も今日も さよならの日がくれてゆく | ||||||||||||||
気のきいた 化物はとくに 引きこむに ろくろ首ほど 長くのびたり | ||||||||||||||
気のきいた 化け物はとくに 引きこむに ろくろ首ほど 長くのびたり | ||||||||||||||
気は長く 心は丸く 腹立てず 口つつしみて 命ながかれ | ||||||||||||||
機法一体 法と機と 合うか合わぬかを 調べての 後に行う 道を定めよ 機法一体 機 法 | ||||||||||||||
君が住む 宿の梢を ゆくゆくも かくるるまでに 顧みしはや | ||||||||||||||
君が田が 我田に並ぶ 嬉しさよ 我田へかかれ きみが田の水 | ||||||||||||||
君にかく 相見ることの うれしさも またさめやらぬ 夢かとぞ思ふ | ||||||||||||||
君のため 民のためぞと 思はずば 雪もほたるも 何かあつめん | ||||||||||||||
君のため 世のため何か 惜からん 捨ててかひある 命なりせば | ||||||||||||||
帰命 の帰は歸の昔の字 阜ぐの意である 今は嫁ぐと書く | ||||||||||||||
帰命とは触れること、勧請とは宿すこと、発願とは歩むこと | ||||||||||||||
客 無畏施 恐れがない→安らぎ 客の接待の仕方 施無畏 | ||||||||||||||
客人 煩悩をば心の客人として、念佛を心の主人としつらえば強ちに往生をば障ぬなり(七箇条起請文 9)煩悩=客人、念仏=主人 | ||||||||||||||
客僧の 朝寝よろこぶ 僧の妻 (牛畝) | ||||||||||||||
行住坐臥 かわやにて 申す念仏に とがあらば 召しこめよかし 弥陀の浄土へ 法然上人 便所 不浄 清浄 行住坐臥 | ||||||||||||||
孝とは辞典 1、善く親につかえる行為 2、善く祖先につかえる行為 3、親を大事にすること 親 恩 | ||||||||||||||
孝の字形は子が老人を負うている形の文字であります。 老人とは我が親である。 親 恩 | ||||||||||||||
今日彼岸 菩提の種を まく日かな 彼岸 | ||||||||||||||
今日ほめて 明日わるく 云ふ人の 泣くも笑うも うその世の中 | ||||||||||||||
今日もまた 心の鐘を 打ち鳴らし 打ち鳴らしつつ 憧れていく | ||||||||||||||
キリスト教と大乗仏教が出会った」と1000年単位で歴史を見ると「記録されるであろう。(トインビー歴史学者) | ||||||||||||||
桐火桶 かきなでながら 思ふかな すきま多かる しづが伏屋を | ||||||||||||||
義を聞いて移るあたわず。 不善聞いて改むるあたわず。こらは我が憂いなり。これはいいことだと知りながらも、その方へ移っていくことが出来ない。不善と知りながらも、改めることが出来ない私である。(論語、孔子) | ||||||||||||||
機をもって教を験べる | ||||||||||||||
銀のくがねも 玉もせむに まされる宝 子にしかめやも | ||||||||||||||
苦 有田憂田 有宅有宅 無量寿経 苦 求不得苦 | ||||||||||||||
苦 三垢 意は三垢(惑=煩悩・業=悪業・苦=受苦) 垢質 | ||||||||||||||
苦 もとよりも 忍ぶの里に 忍れば 忍びてかよへ 弥陀の淨土へ 苦楽 忍 忍ぶ | ||||||||||||||
苦 いまします 仏の姿 よく見れば みな苦しみに 耐えしみ姿 苦 代修 代苦 | ||||||||||||||
苦 岩もあり 木の根もあれど サラサラと ただサラサラと 水の流るる | ||||||||||||||
苦 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
垢 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
苦 我は欲する所の善を行うわたわず 欲せざる所の悪を行う あぁ悩める我なるかな。(パウロ)十夜 善 悪 欲 苦 意思 | ||||||||||||||
苦 大忍とは耐えしのんだり、がまんすることとはちがう。苦しいときはくるしいままに、嬉しいときは嬉しいままに身体ごと素直に順応していくことである。悲しいときは子供のように、ごく自然に涙を浮かべ悲しいんでいる。また念願かなって嬉しいときは、子供のように無邪気に嬉しがるこれを大忍という。 寂しいときは寂しいままに独り静かにいる。これが日本文化の「わび」「さび」の精神である。身体で抑えて、首から上に上げない。文句、愚痴を言わないようにしよう。争いの元となる。罪作り。(板橋興宗 曹洞宗) | ||||||||||||||
苦 矢のたとえ!一番の矢と二番矢 苦の一番矢を受けても二番の苦の矢は念仏を称えている人は受けない! 一番矢楽は二番矢は欲の働きによって苦の始まりになる。 苦楽 挨拶 | ||||||||||||||
空=平等≒同等と違う。 空=束縛されない、開放される。阿弥陀様の前で平等。 | ||||||||||||||
空外 通達 諸法性 一切空無我 專求浄 仏土 必成 妙 是刹 種善寺 対聯 空外75歳書 | ||||||||||||||
空海が 心のうちに 咲く花は 弥陀より外に 知る人はなし 弘法大師 信心の花 | ||||||||||||||
倶会一処 露の身は 此処彼処にて 消えぬとも 心は同じ 華の台ぞ 法然上人 流罪 露 華 淨土 往生 倶会一処 | ||||||||||||||
愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情、底下の最澄 | ||||||||||||||
究竟 憐愍の恩 親はおのれ死して後にも、子の身を護ることを願う | ||||||||||||||
恭敬修 住持の三宝 @仏ー絵像木像 A法ー黄紙朱軸 B僧ー剃髪 染衣 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
恭敬修 吉川英二 我 以外 皆 吾師 恭敬修 上下関係 | ||||||||||||||
恭敬修 三宝 @仏ー名医 A法ー名薬 B僧ー看病 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
恭敬修 三宝 @仏ー明るく A法ー正しく B僧ー和やかに 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
恭敬修 四修 恭敬修⇔高慢 無余修⇔雜起 無間修⇔懈怠 長時修⇔退転 | ||||||||||||||
恭敬修 四修 作業(四修、三種行儀) 恭敬修 無余修 無間修 長時修 | ||||||||||||||
恭敬修 浄土にも 剛のものとや 沙汰すらん 西に向いて 後ろみせねば 熊谷次郎直実 恭敬修 | ||||||||||||||
恭敬修 別体の三宝 @仏ー浄土の弥陀 A法ー念仏の御法 B僧ー浄土の菩薩 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
恭敬修 恭は体で敬う。 敬は心で敬う。 心で舌を出し、身体で敬う。日常他人に対する。 心で敬い身体では敬ない 親子関係。 仏に対しては心と身体で敬う。何もいわないから! | ||||||||||||||
恭敬修 形で敬うを恭、心で敬うのを敬。 1、有縁の聖人を敬う。2、有縁の知識を敬う。3、有縁の像教を敬う。4、同縁の伴を敬う。5、三宝を敬う。 四修 | ||||||||||||||
