ああ、痛ましい哉、我等幾千かの仏肉を食い、我等幾千かの仏血を吸い、我等幾千かの仏命を断ち、我等幾千かの仏眼を決り、我等幾千かの仏肩を桂り、我等幾千かの仏皮を着つる」と『大智度論』の中で申され竜樹のみ心に、一歩いな半歩たりとも近づかせていただきたいものであります。 | ||||||||||||||
ああせよと 口で言うより こうせよと してみせるこそ 教えなりけれ | ||||||||||||||
ああ尊 ああああ尊 ああ尊 輝きたまう 大ミオヤ様 | ||||||||||||||
挨拶 矢のたとえ!一番の矢と二番矢 苦の一番矢を受けても二番の苦の矢は念仏を称えている人は受けない! 一番矢楽は二番矢は欲の働きによって苦の始まりになる。 苦楽 挨拶 | ||||||||||||||
挨拶文は感謝、懺悔、回向 | ||||||||||||||
愛の反対は無関心だ マザーテレサ 人権 関心 怨憎会苦は関心がある | ||||||||||||||
愛撫 碍えられぬ 光のみ手に 抱きしめて 常に我らを 愛撫し給う 無碍光 光明 護念 愛撫 増上 | ||||||||||||||
仰いで願文を看れば、涙 双眼に浮かぶ、万劫まれに聞き、今始めて値い奉る、彼の宝刹に詣でんこと、今いくばくの曉夕をや。 | ||||||||||||||
垢 浄と不浄 元々はないけれども自分で造っていく 意の垢でつくる。 火の車 作る大工は おらねども 己がつくりて 己が乗り行く 自我オレガの心が作っていく。 | ||||||||||||||
垢 滝つせの 清きいづみに そそげかし 日々に新たに こころのあかを | ||||||||||||||
垢 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月 (明恵)主客 川端康成 ノーベル賞 月 美 | ||||||||||||||
明るく 三宝 @仏ー明るく A法ー正しく B僧ー和やかに 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
秋 春に百花あり、秋に月あり、夏に涼風あり、冬に雪あり 四季、季節 春夏秋冬 慧海禅師 | ||||||||||||||
秋 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり 道元禅師 四季 季節 春夏秋冬 | ||||||||||||||
秋 あみだぶに そむる心の いろにいでば あきの梢の たぐいならまし 法然上人 秋 染める 梢 | ||||||||||||||
秋風に たなびく雲の たえまより もれいづる月の かげのさやけさ | ||||||||||||||
秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる 人生の春夏秋冬 信仰の芽生え 古今集・秋上・一六九、藤原敏行 秋が来たと目にははっきりとは見えないが、風の音で気づいたことだ。 | ||||||||||||||
秋の野に 咲きたる花を 指 折り かき数ふれば 七草の花 (秋の野に咲いている花を指折り数えてみると、七種類になります) (山上 憶良) | ||||||||||||||
秋萩に おける白露 朝な朝な 玉とこそ見れ おける白露 | ||||||||||||||
悪 我は欲する所の善を行うわたわず 欲せざる所の悪を行う あぁ悩める我なるかな。(パウロ)十夜 善 悪 欲 苦 意思 | ||||||||||||||
悪業 三垢 意は三垢(惑=煩悩・業=悪業・苦=受苦) 垢質 | ||||||||||||||
阿号 伊賀 黒田の上人 伊賀の黒田の上人 俊乗坊重源 東大寺 大仏再建 阿号の始祖 | ||||||||||||||
阿号 黒田の上人 伊賀の黒田の上人 俊乗坊重源 東大寺 大仏再建 阿号の始祖 | ||||||||||||||
朝起きや 身を働かせ 小食に 忠孝ありて 灸をたやさず | ||||||||||||||
朝顔と千利休 千利休の屋敷の庭一面に咲くに朝顔の花は大変美しいという噂が立った。これを耳にした秀吉が「明朝見に行くからそのつもりでいるように」と利休に言いつけた。翌朝秀吉は利休の家を訪れ、露地を歩き始めたが朝顔の花などどこにも咲いていない。あの噂はいいかげんなものだったのかとだんだん不愉快な気分になり、「利休も利休だ。わしが見に行くといったときに、朝顔の花など咲いておりませんと言えばよいものを」と思うと一層腹が立ってきた。しかし、そのまま帰るのも大人げないと思い、躙り口(にじりぐち)を開けふと床を見ると、朝顔が一輪だけ生けてある。それを見た秀吉は、庭一面に咲き誇る朝顔には見られない独特の美しさに感動し、また利休にいっぱい食わされたということがようやく分かった。利休は前日に朝顔を一輪だけ残し全て抜き取り、それを生けてみせたのである。黄金づくりの茶室を得意げに見せびらかしている秀吉に対し、一輪の花が持つ美しさを示した利休の作意であった。 (全体と一点) | ||||||||||||||
朝顔に つるべとられて 貰ひ水 | ||||||||||||||
朝な朝な 飯食ふごとに 忘れじな めぐまぬ民に 恵まるる身は | ||||||||||||||
浅原才一 鈴木大拙集 いいなぁ 世界虚空がみな仏 わしもその中 南無阿彌陀佛 | ||||||||||||||
あさ緑 蕗の臺ひとつ 土もたげ 春 彼岸 味 苦い | ||||||||||||||
あさみどり 澄みわたりたる 大空の 広きをおのが 心ともがな | ||||||||||||||
朝夕の つらきつとめは 御仏の 人になれよの 恵みなれかし | ||||||||||||||
味 あさ緑 蕗の臺ひとつ 土もたげ 春 彼岸 味 苦い | ||||||||||||||
あししとも よしともいかで 云ひ果てん 折々かはる 人のこころを | ||||||||||||||
葦原の 瑞穂の国の 万代も みだれぬ道は 神ぞひらきし | ||||||||||||||
明日ありと 思う心の あだざくら 夜半に嵐の ふかぬるものかは | ||||||||||||||
暑き日も 寒きその夜も 雪の夜も 五劫思唯の ことを思えば 荒巻くめ 五劫思唯 暑い 寒い 雪 | ||||||||||||||
暑き日も 寒きその夜も 雪の夜も 五劫思唯の ことを思えば 荒巻くめ 五劫思唯 暑い 寒い 雪 | ||||||||||||||
あづさ弓 放たぬさきに 岩が根も つらぬく征矢は 心なりけり | ||||||||||||||
集めては 国の光と なりやせむ わが窓てらす 夜半の蛍は | ||||||||||||||
あはれなる 遠山はたの いほり哉 しはのけふりの 立つにつけても | ||||||||||||||
阿鼻地獄 等活、黒縄、衆合、叫喚、大叫喚、焦熱、大焦熱、無間(阿鼻) | ||||||||||||||
天の原 ふりさけ見れば かすがなる 三笠の山に いでしつきかも | ||||||||||||||
天の原 ふりさけ見れば かすがなる 三笠の山に いでしつきかも | ||||||||||||||
阿弥陀 生きてよし 死してまたよし 極楽の 弥陀のみ許に 生まる嬉しさ 生死 阿弥陀 往生 極楽 死 | ||||||||||||||
阿弥陀 光明はくまなくそそぐ 限り無きいのちに生きよ 人間の智慧なたのみそ み恵みは人を択ばず ただ頼め阿弥陀佛とおしえたる いみじさの我等が祖師や A煩悩を絶てとは告らず みだれたる心もゆるし 人間の性のまにまに み佛の国に往き行く この道は誰かひらきしなさけある 慕わしのわれらが祖師や (佐藤春夫 作詞)法然上人頌 煩悩 阿弥陀 光明 祖師 | ||||||||||||||
阿弥陀 子を思う親の心 私を思う仏の心 親子 親・子 阿弥陀 佛 | ||||||||||||||
阿彌陀amita a 計算 mi メジャー ta過去受動分詞 〜せられた。 | ||||||||||||||
阿弥陀一仏 無余修 阿弥陀一仏を信じ、念仏の一行を行ずる。 宗教的貞操を守ること。 阿釈薬観天天八蔵 | ||||||||||||||
阿彌陀樣 念仏者の心本尊は六十万 11万億の奥行の堂 阿彌陀さまを頂く、畏敬 | ||||||||||||||
阿弥陀仏と 十声唱えて まどろまん 永き眠りに なりもこそすれ 法然上人 十念 すいじ十念 就寝 寝る時 | ||||||||||||||
阿弥陀仏と 申すばかりを つとめにて 淨土の荘厳 見るぞうれしき 法然上人 浄土 荘厳 見佛 念仏 三昧 | ||||||||||||||
阿彌陀佛に帰命し、称名念仏によりて、往生淨土のために(所求 本尊、所帰 目的、去行 方法) | ||||||||||||||
あみだぶと いうよりほかは 津の国の 難波のことは あしかりぬべし 法然上人 | ||||||||||||||
阿彌陀佛と いうより外は 津ノ国の なにはの事も あしかりぬべし | ||||||||||||||
阿彌陀仏と 如何なる契り ありけらし 昔の事を 聞かまほしさよ | ||||||||||||||
あみだぶと 心は西に うつ蝉の もぬけはてたる 声ぞ涼しき 法然上人 夏 念仏 蝉 涼しき | ||||||||||||||
阿彌陀仏と 心は西に 空蝉の もぬけは果てたる 声ぞ涼しき | ||||||||||||||
阿彌陀仏と 十聲唱へて まどろまん 長きねぶりに なりもこそすれ 睡時十念 | ||||||||||||||
阿彌陀仏と 称うるごとに すすむ数珠 積もるを見れば なお勇みける 佛定 念珠 | ||||||||||||||
阿彌陀仏と 無為の都に 住む身にも 有為のなみ風 たちさわぐかな | ||||||||||||||
阿彌陀仏と 申すばかりを つとめにて 浄土の荘厳 見るぞうれしき | ||||||||||||||
阿彌陀仏に そむる心の 色にいでば 秋の梢の たぐいならまし (抜苦与楽) | ||||||||||||||
あみだぶに そむる心の いろにいでば あきの梢の たぐいならまし 法然上人 秋 染める 梢 | ||||||||||||||
阿彌陀仏に 助け給えと すがるより ほかに頼りの なき身なりけり | ||||||||||||||
あみだ仏の み名を称えれば あみだ仏の こころとなるを ふと気づきたり (念仏) | ||||||||||||||
雨あられ 雪や氷と へだつれど とくれば同じ 谷川の水 | ||||||||||||||
雨たれに くぼみし軒の 石見ても かたきわざとて おもいすてめや 四障 四機 | ||||||||||||||
あめつちの 神と君との めぐみにて よをやすくふる 徳に報いや | ||||||||||||||
天生の 足こそよこに 月夜蟹 心は清き 水にこそすめ | ||||||||||||||
あやにしき とり重ねても 思ふかな 寒さおほはむ 袖もなき身を | ||||||||||||||
歩み 怠らず 行かば千里の果ても見ん 牛の歩みのよし おそくとも 無間修 四修 | ||||||||||||||
歩みすら あたわぬ子なけど 死出の旅 まもらせたまえ 南無阿彌陀佛 | ||||||||||||||
荒磯の 岩にくだけて 散る月を 一つになして かへる波かな | ||||||||||||||
アラがある ゆえ好きなは お前何せ お前はおらが国 | ||||||||||||||
あら尊と 青葉若葉に 日の光 清浄光 松尾芭蕉 | ||||||||||||||
荒巻くめ 暑き日も 寒きその夜も 雪の夜も 五劫思唯の ことを思えば 荒巻くめ 五劫思唯 暑い 寒い 雪 | ||||||||||||||
あらやしき【阿頼耶識】 (梵Dlaya-vijDnaの訳。蔵識、真識、阿梨耶識、無没識などと訳す)仏語。唯識宗で説く八識の一つ。宇宙の万有を保って失わず、万有が展開する際の基体であり、万有を収蔵している心の主体。 |
||||||||||||||
あら玉の 年もくれなば つくりつる 罪ものこらず なりやしぬらん | ||||||||||||||
ありがたし つめ切った指が 十本ある」 尾崎放哉(おざき ほうさい)は、明治18年生まれの自由律俳句作家です。東大を卒業したエリートでしたが、社会生活になじめず酒で失敗をくりかえし、 信仰の道を求めてさすらいました。大正のはじめに荻原井泉水により創刊された自由律俳句誌『層雲』に参加して見いだされ、俳人として開花しました。大正15年、放浪の果てに住まいした小豆島南郷庵(みなんごあん)で42歳で没する。 | ||||||||||||||
有りがたや かかるめでたき 世に出でて たのしみ暮らす 人ぞ一とく | ||||||||||||||
ありなしと なに名を換て 思ふらん 見れば一つの このみなりけり | ||||||||||||||
あわれなり 我が身のはてや 浅緑 ついには野辺の 露と思えば | ||||||||||||||
行華 昔、ある青年が菩提心を起こして、是非とも仏になりたい。そのためには当時の仏様にお花を供養しなければならない、弟子入りの作法として。そこで、お花を捜すんですが、どこの花屋にも花がないんです。ないはずです。その国の王様が、仏様にお花を供養したら功徳が大きいということを聞いて、国中の花を独占して買い占めていた。だから、どこの花屋にも花がない。はなはだ困った……。そこへ、一人の娘さんが花を持ってきます。「その花を私に分けてください」「分けられません」「どうして」「これは王様に予約済みです。今から持っていって、頂くお金が私の貧しい家の足しになるんです」「いや、私はどんな犠牲を払ってもその花がほしい」「あなた、どうしてそんな無茶なことおっしゃるんですか」「私は今、菩提心を起こし、是非とも仏になりたい。成仏をしたい。だから、仏様にお花を供養したい。出来たら、あなたも私と一緒にお花を供えてくれませんか」その青年の意気に感じた娘さんが、赤い花を青年に渡し、自分は白い花を持って、ふたり揃って仏様にお花を供養した。二人の若者の捧げた花は、永遠にしぼまなかったが、王様の独占したお花は一晩にしてしぼんだ。それがご縁となって、ふたりは結ばれて結婚をします。それが、その世だけの契りではなくして、その次の世もその次の世も、二人は結ばれて夫婦になる。そうして先程申したように、力を合わせ心をひとつにして成仏めざして修養した。最後に青年が、インドの国シッダルタ太子として現れて、最後に釈迦牟尼仏という成仏の位に到達した。そうして、娘がヤソダラ姫となって青年と結婚し、釈迦牟尼仏によって救われて成仏します。そうやって仏教の結婚は、夫婦が成仏めざして互いに助け合い、補い合いながら修養していこうじゃないか、これが仏教の結婚観でございます。と共に、夫婦がひとつになるということは、容易ならぬ過去からの縁があったわけでございますね。「生まれる前から結ばれていたそんな気がする紅の糸」、これ『命くれない』……。そういうわけで、どうぞひとつ、結婚ということは単なる子孫保存だけが目的じゃなく、修養のためだ、成仏のための結婚であるということを忘れないでいただきたいのでございます。 | ||||||||||||||
安心 安とは安置なり、心とは心念なり。念を所求、所帰、去行の三つに置くを安心という。 聖冏(観経伝通記 5) 安置 所求 所帰 去行 安心 | ||||||||||||||
安心 総安心 厭離穢土 欣求浄土 別安心 三心 至誠心 深心 回向発願心 安心 | ||||||||||||||
安心 来迎=往生の増上縁、 三心=往生の安心 往生 増上縁 三心 安心(勅修御伝随聞記19) | ||||||||||||||
安心 来迎の蓮台=舟、来迎の光=智慧 (勅修御伝随聞記24) 蓮台 舟 智慧 光 安心 | ||||||||||||||
安心(智目)・起行(行足) 起行 二重 修行 | ||||||||||||||
安心とは安置 | ||||||||||||||
安心は 知ることかたく 具しやすく 知ること易く 具しがたきかな 無能 安心 | ||||||||||||||
安心は 知ることかたく 具しやすく 知ること易く 具しがたきかな 無能 安心 | ||||||||||||||
安とは安置なり、心とは心念なり。念を所求、所帰、去行の三つに置くを安心という。 聖冏(観経伝通記 4) 安置 所求 所帰 去行 安心 | ||||||||||||||
安忍 強忍と自分の力でしいて忍ぶのではなく、はじめはなかなか忍び難かったことも、大ミオヤさまのみ力によって安んじて忍ばれるようになる。人生は修養の道場と自覚されてくれば、ののしられ、そしられても、皆大ミオヤさまが私の鋼鉄を鍛錬して菩薩の名刀となさしめんがためのご方便と安忍されてくる。菩薩に常の師はない、自分の欠点を指摘し非難を加え、自分の短所をよく見出してそしる人こそ、私を矯正し指導したまう恩師なりと合掌されてくる。 | ||||||||||||||
安楽淨土は菩薩慈悲の正観より生じ、如来神力本願の所建なり | ||||||||||||||
いいなぁ 世界虚空がみな仏 わしもその中 南無阿彌陀佛 浅原才一 鈴木大拙集 | ||||||||||||||
伊賀 黒田の上人 伊賀の黒田の上人 俊乗坊重源 東大寺 大仏再建 阿号の始祖 | ||||||||||||||
いかにして 誠の道に 叶いなん 千歳のうちの 一日なりとも 良寛 理想 | ||||||||||||||
いかにして 我極楽に 生まれなん 弥陀の誓いの なき世なりせば | ||||||||||||||
いかにして佛の道にかないなん 千才のうちの一日なりとも 菩提の種 | ||||||||||||||
怒り にわかに怒りをなすことなかれ、今用いずとも たまたま用いることあり。譬喩 瓢箪のはなし。骨董好きな王様の新婚の家来 新婚の妻の下に夜に男がいる。(怒り)瓢箪のなかの言葉思い出しよく確かめてみると父だった。殺さなくてすんだ 忍辱 怒り 煩悩 | ||||||||||||||
生きてよし 死してまたよし 極楽の 弥陀のみ許に 生まる嬉しさ 生死 阿弥陀 往生 極楽 死 | ||||||||||||||
生き別れ 形見とて はかなき親の 留めてし この別れさえ またいかにせん 法然上人 泰氏 母 別れ 生き別れ 形見 親 | ||||||||||||||
いくたびか 思ひさだめて 変るらん 頼むまじきは 我が心なり | ||||||||||||||
いくよ流転の浪まくら ゆられゆられていつまでか うきさすらいの旅の空 ふるさと恋し親恋し 招くお慈悲にさそわれて かど門の戸たゝく南無の声 答はきけどまだあえぬ あえぬみ親ぞなお恋し 声に心がのせられて かよう十万億の園 凝らす心にうつり香の 身も世もあらぬかんばしさ 微妙荘厳無辺際 ひれ伏し拝む尊さに 不思議心の新天地 澄みし流れの路かわる | ||||||||||||||
畏敬の念 念仏者の心本尊は六十万 12万億の奥行の堂 阿彌陀さまを頂く、畏敬 | ||||||||||||||
池の水 人の心に 似たりけり 濁りすむ事 さだめなければ | ||||||||||||||
池の水 人の心に 似たりけり 濁りすむ事 さだめなければ 法然上人 罪 穢れ 清浄 心 濁り | ||||||||||||||
いけらば 念仏の功をつもり 死なば浄土にまいりなん とてもかくても この身には思い煩う 事ぞなき 法然上人 生死 称名 | ||||||||||||||
活ける天地に合掌し 念をはこぶ心霊界 端厳微妙なつかしき 大悲のミオヤ見そなわす | ||||||||||||||
石 持戒念仏往生の機 世の中は 賽の河原の 石なれや 積んではくずし くずしては積む 世の中 賽の河原 石 積む | ||||||||||||||
意思 我は欲する所の善を行うわたわず 欲せざる所の悪を行う あぁ悩める我なるかな。(パウロ)十夜 善 悪 欲 苦 意思 | ||||||||||||||
意識なき 花の色香も いもとせの むつみてう夜の ひみつならずや | ||||||||||||||
衣食住の三は、念仏の助業なり。これすなわち自身安穏にして念仏往生をとげんがためには、何事も皆、念仏の助業なり (法然上人) | ||||||||||||||
衣食足りて 礼節を知る | ||||||||||||||
急がねば 日がくるる あせると足が地につかぬ 弁栄上人 | ||||||||||||||
いそぎ行く 足に踏まるる 珠の露 こぼれて匂ふ 言の葉ごとに | ||||||||||||||
一隅を照らすものは国の宝なり (伝教 大師) | ||||||||||||||
一年の計は元旦にあり、一日の計は朝にあり | ||||||||||||||
一年三百六十五 にちにち春風ふく家に なろうなそうの 掌を合わす 人の長所に 目をつけて | ||||||||||||||
一白 三羯磨=仏の種の撒き方 これが仏性心田への仏の種を蒔く蒔き方でございます。「一白」と申しますのは、明日、私、戒和尚が「今から授戒をいたします」と音三一一口をする。それを「一自」と申します。次の「三羯磨」というのは、三遍問答を繰り返す、ということでございます。三遍問答を繰り返す。それを「三掲磨」と申すのでございます。 | ||||||||||||||
一より二にでて、 二を含んだ一に立て (山崎 弁栄 上人) | ||||||||||||||
一輪の その一輪の 美しさ 尊厳 人権 千利休 全体と一点 | ||||||||||||||
一蓮托生 露の身は ここかしこにて きえぬとも こころはおなじ 花のうてなぞ(一蓮托生) | ||||||||||||||
一休禅師 闇の夜に 鳴かぬ鴉の 声きけば 生まれぬ先の 父ぞ恋しき (父子相好) 一休和尚 | ||||||||||||||
一口は一代の全挙力なり(甘酒とおしっこ 参照) | ||||||||||||||
一切衆生 悉有仏性 (涅槃経) | ||||||||||||||
一心專念 弥陀名号 行住 坐臥 不問時節久近 念念不捨者 是名正 定 之業 順 彼仏願故 | ||||||||||||||
一心不乱 本願の三心=一心不乱=「観経」 至心、信楽、欲生我国 | ||||||||||||||
一水四見 ここに一つの水がある。この水を眺める者の立場によって、その水の眺め方がちがってくる。魚は水を自分の棲み家と見るのであるが、餓鬼は水が火に見えるのである。人間は水を飲み物と見るが、天人は瑠璃と見るのである。眺める者のちがいによって、眺め方がちがうことを仏教では一水四見という。 手を叩く鹿は寄り来る鳥は飛ぶ下女は茶をくむ猿沢の池 (物の見方、受け取り方) | ||||||||||||||
一点 一輪の その一輪の 美しさ 尊厳 人権 千利休 全体と一点 | ||||||||||||||
いつみても 暇そうなのは ヘソばかり (藤堂 俊 章 台下) | ||||||||||||||
いつもても 暇そうなのは ヘソばかり | ||||||||||||||
いつもニコニコ明るい笑顔 いつもハキハキやさしい言葉 いつもイソイソ働く手足 | ||||||||||||||
いつもより 遅れて行けば 泣きながら 手握る妻よ 童の如し(看病に行って、病の妻は泣いていた。) | ||||||||||||||
稻 山は青々日はうらら 田には漫々慈悲の水 秋はみのらん無量寿を 歌え南無阿弥田植え歌 青い稲葉はその中に 白いお米のみのるため 死ぬる身体はその中に 死なぬ命のそだつため (田中木叉 心田植歌) | ||||||||||||||
命 時は今 ところ足元 そのことに うちこむ命 永久のみいのち 椎尾辨匡 今 人権 命 精進 | ||||||||||||||
言ふべきを 言はざるも又 言はざるを 言ふも道に はかなはざる也 | ||||||||||||||
今 時は今 ところ足元 そのことに うちこむ命 永久のみいのち 椎尾辨匡 今 人権 命 精進 | ||||||||||||||
いまします 仏の姿 よく見れば みな苦しみに 耐えしみ姿 苦 代修 代苦 | ||||||||||||||
今までは 人のことかと 思うたが おのれが死ぬとは こいつはたまらん (死) | ||||||||||||||
岩清水 谷川の 木の葉の下の おぼれ水 流るるもゆく 滴るもゆく (つぶつぶもゆく ざらざらもゆく) 示現 岩清水八幡 林 227 | ||||||||||||||
岩清水八幡 念珠のとり方 1、眞修ー一称一顆 粒粒念佛 2、早くりーざら念佛 谷川の 木の葉の下の おぼれ水 つぶつぶもゆく ざらざらもゆく | ||||||||||||||
岩もあり 木の根もあれど サラサラと ただサラサラと 水の流るる | ||||||||||||||
引接結縁(いんじょうけちえん)の楽 一には聖聚来迎(しょうじゅらいこう)の楽、二には蓮華初開(れんげしょかい)の楽、三には身相神通(しんそうじんずう)の楽、四には五妙境涯(ごみょうきょうがい)の楽、五には快楽無退(けらくむたい)の楽、六には引接結縁(いんじょうけちえん)の楽、七には聖聚倶会(しょうじゅくえ)の楽、八には見佛聞法(けんぶつもんぼう)の楽、九には隨心供仏(ずいしんくぶつ)の楽、十には増進仏道(ぞうしんぶつどう)の楽なり。(往生要集 卷上の第6) | ||||||||||||||
有為をいとい 無為にいるは、真実の 報恩なりといへり | ||||||||||||||
憂きことの なほこの上に つもりかし 限りある身の 力ためさむ | ||||||||||||||
憂きことの 品こそ変われ 世の中に ものは思はで 住む人はなし (苦) | ||||||||||||||
鷽の 声もききつる あしたより 春の心に なりにけるかな 良寛 | ||||||||||||||
牛 怠らず 行かば千里の果ても見ん 牛の歩みのよし おそくとも 無間修 四修 | ||||||||||||||
有始無終 法蔵菩薩の五劫思唯の阿弥陀様は報身の阿弥陀様である。(有始無終) (無始無終、有始有終の現象学による。) | ||||||||||||||
有始無終 法蔵菩薩の五劫思唯の阿弥陀様は報身の阿弥陀様である。(有始無終) (無始無終、有始有終の現象学による。) | ||||||||||||||
嘘聞いて喜んで、本当聞いて腹立てた。 世間 愚者 愚か 真実 | ||||||||||||||
嘘つきや 人事咄し さし出口 高慢ありて 自慢する人 | ||||||||||||||
美しき 葉巻煙草の 色も香も 息ひきとれば 灰とこそなれ (藤堂 俊 章 台下) | ||||||||||||||
打つ人も 打たるる人も もろともに ただひとときの 夢のたわむれ | ||||||||||||||
うづみ火の あたりのどかに 兄弟の まどゐせし夜ぞ 恋しかりけり | ||||||||||||||
器には 随ひながら 岩をもとほすは 水の力なりけり | ||||||||||||||
憂田 憂きことの 品こそ変われ 世の中に ものは思はで 住む人はなし (苦) 有田憂田 | ||||||||||||||
有田憂田 有宅有宅 無量寿経 苦 求不得苦 | ||||||||||||||
生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の始めに暗く、死に、死に、死に、死んで、死の終りに冥し。空華、眼を眩かし、亀毛、情を迷わして実我に謬 著し、酔心、封執(かたくなに執着)す。」(『秘蔵宝輪』冒頭文) | ||||||||||||||
生まれては まづ思いでん ふるさとに 契りし友の 深きまことを | ||||||||||||||
生まれては まづ思いでん ふるさとに 契りし友の 深きまことを 法然上人 故郷 友 往生 | ||||||||||||||
敬いて ただ名ばかり 日日に 命のかぎり 勤むるが四修 四修 | ||||||||||||||
有余涅槃 無余涅槃 | ||||||||||||||
盂蘭盆 盆はな 盆はうれしや 別れた人が はれてこの世に 会いにくる | ||||||||||||||
うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ (良寛) | ||||||||||||||
瓜食めば 子等おもほゆ 栗食めばまして しのはゆいづくより来たりしものぞまなかひにもとな懸りて安眠し寝さぬ | ||||||||||||||
嬉しいから笑うのでなく、笑うから嬉しくなる。悲しいから泣くのでなく、泣くから悲しくなる。 | ||||||||||||||
慧海禅師 春に百花あり、秋に月あり、夏に涼風あり、冬に雪あり 四季、季節 春夏秋冬 | ||||||||||||||
慧可禅師は肘を切る。二祖の慧可大師が嵩山に達磨大師尋ねた時、慧可は大師に入門を請うもなかなか許しが得られず、「許しが戴けるまでここを動かじ。」と堂の前に座り込むと、折から雪の季節と見えて雪は慧可の膝を没し、腹を没し、胸にまで達すると、さしもの慧可も「達磨さん、何とか弟子にして下さい。このままだと死んでしまいます」と言う。「死ぬとはどうなるのか」「死ぬとは命がなくなるのです」「ならば、その命をここに持って来い」ここで万策尽きた慧可が剣を抜いて片肘をたたき落とす。血は吹き出しても命の出て来ようはずはありません。その様を見て達磨は「命は見つかったか」と言う。慧可は「見つかりません」と答えながら打ち落とした片肘を達磨の前に差し出したという。 (制戒 惠可禅師は臂を剪って伝法の表し の文言の説明) | ||||||||||||||
回向 先立ちし 人よかれとの追善は 我が身よかれの 祈りなりけり 回向 追善 | ||||||||||||||
回向発願心 総安心 厭離穢土 欣求浄土 別安心 三心 至誠心 深心 回向発願心 安心 | ||||||||||||||
会者定離は、常の習い、今始めたるに非ず。何ぞ深く嘆かんや。宿縁虚しからずば、同一蓮に座せん、浄土の再会甚だ近きに有り。今の別れは暫くの悲しみ、春の夜の夢の如し。誹謗共に縁として、先に生まれて、後を導かん、引接縁は、これ浄土の楽しみなり。それ現生すら、猶もて疎からず、同名号を唱え、同一光明の中にありて、同聖衆の御念をこうぶる、同法尤も親し。愚かに疎しと思し召すべからず。南無阿弥陀仏と唱え給えば、住所は隔つと雖も、源空に親しいとす。源空も、南無阿弥陀仏と唱え、奉るが故なり。念仏を縡(こと)とせざる人は、肩を並べ、膝を組むと雖も、源空に疎かるべし。三業に皆異なるが故なり。黒谷源空上人伝 『十六門記』13 | ||||||||||||||
縁 寺じゃてるてる 道では曇る うちに帰れば 雨が降る 縁、在阿、在心 在縁 在決定 | ||||||||||||||
縁 寺は照る照る 帰りは曇る 家に帰れば 雨が降る 縁、在阿、在心 在縁 在決定 | ||||||||||||||
縁 柳生家の家訓 「小才は縁に出会って縁に気づかず 中才は縁に気づいて縁を生かさず 大才は袖すり合った縁をも生かす」縁怨憎会苦 不可思議 「袖すりあうも他生の縁」 | ||||||||||||||
閻魔 念仏は閻魔の鏡 閻魔 鏡 わが心 鏡にうつる ものならば さぞや姿の 醜かるらん (心の気持ちの表れ、気表⇒けほ⇒かほ⇒顔) | ||||||||||||||
厭離穢土 欣求浄土 総安心 別安心 三心 至誠心 深心 回向発願心 安心 | ||||||||||||||
老い 枯れはてて しかも花咲く 梅が枝に 声もたてず 鶯のなく | ||||||||||||||
老い 身 年 一 百 歳、 長 愁 八十 児 (100歳の老親が81歳の児を心配していることで、老婆親切である。その上に往生を願い、念仏者になった) | ||||||||||||||
おいあくま 怒るな、威張るな、焦るな、腐るな、負けるな | ||||||||||||||
往生 来迎=往生の増上縁、 三心=往生の安心 往生 増上縁 三心 安心(勅修御伝随聞記19) | ||||||||||||||
往生 生きてよし 死してまたよし 極楽の 弥陀のみ許に 生まる嬉しさ 生死 阿弥陀 往生 極楽 死 | ||||||||||||||
往生 生まれては まづ思いでん ふるさとに 契りし友の 深きまことを 法然上人 故郷 友 往生 | ||||||||||||||
往生 極楽へ つとめて早く いで立たば 身のをわりには 参りつきなん 法然上人 往生 | ||||||||||||||
往生 頼みなば ただひしひしと 頼むべし 生き賢きは 道に遠きぞ 愚鈍 念仏 往生の機 | ||||||||||||||
往生 ちとせふる 小松のもとを すみかにて 無量寿仏の 迎えをぞまつ 法然上人 来迎 正念 往生 | ||||||||||||||
往生 露の身は 此処彼処にて 消えぬとも 心は同じ 華の台ぞ 法然上人 流罪 露 華 淨土 往生 倶会一処 | ||||||||||||||
往生ー彼土往生ー理想的浄土ー有余涅槃ー精神更生ー不体失往生 | ||||||||||||||
往生ー此土往生ー理想的浄土ー有余涅槃ー精神更生ー不体失往生 | ||||||||||||||
往生ー此土往生ー理想的浄土ー有余涅槃ー精神更生ー不体失往生 | ||||||||||||||
往生すること@と往生がやって来るA。雪下に 春の声あり コトコトと 見えぬ小川の 流れ音聞く (北海道・釧路)現象学 地下に春がやって来る。春がやって来た。(往生することと往生がやって来る。 | ||||||||||||||
往生するは 無心の世界に 一たん飛び込むことだ。 | ||||||||||||||
往生は よにやすけれど 皆人の 誠の心 なくてこそせね (至誠心、眞の心) | ||||||||||||||
往生は よにやすけれど 皆人の 誠の心 なくてこそせね 法然上人 至誠心 三心 誠 | ||||||||||||||
往生要集に別相観、総相観、雑略観が説かれている。別相観とはまず阿彌陀佛の座し給える華座を觀念し、次にその華座の上に座し給える相好炳 然の如来を、頂上 肉髻より始め足下の千腹輪相に至るまでいちいちに思いを凝らして観ずるを順観といい、これに反して千腹輪相より頂上の肉髻相までを観ずるを逆観という。このように順逆十六遍反復して心相を極めて明了ならしむるを別相観という。総相観とは、これは始めは華座観をなし、次に佛眼は四大海水の如し、身長は六十万億恒河沙由旬と、いちいちの相好でなくみ仏の御身総体について心相を凝らすのである。次に雑略観とは白毫相とか光明相とかを観じて、自分が極楽に往生して極楽の荘厳を思想に住するのが雑略観である。これらの念仏にあらずして、ただ心をいたして専ら阿彌陀佛のみ名を称念するのであるから、称我名号というのである。この念称是一の釈から称名念仏が蔚然としておこるのです。自解仏願の妙釈と仰ぐのです。 | ||||||||||||||
大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天橋立 | ||||||||||||||
大空に 聳えて見ゆる 高嶺にも 登れば登る 道はありけり | ||||||||||||||
大空を 照り行く月し 清ければ くもかくせども 光り消なくに | ||||||||||||||
大ミオヤの 慈悲のみむねを 知れかしと 教えてかえる子は 知識なり | ||||||||||||||
大水の さきに流るる 橡殻も 身を捨ててこそ 浮かぶせもあれ | ||||||||||||||
おかあさん おかあさん おかあさんたら おかあさんなんにも ごようはないけれど なんだかよびたい おかあさん 親縁 | ||||||||||||||
拝む 恭敬修 | ||||||||||||||
起きて見つ ねて見つ蚊帳の 広さかな | ||||||||||||||
沖遠くも れ出づる月の さやけさに ろかいもとらじ 波のまにまに | ||||||||||||||
沖遠し 見るも波立つ 我心 しばしな吹きそ 秋の山風 | ||||||||||||||
憶念や 觀念解義に あらずして 称我名号 これぞ念仏 | ||||||||||||||
奥山に むすばずとも 柴の庵 心がらにて 世をいとふべし | ||||||||||||||
奥山の おどろが下も 踏み分けて 道ある世ぞと 人に知らせん | ||||||||||||||
怠らず 行かば千里の果ても見ん 牛の歩みのよし おそくとも 無間修 四修 | ||||||||||||||
お釈迦様十大弟子 @智慧第一(ちえ) 舎利弗 A説法第一(ときかた) 富楼那 B神通第一(はたらき) 目犍連 C論義第一(はなしかた) 迦旃延 D頭陀第一(はげみ) 摩訶迦葉 E持律第一(たもちかた) 優波離 F天眼第一(みとおし) 阿那律 G蜜行第一(おさめ) 羅睺羅 H解空第一(しりかた) 須菩提 I多聞第一(ききかた)阿難陀 | ||||||||||||||
汚染 塵境 心情を汚染するから塵境 五塵 | ||||||||||||||
汚染 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
恐るべし カッと怒りの 胸の火が 我と我が身を 焼き尽くすなり 嗔恚は功徳の林を焼く | ||||||||||||||
恐るべし 嗔恚は功徳の林を焼く 「恐るべし カッと怒りの 胸の火が 我と我が身を 焼き尽くすなり」腹立ち、三毒、煩悩、 | ||||||||||||||
織田· なかぬなら殺してしまへ時鳥
織田右府(織田信長) · 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉) · なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康) · 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火 |
||||||||||||||
穏やかな ことば使えば おだやかな こころとなるに ふと気づきたり (称名) | ||||||||||||||
おっしこと甘酒 (逃げれない苦)人生には、いくら避けようと思っても避けることができない出来事というものがあります。「今良寛」と呼ばれてきた鎌倉の建長寺の名僧 菅原時保老師が小僧の時分に体験したのもでした。 ある時、お檀家の七日に代理に行きました。お経を唱えていますと、来客があって奥さんが出ていきました。脇では赤ん坊がしゃもじを持って遊んでいました。やがて、赤ん坊はおしっこをもらしそのしゃもじでおしっこをいじり始めました。そして、しゃもじをおひつの中に入れてしまったのです。 時保さんは止めようにもお経の途中でどうにもなりません。足を伸ばして子どもを制しようとしているところへ奥さんが戻ってきました。「時保さん、ありがとう。御礼にご飯を用意しましたのでたくさん食べてくださいね〜」 さっきの光景を見ていた時保さんはあわてて腹を押えて、「今日はおなかをこわしているので」と言って逃げて帰りました。また七日のお参りに行きました。こんどは赤ん坊はぐっすり寝ていましたのでホットしました。その日は丁度寒い日でしたので、甘酒を出してくれました。大好物だったので、時保さんは何杯もお代わりをしました。そして、御礼を言って帰ろうとした時、奥さんが「この甘酒は、この前召し上がらなかったご飯でつくったんですよ!」と一言。時保さんは シマッタ!と思いましたがあとの祭りです。 「一口は一代の全挙力なり」と悟った。避けては通れない。 | ||||||||||||||
