ああ、痛ましい哉、我等幾千かの仏肉を食い、我等幾千かの仏血を吸い、我等幾千かの仏命を断ち、我等幾千かの仏眼を決り、我等幾千かの仏肩を桂り、我等幾千かの仏皮を着つる」と『大智度論(だいちどろん)』の中で申され竜樹のみ心に、一歩いな半歩たりとも近づかせていただきたいものであります。
ああせよと (くち)()うより こうせよと してみせるこそ (おし)えなりけれ
ああ(とうと) ああああ(とうと) ああ(とうと) (かがや)きたまう (おお)ミオヤ(さま)
挨拶(あいさつ)  矢のたとえ!一番の矢と二番矢 苦の一番矢を受けても二番の苦の矢は念仏を称えている人は受けない! 一番矢楽は二番矢は欲の働きによって苦の始まりになる。  苦楽(くらく) 挨拶(あいさつ)
挨拶(あいさつ)(ぶん)感謝(かんしゃ)懺悔(さんげ)回向(えこう)
(あい)反対(はんたい)無関心(むかんしん)だ    マザーテレサ 人権(じんけん) 関心(かんしん)  怨憎会苦(おんぞうえく)関心(かんしん)がある
愛撫(あいぶ) ()えられぬ (ひかり)のみ()に ()きしめて (つね)(われ)らを 愛撫(あいぶ)(たま)う 無碍(むげ)(こう) 光明(こうみょう) 護念(ごねん) 愛撫(あいぶ) 増上(ぞうじょう)
(あお)いで願文(がんもん)()れば、(なみだ) (そう)(がん)()かぶ、万劫(まんごう)まれに()き、(いま)(はじ)めて()(たてまつ)る、()宝刹(ほうせつ)(もう)でんこと、(いま)いくばくの曉夕(ぎょうせき)をや。
(あか) (じょう)不浄(ふじょう) 元々(もともと)はないけれども自分(じぶん)(つく)っていく (こころ)(あか)でつくる。 ()(くるま) (つく)大工(だいく)は おらねども (おの)がつくりて (おの)()()く  自我(じが)オレガの(こころ)(つく)っていく。
(あか) (たき)つせの (きよ)きいづみに そそげかし 日々(ひび)(あら)たに こころのあかを
(あか) 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  (げんにびぜつしんに)耳鼻舌身意(じんに) が(きよ)められる 色声香味触法(いろしょうこうみしょくほう)(ぜん)5つが五塵(5じん) 五賊(ごぞく)二河白道(にがびゃくどう)) (こころ)三垢(3あか)(わく)(ごう)()
あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや(つき) (明恵(みょうえ)主客(しゅきゃく) 川端(かわばた)康成(やすなり) ノーベル(しょう) (つき) ()
(あか)るく 三宝(さんぼう) @(ぶつ)(あか)るく  A(ほう)(ただ)しく B(そう)(なご)やかに 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
(あき)  (はる)(ひゃか)花あり、(あき)(つき)あり、(なつ)涼風(りょうふう)あり、(ふゆ)(ゆき)あり  四季(しき)季節(きせつ) 春夏(はるなつ)(あき)(ふゆ)  ()(かい)禅師(ぜんじ)
(あき)  (はる)(はな) (なつ)ほととぎす (あき)(つき) (ふゆ)(ゆき)さえて すずしかりけり   道元(どうげん)禅師(ぜんじ) 四季(しき) 季節(きせつ) 春夏(はるなつ)(あき)(ふゆ)
(あき) あみだぶに そむる(こころ)の いろにいでば あきの(こずえ)の たぐいならまし 法然上人() (あき) ()める (こずえ)
秋風(あきかぜ)に たなびく(くも)の たえまより もれいづる(がつ)の かげのさやけさ
(あき)()ぬと ()にはさやかに ()えねども (かぜ)(おと)にぞ (おどろ)かれぬる  人生(じんせい)春夏秋冬(しゅんかしゅうとう)  信仰(しんこう)芽生(めば)え  古今集・秋上・一六九、藤原敏行  秋が来たと目にははっきりとは見えないが、風の音で気づいたことだ。
(あき)()に ()きたる(はな)を (および) ()り かき(かぞ)ふれば 七草(ななくさ)(はな) ((あき)()()いている(はな)指折(ゆびお)(かぞ)えてみると、七種(ななしゅ)(るい)になります) (山上(やまのうえ) 憶良(おくら)
(あき)(はぎ)に おける白露(しらつゆ) (あさ)(あさ)な (たま)とこそ()れ おける白露(しらつゆ)
(あく)  (われ)(ほっ)する(ところ)(ぜん)(おこな)うわたわず (ほっ)せざる(ところ)(あく)(おこな)う あぁ(なや)める(われ)なるかな。(パウロ)十夜(じゅうや) (ぜん) (あく) (よく) () 意思(いし)
悪業(あくごう) 三垢(さんく) (こころ)三垢(3あか)(わく)煩悩(ぼんのう)(ごう)=悪業(あくごう)()受苦(じゅく)) 垢質(くしつ)
()(ごう)  伊賀(いが)  黒田(くろだ)上人() 伊賀(いが)黒田(くろだ)上人() (しゅん)(じょう)(ぼう)重源(ちょうげん)  東大寺(とうだいじ) 大仏(だいぶつ)再建(さいこん) ()(ごう)始祖(しそ)
()(ごう)  黒田(くろだ)上人() 伊賀(いが)黒田(くろだ)上人() (しゅん)(じょう)(ぼう)重源(ちょうげん)  東大寺(とうだいじ) 大仏(だいぶつ)再建(さいこん) ()(ごう)始祖(しそ)
朝起き(あさおき)や 身を働かせ 小食(しょうしょく)に 忠孝ありて 灸をたやさず
朝顔(あさがお)千利休(せんのりきゅう)  千利休の屋敷の庭一面に咲くに朝顔の花は大変美しいという噂が立った。これを耳にした秀吉が「明朝見に行くからそのつもりでいるように」と利休に言いつけた。翌朝秀吉は利休の家を訪れ、露地を歩き始めたが朝顔の花などどこにも咲いていない。あの噂はいいかげんなものだったのかとだんだん不愉快な気分になり、「利休も利休だ。わしが見に行くといったときに、朝顔の花など咲いておりませんと言えばよいものを」と思うと一層腹が立ってきた。しかし、そのまま帰るのも大人げないと思い、躙り口(にじりぐち)を開けふと床を見ると、朝顔が一輪だけ生けてある。それを見た秀吉は、庭一面に咲き誇る朝顔には見られない独特の美しさに感動し、また利休にいっぱい食わされたということがようやく分かった。利休は前日に朝顔を一輪だけ残し全て抜き取り、それを生けてみせたのである。黄金づくりの茶室を得意げに見せびらかしている秀吉に対し、一輪の花が持つ美しさを示した利休の作意であった。 (全体(ぜんたい)一点(いってん)) 
朝顔(あさがお)に つるべとられて (もら)ひ水
(あさ)(あさ)な 飯食(はんしょく)ふごとに (わす)れじな めぐまぬ(たみ)に 恵まる(ゆいしんどう)()
浅原(あさはら)才一(さいち) 鈴木(すずき)大拙(だいせつ)(しゅう) いいなぁ 世界(せかい)虚空(こくう)がみな(ほとけ) わしもその(なか) 南無阿彌陀佛()  
あさ(みどり) (ふき)(とう)ひとつ (つち)もたげ  (はる) 彼岸(ひがん) (あじ) (にが)い 
あさみどり 澄みわたりたる 大空の 広きをおのが 心ともがな
朝夕(あさゆう)の つらきつとめは 御仏(みほとけ)の (ひと)になれよの (めぐ)みなれかし
(あじ) あさ(みどり) (ふき)(とう)ひとつ (つち)もたげ  (はる) 彼岸(ひがん) (あじ) (にが)い 
あししとも よしともいかで 云ひ果てん 折々かはる 人のこころを
葦原(あしはら)の 瑞穂(みずほ)(くに)の 万代(まんだい)も みだれぬ(みち)は (かみ)ぞひらきし
明日(あす)ありと (おも)(こころ)の あだざくら 夜半(よわ)(あらし)の ふかぬるものかは
(あつ)()も (さむ)きその()も (ゆき)()も 五劫思唯(ごこうしゆい)の ことを(おも)えば    荒巻(あらまき)くめ   五劫思唯(ごこうしゆい)  (あつ)い  (さむ)い  (ゆき)
(あつ)()も (さむ)きその()も (ゆき)()も 五劫思唯(ごこうしゆい)の ことを(おも)えば    荒巻(あらまき)くめ   五劫思唯(ごこうしゆい)  (あつ)い  (さむ)い  (ゆき)
あづさ弓 放たぬさきに 岩が根も つらぬく征矢(せいや)は 心なりけり
集めては(あつめては) 国の光と なりやせむ わが(まど)てらす 夜半(よは)(ほたる)
あはれなる 遠山はたの いほり哉 しはのけふりの 立つにつけても
阿鼻(あび)地獄(じごく) (とう)(かつ)(こく)(じょう)(しゅ)(ごう)叫喚(きょうかん)(だい)叫喚(きょうかん)焦熱(しょうねつ)(だい)焦熱(しょうねつ)無間(むけん)阿鼻(あび)
(あま)(はら) ふりさけ()れば かすがなる 三笠(みかさ)(やま)に いでしつきかも
(あま)(はら) ふりさけ()れば かすがなる 三笠(みかさ)(やま)に いでしつきかも
阿弥陀(あみだ)  ()きてよし ()してまたよし 極楽(ごくらく)の 弥陀(みだ)のみ(もと)に ()まる(うれ)しさ    生死(しょうじ) 阿弥陀(あみだ) 往生(おうじょう) 極楽(ごくらく) ()
阿弥陀(あみだ)  光明(こうみょう)はくまなくそそぐ  (かぎ)()きいのちに()きよ  人間(にんげん)智慧(ちえ)なたのみそ  み(めぐ)みは(ひと)(えら)ばず  ただ(たの)阿弥陀(あみだ)(ほとけ)とおしえたる  いみじさの我等(われら)祖師(そし)や  A煩悩(ぼんのう)()てとは()らず  みだれたる(こころ)もゆるし  人間(にんげん)(さが)のまにまに  み(ほとけ)(くに)()()く  この(みち)(だれ)かひらきしなさけある  (した)わしのわれらが祖師(そし)や  (佐藤(さとう)春夫(はるお) 作詞(さくし)法然上人()(しょう) 煩悩(ぼんのう) 阿弥陀(あみだ) 光明(こうみょう) 祖師(そし)
阿弥陀(あみだ)  ()(おも)(おや)(こころ)  (わたし)(おも)(ほとけ)(こころ)  親子(おやこ) (おや)() 阿弥陀(あみだ) (ほとけ)
阿彌陀(あみだ)amita a 計算(けいさん) mi メジャー ta過去(かこ)受動(じゅどう)分詞(ぶんし) 〜せられた。
阿弥陀(あみだ)(いち)(ぶつ)  ()()(しゅ)  阿弥陀(あみだ)(いち)(ほとけ)(しん)じ、念仏(ねんぶつ)一行(いっこう)(ぎょう)ずる。 宗教的(しゅうきょうてき)貞操(ていそう)(まも)ること。 (あしゃく)(やく)(かん)(てん)(てん)八蔵(はちぞう)
阿彌陀(あみだ)(さま)  念仏(ねんぶつ)(しゃ)(しん)本尊(ほんぞん)六十(60)(まん) 11(まん)(おく)(おく)(ぎょう)(どう)   阿彌陀(あみだ)さまを(いただ)く、畏敬(いけい)
阿弥陀仏(あみだぶつ)と 十声(10こえ)(とな)えて まどろまん (なが)(ねむ)りに なりもこそすれ 法然上人() 十念(じゅうねん) すいじ十念(じゅうねん) 就寝(しゅうしん) ()(とき)
阿弥陀仏(あみだぶつ)と (もう)すばかりを つとめにて 淨土(じょうど)荘厳(しょうごん) ()るぞうれしき 法然上人() 浄土(じょうど) 荘厳(しょうごん) 見佛(けんぶつ) 念仏(ねんぶつ) 三昧(さんまい)