草の庵に 足さしのべて 小山田の 山田の蛙 きくが楽しき | ||||||||||||||
草のいほに 寝てもさめても 申すこと 南無阿彌陀佛 南無阿彌陀佛 | ||||||||||||||
草の庵に 寝てもさめても申すこと なむあみだぶつ なむあみだぶつ | ||||||||||||||
くさの葉の 露も光の あればとて 玉といひては 如何が拾はん | ||||||||||||||
草も木も からくれないに 見ゆるなれ 赤き眼がねを かけし人には | ||||||||||||||
草も木も 枯れたる野辺に ただ独り 松のみ残る 弥陀の本願 本願 知恩院 吉水 | ||||||||||||||
垢質 三垢 意は三垢(惑=煩悩・業=悪業・苦=受苦) 垢質 | ||||||||||||||
愚者 嘘聞いて喜んで、本当聞いて腹立てた。 世間 愚者 愚か 真実 | ||||||||||||||
下り坂 人生には三っつの坂がある。 上り坂、下り坂、そしてもう一つ、まさかという坂。 上り坂、下り坂 まさか? | ||||||||||||||
愚痴 愚を知るは善業をひらく初門なり。 愚痴 | ||||||||||||||
愚痴 智慧は物事の方向性を示してくれる。 知力には者を判断する能力はあるが、方向性がない | ||||||||||||||
愚痴 無明と明 一方より見れば無明 一方よりみれば明 これが無始である。 | ||||||||||||||
愚痴 無明を基とし、煩悩を基盤としているから、方向性を間違えて苦を生じる。 無知 愚痴 智慧 知力 明 | ||||||||||||||
功徳 嗔恚は功徳の林を焼く 「恐るべし カッと怒りの 胸の火が 我と我が身を 焼き尽くすなり」腹立ち、三毒、煩悩、 | ||||||||||||||
愚鈍 頼みなば ただひしひしと 頼むべし 生き賢きは 道に遠きぞ 愚鈍 念仏 往生の機 | ||||||||||||||
国を思ふ 道に二つは なかりけり いくさの場に 立つも立たぬも | ||||||||||||||
求不得苦 有田憂田 有宅有宅 無量寿経 苦 求不得苦 | ||||||||||||||
熊谷次郎直実 浄土にも 剛のものとや 沙汰すらん 西に向いて 後ろみせねば 熊谷次郎直実 恭敬修 | ||||||||||||||
熊谷蓮生 寐むれば即ち仏を含み、覚むれば即ち仏を吐く「寐即含仏、覚即吐仏」 忍澂上人 善導大師 (熊谷 蓮生 藤枝 蓮華寺) | ||||||||||||||
雲とわかつ 友かや雁の 生きわかれ | ||||||||||||||
雲にただ 今宵の月を まかせてむ いとふとしても 晴れぬものゆゑ | ||||||||||||||
苦樂 坂三里 辛さが楽し 里帰り 若葉の彼方 桃の咲く家 苦樂 故郷 | ||||||||||||||
黒田の上人 伊賀の黒田の上人 俊乗坊重源 東大寺 大仏再建 阿号の始祖 | ||||||||||||||
愚を知るは善業をひらく初門なり。 愚痴 | ||||||||||||||
君子 真実 白魚の 洗えば濁る 清水かな 表面 虚仮 真実 | ||||||||||||||
群書類聚 番町で 眼あきめくらに 道を聞き 塙 保 己一 天満宮 群書類聚 | ||||||||||||||
ゲーテ 涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の味はわからない ゲーテ | ||||||||||||||
穢れ 池の水 人の心に 似たりけり 濁りすむ事 さだめなければ 法然上人 罪 穢れ 清浄 心 濁り | ||||||||||||||
懈怠 四修 恭敬修⇔高慢 無余修⇔雜起 無間修⇔懈怠 長時修⇔退転 | ||||||||||||||
懈怠⇔無間修 懈怠の心を修正するために 三種行儀 | ||||||||||||||
結婚 桃の夭夭たる、その葉蓁蓁たり、之子干に帰ぐ、かの家人宣し 大学 桃 帰 結婚 | ||||||||||||||
結婚 昔、ある青年が菩提心を起こして、是非とも仏になりたい。そのためには当時の仏様にお花を供養しなければならない、弟子入りの作法として。そこで、お花を捜すんですが、どこの花屋にも花がないんです。ないはずです。その国の王様が、仏様にお花を供養したら功徳が大きいということを聞いて、国中の花を独占して買い占めていた。だから、どこの花屋にも花がない。はなはだ困った……。そこへ、一人の娘さんが花を持ってきます。「その花を私に分けてください」「分けられません」「どうして」「これは王様に予約済みです。今から持っていって、頂くお金が私の貧しい家の足しになるんです」「いや、私はどんな犠牲を払ってもその花がほしい」「あなた、どうしてそんな無茶なことおっしゃるんですか」「私は今、菩提心を起こし、是非とも仏になりたい。成仏をしたい。だから、仏様にお花を供養したい。出来たら、あなたも私と一緒にお花を供えてくれませんか」その青年の意気に感じた娘さんが、赤い花を青年に渡し、自分は白い花を持って、ふたり揃って仏様にお花を供養した。二人の若者の捧げた花は、永遠にしぼまなかったが、王様の独占したお花は一晩にしてしぼんだ。それがご縁となって、ふたりは結ばれて結婚をします。それが、その世だけの契りではなくして、その次の世もその次の世も、二人は結ばれて夫婦になる。そうして先程申したように、力を合わせ心をひとつにして成仏めざして修養した。最後に青年が、インドの国シッダルタ太子として現れて、最後に釈迦牟尼仏という成仏の位に到達した。そうして、娘がヤソダラ姫となって青年と結婚し、釈迦牟尼仏によって救われて成仏します。そうやって仏教の結婚は、夫婦が成仏めざして互いに助け合い、補い合いながら修養していこうじゃないか、これが仏教の結婚観でございます。と共に、夫婦がひとつになるということは、容易ならぬ過去からの縁があったわけでございますね。「生まれる前から結ばれていたそんな気がする紅の糸」、これ『命くれない』……。そういうわけで、どうぞひとつ、結婚ということは単なる子孫保存だけが目的じゃなく、修養のためだ、成仏のための結婚であるということを忘れないでいただきたいのでございます。 | ||||||||||||||
化益 摂化 摂取化益 | ||||||||||||||
眼 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
建久二年(1191年2月27日)、あらぬことを吹聴する者たちの告げ口によって、法然上人には源元彦という還俗の名前が与えちれ、流罪の命が下されたので、上人の教導を仰ぐ道俗貴賎は皆んな欺き悲しみ合ったが、上人はこの下命に触れて、むしろ喜び従う御様子をなさって、「源空が流罪という羽目を受けることは、遠い地方にも念仏教化の縁が熟したということで、誠に喜ばしいことなのです。広くあらゆる人々を教化して、念仏の信仰に導き入れましよう」とまでおっしゃった。法然上人の御慈悲からするそうした御誓願の趣きが外に顕われて、しみじみと貴く思われた。月輪殿(九条兼実公)はしばらく御別れしなければならない欺きを静めるために、法性寺の小御堂に法然上人を一夜おとめ申し上げた。そのとき依然上人は、「会者定離はこの世の道理であつて、今に始まることでほありません。どうして深く欺く必要がありましょうか。ずっと以前からの縁が空しいものでないならば、行く末は同じ蓮台に坐ることになりましょう。浄土での再会も間もないものです。今のお別れは、ひと時の悲しみであつて、春の夜の夢のようなものです。