おなじ御親のはらからとひとついのちを分けあいてとわのたびじに手をつなぐきつても切れぬこのゑにし悪いが悪いところにも無理もない点きつとあるあいての身にもなってみて大きくいきるおもいやり一年三百六十五にちにち春風ふく家になろうなそうの掌を合わす人の長所に目をつけて | ||||||||||||||
鬼や蛇を かくまい置いて 何にする アミダ仏ぶつ 云うて責出せ (地獄の対処) | ||||||||||||||
おのおのが初蒔きつけの麦畑の穂の出悦ぶ子らもあるかな | ||||||||||||||
おのが身を かへりみずして 人のため つくすや人の つとめなるらむ (俸氏) | ||||||||||||||
おぼつかな 誰かいいけん 小松とは 雪をささふる 高松の枝 | ||||||||||||||
おぼつかな 誰かいいけん 小松とは 雪をささふる 高松の枝 法然上人 冬 雪 高松 | ||||||||||||||
面影の 静かに浮かぶ 寒さかな (西 厚子) | ||||||||||||||
重荷曳く 車の音ぞ きこえける 照る日の暑さ 堪えがたき日に (苦) | ||||||||||||||
思ふこと うちつけに いふ幼子の 言葉はやがて 歌にぞありける | ||||||||||||||
思ふこと 繕ふことも まだ知らぬ をさな心の うつくしきかな (子) | ||||||||||||||
親 恋いしきと 思う心は われならで 親の心の かよい来るなり | ||||||||||||||
親 孝は 百行の本 | ||||||||||||||
親 里帰り 子どものまえで 子にかえる 親 子 | ||||||||||||||
親 父母の 恵みをあだに おもうなよ 弥陀たのむ身を 育て給えば 親、恩 | ||||||||||||||
親 ながながと お世話になりし 菊の花 恩 親 | ||||||||||||||
親 形見とて はかなき親の とどめてし この別れさえ いかにせん 法然上人15歳比叡山 秦氏 母親子 | ||||||||||||||
親 孝とは辞典 1、善く親につかえる行為 2、善く祖先につかえる行為 4、親を大事にすること 親 恩 | ||||||||||||||
親 孝の字形は子が老人を負うている形の文字であります。 老人とは我が親である。 親 恩 | ||||||||||||||
親 子を思う親の心 私を思う仏の心 親子 親・子 阿弥陀 佛 | ||||||||||||||
親 善知識は これ汝の父母なり。 汝らの菩提心を養育し給えばなり。 法句経 親 菩提心 | ||||||||||||||
親 父母が 頭かきなぜ 幸あれと 言いし言葉ぞ 忘れかねつる 親 恩 | ||||||||||||||
親 憐愍の恩 親はおのれ死して後にも、子の身を護ることを願う | ||||||||||||||
親 形見とて はかなき親の 留めてし この別れさえ またいかにせん 法然上人 泰氏 母 別れ 生き別れ 形見 親 | ||||||||||||||
親 身年 壱百 歳 、 長 愁 八十 児。 100歳の老親が80歳の児っを心配している。 老婆親切 | ||||||||||||||
親 はえば立て 立てば歩めと 急ぐなり わが身に積もる 老を忘れて 親、恩 | ||||||||||||||
親思う 思いも親の 思わする 思いと知りて 親思うかな (親子) | ||||||||||||||
親思え 生の先より 死の後も 子のために泣く 親を思えよ (親子) | ||||||||||||||
親子 子を思う親の心 私を思う仏の心 親子 親・子 阿弥陀 佛 | ||||||||||||||
親子 身 年 一 百 歳、 長 愁 八十 児 (100歳の老親が81歳の児を心配していることで、老婆親切である。その上に往生を願い、念仏者になった) | ||||||||||||||
親子 はえば立て 立てば歩めの 親心 わが身に積もる 老いを忘れて 育て 守り 親子 老 四苦 | ||||||||||||||
親子 おかあさん おかあさん おかあさんたら おかあさんなんにも ごようはないけれど なんだかよびたい おかあさん | ||||||||||||||
親子関係 恭敬修 恭は体で敬う。 敬は心で敬う。 心で舌を出し、身体で敬う。日常他人に対する。 心で敬い身体では敬ない 親子関係。 仏に対しては心と身体で敬う。何もいわないから! | ||||||||||||||
親の恩 1、わが身が人となりし恩 2、念佛者にならせていただいた恩 | ||||||||||||||
親も子も 親しみかはし 家の内の 賑へるこそ 楽しかりけれ | ||||||||||||||
折り得ても 心ゆるすな 山ざくら さそふ嵐の ありもこそすれ (惑い) | ||||||||||||||
オレガ 浄と不浄 元々はないけれども自分で造っていく 意の垢でつくる。 火の車 作る大工は おらねども 己がつくりて 己が乗り行く 自我オレガの心が作っていく。 | ||||||||||||||
愚か 嘘聞いて喜んで、本当聞いて腹立てた。 世間 愚者 愚か 真実 | ||||||||||||||
愚か 盗みせず 人を殺さずを よきことに われ罪なしと 思うおろかさ 徳本上人 | ||||||||||||||
恩 ながながと お世話になりし 菊の花 恩 親 | ||||||||||||||
恩 親の恩 1、わが身が人となりし恩 3、念佛者にならせていただいた恩 | ||||||||||||||
恩 孝とは辞典 1、善く親につかえる行為 2、善く祖先につかえる行為 5、親を大事にすること 親 恩 | ||||||||||||||
恩 孝の字形は子が老人を負うている形の文字であります。 老人とは我が親である。 親 恩 | ||||||||||||||
恩 父母が 頭かきなぜ 幸あれと 言いし言葉ぞ 忘れかねつる 親 恩 | ||||||||||||||
恩 父母の 恵みをあだに おもうなよ 弥陀たのむ身を 育て給えば 親、恩 | ||||||||||||||
恩 はえば立て 立てば歩めと 急ぐなり わが身に積もる 老を忘れて 親、恩 | ||||||||||||||
怨親 平等・・・怨みの人も、親しい人も、皆同じ様に接する (仏の相好) | ||||||||||||||
怨憎会苦 愛の反対は無関心だ マザーテレサ 人権 関心 怨憎会苦は関心がある | ||||||||||||||
怨憎会苦 憎むとも 憎み返すな 憎まれて 憎み憎まれ 果てしなければ (怨憎会苦) | ||||||||||||||
怨憎会苦 柳生家の家訓 「小才は縁に出会って縁に気づかず 中才は縁に気づいて縁を生かさず 大才は袖すり合った縁をも生かす」縁怨憎会苦 不可思議 「袖すりあうも他生の縁」 | ||||||||||||||
戒 盗みせず 人を殺さずを よきことに われ罪なしと 思うおろかさ 徳本上人 | ||||||||||||||
戒定慧 離れし念仏 称えなば 不思議や 遊ぶ三学の園 | ||||||||||||||
戒定香 前念後念=念念 「念念梵燒戒定香」(香偈)(法事讃) | ||||||||||||||
戒体とは、妙色荘厳にして、十五夜の秋の月の如く、十方世界に周偏す。唯、仏と菩薩のみこれを見たまふ。声聞 縁覚は、徳、少なくしてこれを見ることあたわず。この戒法は三羯磨の後、一刹那の剋に受者の身内に来入す。これを戒体と号す。信有れば来たる。信無ければ来たらず。 | ||||||||||||||
戒体不起而已 起即性 無作仮色 (戒体は起こさずんばやみなん 起こさば すなわち性なる無作の仮色) (天台 智) | ||||||||||||||
戒においては破戒無慚、定においては散乱粗動、慧においては鈍根無智 | ||||||||||||||
帰る旅) 帰れる旅は楽しいのである。旅のさびしさを楽しめるのも、わが家にいつか戻れるからであるこの旅は、自然に帰る旅である。 | ||||||||||||||
科学 かつてWTO(世界保健機構)はアフリカのマラリア患者の多い地域で徹底的なマラリア樸滅作戦を展開した。その結果、乳幼児の死亡率が10分の1に低下した。そかし10年あとには、その地域の住民のほとんどが餓死してしまった。マラリア患者がいなくなって、爆発的に人口が増加したためである。WHOは、はたして良いことをしたのか?悪いことをしたのか頭をかかえこんだという。 慈悲 科学 理論 良いこと 悪いこと 知恵 | ||||||||||||||
鏡 念仏は閻魔の鏡 閻魔 鏡 わが心 鏡にうつる ものならば さぞや姿の 醜かるらん (心の気持ちの表れ、気表⇒けほ⇒かほ⇒顔) | ||||||||||||||
鏡 後の世の 人の鏡に のこしおく 南無阿彌陀佛 知識をぞ見よ 徳本行者 鏡 無明と明 | ||||||||||||||
鏡にうつるわが姿 ツンと向かえば向こうもツンと 笑うて向かえば笑うて返す にらみつくればにらんで返す ほんにこの世は鏡の影よ 泣くも笑うも我次第 | ||||||||||||||
鏡見て かげはづかしく 思ふなら はやく心を あらためよ人 | ||||||||||||||
かかる時さこそ生命の惜しからめかねて無き身と思ひ知らずば | ||||||||||||||
柿 渋柿の 甘柿となる 日の恵み 柿 煩悩 | ||||||||||||||
柿とろと 頭の上を ながめたら きれいなお月さま 笑っておる お月様(仏様)が見ているからやめよう(藤堂 俊 章 台下) | ||||||||||||||
覚 悟る 動詞と名詞の受け取り方がある。 動詞で受け取るならば、「目覚め」「覚醒」「無辺の悟り」 覚 気づき | ||||||||||||||
かくすればかくなるものと知りながら止むに止まれぬ大和魂 | ||||||||||||||
覚醒 悟る 動詞と名詞の受け取り方がある。 動詞で受け取るならば、「目覚め」「覚醒」「無辺の悟り」 覚 気づき | ||||||||||||||
I林涅槃 伝え聞く 鶴の林の 夜半の声 皆子を思う言葉なりけり 貞極 I林涅槃 釈迦 | ||||||||||||||
家訓 柳生家の家訓 「小才は縁に出会って縁に気づかず 中才は縁に気づいて縁を生かさず 大才は袖すり合った縁をも生かす」縁怨憎会苦 不可思議 「袖すりあうも他生の縁」 | ||||||||||||||
影は光によって生じる。真夜中、一暗闇ですと影がございません。朝、お天道さまが出ていらっしゃると、それにふさわしい影が出てきます。それと同じように、念仏を申さない間は、如来さまのお光明をいただかない間は、自分の罪悪の影に気付かないのであります。ですから、最初は、我々も煩悩の我であるということを信じて、お念仏申しているうちに、お光明がいただけてまいりますと、自分の罪悪に気付かせていただく、初め信じておったものがわかってくるのです。その自分の罪悪に気が付くから、阿弥陀さまにおすがりする気持ちが強くなって、真剣な念仏が出る。 | ||||||||||||||
賢いと愚かは一如である ( 光と影、善と悪 極楽と地獄 ) (聖徳 太子) | ||||||||||||||
我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 従身語意之所生 一切我今皆懺悔(われ昔より造れる所の諸悪業は、皆無始の貪瞋痴による。身語意より生ずる所なり。一切われ今、皆懺悔す。) | ||||||||||||||
迦葉 拈華微笑 釈迦が説法せずに、金蓮を拈じた。大衆はその意味がわからずにいたが、迦葉だけが微笑したこと | ||||||||||||||
かずならぬ我が身は花に吹く嵐すむ夜の月にかかる浮き雲 | ||||||||||||||
かぞふれば我身につもる年月をおくりむかふと何いそぐらん | ||||||||||||||
形見とて 何かのこさむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみぢ葉 | ||||||||||||||
形見とて はかなき親の とどめてし この別れさえ いかにせん 法然上人15歳比叡山 秦氏 母親子 | ||||||||||||||
形見とて はかなき親の 留めてし この別れさえ またいかにせん 法然上人 泰氏 母 別れ 生き別れ 形見 親 | ||||||||||||||
かたみとて はななき親の とどめてし この別れさえ 又いかにせん 法然上人 母上 | ||||||||||||||
かたらじと 思ふこころも さやかなる 月にはゑこそ かくさざりけれ | ||||||||||||||
かつてWTO(世界保健機構)はアフリカのマラリア患者の多い地域で徹底的なマラリア樸滅作戦を展開した。その結果、乳幼児の死亡率が10分の1に低下した。そかし10年あとには、その地域の住民のほとんどが餓死してしまった。マラリア患者がいなくなって、爆発的に人口が増加したためである。WHOは、はたして良いことをしたのか?悪いことをしたのか頭をかかえこんだという。 慈悲 科学 理論 良いこと 悪いこと 知恵 | ||||||||||||||
かつてWTO(世界保健機構)はアフリカのマラリア患者の多い地域で徹底的なマラリア樸滅作戦を展開した。その結果、乳幼児の死亡率が10分の1に低下した。そかし10年あとには、その地域の住民のほとんどが餓死してしまった。マラリア患者がいなくなって、爆発的に人口が増加したためである。WHOは、はたして良いことをしたのか?悪いことをしたのか頭をかかえこんだという。 慈悲 科学 理論 良いこと 悪いこと 知恵 | ||||||||||||||
かつてWTO(世界保健機構)はアフリカのマラリア患者の多い地域で徹底的なマラリア樸滅作戦を展開した。その結果、乳幼児の死亡率が10分の1に低下した。そかし10年あとには、その地域の住民のほとんどが餓死してしまった。マラリア患者がいなくなって、爆発的に人口が増加したためである。WHOは、はたして良いことをしたのか?悪いことをしたのか頭をかかえこんだという。 慈悲 科学 理論 良いこと 悪いこと 知恵 | ||||||||||||||
かつてWTO(世界保健機構)はアフリカのマラリア患者の多い地域で徹底的なマラリア樸滅作戦を展開した。その結果、乳幼児の死亡率が10分の1に低下した。そかし10年あとには、その地域の住民のほとんどが餓死してしまった。マラリア患者がいなくなって、爆発的に人口が増加したためである。WHOは、はたして良いことをしたのか?悪いことをしたのか頭をかかえこんだという。 慈悲 科学 理論 良いこと 悪いこと 知恵 | ||||||||||||||
かつてWTO(世界保健機構)はアフリカのマラリア患者の多い地域で徹底的なマラリア樸滅作戦を展開した。その結果、乳幼児の死亡率が10分の1に低下した。そかし10年あとには、その地域の住民のほとんどが餓死してしまった。マラリア患者がいなくなって、爆発的に人口が増加したためである。WHOは、はたして良いことをしたのか?悪いことをしたのか頭をかかえこんだという。 慈悲 科学 理論 良いこと 悪いこと 知恵 | ||||||||||||||
勝つ者怨みを招かん 他に敗れたる者苦しみて臥す されど勝敗の二つを棄てて 心 寂静なる人は 起居共に幸いなり | ||||||||||||||
門松や 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし | ||||||||||||||
悲しい海、悲しい空、今日も真っ青に澄んだでいます。あなた方の悲しい死によって、あなた方の悲しい死を通じて、私たちは今漸くにして一つの考えを持つことができるようになりました。もう、自分一人の幸福を求める時代は終った。他の人が幸福でなくて、どうして自分が幸福になれるだろう。もう、自分の国だけの平和を求める時代は終った。他の国が平和でなくて、どうして自分の国が平和であり得よう」 | ||||||||||||||
かなしきかな、かなしきかな、いかがせんいかがせん。ここに我等如きは、すでに戒定慧の三学の器ものにあらず。この三学のほかに我心に相応する法門ありや、我が身に堪えたる修行やあるやと、よろずの知者にもとめ、諸の智者にもとめ、諸の学者に、とぶらいしに、をしふるに人もなく、しめすに輩もなし。然る間なげきなげき、経蔵に入り、かなしみかなしみ、聖教にむかひて、手づからみづから、ひらき見しに、善導和尚の観経の疏の、「一心に専ら弥陀の名号を念じ、行住坐臥に時節の久近を問わず念念に捨てざる者 是を正定の業と名づく 彼の仏の願に順づるが故に」という文を見得てのち、我等がごとくの、無智の身は、偏にこの文を仰ぎ、もはらものことはりをたのみて、念念不捨の称名を修して、決定往生の業因に備ふべし。 | ||||||||||||||
悲しみ ゲーテ 涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の味はわからない ゲーテ | ||||||||||||||
かへらじとかねて思へば梓弓なき数入る名をぞとどむる | ||||||||||||||
神様はどこまでも包んでいます。(包含 compli catio) その神様は私たちに中から展開する。(展開 expl catoi) 参照 如来蔵思想、内在と超越 万有在神論 包含と展開 | ||||||||||||||
神はよし祖とあらずも我や子の子たらん道を尽さであらめや | ||||||||||||||
亀 めしいたる 亀の浮き木に あうなれや たまたま得たる 法の端舟 高弁 本願に遇う 亀 | ||||||||||||||
鴨 | ||||||||||||||
から衣 たちぬふ人は あらなくに 秋の夜さむと なりまさりつつ | ||||||||||||||
かりそめの いろにゆかりの こいにだに あふには身をも をしみやはする 法然上人 恋 | ||||||||||||||
仮初めの 色の縁の 恋にだに 逢ふには身をも 惜しみやはする | ||||||||||||||
かりそめの 色のゆかりの 恋にだに あふには身をも おしみやはする | ||||||||||||||
枯れはてて しかも花咲く 梅が枝に 声もたてず 鶯のなく 老い | ||||||||||||||
河波 雪下に 春の声あり ことことと 見えぬ小川の 流れ音聞く 清浄光、 河波 | ||||||||||||||
川端康成 あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月 (明恵)主客 川端康成 ノーベル賞 月 美 | ||||||||||||||
かわやにて 申す念仏に とがあらば 召しこめよかし 弥陀の浄土へ 法然上人 便所 不浄 清浄 行住坐臥 | ||||||||||||||
願海 同体 別体の三宝 の願海をおどろかし申してもうさく。 授手印 二祖 鎮西聖光 | ||||||||||||||
歓喜 お百姓さんが秋のゆたかなお米の稔りを収めたいという欲望から、あの炎暑の中に汗を流して働けることを、少しも苦としておられないように、私たちも心霊を完成させたいという欲望から出る業務であれば、どんな仕事にも喜んで、これに従事してゆくことができる。現在の不幸の中にも将来の幸福を認め、病気の中にも健康を味わい、困苦の中にも矯正と規律を見出し、悲憂の中にも勇気を鼓舞し、常に満足を知り不平の念をおこさず、愉快の中にかこまれて失意落胆の情にうち勝ち、喜んで重荷をにない、眼にうつるもの一として歓喜ならざるものなしである。 | ||||||||||||||
歓喜光 それ衆生ありて、この光に遇うものは三垢消滅し(清浄光)、身意柔軟に(智慧光)、歓喜踊躍して(歓喜光)、善心生ぜん(不斷光) 礼拝儀 無量寿経 | ||||||||||||||
観経 本願の三心=一心不乱=「観経」 至心、信楽、欲生我国 | ||||||||||||||
観経月かげの 至らぬ里は なけれども ながむる人の こころにぞすむ 住む 澄む 済む 光明遍照 観経 第九 | ||||||||||||||
感謝 目がさめて 今日もうれしや わがからだ | ||||||||||||||
勧請の祈願の指導 如来の分身たる霊応身を我が身心に請じて常住の指導を祈る。一、この身は如来の霊応を安置し奉る聖なる宮と信ずべきこと。二、霊応の常住を請うこと。三、聖意の指導を仰ぐこと。 | ||||||||||||||
関心 愛の反対は無関心だ マザーテレサ 人権 関心 怨憎会苦は関心がある | ||||||||||||||
ガンディーに質問した「あなたは、非暴力(アサンサー)でインド独立を勝ちとりましたが、今、あなたに向けて原子爆弾を搭載した爆撃機があなたの頭上に飛来してきたら、どうされますか?」するとガンディーさんはその記者に微笑みながら、こう答えたといいます。「私は私に向かって原爆をつんだ飛行機が飛んできたら、その飛行機に手をふって笑顔で敵意のないことをしめすだろう」 | ||||||||||||||
完徳=perfect | ||||||||||||||
寒に耐え梅花 うららかなり 彼岸 | ||||||||||||||
堪忍と聞けば易きに似たれども己に勝つの替へ名なるべし | ||||||||||||||
感応 道交 | ||||||||||||||
観音 頂戴 冠 中 住 (中夜礼讃) 念仏者の基本 頭上の化仏 善導 | ||||||||||||||
観音頂戴冠中住 (観音は頂戴して冠中に住す)種種妙相宝荘厳 (種々の妙相の宝をもって荘厳す)能伏外道魔僑慢 (掛く外道と魔との廓僻ビを伏す)故我頂礼弥陀尊 (故に我れ弥陀尊を頂礼したてまつる) | ||||||||||||||
看病 三宝 @仏ー名医 A法ー名薬 B僧ー看病 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
寒紅は 無常の風に誘われて莟(つぼ)みし花の 今ぞ散り行く | ||||||||||||||
帰 桃の夭夭たる、その葉蓁蓁たり、之子干に帰ぐ、かの家人宣し 大学 桃 帰 結婚 | ||||||||||||||
帰 1、身命を仏に帰趣するの意 2、仏の教命に帰順するの意 3、命根を一心の本元に還帰するの意 | ||||||||||||||
機 法と機と 合うか合わぬかを 調べての 後に行う 道を定めよ 機法一体 機 法 | ||||||||||||||
機 頼みなば ただひしひしと 頼むべし 生き賢きは 道に遠きぞ 愚鈍 念仏 往生の機 | ||||||||||||||
黄色 春は黄色い花が多い 花 黄色 | ||||||||||||||
利きもあれば鈍きもありて取りはけるつるぎに似たるひとごころかな | ||||||||||||||
起行 安心(智目)・起行(行足) 起行 二重 修行 | ||||||||||||||
聞く時は げになるほどと 思いつつ 下駄はくときは とうに忘るる | ||||||||||||||
綺語 今日ほめて 明日わるく 云ふ人の 泣くも笑うも うその世の中 | ||||||||||||||
きささぎの 中の五日の 夜半の月 入りにしあとの 闇ぞかなしき 西晋 涅槃 釈迦 | ||||||||||||||
機信 不断煩悩(機信)即涅槃(法信) 曇鸞(善道) | ||||||||||||||
疑心 念仏は アクビの後の 口なおし 信心 疑心 信心が有るような無いような | ||||||||||||||
機信 富士の白雪や朝日に解ける 胸の氷は思案じゃとけぬ 機信 信機 | ||||||||||||||
鬼神も 泣かするものは 世の中の 人の心の 誠なりけり | ||||||||||||||
季節 春に百花あり、秋に月あり、夏に涼風あり、冬に雪あり 四季、季節 春夏秋冬 慧海禅師 | ||||||||||||||
季節 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり 道元禅師 四季 季節 春夏秋冬 | ||||||||||||||
気付き 悟る 動詞と名詞の受け取り方がある。 動詞で受け取るならば、「目覚め」「覚醒」「無辺の悟り」 覚 気づき | ||||||||||||||
きによって説け鶯の法法華経 | ||||||||||||||
昨日まで 鬼の住みにし 胸殿も 今日みだ尊の 御堂とはなる | ||||||||||||||
昨日も今日も さよならの日がくれてゆく | ||||||||||||||
気のきいた 化物はとくに 引きこむに ろくろ首ほど 長くのびたり | ||||||||||||||
気のきいた 化け物はとくに 引きこむに ろくろ首ほど 長くのびたり | ||||||||||||||
気は長く 心は丸く 腹立てず 口つつしみて 命ながかれ | ||||||||||||||
機法一体 法と機と 合うか合わぬかを 調べての 後に行う 道を定めよ 機法一体 機 法 | ||||||||||||||
君が住む 宿の梢を ゆくゆくも かくるるまでに 顧みしはや | ||||||||||||||
君が田が 我田に並ぶ 嬉しさよ 我田へかかれ きみが田の水 | ||||||||||||||
君にかく 相見ることの うれしさも またさめやらぬ 夢かとぞ思ふ | ||||||||||||||
君のため 民のためぞと 思はずば 雪もほたるも 何かあつめん | ||||||||||||||
君のため 世のため何か 惜からん 捨ててかひある 命なりせば | ||||||||||||||
帰命 の帰は歸の昔の字 阜ぐの意である 今は嫁ぐと書く | ||||||||||||||
帰命とは触れること、勧請とは宿すこと、発願とは歩むこと | ||||||||||||||
客 無畏施 恐れがない→安らぎ 客の接待の仕方 施無畏 | ||||||||||||||
客人 煩悩をば心の客人として、念佛を心の主人としつらえば強ちに往生をば障ぬなり(七箇条起請文 9)煩悩=客人、念仏=主人 | ||||||||||||||
客僧の 朝寝よろこぶ 僧の妻 (牛畝) | ||||||||||||||
行住坐臥 かわやにて 申す念仏に とがあらば 召しこめよかし 弥陀の浄土へ 法然上人 便所 不浄 清浄 行住坐臥 | ||||||||||||||
孝とは辞典 1、善く親につかえる行為 2、善く祖先につかえる行為 3、親を大事にすること 親 恩 | ||||||||||||||
孝の字形は子が老人を負うている形の文字であります。 老人とは我が親である。 親 恩 | ||||||||||||||
今日彼岸 菩提の種を まく日かな 彼岸 | ||||||||||||||
今日ほめて 明日わるく 云ふ人の 泣くも笑うも うその世の中 | ||||||||||||||
今日もまた 心の鐘を 打ち鳴らし 打ち鳴らしつつ 憧れていく | ||||||||||||||
キリスト教と大乗仏教が出会った」と1000年単位で歴史を見ると「記録されるであろう。(トインビー歴史学者) | ||||||||||||||
桐火桶 かきなでながら 思ふかな すきま多かる しづが伏屋を | ||||||||||||||
義を聞いて移るあたわず。 不善聞いて改むるあたわず。こらは我が憂いなり。これはいいことだと知りながらも、その方へ移っていくことが出来ない。不善と知りながらも、改めることが出来ない私である。(論語、孔子) | ||||||||||||||
機をもって教を験べる | ||||||||||||||
銀のくがねも 玉もせむに まされる宝 子にしかめやも | ||||||||||||||
苦 有田憂田 有宅有宅 無量寿経 苦 求不得苦 | ||||||||||||||
苦 三垢 意は三垢(惑=煩悩・業=悪業・苦=受苦) 垢質 | ||||||||||||||
苦 もとよりも 忍ぶの里に 忍れば 忍びてかよへ 弥陀の淨土へ 苦楽 忍 忍ぶ | ||||||||||||||
苦 いまします 仏の姿 よく見れば みな苦しみに 耐えしみ姿 苦 代修 代苦 | ||||||||||||||
苦 岩もあり 木の根もあれど サラサラと ただサラサラと 水の流るる | ||||||||||||||
苦 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
垢 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
苦 我は欲する所の善を行うわたわず 欲せざる所の悪を行う あぁ悩める我なるかな。(パウロ)十夜 善 悪 欲 苦 意思 | ||||||||||||||
苦 大忍とは耐えしのんだり、がまんすることとはちがう。苦しいときはくるしいままに、嬉しいときは嬉しいままに身体ごと素直に順応していくことである。悲しいときは子供のように、ごく自然に涙を浮かべ悲しいんでいる。また念願かなって嬉しいときは、子供のように無邪気に嬉しがるこれを大忍という。 寂しいときは寂しいままに独り静かにいる。これが日本文化の「わび」「さび」の精神である。身体で抑えて、首から上に上げない。文句、愚痴を言わないようにしよう。争いの元となる。罪作り。(板橋興宗 曹洞宗) | ||||||||||||||
苦 矢のたとえ!一番の矢と二番矢 苦の一番矢を受けても二番の苦の矢は念仏を称えている人は受けない! 一番矢楽は二番矢は欲の働きによって苦の始まりになる。 苦楽 挨拶 | ||||||||||||||
空=平等≒同等と違う。 空=束縛されない、開放される。阿弥陀様の前で平等。 | ||||||||||||||
空外 通達 諸法性 一切空無我 專求浄 仏土 必成 妙 是刹 種善寺 対聯 空外75歳書 | ||||||||||||||
空海が 心のうちに 咲く花は 弥陀より外に 知る人はなし 弘法大師 信心の花 | ||||||||||||||
倶会一処 露の身は 此処彼処にて 消えぬとも 心は同じ 華の台ぞ 法然上人 流罪 露 華 淨土 往生 倶会一処 | ||||||||||||||
愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情、底下の最澄 | ||||||||||||||
究竟 憐愍の恩 親はおのれ死して後にも、子の身を護ることを願う | ||||||||||||||
恭敬修 住持の三宝 @仏ー絵像木像 A法ー黄紙朱軸 B僧ー剃髪 染衣 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
恭敬修 吉川英二 我 以外 皆 吾師 恭敬修 上下関係 | ||||||||||||||
恭敬修 三宝 @仏ー名医 A法ー名薬 B僧ー看病 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
恭敬修 三宝 @仏ー明るく A法ー正しく B僧ー和やかに 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
恭敬修 四修 恭敬修⇔高慢 無余修⇔雜起 無間修⇔懈怠 長時修⇔退転 | ||||||||||||||
恭敬修 四修 作業(四修、三種行儀) 恭敬修 無余修 無間修 長時修 | ||||||||||||||
恭敬修 浄土にも 剛のものとや 沙汰すらん 西に向いて 後ろみせねば 熊谷次郎直実 恭敬修 | ||||||||||||||
恭敬修 別体の三宝 @仏ー浄土の弥陀 A法ー念仏の御法 B僧ー浄土の菩薩 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
恭敬修 恭は体で敬う。 敬は心で敬う。 心で舌を出し、身体で敬う。日常他人に対する。 心で敬い身体では敬ない 親子関係。 仏に対しては心と身体で敬う。何もいわないから! | ||||||||||||||
恭敬修 形で敬うを恭、心で敬うのを敬。 1、有縁の聖人を敬う。2、有縁の知識を敬う。3、有縁の像教を敬う。4、同縁の伴を敬う。5、三宝を敬う。 四修 | ||||||||||||||
草の庵に 足さしのべて 小山田の 山田の蛙 きくが楽しき | ||||||||||||||
草のいほに 寝てもさめても 申すこと 南無阿彌陀佛 南無阿彌陀佛 | ||||||||||||||
草の庵に 寝てもさめても申すこと なむあみだぶつ なむあみだぶつ | ||||||||||||||
くさの葉の 露も光の あればとて 玉といひては 如何が拾はん | ||||||||||||||
草も木も からくれないに 見ゆるなれ 赤き眼がねを かけし人には | ||||||||||||||
草も木も 枯れたる野辺に ただ独り 松のみ残る 弥陀の本願 本願 知恩院 吉水 | ||||||||||||||
垢質 三垢 意は三垢(惑=煩悩・業=悪業・苦=受苦) 垢質 | ||||||||||||||
愚者 嘘聞いて喜んで、本当聞いて腹立てた。 世間 愚者 愚か 真実 | ||||||||||||||
下り坂 人生には三っつの坂がある。 上り坂、下り坂、そしてもう一つ、まさかという坂。 上り坂、下り坂 まさか? | ||||||||||||||
愚痴 愚を知るは善業をひらく初門なり。 愚痴 | ||||||||||||||
愚痴 智慧は物事の方向性を示してくれる。 知力には者を判断する能力はあるが、方向性がない | ||||||||||||||
愚痴 無明と明 一方より見れば無明 一方よりみれば明 これが無始である。 | ||||||||||||||
愚痴 無明を基とし、煩悩を基盤としているから、方向性を間違えて苦を生じる。 無知 愚痴 智慧 知力 明 | ||||||||||||||
功徳 嗔恚は功徳の林を焼く 「恐るべし カッと怒りの 胸の火が 我と我が身を 焼き尽くすなり」腹立ち、三毒、煩悩、 | ||||||||||||||
愚鈍 頼みなば ただひしひしと 頼むべし 生き賢きは 道に遠きぞ 愚鈍 念仏 往生の機 | ||||||||||||||
国を思ふ 道に二つは なかりけり いくさの場に 立つも立たぬも | ||||||||||||||
求不得苦 有田憂田 有宅有宅 無量寿経 苦 求不得苦 | ||||||||||||||
熊谷次郎直実 浄土にも 剛のものとや 沙汰すらん 西に向いて 後ろみせねば 熊谷次郎直実 恭敬修 | ||||||||||||||
熊谷蓮生 寐むれば即ち仏を含み、覚むれば即ち仏を吐く「寐即含仏、覚即吐仏」 忍澂上人 善導大師 (熊谷 蓮生 藤枝 蓮華寺) | ||||||||||||||
雲とわかつ 友かや雁の 生きわかれ | ||||||||||||||
雲にただ 今宵の月を まかせてむ いとふとしても 晴れぬものゆゑ | ||||||||||||||
苦樂 坂三里 辛さが楽し 里帰り 若葉の彼方 桃の咲く家 苦樂 故郷 | ||||||||||||||
黒田の上人 伊賀の黒田の上人 俊乗坊重源 東大寺 大仏再建 阿号の始祖 | ||||||||||||||
愚を知るは善業をひらく初門なり。 愚痴 | ||||||||||||||
君子 真実 白魚の 洗えば濁る 清水かな 表面 虚仮 真実 | ||||||||||||||
群書類聚 番町で 眼あきめくらに 道を聞き 塙 保 己一 天満宮 群書類聚 | ||||||||||||||
ゲーテ 涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の味はわからない ゲーテ | ||||||||||||||
穢れ 池の水 人の心に 似たりけり 濁りすむ事 さだめなければ 法然上人 罪 穢れ 清浄 心 濁り | ||||||||||||||
懈怠 四修 恭敬修⇔高慢 無余修⇔雜起 無間修⇔懈怠 長時修⇔退転 | ||||||||||||||
懈怠⇔無間修 懈怠の心を修正するために 三種行儀 | ||||||||||||||
結婚 桃の夭夭たる、その葉蓁蓁たり、之子干に帰ぐ、かの家人宣し 大学 桃 帰 結婚 | ||||||||||||||
結婚 昔、ある青年が菩提心を起こして、是非とも仏になりたい。そのためには当時の仏様にお花を供養しなければならない、弟子入りの作法として。そこで、お花を捜すんですが、どこの花屋にも花がないんです。ないはずです。その国の王様が、仏様にお花を供養したら功徳が大きいということを聞いて、国中の花を独占して買い占めていた。だから、どこの花屋にも花がない。はなはだ困った……。そこへ、一人の娘さんが花を持ってきます。「その花を私に分けてください」「分けられません」「どうして」「これは王様に予約済みです。今から持っていって、頂くお金が私の貧しい家の足しになるんです」「いや、私はどんな犠牲を払ってもその花がほしい」「あなた、どうしてそんな無茶なことおっしゃるんですか」「私は今、菩提心を起こし、是非とも仏になりたい。成仏をしたい。だから、仏様にお花を供養したい。出来たら、あなたも私と一緒にお花を供えてくれませんか」その青年の意気に感じた娘さんが、赤い花を青年に渡し、自分は白い花を持って、ふたり揃って仏様にお花を供養した。二人の若者の捧げた花は、永遠にしぼまなかったが、王様の独占したお花は一晩にしてしぼんだ。それがご縁となって、ふたりは結ばれて結婚をします。それが、その世だけの契りではなくして、その次の世もその次の世も、二人は結ばれて夫婦になる。そうして先程申したように、力を合わせ心をひとつにして成仏めざして修養した。最後に青年が、インドの国シッダルタ太子として現れて、最後に釈迦牟尼仏という成仏の位に到達した。そうして、娘がヤソダラ姫となって青年と結婚し、釈迦牟尼仏によって救われて成仏します。そうやって仏教の結婚は、夫婦が成仏めざして互いに助け合い、補い合いながら修養していこうじゃないか、これが仏教の結婚観でございます。と共に、夫婦がひとつになるということは、容易ならぬ過去からの縁があったわけでございますね。「生まれる前から結ばれていたそんな気がする紅の糸」、これ『命くれない』……。そういうわけで、どうぞひとつ、結婚ということは単なる子孫保存だけが目的じゃなく、修養のためだ、成仏のための結婚であるということを忘れないでいただきたいのでございます。 | ||||||||||||||
化益 摂化 摂取化益 | ||||||||||||||
眼 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