阿彌陀(あみだ)(ぶつ)帰命(きみょう)し、称名(しょうみょう)念仏(ねんぶつ)によりて、往生(おうじょう)淨土(じょうど)のために(所求 本尊(ほんぞん)、所帰 目的(もくてき)、去行 方法(ほうほう)
あみだぶと いうよりほかは ()(くに)の 難波(なには)のことは あしかりぬべし 法然上人()
阿彌陀(あみだ)()と いうより(ほか)は ()(くに)の なにはの(こと)も あしかりぬべし
阿彌陀仏(あみだぶ)と 如何(いか)なる(ちぎ)り ありけらし (むかし)(こと)を ()かまほしさよ
あみだぶと (こころ)西(にし)に うつ(せみ)の もぬけはてたる (こえ)(すず)しき 法然上人() (なつ) 念仏(ねんぶつ) (せみ) (すず)しき
阿彌陀仏(あみだぶ)と (こころ)西(にし)に 空蝉(うつせみ)の もぬけは()てたる (こえ)(すず)しき
阿彌陀仏(あみだぶ)と ()(こえ)(とな)へて まどろまん (なが)きねぶりに なりもこそすれ  睡時(すいじ)十念(じゅうねん)
阿彌陀仏(あみだぶ)と (とな)うるごとに すすむ数珠(じゅず) ()もるを()れば なお(いさ)みける (ぶつ)(さだ)  念珠(ねんじゅ)
阿彌陀仏(あみだぶ)と 無為(むい)(みやこ)に ()()にも 有為(うい)のなみ(かぜ) たちさわぐかな
阿彌陀仏(あみだぶ)と (もう)すばかりを つとめにて 浄土(じょうど)荘厳(しょうごん) ()るぞうれしき
阿彌陀仏(あみだぶ)に そむる(こころ)の (いろ)にいでば (あき)(こずえ)の たぐいならまし   (抜苦(ばっく)与楽(よらく)
あみだぶに そむる(こころ)の いろにいでば あきの(こずえ)の たぐいならまし 法然上人() (あき) ()める (こずえ)
阿彌陀仏(あみだぶ)に (たす)(たま)えと すがるより ほかに(たよ)りの なき()なりけり
あみだ()の み()(とな)えれば あみだ()の こころとなるを ふと()づきたり (念仏(ねんぶつ)
(あめ)あられ (ゆき)(こおり)と へだつれど とくれば(おな)じ 谷川(たにがわ)(みず)
(あめ)たれに くぼみし(のき)の (いし)()ても かたきわざとて おもいすてめや ()(しょう) ()()
あめつちの 神と君との めぐみにて よをやすくふる 徳に報いや
天生(あもう)の (あし)こそよこに 月夜(つきよ)(かに) (こころ)(きよ)き (みず)にこそすめ
あやにしき とり重ねても 思ふかな 寒さおほはむ 袖もなき身を
(あゆ)み (おこた)らず ()かば千里(ちさと)()ても()ん (うし)(あゆ)みのよし おそくとも 無間(むけん)(しゅ) ()(しゅ)
(あゆ)みすら あたわぬ()なけど ()()(たび) まもらせたまえ 南無阿彌陀佛()
荒磯(あらいそ)の (いわ)にくだけて ()(つき)を (ひと)つになして かへる(なみ)かな
アラがある ゆえ好きなは お前何せ お前はおらが国
あら(とうと)と 青葉(あおば)若葉(わかば)に ()(ひかり)   清浄光(しょうじょうこう)     松尾(まつお)芭蕉(ばしょう) 
荒巻(あらまき)くめ  (あつ)()も (さむ)きその()も (ゆき)()も 五劫思唯(ごこうしゆい)の ことを(おも)えば    荒巻(あらまき)くめ   五劫思唯(ごこうしゆい)  (あつ)い  (さむ)い  (ゆき)
あらやしき【阿頼耶識】
(梵Dlaya-vijDnaの訳。蔵識、真識、阿梨耶識、無没識などと訳す)仏語。唯識宗で説く八識の一つ。宇宙の万有を保って失わず、万有が展開する際の基体であり、万有を収蔵している心の主体。
あら玉の 年もくれなば つくりつる 罪ものこらず なりやしぬらん
ありがたし つめ()った(ゆび)が 十本(10ぽん)ある」   尾崎放哉(おざき ほうさい)は、明治18年生まれの自由律俳句作家です。東大を卒業したエリートでしたが、社会生活になじめず酒で失敗をくりかえし、 信仰の道を求めてさすらいました。大正のはじめに荻原井泉水により創刊された自由律俳句誌『層雲』に参加して見いだされ、俳人として開花しました。大正15年、放浪の果てに住まいした小豆島南郷庵(みなんごあん)で42歳で没する。
()りがたや かかるめでたき ()()でて たのしみ()らす (ひと)(いつ)とく
ありなしと なに名を換て 思ふらん 見れば一つの このみなりけり
あわれなり ()()のはてや 浅緑(あさみどり) ついには野辺(のべ)の (つゆ)(おも)えば
行華(あんげ)  昔、ある青年が菩提心を起こして、是非とも仏になりたい。そのためには当時の仏様にお花を供養しなければならない、弟子入りの作法として。そこで、お花を捜すんですが、どこの花屋にも花がないんです。ないはずです。その国の王様が、仏様にお花を供養したら功徳が大きいということを聞いて、国中の花を独占して買い占めていた。だから、どこの花屋にも花がない。はなはだ困った……。そこへ、一人の娘さんが花を持ってきます。「その花を私に分けてください」「分けられません」「どうして」「これは王様に予約済みです。今から持っていって、頂くお金が私の貧しい家の足しになるんです」「いや、私はどんな犠牲を払ってもその花がほしい」「あなた、どうしてそんな無茶なことおっしゃるんですか」「私は今、菩提心を起こし、是非とも仏になりたい。成仏をしたい。だから、仏様にお花を供養したい。出来たら、あなたも私と一緒にお花を供えてくれませんか」その青年の意気に感じた娘さんが、赤い花を青年に渡し、自分は白い花を持って、ふたり揃って仏様にお花を供養した。二人の若者の捧げた花は、永遠にしぼまなかったが、王様の独占したお花は一晩にしてしぼんだ。それがご縁となって、ふたりは結ばれて結婚をします。それが、その世だけの契りではなくして、その次の世もその次の世も、二人は結ばれて夫婦になる。そうして先程申したように、力を合わせ心をひとつにして成仏めざして修養した。最後に青年が、インドの国シッダルタ太子として現れて、最後に釈迦牟尼仏という成仏の位に到達した。そうして、娘がヤソダラ姫となって青年と結婚し、釈迦牟尼仏によって救われて成仏します。そうやって仏教の結婚は、夫婦が成仏めざして互いに助け合い、補い合いながら修養していこうじゃないか、これが仏教の結婚観でございます。と共に、夫婦がひとつになるということは、容易ならぬ過去からの(えん)があったわけでございますね。「生まれる前から結ばれていたそんな気がする紅の糸」、これ『命くれない』……。そういうわけで、どうぞひとつ、結婚ということは単なる子孫保存だけが目的じゃなく、修養のためだ、成仏のための結婚であるということを忘れないでいただきたいのでございます。
安心(あんじん)  (あん)とは安置(あんち)なり、(しん)とは(しん)(ねん)なり。(ねん)所求(しょぐ)所帰(しょき)去行(こぎょう)(3)つに()くを安心(あんじん)という。 聖冏(しょうげい)観経(かんぎょう)(でん)(つう)() 5) 安置(あんち) 所求(しょぐ) 所帰(しょき) 去行(こぎょう) 安心(あんじん)
安心(あんじん)  (そう)安心(あんじん) 厭離穢土(えんりえど) 欣求(ごんぐ)浄土(じょうど)    (べつ)安心(あんじん) 三心(さんじん)  至誠心(しじょうしん) 深心(じんしん) 回向(えこう)発願(ほつがん)(ごころ)  安心(あんじん)
安心(あんじん)  来迎(らいこう)往生(おうじょう)増上縁(ぞうじょうえん)、 三心(さんじん)往生(おうじょう)安心(あんじん)  往生(おうじょう) 増上縁(ぞうじょうえん) 三心(さんじん) 安心(あんじん)(勅修御伝随聞記19)
安心(あんじん)  来迎(らいこう)蓮台(れんだい)(ふね)来迎(らいこう)(ひかり)智慧(ちえ) (勅修御伝随聞記24) 蓮台(れんだい) (ふね) 智慧(ちえ) (ひかり)  安心(あんじん)
安心(あんじん)()(もく))・起行(きぎょう)(ぎょう)(そく)) 起行(きぎょう) 二重(にじゅう) 修行(しゅぎょう)
安心(あんじん)とは安置(あんち)
安心(あんじん)は ()ることかたく ()しやすく ()ること(やす)く ()しがたきかな   無能(むのう) 安心(あんじん) 
安心(あんじん)は ()ることかたく ()しやすく ()ること(やす)く ()しがたきかな   無能(むのう) 安心(あんじん) 
(あん)とは安置(あんち)なり、(しん)とは(しん)(ねん)なり。(ねん)所求(しょぐ)所帰(しょき)去行(こぎょう)(3)つに()くを安心(あんじん)という。 聖冏(しょうげい)観経(かんぎょう)(でん)(つう)() 4) 安置(あんち) 所求(しょぐ) 所帰(しょき) 去行(こぎょう) 安心(あんじん)
(あん)(にん)  強忍と自分の力でしいて忍ぶのではなく、はじめはなかなか忍び難かったことも、大ミオヤさまのみ力によって安んじて忍ばれるようになる。人生は修養の道場と自覚されてくれば、ののしられ、そしられても、皆大ミオヤさまが私の鋼鉄を鍛錬して菩薩の名刀となさしめんがためのご方便と安忍されてくる。菩薩に常の師はない、自分の欠点を指摘し非難を加え、自分の短所をよく見出してそしる人こそ、私を矯正し指導したまう恩師なりと合掌されてくる。
安楽(あんらく)淨土(じょうど)菩薩(ぼさつ)慈悲(じひ)(しょう)(かん)より(しょう)じ、如来(にょらい)神力(じんりき)本願(ほんがん)(しょ)(けん)なり
いいなぁ 世界(せかい)虚空(こくう)がみな(ほとけ) わしもその(なか) 南無阿彌陀佛()  浅原(あさはら)才一(さいち) 鈴木(すずき)大拙(だいせつ)(しゅう)
伊賀(いが)  黒田(くろだ)上人() 伊賀(いが)黒田(くろだ)上人() (しゅん)(じょう)(ぼう)重源(ちょうげん)  東大寺(とうだいじ) 大仏(だいぶつ)再建(さいこん) ()(ごう)始祖(しそ)
いかにして (まこと)(みち)に (かな)いなん 千歳(せんさい)のうちの 一日(いちにち)なりとも 良寛(りょうかん) 理想(りそう)
いかにして (わが)極楽(ごくらく)に ()まれなん 弥陀(みだ)(ちか)いの なき()なりせば
いかにして(ほとけ)(みち)にかないなん 千才(せんさい)のうちの一日(いちにち)なりとも  菩提(ぼだい)(たね)
(いか)り にわかに(いか)りをなすことなかれ、(いま)(もち)いずとも たまたま(もち)いることあり。譬喩(ひゆ) 瓢箪(ひょうたん)のはなし。骨董(こっとう)()きな王様(おおさま)新婚(しんこん)家来(けらい) 新婚(しんこん)(つま)(もと)(よる)(おとこ)がいる。((いか)り)瓢箪(ひょうたん)のなかの言葉(ことば)(おも)()しよく(たし)かめてみると(ちち)だった。(ころ)さなくてすんだ 忍辱(にんにく) (いか)り 煩悩(ぼんのう) 
()きてよし ()してまたよし 極楽(ごくらく)の 弥陀(みだ)のみ(もと)に ()まる(うれ)しさ    生死(しょうじ) 阿弥陀(あみだ) 往生(おうじょう) 極楽(ごくらく) ()
()(わか)れ 形見(かたみ)とて はかなき(おや)の (とど)めてし この(わか)れさえ またいかにせん 法然上人() (はた)(うじ) (はは) (わか)れ ()(わか)れ 形見(かたみ) (おや)