念仏の教えが信順されようが誹謗されようが、それぞれを縁として先ずは自らが往生して、後の人たちを導くよぅにいたしましょう。引接縁というのは、極楽浄土の「楽」の一つでもあるのです(往生要集)。私どもはこの現世ですら疎遠な間柄ではなかったのですから、同じ名号を唱え、同じ光明の中に在って、同じ聖衆の護念を蒙るのです。信仰を同じくしでいる者は、最も親しい間柄であるのですから、思慮もなく、疎遠となってしまうと思われてはなりません。南無阿彌陀佛と唱えなされば、たとえ住所は隔たっていても、源空に親しいのです。というのも、源空もまた南無阿弥陀仏と唱え申し上げているからです。念彿を縡(こと)としない人は、たとえ源空と肩を並べ、膝を交えたとしても、漁空には疎遠の人なのです。身・口・意の三業が皆、私とは異なつているからです。」とおしゃたので、月輪殿は悲しみの心を乱れさせて、一言も語られなかった。同建久二年三月十六日、法然上人は法性寺を出立されて、配所に赴かれた。配所は讃岐国の小松の庄である。このように門弟の住蓮・安楽が不善の行いをした過失の責任があると吹聴し中傷する言動によって、罪なき上人は流罪にされてしまったのである。このように言葉巧みに告げ口をして人を陥れる者らの訴えによって左遷された賢者たちは昔から例がないわけではない。わが国では役行者、菅原道真、他国では唐の一行阿闍梨、詩人で宮人であつた白楽天などは、いずれも罪なくして流罪地に住まわれた人たちである。そもそも仏や菩薩が衆生の機根に応じて化現されるその巧みな方便は、凡夫の知を越えた測り難いものである。だから、仏法が信順されようが、仏法が誹謗されようが、仏菩薩はそれぞれに縁を結ばれるので、逆縁も共に益を受けることになるのである。法然上人が流罪の地に赴かれたので、都は闇夜に点る灯火を失ったかのようであり、地方は仏法に暗い地であったのに灯火を得たようであつた。従って、都は悲しみにつつまれ、田舎は喜びにつつまれ、都の人は悲しみのうちに念佛を唱え、田舎の人は喜びのうちに称名念彿をしたのである。このように、悲しみにつけ喜びにつけ、善を勧めるそうした仏菩薩の教化利益は誠に巧みであり貴いものである。 | ||||||||||||||
現実 身をすてて 世を救う人も ますものを 草の庵に ひまもとむとは 良寛 理想現実 | ||||||||||||||
現象学 法蔵菩薩の五劫思唯の阿弥陀様は報身の阿弥陀様である。(有始無終) (無始無終、有始有終の現象学による。) | ||||||||||||||
謙遜 天狗と反対の心である。天狗は仏道修行の上で一番の禁物である。大ミオヤさまからお育てをいただいたみ恵みを人さまに話したりすると、この天狗の魔につけ入られて信仰が進まなくなる。鼻が高くては五体投地の礼拝の時に額が地につきません。“稔るほど頭を垂るる稲穂かな″ である。 | ||||||||||||||
剣は磨けば磨くほど 光を増す | ||||||||||||||
見佛 阿弥陀仏と 申すばかりを つとめにて 淨土の荘厳 見るぞうれしき 法然上人 浄土 荘厳 見佛 念仏 三昧 | ||||||||||||||
見佛 煩悩に眼さえられ 見えねども 絶えず我らを 照護し給う 煩悩 護念 仏 増上 | ||||||||||||||
子 形見とて はかなき親の とどめてし この別れさえ いかにせん 法然上人15歳比叡山 秦氏 母親子 | ||||||||||||||
子 銀のくがねも 玉もせむに まされる宝 子 にしかめやも | ||||||||||||||
子 里帰り 子どものまえで 子にかえる 親 子 | ||||||||||||||
恋 かりそめの いろにゆかりの こいにだに あふには身をも をしみやはする 法然上人 恋 | ||||||||||||||
恋 われはただ ほとけにいつか あふいぐさ こころのつまに かけぬひぞなき 法然上人 恋 父子相好 | ||||||||||||||
古池や 蛙飛びこむ 水の音 (松尾芭蕉) | ||||||||||||||
恋いしきと 思う心は われならで 親の心の かよい来るなり | ||||||||||||||
恋しくて 阿彌陀ぶつぶつ 称うれば 弥陀はこの身に すれつもつれつ | ||||||||||||||
恋いしくば 仏の御名を 称ふれば われも光の うちにこそあれ | ||||||||||||||
業 三垢 意は三垢(惑=煩悩・業=悪業・苦=受苦) 垢質 | ||||||||||||||
業 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
剛毅 意志の堅固をいう。ひと握りの綿火薬を爆発させても何の威力もないが、これに特別の装置を加えると、大巌をも砕くのである。一滴の水といえども、二疋の方向と不断の勢力を与えれば石をもうがつのである。意志また然りで、志すところ透徹せずんばやまざる執着心と勇気と意志は万物を開拓することができるのである。苦境に遭遇しても、これにくじけることなく、これを乗り越えてゆく力をいうのである。 | ||||||||||||||
香偈 前念後念=念念 「念念梵燒戒定香」(香偈)(法事讃) | ||||||||||||||
高山と海こそは山ながらかくも現しく海ながらしか真ならめ人は花物ぞうつせみの世人 | ||||||||||||||
上野国の赤城山の南の麓に大胡というところがある。藤原秀郷の後胤で、この地方に勢力を得て大胡と名のり、頼朝公鎌倉に興れるとき、馳せ参じて御家人となった一族。建久 六年二月將軍が、石清水に参詣あそばされた時に供奉が中に記せらえれておりますから、当時上洛して上人に見参せるも、公事暇なく閑少なくして、充分 法門の沙汰にもあずからず、帰国 | ||||||||||||||
孝は 百行の本 | ||||||||||||||
業はただ 万事はいらず 常不軽 菩薩の行 殊勝なりける (良寛 歌集より) | ||||||||||||||
高弁 めしいたる 亀の浮き木に あうなれや たまたま得たる 法の端舟 高弁 本願に遇う 亀 | ||||||||||||||
弘法大師 空海が 心のうちに 咲く花は 弥陀より外に 知る人はなし 弘法大師 信心の花 | ||||||||||||||
高慢 下がるほど 人は見あぐる 藤の花 高慢 慢 | ||||||||||||||
高慢 下がるほど 人は見あぐる 藤の花 高慢 慢 | ||||||||||||||
高慢 四修 恭敬修⇔高慢 無余修⇔雜起 無間修⇔懈怠 長時修⇔退転 | ||||||||||||||
光明 碍えられぬ 光のみ手に 抱きしめて 常に我らを 愛撫し給う 無碍光 光明 護念 愛撫 増上 | ||||||||||||||
光明 同一名号を称え、同一光明の中にありて、同聖聚の護念を被る同胞尤も親し。愚かに疎しと思うべからず。 名号 光明 聖聚 別時 護念 同胞 | ||||||||||||||
光明 煩悩に眼さえられて 摂取の光明みえざれども 大悲ものうきことなくて 常に我が身を照らすなり 光明 摂取 慈悲 | ||||||||||||||
光明はくまなくそそぐ 限り無きいのちに生きよ 人間の智慧なたのみそ み恵みは人を択ばず ただ頼め阿弥陀佛とおしえたる いみじさの我等が祖師や A煩悩を絶てとは告らず みだれたる心もゆるし 人間の性のまにまに み佛の国に往き行く この道は誰かひらきしなさけある 慕わしのわれらが祖師や (佐藤春夫 作詞)法然上人頌 煩悩 阿弥陀 光明 祖師 | ||||||||||||||
光明は本願力である。 本願 | ||||||||||||||
光明遍照 月かげの 至らぬ里は なけれども ながむる人の こころにぞすむ 住む 澄む 済む 光明遍照 観経 第九 | ||||||||||||||