建久二年(1191年2月27日)、あらぬことを吹聴する者たちの告げ口によって、法然上人には源元彦という還俗の名前が与えちれ、流罪の命が下されたので、上人の教導を仰ぐ道俗貴賎は皆んな欺き悲しみ合ったが、上人はこの下命に触れて、むしろ喜び従う御様子をなさって、「源空が流罪という羽目を受けることは、遠い地方にも念仏教化の縁が熟したということで、誠に喜ばしいことなのです。広くあらゆる人々を教化して、念仏の信仰に導き入れましよう」とまでおっしゃった。法然上人の御慈悲からするそうした御誓願の趣きが外に顕われて、しみじみと貴く思われた。月輪殿(九条兼実公)はしばらく御別れしなければならない欺きを静めるために、法性寺の小御堂に法然上人を一夜おとめ申し上げた。そのとき依然上人は、「会者定離はこの世の道理であつて、今に始まることでほありません。どうして深く欺く必要がありましょうか。ずっと以前からの縁が空しいものでないならば、行く末は同じ蓮台に坐ることになりましょう。浄土での再会も間もないものです。今のお別れは、ひと時の悲しみであつて、春の夜の夢のようなものです。念仏の教えが信順されようが誹謗されようが、それぞれを縁として先ずは自らが往生して、後の人たちを導くよぅにいたしましょう。引接縁というのは、極楽浄土の「楽」の一つでもあるのです(往生要集)。私どもはこの現世ですら疎遠な間柄ではなかったのですから、同じ名号を唱え、同じ光明の中に在って、同じ聖衆の護念を蒙るのです。信仰を同じくしでいる者は、最も親しい間柄であるのですから、思慮もなく、疎遠となってしまうと思われてはなりません。南無阿彌陀佛と唱えなされば、たとえ住所は隔たっていても、源空に親しいのです。というのも、源空もまた南無阿弥陀仏と唱え申し上げているからです。念彿を縡(こと)としない人は、たとえ源空と肩を並べ、膝を交えたとしても、漁空には疎遠の人なのです。身・口・意の三業が皆、私とは異なつているからです。」とおしゃたので、月輪殿は悲しみの心を乱れさせて、一言も語られなかった。同建久二年三月十六日、法然上人は法性寺を出立されて、配所に赴かれた。配所は讃岐国の小松の庄である。このように門弟の住蓮・安楽が不善の行いをした過失の責任があると吹聴し中傷する言動によって、罪なき上人は流罪にされてしまったのである。このように言葉巧みに告げ口をして人を陥れる者らの訴えによって左遷された賢者たちは昔から例がないわけではない。わが国では役行者、菅原道真、他国では唐の一行阿闍梨、詩人で宮人であつた白楽天などは、いずれも罪なくして流罪地に住まわれた人たちである。そもそも仏や菩薩が衆生の機根に応じて化現されるその巧みな方便は、凡夫の知を越えた測り難いものである。だから、仏法が信順されようが、仏法が誹謗されようが、仏菩薩はそれぞれに縁を結ばれるので、逆縁も共に益を受けることになるのである。法然上人が流罪の地に赴かれたので、都は闇夜に点る灯火を失ったかのようであり、地方は仏法に暗い地であったのに灯火を得たようであつた。従って、都は悲しみにつつまれ、田舎は喜びにつつまれ、都の人は悲しみのうちに念佛を唱え、田舎の人は喜びのうちに称名念彿をしたのである。このように、悲しみにつけ喜びにつけ、善を勧めるそうした仏菩薩の教化利益は誠に巧みであり貴いものである。 | ||||||||||||||
現実 身をすてて 世を救う人も ますものを 草の庵に ひまもとむとは 良寛 理想現実 | ||||||||||||||
現象学 法蔵菩薩の五劫思唯の阿弥陀様は報身の阿弥陀様である。(有始無終) (無始無終、有始有終の現象学による。) | ||||||||||||||
謙遜 天狗と反対の心である。天狗は仏道修行の上で一番の禁物である。大ミオヤさまからお育てをいただいたみ恵みを人さまに話したりすると、この天狗の魔につけ入られて信仰が進まなくなる。鼻が高くては五体投地の礼拝の時に額が地につきません。“稔るほど頭を垂るる稲穂かな″ である。 | ||||||||||||||
剣は磨けば磨くほど 光を増す | ||||||||||||||
見佛 阿弥陀仏と 申すばかりを つとめにて 淨土の荘厳 見るぞうれしき 法然上人 浄土 荘厳 見佛 念仏 三昧 | ||||||||||||||
見佛 煩悩に眼さえられ 見えねども 絶えず我らを 照護し給う 煩悩 護念 仏 増上 | ||||||||||||||
子 形見とて はかなき親の とどめてし この別れさえ いかにせん 法然上人15歳比叡山 秦氏 母親子 | ||||||||||||||
子 銀のくがねも 玉もせむに まされる宝 子 にしかめやも | ||||||||||||||
子 里帰り 子どものまえで 子にかえる 親 子 | ||||||||||||||
恋 かりそめの いろにゆかりの こいにだに あふには身をも をしみやはする 法然上人 恋 | ||||||||||||||
恋 われはただ ほとけにいつか あふいぐさ こころのつまに かけぬひぞなき 法然上人 恋 父子相好 | ||||||||||||||
古池や 蛙飛びこむ 水の音 (松尾芭蕉) | ||||||||||||||
恋いしきと 思う心は われならで 親の心の かよい来るなり | ||||||||||||||
恋しくて 阿彌陀ぶつぶつ 称うれば 弥陀はこの身に すれつもつれつ | ||||||||||||||
恋いしくば 仏の御名を 称ふれば われも光の うちにこそあれ | ||||||||||||||
業 三垢 意は三垢(惑=煩悩・業=悪業・苦=受苦) 垢質 | ||||||||||||||
業 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
剛毅 意志の堅固をいう。ひと握りの綿火薬を爆発させても何の威力もないが、これに特別の装置を加えると、大巌をも砕くのである。一滴の水といえども、二疋の方向と不断の勢力を与えれば石をもうがつのである。意志また然りで、志すところ透徹せずんばやまざる執着心と勇気と意志は万物を開拓することができるのである。苦境に遭遇しても、これにくじけることなく、これを乗り越えてゆく力をいうのである。 | ||||||||||||||
香偈 前念後念=念念 「念念梵燒戒定香」(香偈)(法事讃) | ||||||||||||||
高山と海こそは山ながらかくも現しく海ながらしか真ならめ人は花物ぞうつせみの世人 | ||||||||||||||
上野国の赤城山の南の麓に大胡というところがある。藤原秀郷の後胤で、この地方に勢力を得て大胡と名のり、頼朝公鎌倉に興れるとき、馳せ参じて御家人となった一族。建久 六年二月將軍が、石清水に参詣あそばされた時に供奉が中に記せらえれておりますから、当時上洛して上人に見参せるも、公事暇なく閑少なくして、充分 法門の沙汰にもあずからず、帰国 | ||||||||||||||
孝は 百行の本 | ||||||||||||||
業はただ 万事はいらず 常不軽 菩薩の行 殊勝なりける (良寛 歌集より) | ||||||||||||||
高弁 めしいたる 亀の浮き木に あうなれや たまたま得たる 法の端舟 高弁 本願に遇う 亀 | ||||||||||||||
弘法大師 空海が 心のうちに 咲く花は 弥陀より外に 知る人はなし 弘法大師 信心の花 | ||||||||||||||
高慢 下がるほど 人は見あぐる 藤の花 高慢 慢 | ||||||||||||||
高慢 下がるほど 人は見あぐる 藤の花 高慢 慢 | ||||||||||||||
高慢 四修 恭敬修⇔高慢 無余修⇔雜起 無間修⇔懈怠 長時修⇔退転 | ||||||||||||||
光明 碍えられぬ 光のみ手に 抱きしめて 常に我らを 愛撫し給う 無碍光 光明 護念 愛撫 増上 | ||||||||||||||
光明 同一名号を称え、同一光明の中にありて、同聖聚の護念を被る同胞尤も親し。愚かに疎しと思うべからず。 名号 光明 聖聚 別時 護念 同胞 | ||||||||||||||
光明 煩悩に眼さえられて 摂取の光明みえざれども 大悲ものうきことなくて 常に我が身を照らすなり 光明 摂取 慈悲 | ||||||||||||||
光明はくまなくそそぐ 限り無きいのちに生きよ 人間の智慧なたのみそ み恵みは人を択ばず ただ頼め阿弥陀佛とおしえたる いみじさの我等が祖師や A煩悩を絶てとは告らず みだれたる心もゆるし 人間の性のまにまに み佛の国に往き行く この道は誰かひらきしなさけある 慕わしのわれらが祖師や (佐藤春夫 作詞)法然上人頌 煩悩 阿弥陀 光明 祖師 | ||||||||||||||
光明は本願力である。 本願 | ||||||||||||||
光明遍照 月かげの 至らぬ里は なけれども ながむる人の こころにぞすむ 住む 澄む 済む 光明遍照 観経 第九 | ||||||||||||||
声に心がはこばれて 称うるごとに通い行く 捨てぬ誓いのたのもしさ 大慈大悲のひざの上 | ||||||||||||||
五感 意 五感によって意を作る 法 | ||||||||||||||
五感 四智 六根清浄 1、眼 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】大円鏡智は 第8阿頼耶識が転じて智慧を得る。平等性智は第7まなしき【末那識】が転じて智を得る。妙観察知は第6意が転じて智を得る。成所作智は第1から5までの五感が転じて智を得る。 | ||||||||||||||
五逆 唯頼め よろずの罪は 深くとも 我が本願の あらんかぎりは 本願 罪 十悪 五逆 | ||||||||||||||
去行 安とは安置なり、心とは心念なり。念を所求、所帰、去行の三つに置くを安心という。 聖冏(観経伝通記 9) 安置 所求 所帰 去行 安心 | ||||||||||||||
虚空界尽きなば、わが礼はすなわち尽きん。虚空界は尽くすべからざるが故に、わがこの礼敬も窮尽あることなく、かくの如く乃至衆生界尽き、衆生の業尽き、衆生の煩悩尽きなば、わが礼、すなわち尽きん。而して衆生界乃至煩悩は尽きることなきが故に、わがこの礼敬には、窮尽あることなし。念々に相続して間断あることなく、身、語、意業において疲厭(ひえん)あることなし。」 | ||||||||||||||
極楽 昨日まで 鬼の住みにし 胸殿も 今日みだ尊の 御堂とはなる | ||||||||||||||
極楽は 仏のいます 国なれば 仏と共に 住めば極楽。 徳本 地獄とは 鬼の住みける 国なれば 鬼と一緒に 住めば地獄よ。 睡時 徳本 | ||||||||||||||
極楽へ つとめて早く いで立たば 身のをわりには 参りつきなん | ||||||||||||||
極楽へ つとめて早く いで立たば 身のをわりには 参りつきなん 法然上人 往生 | ||||||||||||||
虚仮 白魚の 洗えば濁る 清水かな 表面 虚仮 真実 | ||||||||||||||
五劫思唯 暑き日も 寒きその夜も 雪の夜も 五劫思唯の ことを思えば 荒巻くめ 五劫思唯 暑い 寒い 雪 | ||||||||||||||
心 浄と不浄 元々はないけれども自分で造っていく 意の垢でつくる。 火の車 作る大工は おらねども 己がつくりて 己が乗り行く 自我オレガの心が作っていく。 | ||||||||||||||
心 煩悩をば心の客人として、念佛を心の主人としつらえば強ちに往生をば障ぬなり(七箇条起請文 7)煩悩=客人、念仏=主人 | ||||||||||||||
心 池の水 人の心に 似たりけり 濁りすむ事 さだめなければ 法然上人 罪 穢れ 清浄 心 濁り | ||||||||||||||
意 五感によって意を作る 法 | ||||||||||||||
意 浄と不浄 元々はないけれども自分で造っていく 意の垢でつくる。 火の車 作る大工は おらねども 己がつくりて 己が乗り行く 自我オレガの心が作っていく。 | ||||||||||||||
意 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
心、浄きにしたがって、仏土、浄し。 (仏土とは、私達の心が浄まることによって開かれてゆく世界であり、仏土がどこか別の処に存在しているということではない。 心と仏土とは一つの事柄であり、浄土が心を浄化する(往生)と共に、その心に浄土が開かれてゆくのである。) (維摩経 ) | ||||||||||||||
心が曇れば曇ったままに、乱るれば乱れたままに、澄めば澄むままに、愚は愚のままに、智者は智者のまままに、識揚は識揚のままに、神飛は神飛のままに | ||||||||||||||
心から よこしまに降る 雨はあらじ 風こそ夜半の 窓をうつらめ | ||||||||||||||
心から よこしまに降る 雨はあらじ 風こそ夜半の 窓をうつらめ | ||||||||||||||
心清きに従って、仏土浄し 維摩経 維摩居士の御経 | ||||||||||||||
心だに まことの道に かなひなば 祈らずとても 神や守らん | ||||||||||||||
こころだに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん | ||||||||||||||
心のはたらきは、脳ばかりではなく、全身で営まれている | ||||||||||||||
心よく人事いはず 慇懃に 慈悲ある人に 遠慮ある人 | ||||||||||||||
心より 心に物を 思わする 身を苦しむる 我が身なりけり | ||||||||||||||
心をば 心の仇と 心得て 心のなきを 心とは知れ | ||||||||||||||
心をば 心の仇と 心得て 心のなきを 心とは知れ | ||||||||||||||
此処を 聖冏 此処を去ること遠からず 実体実義主義 聖冏 無方 無分量 | ||||||||||||||
五重 伝法ー形式(コップ) 伝戒ー内容 (水) 五重 授戒会 | ||||||||||||||
五種正行 三重の行 1、五種正行 2、助正二行 3、専修一行 念佛 | ||||||||||||||
後白川 仏は常にいませど 現ならぬぞ あらわれなる 人の音せぬ 暁に ほのかに 夢に 見えたもう 後白川法王 | ||||||||||||||
五塵 汚染 塵境 心情を汚染するから塵境 五塵 | ||||||||||||||
五塵 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
梢 あみだぶに そむる心の いろにいでば あきの梢の たぐいならまし 法然上人 秋 染める 梢 | ||||||||||||||
梢吹く 風の心は いかがせん したがふ花の 恨めしきかな | ||||||||||||||
梢吹く 風の心はいかがせんしたがふ花の恨めしきかな | ||||||||||||||
小僧とオカラの話 (所帰目的だけで、何をするのか?) | ||||||||||||||
五賊 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
東風ふかば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ (菅原道真) | ||||||||||||||
劫初より つくりいとなむ 殿堂に われも黄金の釘 一つ打つ | ||||||||||||||
劫初より つくりいとなむ 殿堂に われも黄金の釘 一つ打つ (与謝野 晶子) | ||||||||||||||
ことしげき 心よりさく 物思ひ の花の枝を ばつらつゑにつく | ||||||||||||||
事足らぬ 身をな恨みそ 鴨の足の短うてふぞ浮かむ瀬もあれ | ||||||||||||||
子供らと 手まりつきつつ この里に 遊ぶ春日は 暮れずともよし | ||||||||||||||
護念 碍えられぬ 光のみ手に 抱きしめて 常に我らを 愛撫し給う 無碍光 光明 護念 愛撫 増上 | ||||||||||||||
護念 同一名号を称え、同一光明の中にありて、同聖聚の護念を被る同胞尤も親し。愚かに疎しと思うべからず。 名号 光明 聖聚 別時 護念 同胞 | ||||||||||||||
護念 煩悩に眼さえられて 摂取の光明みえざれども 大悲ものうきことなくて 常に我が身を照らすなり 光明 摂取 慈悲 | ||||||||||||||
護念 煩悩に眼さえられ 見えねども 絶えず我らを 照護し給う 煩悩 護念 仏 増上 | ||||||||||||||
この秋は 雨かあらしか 知らねども 今日のつとめの 草を取るかな | ||||||||||||||
このたびは 迷ひ悟の 分けめなり あつささむさも 厭ふべきかは | ||||||||||||||
この秋は 雨か嵐か 知らねども けふの努めの種をまくかな | ||||||||||||||
この年も またいたづらに 暮らし来て 春に逢はんと 思はざりけり | ||||||||||||||
子は死して たどりゆくらん 死出の旅 道知れずとて かえりこよかし | ||||||||||||||
米 一粒の米の中にも、一滴の水の中にも一枚の紙の中にも、法身の血は通い、生命は宿っている、一切万物は生き物である。故に古徳たちは「粒々皆是仏身、滴々悉是仏物」と申されて、一粒のお米の中に通っている法身の血、一滴の水の中に宿っている法身の命を拝んで、これを大切にし、粗末にせず、勿体ないの生活に明け暮れなさいました。鳥や魚を殺すことだけが殺生では決してなく、天地一切のものは法身から産んでいただいた、法身の血の通い命の宿っているものであるから、物を大切にしない、粗末にするということが、とりもなおさず、その物の中に宿っている命を殺している、これが殺生である。積極的には物を大切にしてゆくということでありましょう。この粗末にしない、大切にする、勿体ないという生活のそこに、私たちの消費生活はひきしまってくるとおもうのであります。 | ||||||||||||||
米と藁 (こめとわら)田植えが終ると稲は青々と成長していく。秋風が吹きそめると稲はだんだん枯れていくが、穂の先にはお米がだんだん稔りへ稔りへと近づいていく。収穫期になって刈りとられた稲は藁となり、藁は来年稲田にまいても芽の出ない死んだもの、しかるに穂の先に稔ったお米を来年稲田にまけば、お米から芽が出る、すなわちお米は死なない命である。そのお米が稔るためには太陽のお恵みをうけなければならない。 | ||||||||||||||
ごめんなさい。 懺悔 次の世は よき虫に生まれこよと 手合わせつつポリドールまく 虫 殺す 懺悔 | ||||||||||||||
子らは皆 戦の庭に 出ではてて 翁や一人 山田守るらむ | ||||||||||||||
これはこれはとばかり花の吉野山 | ||||||||||||||
これを見ん おりおりことに おもひてて 南無阿彌陀佛と 常にとなえよ 法然上人 精進 称名 | ||||||||||||||
殺す 次の世は よき虫に生まれこよと 手合わせつつポリドールまく 虫 殺す 懺悔 | ||||||||||||||
子を思う親の心 私を思う仏の心 親子 親・子 阿弥陀 佛 | ||||||||||||||
今 現 在 説 法 | ||||||||||||||
欣求 今日もまた 心の鐘を 打ち鳴らし 打ち鳴らしつつ 憧れていく | ||||||||||||||
欣求浄土 総安心 厭離穢土 欣求浄土 別安心 三心 至誠心 深心 回向発願心 安心 | ||||||||||||||
在阿 寺は照る照る 帰りは曇る 家に帰れば 雨が降る 縁、在阿、在心 在縁 在決定 | ||||||||||||||
在阿 寺じゃてるてる 道では曇る うちに帰れば 雨が降る 縁、在阿、在心 在縁 在決定 | ||||||||||||||
在縁 寺じゃてるてる 道では曇る うちに帰れば 雨が降る 縁、在阿、在心 在縁 在決定 | ||||||||||||||
在決定 寺じゃてるてる 道では曇る うちに帰れば 雨が降る 縁、在阿、在心 在縁 在決定 | ||||||||||||||
西晋 きささぎの 中の五日の 夜半の月 入りにしあとの 闇ぞかなしき 西晋 涅槃 釈迦 | ||||||||||||||
在心 寺じゃてるてる 道では曇る うちに帰れば 雨が降る 縁、在阿、在心 在縁 在決定 | ||||||||||||||
在心 寺は照る照る 帰りは曇る 家に帰れば 雨が降る 縁、在阿、在心 在縁 在決定 | ||||||||||||||
最澄 愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情、底下の最澄 | ||||||||||||||
災難に逢時節には、災難に逢がよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候 | ||||||||||||||
賽の河原 持戒念仏往生の機 世の中は 賽の河原の 石なれや 積んではくずし くずしては積む 世の中 賽の河原 石 積む | ||||||||||||||
西方 聖冏 此処を去ること遠からず 実体実義主義 聖冏 無方 無分量 | ||||||||||||||
西方 本来無東西 何処有南北 本来東も西もない のに 何処に南北があろうか 実体実義主義 聖冏 無方 無分量 | ||||||||||||||
西方を以って所求と為し、弥陀を以って所帰と為し、念仏」を以って去行と為す(所求、所帰、去行) | ||||||||||||||
碍えられぬ 光のみ手に 抱きしめて 常に我らを 愛撫し給う 無碍光 光明 護念 愛撫 増上 | ||||||||||||||
さえられぬ 光もあるを をしなへて 隔て顔なる 朝霞かな | ||||||||||||||
さえられぬ 光もあるを をしなへて 隔て顔なる 朝霞かな 春 法然上人 無碍光(どんな物があってもさえぎることがない) | ||||||||||||||
さえられぬ 光もあるを をしなへて 隔て顔なる 朝霞かな 春 法然上人 無碍光(どんな物があってもさえぎることがない) | ||||||||||||||
坂 人生には三っつの坂がある。 上り坂、下り坂、そしてもう一つ、まさかという坂。 上り坂、下り坂 まさか? | ||||||||||||||
坂三里 辛さが楽し 里帰り 若葉の彼方 桃の咲く家 苦樂 故郷 | ||||||||||||||
さかりをば 見る人多し 散る花の あとを訪ふこそ 情けなりけり 花 情け | ||||||||||||||
下がるほど 人は見あぐる 藤の花 高慢 慢 | ||||||||||||||
先立たば おくるる人を まちやせん 花の台に なかばのこして | ||||||||||||||
先立ちし 人よかれとの追善は 我が身よかれの 祈りなりけり 回向 追善 | ||||||||||||||
酒 人 念仏 @人が酒を飲む A酒が酒を飲む B酒が人をのむ 酒=念仏にしたらよい。 | ||||||||||||||
作業 四修 作業(四修、三種行儀) 恭敬修 無余修 無間修 長時修 | ||||||||||||||
さし出る 鉾先折れよ 物毎に 己が心を 金槌として | ||||||||||||||
作善 随喜善の功徳は作善者のそれより勝れたり 作善 | ||||||||||||||
佐藤春夫 光明はくまなくそそぐ 限り無きいのちに生きよ 人間の智慧なたのみそ み恵みは人を択ばず ただ頼め阿弥陀佛とおしえたる いみじさの我等が祖師や A煩悩を絶てとは告らず みだれたる心もゆるし 人間の性のまにまに み佛の国に往き行く この道は誰かひらきしなさけある 慕わしのわれらが祖師や (佐藤春夫 作詞)法然上人頌 煩悩 阿弥陀 光明 祖師 | ||||||||||||||
里帰り 子どものまえで 子にかえる 親 子 | ||||||||||||||
里の女や 麦に骨折る うしろ帯 | ||||||||||||||
さとりとは 心の中と 思いしに 庭の花さえ さとり開きつ | ||||||||||||||
悟る 動詞と名詞の受け取り方がある。 動詞で受け取るならば、「目覚め」「覚醒」「無辺の悟り」 覚 気づき | ||||||||||||||
悟とは 我性心を 知ることで なさけもあれば 悲もあり | ||||||||||||||
さへられぬ ひかりもあるを をしなべて へだてかおなる あさがすみかな 法然上人 春 | ||||||||||||||
作法 初開楽 蓮華の華を開くようにゆっくり両手で右左前と袱紗を開く 終わったら十念の後に袱紗を閉じる。説法 作法 袱紗の開き方閉じ方 | ||||||||||||||
さまざまの 色をつくして 咲く菊も かをりは一つ 庭の秋月 | ||||||||||||||
寒い 暑き日も 寒きその夜も 雪の夜も 五劫思唯の ことを思えば 荒巻くめ 五劫思唯 暑い 寒い 雪 | ||||||||||||||
さやかなる 月の光の てらさすは 暗き道にや ひとりゆかまし | ||||||||||||||
左様に、そら言を、たくみて、申し候ふらん人をば、帰りて哀れむべきなり。左程の者の、申さんによりて、念仏に疑いなし、不信を、発さん者は、云うに足らぬ程の、事にてこそは候はぬ。大方彌陀に縁浅く、往生に、時到らぬ者は、聞けども信ぜず、行うを見ては、腹を立て、怒りを含みて、妨げんとする事にて候なり。その心を得て、いかに人申すとも、御心ばかり、動がせ給うべからず。強(あなが)ちに信ぜざらんは、佛なお力及び、給うまじ。如何に況や凡夫の力,及び候ふまじき事なり。かかる不信の衆生を、利益せんと、思うわんに、つけても、とく極楽へ、参りて、悟りを、開きて、生死に、返りて、誹謗不信の者をも、渡して、一切衆生、遍く利益せんと、思ふべき事にて候ふなり。『 勅伝 第二十八 』 | ||||||||||||||
三学無分の法然、愚痴の法然、烏帽子も着ざる男 | ||||||||||||||
三学を離れて生死を出づべきの義あり、これ法然上人のつくり物であるとあるが実に偉大なるつくりものであります。 | ||||||||||||||
慚愧 慚は人に恥じ、愧は天に恥ず。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて畜生とす。 涅槃經 恥 慚愧 羞恥心 | ||||||||||||||
三垢 意は三垢(惑=煩悩・業=悪業・苦=受苦) 垢質 | ||||||||||||||
三垢 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
懺悔 次の世は よき虫に生まれこよと 手合わせつつポリドールまく 虫 殺す 懺悔 | ||||||||||||||
三羯磨 衆生 仏戒を受けぬれば すなわち諸仏の位に入る。位、大覚に同じ巳りなば、真にこれ諸仏の子なり | ||||||||||||||
三重の行 1、五種正行 2、助正二行 3、専修一行 念佛 | ||||||||||||||
三種行儀 四修 作業(四修、三種行儀) 恭敬修 無余修 無間修 長時修 | ||||||||||||||
三種行儀 無間修 懈怠の心を修正するために 三種行儀 | ||||||||||||||
三心 総安心 厭離穢土 欣求浄土 別安心 三心 至誠心 深心 回向発願心 安心 | ||||||||||||||
三心 本願の三心=一心不乱=「観経」 至心、信楽、欲生我国 | ||||||||||||||
三心 来迎=往生の増上縁、 三心=往生の安心 往生 増上縁 三心 安心(勅修御伝随聞記19) | ||||||||||||||
三心 往生は よにやすけれど 皆人の 誠の心 なくてこそせね 法然上人 至誠心 三心 誠 | ||||||||||||||
三世流転身 1、現在(罪悪生死の凡夫) 2、過去(廣劫以来常没) 3、未来(出離の縁あることなし) | ||||||||||||||
山頭火
なかぬなら殺してしまへ時鳥 織田右府(織田信長) · 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉) · なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康) · 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火 |
||||||||||||||
三毒 嗔恚は功徳の林を焼く 「恐るべし カッと怒りの 胸の火が 我と我が身を 焼き尽くすなり」腹立ち、三毒、煩悩、 | ||||||||||||||
三宝 @仏ー名医 A法ー名薬 B僧ー看病 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
三宝 住持の三宝 @仏ー絵像木像 A法ー黄紙朱軸 B僧ー剃髪 染衣 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
三宝 @仏ー明るく A法ー正しく B僧ー和やかに 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
三宝 @仏ー明るく A法ー正しく B僧ー和やかに 明治 大正 昭和 | ||||||||||||||
三宝 @仏ー浄土の弥陀 A法ー念仏の御法 B僧ー浄土の菩薩 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
三法印 諸行無常 諸法無我 涅槃寂静 | ||||||||||||||
三昧 阿弥陀仏と 申すばかりを つとめにて 淨土の荘厳 見るぞうれしき 法然上人 浄土 荘厳 見佛 念仏 三昧 | ||||||||||||||
三輪清浄 布施 与える人、物、頂く人 の三つが清浄 | ||||||||||||||
死 生きてよし 死してまたよし 極楽の 弥陀のみ許に 生まる嬉しさ 生死 阿弥陀 往生 極楽 死 | ||||||||||||||
四 摂 事 布施、利行 愛語 同時 | ||||||||||||||
上人ある夜夢見らく。一の大山あり。その峯きはめてたかし。南北長遠にして西方にむかへり。山のふもとに大河あり。碧水(へきすい)北より出て、波浪南にながる。河原眇(びょう)々として辺際なく、林樹茫々として限数をしらず。山の腹にのぼりて、はるかに西方を見たまへば、地よりかみ五丈ばかりあがりて、空中に、聚(じゅ)の紫雲あり。この雲とび来りて、上人のところにいたる。希有の思をなし給ところに、この紫雲の中より、無量の光をいだす。光の中より孔雀鸚鵡(おうむ)等の、百宝色の鳥、とびいでゝ、よもに散じ、又河浜に遊戯(け)す。身より光をはなちて照耀(しょうよう)きはまりなし。其後衆鳥とびのぼりてもとのごとく紫雲のなかにいりぬ。この紫雲また、北にむかひて、山河をかくせり。かしこに往生人あるかと、思惟し給ほどに、又須叟にかへりきたりて、上人のまへに住す。やうやくひろごりて一天下に覆ふ。雲の中より一人の僧出て、上人の所にきたり住す。そのさま腰より下は、金色にして、こしよりかみは、墨染なり。上人合掌低頭して申給はく。これ誰人にましますぞやと。僧答給はく。我は是善導なりと。なにのために、来給ぞやと申給に、汝専修念仏を、ひろむること、貴(たっとき)がゆへにきたれるなり、との給と見て夢さめぬ。画工乗台におほせて、ゆめに見るところを図せしむ。世間に流布して、夢の善導といへるこれなり。その画像、のちに唐朝よりわたれる、影像に、たがはぎりけり。上人の化導、和尚の尊意にかなへること、あきらけし。しかれば、上人の勧進によりて、称名念仏を信じ、往生をとぐるもの、一州にみち、四海にあまねし。前兆のむなしからざる、たれの人か、信受せざらむ。 |
||||||||||||||
椎尾辨匡 時は今 ところ足元 そのことに うちこむ命 永久のみいのち 椎尾辨匡 今 人権 命 精進 | ||||||||||||||
ジェンダーフリー 舎利弗が女装で登場した時にお釈迦様が「舎利弗は男か?女か?」と尋ねた!みんな男ですよ!釈迦は「本来空だ男も女もない」「空=平等≒同等と違う」空=束縛されない、開放される。阿弥陀様の前で平等。 男から開放される前に女から開放されること。(仏教的に) | ||||||||||||||
潮 死は前よりも来たらず、かねてうしろにせまれり。人みな死あることを知りて待つことしかも急ならざるに覚えずして来る。沖の干潟はるかなれども、磯より潮の滿つるがごとし。 吉田兼好 徒然草 死 潮 | ||||||||||||||
四恩 1、父母 2、国王 3、三宝 4、衆生 | ||||||||||||||
自我 浄と不浄 元々はないけれども自分で造っていく 意の垢でつくる。 火の車 作る大工は おらねども 己がつくりて 己が乗り行く 自我オレガの心が作っていく。 | ||||||||||||||
持戒念仏往生の機 世の中は 賽の河原の 石なれや 積んではくずし くずしては積む 世の中 賽の河原 石 積む | ||||||||||||||
持戒念仏往生の機 世の中は 賽の河原の 石なれや 積んではくずし くずしては積む 世の中 賽の河原 石 積む | ||||||||||||||
識 転識得智 識を転じて智を得る 四智 清浄 六根 | ||||||||||||||
四季 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり 道元禅師 四季 季節 春夏秋冬 | ||||||||||||||
四季 春に百花あり、秋に月あり、夏に涼風あり、冬に雪あり 四季、季節 春夏秋冬 慧海禅師 | ||||||||||||||
自帰依仏 当願衆生 体解大同 発無上意(心) (三帰依文の始の言葉)(華厳経 浄行品) | ||||||||||||||
敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花 | ||||||||||||||
食に飽き 身の幸を 喜びて 飢えに苦しむ 人を憐れめ | ||||||||||||||
食平等、布施差別 | ||||||||||||||
食平等とは大僧正も小僧も、十人は十人、百人は百人、食において差別がない故に平等 | ||||||||||||||
しき島の 大和島根の をしへ草 神代の種の 残るなりけり | ||||||||||||||
四苦 身 年 一 百 歳、 長 愁 八十 児 (100歳の老親が82歳の児を心配していることで、老婆親切である。その上に往生を願い、念仏者になった) | ||||||||||||||
四苦 はえば立て 立てば歩めの 親心 わが身に積もる 老いを忘れて 育て 守り 親子 老 四苦 | ||||||||||||||
四弘誓願 度(六度) 断 知 証 | ||||||||||||||
示現 谷川の 木の葉の下の おぼれ水 流るるもゆく 滴るもゆく (つぶつぶもゆく ざらざらもゆく) 示現 岩清水八幡 林 227 | ||||||||||||||
示現 念珠のとり方 1、眞修ー一称一顆 粒粒念佛 2、早くりーざら念佛谷川の 木の葉の下の おぼれ水 つぶつぶもゆく ざらざらもゆく | ||||||||||||||
地獄 昨日まで 鬼の住みにし 胸殿も 今日みだ尊の 御堂とはなる | ||||||||||||||
地獄 餓鬼 畜生 阿修羅 仏 菩薩なにに成ろうと ままな一念 | ||||||||||||||
四修 敬いて ただ名ばかり 日日に 命のかぎり 勤むるが四修 四修 | ||||||||||||||
四修 怠らず 行かば千里の果ても見ん 牛の歩みのよし おそくとも 無間修 四修 | ||||||||||||||
四修 恭敬修 恭は体で敬う。 敬は心で敬う。 心で舌を出し、身体で敬う。日常他人に対する。 心で敬い身体では敬ない 親子関係。 仏に対しては心と身体で敬う。何もいわないから! | ||||||||||||||
四修 三宝 @仏ー名医 A法ー名薬 B僧ー看病 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
四修 住持の三宝 @仏ー絵像木像 A法ー黄紙朱軸 B僧ー剃髪 染衣 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
四修 別体の三宝 @仏ー浄土の弥陀 A法ー念仏の御法 B僧ー浄土の菩薩 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
四修 無余修 余とは余分なもの、雑ざり気の心で、余分のものを雑ぜずに、ただ念佛だけをの意 四修 | ||||||||||||||
四修 恭敬修 形で敬うを恭、心で敬うのを敬。 1、有縁の聖人を敬う。2、有縁の知識を敬う。3、有縁の像教を敬う。4、同縁の伴を敬う。6、三宝を敬う。 四修 | ||||||||||||||
四修 恭敬修⇔高慢 無余修⇔雜起 無間修⇔懈怠 長時修⇔退転 | ||||||||||||||
四修 作業(四修、三種行儀) 恭敬修 無余修 無間修 長時修 (敬いて ただ御名ばかり 怠らず 命の限り勤むるが四修) | ||||||||||||||
四修 三宝 @仏ー明るく A法ー正しく B僧ー和やかに 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
四修ともに 大事なれども 無間修が 大事のなかの 大事なりける 無間修 | ||||||||||||||
四生 胎生、卵生、湿生、化生 | ||||||||||||||
至誠心 総安心 厭離穢土 欣求浄土 別安心 三心 至誠心 深心 回向発願心 安心 | ||||||||||||||
至誠心 往生は よにやすけれど 皆人の 誠の心 なくてこそせね 法然上人 至誠心 三心 誠 | ||||||||||||||
至心 本願の三心=一心不乱=「観経」 至心、信楽、欲生我国 | ||||||||||||||
至心に勧請す 三身即一に在ます如来よ 如来の真応身は在さざる処なきが故に今我身体は 如来の霊応を安置すべき宮なりと信ず 諸の聖者の心宮に在しし如く 常に我等が心殿に在らせ給え 今や己が身を献げて至心に如来の霊応を勧請し奉る 霊応常住に我心殿に在まして転法輪を垂れ給え | ||||||||||||||
自身は現に 罪悪生死の凡夫 | ||||||||||||||
舌 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
四大智 (唯識) 仏果をきわめたときに具有する四種の智。すなわち、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智。 | ||||||||||||||
慕はしと 思ふ心や 通ひけん むかしの人ぞ 夢に見えける | ||||||||||||||
四智 (唯識) 仏果をきわめたときに具有する四種の智。すなわち、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智。 | ||||||||||||||
四智 転識得智 識を転じて智を得る 四智 清浄 六根 | ||||||||||||||
四智 六根清浄 1、眼 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】 | ||||||||||||||
四智 六根清浄 1、眼 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】大円鏡智は 第8阿頼耶識が転じて智慧を得る。平等性智は第7まなしき【末那識】が転じて智を得る。妙観察知は第6意が転じて智を得る。成所作智は第1から5までの五感が転じて智を得る。 | ||||||||||||||