いくたびか 思ひさだめて 変るらん 頼むまじきは 我が心なり
いくよ流転(るてん)(なみ)まくら ゆられゆられていつまでか うきさすらいの旅の空 ふるさと恋し親恋し 招くお慈悲にさそわれて かど門の戸たゝく南無の声 答はきけどまだあえぬ あえぬみ親ぞなお恋し 声に心がのせられて かよう十万億の園 凝らす心にうつり香の 身も世もあらぬかんばしさ 微妙荘厳無辺際 ひれ伏し拝む尊さに 不思議心の新天地 澄みし流れの路かわる
畏敬(いけい)(ねん)  念仏(ねんぶつ)(しゃ)(しん)本尊(ほんぞん)六十(60)(まん) 12(まん)(おく)(おく)(ぎょう)(どう)   阿彌陀(あみだ)さまを(いただ)く、畏敬(いけい)
(いけ)(みず) (ひと)(こころ)に ()たりけり (にご)りすむ(こと) さだめなければ
(いけ)(みず) (ひと)(こころ)に ()たりけり (にご)りすむ(こと) さだめなければ 法然上人() (つみ) (けが)れ 清浄(しょうじょう) (こころ) (にご)
いけらば 念仏(ねんぶつ)(こう)をつもり ()なば浄土(じょうど)にまいりなん とてもかくても この()には(おも)(わずら)う (こと)ぞなき 法然上人() 生死(しょうじ) 称名(しょうみょう)
()ける天地(てんち)合掌(がっしょう)し (おもい)をはこぶ(しん)霊界(れいかい) (たん)(ごん)微妙(みみょう)なつかしき 大悲(だいひ)のミオヤ()そなわす
(いし) 持戒(じかい)念仏(ねんぶつ)往生(おうじょう)() ()(なか)は (さい)河原(かわら)の (いし)なれや ()んではくずし くずしては()む  ()(なか) (さい)河原(かわら) (いし) ()
意思(いし) (われ)(ほっ)する(ところ)(ぜん)(おこな)うわたわず (ほっ)せざる(ところ)(あく)(おこな)う あぁ(なや)める(われ)なるかな。(パウロ)十夜(じゅうや) (ぜん) (あく) (よく) () 意思(いし)
意識(いしき)なき (はな)(いろ)()も いもとせの むつみてう()の ひみつならずや
衣食住(いしょくじゅう)(3)は、念仏(ねんぶつ)(じょ)(ごう)なり。これすなわち自身(じしん)安穏(あんのん)にして念仏(ねんぶつ)往生(おうじょう)をとげんがためには、何事(なにごと)(みな)念仏(ねんぶつ)(じょ)(ごう)なり   (法然上人()
衣食(いしょく)()りて 礼節(れいせつ)()
(いそ)がねば ()がくるる あせると(あし)()につかぬ  弁栄(べんねい)上人()
いそぎ行く 足に踏まるる 珠の露 こぼれて匂ふ 言の葉ごとに
一隅(いちぐう)()らすものは(くに)(たから)なり  (伝教(でんぎょう) 大師(だいし)
一年(いちねん)(けい)元旦(がんたん)にあり、一日(いちにち)(けい)(あさ)にあり
一年(いちねん)三百六十五 にちにち春風ふく家に なろうなそうの 掌を合わす 人の長所に 目をつけて
(いち)(びゃく) (さん)羯磨(こんま)(ほとけ)(たね)()(かた)  これが仏性心田への仏の種を蒔く蒔き方でございます。「(いち)(びゃく)」と申しますのは、明日、私、戒和尚が「今から授戒をいたします」と音三一一口をする。それを「一自」と申します。次の「(さん)羯磨(こんま)」というのは、三遍問答を繰り返す、ということでございます。三遍問答を繰り返す。それを「三掲磨」と申すのでございます。
(いち)より(2)にでて、 (2)(ふく)んだ(いち)()て  (山崎(やまさき) 弁栄(べんねい) 上人()
一輪(いちりん)の その一輪(いちりん)の (うつく)しさ    尊厳(そんげん) 人権(じんけん) 千利休(せんのりきゅう) 全体(ぜんたい)一点(いってん) 
(いち)(れん)(たく)(しょう)  (つゆ)()は ここかしこにて きえぬとも こころはおなじ (はな)のうてなぞ(一蓮托生(いちれんたくしょう)
一休(いっきゅう)禅師(ぜんじ)  (やみ)(よる)に ()かぬ(からす)の (しょう)きけば ()まれぬ(さき)の (ちち)(こい)しき  (父子(ふし)相好(そうこう)) 一休(いっきゅう)和尚(かしょう)
(いっ)()一代(いちだい)(ぜん)()(りょく)なり(甘酒(あまざけ)とおしっこ 参照(さんしょう)
一切(いっさい)衆生(しゅじょう) (しつ)()仏性(ぶっしょう) (涅槃経(ねはんきょう)
一心(いっしん)(せん)(ねん) 弥陀(みだ)名号(みょうごう)  行住(ぎょうじゅう) 坐臥(ざが) 不問(ふもん)時節(じせつ)()(ごん) 念念(ねんねん)不捨(ふしゃ)(しゃ) ()(みょう)(しょう) (じょう) ()(ごう) (じゅん) ()(ぶつ)(がん)()
一心(いっしん)()(らん)  本願(ほんがん)三心(さんじん)一心(いっしん)()(らん)=「観経(かんぎょう)」 至心(ししん)信楽(しんぎょう)(よく)(しょう)()(こく)
一水(いっすい)四見(しけん)  ここに一つの水がある。この水を眺める者の立場によって、その水の眺め方がちがってくる。魚は水を自分の棲み家と見るのであるが、餓鬼は水が火に見えるのである。人間は水を飲み物と見るが、天人は瑠璃と見るのである。眺める者のちがいによって、眺め方がちがうことを仏教では一水四見という。   手を叩く鹿は寄り来る鳥は飛ぶ下女は茶をくむ猿沢の池  ((もの)見方(みかた)()()(かた)
一点(いってん)   一輪(いちりん)の その一輪(いちりん)の (うつく)しさ    尊厳(そんげん) 人権(じんけん) 千利休(せんのりきゅう) 全体(ぜんたい)一点(いってん) 
いつみても (ひま)そうなのは ヘソばかり (藤堂(とうどう) (しゅん) (しょう) (だい)()
いつもても (ひま)そうなのは ヘソばかり
いつもニコニコ(あか)るい笑顔(えがお) いつもハキハキやさしい言葉(ことば) いつもイソイソ(はたら)手足(てあし)
いつもより (おく)れて()けば ()きながら ()(にぎ)(つま)よ (わらべ)(ごと)し(看病(かんびょう)()って、(やまい)(つま)()いていた。)
(いね)   (やま)青々(あおあお)()はうらら ()には漫々(まんまん)慈悲(じひ)(みず) (あき)はみのらん無量寿を 歌え南無阿弥田植え歌 青い稲葉はその中に 白いお米のみのるため 死ぬる身体はその中に 死なぬ命のそだつため (田中木叉 心田植歌)
(いのち)  (とき)(いま) ところ足元(あしもと) そのことに うちこむ(いのち)  永久(とわ)のみいのち  椎尾(しいお)(べん)(きょう) (いま) 人権(じんけん) (いのち) 精進(しょうじん)
言ふべきを 言はざるも又 言はざるを 言ふも道に はかなはざる也(いふべきを げんはざるもまた げんはざるを げんふもみちに はかなはざるなり)
(いま)   (とき)(いま) ところ足元(あしもと) そのことに うちこむ(いのち)  永久(とわ)のみいのち  椎尾(しいお)(べん)(きょう) (いま) 人権(じんけん) (いのち) 精進(しょうじん)
いまします (ほとけ)姿(すがた) よく()れば みな(くる)しみに ()えしみ姿(すがた)  () (だい)(しゅう) (だい)()
(いま)までは (ひと)のことかと (おも)うたが おのれが()ぬとは こいつはたまらん  (()
(いわ)清水(しみず) 谷川(たにがわ)の ()()(した)の おぼれ(みず) (なが)るるもゆく (したた)るもゆく (つぶつぶもゆく ざらざらもゆく) 示現(じげん) (いわ)清水(しみず)八幡(はちまん) (はやし) 227
(いわ)清水(しみず)八幡(はちまん) 念珠(ねんじゅ)のとり(かた) 1、(しん)(しゅ)一称(いっしょう)(いち)() 粒粒(つぶつぶ)念佛(ねんぶつ) 2、(はや)くりーざら念佛(ねんぶつ)  谷川の 木の葉の下の おぼれ水 つぶつぶもゆく ざらざらもゆく
(いわ)もあり ()()もあれど サラサラと ただサラサラと (みず)(なが)るる
引接(いんじょう)結縁(いんじょうけちえん)の楽        一には聖聚来迎(しょうじゅらいこう)の楽、二には蓮華初開(れんげしょかい)の楽、三には身相神通(しんそうじんずう)の楽、四には五妙境涯(ごみょうきょうがい)の楽、五には快楽無退(けらくむたい)の楽、六には引接結縁(いんじょうけちえん)の楽、七には聖聚倶会(しょうじゅくえ)の楽、八には見佛聞法(けんぶつもんぼう)の楽、九には隨心供仏(ずいしんくぶつ)の楽、十には増進仏道(ぞうしんぶつどう)の楽なり。(往生要集 卷上の第6)
有為(うい)をいとい 無為(むい)にいるは、真実(しんじつ)の 報恩(ほうおん)なりといへり
()きことの なほこの(うえ)に つもりかし (かぎ)りある()の (ちから)ためさむ
()きことの (ほん)こそ()われ ()(なか)に ものは(おも)はで ()(ひと)はなし  (()
(うぐいす)の (こえ)もききつる あしたより (はる)(こころ)に なりにけるかな 良寛(りょうかん)
(うし) (おこた)らず ()かば千里(ちさと)()ても()ん (うし)(あゆ)みのよし おそくとも 無間(むけん)(しゅ) ()(しゅ)
()()()(しゅう)  法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさつ)()(こう)思唯(しゆい)阿弥陀(あみだ)(さま)(ほう)(しん)阿弥陀(あみだ)(さま)である。(()()()(しゅう)) (()()()(しゅう)()()()(しゅう)現象学(げんしょうがく)による。)
()()()(しゅう)  法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさつ)()(こう)思唯(しゆい)阿弥陀(あみだ)(さま)(ほう)(しん)阿弥陀(あみだ)(さま)である。(()()()(しゅう)) (()()()(しゅう)()()()(しゅう)現象学(げんしょうがく)による。)
(うそ)()いて(よろこ)んで、本当(ほんとう)()いて(はら)()てた。  世間(せけん) 愚者(ぐしゃ) (おろ)か 真実(しんじつ)
(うそ)つきや 人事(じんじ)(とつ)し さし出口(でぐち) 高慢(こうまん)ありて 自慢(じまん)する(ひと)
(うつく)しき 葉巻(はまき)煙草(たばこ)の (いろ)()も (いき)ひきとれば (はい)とこそなれ (藤堂 俊 章 台下)
()(ひと)も ()たるる(ひと)も もろともに ただひとときの (ゆめ)のたわむれ
うづみ火の あたりのどかに 兄弟の まどゐせし夜ぞ 恋しかりけり
(うつわ)には (ずい)ひながら (いわ)をもとほすは (みず)(ちから)なりけり
憂田(うでん)  ()きことの (ほん)こそ()われ ()(なか)に ものは(おも)はで ()(ひと)はなし  (()有田(うでん)憂田(うでん)
有田(うでん)憂田(うでん) 有宅(うたく)有宅(うたく)   無量寿経(むりょうじゅきょう)  () 求不得苦(ぐふとっく)