声に心がはこばれて 称うるごとに通い行く 捨てぬ誓いのたのもしさ 大慈大悲のひざの上 | ||||||||||||||
五感 意 五感によって意を作る 法 | ||||||||||||||
五感 四智 六根清浄 1、眼 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】大円鏡智は 第8阿頼耶識が転じて智慧を得る。平等性智は第7まなしき【末那識】が転じて智を得る。妙観察知は第6意が転じて智を得る。成所作智は第1から5までの五感が転じて智を得る。 | ||||||||||||||
五逆 唯頼め よろずの罪は 深くとも 我が本願の あらんかぎりは 本願 罪 十悪 五逆 | ||||||||||||||
去行 安とは安置なり、心とは心念なり。念を所求、所帰、去行の三つに置くを安心という。 聖冏(観経伝通記 9) 安置 所求 所帰 去行 安心 | ||||||||||||||
虚空界尽きなば、わが礼はすなわち尽きん。虚空界は尽くすべからざるが故に、わがこの礼敬も窮尽あることなく、かくの如く乃至衆生界尽き、衆生の業尽き、衆生の煩悩尽きなば、わが礼、すなわち尽きん。而して衆生界乃至煩悩は尽きることなきが故に、わがこの礼敬には、窮尽あることなし。念々に相続して間断あることなく、身、語、意業において疲厭(ひえん)あることなし。」 | ||||||||||||||
極楽 昨日まで 鬼の住みにし 胸殿も 今日みだ尊の 御堂とはなる | ||||||||||||||
極楽は 仏のいます 国なれば 仏と共に 住めば極楽。 徳本 地獄とは 鬼の住みける 国なれば 鬼と一緒に 住めば地獄よ。 睡時 徳本 | ||||||||||||||
極楽へ つとめて早く いで立たば 身のをわりには 参りつきなん | ||||||||||||||
極楽へ つとめて早く いで立たば 身のをわりには 参りつきなん 法然上人 往生 | ||||||||||||||
虚仮 白魚の 洗えば濁る 清水かな 表面 虚仮 真実 | ||||||||||||||
五劫思唯 暑き日も 寒きその夜も 雪の夜も 五劫思唯の ことを思えば 荒巻くめ 五劫思唯 暑い 寒い 雪 | ||||||||||||||
心 浄と不浄 元々はないけれども自分で造っていく 意の垢でつくる。 火の車 作る大工は おらねども 己がつくりて 己が乗り行く 自我オレガの心が作っていく。 | ||||||||||||||
心 煩悩をば心の客人として、念佛を心の主人としつらえば強ちに往生をば障ぬなり(七箇条起請文 7)煩悩=客人、念仏=主人 | ||||||||||||||
心 池の水 人の心に 似たりけり 濁りすむ事 さだめなければ 法然上人 罪 穢れ 清浄 心 濁り | ||||||||||||||
意 五感によって意を作る 法 | ||||||||||||||
意 浄と不浄 元々はないけれども自分で造っていく 意の垢でつくる。 火の車 作る大工は おらねども 己がつくりて 己が乗り行く 自我オレガの心が作っていく。 | ||||||||||||||
意 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
心、浄きにしたがって、仏土、浄し。 (仏土とは、私達の心が浄まることによって開かれてゆく世界であり、仏土がどこか別の処に存在しているということではない。 心と仏土とは一つの事柄であり、浄土が心を浄化する(往生)と共に、その心に浄土が開かれてゆくのである。) (維摩経 ) | ||||||||||||||
心が曇れば曇ったままに、乱るれば乱れたままに、澄めば澄むままに、愚は愚のままに、智者は智者のまままに、識揚は識揚のままに、神飛は神飛のままに | ||||||||||||||
心から よこしまに降る 雨はあらじ 風こそ夜半の 窓をうつらめ | ||||||||||||||
心から よこしまに降る 雨はあらじ 風こそ夜半の 窓をうつらめ | ||||||||||||||
心清きに従って、仏土浄し 維摩経 維摩居士の御経 | ||||||||||||||
心だに まことの道に かなひなば 祈らずとても 神や守らん | ||||||||||||||
こころだに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん | ||||||||||||||
心のはたらきは、脳ばかりではなく、全身で営まれている | ||||||||||||||
心よく人事いはず 慇懃に 慈悲ある人に 遠慮ある人 | ||||||||||||||
心より 心に物を 思わする 身を苦しむる 我が身なりけり | ||||||||||||||
心をば 心の仇と 心得て 心のなきを 心とは知れ | ||||||||||||||
心をば 心の仇と 心得て 心のなきを 心とは知れ | ||||||||||||||
此処を 聖冏 此処を去ること遠からず 実体実義主義 聖冏 無方 無分量 | ||||||||||||||
五重 伝法ー形式(コップ) 伝戒ー内容 (水) 五重 授戒会 | ||||||||||||||
五種正行 三重の行 1、五種正行 2、助正二行 3、専修一行 念佛 | ||||||||||||||
後白川 仏は常にいませど 現ならぬぞ あらわれなる 人の音せぬ 暁に ほのかに 夢に 見えたもう 後白川法王 | ||||||||||||||
五塵 汚染 塵境 心情を汚染するから塵境 五塵 | ||||||||||||||
五塵 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
梢 あみだぶに そむる心の いろにいでば あきの梢の たぐいならまし 法然上人 秋 染める 梢 | ||||||||||||||
梢吹く 風の心は いかがせん したがふ花の 恨めしきかな | ||||||||||||||
梢吹く 風の心はいかがせんしたがふ花の恨めしきかな | ||||||||||||||
小僧とオカラの話 (所帰目的だけで、何をするのか?) | ||||||||||||||
五賊 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
東風ふかば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ (菅原道真) | ||||||||||||||
劫初より つくりいとなむ 殿堂に われも黄金の釘 一つ打つ | ||||||||||||||
劫初より つくりいとなむ 殿堂に われも黄金の釘 一つ打つ (与謝野 晶子) | ||||||||||||||
ことしげき 心よりさく 物思ひ の花の枝を ばつらつゑにつく | ||||||||||||||
事足らぬ 身をな恨みそ 鴨の足の短うてふぞ浮かむ瀬もあれ | ||||||||||||||
子供らと 手まりつきつつ この里に 遊ぶ春日は 暮れずともよし | ||||||||||||||
護念 碍えられぬ 光のみ手に 抱きしめて 常に我らを 愛撫し給う 無碍光 光明 護念 愛撫 増上 | ||||||||||||||
護念 同一名号を称え、同一光明の中にありて、同聖聚の護念を被る同胞尤も親し。愚かに疎しと思うべからず。 名号 光明 聖聚 別時 護念 同胞 | ||||||||||||||
護念 煩悩に眼さえられて 摂取の光明みえざれども 大悲ものうきことなくて 常に我が身を照らすなり 光明 摂取 慈悲 | ||||||||||||||