上人知恵第一のほまれちまたにみち、多聞広学のきこえ世にあまねし。 | ||||||||||||||
七箇条起請文 煩悩をば心の客人として、念佛を心の主人としつらえば強ちに往生をば障ぬなり(七箇条起請文 8)煩悩=客人、念仏=主人 | ||||||||||||||
七仏通誡偈 諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教 「諸の悪はなすなかれ 諸の善は奉行せよ 自らその心を浄める これを諸仏の教えという」(法句経 138) | ||||||||||||||
実体実義 聖冏 此処を去ること遠からず 実体実義主義 聖冏 無方 無分量 | ||||||||||||||
実体実義 本来無東西 何処有南北 本来東も西もない のに 何処に南北があろうか 実体実義主義 聖冏 無方 無分量 | ||||||||||||||
此土往生 往生ー此土往生ー理想的浄土ー有余涅槃ー精神更生ー不体失往生 | ||||||||||||||
死にたいと いう人の背に 灸の跡 (本当は長生きしたい) | ||||||||||||||
忍ぶ もとよりも 忍ぶの里に 忍れば 忍びてかよへ 弥陀の淨土へ 苦楽 忍 忍ぶ | ||||||||||||||
忍 とは苦しいことを、ねばり強く持ちこたえる意味 大忍 参照 大西 順教 | ||||||||||||||
忍ぶ 世にしたがえば,身,くるし.したがはねば,狂せるに似たり.いずれの所を占めて,いかなるわざをしてか.しばしもこの身を宿し,たまゆらも心を休むべき. 方丈記 | ||||||||||||||
忍ぶ 大忍とは耐えしのんだり、がまんすることとはちがう。苦しいときはくるしいままに、嬉しいときは嬉しいままに身体ごと素直に順応していくことである。悲しいときは子供のように、ごく自然に涙を浮かべ悲しいんでいる。また念願かなって嬉しいときは、子供のように無邪気に嬉しがるこれを大忍という。 寂しいときは寂しいままに独り静かにいる。これが日本文化の「わび」「さび」の精神である。身体で抑えて、首から上に上げない。文句、愚痴を言わないようにしよう。争いの元となる。罪作り。(板橋興宗 曹洞宗) | ||||||||||||||
柴の戸に あけくれかくる 白雲を いつむらさきの 色にみなさん | ||||||||||||||
柴の戸に あけくれかくる 白雲を いつむらさきの 色にみなさん 法然上人 | ||||||||||||||
死は前よりも来たらず、かねてうしろにせまれり。人みな死あることを知りて待つことしかも急ならざるに覚えずして来る。沖の干潟はるかなれども、磯より潮の滿つるがごとし。 吉田兼好 徒然草 死 潮 | ||||||||||||||
慈悲 かつてWTO(世界保健機構)はアフリカのマラリア患者の多い地域で徹底的なマラリア樸滅作戦を展開した。その結果、乳幼児の死亡率が10分の1に低下した。そかし10年あとには、その地域の住民のほとんどが餓死してしまった。マラリア患者がいなくなって、爆発的に人口が増加したためである。WHOは、はたして良いことをしたのか?悪いことをしたのか頭をかかえこんだという。 慈悲 科学 理論 良いこと 悪いこと 知恵 | ||||||||||||||
慈悲 煩悩に眼さえられて 摂取の光明みえざれども 大悲ものうきことなくて 常に我が身を照らすなり 光明 摂取 慈悲 | ||||||||||||||
慈悲 碍えられぬ 光のみ手に 抱きしめて 常に我らを 愛撫し給う 無碍光 光明 護念 愛撫 増上 慈悲 | ||||||||||||||
慈悲 真砂なす 数なき星の そのなかに 我に向かいて 光る星あり | ||||||||||||||
慈悲 「慈」は与楽の心であって、一切衆生を真実に愛念して常にその心を安んじ満足せしめ、自分が大ミオヤさまの大慈悲にいだかれている真実の幸福を、一切衆生にも同じく得させようという愛念をいうのであり、「悲」とは抜苦の心で、一切衆生の苦悩に対して同情にたえず、いかにすればその苦を抜き平和が得られるかと、方便し救済し、その抜苦のために、山をくだき、 ミオヤさまの絶対のみカによらざれば、その苦悩や煩悩は解脱し難いことを方便として教え、大ミオヤさまの大悲を伝えて信心を得せしめようとする同情の心である。 |
||||||||||||||
慈悲の二字を別説すれば、慈は与楽、悲は抜苦二つは性質が違うから、四無量においては、慈無量、悲無量と分説されいる。 | ||||||||||||||
渋柿の 甘柿となる 日の恵み 柿 煩悩 | ||||||||||||||
渋柿の 澁そのままの 甘さかな 煩悩即涅槃 | ||||||||||||||
自分 山本有三 路傍の石 「たった一人しかいない自分をたった一度しかない人生をほんとうに生きなかったら、生まれてきた甲斐がないじゃないか」 人生 自分 生死 | ||||||||||||||
自分の右の肩には父を 左の肩には母を背負って百年もの間、歩き回ってとしても報いられないほど、親の恩は広大なものだ | ||||||||||||||
島に恋い 島に老いけり 彼岸花 (泊清寺 ) | ||||||||||||||
四無量心 慈(楽しみを与え) 悲(苦を抜き) 喜(共に喜ぶ) 捨(執着しない) (差別を捨てる) | ||||||||||||||
釈迦 きささぎの 中の五日の 夜半の月 入りにしあとの 闇ぞかなしき 西晋 涅槃 釈迦 | ||||||||||||||
釈迦 伝え聞く 鶴の林の 夜半の声 皆子を思う言葉なりけり 貞極 I林涅槃 釈迦 | ||||||||||||||
釈迦 お釈迦様十大弟子 @智慧第一(ちえ) 舎利弗 A説法第一(ときかた) 富楼那 B神通第一(はたらき) 目犍連 C論義第一(はなしかた) 迦旃延 D頭陀第一(はげみ) 摩訶迦葉 E持律第一(たもちかた) 優波離 F天眼第一(みとおし) 阿那律 G蜜行第一(おさめ) 羅睺羅 H解空第一(しりかた) 須菩提 I多聞第一(ききかた)阿難陀 | ||||||||||||||
釈迦如来隠れまして 二千余年になり給う 正像二時は終わりにき 如来の遺弟 非泣せよ | ||||||||||||||
釈迦は往け 弥陀は 来いよに 中は我 押され引かれて まいる極楽 | ||||||||||||||
釈迦は往け 弥陀は 来いよに 中は我 押され引かれて まいる極楽 二河白道 二尊 | ||||||||||||||
捨此往彼 蓮華化生 (此(土)を捨てて、彼の(土、すなわち浄土に往き、蓮華に化生する)) | ||||||||||||||
借金を 質に置いても 初鰹 求めて食わん 利も食はば食へ | ||||||||||||||
娑婆の苦も 今は苦しと おもほえじ ミオヤにとはに なぐさまる身は | ||||||||||||||
十悪 唯頼め よろずの罪は 深くとも 我が本願の あらんかぎりは 本願 罪 十悪 五逆 | ||||||||||||||
十悪 身三(殺生、偸盗、邪淫) 口四(妄語、綺語、悪口、両 舌) 意三(貪・瞋・癡) 身口意 貪・瞋・癡 | ||||||||||||||
十五夜は座頭のつまの哭く夜かな | ||||||||||||||
住持の三宝 @仏ー絵像木像 A法ー黄紙朱軸 B僧ー剃髪 染衣 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
就寝 阿弥陀仏と 十声唱えて まどろまん 永き眠りに なりもこそすれ 法然上人 十念 すいじ十念 就寝 寝る時 | ||||||||||||||
十大弟子 お釈迦様十大弟子 @智慧第一(ちえ) 舎利弗 A説法第一(ときかた) 富楼那 B神通第一(はたらき) 目犍連 C論義第一(はなしかた) 迦旃延 D頭陀第一(はげみ) 摩訶迦葉 E持律第一(たもちかた) 優波離 F天眼第一(みとおし) 阿那律 G蜜行第一(おさめ) 羅睺羅 H解空第一(しりかた) 須菩提 I多聞第一(ききかた)阿難陀 | ||||||||||||||
羞恥心 慚愧 慚は人に恥じ、愧は天に恥ず。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて畜生とす。 涅槃經 恥 慚愧 羞恥心 | ||||||||||||||
羞恥心 人間とは恥ずかしさを抱きかかえて生きる動物といっていい ラッセル イギリスの哲学者 恥 羞恥心 | ||||||||||||||
十念 阿弥陀仏と 十声唱えて まどろまん 永き眠りに なりもこそすれ 法然上人 十念 すいじ十念 就寝 寝る時 | ||||||||||||||
十万の 億と説きしも まことには かぎりもしれぬ 心なりけり | ||||||||||||||
十夜 一声も すてぬ誓いの うれしさに 思わず積もる 弥陀のかずかず | ||||||||||||||
十夜 我は欲する所の善を行うわたわず 欲せざる所の悪を行う あぁ悩める我なるかな。(パウロ)十夜 善 悪 欲 苦 意思 | ||||||||||||||
授戒 伝法ー形式(コップ) 伝戒ー内容 (水) 五重 授戒会 | ||||||||||||||
主客 あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月 (明恵)主客 川端康成 ノーベル賞 月 美 | ||||||||||||||
修行 安心(智目)・起行(行足) 起行 二重 修行 | ||||||||||||||
受苦 三垢 意は三垢(惑=煩悩・業=悪業・苦=受苦) 垢質 | ||||||||||||||
授手印 同体 別体の三宝 の願海をおどろかし申してもうさく。 授手印 二祖 鎮西聖光 | ||||||||||||||
衆生 貪 瞋 煩悩 中よく 清浄の 願心を発す | ||||||||||||||
衆生 仏戒を受けぬれば すなわち諸仏の位に入る。位、大覚に同じ巳りなば、真にこれ諸仏の子なり。(三羯磨) | ||||||||||||||
衆生 病むときはすなわち菩薩も病み、衆生 病 癒えれば菩薩もまた癒ゆ。 あなたが苦しむから私も苦しむあなたが癒えれば私も癒えますという関係 (維摩経) (随喜) | ||||||||||||||
衆生縁、法縁、無縁 | ||||||||||||||
衆生縁、法縁、無縁の三種。 衆生縁とは父母、妻子、兄弟、親族等に楽を与えんとするのを指します。法縁とは兄弟、夫婦、父子を見ず、一切の法は縁より起こるとみておこすのを指します。無縁とは法相 及び衆生を見ず、畢竟、空の平等の見地からおこすのを指します。 | ||||||||||||||
衆生縁は声聞の慈悲、法縁は菩薩の慈悲、無縁の慈悲は諸佛の慈悲 | ||||||||||||||
衆生仏を礼すれば仏これを見給う、衆生仏を称えれば仏これを聞き給う、衆生仏を念ずれば仏も衆生を念じ給う。 | ||||||||||||||
主人 煩悩をば心の客人として、念佛を心の主人としつらえば強ちに往生をば障ぬなり(七箇条起請文 12)煩悩=客人、念仏=主人 | ||||||||||||||
数珠くれば 濁る心も すみやかに 菩提の種も 近くなるらん 福田行誡 念珠 | ||||||||||||||
種善寺 通達 諸法性 一切空無我 專求浄 仏土 必成 妙 是刹 種善寺 対聯 空外75歳書 | ||||||||||||||
手段 山は青々日はうらら 田には漫々慈悲の水 秋はみのらん無量寿を 歌え南無阿弥田植え歌 青い稲葉はその中に 白いお米のみのるため 死ぬる身体はその中に 死なぬ命のそだつため (田中木叉 心田植歌) | ||||||||||||||
俊乗 黒田の上人 伊賀の黒田の上人 俊乗坊重源 東大寺 大仏再建 阿号の始祖 | ||||||||||||||
諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教 「諸の悪はなすなかれ 諸の善は奉行せよ 自らその心を浄める これを諸仏の教えなり」(七仏通誡偈)(法句経 183) | ||||||||||||||
生 死にたいと いう人の背に 灸の跡 (本当は長生きしたい) | ||||||||||||||
浄 不浄にて 申す念仏に とがあらば めしこめられよ 弥陀の浄土へ 法然上人 浄不浄 トイレ | ||||||||||||||
称我名号、下至十声 | ||||||||||||||
聖冏 安とは安置なり、心とは心念なり。念を所求、所帰、去行の三つに置くを安心という。 聖冏(観経伝通記 6) 安置 所求 所帰 去行 安心 | ||||||||||||||
聖冏 此処を去ること遠からず 実体実義主義 聖冏 無方 無分量 | ||||||||||||||
聖冏 此処を去ること遠からず 実体実義主義 聖冏 無方 無分量 | ||||||||||||||
聖冏 本来無東西 何処有南北 本来東も西もない のに 何処に南北があろうか 実体実義主義 聖冏 無方 無分量 | ||||||||||||||
上下関係 吉川英二 我 以外 皆 吾師 恭敬修 上下関係 | ||||||||||||||
聖光 同体 別体の三宝 の願海をおどろかし申してもうさく。 授手印 二祖 鎮西聖光 | ||||||||||||||
荘厳 阿弥陀仏と 申すばかりを つとめにて 淨土の荘厳 見るぞうれしき 法然上人 浄土 荘厳 見佛 念仏 三昧 | ||||||||||||||
生死 生きてよし 死してまたよし 極楽の 弥陀のみ許に 生まる嬉しさ 生死 阿弥陀 往生 極楽 死 | ||||||||||||||
生死 いけらば 念仏の功をつもり 死なば浄土にまいりなん とてもかくても この身には思い煩う 事ぞなき 法然上人 生死 称名 | ||||||||||||||
生死 山本有三 路傍の石 「たった一人しかいない自分をたった一度しかない人生をほんとうに生きなかったら、生まれてきた甲斐がないじゃないか」 人生 自分 生死 | ||||||||||||||
長時修 四修 恭敬修⇔高慢 無余修⇔雜起 無間修⇔懈怠 長時修⇔退転 | ||||||||||||||
長時修 夜な夜なミオヤと共に寝ね 朝な朝なもともに起き 立ち居起き臥し添いまして しばしも離るることぞなき (田中木叉 心田植歌) 長時修 田中木叉 心田田植え歌 寝る | ||||||||||||||
聖聚 同一名号を称え、同一光明の中にありて、同聖聚の護念を被る同胞尤も親し。愚かに疎しと思うべからず。 名号 光明 聖聚 別時 護念 同胞 | ||||||||||||||
清浄 四智 六根清浄 1、眼 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】大円鏡智は 第8阿頼耶識が転じて智慧を得る。平等性智は第7まなしき【末那識】が転じて智を得る。妙観察知は第6意が転じて智を得る。成所作智は第1から5までの五感が転じて智を得る。 | ||||||||||||||
清浄 浄と不浄 1、清浄光によって浄化される。 2、清浄光によって己の不浄に気がつく。 | ||||||||||||||
清浄 転識得智 識を転じて智を得る 四智 清浄 六根 | ||||||||||||||
清浄 池の水 人の心に 似たりけり 濁りすむ事 さだめなければ 法然上人 罪 穢れ 清浄 心 濁り | ||||||||||||||
清浄 汚染 塵境 心情を汚染するから塵境 五塵 | ||||||||||||||
清浄 かわやにて 申す念仏に とがあらば 召しこめよかし 弥陀の浄土へ 法然上人 便所 不浄 清浄 行住坐臥 | ||||||||||||||
清浄 浄と不浄 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる 人生の春夏秋冬 信仰の芽生え 古今集・秋上・一六九、藤原敏行 秋が来たと目にははっきりとは見えないが、風の音で気づいたことだ。 | ||||||||||||||
清浄 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
清浄光 あら尊と 青葉若葉に 日の光 清浄光 松尾芭蕉 | ||||||||||||||
清浄光 雪下に 春の声あり ことことと 見えぬ小川の 流れ音聞く 清浄光、 河波 | ||||||||||||||
清浄光 草も木も からくれないに 見ゆるなれ 赤き眼がねを かけし人には | ||||||||||||||
清浄光 それ衆生ありて、この光に遇うものは三垢消滅し(清浄光)、身意柔軟に(智慧光)、歓喜踊躍して(歓喜光)、善心生ぜん(不斷光) 礼拝儀 無量寿経 | ||||||||||||||
小乘の三学、大乘の三学、顕教の三学、密教の三学があるが、これは要するに価値認識の相違であって三学に多種類あるわけではない。戒 定 慧 の三学です。 | ||||||||||||||
成所作智 四大智 (唯識) 仏果をきわめたときに具有する四種の智。すなわち、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智。 | ||||||||||||||
成所作智は第1から5までの五感が転じて智を得る。六根清浄 1、眼 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】 | ||||||||||||||
精進 剣は磨けば磨くほど 光を増す | ||||||||||||||
精進 時は今 ところ足元 そのことに うちこむ命 永久のみいのち 椎尾辨匡 今 人権 命 精進 | ||||||||||||||
精進 怠らず 行かば千里の果ても見ん 牛の歩みのよし おそくとも 無間修 四修 | ||||||||||||||
精進 これを見ん おりおりことに おもひてて 南無阿彌陀佛と 常にとなえよ 法然上人 精進 称名 | ||||||||||||||
長時修 作業(四修) 恭敬修 無余修 無間修 の三種を一生涯かけて勤めること。 | ||||||||||||||
長時修 作業(四修、三種行儀) 恭敬修 無余修 無間修 長時修 | ||||||||||||||
常隨守護の神祇冥道、定めて無道の障難をとがめ給はんか。命あらんともがら、因果のむなしからざる事を思ひ合わすべし。因縁尽きずば、何ぞ又今生の再会なからんや。 | ||||||||||||||
浄土 往生ー此土往生ー理想的浄土ー有余涅槃ー精神更生ー不体失往生 | ||||||||||||||
浄土 阿弥陀仏と 申すばかりを つとめにて 淨土の荘厳 見るぞうれしき 法然上人 浄土 荘厳 見佛 念仏 三昧 | ||||||||||||||
淨土 露の身は 此処彼処にて 消えぬとも 心は同じ 華の台ぞ 法然上人 流罪 露 華 淨土 往生 倶会一処 | ||||||||||||||
浄土 別体の三宝 @仏ー浄土の弥陀 A法ー念仏の御法 B僧ー浄土の菩薩 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
成道 私は人間に生まれ 人間に長じ、人間に仏を得たり | ||||||||||||||
成道 我与大地有情 同時成道 | ||||||||||||||
浄土にも 剛のものとや 沙汰すらん 西に向いて 後ろみせねば 熊谷次郎直実 恭敬修 | ||||||||||||||
浄土の法門と遊蓮坊とにあえるこそ 人界の生をうけたる思い出に侍れ。 法然上人 勅伝44 | ||||||||||||||
浄と不浄 1、清浄光によって浄化される。 2、清浄光によって己の不浄に気がつく。 | ||||||||||||||
浄と不浄 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる 人生の春夏秋冬 信仰の芽生え 古今集・秋上・一六九、藤原敏行 秋が来たと目にははっきりとは見えないが、風の音で気づいたことだ。 | ||||||||||||||
浄と不浄 元々はないけれども自分で造っていく 意の垢でつくる。 火の車 作る大工は おらねども 己がつくりて 己が乗り行く 自我オレガの心が作っていく。 | ||||||||||||||
淨土門 西へ行く 道より外は 今の世に 浮世を出づる 門やなからん 淨土門 | ||||||||||||||
浄土門(じょうどもん)と云うは、此の娑婆世界を、厭い捨てて、急ぎて、極楽にうまるる也。彼の国、生るる事は、阿弥陀仏の、誓いにて、人の善悪を、選ばず、只、佛の、誓いを、頼み、頼まざるによる也。此の故に、道綽(どうしゃく)は、浄土の一門のみありて、通入すべき、道なりと、宣(のたま)えり。されば、このごろ、生死を、離れんと、思うはん人は、證し難き、聖道を捨てて、行き易き、浄土を願うべき也。此の聖道浄土をば、難行道、易行道と、名付けたり。例えを、とりて、これを云うに、難行道は、険しき、道を、かちにて、ゆくが如し。易行道は、海路を、船に乗りて、行くが如しといえり。足萎(な)え、目しい、たらん人は、斯(か)かる、道には、向かうべからず。只船に、乗りてのみ、向かいの岸には、つく也。然(しかる)るに、このごろの、我らは、智恵の、眼、しひ、行法の、あしなえたる輩也。聖道難行の、険しき、道には、惣(そう)じて、望みを、絶つべし。ただ彌陀の本願の、船に乗りて、生死の海を渡り、極楽の岸に、着くべき也。 | ||||||||||||||
正念 ちとせふる 小松のもとを すみかにて 無量寿仏の 迎えをぞまつ 法然上人 来迎 正念 往生 | ||||||||||||||
称名 念佛の 真の味は 称え見よ 称えぬものにゃ わからぬものぞ 称名 | ||||||||||||||
称名 雪のうちに 仏の御名を 唱うれば つもれる罪そ やがて消えぬる 法然上人 (罪の浄化) 冬 雪 称名 | ||||||||||||||
称名 いけらば 念仏の功をつもり 死なば浄土にまいりなん とてもかくても この身には思い煩う 事ぞなき 法然上人 生死 称名 | ||||||||||||||
称名 これを見ん おりおりことに おもひてて 南無阿彌陀佛と 常にとなえよ 法然上人 精進 称名 | ||||||||||||||
正面に 照る大慈悲の たのもしさ 嬉しい時も 悲しい時も | ||||||||||||||
昭和 三宝 @仏ー明るく A法ー正しく B僧ー和やかに 明治 大正 昭和 | ||||||||||||||
所帰 安とは安置なり、心とは心念なり。念を所求、所帰、去行の三つに置くを安心という。 聖冏(観経伝通記 8) 安置 所求 所帰 去行 安心 | ||||||||||||||
所求 安とは安置なり、心とは心念なり。念を所求、所帰、去行の三つに置くを安心という。 聖冏(観経伝通記 7) 安置 所求 所帰 去行 安心 | ||||||||||||||
植ゑし植ゑば 秋なき時や 咲かざらん はなこそ散らめ 根さへ枯れめや | ||||||||||||||
助正二行 三重の行 1、五種正行 2、助正二行 3、専修一行 念佛 | ||||||||||||||
じょっとこらえよ 3分間 瞋恚、煩悩 腹立ち | ||||||||||||||
白魚の 洗えば濁る 清水かな 表面 虚仮 真実 | ||||||||||||||
白露のおきふし毎に思ふかな民のはぐさのさかゆかんよを | ||||||||||||||
白露を とめおく夜には をみなえし 一しほいろの そひまさるらん 弁栄上人 | ||||||||||||||
しろがねもこがねもたまもなにせんにまされるたから子にしかめやも | ||||||||||||||
白は白 黄は黄のままに 咲く小菊 とりかえられぬ 尊さを咲く | ||||||||||||||
師走は為し果たす | ||||||||||||||
瞋 隣に蔵が建てば、こちらに腹が立ち 瞋 | ||||||||||||||
瞋 十悪 身三(殺生、偸盗、邪淫) 口四(妄語、綺語、悪口、両 舌) 意三(貪・瞋・癡) 身口意 貪・瞋・癡 | ||||||||||||||
身 年 一 百 歳、 長 愁 八十 児 (100歳の老親が80歳の児を心配していることで、老婆親切である。その上に往生を願い、念仏者になった) | ||||||||||||||
塵 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
信 わが身の程を(機の信心) 仏の願を(法の信心) | ||||||||||||||
信機 弥陀の誓の御光に 疑いとけては晴るなりけり 法信 信法 | ||||||||||||||
信機 富士の白雪や朝日に解ける 胸の氷は思案じゃとけぬ 機信 信機 | ||||||||||||||
信機信法 不断煩悩(機信)即涅槃(法信) 曇鸞(善道) | ||||||||||||||
塵境 心情を汚染するから塵境 | ||||||||||||||
信楽 本願の三心=一心不乱=「観経」 至心、信楽、欲生我国 | ||||||||||||||
身口意 十悪 身三(殺生、偸盗、邪淫) 口四(妄語、綺語、悪口、両 舌) 意三(貪・瞋・癡) 身口意 貪・瞋・癡 | ||||||||||||||
人権 愛の反対は無関心だ マザーテレサ 人権 関心 怨憎会苦は関心がある | ||||||||||||||
人権 一輪の その一輪の 美しさ 尊厳 人権 千利休 全体と一点 | ||||||||||||||
人権 時は今 ところ足元 そのことに うちこむ命 永久のみいのち 椎尾辨匡 今 人権 命 精進 | ||||||||||||||
信仰 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる 人生の春夏秋冬 信仰の芽生え 古今集・秋上・一六九、藤原敏行 秋が来たと目にははっきりとは見えないが、風の音で気づいたことだ。 | ||||||||||||||
信仰と仕事 人と生まれし甲斐性には、南無阿弥陀仏と歌わんせ、歌うばかりが芸じゃない、歌が出たら舞わしゃんせ、きりきり舞うてきり舞うて、立ち働くが報恩業、それが顕現極楽の、舞と楽しくなってこそ、これで誠の人となる。 「人と生まれし甲斐性には、南無阿弥陀仏と歌わんせ」。すなわち、信仰を持ちなさい。「歌が出たら舞わしゃんせ、きりきり舞うてきり舞うて立ち働くが報恩業」。すなわち、仕事に勢を出しなさい。「それが顕現極楽」。すなわち、この世に極楽をあらわしていく源である。こうおっしゃっておるのでございます。(大谷仙海上人 直方市 長安寺) | ||||||||||||||
真言の阿彌陀はもともと阿彌陀であって、阿彌陀佛になった阿彌陀ではない。キリスト教と同様にもともと神であった(法身)。浄土の阿彌陀は酬因果成の阿彌陀である。法蔵菩薩が阿彌陀に成った阿彌陀である。 | ||||||||||||||
深山木の その木ずゑとも 見えざりし 桜は花に あらはれにけり | ||||||||||||||
真実 嘘聞いて喜んで、本当聞いて腹立てた。 世間 愚者 愚か 真実 | ||||||||||||||
真実 白魚の 洗えば濁る 清水かな 表面 虚仮 真実 | ||||||||||||||
真実 人間本分を尽くすの道。虚栄と虚名をむさぼる情から、善を作さないのに善の聞こえを好む者あり、また、自分で賞揚せられんがために自己を膨大にし、自己の短所欠点を隠し覆う者あり、自分の名を高らしめんがために他人の非を掲げる傾向がある。虚偽は大ミオヤさまを欺き、自分を欺き、また他人を欺くが故に、自分を欺く者はみずから自己の人格を重んじないからであって、結果は人から信用されなくなってしまうのである。真実は清浄潔白、品格おのずから高尚である。 | ||||||||||||||
尋常行儀 不浄にて 申す念仏に とがあらば めしこめられよ 弥陀の浄土へ 法然上人 浄不浄 トイレ | ||||||||||||||
深心 地に強く つけばはずみて 上る鞠 身をくだしてぞ すべむ極楽 法の絵草子 深心 | ||||||||||||||
信心 空海が 心のうちに 咲く花は 弥陀より外に 知る人はなし 弘法大師 信心の花 | ||||||||||||||
深心 総安心 厭離穢土 欣求浄土 別安心 三心 至誠心 深心 回向発願心 安心 | ||||||||||||||
深信 信機信法 法信 機信 | ||||||||||||||
信心 念仏は アクビの後の 口なおし 信心 疑心 信心が有るような無いような | ||||||||||||||
人生 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる 人生の春夏秋冬 信仰の芽生え 古今集・秋上・一六九、藤原敏行 秋が来たと目にははっきりとは見えないが、風の音で気づいたことだ。 | ||||||||||||||
人生 山本有三 路傍の石 「たった一人しかいない自分をたった一度しかない人生をほんとうに生きなかったら、生まれてきた甲斐がないじゃないか」 人生 自分 生死 | ||||||||||||||
人生二十八年の旅路をここに終ります。 みなさんお世話になりました。夫よ子どもよ、ありがとう。 母さんほんとにありがとう。私の心の愚かさに母さん泣かせてきましたね。 私の宿業抱きしめて、み親とともに泣きました。 教えてもらったその日から、私の心は晴れました。泣く泣く三途へ沈む身が、二河白道一筋に永遠のみ親と参ります。 一日ごとに張ってゆく痛みのつもるこの腹の、なでては泣いたこの口で、今は念仏絶えません。 私の死んだそのあとに、 幼き三人の子どもらは、母を訪ねてなくでしょう。思えば心が痛みます。 お淨土さまからお母さんがジッと守っておりますよ。 世間の人に愛されて生きぬくように頼みます。 幼き三人の子どもらよ。 母さん恋しく思うなら、み仏さまに手を合わせ、南無阿彌陀佛申してね。み空にかかる月さえも、雲一つなく冴えわたり、西へ西へと急ぎます。私の往きます西の国、輝く光のお淨土へ、そらだはみなさんサヨウナラ。 南無阿彌陀佛 南無阿彌陀佛 | ||||||||||||||
人生には三っつの坂がある。 上り坂、下り坂、そしてもう一つ、まさかという坂。 上り坂、下り坂 まさか? | ||||||||||||||
人生の 最も苦しい いやな 辛い 損な場面を まっ先に 微笑をもって 担当せよ | ||||||||||||||
心田田植え歌 山は青々日はうらら 田には漫々慈悲の水 秋はみのらん無量寿を 歌え南無阿弥田植え歌 青い稲葉はその中に 白いお米のみのるため 死ぬる身体はその中に 死なぬ命のそだつため (田中木叉 心田植歌) | ||||||||||||||
心田田植え歌 夜な夜なミオヤと共に寝ね 朝な朝なもともに起き 立ち居起き臥し添いまして しばしも離るることぞなき (田中木叉 心田植歌) 長時修 田中木叉 心田田植え歌 寝る | ||||||||||||||
瞋恚 じょっとこらえよ 3分間 瞋恚、煩悩 腹立ち | ||||||||||||||
嗔恚は功徳の林を焼く 「恐るべし カッと怒りの 胸の火が 我と我が身を 焼き尽くすなり」 | ||||||||||||||
嗔恚は功徳の林を焼く 「恐るべし カッと怒りの 胸の火が 我と我が身を 焼き尽くすなり」腹立ち、三毒、煩悩、 | ||||||||||||||
身年 壱百 歳 、 長 愁 八十 児。 100歳の老親が80歳の児っを心配している。 老婆親切 | ||||||||||||||
親縁おかあさん おかあさん おかあさんたら おかあさんなんにも ごようはないけれど なんだかよびたい おかあさん | ||||||||||||||
信法 富士の白雪や朝日に解ける 胸の氷は思案じゃとけぬ 機信 信機 | ||||||||||||||
親鸞 煩悩に眼さえられて 摂取の光明みえざれども 大悲ものうきことなくて 常に我が身を照らすなり 光明 摂取 慈悲 | ||||||||||||||
身六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
四障 四機 怠らず 行かば千里の果ても見ん 牛の歩みのよし おそくとも 無間修 四修 | ||||||||||||||
四障 四機雨たれに くぼみし軒の 石見ても かたきわざとて おもいすてめや 四障 四機 | ||||||||||||||
四障 四機寺じゃてるてる 道では曇る うちに帰れば 雨が降る 縁、在阿、在心 在縁 在決定 | ||||||||||||||
四障 四機法と機と 合うか合わぬかを 調べての 後に行う 道を定めよ 機法一体 機 法 | ||||||||||||||
随喜善の功徳は作善者のそれより勝れたり 作善 | ||||||||||||||
睡時 極楽は 仏のいます 国なれば 仏と共に 住めば極楽。 徳本 地獄とは 鬼の住みける 国なれば 鬼と一緒に 住めば地獄よ。 睡時 徳本 | ||||||||||||||
すいじ 十念 阿弥陀仏と 十声唱えて まどろまん 永き眠りに なりもこそすれ 法然上人 十念 すいじ十念 就寝 寝る時 | ||||||||||||||
睡時十念 阿彌陀仏と 十聲唱へて まどろまん 長きねぶりに なりもこそすれ 睡時十念 | ||||||||||||||
救い 光明はくまなくそそぐ 限り無きいのちに生きよ 人間の智慧なたのみそ み恵みは人を択ばず ただ頼め阿弥陀佛とおしえたる いみじさの我等が祖師や A煩悩を絶てとは告らず みだれたる心もゆるし 人間の性のまにまに み佛の国に往き行く この道は誰かひらきしなさけある 慕わしのわれらが祖師や (佐藤春夫 作詞)法然上人頌 煩悩 阿弥陀 光明 祖師 | ||||||||||||||
救い 阿彌陀仏に 助け給えと すがるより ほかに頼りの なき身なりけり | ||||||||||||||
頭上の化仏 観音 頂戴 冠 中 住 (中夜礼讃) 念仏者の基本 頭上の化仏 善導 | ||||||||||||||
鈴木大拙集 いいなぁ 世界虚空がみな仏 わしもその中 南無阿彌陀佛 浅原才一 | ||||||||||||||
涼しき あみだぶと 心は西に うつ蝉の もぬけはてたる 声ぞ涼しき 法然上人 夏 念仏 蝉 涼しき | ||||||||||||||
すべてを大ミオヤにお任せ申し上げて、常に大ミオヤを念ず。・・・・だんだん深く入るにしたがいて、あなたの心はなくなりて、唯のこる処はお慈悲の如来さまばかりと成り候う。(弁栄上人 お慈悲のたより上47大谷仙界上人への書簡) | ||||||||||||||
炭 薪 米麦 豆に至るまで 賎山しづの 汗を思へば | ||||||||||||||
住む月かげの 至らぬ里は なけれども ながむる人の こころにぞすむ 住む 澄む 済む 光明遍照 観経 第九 | ||||||||||||||
すゑつひに海となるべき山水もしばし木の葉の下くぐるなり | ||||||||||||||
制 戒 夫れ雪山童子は半偈の為に身を投じ、常啼大士は一句を開いて肝を割き、惠可禅師は臂を剪って伝法の表し、惠思禅師は命を捨て難謝の徳に酬ゆ。 (五重相傳 要偈道場 制戒より) | ||||||||||||||
是以 諸佛大悲 勧帰 淨土 (これを以って、諸佛の大悲、勧めて淨土に帰せしむ) | ||||||||||||||
正義 大ミオヤさまの命じたまう邪悪を捨て、大ミオヤさまの命じたまう正善をつくすことで、わが力は弱いが内に宿りたまう大ミオヤさまのみ力がお強いから、その絶対のみ力によって十善を行い、八正道をすすむことができるのである。 | ||||||||||||||
勢至丸 形見とて はかなき親の とどめてし この別れさえ いかにせん 法然上人15歳比叡山 秦氏 母親子 | ||||||||||||||
精出せば 凍る間もなし 水車 | ||||||||||||||
施餓鬼 三輪清浄 布施 与える人、物、頂く人 の三つが清浄 | ||||||||||||||
施餓鬼 もの言わぬ 親にあうなり 盆まいり | ||||||||||||||
世間 嘘聞いて喜んで、本当聞いて腹立てた。 世間 愚者 愚か 真実 | ||||||||||||||
摂化 摂取化益 | ||||||||||||||
摂取 摂化 摂取化益 | ||||||||||||||
摂取 煩悩に眼さえられて 摂取の光明みえざれども 大悲ものうきことなくて 常に我が身を照らすなり 光明 摂取 慈悲 | ||||||||||||||
摂取=守り抱かれている。 | ||||||||||||||
殺生 ああ、痛ましい哉、我等幾千かの仏肉を食い、我等幾千かの仏血を吸い、我等幾千かの仏命を断ち、我等幾千かの仏眼を決り、我等幾千かの仏肩を桂り、我等幾千かの仏皮を着つる」と『大智度論』の中で申され竜樹のみ心に、一歩いな半歩たりとも近づかせていただきたいものであります。 殺生 | ||||||||||||||
接待 無畏施 恐れがない→安らぎ 客の接待の仕方 施無畏 | ||||||||||||||
説法 蓮華初開楽 蓮華の華を開くようにゆっくり両手で右左前と袱紗を開く 終わったら十念の後に袱紗を閉じる。説法 作法 袱紗の開き方閉じ方 | ||||||||||||||
説法 日ごろ説く 教えは全て 今日の日の わが身のためと 思い知らるる (羽田恵三) 説法 我が身 法 | ||||||||||||||
蝉 あみだぶと 心は西に うつ蝉の もぬけはてたる 声ぞ涼しき 法然上人 夏 念仏 蝉 涼しき | ||||||||||||||
施無畏 無畏施 恐れがない→安らぎ 客の接待の仕方 施無畏 | ||||||||||||||
善 我は欲する所の善を行うわたわず 欲せざる所の悪を行う あぁ悩める我なるかな。(パウロ)十夜 善 悪 欲 苦 意思 | ||||||||||||||
前慶 手のまいも 足のふみども 白波や 誓の船に 乗り得つる身は 喜び 前慶 後慶 慶中 | ||||||||||||||
先祖 真砂なす 数なき星の そのなかに 我に向かいて 光る星あり | ||||||||||||||
全体 一輪の その一輪の 美しさ 尊厳 人権 千利休 全体と一点 | ||||||||||||||
善知識は これ汝の父母なり。 汝らの菩提心を養育し給えばなり。 法句経 親 菩提心 | ||||||||||||||
選択集 名号 六字の名号の中には、阿弥陀様おひとりが持っていらっしゃるあらゆる内面の功徳、つまり、四智・三身・十力・四無畏などのお徳から、阿弥陀様の外に対する御はたらき、つまり、相好・光明・説法・利生などというお徳、その内なる御はたらき、また外に向かう御はたらき、一切み功徳が、お名号の中に、摂し収められて在る。法然上人は、こう申されているのでございます。お名号の中には、あらゆる善根功徳、善と名のつくものは全部入っているわけでございます。そういう意味からいたしまして、「お名号」ということがいえるわけでございます。だからお名号「南無阿弥陀仏」の種を仏性心田に蒔く。そうして蒔いたお名号の種が、仏様の絶大なる御力によって、それが蒔くと同時に芽を出すのでございます。仏種の発芽でございますね。(選択集) | ||||||||||||||