()まれ、()まれ、()まれ、()まれて、()(はじ)めに(くら)く、()に、()に、()に、()んで、()(おわ)りに(みょう)し。空華(そらげ)()(くらむ)かし、(かめ)()(じょう)(まよ)わして(じつ)(われ)(びゅう) (あらわ)し、(すい)(こころ)(ふう)(もり)(かたくなに執着(しゅうちゃく))す。」(『秘蔵(ひぞう)(たから)()冒頭(ぼうとう)(ぶん)
()まれては まづ(おも)いでん ふるさとに (ちぎ)りし(とも)の (ふか)きまことを
()まれては まづ(おも)いでん ふるさとに (ちぎ)りし(とも)の (ふか)きまことを 法然上人() 故郷(ふるさと) (とも) 往生(おうじょう) 
(うやま)いて ただ()ばかり 日日(にちにち)に (いのち)のかぎり  (つと)むるが()(しゅ)  ()(しゅ)
()()涅槃(ねはん) ()()涅槃(ねはん)
盂蘭盆(うらぼん) (ぼん)はな (ぼん)はうれしや (わか)れた(ひと)が はれてこの()に ()いにくる
うらを()  おもてを()せて  ()るもみじ   (良寛(りょうかん)
(うり)()めば 子等(こなど)おもほゆ (くり)()めばまして しのはゆいづくより()たりしものぞまなかひにもとな(かか)りて安眠(あんみん)()さぬ
(うれ)しいから笑うのでなく、笑うから嬉しくなる。悲しいから泣くのでなく、泣くから悲しくなる。
()(かい)禅師(ぜんじ)  (はる)(ひゃか)花あり、(あき)(つき)あり、(なつ)涼風(りょうふう)あり、(ふゆ)(ゆき)あり  四季(しき)季節(きせつ) 春夏(はるなつ)(あき)(ふゆ)
慧可(えか)禅師(ぜんじ)(ひじ)()る。二祖の慧可大師が嵩山に達磨大師尋ねた時、慧可は大師に入門を請うもなかなか許しが得られず、「許しが戴けるまでここを動かじ。」と堂の前に座り込むと、折から雪の季節と見えて雪は慧可の膝を没し、腹を没し、胸にまで達すると、さしもの慧可も「達磨さん、何とか弟子にして下さい。このままだと死んでしまいます」と言う。「死ぬとはどうなるのか」「死ぬとは命がなくなるのです」「ならば、その命をここに持って来い」ここで万策尽きた慧可が剣を抜いて片肘をたたき落とす。血は吹き出しても命の出て来ようはずはありません。その様を見て達磨は「命は見つかったか」と言う。慧可は「見つかりません」と答えながら打ち落とした片肘を達磨の前に差し出したという。  ((せい)(かい)  惠可禅師は臂を剪って伝法の表し の文言(もんごん)説明(せつめい)
回向(えこう)  先立(さきだ)ちし (ひと)よかれとの追善(ついぜん)は ()()よかれの (いの)りなりけり  回向(えこう) 追善(ついぜん)
回向(えこう)発願(ほつがん)(しん) (そう)安心(あんじん) 厭離穢土(えんりえど) 欣求(ごんぐ)浄土(じょうど)    (べつ)安心(あんじん) 三心(さんじん)  至誠心(しじょうしん) 深心(じんしん) 回向(えこう)発願(ほつがん)(ごころ)  安心(あんじん)
会者定離は、常の習い、今始めたるに非ず。何ぞ深く嘆かんや。宿縁虚しからずば、同一蓮に座せん、浄土の再会甚だ近きに有り。今の別れは暫くの悲しみ、春の夜の夢の如し。誹謗共に縁として、先に生まれて、後を導かん、引接縁は、これ浄土の楽しみなり。それ現生すら、猶もて疎からず、同名号を唱え、同一光明の中にありて、同聖衆の御念をこうぶる、同法尤も親し。愚かに疎しと思し召すべからず。南無阿弥陀仏と唱え給えば、住所は隔つと雖も、源空に親しいとす。源空も、南無阿弥陀仏と唱え、奉るが故なり。念仏を縡(こと)とせざる人は、肩を並(えしゃじょうり)べ、膝を組むと雖も、源空に疎かるべし。三業に皆異なるが故なり。黒谷源空上人伝 『十六門記』13
(えん) (てら)じゃてるてる (みち)では(くも)る うちに(かえ)れば (あめ)()る  (えん)(ざい)()(ざい)(こころ) (ざい)(えん) (ざい)決定(けつじょう)
(えん) (てら)()()る (かえ)りは(くも)る (いえ)(かえ)れば (あめ)()る  (えん)(ざい)()(ざい)(こころ) (ざい)(えん) (ざい)決定(けつじょう)
(えん) 柳生(やぎゅう)()家訓(かくん) 「(しょう)(さい)(えん)出会(であ)って(えん)()づかず  (ちゅう)(さい)(えん)()づいて(えん)()かさず (だい)(さい)(そで)すり()った(えん)をも()かす」(えん)怨憎会苦(おんぞうえく) 不可思議(ふかしぎ) 「(そで)すりあうも他生(たしょう)(えん)
閻魔(えんま)  念仏(ねんぶつ)閻魔(えんま)(かがみ)  閻魔(えんま) (かがみ)  わが心 鏡にうつる ものならば さぞや姿の 醜かるらん (心の気持ちの表れ、気表⇒けほ⇒かほ⇒顔)
厭離穢土(えんりえど) 欣求(ごんぐ)浄土(じょうど)  (そう)安心(あんじん)  (べつ)安心(あんじん) 三心(さんじん)  至誠心(しじょうしん) 深心(じんしん) 回向(えこう)発願(ほつがん)(ごころ)  安心(あんじん)
()い   ()れはてて しかも花咲(はなさ)く (うめ)()(こえ)もたてず (うぐいす)のなく
()い  (しん) (ねん) (いち) (ひゃく) (さい)、 (ちょう) (しゅう) 八十(はちじゅう) () (100(さい)老親(ろうしん)が81(さい)()心配(しんぱい)していることで、老婆(ろうば)親切(しんせつ)である。その(うえ)往生(おうじょう)(ねが)い、念仏者(ねんぶつしゃ)になった)
おいあくま (おこ)るな、威張(いば)るな、(あせ)るな、(くさ)るな、()けるな
往生(おうじょう)   来迎(らいこう)往生(おうじょう)増上縁(ぞうじょうえん)、 三心(さんじん)往生(おうじょう)安心(あんじん)  往生(おうじょう) 増上縁(ぞうじょうえん) 三心(さんじん) 安心(あんじん)(勅修御伝随聞記19)
往生(おうじょう)  ()きてよし ()してまたよし 極楽(ごくらく)の 弥陀(みだ)のみ(もと)に ()まる(うれ)しさ    生死(しょうじ) 阿弥陀(あみだ) 往生(おうじょう) 極楽(ごくらく) ()
往生(おうじょう)  ()まれては まづ(おも)いでん ふるさとに (ちぎ)りし(とも)の (ふか)きまことを 法然上人() 故郷(ふるさと) (とも) 往生(おうじょう) 
往生(おうじょう) 極楽(ごくらく)へ つとめて(はや)く いで()たば ()のをわりには (まい)りつきなん 法然上人() 往生(おうじょう) 
往生(おうじょう) (たの)みなば ただひしひしと (たの)むべし ()(かしこ)きは (みち)(とお)きぞ 愚鈍(ぐどん) 念仏(ねんぶつ) 往生(おうじょう)()
往生(おうじょう) ちとせふる 小松(こまつ)のもとを すみかにて 無量寿(むりょうじゅ)(ぶつ)の (むか)えをぞまつ 法然上人() 来迎(らいこう) 正念(しょうねん) 往生(おうじょう)
往生(おうじょう) (つゆ)()は 此処彼処(ここかしこ)にて ()えぬとも (こころ)(おな)じ (なは)(だい)ぞ 法然上人() 流罪(るざい) (つゆ) (はな) 淨土(じょうど) 往生(おうじょう) 倶会一処(くえいっしょ)
往生(おうじょう)(かれ)()往生(おうじょう)理想的(りそうてき)浄土(じょうど)有余(ゆうよ)涅槃(ねはん)精神更生(せいしんこうせい)不体失(ふたいしつ)往生(おうじょう)
往生(おうじょう)此土(しど)往生(おうじょう)理想的(りそうてき)浄土(じょうど)有余(ゆうよ)涅槃(ねはん)精神更生(せいしんこうせい)不体失(ふたいしつ)往生(おうじょう)
往生(おうじょう)此土(しど)往生(おうじょう)理想的(りそうてき)浄土(じょうど)有余(ゆうよ)涅槃(ねはん)精神更生(せいしんこうせい)不体失(ふたいしつ)往生(おうじょう)
往生(おうじょう)すること@と往生がやって来るA。雪下(ゆきした)に (はる)(こえ)あり コトコトと ()えぬ小川(おがわ)の (なが)(おと)()く (北海道(ほっかいどう)釧路(くしろ)現象学(げんしょうがく) 地下(ちか)(はる)がやって()る。(はる)がやって()た。(往生(おうじょう)することと往生(おうじょう)がやって()る。
往生(おうじょう)するは 無心(むしん)世界(せかい)に (いっ)たん()()むことだ。
往生(おうじょう)は よにやすけれど (みな)(ひと)の (まこと)(こころ) なくてこそせね  (至誠心(しじょうしん)(まこと)(こころ)
往生(おうじょう)は よにやすけれど (みな)(ひと)の (まこと)(こころ) なくてこそせね 法然上人() 至誠心(しじょうしん) 三心(さんじん) (まこと)
往生要集(おうじょうようしゅう)(べっ)(そう)(かん)(そう)(そう)(かん)(ぞう)(りゃく)(かん)()かれている。(べっ)(そう)(かん)とはまず阿彌陀(あみだ)(ぶつ)()(たま)える()()觀念(かんねん)し、(つぎ)にその華座(けざ)(うえ)()(たま)える相好(そうごう)(へい) (ねん)如来(にょらい)を、頂上(ちょうじょう)  肉髻(にっけい)より(はじ)(そく)()千腹輪相(せんぷくりんそう)(いた)るまでいちいちに(おも)いを()らして(かん)ずるを順観(じゅんけい)といい、これに(はん)して千腹輪相(せんぷくりんそう)より頂上(ちょうじょう)肉髻(にっけい)(そう)までを(かん)ずるを逆観(ぎゃっかん)という。このように順逆(じゅんぎゃく)十六(16)(へん)反復(はんぷく)して心相(しんそう)(きわ)めて(めい)(りょう)ならしむるを(べっ)(そう)(かん)という。(そう)(そう)(かん)とは、これは(はじ)めは華座(けざ)(かん)をなし、(つぎ)佛眼(ぶつげん)四大(4だい)海水(かいすい)(ごと)し、身長(しんちょう)六十(60)(まん)(おく)(ごう)()(しゃ)()(じゅん)と、いちいちの相好(そうごう)でなくみ(ほとけ)御身(おんみ)総体(そうたい)について心相(しんそう)()らすのである。(つぎ)(ぞう)(りゃく)(かん)とは白毫相(びゃくごうそう)とか光明(こうみょう)(そう)とかを(かん)じて、自分(じぶん)極楽(ごくらく)往生(おうじょう)して極楽(ごくらく)荘厳(しょうごん)思想(しそう)(じゅう)するのが(ぞう)(りゃく)(かん)である。これらの念仏(ねんぶつ)にあらずして、ただ(こころ)をいたして(もっぱ)阿彌陀(あみだ)(ぶつ)のみ()称念(しょうねん)するのであるから、称我(しょうが)名号(みょうごう)というのである。この(ねん)(しょう)()(いつ)(しゃく)から称名(しょうみょう)念仏(ねんぶつ)(うつ)(ぜん)としておこるのです。()()(ぶつ)(がん)(みょう)(しゃく)(あお)ぐのです。
大江山(おおえやま) いく()(みち)の (とお)ければ まだふみも()ず 天橋立(あまのはしだて)
大空(おおぞら)に (そび)えて見ゆる 高嶺にも 登れば登る 道はありけり
大空(おおぞら)を (てる)()(つき)し (きよ)ければ くもかくせども (ひか)()なくに
(おお)ミオヤの 慈悲(じひ)のみむねを ()れかしと (おし)えてかえる()は 知識(ちしき)なり