護念 煩悩に眼さえられ 見えねども 絶えず我らを 照護し給う 煩悩 護念 仏 増上 | ||||||||||||||
この秋は 雨かあらしか 知らねども 今日のつとめの 草を取るかな | ||||||||||||||
このたびは 迷ひ悟の 分けめなり あつささむさも 厭ふべきかは | ||||||||||||||
この秋は 雨か嵐か 知らねども けふの努めの種をまくかな | ||||||||||||||
この年も またいたづらに 暮らし来て 春に逢はんと 思はざりけり | ||||||||||||||
子は死して たどりゆくらん 死出の旅 道知れずとて かえりこよかし | ||||||||||||||
米 一粒の米の中にも、一滴の水の中にも一枚の紙の中にも、法身の血は通い、生命は宿っている、一切万物は生き物である。故に古徳たちは「粒々皆是仏身、滴々悉是仏物」と申されて、一粒のお米の中に通っている法身の血、一滴の水の中に宿っている法身の命を拝んで、これを大切にし、粗末にせず、勿体ないの生活に明け暮れなさいました。鳥や魚を殺すことだけが殺生では決してなく、天地一切のものは法身から産んでいただいた、法身の血の通い命の宿っているものであるから、物を大切にしない、粗末にするということが、とりもなおさず、その物の中に宿っている命を殺している、これが殺生である。積極的には物を大切にしてゆくということでありましょう。この粗末にしない、大切にする、勿体ないという生活のそこに、私たちの消費生活はひきしまってくるとおもうのであります。 | ||||||||||||||
米と藁 (こめとわら)田植えが終ると稲は青々と成長していく。秋風が吹きそめると稲はだんだん枯れていくが、穂の先にはお米がだんだん稔りへ稔りへと近づいていく。収穫期になって刈りとられた稲は藁となり、藁は来年稲田にまいても芽の出ない死んだもの、しかるに穂の先に稔ったお米を来年稲田にまけば、お米から芽が出る、すなわちお米は死なない命である。そのお米が稔るためには太陽のお恵みをうけなければならない。 | ||||||||||||||
ごめんなさい。 懺悔 次の世は よき虫に生まれこよと 手合わせつつポリドールまく 虫 殺す 懺悔 | ||||||||||||||
子らは皆 戦の庭に 出ではてて 翁や一人 山田守るらむ | ||||||||||||||
これはこれはとばかり花の吉野山 | ||||||||||||||
これを見ん おりおりことに おもひてて 南無阿彌陀佛と 常にとなえよ 法然上人 精進 称名 | ||||||||||||||
殺す 次の世は よき虫に生まれこよと 手合わせつつポリドールまく 虫 殺す 懺悔 | ||||||||||||||
子を思う親の心 私を思う仏の心 親子 親・子 阿弥陀 佛 | ||||||||||||||
今 現 在 説 法 | ||||||||||||||
欣求 今日もまた 心の鐘を 打ち鳴らし 打ち鳴らしつつ 憧れていく | ||||||||||||||
欣求浄土 総安心 厭離穢土 欣求浄土 別安心 三心 至誠心 深心 回向発願心 安心 | ||||||||||||||
在阿 寺は照る照る 帰りは曇る 家に帰れば 雨が降る 縁、在阿、在心 在縁 在決定 | ||||||||||||||
在阿 寺じゃてるてる 道では曇る うちに帰れば 雨が降る 縁、在阿、在心 在縁 在決定 | ||||||||||||||
在縁 寺じゃてるてる 道では曇る うちに帰れば 雨が降る 縁、在阿、在心 在縁 在決定 | ||||||||||||||
在決定 寺じゃてるてる 道では曇る うちに帰れば 雨が降る 縁、在阿、在心 在縁 在決定 | ||||||||||||||
西晋 きささぎの 中の五日の 夜半の月 入りにしあとの 闇ぞかなしき 西晋 涅槃 釈迦 | ||||||||||||||
在心 寺じゃてるてる 道では曇る うちに帰れば 雨が降る 縁、在阿、在心 在縁 在決定 | ||||||||||||||
在心 寺は照る照る 帰りは曇る 家に帰れば 雨が降る 縁、在阿、在心 在縁 在決定 | ||||||||||||||
最澄 愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情、底下の最澄 | ||||||||||||||
災難に逢時節には、災難に逢がよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候 | ||||||||||||||
賽の河原 持戒念仏往生の機 世の中は 賽の河原の 石なれや 積んではくずし くずしては積む 世の中 賽の河原 石 積む | ||||||||||||||
西方 聖冏 此処を去ること遠からず 実体実義主義 聖冏 無方 無分量 | ||||||||||||||
西方 本来無東西 何処有南北 本来東も西もない のに 何処に南北があろうか 実体実義主義 聖冏 無方 無分量 | ||||||||||||||
西方を以って所求と為し、弥陀を以って所帰と為し、念仏」を以って去行と為す(所求、所帰、去行) | ||||||||||||||
碍えられぬ 光のみ手に 抱きしめて 常に我らを 愛撫し給う 無碍光 光明 護念 愛撫 増上 | ||||||||||||||
さえられぬ 光もあるを をしなへて 隔て顔なる 朝霞かな | ||||||||||||||
さえられぬ 光もあるを をしなへて 隔て顔なる 朝霞かな 春 法然上人 無碍光(どんな物があってもさえぎることがない) | ||||||||||||||
さえられぬ 光もあるを をしなへて 隔て顔なる 朝霞かな 春 法然上人 無碍光(どんな物があってもさえぎることがない) | ||||||||||||||
坂 人生には三っつの坂がある。 上り坂、下り坂、そしてもう一つ、まさかという坂。 上り坂、下り坂 まさか? | ||||||||||||||
坂三里 辛さが楽し 里帰り 若葉の彼方 桃の咲く家 苦樂 故郷 | ||||||||||||||
さかりをば 見る人多し 散る花の あとを訪ふこそ 情けなりけり 花 情け | ||||||||||||||
下がるほど 人は見あぐる 藤の花 高慢 慢 | ||||||||||||||
先立たば おくるる人を まちやせん 花の台に なかばのこして | ||||||||||||||
先立ちし 人よかれとの追善は 我が身よかれの 祈りなりけり 回向 追善 | ||||||||||||||
酒 人 念仏 @人が酒を飲む A酒が酒を飲む B酒が人をのむ 酒=念仏にしたらよい。 | ||||||||||||||
作業 四修 作業(四修、三種行儀) 恭敬修 無余修 無間修 長時修 | ||||||||||||||
さし出る 鉾先折れよ 物毎に 己が心を 金槌として | ||||||||||||||
作善 随喜善の功徳は作善者のそれより勝れたり 作善 | ||||||||||||||
佐藤春夫 光明はくまなくそそぐ 限り無きいのちに生きよ 人間の智慧なたのみそ み恵みは人を択ばず ただ頼め阿弥陀佛とおしえたる いみじさの我等が祖師や A煩悩を絶てとは告らず みだれたる心もゆるし 人間の性のまにまに み佛の国に往き行く この道は誰かひらきしなさけある 慕わしのわれらが祖師や (佐藤春夫 作詞)法然上人頌 煩悩 阿弥陀 光明 祖師 | ||||||||||||||
里帰り 子どものまえで 子にかえる 親 子 | ||||||||||||||
里の女や 麦に骨折る うしろ帯 | ||||||||||||||