千中 無一(お浄土はできても、お前たちの力で来いと手招いても、来る資格のあるものは1人もない。千人の中に1人もいない) | ||||||||||||||
善導 観音 頂戴 冠 中 住 (中夜礼讃) 念仏者の基本 頭上の化仏 善導 | ||||||||||||||
善道 不断煩悩(機信)即涅槃(法信) 曇鸞(善道) | ||||||||||||||
善導大師 中国初唐の浄土教の僧。終南大師と尊称する。安徽省(あるいは山東省)の人。道綽(どうしゃく)に学んで中国浄土教を大成。主著「観無量寿経疏」「往生礼讚」「般舟讚」。(六一三〜六八一)法然上人が弥陀に化身と仰がれた。 | ||||||||||||||
前念後念=念念 「念念梵燒戒定香」(香偈)(法事讃) | ||||||||||||||
千利休 一輪の その一輪の 美しさ 尊厳 人権 千利休 全体と一点 | ||||||||||||||
千利休 と朝顔 千利休の屋敷の庭一面に咲くに朝顔の花は大変美しいという噂が立った。これを耳にした秀吉が「明朝見に行くからそのつもりでいるように」と利休に言いつけた。翌朝秀吉は利休の家を訪れ、露地を歩き始めたが朝顔の花などどこにも咲いていない。あの噂はいいかげんなものだったのかとだんだん不愉快な気分になり、「利休も利休だ。わしが見に行くといったときに、朝顔の花など咲いておりませんと言えばよいものを」と思うと一層腹が立ってきた。しかし、そのまま帰るのも大人げないと思い、躙り口(にじりぐち)を開けふと床を見ると、朝顔が一輪だけ生けてある。それを見た秀吉は、庭一面に咲き誇る朝顔には見られない独特の美しさに感動し、また利休にいっぱい食わされたということがようやく分かった。利休は前日に朝顔を一輪だけ残し全て抜き取り、それを生けてみせたのである。黄金づくりの茶室を得意げに見せびらかしている秀吉に対し、一輪の花が持つ美しさを示した利休の作意であった。 (全体と一点) | ||||||||||||||
僧 三宝 @仏ー名医 A法ー名薬 B僧ー看病 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
僧 住持の三宝 @仏ー絵像木像 A法ー黄紙朱軸 B僧ー剃髪 染衣 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
僧 別体の三宝 @仏ー浄土の弥陀 A法ー念仏の御法 B僧ー浄土の菩薩 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
総安心 厭離穢土 欣求浄土 別安心 三心 至誠心 深心 回向発願心 安心 | ||||||||||||||
雑起 四修 恭敬修⇔高慢 無余修⇔雜起 無間修⇔懈怠 長時修⇔退転 | ||||||||||||||
増上 煩悩に眼さえられ 見えねども 絶えず我らを 照護し給う 煩悩 護念 仏 増上 | ||||||||||||||
増上 煩悩に眼さえられて 摂取の光明みえざれども 大悲ものうきことなくて 常に我が身を照らすなり 光明 摂取 慈悲 | ||||||||||||||
増上縁 来迎=往生の増上縁、 三心=往生の安心 往生 増上縁 三心 安心(勅修御伝随聞記19) | ||||||||||||||
僧の身は 万事はいらず 常不軽 菩薩の行 殊勝なりける (良寛 歌集より) | ||||||||||||||
そことなく そよぐ難波の 浦風に よしあしのみや みだれそむらん | ||||||||||||||
祖師 光明はくまなくそそぐ 限り無きいのちに生きよ 人間の智慧なたのみそ み恵みは人を択ばず ただ頼め阿弥陀佛とおしえたる いみじさの我等が祖師や A煩悩を絶てとは告らず みだれたる心もゆるし 人間の性のまにまに み佛の国に往き行く この道は誰かひらきしなさけある 慕わしのわれらが祖師や (佐藤春夫 作詞)法然上人頌 煩悩 阿弥陀 光明 祖師 | ||||||||||||||
そしり、謗ぜんともがらも、必ず九品の台に縁を結び、互いに、一仏淨土のともたらん。 | ||||||||||||||
誹るまじ たとひ科ある 人なりと わがあやまりは 人に勝れり (罪) | ||||||||||||||
育て はえば立て 立てば歩めの 親心 わが身に積もる 老いを忘れて 育て 守り 親子 老 四苦 | ||||||||||||||
袖すりあうも他生の縁 柳生家の家訓 「小才は縁に出会って縁に気づかず 中才は縁に気づいて縁を生かさず 大才は袖すり合った縁をも生かす」縁怨憎会苦 不可思議 「袖すりあうも他生の縁」 | ||||||||||||||
その柩はどこに行くのですか?火葬場へ。それからどこにゆくのですか?お墓へ。それからどこにゆくのですか?知りません。 かわじ‐りゅうこう(かはぢリウコウ)【川路柳虹】 詩人、美術評論家。東京出身。本名、誠。聖謨(としあきら)の孫。詩草社同人。わが国初の口語自由詩「塵溜(はきだめ)」を発表し、その先駆をなした。詩集「路傍の花」「かなたの空」「曙の声」。(一八八八〜一九五九) | ||||||||||||||
染める あみだぶに そむる心の いろにいでば あきの梢の たぐいならまし 法然上人 秋 染める 梢 | ||||||||||||||
剃りたきは 心の中の 乱れ髪 つむりの髪は とにもかくにも | ||||||||||||||
それ衆生ありて、斯光に遇うものは 三垢消滅し、身意柔軟に、歓喜踊躍して、善心生ぜん | ||||||||||||||
それ衆生ありて、この光に遇うものは三垢消滅し(清浄光)、身意柔軟に(智慧光)、歓喜踊躍して(歓喜光)、善心生ぜん(不斷光) 礼拝儀 無量寿経 | ||||||||||||||
それですから、そのように偽りをたくらんでいう人をかえって哀れむペきものです。その程度の者のいうことですので、念仏するのになんの懸念もありません。疑いをおこす者は、いうに足りない程度のことでございます。だいたいが阿弥陀仏に縁が浅く、往生を願うよい磯会にめぐり合わない者は、聞いても信じないで、人が行なっているのを見ては腹を立て、怒りを含んで、さまたげようとするのです。そのことを心得て、どのように人がいおうとも、お心だけはいいかげんになさってはなりません。ましてや凡夫というものは力の及ぶものではありません。このような不信の人びとのために、慈悲をおこし、ためになるようにと思うにつけても、早く極楽へ参って、さとりを開いて、ふたたびこの迷いの世界に帰ってきて非難している不信の人を極楽に渡らせ、一切の生きとし生けるものをあまねく利益を持させようと思いなさることです。 | ||||||||||||||
尊厳 一輪の その一輪の 美しさ 尊厳 人権 千利休 全体と一点 | ||||||||||||||
だWTO かつてWTO(世界保健機構)はアフリカのマラリア患者の多い地域で徹底的なマラリア樸滅作戦を展開した。その結果、乳幼児の死亡率が10分の1に低下した。そかし10年あとには、その地域の住民のほとんどが餓死してしまった。マラリア患者がいなくなって、爆発的に人口が増加したためである。WHOは、はたして良いことをしたのか?悪いことをしたのか頭をかかえこんだという。 慈悲 科学 理論 良いこと 悪いこと 知恵 | ||||||||||||||
大円鏡智 四大智 (唯識) 仏果をきわめたときに具有する四種の智。すなわち、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智。 | ||||||||||||||
大円鏡智は 第8阿頼耶識が転じて智慧を得る。六根清浄 1、眼 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】 | ||||||||||||||
大海の 磯もとどろに 寄する浪 わけて砕けて さけて散るかも | ||||||||||||||
大願業力の構え出だすところ、万徳を行者に譲り給う。他力難思の巧 方便、一称に衆善に超過せしむ。(私たちは阿弥陀様の代修の賜で 万徳を、讓 与、施与、恵与されている。実に幸いの身の上であり、もったいない身の上です。) | ||||||||||||||
代苦 いまします 仏の姿 よく見れば みな苦しみに 耐えしみ姿 苦 代修 代苦 | ||||||||||||||
大工 浄と不浄 元々はないけれども自分で造っていく 意の垢でつくる。 火の車 作る大工は おらねども 己がつくりて 己が乗り行く 自我オレガの心が作っていく。 | ||||||||||||||
第九 月かげの 至らぬ里は なけれども ながむる人の こころにぞすむ 住む 澄む 済む 光明遍照 観経 第九 | ||||||||||||||
代苦 法蔵菩薩が 私のために悪因悪果の苦を代わってしてくれたこと 代苦 代修 | ||||||||||||||
代修 いまします 仏の姿 よく見れば みな苦しみに 耐えしみ姿 苦 代修 代苦 | ||||||||||||||
代修 法蔵菩薩が 私のために修行したこと | ||||||||||||||
大乘 1000年単位で歴史を見ると「キリスト教と大乗仏教が出会った」と記録されるであろう。(トインビー歴史学者) | ||||||||||||||
大正 三宝 @仏ー明るく A法ー正しく B僧ー和やかに 明治 大正 昭和 | ||||||||||||||
大聖釈尊がこの土に出現の目的、理想、お役目はただちに念仏を説くのであったのである。 だから、念仏が釈尊の出世の本懐と申す。何故ならば、念仏に勝る最上の妙法はないからである。 (浄土的解釈) | ||||||||||||||
大乗仏教とキリスト教が出会った」と1000年単位で歴史を見ると「記録されるであろう。(トインビー歴史学者) | ||||||||||||||
大智度論 ああ、痛ましい哉、我等幾千かの仏肉を食い、我等幾千かの仏血を吸い、我等幾千かの仏命を断ち、我等幾千かの仏眼を決り、我等幾千かの仏肩を桂り、我等幾千かの仏皮を着つる」と『大智度論』の中で申され竜樹のみ心に、一歩いな半歩たりとも近づかせていただきたいものであります。殺生 | ||||||||||||||
退転 四修 恭敬修⇔高慢 無余修⇔雜起 無間修⇔懈怠 長時修⇔退転 | ||||||||||||||
大忍とは耐えしのんだり、がまんすることとはちがう。苦しいときはくるしいままに、嬉しいときは嬉しいままに身体ごと素直に順応していくことである。悲しいときは子供のように、ごく自然に涙を浮かべ悲しいんでいる。また念願かなって嬉しいときは、子供のように無邪気に嬉しがるこれを大忍という。 寂しいときは寂しいままに独り静かにいる。これが日本文化の「わび」「さび」の精神である。身体で抑えて、首から上に上げない。文句、愚痴を言わないようにしよう。争いの元となる。罪作り。(板橋興宗 曹洞宗) | ||||||||||||||
タイムズの記者がマハトマ・ガンディーに質問した「あなたは、非暴力(アサンサー)でインド独立を勝ちとりましたが、今、あなたに向けて原子爆弾を搭載した爆撃機があなたの頭上に飛来してきたら、どうされますか?」するとガンディーさんはその記者に微笑みながら、こう答えたといいます。「私は私に向かって原爆をつんだ飛行機が飛んできたら、その飛行機に手をふって笑顔で敵意のないことをしめすだろう」 | ||||||||||||||
妙の字は 若き女の みだれ髪、 結うに結われず、解くに解かれず | ||||||||||||||
打かへす 土黒みゆく 春田かな | ||||||||||||||
高松 おぼつかな 誰かいいけん 小松とは 雪をささふる 高松の枝 法然上人 冬 雪 高松 | ||||||||||||||
宝 銀のくがねも 玉もせむに まされる宝 子にしかめやも | ||||||||||||||
滝つせの 清きいづみに そそげかし 日々に新たに こころのあかを 念佛する私達の念念刻々に清浄なる水(光明)に潅がれて、私たちの心が浄化されてゆくのである。(弁栄上人) | ||||||||||||||
武夫の 八十氏川の ゑびす島 おち来る水の たけくもなるかな | ||||||||||||||
他生の縁 柳生家の家訓 「小才は縁に出会って縁に気づかず 中才は縁に気づいて縁を生かさず 大才は袖すり合った縁をも生かす」縁怨憎会苦 不可思議 「袖すりあうも他生の縁」 | ||||||||||||||
尋ねよと 教ゆる宿を よそに見て 六つの道には 足も休めず | ||||||||||||||
尋ねよと 教ゆる宿を よそに見て 六つの道には 足も休めず 六道 | ||||||||||||||
ただ、淨土を心にかくれば心行にて候うなり。 淨土に心にかくる とは、念佛することであるが、このようにして淨土へ往生していくことが、そのまま心の浄化という内容を伴っているのである。(法然上人 和語燈録 3巻) | ||||||||||||||
正しく 三宝 @仏ー明るく A法ー正しく B僧ー和やかに 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
正しさが 二つもあって する喧嘩 | ||||||||||||||
唯頼め よろずの罪は 深くとも 我が本願の あらんかぎりは 本願 罪 十悪 五逆 | ||||||||||||||
ただ見れば何の苦もなき水鳥の足にひまなき我おもひかな | ||||||||||||||
立ちならぶ 影やなからん 萬代の 後まで照らす 法の灯火 法 | ||||||||||||||
橘は 己が枝々 生れれども 玉に貫くとき 同じ緒に貫く | ||||||||||||||
ダッソは腐るまで痛い! これは如来さまの賜だ。 (唐津、冨田上人) (抜苦与楽、歓喜光の賜) | ||||||||||||||
たった一人しかいない自分を たった一度しかない人生をほんとうに生かせなかったら 人間に生まれてきた甲斐が ないじゃないか | ||||||||||||||
田中木叉 山は青々日はうらら 田には漫々慈悲の水 秋はみのらん無量寿を 歌え南無阿弥田植え歌 青い稲葉はその中に 白いお米のみのるため 死ぬる身体はその中に 死なぬ命のそだつため (田中木叉 心田植歌) | ||||||||||||||
田中木叉 夜な夜なミオヤと共に寝ね 朝な朝なもともに起き 立ち居起き臥し添いまして しばしも離るることぞなき (田中木叉 心田植歌) 長時修 田中木叉 心田田植え歌 寝る | ||||||||||||||
谷川の 木の葉の下の おぼれ水 流るるもゆく 滴るもゆく (つぶつぶもゆく ざらざらもゆく) 示現 岩清水八幡 林 227 | ||||||||||||||
他人関係 恭敬修 恭は体で敬う。 敬は心で敬う。 心で舌を出し、身体で敬う。日常他人に対する。 心で敬い身体では敬ない 親子関係。 仏に対しては心と身体で敬う。何もいわないから! | ||||||||||||||
胤平は二 つの太刀を はけりけむ 利き一ふりと 鈍き一ふり | ||||||||||||||
頼みなば ただひしひしと 頼むべし 生き賢きは 道に遠きぞ 愚鈍 念仏 往生の機 | ||||||||||||||
頼みなば ただひしひしと 頼むべし 生き賢きは 道に遠きぞ 愚鈍 念仏 往生の機 | ||||||||||||||
頼みなば ただひしひしと 頼むべし 生き賢きは 道に遠きぞ 愚鈍 念仏 往生の機 | ||||||||||||||
煙草のむ身と 恋する身には 胸にけぶりの絶え間ない。 アミタアミタと恋する身には 胸に仏のたえまなきぞ 徳本 無間修 | ||||||||||||||
たはむれに 母を背負いて そのあまり 軽きになりて 三歩あゆまず (石川啄木)いしかわ‐たくぼく(いしかは‥)【石川啄木】 明治末期の浪漫派の歌人、詩人。本名一(はじめ)。岩手県出身。与謝野鉄幹夫妻に師事。口語体の三行書きの生活派の歌をよみ、評論「時代閉塞の現状」などで社会主義への関心を示す。歌集「一握の砂」「悲しき玩具」、小説「雲は天才である」など。(一八八六〜一九一二) | ||||||||||||||
玉きはる 命の前に 欲りし水を こらえて居よと われは言いつる(病に水は悪いのだが、あげなかった) | ||||||||||||||
民くさの みをも見しより なりいてし 阿勢のしつくの 白玉そこれ | ||||||||||||||
たらちねの 名をばくださじ 梓弓 いなばの山の 露と消ゆとも | ||||||||||||||
足らぬ自分の力では 越すに越されぬこの峠 まもるお慈悲のみ力で 越されぬまゝに越せてゆく | ||||||||||||||
戯れに 母を背負いて そのあまり 軽きになりて 三歩あゆめず | ||||||||||||||
団子もろたら砂糖欲しい。魚もろたら酒欲しい。猫もらうなら三毛もらえ 物もらうなら ようけもらえ | ||||||||||||||
智 転識得智 識を転じて智を得る 四智 清浄 六根 | ||||||||||||||
癡 十悪 身三(殺生、偸盗、邪淫) 口四(妄語、綺語、悪口、両 舌) 意三(貪・瞋・癡) 身口意 貪・瞋・癡 | ||||||||||||||
癡 十悪 身三(殺生、偸盗、邪淫) 口四(妄語、綺語、悪口、両 舌) 意三(貪・瞋・癡) 身口意 貪・瞋・癡 | ||||||||||||||
知恵 賢いと愚かは一如である ( 光と影、善と悪 極楽と地獄 ) (聖徳 太子) | ||||||||||||||
知恵 かつてWTO(世界保健機構)はアフリカのマラリア患者の多い地域で徹底的なマラリア樸滅作戦を展開した。その結果、乳幼児の死亡率が10分の1に低下した。そかし10年あとには、その地域の住民のほとんどが餓死してしまった。マラリア患者がいなくなって、爆発的に人口が増加したためである。WHOは、はたして良いことをしたのか?悪いことをしたのか頭をかかえこんだという。 慈悲 科学 理論 良いこと 悪いこと 知恵 | ||||||||||||||
智慧 転識得智 識を転じて智を得る 四智 清浄 六根 | ||||||||||||||
智慧 来迎の蓮台=舟、来迎の光=智慧 (勅修御伝随聞記22) 蓮台 舟 智慧 光 安心 | ||||||||||||||
智慧 無明を基とし、煩悩を基盤としているから、方向性を間違えて苦を生じる。 無知 愚痴 智慧 知力 明 | ||||||||||||||
智慧光 それ衆生ありて、この光に遇うものは三垢消滅し(清浄光)、身意柔軟に(智慧光)、歓喜踊躍して(歓喜光)、善心生ぜん(不斷光) 礼拝儀 無量寿経 | ||||||||||||||
智慧は物事の方向性を示してくれる。 知力には者を判断する能力はあるが、方向性がない | ||||||||||||||
知恩院 草も木も 枯れたる野辺に ただ独り 松のみ残る 弥陀の本願 本願 知恩院 吉水 | ||||||||||||||
誓 一声も すてぬ誓の うれしさに 思わずつもる 弥陀のかずかず 念佛、誓 、弥陀 | ||||||||||||||
知行兼備念仏往生の機 空海が 心のうちに 咲く花は 弥陀より外に 知る人はなし 弘法大師 信心の花 | ||||||||||||||
父の遺言忘れがたくして、とこしなえに隠遁の心ふかきよしのべ給うに、少年にしてはやく出離の心をおこせり。 | ||||||||||||||
父母が 頭かきなぜ 幸あれと 言いし言葉ぞ 忘れかねつる | ||||||||||||||
父母が 頭かきなぜ 幸あれと 言いし言葉ぞ 忘れかねつる 親 恩 | ||||||||||||||
父母の 恵みをあだに おもうなよ 弥陀たのむ身を 育て給えば | ||||||||||||||
父母の 恵みをあだに おもうなよ 弥陀たのむ身を 育て給えば 親、恩 | ||||||||||||||
ちとせふる 小松のもとを すみかにて 無量寿仏の 迎えをぞまつ | ||||||||||||||
ちとせふる 小松のもとを すみかにて 無量寿仏の 迎えをぞまつ 法然上人 来迎 正念 往生 | ||||||||||||||
地に強く つけばはずみて 上る鞠 身をくだしてぞ すべむ極楽 法の絵草子 深心 | ||||||||||||||
中夜礼讃 観音 頂戴 冠 中 住 (中夜礼讃) 念仏者の基本 頭上の化仏 善導 | ||||||||||||||
超越と内在の調和 万有在神論 pan en thiesmus 汎神論 対 唯物論 (クラウゼ) 参照 如来蔵思想、内在と超越 万有在神論 包含と展開 | ||||||||||||||
重源 黒田の上人 伊賀の黒田の上人 俊乗坊重源 東大寺 大仏再建 阿号の始祖 | ||||||||||||||
勅伝 浄土の法門と遊蓮坊とにあえるこそ 人界の生をうけたる思い出に侍れ。 法然上人 勅伝46 | ||||||||||||||
直にしも 読まばよからむ 横文字を よみてな入りそ よこしまの道 | ||||||||||||||
知らざりき 仏とともに おきふして 明け暮らしける 我が身なりとは (盲目) | ||||||||||||||
知力 智慧は物事の方向性を示してくれる。 知力には者を判断する能力はあるが、方向性がない | ||||||||||||||
知力 無明を基とし、煩悩を基盤としているから、方向性を間違えて苦を生じる。 無知 愚痴 智慧 知力 明 | ||||||||||||||
塵を払わん、垢を除かん | ||||||||||||||
鎮西 同体 別体の三宝 の願海をおどろかし申してもうさく。 授手印 二祖 鎮西聖光 | ||||||||||||||
鎮西 二祖 末代念仏授手印 修行 安心(智目)・起行(行足) 起行 二重 修行 | ||||||||||||||
追善 先立ちし 人よかれとの追善は 我が身よかれの 祈りなりけり 回向 追善 | ||||||||||||||
通達 諸法性 一切空無我 專求浄 仏土 必成 妙 是刹 種善寺 対聯 空外75歳書 | ||||||||||||||
月 あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月 (明恵)主客 川端康成 ノーベル賞 月 美 | ||||||||||||||
月かげの 至らぬ里は なけれども ながむる人の こころにぞすむ 住む 澄む 済む 光明遍照 観経 第九 | ||||||||||||||
次の世は よき虫に生まれこよと 手合わせつつポリドールまく 虫 殺す 懺悔 | ||||||||||||||
月みれば ちぢに物こそ 悲しけれ 我身ひとつの 秋にはあらねど | ||||||||||||||
月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我身ひとつは もとの身にして | ||||||||||||||
つくりおく 罪が須弥ほど あるならば えんまの帳に つけどころなし | ||||||||||||||
伝え聞く 鶴の林の 夜半の声 皆子を思う言葉なりけり 貞極 I林涅槃 釈迦 | ||||||||||||||
包めども 人の心の よしあしは 終りの時に あらわれぞする | ||||||||||||||
津の国の 難破の春は ゆめなれや あしの枯葉に 風わたるなり | ||||||||||||||
角を出したる 蝸牛さえも こちらの塩で まるくなる (負けて勝つ すみませんと謝ると丸くなる(藤堂 俊章 台下) | ||||||||||||||
粒々皆是仏身、滴々悉是仏物 | ||||||||||||||
妻こふる 鹿ぞなくなる 女郎花 おのが住む野の 花と知らずや | ||||||||||||||
罪 唯頼め よろずの罪は 深くとも 我が本願の あらんかぎりは 本願 罪 十悪 五逆 | ||||||||||||||
罪 なおしても なおらむものは 心なり なおらぬ故に 弥陀に頼むなり (罪) | ||||||||||||||
罪 盗みせず 人を殺さずを よきことに われ罪なしと 思うおろかさ 徳本上人 | ||||||||||||||
罪 池の水 人の心に 似たりけり 濁りすむ事 さだめなければ 法然上人 罪 穢れ 清浄 心 濁り | ||||||||||||||
罪 雪のうちに 仏の御名を 唱うれば つもれる罪そ やがて消えぬる 法然上人 (罪の浄化) 冬 雪 称名 | ||||||||||||||
罪1、外道の輩は 仏の教法において、すべてこれを信じない。いわんや念仏の法にいおておやである。2、仏法の中でも、小乘 教は他方世界あるを信受しないのである。当今口には大乘教と言いつつ、西方浄土を信じないのが多いようです。これはみな小乘 教に人と申すべきです。3、大乘を学ぶ有心のものでも、具縛の凡夫がわずかの念仏で往生を信じない。4、たとい善人といえどもいかんぞ、煩悩具足の凡夫、一日二日の十念一念の力で、ただちに、三界の穢惡を離れて淨土不退にいる。これはこれ凡夫を誘引の気休めの詞ならんとして信ぜず。5、五逆十悪の罪人、自らその身において疑いをなす。われはこれ五逆十悪の罪人である。この重罪人はたとえ念仏修するとも、いかでか往生を遂げ得べきと自疑して往生を疑うものです。これを浄土宗では自造罪退と申しています。自ら造罪して退くのである。 | ||||||||||||||
罪ありて 六つの巷に さまよえる 人に代わらん 誓い尊し | ||||||||||||||
積む 持戒念仏往生の機 世の中は 賽の河原の 石なれや 積んではくずし くずしては積む 世の中 賽の河原 石 積む | ||||||||||||||
積めよ積め 財をつむより 徳をつめ まことの徳は 崩るることなし | ||||||||||||||
露とおき 露と消えゆる わが身かな 難波の事は 夢の又夢 (豊臣秀吉) | ||||||||||||||
つゆと落ち つゆと消えにし わがみかな 難波のことも 夢のまた夢 | ||||||||||||||
露の身は 此処彼処にて 消えぬとも 心は同じ 華の台ぞ 法然上人 流罪 露 華 淨土 往生 倶会一処 | ||||||||||||||
露の身は 此処彼処にて 消えぬとも 心は同じ 華の台ぞ 法然上人 流罪 露 華 淨土 往生 倶会一処 | ||||||||||||||
露の身は ここかしこにて きえぬとも こころはおなじ 花のうてなぞ(一蓮托生) | ||||||||||||||
露の身は ここかしこにて きえぬとも こころはおなじ 花のうてなぞ」九条兼実公の次の歌の返歌「ふりすてて ゆくは別れの 橋なれど ふみわたすことを しぞおもう 」住蓮 安楽の過失に伴う流罪 | ||||||||||||||
徒然草 死は前よりも来たらず、かねてうしろにせまれり。人みな死あることを知りて待つことしかも急ならざるに覚えずして来る。沖の干潟はるかなれども、磯より潮の滿つるがごとし。 吉田兼好 徒然草 死 潮 | ||||||||||||||
貞極 伝え聞く 鶴の林の 夜半の声 皆子を思う言葉なりけり 貞極 I林涅槃 釈迦 | ||||||||||||||
貞操 無余修 阿弥陀一仏を信じ、念仏の一行を行ずる。 宗教的貞操を守ること。 阿釈薬観天天八蔵 | ||||||||||||||
貞操 肉体上の貞操は勿論のこと、信仰上の貞操が大切である。「わが身と心とのすべてを捧げて仕え奉らん」といい、「すべてを大ミオヤさまにおまかせ申し上げて」といいながら、いかがわしい俗信をつづけている。ことのよしあしは別として、あの00学会を見れば宗教上の貞操の大切さが分かる。わが身と心とのすべてを捧げて帰命し奉るのは大ミオヤさまのみである。 | ||||||||||||||
啼つれて 声より声も ますらをの 心にかへる 夜半のかりかね | ||||||||||||||
手に称え 心におもい 忘れずば たとい口には 余を語るとも 徳本 念珠 | ||||||||||||||
手にむすぶ 水に宿れる 月の影 大空の月を 孕みぬ草の露 | ||||||||||||||
手のまいも 足のふみども 白波や 誓の船に 乗り得つる身は 喜び 前慶 後慶 慶中 | ||||||||||||||
寺じゃてるてる 道では曇る うちに帰れば 雨が降る 縁、在阿、在心 在縁 在決定 | ||||||||||||||
寺は照る照る 帰りは曇る 家に帰れば 雨が降る 縁、在阿、在心 在縁 在決定 | ||||||||||||||
てるつきの ひかりはいまださむ けれどはるにかはらぬ うめがかぞする | ||||||||||||||
てるにつけ 曇るにつけて 思ふかな 我が民草の 上はいかにと | ||||||||||||||
照もお慈悲、降るもお慈悲 、雨奇晴好、 日々是好日 | ||||||||||||||
手を合わす 仏にすまぬ ことばかり | ||||||||||||||
手を折て 昔の友を 数うれば なきは多くぞ なりにけるかな | ||||||||||||||
手をとりて 同じ蓮に 登れかし 親子も妻も この世ばかりか | ||||||||||||||
手を叩く 鹿は寄り来る 鳥は飛ぶ 下女は茶をくむ 猿沢の池 | ||||||||||||||
天狗 『平家物語』では、「人にて人ならず、鳥にて鳥ならず、犬にて犬ならず、足手は人、かしらは犬、左右に羽根はえ、飛び歩くもの」とある。 | ||||||||||||||
転識得智 識を転じて智を得る 四智 清浄 六根 | ||||||||||||||
天の原 満ちたる星の 影消えて 月の光に なれる空かな | ||||||||||||||
天は何とも云わねども 四時はつねにあやまらず 春は芽生えて 夏しげり 秋はみのりて 冬おさむ 大親のおきては意なき 草木を守りて違わじを まして心の有る身より 仰げ弥陀よ尊しな | ||||||||||||||
天は二物を与えず天は二物を与えず 身体の丈夫な人 頭が悪い頭のよい人 身体が悪い器量のよい人愛想が悪い 愛想のよい人 器量が悪い愛想も器量もどちらもよけりゃ 身体がわるくて病院通い 金のある時 暇がない暇のある時 金がないお金お金と無理してためた たまった途端に 生命がもたぬ 家も新築お金も 出来たが肝心要の 子が出来ぬ 出来た出来たと ちやほやしたら ためたお金を 湯水と使う お金も子どもも 言うことないが もらった嫁御が 気に入らぬ 生んだわが子も親にたてつく 世の中だ 他家で生まれた 人じゃもの 辛抱のが 当たり前 二つ揃って よい事ないと 悟るまでには 月日がかかる わかりかけたら この身の終わり ほんに浮世は ままならぬ |
||||||||||||||
伝法ー形式(コップ) 伝戒ー内容 (水) 五重 授戒会 | ||||||||||||||
天満宮 番町で 眼あきめくらに 道を聞き 塙 保 己一 天満宮 群書類聚 | ||||||||||||||
天も好ければ 地も饒間の 人は悪いのみ | ||||||||||||||
天を恨み 人を尤むる ことはあらじ わがあやまちを 思ひかへさば | ||||||||||||||
トイレ 不浄にて 申す念仏に とがあらば めしこめられよ 弥陀の浄土へ 法然上人 浄不浄 トイレ | ||||||||||||||
同一名号を称え、同一光明の中にありて、同聖聚の護念を被る同胞尤も親し。愚かに疎しと思うべからず。 名号 光明 聖聚 別時 護念 同胞 | ||||||||||||||
等活、黒縄、衆合、叫喚、大叫喚、焦熱、大焦熱、無間(阿鼻) | ||||||||||||||
唐辛子 羽が生えれば 赤とんぼ | ||||||||||||||
道元禅師 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり 道元禅師 四季 季節 春夏秋冬 | ||||||||||||||
当時日ごとの、お念仏をも、かつがつ回向し、まいらせられ候うべし。亡き人のために、念仏を回向し候へば、阿弥陀仏、光を放ちて、地獄、餓鬼、畜生を、照らし給い候へば、此の三悪道に、沈んで、苦を受ける者、その苦しみ、休まりて、命終わりて後、解脱すべきにて候。大経にもし三途勤苦の処に在りて、此の光明を見奉らば、皆休息を得て、又苦悩無し。寿終の後、皆解脱を蒙らんと云えり。『 勅伝 第二十三 』 | ||||||||||||||
同体 別体の三宝 の願海をおどろかし申してもうさく。 授手印 二祖 鎮西聖光 | ||||||||||||||
東大寺 黒田の上人 伊賀の黒田の上人 俊乗坊重源 東大寺 大仏再建 阿号の始祖 | ||||||||||||||
尊いのは頭でなく 手でなく 足の裏である 一生人に知れず 一生きたない処と接し黙々として その努めを果たしてゆく 足の裏が教えるもの しんみんよ 足の裏的な仕事をし 足の裏的な人間になれ 頭から光がでる まだまだだめ 頭から光がでる まだまだいかん 足の裏から光でる そのような人こそ 本当に偉い人である。 | ||||||||||||||
藤堂 角を出したる 蝸牛さえも こちらの塩で まるくなる (負けて勝つ すみませんと謝ると丸くなる(藤堂 俊章 台下) | ||||||||||||||
同胞 同一名号を称え、同一光明の中にありて、同聖聚の護念を被る同胞尤も親し。愚かに疎しと思うべからず。 名号 光明 聖聚 別時 護念 同胞 | ||||||||||||||
同名号を称え、同一光明の中にあって同聖衆の護念を蒙る。同法(胞、朋、信)、最も近きとなす。 | ||||||||||||||
桃李言わざれども下おのずから蹊(みち)をなす 桃やすももは、何も言わなくても、花の美しさにひかれて多くの人が集まってくるので、自然に木の下に道ができる。徳望のある人は、みずから求めなくても、人が自然とその徳を慕い寄って来ることのたとえ。 | ||||||||||||||
時 なにごとも 時ぞと思え 夏来ては 錦に勝る 麻のさ衣 時 夏 末法 | ||||||||||||||
ときどき別時の念仏を修して、心をも身をもはげまし、ととのえすすむべきなり。 | ||||||||||||||
時は今 ところ足元 そのことに うちこむ命 永久のみいのち | ||||||||||||||
時は今 ところ足元 そのことに うちこむ命 永久のみいのち 椎尾辨匡 今 人権 命 精進 | ||||||||||||||
徳川· なかぬなら殺してしまへ時鳥
織田右府(織田信長) · 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉) · なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康) · 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火 |
||||||||||||||
説く法に 心の花は 開けども その実となれる 人はまれなり | ||||||||||||||
徳本 手に称え 心におもい 忘れずば たとい口には 余を語るとも 徳本 念珠 | ||||||||||||||
徳本 盗みせず 人を殺さずを よきことに われ罪なしと 思うおろかさ 徳本上人 | ||||||||||||||
徳本 煙草のむ身と 恋する身には 胸にけぶりの絶え間ない。 アミタアミタと恋する身には 胸に仏のたえまなきぞ 徳本 無間修 | ||||||||||||||
徳本 後の世の 人の鏡に のこしおく 南無阿彌陀佛 知識をぞ見よ 徳本行者 鏡 無明と明 | ||||||||||||||
徳本上人 極楽は 仏のいます 国なれば 仏と共に 住めば極楽。 徳本 地獄とは 鬼の住みける 国なれば 鬼と一緒に 住めば地獄よ。 睡時 徳本 | ||||||||||||||
とこよなる 無為の都は よそならず 光の中に すむ心かな | ||||||||||||||
年ごとに 歳一つづつ とられつつ めでためでたと 祝う元旦 | ||||||||||||||
年の内に つくれる罪は かきくらし ふる白雪と 共に消えなん | ||||||||||||||
年寄りは 半分あけた 米俵 口が軽うて 尻の重さよ | ||||||||||||||
年を経し 絲のみだれの 苦しさに 衣のたては ほころびにけり | ||||||||||||||
年をとったら出しゃばらず 憎まれ口に 泣きごとに人のかげ口 愚痴言わず 他人のことは誉めなはれ 聞かれりや教えてあげてでも 知ってることでも知らんふり いつでもアホでいるこっちゃ いつでもアホでいるこっちゃ 勝ったらあかん負けなはれ いずれお世話になる身なら 若いもんには花持たせ 一歩下がって譲るのが 円満にいくコツですわ いつも感謝を忘れずに どんな時でも ヘエおおきに どんな時でも ヘエおおきに お金の欲を捨てなはれ なんぼゼニカネあってでも 死んだら持って行けまへん あの人はええ人やった そないに人から言われるように 生きているうちにバラまいて 山ほど徳を積みなはれ 山ほど徳を積みなはれ そやけどそれは表向き ほんまはゼニを離さずに 死ぬまでしっかり持ってなはれ 人にケチやと言われても お金があるから大事にし みんなベンチャラ言うてくれる 内緒やけどほんまだっせ 内緒やけどほんまだっせ 昔のことはみな忘れ 自慢話はしなはんな わしらの時代はもう過ぎた なんぼ頑張り力んでも 体がいうこと聞きまへん あんたはえらい わしゃあかん そんな気持ちでおりなはれ そんな気持ちでおりなはれ 我が子に孫に世間さま どなたからでも慕われる ええ年寄りになりなはれ ボケたらあかんそのために 頭の洗濯生きがいに 何か一つの趣味持って せいぜい長生きしなはれや せいぜい長生きしなはれや | ||||||||||||||
嫁ぐ娘に 忘れず持す 数珠一つ | ||||||||||||||
称ふれば ここにいながら 極楽の 聖衆の数に 入るぞうれしき | ||||||||||||||
隣に蔵が建てば、こちらに腹が立ち 瞋 | ||||||||||||||
友 生まれては まづ思いでん ふるさとに 契りし友の 深きまことを 法然上人 故郷 友 往生 | ||||||||||||||
豊臣· なかぬなら殺してしまへ時鳥
織田右府(織田信長) · 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉) · なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康) · 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火 |
||||||||||||||
豊臣秀吉 露とおき 露と消えゆる わが身かな 難波の事は 夢の又夢 (豊臣秀吉) | ||||||||||||||
とるさをの心長くぞ漕ぎ寄せむ芦間の小舟さはりあるとも | ||||||||||||||
取る棹の心長くぞ漕ぎ寄せん蘆間の小舟さはりありとも | ||||||||||||||
泥水を ぬけて涼しき 蓮華かな | ||||||||||||||
貪 欲の皮 ひっぱりみれば 長いもの どこがどことて 果てしなければ 煩悩 貪・瞋・癡 | ||||||||||||||
貪・瞋・癡 十悪 身三(殺生、偸盗、邪淫) 口四(妄語、綺語、悪口、両 舌) 意三(貪・瞋・癡) 身口意 貪・瞋・癡 | ||||||||||||||