大水(おおみず)の さきに(ながれ)るる (とち)(から)も ()()ててこそ (うき)かぶせもあれ
おかあさん おかあさん  おかあさんたら おかあさんなんにも ごようはないけれど なんだかよびたい おかあさん  (しん)(えん)
(おが)む 恭敬(くぎょう)(じゅ)
()きて()つ ねて()蚊帳(かや)の (ひろ)さかな
(おき)(とお)くも れ()づる(がつ)の さやけさに ろかいもとらじ (なみ)のまにまに
(おき)(とお)し ()るも波立(なみだ)つ 我心(がごころ) しばしな()きそ (あき)(やま)(かぜ)
憶念(おくねん)や 觀念(かんねん)()()に あらずして 称我(しょうが)名号(みょうごう) これぞ念仏(ねんぶつ)
奥山(おくやま)に むすばずとも (しば)(いおり) (こころ)がらにて ()をいとふべし
奥山(おくやま)の おどろが(した)も ()()けて (みち)ある()ぞと (じん)()らせん
(おこた)らず ()かば千里(ちさと)()ても()ん (うし)(あゆ)みのよし おそくとも 無間(むけん)(しゅ) ()(しゅ)
釈迦(しゃか)(さま)(じゅう)大弟子(だいでし) @智慧(ちえ)第一(だいいち)(ちえ) 舎利(しゃり)(ほつ) A説法(せっぽう)第一(だいいち)(ときかた) ()()() B神通(じんずう)第一(だいいち)(はたらき) (もく)(けん)(れん) C論義(ろんぎ)第一(だいいち)(はなしかた) ()(せん)(ねん)  D頭陀(ずだ)第一(だいいち)(はげみ) 摩訶(まか)迦葉(かしょう) E持律(じりつ)第一(だいいち)(たもちかた) 優波離(うばり)  F(てん)(げん)第一(だいいち)(みとおし)  阿那律(あなりつ)  G(みつ)(ぎょう)第一(だいいち)(おさめ) 羅睺羅(らごら) H()(くう)第一(だいいち)(しりかた) 須菩提(しゅぼだい) I多聞(たもん)第一(だいいち)(ききかた)阿難(あなん)()
汚染(おせん) (じん)(きょう)  心情(しんじょう)汚染(おせん)するから(じん)(きょう)  ()(じん)
汚染(おせん) 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  (げんにびぜつしんに)耳鼻舌身意(じんに) が(きよ)められる 色声香味触法(いろしょうこうみしょくほう)(ぜん)5つが五塵(5じん) 五賊(ごぞく)二河白道(にがびゃくどう)) (こころ)三垢(3あか)(わく)(ごう)()
(おそ)るべし カッと怒りの 胸の火が 我と我が身を 焼き尽くすなり 嗔恚(しんに)功徳(くどく)(はやし)()く 
(おそ)るべし 嗔恚(しんに)功徳(くどく)(はやし)()く 「(おそ)るべし カッと(いか)りの (むね)()が (われ)()()を ()()くすなり」腹立(はらだ)ち、(さん)(どく)煩悩(ぼんのう)
織田(おだ)· なかぬなら殺してしまへ時鳥      織田右府(織田信長)
· 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉)
· なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康)
· 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火
(おだ)やかな ことば使(つか)えば おだやかな こころとなるに ふと()づきたり (称名(しょうみょう)
おっしこと甘酒(あまざけ) (()げれない()人生(じんせい)には、いくら()けようと(おも)っても()けることができない出来事(できごと)というものがあります。「(いま)良寛(りょうかん)」と()ばれてきた鎌倉(かまくら)建長寺(けんちょうじ)名僧(めいそう) 菅原(すがわら)()()老師(ろうし)小僧(こぞう)時分(じぶん)体験(たいけん)したのもでした。  ある(とき)、お檀家(だんか)七日(なぬか)代理(だいり)()きました。お(きょう)(とな)えていますと、来客(らいきゃく)があって(おく)さんが()ていきました。(わき)では(あか)(ぼう)がしゃもじを()って(あそ)んでいました。やがて、(あか)(ぼう)はおしっこをもらしそのしゃもじでおしっこをいじり(はじ)めました。そして、しゃもじをおひつの(なか)()れてしまったのです。 ()()さんは()めようにもお(きょう)途中(とちゅう)でどうにもなりません。(あし)()ばして()どもを(せい)しようとしているところへ(おく)さんが(もど)ってきました。「()()さん、ありがとう。御礼(おれい)にご(はん)用意(ようい)しましたのでたくさん()べてくださいね〜」 さっきの光景を()ていた()()さんはあわてて(はら)(おさ)えて、「今日(きょう)はおなかをこわしているので」と()って()げて(かえ)りました。また七日(なぬか)のお(まい)りに()きました。こんどは(あか)(ぼう)はぐっすり()ていましたのでホットしました。その()丁度(ちょうど)(さむ)()でしたので、甘酒(あまざけ)()してくれました。大好物(だいこうぶつ)だったので、時保(じほ)さんは何杯(なんばい)もお()わりをしました。そして、御礼(おれい)()って(かえ)ろうとした(とき)(おく)さんが「この甘酒(あまざけ)は、この(まえ)()()がらなかったご(はん)でつくったんですよ!」と一言(ひとこと)時保(じほ)さんは シマッタ!と(おも)いましたがあとの(まつ)りです。 「一口(いっく)一代(いちだい)(ぜん)()(りょく)なり」と(さと)った。()けては(とお)れない。
おなじ御親のはらからとひとついのちを分けあいてとわのたびじに手をつなぐきつても切れぬこのゑにし悪いが悪いところにも無理もない点きつとあるあいての身にもなってみて大きくいきるおもいやり一年三百六十五にちにち春風ふく家になろうなそうの掌を合わす人の長所に目をつけて
(おに)(じゃ)を かくまい()いて (なん)にする アミダ(ぶつ)ぶつ ()うて(おい)()せ  (地獄(じごく)対処(たいしょ)
おのおのが初蒔きつけの麦畑の穂の出悦ぶ子らもあるかな
おのが身を かへりみずして 人のため つくすや人の つとめなるらむ (俸氏(ほうし)
おぼつかな (だれ)かいいけん 小松(こまつ)とは (ゆき)をささふる 高松(たかまつ)(えだ)
おぼつかな (だれ)かいいけん 小松(こまつ)とは (ゆき)をささふる 高松(たかまつ)(えだ)  法然上人() (ふゆ) (ゆき) 高松(たかまつ)
面影(おもかげ)の (しず)かに()かぶ (さむ)さかな        (西(にし) 厚子(あつこ)
重荷(おもに)()く (くるま)(おと)ぞ きこえける (てる)()(あつ)さ ()えがたき()に (()
(おも)ふこと うちつけに いふ幼子(おさなご)の 言葉(ことば)はやがて (うた)にぞありける
(おも)ふこと (つくろ)ふことも まだ()らぬ をさな(こころ)の うつくしきかな  (()
(おや)   ()いしきと (おも)(こころ)は われならで (おや)(こころ)の かよい()るなり
(おや)   (こう)は 百行(ひゃくぎょう)(もと)
(おや)   里帰(さとがえ)り ()どものまえで ()にかえる  (おや)  ()
(おや)   父母(ちちはは)の (めぐ)みをあだに おもうなよ 弥陀(みだ)たのむ()を (そだ)(たま)えば (おや)(おん)
(おや)   ながながと お世話(せわ)になりし (きく)(はな)  (おん) (おや)
(おや)  形見(かたみ)とて はかなき(おや)の とどめてし この(わか)れさえ いかにせん 法然上人()15(さい)比叡山(ひえいざん) (はた)(うじ) (はは)親子(おやこ)
(おや)  (きょう)とは辞典(じてん) 1、()(おや)につかえる行為(こうい) 2、()祖先(そせん)につかえる行為(こうい) 4、(おや)大事(だいじ)にすること   (おや) (おん)
(おや)  (きょう)字形(じけい)()老人(ろうじん)()うている(かたち)文字(もじ)であります。 老人(ろうじん)とは()(おや)である。   (おや) (おん)
(おや)  ()(おも)(おや)(こころ)  (わたし)(おも)(ほとけ)(こころ)  親子(おやこ) (おや)() 阿弥陀(あみだ) (ほとけ)
(おや)  善知識(ぜんちしき)は これ(なんじ)父母(ぶも)なり。 (なんじ)らの菩提心(ぼだいこころ)養育(よういく)(たま)えばなり。  法句(ほっく)(きょう)  (おや) 菩提心(ぼだいしん)
(おや)  父母(ちちはは)が (あたま)かきなぜ (さち)あれと ()いし言葉(ことば)ぞ (わす)れかねつる (おや) (おん)
(おや)  (れん)(みん)(おん) (おや)はおのれ()して(のち)にも、()()(まも)ることを(ねが)
(おや) 形見(かたみ)とて はかなき(おや)の (とど)めてし この(わか)れさえ またいかにせん 法然上人() (はた)(うじ) (はは) (わか)れ ()(わか)れ 形見(かたみ) (おや)
(おや) (しん)(ねん) 壱百(いっぴゃく) (さい)  、 (ちょう) (しゅう) 八十(はちじゅう)  ()。  100(さい)老親(ろうしん)が80(さい)()っを心配(しんぱい)している。 老婆(ろうば)親切(しんせつ)
(おや) はえば()て ()てば(あゆ)めと (いそ)ぐなり わが()()もる (ろう)(わす)れて (おや)(おん)
(おや)(おも)う (おも)いも(おや)の (おも)わする (おも)いと()りて (おや)(おも)うかな  (親子(おやこ)
(おや)(おも)え (せい)(さき)より ()(あと)も ()のために()く (おや)(おも)えよ  (親子(おやこ)
親子(おやこ)  ()(おも)(おや)(こころ)  (わたし)(おも)(ほとけ)(こころ)  親子(おやこ) (おや)() 阿弥陀(あみだ) (ほとけ)
親子(おやこ)  (しん) (ねん) (いち) (ひゃく) (さい)、 (ちょう) (しゅう) 八十(はちじゅう) () (100(さい)老親(ろうしん)が81(さい)()心配(しんぱい)していることで、老婆(ろうば)親切(しんせつ)である。その(うえ)往生(おうじょう)(ねが)い、念仏者(ねんぶつしゃ)になった)
親子(おやこ)  はえば()て ()てば(あゆ)めの 親心(おやごころ) わが()()もる ()いを(わす)れて  (そだ)て (まも)り 親子(おやこ) (ろう) 四苦(しく)
親子(おやこ) おかあさん おかあさん  おかあさんたら おかあさんなんにも ごようはないけれど なんだかよびたい おかあさん
親子(おやこ)関係(かんけい)  恭敬(くぎょう)(じゅ)  (やすし)(からだ)(うやま)う。  (けい)(こころ)(うやま)う。 (こころ)(した)()し、身体(しんたい)(うやま)う。日常(にちじょう)他人(たにん)(たい)する。 (こころ)(うやま)身体(しんたい)では(けい)ない 親子(おやこ)関係(かんけい)。 (ふつ)(たい)しては(こころ)身体(しんたい)(うやま)う。(なに)もいわないから!