さとりとは 心の中と 思いしに 庭の花さえ さとり開きつ | ||||||||||||||
悟る 動詞と名詞の受け取り方がある。 動詞で受け取るならば、「目覚め」「覚醒」「無辺の悟り」 覚 気づき | ||||||||||||||
悟とは 我性心を 知ることで なさけもあれば 悲もあり | ||||||||||||||
さへられぬ ひかりもあるを をしなべて へだてかおなる あさがすみかな 法然上人 春 | ||||||||||||||
作法 初開楽 蓮華の華を開くようにゆっくり両手で右左前と袱紗を開く 終わったら十念の後に袱紗を閉じる。説法 作法 袱紗の開き方閉じ方 | ||||||||||||||
さまざまの 色をつくして 咲く菊も かをりは一つ 庭の秋月 | ||||||||||||||
寒い 暑き日も 寒きその夜も 雪の夜も 五劫思唯の ことを思えば 荒巻くめ 五劫思唯 暑い 寒い 雪 | ||||||||||||||
さやかなる 月の光の てらさすは 暗き道にや ひとりゆかまし | ||||||||||||||
左様に、そら言を、たくみて、申し候ふらん人をば、帰りて哀れむべきなり。左程の者の、申さんによりて、念仏に疑いなし、不信を、発さん者は、云うに足らぬ程の、事にてこそは候はぬ。大方彌陀に縁浅く、往生に、時到らぬ者は、聞けども信ぜず、行うを見ては、腹を立て、怒りを含みて、妨げんとする事にて候なり。その心を得て、いかに人申すとも、御心ばかり、動がせ給うべからず。強(あなが)ちに信ぜざらんは、佛なお力及び、給うまじ。如何に況や凡夫の力,及び候ふまじき事なり。かかる不信の衆生を、利益せんと、思うわんに、つけても、とく極楽へ、参りて、悟りを、開きて、生死に、返りて、誹謗不信の者をも、渡して、一切衆生、遍く利益せんと、思ふべき事にて候ふなり。『 勅伝 第二十八 』 | ||||||||||||||
三学無分の法然、愚痴の法然、烏帽子も着ざる男 | ||||||||||||||
三学を離れて生死を出づべきの義あり、これ法然上人のつくり物であるとあるが実に偉大なるつくりものであります。 | ||||||||||||||
慚愧 慚は人に恥じ、愧は天に恥ず。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて畜生とす。 涅槃經 恥 慚愧 羞恥心 | ||||||||||||||
三垢 意は三垢(惑=煩悩・業=悪業・苦=受苦) 垢質 | ||||||||||||||
三垢 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
懺悔 次の世は よき虫に生まれこよと 手合わせつつポリドールまく 虫 殺す 懺悔 | ||||||||||||||
三羯磨 衆生 仏戒を受けぬれば すなわち諸仏の位に入る。位、大覚に同じ巳りなば、真にこれ諸仏の子なり | ||||||||||||||
三重の行 1、五種正行 2、助正二行 3、専修一行 念佛 | ||||||||||||||
三種行儀 四修 作業(四修、三種行儀) 恭敬修 無余修 無間修 長時修 | ||||||||||||||
三種行儀 無間修 懈怠の心を修正するために 三種行儀 | ||||||||||||||
三心 総安心 厭離穢土 欣求浄土 別安心 三心 至誠心 深心 回向発願心 安心 | ||||||||||||||
三心 本願の三心=一心不乱=「観経」 至心、信楽、欲生我国 | ||||||||||||||
三心 来迎=往生の増上縁、 三心=往生の安心 往生 増上縁 三心 安心(勅修御伝随聞記19) | ||||||||||||||
三心 往生は よにやすけれど 皆人の 誠の心 なくてこそせね 法然上人 至誠心 三心 誠 | ||||||||||||||
三世流転身 1、現在(罪悪生死の凡夫) 2、過去(廣劫以来常没) 3、未来(出離の縁あることなし) | ||||||||||||||
山頭火
なかぬなら殺してしまへ時鳥 織田右府(織田信長) · 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉) · なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康) · 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火 |
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三毒 嗔恚は功徳の林を焼く 「恐るべし カッと怒りの 胸の火が 我と我が身を 焼き尽くすなり」腹立ち、三毒、煩悩、 | ||||||||||||||
三宝 @仏ー名医 A法ー名薬 B僧ー看病 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
三宝 住持の三宝 @仏ー絵像木像 A法ー黄紙朱軸 B僧ー剃髪 染衣 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
三宝 @仏ー明るく A法ー正しく B僧ー和やかに 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
三宝 @仏ー明るく A法ー正しく B僧ー和やかに 明治 大正 昭和 | ||||||||||||||
三宝 @仏ー浄土の弥陀 A法ー念仏の御法 B僧ー浄土の菩薩 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
三法印 諸行無常 諸法無我 涅槃寂静 | ||||||||||||||
三昧 阿弥陀仏と 申すばかりを つとめにて 淨土の荘厳 見るぞうれしき 法然上人 浄土 荘厳 見佛 念仏 三昧 | ||||||||||||||
三輪清浄 布施 与える人、物、頂く人 の三つが清浄 | ||||||||||||||
死 生きてよし 死してまたよし 極楽の 弥陀のみ許に 生まる嬉しさ 生死 阿弥陀 往生 極楽 死 | ||||||||||||||
四 摂 事 布施、利行 愛語 同時 | ||||||||||||||
上人ある夜夢見らく。一の大山あり。その峯きはめてたかし。南北長遠にして西方にむかへり。山のふもとに大河あり。碧水(へきすい)北より出て、波浪南にながる。河原眇(びょう)々として辺際なく、林樹茫々として限数をしらず。山の腹にのぼりて、はるかに西方を見たまへば、地よりかみ五丈ばかりあがりて、空中に、聚(じゅ)の紫雲あり。この雲とび来りて、上人のところにいたる。希有の思をなし給ところに、この紫雲の中より、無量の光をいだす。光の中より孔雀鸚鵡(おうむ)等の、百宝色の鳥、とびいでゝ、よもに散じ、又河浜に遊戯(け)す。身より光をはなちて照耀(しょうよう)きはまりなし。其後衆鳥とびのぼりてもとのごとく紫雲のなかにいりぬ。この紫雲また、北にむかひて、山河をかくせり。かしこに往生人あるかと、思惟し給ほどに、又須叟にかへりきたりて、上人のまへに住す。やうやくひろごりて一天下に覆ふ。雲の中より一人の僧出て、上人の所にきたり住す。そのさま腰より下は、金色にして、こしよりかみは、墨染なり。上人合掌低頭して申給はく。これ誰人にましますぞやと。僧答給はく。我は是善導なりと。なにのために、来給ぞやと申給に、汝専修念仏を、ひろむること、貴(たっとき)がゆへにきたれるなり、との給と見て夢さめぬ。画工乗台におほせて、ゆめに見るところを図せしむ。世間に流布して、夢の善導といへるこれなり。その画像、のちに唐朝よりわたれる、影像に、たがはぎりけり。上人の化導、和尚の尊意にかなへること、あきらけし。しかれば、上人の勧進によりて、称名念仏を信じ、往生をとぐるもの、一州にみち、四海にあまねし。前兆のむなしからざる、たれの人か、信受せざらむ。 |