とんぼつり今日はどこまで行ったやら | ||||||||||||||
曇鸞 不断煩悩(機信)即涅槃(法信) 曇鸞(善道) | ||||||||||||||
曇鸞大師は中国、北魏時代の僧。はじめ般若思想を学んだが、のち不老長寿を願って仙士陶弘景を訪ね、仙術を修得した。しかし帰途、洛陽で菩提流支(ぼだいるし)に会うに及び仙経をすてて浄土教に帰した。著に「往生論注」「讚阿弥陀仏偈」など。浄土五祖の第一。(四七六〜五四二) | ||||||||||||||
なおしても なおらむものは 心なり なおらぬ故に 弥陀に頼むなり (罪) | ||||||||||||||
ながながと お世話になりし 菊の花 恩 親 | ||||||||||||||
仲良く 三宝 @仏ー明るく A法ー正しく B僧ー和やかに 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
泣きざまを 画き尽くしたり 涅槃像 | ||||||||||||||
亡き人(母、父、親)の ためにたむくる 念仏は 生きる我が身の 教えなりけり | ||||||||||||||
亡き人を 弔うまことの道は、残れるものの正しき歩みによる | ||||||||||||||
なく· なかぬなら殺してしまへ時鳥 織田右府(織田信長) · 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉) · なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康) · 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火 |
||||||||||||||
なく· なかぬなら殺してしまへ時鳥 織田右府(織田信長) · 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉) · なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康) · 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火 |
||||||||||||||
なく· なかぬなら殺してしまへ時鳥 織田右府(織田信長) · 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉) · なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康) · 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火 |
||||||||||||||
なく· なかぬなら殺してしまへ時鳥 織田右府(織田信長) · 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉) · なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康) · 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火 |
||||||||||||||
なく· なかぬなら殺してしまへ時鳥 織田右府(織田信長) · 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉) · なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康) · 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火 |
||||||||||||||
なく· なかぬなら殺してしまへ時鳥 織田右府(織田信長) · 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉) · なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康) · 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火 |
||||||||||||||
なく· なかぬなら殺してしまへ時鳥 織田右府(織田信長) · 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉) · なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康) · 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火 |
||||||||||||||
鳴く声の よきも悪しきも その親の 教えによるぞ 籔のうぐいす | ||||||||||||||
亡くなった人たちに合える日を 作って下さった 釈迦牟尼世尊に 心からお礼を申し上げよう そして亡くなった人たちが 喜んで帰って下さる 楽しいお盆にしよう せっかく帰って下さった方々を 悲しませたり 落胆させたり もう帰らないことにしようなど 思わせたりしない 心あたたかいお盆にしよう 迎え火のうれしさ 送り火のさみしさ そうした人間本然の心にかえって 守られて生きる ありがたさを知ろう (坂村 真民) | ||||||||||||||
和やかに 三宝 @仏ー明るく A法ー正しく B僧ー和やかに 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
情け さかりをば 見る人多し 散る花の あとを訪ふこそ 情けなりけり 花 情け | ||||||||||||||
夏 なにごとも 時ぞと思え 夏来ては 錦に勝る 麻のさ衣 時 夏 末法 | ||||||||||||||
夏 春に百花あり、秋に月あり、夏に涼風あり、冬に雪あり 四季、季節 春夏秋冬 慧海禅師 | ||||||||||||||
夏 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり 道元禅師 四季 季節 春夏秋冬 | ||||||||||||||
夏 あみだぶと 心は西に うつ蝉の もぬけはてたる 声ぞ涼しき 法然上人 夏 念仏 蝉 涼しき | ||||||||||||||
なつかしさ 皆同胞の切れぬ縁 独りのミオヤ おやとせる人 | ||||||||||||||
夏草や 兵どもが 夢のあと (松尾芭蕉) | ||||||||||||||
夏たけて 堀のはちすの 花みつつ 仏の教へ 思う朝かな | ||||||||||||||
七施無財の七施。雑然と諸種の因縁・誓喩・本事・本生等を集録した『雑宝蔵経』というお経の中に七種施の因縁が説かれてあります。仏説きたまうに、七種施あり、財物を損せずして大果報を獲ん。●一には眼施と名づく、常に好眼を以て父母、師長、沙門、婆羅門を視るに悪眼を以てせず、名づけて眼施となす。身を捨つるも身を受けて、清浄眼を得、未来に成仏して天眼、仏眼を得ん。是を第一の果報と名づくるなり。●二には和顔悦色施と名づく、父母、師長、沙門、婆羅門に於いて、悪色を以て肇燈(ひんしゅく)せず、身を捨つるも身を受けて、端正色を得。未来に成仏して真金色を得ん。是を第二の果報と名づくるなり。●三には言辞施と名づく、父母、師長、沙門、婆羅門に於いて、柔軟の語を出し麁悪(そあく)の言に非ざれば、身を捨つるも身を受けて、言語の弁了を得ること言説すべからずして、人の為めに信受せられ、未来成仏して四弁才を得ん、是を第三の果報と名づくるなり。●四には身施と名づく、父母、師長、沙門、婆羅門に於いて、起ち迎えて礼拝す。是を身施と名づく。身を捨つるも身を受けて、端政(正)の身、長大の身、人に敬わる身を得、未来成仏して身は尼拘盧陀樹(にくろだじゅ) の如く頂を見る者なけん。是を第四の果報と名づくるなり。●五には心施と名づく、上の事を以て供養すと雖も、心和善ならずんば名づけて施と為さず。善心にして和善ならば深く供養を生ぜん、是を心施と名づく。身を捨つるも身を受けて、明了心を得て痴狂の心ならず。未来に成仏して一切種智心を得ん。是を名づけて心施、第五の果報と名づくるなり。●六には床座施と名づく、若し父母、師長、沙門、婆羅門を見ば、為めに床座を敷きて坐せしめ、乃至自らすでに自坐せる所を以て請いて坐せしむるなり。身を捨つるも身を受けて、常に尊貴なる七宝の床座を得。未来に成仏して獅子法座を得ん。是を第六の果報と名づくるなり。●七には房舎施と名づく、前の父母、師長、沙門、婆羅門をして、屋舎の中に行来坐臥することを得しむ、即ち房舎施と名づくるなり。身を捨つるも身を受けて、自然の宮殿舎宅を得、未来に成仏してもろもろの禅屋宅を得ん。是を第七の果報と名づくるなり。是を七施と名づく。財物を損せずと雖も大果報を得るなり。 | ||||||||||||||
七度 尋ねて 人を疑え | ||||||||||||||
七十にして我心の欲するところに随って 法を踰えず | ||||||||||||||
何事の おはしますかは 知らねども 忝けなさに涙こぼるる (仏) | ||||||||||||||
何事も 偽り多き 世の中に 死ぬるばかりは まことなりけり | ||||||||||||||
何事も 思ふがままに ならざるが かへりて人の 身の為にこそ | ||||||||||||||
なにごとも 時ぞと思え 夏来ては 錦に勝る 麻のさ衣 時 夏 末法 | ||||||||||||||
名にし負はばいざことはむ 都鳥 わが思う人は ありやなしやと | ||||||||||||||
何しかも 物くるしげに うめくらむ 月と花との おもしろの世に | ||||||||||||||
難波 あみだぶと いうよりほかは 津の国の 難波のことは あしかりぬべし 法然上人 | ||||||||||||||
なべて世の 民の愁の 深き江に 身をつくしても 救いひてしがな | ||||||||||||||
波風の 静かなる日も 船人は 梶に心を 許さざらなむ | ||||||||||||||
涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の味はわからない ゲーテ | ||||||||||||||
南無とは、また是帰命、発願、回向の義なり。 | ||||||||||||||
南無と呼ぶ 声の迷いの 雲晴れて さやかに見ゆる 弥陀のおも影 | ||||||||||||||
並び行く 人にはよしや 後るとも 正しき道を 履みなたがへそ | ||||||||||||||
南無阿彌陀佛を 称ふれば ここはそのまま 極楽で そこらじゅうが華だらけ | ||||||||||||||
汝さらに会稽の恥を思い、敵人をうらむ亊なかれ。これ先世の宿業なり。もし遺恨をむすばば、そのあだ世々に尽き難かるべし。しかじ早く俗をのがれて家をいでて、わが菩提をとぶらひ、自らが解脱をもとめんには」と言ひて、端座して西に向かひ、合掌して仏を念じ、めぶるがごとくして息絶えにけり。 (勅伝) | ||||||||||||||
二河 前は弥陀 後ろはお釈迦 中は我 引きつ押されつ 参る極楽 白道 二河 | ||||||||||||||
苦い あさ緑 蕗の臺ひとつ 土もたげ 春 彼岸 味 苦い | ||||||||||||||
二河の中 四五寸ほどの 白き道 南無阿彌陀佛と 申してぞ行く 白道 | ||||||||||||||
二河白道 釈迦は往け 弥陀は 来いよに 中は我 押され引かれて まいる極楽 二河白道 二尊 | ||||||||||||||
二河白道 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
憎い嫁 可愛い孫を やたら産み | ||||||||||||||
憎むとも 憎み返すな 憎まれて 憎み憎まれ 果てしなければ (怨憎会苦) | ||||||||||||||
濁り 池の水 人の心に 似たりけり 濁りすむ事 さだめなければ 法然上人 罪 穢れ 清浄 心 濁り | ||||||||||||||
耳根最勝なるにより、仏は慈悲を以って名号に更った (華厳経) | ||||||||||||||
西田幾多郎 わが心 深き底あり よろこびも うれいの波も とどかじと思う。 (西田 幾多郎) | ||||||||||||||
西へ行く 教えのおやの こいしさに せめてみあとを めぐりてもがな 弁栄上人 日本のひかり p112 | ||||||||||||||
西へ行く 道のしるべは なかなかに ただ愚かなる 心なりけり | ||||||||||||||
西へ行く 道より外は 今の世に 浮世を出づる 門やなからん 淨土門 | ||||||||||||||
二重 安心(智目)・起行(行足) 起行 二重 修行 | ||||||||||||||
にせものは 変り易きに かはらぬは まことの信の 験なりけり | ||||||||||||||
二祖 同体 別体の三宝 の願海をおどろかし申してもうさく。 授手印 二祖 鎮西聖光 | ||||||||||||||
二祖 末代念仏授手印 修行 安心(智目)・起行(行足) 起行 二重 修行 | ||||||||||||||
二尊 釈迦は往け 弥陀は 来いよに 中は我 押され引かれて まいる極楽 二河白道 二尊 | ||||||||||||||
日課念佛 かずを定めずば懈怠の因縁なれば、数偏をすすむるにて候う 法語15 | ||||||||||||||
日本人の精神の特色は 1、さっぱり 2、神ゝしさ 3、親しみ | ||||||||||||||
入我 我入 (如来、我に入り給い、我 如来に入る) | ||||||||||||||
如来 すでに来ている。今や未来では無い。 | ||||||||||||||
如来蔵思想 凡夫(ぼんぶ)の心の中にある如来(仏)となりうる可能性。それは煩悩におおわれているが、本来清浄で永遠に変わらないさとりの本性であるとされる。能蔵(私たちの中にある仏が) 所蔵(私たちを包んでいる)隱覆蔵(そのことに気づかない)参照 如来蔵思想、内在と超越 万有在神論 包含と展開 | ||||||||||||||
如来の在さざる処なきが故に 今現に此処に在ますことを信じて 一心に恭礼し奉る | ||||||||||||||
如来の在さざる処なきが故に、今現に此処に在ます | ||||||||||||||
如来の威力と恩寵とに依りて、活き働きあることを得たる我は、我が身と心との総てを捧げて仕え奉らん。冀わくは、一に光栄を現すべき務めを果たす聖寵を垂れ給え | ||||||||||||||
如来は一切大衆を見ること一子のごとしで、男女も上下も、煩悩も罪悪の浅深も、一切差別なしに見ること一子のごとし、猶一子故(なお一子の如き故に)これを平等一子と申します。 いずれにしても 「人を嫌うことは候わぬなり」です。 | ||||||||||||||
如来妙色身 世間無與等 無比不思議 是故今敬礼 如来色無尽 智慧亦復然 一切法常住 是故我帰依 ( 如来の妙なる色身は 世間と等しきものはなく 比するものなく不思議なり この故に今敬礼す 如来の色、無尽にして 智慧も亦復然なり。 一切の法は常住なり この故に我帰依したてまつる ) (善導大師) | ||||||||||||||
にわかに怒りをなすことなかれ、今用いずとも たまたま用いることあり。譬喩 瓢箪のはなし。骨董好きな王様の新婚の家来 新婚の妻の下に夜に男がいる。(怒り)瓢箪のなかの言葉思い出しよく確かめてみると父だった。殺さなくてすんだ 忍辱 怒り 煩悩 | ||||||||||||||
忍 もとよりも 忍ぶの里に 忍れば 忍びてかよへ 弥陀の淨土へ 苦楽 忍 忍ぶ | ||||||||||||||
忍 大忍とは耐えしのんだり、がまんすることとはちがう。苦しいときはくるしいままに、嬉しいときは嬉しいままに身体ごと素直に順応していくことである。悲しいときは子供のように、ごく自然に涙を浮かべ悲しいんでいる。また念願かなって嬉しいときは、子供のように無邪気に嬉しがるこれを大忍という。 寂しいときは寂しいままに独り静かにいる。これが日本文化の「わび」「さび」の精神である。身体で抑えて、首から上に上げない。文句、愚痴を言わないようにしよう。争いの元となる。罪作り。(板橋興宗 曹洞宗) | ||||||||||||||
人間とは恥ずかしさを抱きかかえて生きる動物といっていい ラッセル イギリスの哲学者 恥 羞恥心 | ||||||||||||||
人間は 一生の間に 二度 誕生しなければならない(第一は母から、第二は仏の子ちしての誕生) | ||||||||||||||
人間は 磨けば磨くほど 汚さがみえてくる | ||||||||||||||
忍澂上人 寐むれば即ち仏を含み、覚むれば即ち仏を吐く「寐即含仏、覚即吐仏」 忍澂上人 善導大師 (熊谷 蓮生 藤枝 蓮生寺) | ||||||||||||||
忍辱 にわかに怒りをなすことなかれ、今用いずとも たまたま用いることあり。譬喩 瓢箪のはなし。骨董好きな王様の新婚の家来 新婚の妻の下に夜に男がいる。(怒り)瓢箪のなかの言葉思い出しよく確かめてみると父だった。殺さなくてすんだ 忍辱 怒り 煩悩 | ||||||||||||||
忍辱 世にしたがえば,身,くるし.したがはねば,狂せるに似たり.いずれの所を占めて,いかなるわざをしてか.しばしもこの身を宿し,たまゆらも心を休むべき. 方丈記 | ||||||||||||||
盗人を 捕へて見れば 我が子なり きりたくもあり きりたくもなし | ||||||||||||||
盗みせず 人を殺さずを よきことに われ罪なしと 思うおろかさ 徳本上人 | ||||||||||||||
寝れば夢 さむればうつつ 束の間の 忘れ難きは 弥陀の面影 | ||||||||||||||
願はくは 我春風に 身をなして なげきある人の 門を訪はばや | ||||||||||||||
願わくは、常に慈悲、歓喜、正義、安忍、剛毅、貞操、謙遜、真実等の徳を体し、外は怨親平等に同体大悲の愛を以て佗に | ||||||||||||||
涅槃 有余涅槃 無余涅槃 | ||||||||||||||
涅槃 泣きざまを 画き尽くしたり 涅槃像 | ||||||||||||||
涅槃 きささぎの 中の五日の 夜半の月 入りにしあとの 闇ぞかなしき | ||||||||||||||
涅槃 きささぎの 中の五日の 夜半の月 入りにしあとの 闇ぞかなしき 西晋 涅槃 釈迦 | ||||||||||||||
涅槃 渋柿の 澁そのままの 甘さかな 煩悩即涅槃 | ||||||||||||||
涅槃 不断煩悩(機信)即涅槃(法信) 曇鸞(善道) | ||||||||||||||
涅槃 不断煩悩(機信)即涅槃(法信) 曇鸞(善道) | ||||||||||||||
涅槃經 慚愧 慚は人に恥じ、愧は天に恥ず。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて畜生とす。 涅槃經 恥 慚愧 羞恥心 | ||||||||||||||
寐むれば即ち仏を含み、覚むれば即ち仏を吐く「寐即含仏、覚即吐仏」 忍澂上人 善導大師 (熊谷 蓮生 藤枝 蓮華寺) | ||||||||||||||
寝る 夜な夜なミオヤと共に寝ね 朝な朝なもともに起き 立ち居起き臥し添いまして しばしも離るることぞなき (田中木叉 心田植歌) 長時修 田中木叉 心田田植え歌 寝る | ||||||||||||||
寝る時 阿弥陀仏と 十声唱えて まどろまん 永き眠りに なりもこそすれ 法然上人 十念 すいじ十念 就寝 寝る時 | ||||||||||||||
拈華微笑 釈迦が説法せずに、金蓮を拈じた。大衆はその意味がわからずにいたが、迦葉だけが微笑したこと | ||||||||||||||
念死 念仏 (二祖 聖光 上人) | ||||||||||||||
念珠 阿彌陀仏と 称うるごとに すすむ数珠 積もるを見れば なお勇みける 佛定 念珠 | ||||||||||||||
念珠 数珠くれば 濁る心も すみやかに 菩提の種も 近くなるらん 福田行誡 念珠 | ||||||||||||||
念珠 手に称え 心におもい 忘れずば たとい口には 余を語るとも 徳本 念珠 | ||||||||||||||
念珠 後の世の おもいの玉の かずかずに 起こす心を みがけとぞおもう 福田行誡 念珠 | ||||||||||||||
念珠 谷川の 木の葉の下の おぼれ水 流るるもゆく 滴るもゆく (つぶつぶもゆく ざらざらもゆく) 示現 岩清水八幡 林 227 | ||||||||||||||
念珠のとり方 1、眞修ー一称一顆 粒粒念佛 2、早くりーざら念佛谷川の 木の葉の下の おぼれ水 つぶつぶもゆく ざらざらもゆく | ||||||||||||||
念念 前念後念=念念 「念念梵燒戒定香」(香偈)(法事讃) | ||||||||||||||
年々歳々 花開けど 歳々年々 人同じからず | ||||||||||||||
念は 人二人の 心と書く (念) | ||||||||||||||
念仏 心が曇れば曇ったままに、乱るれば乱れたままに、澄めば澄むままに、愚は愚のままに、智者は智者のまままに、識揚は識揚のままに、神飛は神飛のままに | ||||||||||||||
念佛 一声も すてぬ誓の うれしさに 思わずつもる 弥陀のかずかず 念佛、誓 、弥陀 | ||||||||||||||
念仏 別体の三宝 @仏ー浄土の弥陀 A法ー念仏の御法 B僧ー浄土の菩薩 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
念仏 @人が酒を飲む A酒が酒を飲む B酒が人をのむ 酒=念仏にしたらよい。 | ||||||||||||||
念仏 阿弥陀仏と 申すばかりを つとめにて 淨土の荘厳 見るぞうれしき 法然上人 浄土 荘厳 見佛 念仏 三昧 | ||||||||||||||
念仏 あみだぶと 心は西に うつ蝉の もぬけはてたる 声ぞ涼しき 法然上人 夏 念仏 蝉 涼しき | ||||||||||||||
念仏 頼みなば ただひしひしと 頼むべし 生き賢きは 道に遠きぞ 愚鈍 念仏 往生の機 | ||||||||||||||
念仏 同一名号を称え、同一光明の中にありて、同聖聚の護念を被る同胞尤も親し。愚かに疎しと思うべからず。 名号 光明 聖聚 別時 護念 同胞 | ||||||||||||||
念佛 日課念佛 かずを定めずば懈怠の因縁なれば、数偏をすすむるにて候う 法語15 | ||||||||||||||
念仏 煩悩をば心の客人として、念佛を心の主人としつらえば強ちに往生をば障ぬなり(七箇条起請文 11)煩悩=客人、念仏=主人 | ||||||||||||||
念仏者 身 年 一 百 歳、 長 愁 八十 児 (100歳の老親が83歳の児を心配していることで、老婆親切である。その上に往生を願い、念仏者になった) | ||||||||||||||
念仏者の基本 観音 頂戴 冠 中 住 (中夜礼讃) 念仏者の基本 頭上の化仏 善導 | ||||||||||||||
念仏者の心本尊は六十万 10万億の奥行の堂 阿彌陀さまを頂く、畏敬 | ||||||||||||||
念仏とは大悲誓願の筏、 今 弥陀覚王、広度衆生の船なり (聖光) | ||||||||||||||
念佛の 真の味は 称え見よ 称えぬものにゃ わからぬものぞ 称名 | ||||||||||||||
念仏の 申されぬことは よもあらじ 無間地獄の 苦を思いなば | ||||||||||||||
念佛の行は、本より行住坐臥、時、処、諸縁をえらばず、身・口・意の不浄をもきらわぬ行にて候らえば易行往生とは申し候うなり。(有り難いことに、いかに浄まろうと努力しても浄まりようのない罪悪深重の凡夫であってもその不浄のままで念佛すれば、自ずとその念仏の中で浄化されて行く。)(法然上人 和語燈録) | ||||||||||||||
念仏は アクビの後の 口なおし 信心 疑心 信心が有るような無いような | ||||||||||||||
念佛は 称えて見れば ありがたや 念佛が 念佛産んで 阿弥陀仏 無間修 | ||||||||||||||
念佛は 申し申し 申しても 申したらぬが 念佛なりける 無間修 | ||||||||||||||
念仏は閻魔の鏡 閻魔 鏡 わが心 鏡にうつる ものならば さぞや姿の 醜かるらん (心の気持ちの表れ、気表⇒けほ⇒かほ⇒顔) | ||||||||||||||
念仏を行ずれば、自然に妄念もやみ、自然に制悪の実もあがり、自然に無漏の正智も発る。 | ||||||||||||||
ノーベル賞 あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月 (明恵)主客 川端康成 ノーベル賞 月 美 | ||||||||||||||
後の世の おもいの玉の かずかずに 起こす心を みがけとぞおもう 福田行誡 念珠 | ||||||||||||||
後の世の 人の鏡に のこしおく 南無阿彌陀佛 知識をぞ見よ 徳本行者 鏡 無明と明 | ||||||||||||||
後の世を 渡す橋とぞ 思いしに 世渡り僧と なるぞ悲しき 恵心僧都 (源信) は7歳で父を失い 13歳で比叡山にのぼり16歳で宮中で村上天皇に「称讚浄土教」の講説されて、絹の布を与えた。古里の母に布を渡した。しかし母から、手紙とともに、返品された。その手紙の内容は「あなたが比叡山に登られてからは、朝夕に尊い修行者になることを楽しみにしていました。それなのに宮中に出入りし、官位が進み、お経を講説して品物をいただき、”名聞” ”利養”の僧侶になりはてたとは、なんとも残念でなりません。名聞、つまり名誉のために講説し、利養、つまり利益のためのお布施の心うばわれるなど、愚のなかの愚にして、いやしい迷いというべきです。 夢のようなこの世であって、同じ迷いの中に生きている人たちに、たとえ名をしられたところどうしょうというのですか?。今後は、悟りをきわめて、仏の御前で名をあげてください。宮中でいただいたこの衣の布を私がいただいたのでは、淨土へお救いいただけるところか、三途におとされるようで恐ろしいことです。この布はおかえしいたします。」その手紙は母の泪で処どころ滲んでいた。母の悲しい手紙であった。 | ||||||||||||||
野に山に うかれうかれて 帰るさを 閨まで送る 秋の夜の月 | ||||||||||||||
上り坂 人生には三っつの坂がある。 上り坂、下り坂、そしてもう一つ、まさかという坂。 上り坂、下り坂 まさか? | ||||||||||||||
野も山も るりの光に かがやくは きよきに入らしむ しるしなるらめ (心の浄化) | ||||||||||||||
法 立ちならぶ 影やなからん 萬代の 後まで照らす 法の灯火 法 | ||||||||||||||
乗り得ては 櫓櫂もいらじ 海士小舟 片瀬の波の あらん限りは | ||||||||||||||
乗り得ても 心許すな 海士小舟 片瀬の波に 浮き沈みあり | ||||||||||||||
法の絵草子 地に強く つけばはずみて 上る鞠 身をくだしてぞ すべむ極楽 法の絵草子 深心 | ||||||||||||||
はえば立て 立てば歩めと 急ぐなり 我が身につもる 老を忘れて | ||||||||||||||
はえば立て 立てば歩めと 急ぐなり わが身に積もる 老を忘れて 親、恩 | ||||||||||||||
はえば立て 立てば歩めの 親心 わが身に積もる 老いを忘れて 育て 守り 親子 老 四苦 | ||||||||||||||
はえば立て 立てば歩めの 親心 我が身に積もる 老いを忘れて(親が何故ありがたいのか?代修くだされ、代受苦くだされるから尊いのです。大関も親に負けて見事です。私達のなさねばならぬ事を、一切合切代修くだされたのが、名号です。) | ||||||||||||||
墓洗う 濡れ手和らぐ 石の相 | ||||||||||||||
量りなき 三世の仏の かずかずは ただみほとけの わかれなりけり 弁栄上人 道詠集 p1 | ||||||||||||||
萩の花 尾花(すすき)葛花 撫子の このはな女郎花 また 藤袴 朝顔の花 (山上 憶良)(秋の七草) | ||||||||||||||
はきものをそろえると 心もそろう 心がそろうと、 はきものもそろう むぐときにそろえておくと、はくときに心がみだれない 誰かが乱しておいたら、黙ってそろえておいてあげる そうすれば きっと、世界中の人の心もそとうでしょう | ||||||||||||||
掃けば散り 払えばまたも 塵つもる 人の心も 庭の落葉も | ||||||||||||||
恥 慚愧 慚は人に恥じ、愧は天に恥ず。これを慚愧と名づく。無慚愧は名づけて畜生とす。 涅槃經 恥 慚愧 羞恥心 | ||||||||||||||
恥じ 人間とは恥ずかしさを抱きかかえて生きる動物といっていい ラッセル イギリスの哲学者 恥 羞恥心 | ||||||||||||||
はじめには もの憂かれしが 今はまた 念仏せざれば わびしかりけり (無能上人) | ||||||||||||||
秦氏 形見とて はかなき親の とどめてし この別れさえ いかにせん 法然上人15歳比叡山 秦氏 母親子 | ||||||||||||||
泰氏 形見とて はかなき親の 留めてし この別れさえ またいかにせん 法然上人 泰氏 母 別れ 生き別れ 形見 親 | ||||||||||||||
羽田恵三 日ごろ説く 教えは全て 今日の日の わが身のためと 思い知らるる (羽田恵三) 説法 我が身 法 | ||||||||||||||
はちす葉の にごりにしまぬ 心もて なにかは露を 玉とあざむく | ||||||||||||||
初恋) まだあげ初そめし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけりやさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは 薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり わがこゝろなきためいきの その髪の毛にかゝるとき たのしき恋の盃を 君が情に酌みしかな 林檎畑の樹(こ)の下に おのづからなる細道は 誰(た)が踏みそめしかたみぞ 問ひたまふこそこひしけれ (島崎 藤村)しまざき‐とうそん【島崎藤村】 詩人、小説家。本名春樹。長野県出身。明治学院卒。キリスト教の洗礼を受ける。北村透谷・平田禿木らと「文学界」を創刊。明治三〇年「若菜集」を出版し、浪漫主義詩人としての地位を確立。のち散文に転じ、同三九年には自然主義文学の先駆的作品「破戒」を刊行、つづいて自伝的作品「春」「家」「新生」などを発表、自己解剖により内面的真実を追求した。晩年には「夜明け前」を完成。(一八七二〜一九四三) | ||||||||||||||
花 さかりをば 見る人多し 散る花の あとを訪ふこそ 情けなりけり 花 情け | ||||||||||||||
華 露の身は 此処彼処にて 消えぬとも 心は同じ 華の台ぞ 法然上人 流罪 露 華 淨土 往生 倶会一処 | ||||||||||||||
花 春は黄色い花が多い 花 黄色 | ||||||||||||||
鼻 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
花心なくして蝶を招き、蝶心なくして花を尋ぬ。花開くとき、蝶来たり蝶来る時、花開く。 | ||||||||||||||
放つ矢の 的にあてたる うれしさは 我をわすれて 思い入るなり | ||||||||||||||
花にさそわれ舞う蝶の 使いでむすぶ花の実を それとは知らぬ蝶と花 たのもしきかな大御業 | ||||||||||||||
花の咲く 春をば待ちし かいもなく 片枝よりして 枯れし白梅 | ||||||||||||||
花は根に 鳥は古巣に 帰れども 人は若きに 帰ることなし | ||||||||||||||
塙保己一 番町で 眼あきめくらに 道を聞き 塙 保 己一 天満宮 群書類聚 | ||||||||||||||
母 形見とて はかなき親の 留めてし この別れさえ またいかにせん 法然上人 泰氏 母 別れ 生き別れ 形見 親 | ||||||||||||||
母 かたみとて はななき親の とどめてし この別れさえ 又いかにせん 法然上人 母上 | ||||||||||||||
母が拝めば 子も拜む 後 姿の美しさ | ||||||||||||||
母に捧ぐ」という題 ごめんなさいね おかあさん ごめんなさいね おかあさん ぼくが生まれてごめんなさい ぼくを背負う おかあさんの細いうなじにぼくはいう ぼくさえ生まれなかったら かあさんのしらがもなかったろうね 大きくなった このぼくを背負って 歩く悲しさも 「かたわな子だね」とふりかえる つめたい視線に泣くことも ぼくさえ生まれなかったら・・・・ありがとう おかあさん ありがとう おかあさんおかあさんがいるかぎりぼくは生きていくのです 脳性マヒを生きていく やさしさこそが大切で 悲しさこそが美しい そんな人の生き方を 教えてくれたおかあさん おかあさん あなたこそがそこにいる限り。 | ||||||||||||||
林 谷川の 木の葉の下の おぼれ水 流るるもゆく 滴るもゆく (つぶつぶもゆく ざらざらもゆく) 示現 岩清水八幡 林 227 | ||||||||||||||
腹立ち じょっとこらえよ 3分間 瞋恚、煩悩 腹立ち | ||||||||||||||
腹立ち 嗔恚は功徳の林を焼く 「恐るべし カッと怒りの 胸の火が 我と我が身を 焼き尽くすなり」腹立ち、三毒、煩悩、 | ||||||||||||||
薔薇の木に 薔薇の花さく なんの不思議もなけれども | ||||||||||||||
はりつとう 鼠の道も 道なれど まこことの道ぞ ひとのみちゆく | ||||||||||||||
春 あさ緑 蕗の臺ひとつ 土もたげ 春 彼岸 味 苦い | ||||||||||||||
春 さえられぬ 光もあるを をしなへて 隔て顔なる 朝霞かな 春 法然上人 無碍光(どんな物があってもさえぎることがない) | ||||||||||||||
春 雪下に 春の声あり ことことと 見えぬ小川の 流れ音聞く 清浄光、 河波 | ||||||||||||||
春 岩もあり 木の根もあれど サラサラと ただサラサラと 水の流るる | ||||||||||||||
春 さへられぬ ひかりもあるを をしなべて へだてかおなる あさがすみかな 法然上人 春 | ||||||||||||||
春風に 深山の雪は とけぬれど 岩間によどむ 谷川の水 | ||||||||||||||
春と秋 いずれ恋ひむとは あらねども 蛙なくころ 山ぶきの花 | ||||||||||||||
春に百花あり、秋に月あり、夏に涼風あり、冬に雪あり 四季、季節 春夏秋冬 慧海禅師 | ||||||||||||||
春は黄色い花が多い 花 黄色 | ||||||||||||||
春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり | ||||||||||||||
春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり 道元禅師 四季 季節 春夏秋冬 | ||||||||||||||
萬機普益は私一人のためなり 私 一人 普益 | ||||||||||||||
番町で 眼あきめくらに 道を聞き 塙 保 己一 天満宮 群書類聚 | ||||||||||||||
美 あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月 (明恵)主客 川端康成 ノーベル賞 月 美 | ||||||||||||||
比叡山 論 湿 寒 貧 | ||||||||||||||
光 来迎の蓮台=舟、来迎の光=智慧 (勅修御伝随聞記23) 蓮台 舟 智慧 光 安心 | ||||||||||||||
光 さへられぬ ひかりもあるを をしなべて へだてかおなる あさがすみかな 法然上人 春 | ||||||||||||||
光強ければ、影また強し。光が強ければ強い程、影が濃くなる様に、阿弥陀さまの光明をいただけばいただくほど、罪悪の影が濃くなって、しまいには自分ほど罪な者はない、と罪悪の自覚に到達するものでございます。そういう意味に於いて、どうか最初は、罪悪の我であると信じて、懺悔の鍬で罪悪の雑草を刈り取っていただきたいと、こう思うのでございます。(十悪の法然房) | ||||||||||||||
光と影「眼、眼を見ず。火、火を焼かず。心、心を知らず。」 眼は何でも見えるんですが、自分の眼が見えない。鼻さえ見えない。そうでしょ。火、火を焼かず。火は何でも焼きますが、火が火を焼くことばございません。心、心を知らず。自分の心というものは、なかなか自分でわからないのでございます。「影は光によって生ずる」。真夜中、一暗闇ですと影がございません。朝、お天道さまが出ていらっしゃると、それにふさわしい影が出てきます。それと同じように、念仏を申さない間は、如来さまのお光明をいただかない間は、自分の罪悪の影に気付かないのであります。ですから、最初は、我々も煩悩の我であるということを信じて、お念仏申しているうちに、お光明がいただけてまいりますと、自分の罪悪に気付かせていただく、初め信じておったものがわかってくるのです。その自分の罪悪に気が付くから、阿弥陀さまにおすがりする気持ちが強くなって、真剣な念仏が出る。 「光強ければ、影また渡し」。光が強ければ強い程、影が濃くなる様に、阿弥陀さまの光明をいただけばいただくほど、罪悪の影が濃くなって、しまいには自分ほど罪な者はない、と罪悪の自覚に到達するものでございます。そういう意味に於いて、どうか最初は、罪悪の我であると信じて、懺悔の鍬で罪悪の雑草を刈り取っていただきたいと、こう思うのでございます。 |
||||||||||||||
彼岸 寒に耐え梅花 うららかなり | ||||||||||||||
彼岸 今日彼岸 菩提の種を まく日かな | ||||||||||||||
彼岸 あさ緑 蕗の臺ひとつ 土もたげ 春 彼岸 味 苦い | ||||||||||||||
引きそめし 心のままに 梓 弓 思ひかへさで 年も経にけり | ||||||||||||||
引きよせて 結べば草の 庵なり 解くればもとの 野原なりけり | ||||||||||||||
比丘は唯 万事はいらず 常不軽 菩薩の行 殊勝なりける (良寛 歌集より) | ||||||||||||||