(おや)(おん) 1、わが()(ひと)となりし(おん) 2、念佛(ねんぶつ)(しゃ)にならせていただいた(おん)
(おや)()も (した)しみかはし (いえ)(うち)の (にぎ)へるこそ (ぎょう )しかりけれ
()()ても (こころ)ゆるすな (やま)ざくら さそふ(あらし)の ありもこそすれ ((まど)い)
オレガ (じょう)不浄(ふじょう) 元々(もともと)はないけれども自分(じぶん)(つく)っていく (こころ)(あか)でつくる。 ()(くるま) (つく)大工(だいく)は おらねども (おの)がつくりて (おの)()()く  自我(じが)オレガの(こころ)(つく)っていく。
(おろ)か (うそ)()いて(よろこ)んで、本当(ほんとう)()いて(はら)()てた。  世間(せけん) 愚者(ぐしゃ) (おろ)か 真実(しんじつ)
(おろ)か (ぬす)みせず (ひと)(ころ)さずを よきことに われ(つみ)なしと (おも)うおろかさ  (とく)(ほん)上人()
(おん)   ながながと お世話(せわ)になりし (きく)(はな)  (おん) (おや)
(おん)  (おや)(おん) 1、わが()(ひと)となりし(おん) 3、念佛(ねんぶつ)(しゃ)にならせていただいた(おん)
(おん)  (きょう)とは辞典(じてん) 1、()(おや)につかえる行為(こうい) 2、()祖先(そせん)につかえる行為(こうい) 5、(おや)大事(だいじ)にすること   (おや) (おん)
(おん)  (きょう)字形(じけい)()老人(ろうじん)()うている(かたち)文字(もじ)であります。 老人(ろうじん)とは()(おや)である。   (おや) (おん)
(おん)  父母(ちちはは)が (あたま)かきなぜ (さち)あれと ()いし言葉(ことば)ぞ (わす)れかねつる (おや) (おん)
(おん)  父母(ちちはは)の (めぐ)みをあだに おもうなよ 弥陀(みだ)たのむ()を (そだ)(たま)えば (おや)(おん)
(おん)  はえば()て ()てば(あゆ)めと (いそ)ぐなり わが()()もる (ろう)(わす)れて (おや)(おん)
怨親(おんしん) 平等(びょうどう)・・・(うら)みの(ひと)も、(した)しい(ひと)も、(みな)(おな)(よう)(せっ)する ((ほとけ)相好(そうごう)
怨憎会苦(おんぞうえく)  (あい)反対(はんたい)無関心(むかんしん)だ    マザーテレサ 人権(じんけん) 関心(かんしん)  怨憎会苦(おんぞうえく)関心(かんしん)がある
怨憎会苦(おんぞうえく) (にく)むとも (にく)(かえ)すな (にく)まれて (にく)(にく)まれ ()てしなければ (怨憎会苦(おんぞうえく)
怨憎会苦(おんぞうえく) 柳生(やぎゅう)()家訓(かくん) 「(しょう)(さい)(えん)出会(であ)って(えん)()づかず  (ちゅう)(さい)(えん)()づいて(えん)()かさず (だい)(さい)(そで)すり()った(えん)をも()かす」(えん)怨憎会苦(おんぞうえく) 不可思議(ふかしぎ) 「(そで)すりあうも他生(たしょう)(えん)
(かい)  (ぬす)みせず (ひと)(ころ)さずを よきことに われ(つみ)なしと (おも)うおろかさ  (とく)(ほん)上人()
戒定慧(かいじょうえ) (ばな)れし念仏(ねんぶつ) (たた)えなば 不思議(ふしぎ)や (あそ)三学(さんがく)(えん)
(かい)(じょう)(こう)   (ぜん)(ねん)()(ねん)念念(ねんねん)   「念念(ねんねん)(ぼん)(しょう)(かい)(じょう)(こう)」((こう)())(法事讃(ほうじさん)
戒体(かいたい)とは、妙色荘厳にして、十五夜の秋の月の如く、十方世界に周偏す。唯、仏と菩薩のみこれを見たまふ。声聞(しょうもん) (えん)(がく)は、徳、少なくしてこれを見ることあたわず。この戒法は(さん)羯磨(こんま)の後、一刹那(せつな)の剋に受者の身内に来入す。これを戒体(かいたい)と号す。信有れば来たる。信無ければ()たらず。
戒体(かいたい)()()(しか)() ()(そく)(しょう) ()()()(しき) (戒体(かいたい)()こさずんばやみなん ()こさば すなわち(しょう)なる()()()(しき)) (天台(てんだい) (ちぎ)
(かい)においては破戒(はかい)無慚(むざん)(じょう)においては散乱(さんらん)()(どう)()においては(どん)(こん)無智(むち)
(かえ)(たび)) (かえ)れる(たび)(たの)しいのである。(たび)のさびしさを(たの)しめるのも、わが(いえ)にいつか(もど)れるからであるこの(たび)は、自然(しぜん)(かえ)(たび)である。
科学(かがく)  かつてWTO(世界(せかい)保健(ほけん)機構(きこう))はアフリカのマラリア患者(かんじゃ)(おお)地域(ちいき)徹底的(てっていてき)なマラリア(ぼく)(めつ)作戦(さくせん)展開(てんかい)した。その結果(けっか)乳幼児(にゅうようじ)死亡率(しぼうりつ)が10(ぶん)の1に低下(ていか)した。そかし10(ねん)あとには、その地域(ちいき)住民(じゅうみん)のほとんどが餓死(がし)してしまった。マラリア患者(かんじゃ)がいなくなって、爆発的(ばくはつてき)人口(じんこう)増加(ぞうか)したためである。WHOは、はたして()いことをしたのか?(わる)いことをしたのか(あたま)をかかえこんだという。 慈悲(じひ) 科学(かがく) 理論(りろん) ()いこと (わる)いこと 知恵(ちえ)
(かがみ)  念仏(ねんぶつ)閻魔(えんま)(かがみ)  閻魔(えんま) (かがみ)  わが心 鏡にうつる ものならば さぞや姿の 醜かるらん (心の気持ちの表れ、気表⇒けほ⇒かほ⇒顔)
(かがみ) (のち)()の (ひと)(かがみ)に のこしおく 南無阿彌陀佛() 知識(ちしき)をぞ()よ  (とく)(ほん)行者(ぎょうじゃ)  (かがみ)   無明(むみょう)(みょう)
(かがみ)にうつるわが姿(すがた) ツンと()かえば()こうもツンと (わら)うて()かえば(わら)うて(かえ)す にらみつくればにらんで(かえ)す ほんにこの()(かがみ)(かげ)よ ()くも(わら)うも(われ)次第(しだい)
(かがみ)()て かげはづかしく (おも)ふなら はやく(こころ)を あらためよ(じん)
かかる時さこそ生命の惜しからめかねて無き身と思ひ知らずば
(かき)   渋柿(しぶがき)の 甘柿(あまがき)となる ()(めぐ)み   (かき) 煩悩(ぼんのう)
(かき)とろと (あたま)(うえ)を ながめたら きれいなお(つき)さま (わら)っておる お月様(つきさま)仏様(ほとけさま))が()ているからやめよう(藤堂 俊 章 台下)
(かく) (さと)る 動詞(どうし)名詞(めいし)()()(かた)がある。 動詞(どうし)()()るならば、「目覚(めざ)め」「覚醒(かくせい)」「無辺(むへん)(さと)り」 (かく) ()づき
かくすればかくなるものと知りながら止むに止まれぬ大和魂
覚醒(かくせい)  (さと)る 動詞(どうし)名詞(めいし)()()(かた)がある。 動詞(どうし)()()るならば、「目覚(めざ)め」「覚醒(かくせい)」「無辺(むへん)(さと)り」 (かく) ()づき
I(かく)(りん)涅槃(ねはん)  (つた)()く (つる)(はやし)の 夜半(よわ)(こえ) (みな)()(おも)言葉(ことば)なりけり  (てい)(ごく) I(かく)(りん)涅槃(ねはん) 釈迦(しゃか)
家訓(かくん)  柳生(やぎゅう)()家訓(かくん) 「(しょう)(さい)(えん)出会(であ)って(えん)()づかず  (ちゅう)(さい)(えん)()づいて(えん)()かさず (だい)(さい)(そで)すり()った(えん)をも()かす」(えん)怨憎会苦(おんぞうえく) 不可思議(ふかしぎ) 「(そで)すりあうも他生(たしょう)(えん)
(かげ)(ひかり)によって(しょう)じる。真夜中、一暗闇ですと影がございません。朝、お天道さまが出ていらっしゃると、それにふさわしい影が出てきます。それと同じように、念仏を申さない間は、如来さまのお光明をいただかない間は、自分の罪悪の影に気付かないのであります。ですから、最初は、我々も煩悩の我であるということを信じて、お念仏申しているうちに、お光明がいただけてまいりますと、自分の罪悪に気付かせていただく、初め信じておったものがわかってくるのです。その自分の罪悪に気が付くから、阿弥陀さまにおすがりする気持ちが強くなって、真剣な念仏が出る。
(かしこ)いと(おろ)かは一如(いちにょ)である ( (ひかり)(かげ)(ぜん)(あく) 極楽(ごくらく)地獄(じごく) )  (聖徳(しょうとく) 太子(たいし)
()(しゃく)(しょ)(ぞう)(しょ)悪業(あくごう) (かい)()()()貪瞋痴(とんじんち) (じゅう)(しん)語意(ごい)()(しょ)(しょう) 一切(いっさい)()(こん)(かい)懺悔(さんげ)(われ(むかし)より(つく)れる(ところ)(しょ)悪業(あくごう)は、(みな)()()貪瞋痴(とんじんち)による。(しん)語意(ごい)より(しょう)ずる(ところ)なり。一切(いっさい)われ(いま)(みな)懺悔(さんげ)す。)
迦葉(かしょう)  拈華(ねんげ)()(わらい)  釈迦(しゃか)説法(せっぽう)せずに、金蓮(ごんはす)(ねん)じた。大衆(たいしゅう)はその意味(いみ)がわからずにいたが、迦葉(かしょう)だけが微笑(びしょう)したこと
かずならぬ我が身は花に吹く嵐すむ夜の月にかかる浮き雲
かぞふれば我身につもる年月をおくりむかふと何いそぐらん
形見(かたみ)とて  (なに)かのこさむ (はる)(はな) (やま)ほととぎす (あき)はもみぢ()
形見(かたみ)とて はかなき(おや)の とどめてし この(わか)れさえ いかにせん 法然上人()15(さい)比叡山(ひえいざん) (はた)(うじ) (はは)親子(おやこ)
形見(かたみ)とて はかなき(おや)の (とど)めてし この(わか)れさえ またいかにせん 法然上人() (はた)(うじ) (はは) (わか)れ ()(わか)れ 形見(かたみ) (おや)
かたみとて はななき(おや)の とどめてし この(わか)れさえ (また)いかにせん  法然上人() (はは)(うえ)
かたらじと 思ふこころも さやかなる 月にはゑこそ かくさざりけれ
かつてWTO(世界(せかい)保健(ほけん)機構(きこう))はアフリカのマラリア患者(かんじゃ)(おお)地域(ちいき)徹底的(てっていてき)なマラリア(ぼく)(めつ)作戦(さくせん)展開(てんかい)した。その結果(けっか)乳幼児(にゅうようじ)死亡率(しぼうりつ)が10(ぶん)の1に低下(ていか)した。そかし10(ねん)あとには、その地域(ちいき)住民(じゅうみん)のほとんどが餓死(がし)してしまった。マラリア患者(かんじゃ)がいなくなって、爆発的(ばくはつてき)人口(じんこう)増加(ぞうか)したためである。WHOは、はたして()いことをしたのか?(わる)いことをしたのか(あたま)をかかえこんだという。 慈悲(じひ) 科学(かがく) 理論(りろん) ()いこと (わる)いこと 知恵(ちえ)
かつてWTO(世界(せかい)保健(ほけん)機構(きこう))はアフリカのマラリア患者(かんじゃ)(おお)地域(ちいき)徹底的(てっていてき)なマラリア(ぼく)(めつ)作戦(さくせん)展開(てんかい)した。その結果(けっか)乳幼児(にゅうようじ)死亡率(しぼうりつ)が10(ぶん)の1に低下(ていか)した。そかし10(ねん)あとには、その地域(ちいき)住民(じゅうみん)のほとんどが餓死(がし)してしまった。マラリア患者(かんじゃ)がいなくなって、爆発的(ばくはつてき)人口(じんこう)増加(ぞうか)したためである。WHOは、はたして()いことをしたのか?(わる)いことをしたのか(あたま)をかかえこんだという。 慈悲(じひ) 科学(かがく) 理論(りろん) ()いこと (わる)いこと 知恵(ちえ)
かつてWTO(世界(せかい)保健(ほけん)機構(きこう))はアフリカのマラリア患者(かんじゃ)(おお)地域(ちいき)徹底的(てっていてき)なマラリア(ぼく)(めつ)作戦(さくせん)展開(てんかい)した。その結果(けっか)乳幼児(にゅうようじ)死亡率(しぼうりつ)が10(ぶん)の1に低下(ていか)した。そかし10(ねん)あとには、その地域(ちいき)住民(じゅうみん)のほとんどが餓死(がし)してしまった。マラリア患者(かんじゃ)がいなくなって、爆発的(ばくはつてき)人口(じんこう)増加(ぞうか)したためである。WHOは、はたして()いことをしたのか?(わる)いことをしたのか(あたま)をかかえこんだという。 慈悲(じひ) 科学(かがく) 理論(りろん) ()いこと (わる)いこと 知恵(ちえ)