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椎尾辨匡 時は今 ところ足元 そのことに うちこむ命 永久のみいのち 椎尾辨匡 今 人権 命 精進 | ||||||||||||||
ジェンダーフリー 舎利弗が女装で登場した時にお釈迦様が「舎利弗は男か?女か?」と尋ねた!みんな男ですよ!釈迦は「本来空だ男も女もない」「空=平等≒同等と違う」空=束縛されない、開放される。阿弥陀様の前で平等。 男から開放される前に女から開放されること。(仏教的に) | ||||||||||||||
潮 死は前よりも来たらず、かねてうしろにせまれり。人みな死あることを知りて待つことしかも急ならざるに覚えずして来る。沖の干潟はるかなれども、磯より潮の滿つるがごとし。 吉田兼好 徒然草 死 潮 | ||||||||||||||
四恩 1、父母 2、国王 3、三宝 4、衆生 | ||||||||||||||
自我 浄と不浄 元々はないけれども自分で造っていく 意の垢でつくる。 火の車 作る大工は おらねども 己がつくりて 己が乗り行く 自我オレガの心が作っていく。 | ||||||||||||||
持戒念仏往生の機 世の中は 賽の河原の 石なれや 積んではくずし くずしては積む 世の中 賽の河原 石 積む | ||||||||||||||
持戒念仏往生の機 世の中は 賽の河原の 石なれや 積んではくずし くずしては積む 世の中 賽の河原 石 積む | ||||||||||||||
識 転識得智 識を転じて智を得る 四智 清浄 六根 | ||||||||||||||
四季 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり 道元禅師 四季 季節 春夏秋冬 | ||||||||||||||
四季 春に百花あり、秋に月あり、夏に涼風あり、冬に雪あり 四季、季節 春夏秋冬 慧海禅師 | ||||||||||||||
自帰依仏 当願衆生 体解大同 発無上意(心) (三帰依文の始の言葉)(華厳経 浄行品) | ||||||||||||||
敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花 | ||||||||||||||
食に飽き 身の幸を 喜びて 飢えに苦しむ 人を憐れめ | ||||||||||||||
食平等、布施差別 | ||||||||||||||
食平等とは大僧正も小僧も、十人は十人、百人は百人、食において差別がない故に平等 | ||||||||||||||
しき島の 大和島根の をしへ草 神代の種の 残るなりけり | ||||||||||||||
四苦 身 年 一 百 歳、 長 愁 八十 児 (100歳の老親が82歳の児を心配していることで、老婆親切である。その上に往生を願い、念仏者になった) | ||||||||||||||
四苦 はえば立て 立てば歩めの 親心 わが身に積もる 老いを忘れて 育て 守り 親子 老 四苦 | ||||||||||||||
四弘誓願 度(六度) 断 知 証 | ||||||||||||||
示現 谷川の 木の葉の下の おぼれ水 流るるもゆく 滴るもゆく (つぶつぶもゆく ざらざらもゆく) 示現 岩清水八幡 林 227 | ||||||||||||||
示現 念珠のとり方 1、眞修ー一称一顆 粒粒念佛 2、早くりーざら念佛谷川の 木の葉の下の おぼれ水 つぶつぶもゆく ざらざらもゆく | ||||||||||||||
地獄 昨日まで 鬼の住みにし 胸殿も 今日みだ尊の 御堂とはなる | ||||||||||||||
地獄 餓鬼 畜生 阿修羅 仏 菩薩なにに成ろうと ままな一念 | ||||||||||||||
四修 敬いて ただ名ばかり 日日に 命のかぎり 勤むるが四修 四修 | ||||||||||||||
四修 怠らず 行かば千里の果ても見ん 牛の歩みのよし おそくとも 無間修 四修 | ||||||||||||||
四修 恭敬修 恭は体で敬う。 敬は心で敬う。 心で舌を出し、身体で敬う。日常他人に対する。 心で敬い身体では敬ない 親子関係。 仏に対しては心と身体で敬う。何もいわないから! | ||||||||||||||
四修 三宝 @仏ー名医 A法ー名薬 B僧ー看病 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
四修 住持の三宝 @仏ー絵像木像 A法ー黄紙朱軸 B僧ー剃髪 染衣 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
四修 別体の三宝 @仏ー浄土の弥陀 A法ー念仏の御法 B僧ー浄土の菩薩 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
四修 無余修 余とは余分なもの、雑ざり気の心で、余分のものを雑ぜずに、ただ念佛だけをの意 四修 | ||||||||||||||
四修 恭敬修 形で敬うを恭、心で敬うのを敬。 1、有縁の聖人を敬う。2、有縁の知識を敬う。3、有縁の像教を敬う。4、同縁の伴を敬う。6、三宝を敬う。 四修 | ||||||||||||||
四修 恭敬修⇔高慢 無余修⇔雜起 無間修⇔懈怠 長時修⇔退転 | ||||||||||||||
四修 作業(四修、三種行儀) 恭敬修 無余修 無間修 長時修 (敬いて ただ御名ばかり 怠らず 命の限り勤むるが四修) | ||||||||||||||
四修 三宝 @仏ー明るく A法ー正しく B僧ー和やかに 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
四修ともに 大事なれども 無間修が 大事のなかの 大事なりける 無間修 | ||||||||||||||
四生 胎生、卵生、湿生、化生 | ||||||||||||||
至誠心 総安心 厭離穢土 欣求浄土 別安心 三心 至誠心 深心 回向発願心 安心 | ||||||||||||||
至誠心 往生は よにやすけれど 皆人の 誠の心 なくてこそせね 法然上人 至誠心 三心 誠 | ||||||||||||||
至心 本願の三心=一心不乱=「観経」 至心、信楽、欲生我国 | ||||||||||||||
至心に勧請す 三身即一に在ます如来よ 如来の真応身は在さざる処なきが故に今我身体は 如来の霊応を安置すべき宮なりと信ず 諸の聖者の心宮に在しし如く 常に我等が心殿に在らせ給え 今や己が身を献げて至心に如来の霊応を勧請し奉る 霊応常住に我心殿に在まして転法輪を垂れ給え | ||||||||||||||
自身は現に 罪悪生死の凡夫 | ||||||||||||||
舌 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
四大智 (唯識) 仏果をきわめたときに具有する四種の智。すなわち、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智。 | ||||||||||||||
慕はしと 思ふ心や 通ひけん むかしの人ぞ 夢に見えける | ||||||||||||||
四智 (唯識) 仏果をきわめたときに具有する四種の智。すなわち、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智。 | ||||||||||||||