肥後、熊本城主、加藤清正が大勢の人を招いて茶会を催したときのことであった。 その準備に忙殺されていた一人の小姓が、あやまって清正秘蔵の 茶器を落して、こっぱみじんに割ってしまった。 たいへん値打のある古い茶器で、いつもみんなにみせて自慢して いたから、今日もそのつもりで出されたものであろう。 それを割ったとわかれば、清正はカンカンに怒って、おそらく打ち首にするにちがいない。落した小姓はいうまでもなく、他の小姓たちも、まっ青になって集まってきたが、今さらどうしょうもない。 そこで小姓たちは、いろいろ相談のすえ、 「お叱りはみんなで受けることにして、どんなことがあっても落 した者の名前を言わないようにしょうじやないか」 という約束をした。いうまでもなく、落した小姓の命を、みんなで 助けようと思ってのことである。 やがて清正にそのことがわかると、案の定、たいへんな怒りよう で、「誰が割ったのか。名前をいえ………」 と、どなりつけた。だが小姓たちは、 「割ったのは、わたしたちです」 と言って、平あやまりにあやまったが、約束をまもって名前を言おうとしなかった。 清正は、いよいよ激しく怒りだし、「私共などいって、このワシをごまかすつもりか。お前たち憶病者だ。親の顔がみたいもんだ」 と、ののしった。その小姓たちの中に、加藤平三郎という少年がいた。彼は、いくら殿さまだといっても、父の名を汚す憶病者とののしられると、我慢ならなかった。そこで打首覚悟で、きっと顔をあげて言った。「私たちは小姓でも、命を惜しむような者は一人もいません。ただ私たちは、それがどんな高価な茶碗でも、国を治め、国を守ることに関しては、何の役にたたぬ焼物だと思います。それにひきかえ、私たちは、いずれ御薗国を守るいしずえになる者です。そんな私たちの命をとろうとするお殿さまは、私共を焼物以下にお考えになっていることで、残念です。まして、私共の父の名まで仰せられて、私共を憶病者扱いなさったからには、なおさらその者の名前は申しません」。そのりんとした言葉を聞いているうちに、清正の顔はだんだんやわらいで、「なにもワシは、手討ちにするなどとは言っておらんではないか」と笑い、それからうれしそうに「よしよし、名前は言わなくてもよいぞ。お前たちはあっばれな小姓どもだ。おそらく親たちに勝るとも劣らない立派な武士になるだろう。たのもしいかぎりだ」と褒め、それから平三郎のそばへきて、その頭をなでながら、「お前のような子をもった父がうらやましい。今の心をいつまでもわすれるなよ」 と、言った。平三郎は命をかけて親の名誉を守った。「この子にしてこの父あり」 という。父もまた、そのようにして親の名誉を守る人であったのだろう。そういうことを何よりも大事にしてきたのが日本人の親子であったのである。(鶴山瑞教) | ||||||||||||||
日ごろ説く 教えは全て 今日の日の わが身のためと 思い知らるる (羽田恵三) 説法 我が身 法 | ||||||||||||||
日盛りの 玉なす汗を 流すとも 稻は実らん この暑さこそ (命をつなぐ稻は、命の根である。この暑さがねければ豊作は望めない。暑ければ暑いほど天の恵みである。) | ||||||||||||||
微笑 拈華微笑 釈迦が説法せずに、金蓮を拈じた。大衆はその意味がわからずにいたが、迦葉だけが微笑したこと | ||||||||||||||
ピタゴラス 全体として私たちを包み、超えて育て守られている。 | ||||||||||||||
人 念仏 @人が酒を飲む A酒が酒を飲む B酒が人をのむ 酒=念仏にしたらよい。 | ||||||||||||||
一かかへ あれど柳は 柳かな | ||||||||||||||
一声も すてぬ誓いの うれしさに 思わず積もる 弥陀のかずかず 十夜 | ||||||||||||||
一声も すてぬ誓の うれしさに 思わずつもる 弥陀のかずかず 念佛、誓 、弥陀 | ||||||||||||||
ひとごとにくせをば笑ふ世の中にうらやむべきは念仏のくせ | ||||||||||||||
人にしかない3本の毛(情け、躾 、やり遂げ)チンパンジーさんより3%DNAが多い人間さま) | ||||||||||||||
人の一生は 重き荷を 負うて遠き道をゆくがごとし いそぐべからず 不自由を常とおもえば不足なし (徳川家康) | ||||||||||||||
人の一生は 重き荷を負うて遠き道をゆくが如し いそぐべからず 不自由を 常とおもえば不足なし | ||||||||||||||
人の親の こころは闇に あらねども 子を思ふ道に 惑ひぬるかな (親の悲しい行為) | ||||||||||||||
人の世に 谷間の闇に 底までも 静かに照らす 弥陀の月影 | ||||||||||||||
人目には 世の浮雲に かぐろへて なほすみわたる 山のはの付き | ||||||||||||||
一人 萬機普益は私一人のためなり 私 一人 普益 | ||||||||||||||
火の車 浄と不浄 元々はないけれども自分で造っていく 意の垢でつくる。 火の車 作る大工は おらねども 己がつくりて 己が乗り行く 自我オレガの心が作っていく。 | ||||||||||||||
日々好日 照もお慈悲、降るもお慈悲 、雨奇晴好、 日々是好日 | ||||||||||||||
白道 前は弥陀 後ろはお釈迦 中は我 引きつ押されつ 参る極楽 白道 二河 | ||||||||||||||
白道 二河の中 四五寸ほどの 白き道 南無阿彌陀佛と 申してぞ行く 白道 | ||||||||||||||
病気 三宝 @仏ー名医 A法ー名薬 B僧ー看病 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
平等性智 四大智 (唯識) 仏果をきわめたときに具有する四種の智。すなわち、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智。 | ||||||||||||||
平等性智は第7まなしき【末那識】が転じて智を得る。六根清浄 1、眼 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】 | ||||||||||||||
表面 白魚の 洗えば濁る 清水かな 表面 虚仮 真実 | ||||||||||||||
不可思議 柳生家の家訓 「小才は縁に出会って縁に気づかず 中才は縁に気づいて縁を生かさず 大才は袖すり合った縁をも生かす」縁怨憎会苦 不可思議 「袖すりあうも他生の縁」 | ||||||||||||||
布教 客僧の 朝寝よろこぶ 僧の妻 (牛畝) | ||||||||||||||
袱紗の開き方閉じ方 蓮華初開楽 蓮華の華を開くようにゆっくり両手で右左前と袱紗を開く 終わったら十念の後に袱紗を閉じる。説法 作法 袱紗の開き方閉じ方 | ||||||||||||||
福田行誡 数珠くれば 濁る心も すみやかに 菩提の種も 近くなるらん 福田行誡 念珠 | ||||||||||||||
福田行誡 後の世の おもいの玉の かずかずに 起こす心を みがけとぞおもう 福田行誡 念珠 | ||||||||||||||
藤枝 寐むれば即ち仏を含み、覚むれば即ち仏を吐く「寐即含仏、覚即吐仏」 忍澂上人 善導大師 (熊谷 蓮生 藤枝 蓮華寺) | ||||||||||||||
父子相好 闇の夜に 鳴かぬ鴉の 声きけば 生まれぬ先の 父ぞ恋しき (父子相好) 一休和尚 | ||||||||||||||
父子相好 われはただ ほとけにいつか あふいぐさ こころのつまに かけぬひぞなき 法然上人 恋 父子相好 | ||||||||||||||
富士の白雪や朝日に解ける 胸の氷は思案じゃとけぬ 機信 信機 | ||||||||||||||
不捨 碍えられぬ 光のみ手に 抱きしめて 常に我らを 愛撫し給う 無碍光 光明 護念 愛撫 増上 慈悲 | ||||||||||||||
不浄 浄と不浄 元々はないけれども自分で造っていく 意の垢でつくる。 火の車 作る大工は おらねども 己がつくりて 己が乗り行く 自我オレガの心が作っていく。 | ||||||||||||||
不浄 浄と不浄 元々はないけれども自分で造っていく 意の垢でつくる。 火の車 作る大工は おらねども 己がつくりて 己が乗り行く 自我オレガの心が作っていく。 | ||||||||||||||
不浄 かわやにて 申す念仏に とがあらば 召しこめよかし 弥陀の浄土へ 法然上人 便所 不浄 清浄 行住坐臥 | ||||||||||||||
不浄にて 申す念仏に とがあらば めしこめられよ 弥陀の浄土へ 法然上人 浄不浄 トイレ | ||||||||||||||
布施 三輪清浄 布施 与える人、物、頂く人 の三つが清浄 | ||||||||||||||
布施というと、すぐお寺へもってゆくのをおもい起こされるのでしょうが、布施には財施・法施・無畏施の三種類があり、物質的なものを施すのが財施、精神的なものを施すのが法施、おそれをなくしてあげるのが人生の無畏施です。それには三輪清浄、三輪空ということが大切です。三輪とは能施(施す人) 所施(施される人)施物(施し物)の三つで、この三つが清浄であり、この三つにおれがおれがの「我」があってはならない。おれがの「我」を空にしなければ、真の布施とはいわないと申すのであります。「おれが」「あいつに」「あれをやった」 では三輪不浄です。それでは、その次にでてくるのは「然るに、あいつは恩知らずだ」という不平と愚痴です。施す方がそうなれば、施される方も「なあんだ、あいつが、これっぼっちか」と悪言とあざ笑いです。また施した者はいつまでも施したことを忘れませんが、施された者はすぐ施されたことを忘れるからいけません。これが逆にならねばなりません。 | ||||||||||||||
不体失往生 往生ー此土往生ー理想的浄土ー有余涅槃ー精神更生ー不体失往生 | ||||||||||||||
不斷光 それ衆生ありて、この光に遇うものは三垢消滅し(清浄光)、身意柔軟に(智慧光)、歓喜踊躍して(歓喜光)、善心生ぜん(不斷光) 礼拝儀 無量寿経 | ||||||||||||||
不断煩悩(機信)即涅槃(法信) 曇鸞(善道) | ||||||||||||||
仏 三宝 @仏ー名医 A法ー名薬 B僧ー看病 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
仏 別体の三宝 @仏ー浄土の弥陀 A法ー念仏の御法 B僧ー浄土の菩薩 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
仏 三宝 @仏ー明るく A法ー正しく B僧ー和やかに 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
仏 住持の三宝 @仏ー絵像木像 A法ー黄紙朱軸 B僧ー剃髪 染衣 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
仏教は因果が根底である。因果とは善因善果、悪因悪果、自因自果、他因他果です。 | ||||||||||||||
仏教は八万四千の法門、経律論の三蔵、七千有余卷の経文と申していますがなにを明かすかといえばその内容は戒 定 慧 の三学です。 | ||||||||||||||
佛定 阿彌陀仏と 称うるごとに すすむ数珠 積もるを見れば なお勇みける 佛定 念珠 | ||||||||||||||
仏心というは、大慈悲これなり。 (観経 第九 仏身観文) | ||||||||||||||
懐の 中とも知らで みどりごは 生死の夢に うなされにけり (盲目) | ||||||||||||||
舟 来迎の蓮台=舟、来迎の光=智慧 (勅修御伝随聞記21) 蓮台 舟 智慧 光 安心 | ||||||||||||||
父母恩重経 究竟 憐愍の恩 親はおのれ死して後にも、子の身を護ることを願う | ||||||||||||||
普益 萬機普益は私一人のためなり 私 一人 普益 | ||||||||||||||
冬 春に百花あり、秋に月あり、夏に涼風あり、冬に雪あり 四季、季節 春夏秋冬 慧海禅師 | ||||||||||||||
冬 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり 道元禅師 四季 季節 春夏秋冬 | ||||||||||||||
冬 おぼつかな 誰かいいけん 小松とは 雪をささふる 高松の枝 法然上人 冬 雪 高松 | ||||||||||||||
冬 雪のうちに 仏の御名を 唱うれば つもれる罪そ やがて消えぬる 法然上人 (罪の浄化) 冬 雪 称名 | ||||||||||||||
プラトン エロス=深心=愛 | ||||||||||||||
ふりあげた拳は 地獄の姿 それが合掌になれば 極楽の姿 | ||||||||||||||
ふりむけば ご恩をうけし 人ばかり | ||||||||||||||
故郷 坂三里 辛さが楽し 里帰り 若葉の彼方 桃の咲く家 苦樂 故郷 | ||||||||||||||
故郷 兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりきて 忘れがたき故郷 如何にいます父母 恙なしや友がき 雨に風につけても 思い出ずる故郷 志をはたして いつの日にか帰らん 山は青き故郷 水は清き故郷 作詞 高野辰之たかの‐たつゆき【高野辰之】 国文学者。長野県出身。上田万年に師事。東京音楽学校教授。歌謡史、演劇史を専門に文献を重視した考証的研究に力を尽くした。著に「日本歌謡史」「日本演劇史」など。(一八七六〜一九四七) | ||||||||||||||
故郷 生まれては まづ思いでん ふるさとに 契りし友の 深きまことを 法然上人 故郷 友 往生 | ||||||||||||||
ふるさとは 遠きにありて 思うもの、 そして悲しく うたふもの、 | ||||||||||||||
ふるさとは遠きにありて思うもの、そして悲しくうたふもの、よしや、うらぶれて異土の乞食となるとても、帰るところにあるまじや、 ひとり都のゆふぐれに、ふるさとおもひ涙ぐむ、そのこころもて、遠き都にかへらばや、遠き都にかへらばや」、室生犀星・抒情小曲集(大正8年) | ||||||||||||||
降れば先づ積らぬ中に吹き捨てて風ある松は雪折もせず | ||||||||||||||
不老門 いつも心は 十八の 願に乘ずる 身こそ安けれ | ||||||||||||||
文明の発展に宗教がかかわっている。(トインビー歴史学者) | ||||||||||||||
別安心 総安心 厭離穢土 欣求浄土 別安心 三心 至誠心 深心 回向発願心 安心 | ||||||||||||||
別時 同一名号を称え、同一光明の中にありて、同聖聚の護念を被る同胞尤も親し。愚かに疎しと思うべからず。 名号 光明 聖聚 別時 護念 同胞 | ||||||||||||||
別体の三宝 @仏ー浄土の弥陀 A法ー念仏の御法 B僧ー浄土の菩薩 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
便所 かわやにて 申す念仏に とがあらば 召しこめよかし 弥陀の浄土へ 法然上人 便所 不浄 清浄 行住坐臥 | ||||||||||||||
便所は その家の内情を のぞく節穴である | ||||||||||||||
弁栄上人 急がねば 日がくるる あせると足が地につかぬ 弁栄上人 | ||||||||||||||
弁栄上人 白露を とめおく夜には をみなえし 一しほいろの そひまさるらん | ||||||||||||||
弁栄上人 道詠集 26 私の おのがはからい うちすてて ただみこころに したがえよかし | ||||||||||||||
弁栄上人 道詠集 p1 量りなき 三世の仏の かずかずは ただみほとけの わかれなりけり | ||||||||||||||
弁栄上人 日本の光 p112 西へ行く 教えのおやの こいしさに せめてみあとを めぐりてもがな | ||||||||||||||
法然上人 浄土の法門と遊蓮坊とにあえるこそ 人界の生をうけたる思い出に侍れ。 法然上人 勅伝45 | ||||||||||||||
法然上人 形見とて はかなき親の とどめてし この別れさえ いかにせん 法然上人15歳比叡山 秦氏 母親子 | ||||||||||||||
法然上人 かたみとて はななき親の とどめてし この別れさえ 又いかにせん 法然上人 母上 | ||||||||||||||
法然上人 光明はくまなくそそぐ 限り無きいのちに生きよ 人間の智慧なたのみそ み恵みは人を択ばず ただ頼め阿弥陀佛とおしえたる いみじさの我等が祖師や A煩悩を絶てとは告らず みだれたる心もゆるし 人間の性のまにまに み佛の国に往き行く この道は誰かひらきしなさけある 慕わしのわれらが祖師や (佐藤春夫 作詞)法然上人頌 煩悩 阿弥陀 光明 祖師 | ||||||||||||||
法然上人 阿弥陀仏と 十声唱えて まどろまん 永き眠りに なりもこそすれ 法然上人 十念 すいじ十念 就寝 寝る時 | ||||||||||||||
法然上人 阿弥陀仏と 申すばかりを つとめにて 淨土の荘厳 見るぞうれしき 法然上人 浄土 荘厳 見佛 念仏 三昧 | ||||||||||||||
法然上人 あみだぶと いうよりほかは 津の国の 難波のことは あしかりぬべし 法然上人 | ||||||||||||||
法然上人 あみだぶと 心は西に うつ蝉の もぬけはてたる 声ぞ涼しき 法然上人 夏 念仏 蝉 涼しき | ||||||||||||||
法然上人 あみだぶに そむる心の いろにいでば あきの梢の たぐいならまし 法然上人 秋 染める 梢 | ||||||||||||||
法然上人 池の水 人の心に 似たりけり 濁りすむ事 さだめなければ 法然上人 罪 穢れ 清浄 心 濁り | ||||||||||||||
法然上人 いけらば 念仏の功をつもり 死なば浄土にまいりなん とてもかくても この身には思い煩う 事ぞなき 法然上人 生死 称名 | ||||||||||||||
法然上人 生まれては まづ思いでん ふるさとに 契りし友の 深きまことを 法然上人 故郷 友 往生 | ||||||||||||||
法然上人 往生は よにやすけれど 皆人の 誠の心 なくてこそせね 法然上人 至誠心 三心 誠 | ||||||||||||||
法然上人 おぼつかな 誰かいいけん 小松とは 雪をささふる 高松の枝 法然上人 冬 雪 高松 | ||||||||||||||
法然上人 形見とて はかなき親の 留めてし この別れさえ またいかにせん 法然上人 泰氏 母 別れ 生き別れ 形見 親 | ||||||||||||||
法然上人 かりそめの いろにゆかりの こいにだに あふには身をも をしみやはする 法然上人 恋 | ||||||||||||||
法然上人 かわやにて 申す念仏に とがあらば 召しこめよかし 弥陀の浄土へ 法然上人 便所 不浄 清浄 行住坐臥 | ||||||||||||||
法然上人 極楽へ つとめて早く いで立たば 身のをわりには 参りつきなん 法然上人 往生 | ||||||||||||||
法然上人 これを見ん おりおりことに おもひてて 南無阿彌陀佛と 常にとなえよ 法然上人 精進 称名 | ||||||||||||||
法然上人 さえられぬ 光もあるを をしなへて 隔て顔なる 朝霞かな 春 法然上人 無碍光(どんな物があってもさえぎることがない) | ||||||||||||||
法然上人 さへられぬ ひかりもあるを をしなべて へだてかおなる あさがすみかな 法然上人 春 | ||||||||||||||
法然上人 柴の戸に あけくれかくる 白雲を いつむらさきの 色にみなさん 法然上人 | ||||||||||||||
法然上人 ちとせふる 小松のもとを すみかにて 無量寿仏の 迎えをぞまつ 法然上人 来迎 正念 往生 | ||||||||||||||
法然上人 月かげの 至らぬ里は なけれども ながむる人の こころにぞすむ 住む 澄む 済む 光明遍照 観経 第九 | ||||||||||||||
法然上人 露の身は 此処彼処にて 消えぬとも 心は同じ 華の台ぞ 法然上人 流罪 露 華 淨土 往生 倶会一処 | ||||||||||||||
法然上人 不浄にて 申す念仏に とがあらば めしこめられよ 弥陀の浄土へ 法然上人 浄不浄 トイレ | ||||||||||||||
法然上人 雪のうちに 仏の御名を 唱うれば つもれる罪そ やがて消えぬる 法然上人 (罪の浄化) 冬 雪 称名 | ||||||||||||||
法然上人 われはただ ほとけにいつか あふいぐさ こころのつまに かけぬひぞなき 法然上人 恋 父子相好 | ||||||||||||||
法 意 五感によって意を作る 法 | ||||||||||||||
法 三宝 @仏ー名医 A法ー名薬 B僧ー看病 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
法 住持の三宝 @仏ー絵像木像 A法ー黄紙朱軸 B僧ー剃髪 染衣 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
法 日ごろ説く 教えは全て 今日の日の わが身のためと 思い知らるる (羽田恵三) 説法 我が身 法 | ||||||||||||||
法 別体の三宝 @仏ー浄土の弥陀 A法ー念仏の御法 B僧ー浄土の菩薩 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
法演の四戒 1、勢い、使い尽くすべからず 2、福、受けつくすべからず 3、規矩、行い尽くすばからず 4、好語、説きつくすべからず (法演禅師 中国 住職として自戒すべき四つの徳目これを法演の四戒という。) | ||||||||||||||
法句経 善知識は これ汝の父母なり。 汝らの菩提心を養育し給えばなり。 法句経 親 菩提心 | ||||||||||||||
法語15 日課念佛 かずを定めずば懈怠の因縁なれば、数偏をすすむるにて候う 法語15 | ||||||||||||||
法事讚 前念後念=念念 「念念梵燒戒定香」(香偈)(法事讃) | ||||||||||||||
方丈記 世にしたがえば,身,くるし.したがはねば,狂せるに似たり.いずれの所を占めて,いかなるわざをしてか.しばしもこの身を宿し,たまゆらも心を休むべき. 方丈記 | ||||||||||||||
法信 弥陀の誓の御光に 疑いとけては晴るなりけり 法信 信法 | ||||||||||||||
法蔵菩薩が 私のために悪因悪果の苦を代わってしてくれたこと 代苦 | ||||||||||||||
法蔵菩薩が 私のために修行したこと 代修 | ||||||||||||||
法蔵菩薩が五劫思唯、兆 載多劫の修行によって、阿彌陀佛に成った | ||||||||||||||
法蔵菩薩の五劫思唯の阿弥陀様は報身の阿弥陀様である。(有始無終) (無始無終、有始有終の現象学による。) | ||||||||||||||
法と機と 合うか合わぬかを 調べての 後に行う 道を定めよ 機法一体 機 法 | ||||||||||||||
菩薩 別体の三宝 @仏ー浄土の弥陀 A法ー念仏の御法 B僧ー浄土の菩薩 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
菩薩 「上求菩提 下化衆生」 | ||||||||||||||
星 真砂なす 数なき星の そのなかに 我に向かいて 光る星あり | ||||||||||||||
菩提 いかにして佛の道にかないなん 千才のうちの一日なりとも | ||||||||||||||
菩提心 善知識は これ汝の父母なり。 汝らの菩提心を養育し給えばなり。 法句経 親 菩提心 | ||||||||||||||
発願 内みずからには「慈悲・歓喜・正義・安忍・剛毅・貞操・謙遜・真実等の徳」が身についてまいりますように大ミオヤさまの恩寵を願うと共に、次に外に向かっては「怨親平等に同体大悲の愛を以て柁に待し得らるるように恩寵を垂れ給え」と願うのが発願である。 | ||||||||||||||
発願) 聖意を体して霊的行為を成就せられんことをいのる。 1、道徳の原動力は如来の霊応なること。2、教祖・釈迦牟尼はミダの人格現なること。3、釈迦牟尼は教主にしてまた完徳の鑑なること。4霊応に充たされていかなる境遇にも動ぜざるを誓うこと。5、弱き我に至善の国に進むべき道徳行為を成しうるように聖意を仰ぐこと。 | ||||||||||||||
法身 もの皆の 底に一つの法ありと 日にけに深く思ひ入りつつ 湯川 秀樹「目に見えぬもの」 法身 仏 | ||||||||||||||
仏 子を思う親の心 私を思う仏の心 親子 親・子 阿弥陀 佛 | ||||||||||||||
仏 煩悩に眼さえられ 見えねども 絶えず我らを 照護し給う 煩悩 護念 仏 増上 | ||||||||||||||
仏 もの皆の 底に一つの法ありと 日にけに深く思ひ入りつつ 湯川 秀樹「目に見えぬもの」 法身 仏 | ||||||||||||||
仏と関係 恭敬修 恭は体で敬う。 敬は心で敬う。 心で舌を出し、身体で敬う。日常他人に対する。 心で敬い身体では敬ない 親子関係。 仏に対しては心と身体で敬う。何もいわないから! | ||||||||||||||
仏にも 勝る心と 知らずして 鬼婆なりと 人の言うらむ (嫁姑の人間関係)(税所敦子が上の句 お姑さんが下の句)さいしょ‐あつこ【税所敦子】 歌人。京都の生まれ。旧姓は林。薩摩藩士税所篤之に嫁し、夫と死別後、明治八年宮内省に出仕し、権掌侍となり、昭憲皇太后に仕えた。新桂園派の歌人で、歌集に「み垣の下草」など。(一八二五〜一九〇〇) | ||||||||||||||
仏の心は、慈悲をもて。体とする亊にて候うなり | ||||||||||||||
仏の説法に隨他意、隨自意の二つがあります。隨他意とは文字のごとく他の心に随うことであって、不本意ながら衆生の機縁、すなわち要求に応じての説法である。これを 応病 与薬、 隨器 開導、隨類 応同という。 念佛以外の一切の法門はみな対機説法であって、機欲に応じて止むなくお説きなされたのである。 仏の自らのみ心の底、すなわち隨自意のお説ではないのです。 隨自意は文字のごとく仏の自意のお説を指します。 | ||||||||||||||
仏は いつも見てござる 聞いてござる 知ってござる (善導大師) | ||||||||||||||
仏は常にいませど 現ならぬぞ あらわれなる 人の音せぬ 暁に ほのかに 夢に 見えたもう 後白川法王 | ||||||||||||||
仏は常にいませども 現ならぬぞあわれなる 人の音せぬ暁に、ほのかに夢に 見え給ふ | ||||||||||||||
法然上人に請うものは、法師が心を取ってこそ、極楽へ参らん人は、阿彌陀佛の御意を取ってこそと常に宣いし也。 | ||||||||||||||
盆 もの言わぬ 親にあうなり 盆まいり | ||||||||||||||
本願 草も木も 枯れたる野辺に ただ独り 松のみ残る 弥陀の本願 本願 知恩院 吉水 | ||||||||||||||
本願 光明は本願力である。 本願 | ||||||||||||||
本願 唯頼め よろずの罪は 深くとも 我が本願の あらんかぎりは 本願 罪 十悪 五逆 | ||||||||||||||
本願 めしいたる 亀の浮き木に あうなれや たまたま得たる 法の端舟 高弁 本願に遇う 亀 | ||||||||||||||
本願 碍えられぬ 光のみ手に 抱きしめて 常に我らを 愛撫し給う 無碍光 光明 護念 愛撫 増上 慈悲 | ||||||||||||||
本願念仏に三種 1、請求の念仏 (初位)助け給え、2、感謝の念仏(中位)有難う、3、讃歎の念仏 (終極) あゝ (念仏の方法) | ||||||||||||||
本願の三心=一心不乱=「観経」 至心、信楽、欲生我国 | ||||||||||||||
本気になると 自分がかわってくる 世界が変わってくる 変わってこなかったら まだ本気になっていない証拠だ 本気な恋 本気な仕事 こいつをつかまんことには | ||||||||||||||
ほんとうに愛するとは、お互いがお互いを見つめ合うことではなくお互いが同一方向(仏)を見上げることである」フ(フランスの小説家、飛行家。パイロットの体験をもとに人間の崇高さ、勇気、知恵などを扱った作品を残す。「夜間飛行」「戦う操縦士」「星の王子さま」など。(一九〇〇〜四四) | ||||||||||||||
煩悩 渋柿の 甘柿となる 日の恵み 柿 煩悩 | ||||||||||||||
煩悩 不断煩悩(機信)即涅槃(法信) 曇鸞(善道) | ||||||||||||||
煩悩 光明はくまなくそそぐ 限り無きいのちに生きよ 人間の智慧なたのみそ み恵みは人を択ばず ただ頼め阿弥陀佛とおしえたる いみじさの我等が祖師や A煩悩を絶てとは告らず みだれたる心もゆるし 人間の性のまにまに み佛の国に往き行く この道は誰かひらきしなさけある 慕わしのわれらが祖師や (佐藤春夫 作詞)法然上人頌 煩悩 阿弥陀 光明 祖師 | ||||||||||||||
煩悩 三垢 意は三垢(惑=煩悩・業=悪業・苦=受苦) 垢質 | ||||||||||||||
煩悩 渋柿の 澁そのままの 甘さかな 煩悩即涅槃 | ||||||||||||||
煩悩 じょっとこらえよ 3分間 瞋恚、煩悩 腹立ち | ||||||||||||||
煩悩 欲の皮 ひっぱりみれば 長いもの どこがどことて 果てしなければ 煩悩 貪・瞋・癡 | ||||||||||||||
煩悩 障 眼 雖 不 見 大悲無倦 常 照 我 (煩悩に眼 障えられて われはほとけを見ず われはほとけを見ざるに ほとけはわれを見て われを 照らすこと倦まず。) | ||||||||||||||
煩悩 嗔恚は功徳の林を焼く 「恐るべし カッと怒りの 胸の火が 我と我が身を 焼き尽くすなり」腹立ち、三毒、煩悩、 | ||||||||||||||
煩悩 にわかに怒りをなすことなかれ、今用いずとも たまたま用いることあり。譬喩 瓢箪のはなし。骨董好きな王様の新婚の家来 新婚の妻の下に夜に男がいる。(怒り)瓢箪のなかの言葉思い出しよく確かめてみると父だった。殺さなくてすんだ 忍辱 怒り 煩悩 | ||||||||||||||
煩悩に眼さえられ 見えねども 絶えず我らを 照護し給う 煩悩 護念 仏 増上 | ||||||||||||||
煩悩に眼さえられて 摂取の光明みえざれども 大悲ものうきことなくて 常に我が身を照らすなり 光明 摂取 慈悲 | ||||||||||||||
煩悩の苦は薬である。 | ||||||||||||||
煩悩をば心の客人として、念佛を心の主人としつらえば強ちに往生をば障ぬなり(七箇条起請文 6)煩悩=客人、念仏=主人 | ||||||||||||||
盆はな 盆はうれしや 別れた人が はれてこの世に 会いにくる | ||||||||||||||
盆はな 盆はうれしや 別れた人が はれてこの世に 会いにくる | ||||||||||||||
凡夫の心は物にしたがいてうつりやすし。たとえば猿猴の枝につたふがごとし。まことに散乱して、動じやすく、一心にしづまりがたし。 | ||||||||||||||
本来無東西 何処有南北 本来東も西もない のに 何処に南北があろうか 実体実義主義 聖冏 無方 無分量 | ||||||||||||||
本来無東西 何処有南北 本来東も西もない のに 何処に南北があろうか 実体実義主義 聖冏 無方 無分量 | ||||||||||||||
埋火も 消ゆや涙の 煮ゆる音 (知人の一人っ子の死に対して) | ||||||||||||||
前は弥陀 後ろはお釈迦 中は我 引きつ押されつ 参る極楽 白道 二河 | ||||||||||||||
まこと 怨み心は いかなるすべをもつとも 怨みを懐くその日まで 人の世にはやは難し 怨みなきによりてのみ 怨みは遂に消ゆるべし こは易らざる真理なり。 | ||||||||||||||
誠 往生は よにやすけれど 皆人の 誠の心 なくてこそせね 法然上人 至誠心 三心 誠 | ||||||||||||||
まことにこれ法然道理のひじりなりと随喜して、法然 房と号し、実名は源光の上の字と、叡空の下の字をとりて源空とぞつけられける。 | ||||||||||||||
マザーテレサ 愛の反対は無関心だ マザーテレサ 人権 関心 怨憎会苦は関心がある | ||||||||||||||
まさか? 人生には三っつの坂がある。 上り坂、下り坂、そしてもう一つ、まさかという坂。 上り坂、下り坂 まさか? | ||||||||||||||
真砂なす 数なき星の そのなかに 我に向かいて 光る星あり | ||||||||||||||
また現在、それぞれの日課念仏をも、少しずつ亡くなつた人のために振り向けられるがよいでしょう。亡き人のために念仏を振り向けられれば、阿弥陀仏は光を放って地獄・餓鬼・畜生の三悪道を照らされますから、その悪道に堕ちて苦しみを受けている者は、その苦しみが止んで、命終の後に苦しみの境界からすっかり解放されることになるのです。ですから、『無量寿経』巻上には、「もし三悪道の疲れ苦しまなければならない境界にある人が、この阿弥陀彿の光明を見ることができれば、すべて苦しみが止み安らいで、また苦しみ悩むこともなく、命終の後にすべて迷いの束縛から解放されるのだ」と説かれています。 |
||||||||||||||
松尾芭蕉 あら尊と 青葉若葉に 日の光 清浄光 松尾芭蕉 | ||||||||||||||
末代念仏授手印 修行 安心(智目)・起行(行足) 起行 二重 修行 | ||||||||||||||
末法 なにごとも 時ぞと思え 夏来ては 錦に勝る 麻のさ衣 時 夏 末法 | ||||||||||||||
末法の習い、昨日も今日も僅かに戒定慧の名ありと雖も 行 人なし。乘急の知者なし。ただ有名 無実なり。設い至極上乗の法門を翫ぶと雖も、さらに断悪生死の知恵にあらず。これは問答料簡の知恵なり。この知恵をもっては生死を出でがたきか。然れば即ち釈尊出世の本意のまかせ、弥陀の悲願を仰いで聖 道の難行を捨て、淨土の易行をとって、専称名号、往生を願うべきなり。 | ||||||||||||||
まなしき【末那識】まなしき【末那識】 唯識宗で説く八識の一つ、第七識をいう。第六意識と区別される識作用で、意識がなくなった状態にも不断に存在し、自己を愛し存在させる迷いの根源とされる心のはたらきをいう。 |
||||||||||||||
守り はえば立て 立てば歩めの 親心 わが身に積もる 老いを忘れて 育て 守り 親子 老 四苦 | ||||||||||||||
守り 真砂なす 数なき星の そのなかに 我に向かいて 光る星あり | ||||||||||||||
迷い 動詞と名詞の受け取り方がある。 動詞で受け取るならば、「目覚め」「覚醒」「無辺の悟り」 覚 気づき | ||||||||||||||
マラリア かつてWTO(世界保健機構)はアフリカのマラリア患者の多い地域で徹底的なマラリア樸滅作戦を展開した。その結果、乳幼児の死亡率が10分の1に低下した。そかし10年あとには、その地域の住民のほとんどが餓死してしまった。マラリア患者がいなくなって、爆発的に人口が増加したためである。WHOは、はたして良いことをしたのか?悪いことをしたのか頭をかかえこんだという。 慈悲 科学 理論 良いこと 悪いこと 知恵 | ||||||||||||||
客人 煩悩をば心の客人として、念佛を心の主人としつらえば強ちに往生をば障ぬなり(七箇条起請文 10)煩悩=客人、念仏=主人 | ||||||||||||||
万善の妙体は 名号の六字に即し 恒沙の功徳は 口称の一行に備う 恒沙=ガンジス川の砂の数 (名号) | ||||||||||||||
眉間の白毫は右に旋って婉転せり。五の須弥山の如し。 (観経 第九 仏身観文) | ||||||||||||||
見し人の 煙りときえし 夕べより 名もむつまじき しほ釜の浦 | ||||||||||||||
弥陀 釈迦は往け 弥陀は 来いよに 中は我 押され引かれて まいる極楽 | ||||||||||||||
弥陀 一声も すてぬ誓の うれしさに 思わずつもる 弥陀のかずかず 念佛、誓 、弥陀 | ||||||||||||||
弥陀 別体の三宝 @仏ー浄土の弥陀 A法ー念仏の御法 B僧ー浄土の菩薩 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
弥陀 真砂なす 数なき星の そのなかに 我に向かいて 光る星あり | ||||||||||||||
弥陀身心遍心法界 映現衆生心想中 (弥陀の身心は法界に遍じ、衆生の心想の中に映現したもう) | ||||||||||||||
弥陀の誓の御光に 疑いとけては晴るなりけり 法信 信法 | ||||||||||||||
道といふ ことばに迷ふ ことなかれ あさゆふおのが なすわざと知れ | ||||||||||||||
道の為め 手折るとならば 姫小松 もとより千代は 願はざるらん | ||||||||||||||
みどりなる 一つ草とぞ 春は見し 秋は色々の 花にぞありける | ||||||||||||||
みな人の 心の底の 奥の院 開帳すれば 鬼が本尊 (地獄の心) | ||||||||||||||
み名をよぶ 声に心が のせられて 通う心に 通うみ心 (感応 道交) | ||||||||||||||
御名を呼ぶ 声に心が 乗せられて よぶたび通う 慈悲のふところ (歓喜 称名) | ||||||||||||||
御法 別体の三宝 @仏ー浄土の弥陀 A法ー念仏の御法 B僧ー浄土の菩薩 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
実るほど あたまを下ぐる 稲穂かな | ||||||||||||||
み仏の ただ中にして 流転かな | ||||||||||||||
みほとけを ますます高く おもうほど おのが心も いやとうとけれ | ||||||||||||||
耳 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
身も安く 心も安き 古寺の 深き恵みは 楽しかりける | ||||||||||||||
明 後の世の 人の鏡に のこしおく 南無阿彌陀佛 知識をぞ見よ 徳本行者 鏡 無明と明 | ||||||||||||||
明 無明と明 一方より見れば無明 一方よりみれば明 これが無始である。 | ||||||||||||||
明 無明を基とし、煩悩を基盤としているから、方向性を間違えて苦を生じる。 無知 愚痴 智慧 知力 明 | ||||||||||||||
明恵 あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月 (明恵)主客 川端康成 ノーベル賞 月 美 | ||||||||||||||