かつてWTO(世界(せかい)保健(ほけん)機構(きこう))はアフリカのマラリア患者(かんじゃ)(おお)地域(ちいき)徹底的(てっていてき)なマラリア(ぼく)(めつ)作戦(さくせん)展開(てんかい)した。その結果(けっか)乳幼児(にゅうようじ)死亡率(しぼうりつ)が10(ぶん)の1に低下(ていか)した。そかし10(ねん)あとには、その地域(ちいき)住民(じゅうみん)のほとんどが餓死(がし)してしまった。マラリア患者(かんじゃ)がいなくなって、爆発的(ばくはつてき)人口(じんこう)増加(ぞうか)したためである。WHOは、はたして()いことをしたのか?(わる)いことをしたのか(あたま)をかかえこんだという。 慈悲(じひ) 科学(かがく) 理論(りろん) ()いこと (わる)いこと 知恵(ちえ)
かつてWTO(世界(せかい)保健(ほけん)機構(きこう))はアフリカのマラリア患者(かんじゃ)(おお)地域(ちいき)徹底的(てっていてき)なマラリア(ぼく)(めつ)作戦(さくせん)展開(てんかい)した。その結果(けっか)乳幼児(にゅうようじ)死亡率(しぼうりつ)が10(ぶん)の1に低下(ていか)した。そかし10(ねん)あとには、その地域(ちいき)住民(じゅうみん)のほとんどが餓死(がし)してしまった。マラリア患者(かんじゃ)がいなくなって、爆発的(ばくはつてき)人口(じんこう)増加(ぞうか)したためである。WHOは、はたして()いことをしたのか?(わる)いことをしたのか(あたま)をかかえこんだという。 慈悲(じひ) 科学(かがく) 理論(りろん) ()いこと (わる)いこと 知恵(ちえ)
()(もの)(うら)みを(まね)かん ()(やぶ)れたる(もの)(くる)しみて()す されど勝敗(しょうはい)(ふた)つを()てて (こころ) 寂静(しずか)なる(ひと)は (おき)(ふし)(とも)(さいわ)いなり
門松(かどまつ)や 冥土(めいど)(たび)の 一里塚(いちりづか) めでたくもあり めでたくもなし
(かな)しい(うみ)(かな)しい(そら)今日(きょう)()(さお)()んだでいます。あなた(がた)(かな)しい()によって、あなた(がた)(かな)しい()(つう)じて、(わたし)たちは(いま)(ようや)くにして(ひと)つの(かんが)えを()つことができるようになりました。もう、自分(じぶん)一人(ひとり)幸福(こうふく)(もと)める時代(じだい)(おわ)った。()(ひと)幸福(こうふく)でなくて、どうして自分(じぶん)幸福(こうふく)になれるだろう。もう、自分(じぶん)(くに)だけの平和(へいわ)(もと)める時代(じだい)(おわ)った。()(くに)平和(へいわ)でなくて、どうして自分(じぶん)(くに)平和(へいわ)であり()よう」
かなしきかな、かなしきかな、いかがせんいかがせん。ここに我等(われら)(ごと)きは、すでに戒定慧(かいじょうえ)(さん)(がく)(うつわ)ものにあらず。この(さん)(がく)のほかに(わが)(こころ)相応(そうおう)する法門(ほうもん)ありや、()()()えたる修行(しゅぎょう)やあるやと、よろずの知者(ちしゃ)にもとめ、(もろもろ)智者(ちしゃ)にもとめ、(もろもろ)学者(がくしゃ)に、とぶらいしに、をしふるに(ひと)もなく、しめすに(ともがら)もなし。(しか)(あいだ)なげきなげき、経蔵(きょうぞう)()り、かなしみかなしみ、(しょう)(きょう)にむかひて、()づからみづから、ひらき()しに、善導(ぜんどう)和尚(かしょう)(かん)(ぎょう)(しょ)の、「一心(いっしん)(もっぱ)弥陀(みだ)名号(みょうごう)(ねん)じ、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)時節(じせつ)()(ごん)()わず念念(ねんねん)()てざる(もの) (これ)(しょう)(じょう)(ごう)()づく ()(ほとけ)(がん)(じゅん)づるが(ゆえ)に」という(もん)()()てのち、我等(われら)がごとくの、無智(むち)()は、(ひとえ)にこの(もん)(あお)ぎ、もはらものことはりをたのみて、(ねん)(ねん)不捨(ふしゃ)称名(しょうみょう)(しゅう)して、決定(けつじょう)往生(おうじょう)業因(ごういん)(そな)ふべし。
(かな)しみ ゲーテ  (なみだ)とともにパンを()べた(もの)でなければ、人生(じんせい)(あじ)はわからない  ゲーテ
かへらじとかねて思へば梓弓なき数入る名をぞとどむる
神様(かみさま)はどこまでも(つつ)んでいます。(包含(ほうがん) compli catio) その神様(かみさま)(わたし)たちに(なか)から展開(てんかい)する。(展開(てんかい) expl catoi) 参照(さんしょう) 如来(にょらい)(ぞう)思想(しそう)内在(ないざい)超越(ちょうえつ) 万有(ばんゆう)(ざい)(しん)(ろん) 包含(ほうがん)展開(てんかい)
神はよし祖とあらずも我や子の子たらん道を尽さであらめや(かみはよしそとあらずもわれやこのこたらんみちをじんさであらめや)
(かめ)  めしいたる (かめ)()()に あうなれや たまたま()たる (のり)(はし)(ぶね)  高弁(こうべん)  本願(ほんがん)()う (かめ)
(かも) 
から衣 たちぬふ人は あらなくに 秋の夜さむと なりまさりつつ
かりそめの いろにゆかりの こいにだに あふには()をも をしみやはする 法然上人() (こい) 
(かり)()めの (いろ)(ゆかり)の (こい)にだに (あう)ふには()をも ()しみやはする
かりそめの (いろ)のゆかりの (こい)にだに あふには()をも おしみやはする
()れはてて しかも花咲(はなさ)く (うめ)()(こえ)もたてず (うぐいす)のなく  ()
河波(かわなみ) 雪下(ゆきした)に (はる)(こえ)あり ことことと ()えぬ小川(おがわ)の (なが)(おと)()く  清浄光(しょうじょうこう)、 河波(かわなみ)
川端(かわばた)康成(やすなり) あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや(つき) (明恵(みょうえ)主客(しゅきゃく) 川端(かわばた)康成(やすなり) ノーベル(しょう) (つき) ()
かわやにて (もう)念仏(ねんぶつ)に とがあらば ()しこめよかし 弥陀(みだ)浄土(じょうど)へ 法然上人() 便所(べんじょ) 不浄(ふじょう) 清浄(しょうじょう) 行住坐臥(ぎょうじゅうざが)
(がん)(かい)  同体(どうたい) (べっ)(たい)三宝(さんぼう) の(がん)(かい)をおどろかし(もう)してもうさく。 授手印(じゅしゅいん) ()() 鎮西(ちんぜい)聖光(しょうこう)
歓喜(かんぎ) お百姓さんが秋のゆたかなお米の稔りを収めたいという欲望から、あの炎暑の中に汗を流して働けることを、少しも苦としておられないように、私たちも心霊を完成させたいという欲望から出る業務であれば、どんな仕事にも喜んで、これに従事してゆくことができる。現在の不幸の中にも将来の幸福を認め、病気の中にも健康を味わい、困苦の中にも矯正と規律を見出し、悲憂の中にも勇気を鼓舞し、常に満足を知り不平の念をおこさず、愉快の中にかこまれて失意落胆の情にうち勝ち、喜んで重荷をにない、眼にうつるもの一として歓喜ならざるものなしである。
歓喜(かんぎ)(こう)  それ衆生(しゅじょう)ありて、この(ひかり)()うものは三垢(さんく)消滅(しょうめつ)し(清浄光(しょうじょうこう))、身意柔軟(しんににゅうなん)に(智慧光(ちえこう))、歓喜踊躍(かんぎゆやく)して(歓喜(かんぎ)(こう))、善心(ぜんしん)(しょう)ぜん(不斷(ふだん)(こう))  礼拝儀(らいはいぎ)  無量寿経(むりょうじゅきょう)
観経(かんぎょう)  本願(ほんがん)三心(さんじん)一心(いっしん)()(らん)=「観経(かんぎょう)」 至心(ししん)信楽(しんぎょう)(よく)(しょう)()(こく)
観経(かんぎょう)(つき)かげの (いた)らぬ(さと)は なけれども ながむる(ひと)の こころにぞすむ   ()む ()む ()む 光明(こうみょう)遍照(へんじょう) 観経(かんぎょう) (だい)(9)
感謝(かんしゃ) ()がさめて 今日(きょう)もうれしや わがからだ
勧請(かんじょう)祈願(きがん)指導(しどう)   如来の分身たる霊応身を我が身心に請じて常住の指導を祈る。一、この身は如来の霊応を安置し奉る聖なる宮と信ずべきこと。二、霊応の常住を請うこと。三、聖意の指導を仰ぐこと。
関心(かんしん)   (あい)反対(はんたい)無関心(むかんしん)だ    マザーテレサ 人権(じんけん) 関心(かんしん)  怨憎会苦(おんぞうえく)関心(かんしん)がある
ガンディーに質問した「あなたは、非暴力(アサンサー)でインド独立を勝ちとりましたが、今、あなたに向けて原子爆弾を搭載した爆撃機があなたの頭上に飛来してきたら、どうされますか?」するとガンディーさんはその記者に微笑みながら、こう答えたといいます。「私は私に向かって原爆をつんだ飛行機が飛んできたら、その飛行機に手をふって笑顔で敵意のないことをしめすだろう」
(かん)(とく)=perfect
(かん)()梅花(ばいか) うららかなり   彼岸(ひがん)
堪忍と聞けば易きに似たれども己に勝つの替へ名なるべし(かんにんときけばやすきににたれどもおのれにかつのたいへななるべし)
感応(かんのう) (どう)(こう)
観音(かんのん) 頂戴(ちょうだい)  (かん) (ちゅう) (じゅう) ((ちゅう)()礼讃(らいさん))   念仏者(ねんぶつしゃ)基本(きほん)   頭上(ずじょう)()(ぶつ)  善導(ぜんどう)
観音(かんのん)頂戴冠中住 (観音は頂戴して冠中に住す)種種妙相宝荘厳 (種々の妙相の宝をもって荘厳す)能伏外道魔僑慢 (掛く外道と魔との廓僻ビを伏す)故我頂礼弥陀尊 (故に我れ弥陀尊を頂礼したてまつる)
看病(かんびょう)  三宝(さんぼう)   @(ぶつ)名医(めいい)  A(ほう)名薬(めいやく) B(そう)看病(かんびょう)  恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
(かん)(べに)は 無常の風に誘われて莟(つぼ)みし花の 今ぞ散り行く
()   (もも)(よう)(よう)たる、その()(しん)(しん)たり、(この)()(いえ)(とつ)ぐ、かの(いえ)(ひと)(よろし)し 大学(だいがく)   (もも) () 結婚(けっこん)
()  1、身命(しんめい)(ほとけ)()(しゅ)するの() 2、(ほとけ)(きょう)(めい)帰順(きじゅん)するの() 3、(めい)(こん)一心(いっしん)本元(ほんもと)(げん)()するの()
()  (ほう)()と ()うか()わぬかを 調(しら)べての ()(おこな)う (みち)(さだ)めよ ()(ほう)一体(いったい) () (ほう) 
() (たの)みなば ただひしひしと (たの)むべし ()(かしこ)きは (みち)(とお)きぞ 愚鈍(ぐどん) 念仏(ねんぶつ) 往生(おうじょう)()
黄色(きいろ)  (はる)黄色(きいろ)(はな)(おお)い (はな) 黄色(きいろ)
利きもあれば鈍きもありて取りはけるつるぎに似たるひとごころかな(ききもあればにぶきもありてとりはけるつるぎににたるひとごころかな)
起行(きぎょう) 安心(あんじん)()(もく))・起行(きぎょう)(ぎょう)(そく)) 起行(きぎょう) 二重(にじゅう) 修行(しゅぎょう)
()(とき)は げになるほどと (おも)いつつ 下駄(げた)はくときは とうに(わす)るる
綺語(きご) 今日(きょう)ほめて 明日(あす)わるく (うん)(ひと)の ()くも(わら)うも うその()(なか)
きささぎの (なか)五日(いつか)の 夜半(よわ)(つき) ()りにしあとの (やみ)ぞかなしき 西(さい)(しん)  涅槃(ねはん) 釈迦(しゃか)
()(しん)   不断(ふだん)煩悩(ぼんのう)()(しん)(そく)涅槃(ねはん)(ほう)(しん)) 曇鸞(どんらん)善道(ぜんどう))  
疑心(ぎしん) 念仏(ねんぶつ)は アクビの(あと)の (くち)なおし  信心(しんじん) 疑心(ぎしん) 信心(しんじん)()るような()いような
()(しん) 富士(ふじ)白雪(しらゆき)朝日(あさひ)()ける (むね)(こおり)思案(しあん)じゃとけぬ  ()(しん) (しん)()
鬼神(きじん)も ()かするものは ()(なか)の (ひと)(こころ)の (まこと)なりけり
季節(きせつ)  (はる)(ひゃか)花あり、(あき)(つき)あり、(なつ)涼風(りょうふう)あり、(ふゆ)(ゆき)あり  四季(しき)季節(きせつ) 春夏(はるなつ)(あき)(ふゆ) ()(かい)禅師(ぜんじ)