四智 転識得智 識を転じて智を得る 四智 清浄 六根 | ||||||||||||||
四智 六根清浄 1、眼 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】 | ||||||||||||||
四智 六根清浄 1、眼 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】大円鏡智は 第8阿頼耶識が転じて智慧を得る。平等性智は第7まなしき【末那識】が転じて智を得る。妙観察知は第6意が転じて智を得る。成所作智は第1から5までの五感が転じて智を得る。 | ||||||||||||||
上人知恵第一のほまれちまたにみち、多聞広学のきこえ世にあまねし。 | ||||||||||||||
七箇条起請文 煩悩をば心の客人として、念佛を心の主人としつらえば強ちに往生をば障ぬなり(七箇条起請文 8)煩悩=客人、念仏=主人 | ||||||||||||||
七仏通誡偈 諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教 「諸の悪はなすなかれ 諸の善は奉行せよ 自らその心を浄める これを諸仏の教えという」(法句経 138) | ||||||||||||||
実体実義 聖冏 此処を去ること遠からず 実体実義主義 聖冏 無方 無分量 | ||||||||||||||
実体実義 本来無東西 何処有南北 本来東も西もない のに 何処に南北があろうか 実体実義主義 聖冏 無方 無分量 | ||||||||||||||
此土往生 往生ー此土往生ー理想的浄土ー有余涅槃ー精神更生ー不体失往生 | ||||||||||||||
死にたいと いう人の背に 灸の跡 (本当は長生きしたい) | ||||||||||||||
忍ぶ もとよりも 忍ぶの里に 忍れば 忍びてかよへ 弥陀の淨土へ 苦楽 忍 忍ぶ | ||||||||||||||
忍 とは苦しいことを、ねばり強く持ちこたえる意味 大忍 参照 大西 順教 | ||||||||||||||
忍ぶ 世にしたがえば,身,くるし.したがはねば,狂せるに似たり.いずれの所を占めて,いかなるわざをしてか.しばしもこの身を宿し,たまゆらも心を休むべき. 方丈記 | ||||||||||||||
忍ぶ 大忍とは耐えしのんだり、がまんすることとはちがう。苦しいときはくるしいままに、嬉しいときは嬉しいままに身体ごと素直に順応していくことである。悲しいときは子供のように、ごく自然に涙を浮かべ悲しいんでいる。また念願かなって嬉しいときは、子供のように無邪気に嬉しがるこれを大忍という。 寂しいときは寂しいままに独り静かにいる。これが日本文化の「わび」「さび」の精神である。身体で抑えて、首から上に上げない。文句、愚痴を言わないようにしよう。争いの元となる。罪作り。(板橋興宗 曹洞宗) | ||||||||||||||
柴の戸に あけくれかくる 白雲を いつむらさきの 色にみなさん | ||||||||||||||
柴の戸に あけくれかくる 白雲を いつむらさきの 色にみなさん 法然上人 | ||||||||||||||
死は前よりも来たらず、かねてうしろにせまれり。人みな死あることを知りて待つことしかも急ならざるに覚えずして来る。沖の干潟はるかなれども、磯より潮の滿つるがごとし。 吉田兼好 徒然草 死 潮 | ||||||||||||||
慈悲 かつてWTO(世界保健機構)はアフリカのマラリア患者の多い地域で徹底的なマラリア樸滅作戦を展開した。その結果、乳幼児の死亡率が10分の1に低下した。そかし10年あとには、その地域の住民のほとんどが餓死してしまった。マラリア患者がいなくなって、爆発的に人口が増加したためである。WHOは、はたして良いことをしたのか?悪いことをしたのか頭をかかえこんだという。 慈悲 科学 理論 良いこと 悪いこと 知恵 | ||||||||||||||
慈悲 煩悩に眼さえられて 摂取の光明みえざれども 大悲ものうきことなくて 常に我が身を照らすなり 光明 摂取 慈悲 | ||||||||||||||
慈悲 碍えられぬ 光のみ手に 抱きしめて 常に我らを 愛撫し給う 無碍光 光明 護念 愛撫 増上 慈悲 | ||||||||||||||
慈悲 真砂なす 数なき星の そのなかに 我に向かいて 光る星あり | ||||||||||||||
慈悲 「慈」は与楽の心であって、一切衆生を真実に愛念して常にその心を安んじ満足せしめ、自分が大ミオヤさまの大慈悲にいだかれている真実の幸福を、一切衆生にも同じく得させようという愛念をいうのであり、「悲」とは抜苦の心で、一切衆生の苦悩に対して同情にたえず、いかにすればその苦を抜き平和が得られるかと、方便し救済し、その抜苦のために、山をくだき、 ミオヤさまの絶対のみカによらざれば、その苦悩や煩悩は解脱し難いことを方便として教え、大ミオヤさまの大悲を伝えて信心を得せしめようとする同情の心である。 |
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慈悲の二字を別説すれば、慈は与楽、悲は抜苦二つは性質が違うから、四無量においては、慈無量、悲無量と分説されいる。 | ||||||||||||||
渋柿の 甘柿となる 日の恵み 柿 煩悩 | ||||||||||||||
渋柿の 澁そのままの 甘さかな 煩悩即涅槃 | ||||||||||||||
自分 山本有三 路傍の石 「たった一人しかいない自分をたった一度しかない人生をほんとうに生きなかったら、生まれてきた甲斐がないじゃないか」 人生 自分 生死 | ||||||||||||||
自分の右の肩には父を 左の肩には母を背負って百年もの間、歩き回ってとしても報いられないほど、親の恩は広大なものだ | ||||||||||||||
島に恋い 島に老いけり 彼岸花 (泊清寺 ) | ||||||||||||||
四無量心 慈(楽しみを与え) 悲(苦を抜き) 喜(共に喜ぶ) 捨(執着しない) (差別を捨てる) | ||||||||||||||
釈迦 きささぎの 中の五日の 夜半の月 入りにしあとの 闇ぞかなしき 西晋 涅槃 釈迦 | ||||||||||||||
釈迦 伝え聞く 鶴の林の 夜半の声 皆子を思う言葉なりけり 貞極 I林涅槃 釈迦 | ||||||||||||||
釈迦 お釈迦様十大弟子 @智慧第一(ちえ) 舎利弗 A説法第一(ときかた) 富楼那 B神通第一(はたらき) 目犍連 C論義第一(はなしかた) 迦旃延 D頭陀第一(はげみ) 摩訶迦葉 E持律第一(たもちかた) 優波離 F天眼第一(みとおし) 阿那律 G蜜行第一(おさめ) 羅睺羅 H解空第一(しりかた) 須菩提 I多聞第一(ききかた)阿難陀 | ||||||||||||||
釈迦如来隠れまして 二千余年になり給う 正像二時は終わりにき 如来の遺弟 非泣せよ | ||||||||||||||
釈迦は往け 弥陀は 来いよに 中は我 押され引かれて まいる極楽 | ||||||||||||||
釈迦は往け 弥陀は 来いよに 中は我 押され引かれて まいる極楽 二河白道 二尊 | ||||||||||||||
捨此往彼 蓮華化生 (此(土)を捨てて、彼の(土、すなわち浄土に往き、蓮華に化生する)) | ||||||||||||||
借金を 質に置いても 初鰹 求めて食わん 利も食はば食へ | ||||||||||||||
娑婆の苦も 今は苦しと おもほえじ ミオヤにとはに なぐさまる身は |