妙観察智 四大智 (唯識) 仏果をきわめたときに具有する四種の智。すなわち、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智。 | ||||||||||||||
妙観察知は第6意が転じて智を得る。六根清浄 1、眼 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】 | ||||||||||||||
名号 同一名号を称え、同一光明の中にありて、同聖聚の護念を被る同胞尤も親し。愚かに疎しと思うべからず。 名号 光明 聖聚 別時 護念 同胞 | ||||||||||||||
名号 六字の名号の中には、阿弥陀様おひとりが持っていらっしゃるあらゆる内面の功徳、つまり、四智・三身・十力・四無畏などのお徳から、阿弥陀様の外に対する御はたらき、つまり、相好・光明・説法・利生などというお徳、その内なる御はたらき、また外に向かう御はたらき、一切み功徳が、お名号の中に、摂し収められて在る。法然上人は、こう申されているのでございます。お名号の中には、あらゆる善根功徳、善と名のつくものは全部入っているわけでございます。そういう意味からいたしまして、「お名号」ということがいえるわけでございます。だからお名号「南無阿弥陀仏」の種を仏性心田に蒔く。そうして蒔いたお名号の種が、仏様の絶大なる御力によって、それが蒔くと同時に芽を出すのでございます。仏種の発芽でございますね。(選択集) | ||||||||||||||
名号@万行万善の果徳円満の名号、 A自覚覚他の覚行窮萬の名号、 B萬徳無漏の一切功徳の名号 | ||||||||||||||
名号に万徳が帰するのを、発願剋念という。尅念とは専心、鋭意の心です。 | ||||||||||||||
名号はこれ万徳の帰する所なり。然れば即ち弥陀一仏のあらゆる四智・三身・ 十力・ 四無畏等の一切の内証の功徳・相好・光明・説法・利生等の一切外用の功徳、皆な悉く阿彌陀佛の名号の中に摂在せり。故に名号の功徳最も勝れたりとなす。 | ||||||||||||||
見る人の 心ごころに まかせおきて 高嶺に澄める 秋の夜の月 | ||||||||||||||
見る毎に 皆そのままの 姿かな 柳はみどり 花はくれなゐ | ||||||||||||||
見るもよし 聞くもまたよし 云ふもよし 心一つを 猿になさずば | ||||||||||||||
見ればただ 何の苦もなき 水鳥の 足にひまなき わが思ひ (徳川光圀) | ||||||||||||||
見渡せば 遠き近きは なかりけり おのれおのれの 住家にぞある | ||||||||||||||
身をすてて 世を救う人も ますものを 草の庵に ひまもとむとは 良寛 理想現実 | ||||||||||||||
民族の滅亡は人口が減り続けていくことである。和田清(東洋史学者) | ||||||||||||||
み山べの 深雪とけなば 谷川に よどめる水は あらじとぞ思ふ | ||||||||||||||
無畏施 恐れがない→安らぎ 客の接待の仕方 施無畏 | ||||||||||||||
無一物中無尽蔵 (禅) | ||||||||||||||
昔思ふ 秋のねざめの 床の上に ほのかにかよふ 峯の松風 | ||||||||||||||
昔たれかかる桜の花を植ゑてよしのを春の山となしけむ | ||||||||||||||
昔も今も うそもまことも はれやらぬ 峰のうす 雲立ち去りて のちの光と 思はずや君 | ||||||||||||||
無碍光 碍は碍子であって「さえぎる」の意 さえぎる物がない。 さえられぬ 光もあるを をしなへて 隔て顔なる 朝霞かな 春 法然上人 無碍光(どんな物があってもさえぎることがない) | ||||||||||||||
無碍光 碍えられぬ 光のみ手に 抱きしめて 常に我らを 愛撫し給う 無碍光 光明 護念 愛撫 増上 | ||||||||||||||
無碍光 さえられぬ 光もあるを をしなへて 隔て顔なる 朝霞かな 春 法然上人 無碍光(どんな物があってもさえぎることがない) | ||||||||||||||
無碍光 さへられぬ ひかりもあるを をしなべて へだてかおなる あさがすみかな 法然上人 春 | ||||||||||||||
無間修 懈怠の心を修正するために 三種行儀 | ||||||||||||||
無間修 怠らず 行かば千里の果ても見ん 牛の歩みのよし おそくとも 無間修 四修 | ||||||||||||||
無間修 間断 無く念仏を修していこう、念仏と念仏との間の間を無くしていこう、間を無くしていこうという心がまえ。 | ||||||||||||||
無間修 四修 恭敬修⇔高慢 無余修⇔雜起 無間修⇔懈怠 長時修⇔退転 | ||||||||||||||
無間修 四修 作業(四修、三種行儀) 恭敬修 無余修 無間修 長時修 | ||||||||||||||
無間修 四修ともに 大事なれども 無間修が 大事のなかの 大事なりける 無間修 | ||||||||||||||
無間修 睡時十念 阿彌陀仏と 十聲唱へて まどろまん 長きねぶりに なりもこそすれ 睡時十念 | ||||||||||||||
無間修 煙草のむ身と 恋する身には 胸にけぶりの絶え間ない。 アミタアミタと恋する身には 胸に仏のたえまなきぞ 徳本 無間修 | ||||||||||||||
無間修 念佛は 称えて見れば ありがたや 念佛が 念佛産んで 阿弥陀仏 無間修 | ||||||||||||||
無間修 念佛は 申し申し 申しても 申したらぬが 念佛なりける 無間修 | ||||||||||||||
無財の七施 1 捨身施 2心慮施 3和顔施 4慈眼施 5愛語施 6床座施 7房舍施 | ||||||||||||||
無始 無明と明 一方より見れば無明 一方よりみれば明 これが無始である。 | ||||||||||||||
虫 次の世は よき虫に生まれこよと 手合わせつつポリドールまく 虫 殺す 懺悔 | ||||||||||||||
無始無終 法蔵菩薩の五劫思唯の阿弥陀様は報身の阿弥陀様である。(有始無終) (無始無終、有始有終の現象学による。) | ||||||||||||||
無上法アーノクタラサミャクサンボダイ(疑惑がきえる)、甚深法(空)、微妙法(妙有) | ||||||||||||||
無知 智慧は物事の方向性を示してくれる。 知力には者を判断する能力はあるが、方向性がない | ||||||||||||||
無知 無明と明 一方より見れば無明 一方よりみれば明 これが無始である。 | ||||||||||||||
無知 無明を基とし、煩悩を基盤としているから、方向性を間違えて苦を生じる。 無知 愚痴 智慧 知力 明 | ||||||||||||||
無能 安心は 知ることかたく 具しやすく 知ること易く 具しがたきかな 無能 安心 | ||||||||||||||
無分量 聖冏 此処を去ること遠からず 実体実義主義 聖冏 無方 無分量 | ||||||||||||||
無分量 本来無東西 何処有南北 本来東も西もない のに 何処に南北があろうか 実体実義主義 聖冏 無方 無分量 | ||||||||||||||
無辺 悟る 動詞と名詞の受け取り方がある。 動詞で受け取るならば、「目覚め」「覚醒」「無辺の悟り」 覚 気づき | ||||||||||||||
無方 聖冏 此処を去ること遠からず 実体実義主義 聖冏 無方 無分量 | ||||||||||||||
無方 本来無東西 何処有南北 本来東も西もない のに 何処に南北があろうか 実体実義主義 聖冏 無方 無分量 | ||||||||||||||
無明 智慧は物事の方向性を示してくれる。 知力には者を判断する能力はあるが、方向性がない | ||||||||||||||
無明 後の世の 人の鏡に のこしおく 南無阿彌陀佛 知識をぞ見よ 徳本行者 鏡 無明と明 | ||||||||||||||
無明と明 一方より見れば無明 一方よりみれば明 これが無始である。 | ||||||||||||||
無明を基とし、煩悩を基盤としているから、方向性を間違えて苦を生じる。 無知 愚痴 智慧 知力 明 | ||||||||||||||
無余修 阿弥陀一仏を信じ、念仏の一行を行ずる。 宗教的貞操を守ること。 阿釈薬観天天八蔵 | ||||||||||||||
無余修 四修 恭敬修⇔高慢 無余修⇔雜起 無間修⇔懈怠 長時修⇔退転 | ||||||||||||||
無余修 四修 作業(四修、三種行儀) 恭敬修 無余修 無間修 長時修 | ||||||||||||||
無余修 余とは余分なもの、雑ざり気の心で、余分のものを雑ぜずに、ただ念佛だけをの意 四修 | ||||||||||||||
無量 (量り知れない) 生死、善悪、貧富、幸不幸 不可思議である。 法然上人の幼少の父の死で浄土が開けた不可思議 | ||||||||||||||
無量寿経 それ衆生ありて、この光に遇うものは三垢消滅し(清浄光)、身意柔軟に(智慧光)、歓喜踊躍して(歓喜光)、善心生ぜん(不斷光) 礼拝儀 無量寿経 | ||||||||||||||
無量寿経 有田憂田 有宅有宅 無量寿経 苦 求不得苦 | ||||||||||||||
眼 | ||||||||||||||
眼、眼を見ず。火、火を焼かず。心、心を知らず。」 眼は何でも見えるんですが、自分の眼が見えない。鼻さえ見えない。そうでしょ。火、火を焼かず。火は何でも焼きますが、火が火を焼くことばございません。心、心を知らず。自分の心というものは、なかなか自分でわからないのでございます。「影は光によって生ずる」。真夜中、一暗闇ですと影がございません。朝、お天道さまが出ていらっしゃると、それにふさわしい影が出てきます。それと同じように、念仏を申さない間は、如来さまのお光明をいただかない間は、自分の罪悪の影に気付かないのであります。ですから、最初は、我々も煩悩の我であるということを信じて、お念仏申しているうちに、お光明がいただけてまいりますと、自分の罪悪に気付かせていただく、初め信じておったものがわかってくるのです。その自分の罪悪に気が付くから、阿弥陀さまにおすがりする気持ちが強くなって、真剣な念仏が出る。 「光強ければ、影また渡し」。光が強ければ強い程、影が濃くなる様に、阿弥陀さまの光明をいただけばいただくほど、罪悪の影が濃くなって、しまいには自分ほど罪な者はない、と罪悪の自覚に到達するものでございます。そういう意味に於いて、どうか最初は、罪悪の我であると信じて、懺悔の鍬で罪悪の雑草を刈り取っていただきたいと、こう思うのでございます。 |
||||||||||||||
名医 三宝 @仏ー名医 A法ー名薬 B僧ー看病 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
明治 三宝 @仏ー明るく A法ー正しく B僧ー和やかに 明治 大正 昭和 | ||||||||||||||
名薬 三宝 @仏ー名医 A法ー名薬 B僧ー看病 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
目がさめて 今日もうれしや わがからだ | ||||||||||||||
目覚め 悟る 動詞と名詞の受け取り方がある。 動詞で受け取るならば、「目覚め」「覚醒」「無辺の悟り」 覚 気づき | ||||||||||||||
めしいたる 亀の浮き木に あうなれや たまたま得たる 法の端舟 高弁 本願に遇う 亀 | ||||||||||||||
眼に見えず 耳に聞こえず 身体に触れず 心に触れし 慈悲の尊さ | ||||||||||||||
目に見えぬ 神の心に 通ふこそ 人のこころの 誠なりけれ (明治天王) | ||||||||||||||
目の前の ものを鏡と 心得て かげをまことに うつせ世の人 | ||||||||||||||
もう、自分一人の幸福を求める時代は終った。他の人が幸福でなくて、どうして自分が幸福になれるだろう。もう、自分の国だけの平和を求める時代は終った。他の国が平和でなくて、どうして自分の国が平和であり得よう」 | ||||||||||||||
盲目 知らざりき 仏とともに おきふして 明け暮らしける 我が身なりとは (盲目) | ||||||||||||||
目的と手段 山は青々日はうらら 田には漫々慈悲の水 秋はみのらん無量寿を 歌え南無阿弥田植え歌 青い稲葉はその中に 白いお米のみのるため 死ぬる身体はその中に 死なぬ命のそだつため (田中木叉 心田植歌) | ||||||||||||||
目連 父母恩重経 究竟 憐愍の恩 親はおのれ死して後にも、子の身を護ることを願う | ||||||||||||||
以光明名号 摂化十方 | ||||||||||||||
もし、念仏せん者は、当に知るべし。この人は即ちこれ人中の芬陀利華(白蓮華)なり (観無量寿経) | ||||||||||||||
もしもそれ造像起塔をもって本願となし給わば、貧窮困乏のものは定めし往生の望みを絶たん。もし知恵高才をもって本願とし給わば、愚鈍下知のものは定めて往生の望みを絶たん。もし、持戒持律をもって本願とし給わば、破戒無戒のものは定めて往生の望みを絶たん。自余の行これに准じて知るべし。 | ||||||||||||||
もしよく相続して念仏する者は、この人、甚だ希有なりとす。さらに物をもってこれにくらぶべきなし。故に芬陀利華(白蓮華)を引いて喩えとすることを明かす。 | ||||||||||||||
持ちきれぬ 荷物重たし 前うしろ (山頭火) | ||||||||||||||
持つ人の 心によりて かはらとも 玉ともなるは こがねなりけり | ||||||||||||||
持つ人の 心によりて 宝とも 仇ともなるは 黄金なりけり | ||||||||||||||
もとよりも 忍ぶの里に 忍れば 忍びてかよへ 弥陀の淨土へ 苦楽 忍 忍ぶ | ||||||||||||||
物 智慧は物事の方向性を示してくれる。 知力には者を判断する能力はあるが、方向性がない | ||||||||||||||
もの言わぬ 親にあうなり 盆まいり | ||||||||||||||
ものみなの 底に一つの 法ありと 日に、けに、深く 思いいりつつ | ||||||||||||||
ものみなの 底に一つの 法ありと 日に、けに、深く 思いいりつつ | ||||||||||||||
ものみなの 底に一つの 法ありと 日に、けに、深く 思いいりつつ (湯川 秀樹) | ||||||||||||||
もの皆の 底に一つの法ありと 日にけに深く思ひ入りつつ 湯川 秀樹「目に見えぬもの」 法身 仏 | ||||||||||||||
桃 桃の夭夭たる、その葉蓁蓁たり、之子干に帰ぐ、かの家人宣し 大学 桃 帰 結婚 | ||||||||||||||
桃の夭夭たる、その葉蓁蓁たり、之子干に帰ぐ、かの家人宣し 大学 桃 帰 結婚 | ||||||||||||||
もろともに 苔の下には 朽ちずして うずもれぬ名を 見るぞかなしき | ||||||||||||||
諸の凡夫の心は野馬の如く、識は猿候よりもはげしく六塵に馳騁して何ぞかつて停 息せん、 | ||||||||||||||
柳生家の家訓 「小才は縁に出会って縁に気づかず 中才は縁に気づいて縁を生かさず 大才は袖すり合った縁をも生かす」縁怨憎会苦 不可思議 「袖すりあうも他生の縁」 | ||||||||||||||
矢のたとえ!一番の矢と二番矢 苦の一番矢を受けても二番の苦の矢は念仏を称えている人は受けない! 一番矢楽は二番矢は欲の働きによって苦の始まりになる。 苦楽 挨拶 | ||||||||||||||
病 三宝 @仏ー名医 A法ー名薬 B僧ー看病 恭敬修 四修 | ||||||||||||||
山の端の 月はさやかに てらせども まだはれやらぬ 峰のうす雲 | ||||||||||||||
山は青々日はうらら 田には漫々慈悲の水 秋はみのらん無量寿を 歌え南無阿弥田植え歌 青い稲葉はその中に 白いお米のみのるため 死ぬる身体はその中に 死なぬ命のそだつため (田中木叉 心田植歌) | ||||||||||||||
山本空外 通達 諸法性 一切空無我 專求浄 仏土 必成 妙 是刹 種善寺 対聯 空外75歳書 | ||||||||||||||
山本有三 路傍の石 「たった一人しかいない自分をたった一度しかない人生をほんとうに生きなかったら、生まれてきた甲斐がないじゃないか」 人生 自分 生死 | ||||||||||||||
闇の夜に 鳴かぬ鴉の 声きけば 生まれぬ先の 父ぞ恋しき (父子相好) | ||||||||||||||
闇の夜に 鳴かぬ鴉の 声きけば 生まれぬ先の 父ぞ恋しき (父子相好) 一休和尚 | ||||||||||||||
やめやめんと欲すれども、やめられざるをいかにせん。 廃し廃せんと欲すれども、廃しせざるをいかにせん | ||||||||||||||
湯川秀樹 もの皆の 底に一つの法ありと 日にけに深く思ひ入りつつ 湯川 秀樹「目に見えぬもの」 法身 仏 | ||||||||||||||
雪 暑き日も 寒きその夜も 雪の夜も 五劫思唯の ことを思えば 荒巻くめ 五劫思唯 暑い 寒い 雪 | ||||||||||||||
雪 おぼつかな 誰かいいけん 小松とは 雪をささふる 高松の枝 法然上人 冬 雪 高松 | ||||||||||||||
雪下に 春の声あり ことことと 見えぬ小川の 流れ音聞く 清浄光、 河波 | ||||||||||||||
雪下に 春の声あり コトコトと 見えぬ小川の 流れ音聞く (北海道・釧路)現象学 地下に春がやって来る。春がやって来た。(往生することと往生がやって来る。) | ||||||||||||||
雪のうちに 仏の御名を 唱うれば つもれる罪そ やがて消えぬる (罪の浄化) | ||||||||||||||
雪のうちに 仏の御名を 唱うれば つもれる罪そ やがて消えぬる 法然上人 (罪の浄化) 冬 雪 称名 | ||||||||||||||
ゆく時が 賤が手わざの 空桶に になえて帰る 秋の夜の月(昔の水汲みは大変だった。空桶に井戸まで行ってくんできた。行く時は空で帰るときは水と水の浮かぶお月様が宿っている) | ||||||||||||||
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみにうかぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまることなし。・・・・あしたに死しゆうべに生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いつかたより来りていづかたへ去る | ||||||||||||||
弓も折れ 矢もつきは つるところにて さしもゆるさで 強く射てみよ | ||||||||||||||
夢に死し 夢に生るる 朝寝坊 起きて苦を知る 釈迦よりはまし | ||||||||||||||
夢の世に あだにはかなき 身を知れと おしえて帰る 子は善知識 (和泉式部) | ||||||||||||||
夢の世に あだにはかなき 身を知れと 教えて帰る 子は知識なり (和泉式部) | ||||||||||||||
夢の世に 仇にはかなき 世を知れと 教えてかえる子は 知識なり (和泉式部) | ||||||||||||||
夢の夜に かつまどろみて 夢をまた 語るも夢も それのまにまに | ||||||||||||||
夜遊びや 朝寝昼寝に 遊山ずき 引込思案 油断不根気 | ||||||||||||||
良いこと かつてWTO(世界保健機構)はアフリカのマラリア患者の多い地域で徹底的なマラリア樸滅作戦を展開した。その結果、乳幼児の死亡率が10分の1に低下した。そかし10年あとには、その地域の住民のほとんどが餓死してしまった。マラリア患者がいなくなって、爆発的に人口が増加したためである。WHOは、はたして良いことをしたのか?悪いことをしたのか頭をかかえこんだという。 慈悲 科学 理論 良いこと 悪いこと 知恵 | ||||||||||||||
ようやくに 望みをとげた 長生きの 果てのざまみよ 家の邪魔者(生きているだけでない!こうなる前に死にたい) | ||||||||||||||
よき事を 見ざる聞かざる 云はざるは 人にうまれし 甲斐もあらざる | ||||||||||||||
欲 我は欲する所の善を行うわたわず 欲せざる所の悪を行う あぁ悩める我なるかな。(パウロ)十夜 善 悪 欲 苦 意思 | ||||||||||||||
欲界、色界、無色界。欲界は人間界、色、無色界は天上界ともに迷境の流転の世界。(三界) | ||||||||||||||
欲生我国 本願の三心=一心不乱=「観経」 至心、信楽、欲生我国 | ||||||||||||||
欲の皮 ひっぱりみれば 長いもの どこがどことて 果てしなければ 煩悩 貪・瞋・癡 | ||||||||||||||
欲深き 人の心と 降る雪は 積もるにつけて 道わかぬなり (欲と道) 小欲 知足の生活 | ||||||||||||||
欲ふかき 人の心と 降る雪は 積もるにつれて 道を忘るる (盲目) | ||||||||||||||
譽号 五種の嘉譽 現当の利益 生死を解脱 滅罪 見佛 護念 | ||||||||||||||
よしあしの 二の道に たへはてぬ 心とてげに すがたなければ | ||||||||||||||
吉川英二 我 以外 皆 吾師 恭敬修 上下関係 | ||||||||||||||
吉田兼好 死は前よりも来たらず、かねてうしろにせまれり。人みな死あることを知りて待つことしかも急ならざるに覚えずして来る。沖の干潟はるかなれども、磯より潮の滿つるがごとし。 吉田兼好 徒然草 死 潮 | ||||||||||||||
吉水 草も木も 枯れたる野辺に ただ独り 松のみ残る 弥陀の本願 本願 知恩院 吉水 | ||||||||||||||
夜な夜なミオヤと共に寝ね 朝な朝なもともに起き 立ち居起き臥し添いまして しばしも離るることぞなき (田中木叉 心田植歌) 長時修 田中木叉 心田田植え歌 寝る | ||||||||||||||
世の中 持戒念仏往生の機 世の中は 賽の河原の 石なれや 積んではくずし くずしては積む 世の中 賽の河原 石 積む | ||||||||||||||
世の中に 恐ろしきものは なけれども 屋根の漏るのと 馬鹿と借金 | ||||||||||||||
世の中に 思あれども 子を恋ふる 思ひにまさる 思なきかな (親子) | ||||||||||||||
世の中に 思いはあれど 子を思う 思いにまさる 思いなきかな (親子) | ||||||||||||||
世の中に か(蚊)ほどうるさき ものはなし ぶんぶ(文武)といひて夜もねられず | ||||||||||||||
世の中に 苦はなきものを 我と吾が 楽をもとめて 苦しみぞする (苦樂) | ||||||||||||||
世の中に 虎狼は何ならず 人の口こそ なほまさりけれ | ||||||||||||||
世の中に 生死の道に 連れはなし たださみしくも 独去独来 (独り) | ||||||||||||||
世の中に 歎きはなきに 喜びをもとめて 遂になげきとはなる (苦の始まり) | ||||||||||||||
世の中の 生死の道に 連れはなし たださみしくも 独去独来 | ||||||||||||||
世の中は 今日より他は なかりけり 昨日は過ぎつつ 明日は知られず(現在有体、過未無体) | ||||||||||||||
世の中は こその二文字 つけどころ おさまるもこそ 乱るるもこそ | ||||||||||||||
世の中は 得して人に ほめられて 損して人に 笑はるるなり | ||||||||||||||
世の中は 一つかなえば、また二つ。三つ、四つ、五つ むつかしの世や | ||||||||||||||
世の中は 娘が嫁と 花咲きて 嬶としぼんで 婆と散りゆく | ||||||||||||||
世の中を 渡りくらべて 今ぞ知る 阿波のなるとに 立つ浪もなし | ||||||||||||||
よもすがら仏の道をもとむればわがこころにぞ尋ね入ぬる | ||||||||||||||
喜び 手のまいも 足のふみども 白波や 誓の船に 乗り得つる身は 喜び 前慶 後慶 慶中 | ||||||||||||||
来迎 ちとせふる 小松のもとを すみかにて 無量寿仏の 迎えをぞまつ 法然上人 来迎 正念 往生 | ||||||||||||||
来迎=往生の増上縁、 三心=往生の安心 往生 増上縁 三心 安心(勅修御伝随聞記19) | ||||||||||||||
来迎の三義@臨終正念 A道路の先達 B対治魔事 臨終 | ||||||||||||||
来迎の蓮台=舟、来迎の光=智慧 (勅修御伝随聞記19) 蓮台 舟 智慧 光 安心 | ||||||||||||||
来迎の蓮台を舟とし、来迎の光を智慧として (勅修御伝随聞記19) | ||||||||||||||
来年は 小便くさき 炬燵かな | ||||||||||||||
来年は 小便くさき 炬燵かな(来年は子どもがうまれるであろう!と祝いの言葉) | ||||||||||||||
礼拝儀 それ衆生ありて、この光に遇うものは三垢消滅し(清浄光)、身意柔軟に(智慧光)、歓喜踊躍して(歓喜光)、善心生ぜん(不斷光) 礼拝儀 無量寿経 | ||||||||||||||
礼拝と念とは、別行にあらざるなり | ||||||||||||||
楽 もとよりも 忍ぶの里に 忍れば 忍びてかよへ 弥陀の淨土へ 苦楽 忍 忍ぶ | ||||||||||||||
楽 矢のたとえ!一番の矢と二番矢 苦の一番矢を受けても二番の苦の矢は念仏を称えている人は受けない! 一番矢楽は二番矢は欲の働きによって苦の始まりになる。 苦楽 挨拶 | ||||||||||||||
楽 大忍とは耐えしのんだり、がまんすることとはちがう。苦しいときはくるしいままに、嬉しいときは嬉しいままに身体ごと素直に順応していくことである。悲しいときは子供のように、ごく自然に涙を浮かべ悲しいんでいる。また念願かなって嬉しいときは、子供のように無邪気に嬉しがるこれを大忍という。 寂しいときは寂しいままに独り静かにいる。これが日本文化の「わび」「さび」の精神である。身体で抑えて、首から上に上げない。文句、愚痴を言わないようにしよう。争いの元となる。罪作り。(板橋興宗 曹洞宗) | ||||||||||||||
理想 いかにして 誠の道に 叶いなん 千歳のうちの 一日なりとも 良寛 理想 | ||||||||||||||
理想 身をすてて 世を救う人も ますものを 草の庵に ひまもとむとは 良寛 理想現実 | ||||||||||||||
龍 龍の角は鹿に似、頭は駱駝に似、眼は鬼に似、頸は蛇に似、腹は蜃に似、鱗は鯉に似、爪は鷹に似、掌は虎に似、耳は牛に似ている。という 龍は九種の動物に喩える九似説を記す。 背には八十一の鱗、口元には髯、喉元にはそれに触れるとはげしく怒り出す。逆鱗をもつ。(中国 宋代の字書 爾雅翼)じが【爾雅】 中国の字書。十三経の一つ。作者は周公あるいは孔子とその弟子の手が加わっているという説もあるが、否定されており、漢の学者たちが諸経書、特に詩経の伝注を集録したものといわれる。釈詁・釈言・釈訓・釈親以下釈鳥・釈獣・釈畜の一九編は、古語を用法と種目別に分類・解説した最古の字書で、経書の訓詁解釈の貴重な史料。注釈書として晋の郭璞の注と宋の刑拮の疏を合わせた「爾雅注疏」がある。 蜃は角とてがみえおもつ大蛇で想像上の動物である。蜃気楼を吐くとわれている。岩国 法真寺 資料より |
||||||||||||||
竜樹 ああ、痛ましい哉、我等幾千かの仏肉を食い、我等幾千かの仏血を吸い、我等幾千かの仏命を断ち、我等幾千かの仏眼を決り、我等幾千かの仏肩を桂り、我等幾千かの仏皮を着つる」と『大智度論』の中で申され竜樹のみ心に、一歩いな半歩たりとも近づかせていただきたいものであります。 殺生 | ||||||||||||||
良寛 いかにして 誠の道に 叶いなん 千歳のうちの 一日なりとも 良寛 理想 | ||||||||||||||
良寛 鷽の 声もききつる あしたより 春の心に なりにけるかな 良寛 | ||||||||||||||
理論 かつてWTO(世界保健機構)はアフリカのマラリア患者の多い地域で徹底的なマラリア樸滅作戦を展開した。その結果、乳幼児の死亡率が10分の1に低下した。そかし10年あとには、その地域の住民のほとんどが餓死してしまった。マラリア患者がいなくなって、爆発的に人口が増加したためである。WHOは、はたして良いことをしたのか?悪いことをしたのか頭をかかえこんだという。 慈悲 科学 理論 良いこと 悪いこと 知恵 | ||||||||||||||
臨終 来迎の三義@臨終正念 A道路の先達 B対治魔事 臨終 | ||||||||||||||
輪廻思想は西洋から入ってきた→ヴェーダ思想(ピタゴラスは10回前の生死が見えた) | ||||||||||||||
流刑さらにうらみとすべからず。そのゆえは齡すでに八旬にせまりぬ。たとひ師弟おなじみやこに住すとも、娑婆の離別ちかきにあるべし。たとひ山海をへだつとも、淨土に再会なんぞうたがはん。 | ||||||||||||||
流罪 露の身は 此処彼処にて 消えぬとも 心は同じ 華の台ぞ 法然上人 流罪 露 華 淨土 往生 倶会一処 | ||||||||||||||
流転三界中 恩愛不能斷 棄恩入無為 真実報恩者 | ||||||||||||||
例なく開け行く世を見ることもみちびく神のあればなりけり | ||||||||||||||
蓮華初開楽 蓮華の華を開くようにゆっくり両手で右左前と袱紗を開く 終わったら十念の後に袱紗を閉じる。説法 作法 袱紗の開き方閉じ方 | ||||||||||||||
蓮生 寐むれば即ち仏を含み、覚むれば即ち仏を吐く「寐即含仏、覚即吐仏」 忍澂上人 善導大師 (熊谷 蓮生 藤枝 蓮生寺) | ||||||||||||||
蓮生寺 寐むれば即ち仏を含み、覚むれば即ち仏を吐く「寐即含仏、覚即吐仏」 忍澂上人 善導大師 (熊谷 蓮生 藤枝 蓮生寺) | ||||||||||||||
蓮台 来迎の蓮台=舟、来迎の光=智慧 (勅修御伝随聞記20) 蓮台 舟 智慧 光 安心 | ||||||||||||||
老 身 年 一 百 歳、 長 愁 八十 児 (100歳の老親が80歳の児を心配していることで、老婆親切である。その上に往生を願い、念仏者になった) | ||||||||||||||
老 はえば立て 立てば歩めの 親心 わが身に積もる 老いを忘れて 育て 守り 親子 老 四苦 | ||||||||||||||
老人六歌仙 1皺がよる ホクロができる 腰曲がる 頭ははげる 髪白くなる 2手はふるう 足はひょろつく 歯は抜ける 耳は聞こえず 目はうとくなる 3身にそうは 頭巾 えりまり 杖 眼鏡 たんぽ 温石 尿瓶 孫の手 4聞きたがる 死にともながる 淋しがる 心は曲がる 欲ふかくなる 5くどくなる 気短になる 愚痴になる でしゃばりたがる 世話やきたがる 6またしても 同じ話に 子をほめる 達者自慢に 人は嫌がる (仙崖 博多 聖福寺) | ||||||||||||||
老人にとって、一番さみしいことは、する仕事のないことです。老人にとって、一番みじまなことは、 手足や体が不自由のまま、 人間らしい生活のできないことです。 老人にとって、一番悲しいことは 敬れて、遠ざけられることです。 老人にとって、一番醜いことは、過去にしがみつくことです。老人にとって、一番楽しいことは、若い者の邪魔にならないよう、若い者のためになるよう、陰の力をつくすことです。 老人にとって、一番尊いことは死を忘れないことです。 | ||||||||||||||
老婆親切 身年 壱百 歳 、 長 愁 八十 児。 100歳の老親が81歳の児っを心配している。 老婆親切 | ||||||||||||||
六感 あらやしき【阿頼耶識】 (梵Dlaya-vijDnaの訳。蔵識、真識、阿梨耶識、無没識などと訳す)仏語。唯識宗で説く八識の一つ。宇宙の万有を保って失わず、万有が展開する際の基体であり、万有を収蔵している心の主体。 |
||||||||||||||
六感 四智 六根清浄 1、眼 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】大円鏡智は 第8阿頼耶識が転じて智慧を得る。平等性智は第7まなしき【末那識】が転じて智を得る。妙観察知は第6意が転じて智を得る。成所作智は第1から5までの五感が転じて智を得る。 | ||||||||||||||
六感 まなしき【末那識】まなしき【末那識】 唯識宗で説く八識の一つ、第七識をいう。第六意識と区別される識作用で、意識がなくなった状態にも不断に存在し、自己を愛し存在させる迷いの根源とされる心のはたらきをいう。 |
||||||||||||||
六感 六根清浄 1、眼 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】 | ||||||||||||||
六感 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
六根 転識得智 識を転じて智を得る 四智 清浄 六根 | ||||||||||||||
六根清浄 1、眼 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】 | ||||||||||||||
六根清浄 1、眼 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】 | ||||||||||||||
六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
路傍の石 山本有三 「たった一人しかいない自分をたった一度しかない人生をほんとうに生きなかったら、生まれてきた甲斐がないじゃないか」 人生 自分 生死 | ||||||||||||||
論 湿 寒 貧 比叡山 | ||||||||||||||
論 湿 寒 貧 (比叡山は議論湿気寒気貧しいということ!) | ||||||||||||||
若きは麗し されど、 老いたるはなお麗し (ホイットマン) | ||||||||||||||
若く見ゆ 妻の写し絵 祭壇に かすかに笑う 消えぬ笑いを | ||||||||||||||
わが心 鏡にうつる ものならば さぞや姿の 醜かるらん (心の気持ちの表れ、気表⇒けほ⇒かほ⇒顔) | ||||||||||||||
わが心 深き底あり よろこびも うれいの波も とどかじと思う。 (西田 幾多郎) | ||||||||||||||
若竹の 伸びや日の恩 土の恩。 筍は生長するにしたがって、下の節から順番にその皮を脱いでゆくそして すらりと伸びて竹らしい姿を整える。それが若竹である。葉も浅緑にひろがり透き通るように明るく萌黄の色である。今年竹といわれる。 夏の季語 若竹 (吉川英治) | ||||||||||||||
我が身 日ごろ説く 教えは全て 今日の日の わが身のためと 思い知らるる (羽田恵三) 説法 我が身 法 | ||||||||||||||
我が身をも心をもはなちわすれて 仏の家に投げ入れて 仏のかたよりおこなわれて これにしたがいてゆく時 力も入れず 心をもついやさずして 生死をはなれて仏となる。 | ||||||||||||||
若者叱るな 来た道だ。 年寄り笑うな 行く道だ。 | ||||||||||||||
別れ かたみとて はななき親の とどめてし この別れさえ 又いかにせん 法然上人 母上 | ||||||||||||||
別れ 雲とわかつ 友かや雁の 生きわかれ | ||||||||||||||
別れ 形見とて はかなき親の 留めてし この別れさえ またいかにせん 法然上人 泰氏 母 別れ 生き別れ 形見 親 | ||||||||||||||
分かれても 心は交う 蓮の糸 同じ台に 登るうれしさ | ||||||||||||||
惑 三垢 意は三垢(惑=煩悩・業=悪業・苦=受苦) 垢質 | ||||||||||||||
惑 六根清浄 眼耳鼻舌身意 が浄められる 色声香味触法の前5つが五塵 五賊(二河白道) 意は三垢(惑・業・苦) | ||||||||||||||
私の おのがはからい うちすてて ただみこころに したがえよかし 弁栄上人 道詠集 p26 | ||||||||||||||
私 萬機普益は私一人のためなり 私 一人 普益 | ||||||||||||||
私は人間に生まれ 人間に長じ、人間に仏を得たり 成道会 | ||||||||||||||
わづかなる 庭小草の 白露を もとめて宿る 秋の夜の月 | ||||||||||||||
悪い 三垢 意は三垢(惑=煩悩・業=悪業・苦=受苦) 垢質 | ||||||||||||||
悪いこと かつてWTO(世界保健機構)はアフリカのマラリア患者の多い地域で徹底的なマラリア樸滅作戦を展開した。その結果、乳幼児の死亡率が10分の1に低下した。そかし10年あとには、その地域の住民のほとんどが餓死してしまった。マラリア患者がいなくなって、爆発的に人口が増加したためである。WHOは、はたして良いことをしたのか?悪いことをしたのか頭をかかえこんだという。 慈悲 科学 理論 良いこと 悪いこと 知恵 | ||||||||||||||
我 以外 皆 吾師 吉川英二 我 以外 皆 吾師 恭敬修 上下関係 | ||||||||||||||
我が袖の 涙にやどる 影とだに 知らで雲井の 月やすむらん | ||||||||||||||
我がものと 思へば軽し 笠の雪 | ||||||||||||||
我がものと 思へば軽し 傘の雪 | ||||||||||||||
われ聖教を見ざる日なし。木曾の冠者、花洛に乱入のとき、、ただ一日聖経を見ざりき | ||||||||||||||
われ浄土宗をたつる心は、凡夫の報土に、むまるることを、しめさんがためなり。 | ||||||||||||||
われと来て 遊べや親の ない雀 | ||||||||||||||
われにかちみかたに勝ちて敵に勝つこれを武将の三勝といふ | ||||||||||||||
われはただ あみだ仏に 入りにけり あみだ仏は 我にまします | ||||||||||||||
われはただ ほとけにいつか あふいぐさ こころのつまに かけぬひぞなき 法然上人 恋 父子相好 | ||||||||||||||
われはただ ほとけにいつか あふいくさ こころのつまに かけぬ日ぞなき(われは唯 ほとけにいつか 葵草 心の妻(端)に 懸けぬ日ぞ無き) | ||||||||||||||
我は欲する所の善を行うわたわず 欲せざる所の悪を行う あぁ悩める我なるかな。(パウロ) | ||||||||||||||
我目から 人のあらめが 見ゆるとも 言はぬがひじき 法の友だち | ||||||||||||||
我与大地有情 同時成道 成道 | ||||||||||||||