季節(きせつ)  (はる)(はな) (なつ)ほととぎす (あき)(つき) (ふゆ)(ゆき)さえて すずしかりけり   道元(どうげん)禅師(ぜんじ) 四季(しき) 季節(きせつ) 春夏(はるなつ)(あき)(ふゆ)
気付(きづ)き (さと)る 動詞(どうし)名詞(めいし)()()(かた)がある。 動詞(どうし)()()るならば、「目覚(めざ)め」「覚醒(かくせい)」「無辺(むへん)(さと)り」 (かく) ()づき
きによって説け鶯の法法華経
昨日(きのう)まで (おに)()みにし (むね)殿(どの)も 今日(きょう)みだ(そん)の 御堂(みどう)とはなる
昨日(きのう)今日(きょう)も さよならの()がくれてゆく
()のきいた ()(もの)はとくに ()きこむに ろくろ(くび)ほど (なが)くのびたり
()のきいた ()(もの)はとくに ()きこむに ろくろ(くび)ほど (なが)くのびたり
()(なが)く (こころ)(まる)く (はら)()てず (くち)つつしみて (いのち)ながかれ
()(ほう)一体(いったい)  (ほう)()と ()うか()わぬかを 調(しら)べての ()(おこな)う (みち)(さだ)めよ ()(ほう)一体(いったい) () (ほう) 
(きみ)()む 宿(やど)(こずえ)を ゆくゆくも かくるるまでに (かえり)みしはや
(きみ)()が 我田(わがた)(なら)ぶ (うれ)しさよ 我田(わがた)へかかれ きみが()(みず)
(きみ)にかく (そう)()ることの うれしさも またさめやらぬ (ゆめ)かとぞ(おも)
(きみ)のため (みん)のためぞと (おも)はずば (ゆき)もほたるも (なに)かあつめん
(きみ)のため ()のため(なに)か (せき)からん ()ててかひある (いのち)なりせば
帰命(きみょう) の()(かえ)(むかし)()  (ゆたか)ぐの(こころ)である  (いま)(とつ)ぐと()
帰命(きみょう)とは()れること、勧請(かんじょう)とは宿(やど)すこと、発願(ほつがん)とは(あゆ)むこと
(きゃく)  無畏(むい)() (おそ)れがない→(やす)らぎ  (きゃく)接待(せったい)仕方(しかた) 施無畏(せむい)
客人(きゃくじん) 煩悩(ぼんのう)をば(こころ)客人(まろうど)として、念佛(ねんぶつ)(こころ)主人(あるじ)としつらえば(あなが)ちに往生(おうじょう)をば(さわ)ぬなり((7)箇条(かじょう)起請文(きしょうもん) 9)煩悩(ぼんのう)客人(まろうど)念仏(ねんぶつ)主人(しゅじん)
(きゃく)(そう)の 朝寝(あさね)よろこぶ (そう)(つま) (牛畝(ぎゅうほ)
行住坐臥(ぎょうじゅうざが) かわやにて (もう)念仏(ねんぶつ)に とがあらば ()しこめよかし 弥陀(みだ)浄土(じょうど)へ 法然上人() 便所(べんじょ) 不浄(ふじょう) 清浄(しょうじょう) 行住坐臥(ぎょうじゅうざが)
(きょう)とは辞典(じてん) 1、()(おや)につかえる行為(こうい) 2、()祖先(そせん)につかえる行為(こうい) 3、(おや)大事(だいじ)にすること   (おや) (おん)
(きょう)字形(じけい)()老人(ろうじん)()うている(かたち)文字(もじ)であります。 老人(ろうじん)とは()(おや)である。   (おや) (おん)
今日(きょう)彼岸(ひがん) 菩提(ぼだい)(たね)を まく()かな  彼岸(ひがん)
今日(きょう)ほめて 明日(あす)わるく (うん)(ひと)の ()くも(わら)うも うその()(なか)
今日(きょう)もまた (こころ)(かね)を ()()らし ()()らしつつ (あこが)れていく
キリスト(きょう)大乗(だいじょう)仏教(ぶっきょう)出会(であ)った」と1000年単位で歴史を見ると「記録(きろく)されるであろう。(トインビー歴史学者)
(きり)火桶(ひおけ) かきなでながら (おも)ふかな すきま(おお)かる しづが伏屋(ふしや)
()()いて(うつ)るあたわず。 不善(ふぜん)()いて(あらた)むるあたわず。こらは(わが)(うれ)いなり。これはいいことだと()りながらも、その方へ移っていくことが出来ない。不善と知りながらも、改めることが出来ない私である。(論語(ろんご)孔子(こうし)
()をもって(きょう)(しら)べる
(ぎん)のくがねも (たま)もせむに まされる(たから)  ()にしかめやも
()  有田(うでん)憂田(うでん) 有宅(うたく)有宅(うたく)   無量寿経(むりょうじゅきょう)  () 求不得苦(ぐふとっく)
()  三垢(さんく) (こころ)三垢(3あか)(わく)煩悩(ぼんのう)(ごう)=悪業(あくごう)()受苦(じゅく)) 垢質(くしつ)
()  もとよりも (しの)ぶの(さと)に (しのぶ)れば (しの)びてかよへ 弥陀(みだ)淨土(じょうど)へ  苦楽(くらく) (にん) (しの)ぶ 
() いまします (ほとけ)姿(すがた) よく()れば みな(くる)しみに ()えしみ姿(すがた)  () (だい)(しゅう) (だい)()
() (いわ)もあり ()()もあれど サラサラと ただサラサラと (みず)(なが)るる
() 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  (げんにびぜつしんに)耳鼻舌身意(じんに) が(きよ)められる 色声香味触法(いろしょうこうみしょくほう)(ぜん)5つが五塵(5じん) 五賊(ごぞく)二河白道(にがびゃくどう)) (こころ)三垢(3あか)(わく)(ごう)()
() 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  (げんにびぜつしんに)耳鼻舌身意(じんに) が(きよ)められる 色声香味触法(いろしょうこうみしょくほう)(ぜん)5つが五塵(5じん) 五賊(ごぞく)二河白道(にがびゃくどう)) (こころ)三垢(3あか)(わく)(ごう)()
() (われ)(ほっ)する(ところ)(ぜん)(おこな)うわたわず (ほっ)せざる(ところ)(あく)(おこな)う あぁ(なや)める(われ)なるかな。(パウロ)十夜(じゅうや) (ぜん) (あく) (よく) () 意思(いし)
() 大忍とは耐えしのんだり、がまんすることとはちがう。苦しいときはくるしいままに、嬉しいときは嬉しいままに身体ごと素直に順応していくことである。悲しいときは子供のように、ごく自然に涙を浮かべ悲しいんでいる。また念願かなって嬉しいときは、子供のように無邪気に嬉しがるこれを大忍という。 寂しいときは寂しいままに独り静かにいる。これが日本文化の「わび」「さび」の精神である。身体で抑えて、首から上に上げない。文句、愚痴を言わないようにしよう。争いの元となる。罪作り。(板橋興宗 曹洞宗)
() 矢のたとえ!一番の矢と二番矢 苦の一番矢を受けても二番の苦の矢は念仏を称えている人は受けない! 一番矢楽は二番矢は欲の働きによって苦の始まりになる。  苦楽(くらく) 挨拶(あいさつ)
(くう)平等(びょうどう)同等(どうとう)(ちが)う。  (くう)束縛(そくばく)されない、開放(かいほう)される。阿弥陀(あみだ)(さま)(まえ)平等(びょうどう)。  
(くう)(がい) (つう)(だつ) (しょ)法性(ほっしょう) 一切(いっさい)(くう)無我(むが)   專求(せんぐ)(じょう) 仏土(ぶつど) (ひつ)(じょう) (みょう) ()(せつ)  (しゅ)(ぜん)() (つい)(れん) (くう)(がい)75(さい)(しょ)
空海(くうかい)が (こころ)のうちに ()(はな)は 弥陀(みだ)より(ほか)に ()(ひと)はなし  弘法大師(こうぼうだいし) 信心(しんじん)(はな)
倶会一処(くえいっしょ) (つゆ)()は 此処彼処(ここかしこ)にて ()えぬとも (こころ)(おな)じ (なは)(だい)ぞ 法然上人() 流罪(るざい) (つゆ) (はな) 淨土(じょうど) 往生(おうじょう) 倶会一処(くえいっしょ)
()(なか)(ごく)()(きょう)(なか)(ごく)(きょう)(じん)禿(とく)有情(うじょう)(てい)()最澄(さいちょう)
()(きょう) (れん)(みん)(おん) (おや)はおのれ()して(のち)にも、()()(まも)ることを(ねが)
恭敬(くぎょう)(じゅ)   住持(じゅうじ)三宝(さんぼう) @(ぶつ)絵像(えぞう)木像(もくぞう)  A(ほう)()(かみ)(しゅ)(じく) B(そう)剃髪(ていはつ) ()() 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
恭敬(くぎょう)(じゅ)   吉川(よしかわ)英二(えいじ)  (われ) 以外(いがい) (みな) (わが)()  恭敬(くぎょう)(じゅ)  上下(じょうげ)関係(かんけい) 
恭敬(くぎょう)(じゅ)  三宝(さんぼう)   @(ぶつ)名医(めいい)  A(ほう)名薬(めいやく) B(そう)看病(かんびょう)  恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
恭敬(くぎょう)(じゅ)  三宝(さんぼう) @(ぶつ)(あか)るく  A(ほう)(ただ)しく B(そう)(なご)やかに 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
恭敬(くぎょう)(じゅ)  ()(しゅ) 恭敬(くぎょう)(じゅ)高慢(こうまん)  ()()(しゅ)(ぞうき)起   無間(むけん)(じゅ)懈怠(けたい)   (じょうじ)(しゅ)退転(たいてん)
恭敬(くぎょう)(じゅ)  ()(しゅ) 作業(さごう)()(しゅ)三種(さんしゅ)行儀(ぎょうぎ)) 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()()(しゅ) 無間(むけん)(じゅ) (じょうじ)(しゅ)
恭敬(くぎょう)(しゅ)  浄土(じょうど)にも (ごう)のものとや 沙汰(さた)すらん 西(にし)()いて (うし)ろみせねば   熊谷(くまがい)次郎(じろう)直実(なおざね) 恭敬(くぎょう)(しゅ)
恭敬(くぎょう)(じゅ)  (べっ)(たい)三宝(さんぼう) @(ぶつ)浄土(じょうど)弥陀(みだ)  A(ほう)念仏(ねんぶつ)()(のり) B(そう)浄土(じょうど)菩薩(ぼさつ) 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
恭敬(くぎょう)(じゅ)  (やすし)(からだ)(うやま)う。  (けい)(こころ)(うやま)う。 (こころ)(した)()し、身体(しんたい)(うやま)う。日常(にちじょう)他人(たにん)(たい)する。 (こころ)(うやま)身体(しんたい)では(けい)ない 親子(おやこ)関係(かんけい)。 (ふつ)(たい)しては(こころ)身体(しんたい)(うやま)う。(なに)もいわないから!
恭敬(くぎょう)(しゅ) (かたち)(うやま)うを(く )(こころ)(うやま)うのを(ぎょう)。 1、有縁(うえん)(しょう)(にん)(うやま)う。2、有縁(うえん)知識(ちしき)(うやま)う。3、有縁の像教を敬う。4、(どう)(えん)(とも)(うやま)う。5、三宝(さんぼう)(うやま)う。  ()(しゅ)
(くさ)(いほ)に (あし)さしのべて 小山田(おやまだ)の 山田(やまだ)(かえる)  きくが(たの)しき
(くさ)のいほに ()てもさめても (もう)すこと 南無阿彌陀佛() 南無阿彌陀佛()
(くさ)(いほり)に ()てもさめても(もう)すこと なむあみだぶつ なむあみだぶつ
くさの葉の 露も光の あればとて 玉といひては 如何が拾はん
(くさ)()も からくれないに ()ゆるなれ (あか)()がねを かけし(ひと)には
(くさ)()も ()れたる野辺(のべ)に ただ(ひと)り (まつ)のみ(のこ)る 弥陀(みだ)本願(ほんがん)   本願(ほんがん) 知恩院(ちおんいん)  吉水(よしみず)
垢質(くしつ)  三垢(さんく) (こころ)三垢(3あか)(わく)煩悩(ぼんのう)(ごう)=悪業(あくごう)()受苦(じゅく)) 垢質(くしつ)
愚者(ぐしゃ)  (うそ)()いて(よろこ)んで、本当(ほんとう)()いて(はら)()てた。  世間(せけん) 愚者(ぐしゃ) (おろ)か 真実(しんじつ)
(くだ)(ざか)  人生(じんせい)には(3)っつの(さか)がある。 (のぼ)(ざか)(くだ)(ざか)、そしてもう(ひと)つ、まさかという(さか)。 (のぼ)(ざか)(くだ)(ざか) まさか?
愚痴(ぐち)  ()()るは(ぜん)(ごう)をひらく(しょ)(もん)なり。 愚痴(ぐち)
愚痴(ぐち)  智慧(ちえ)物事(ものごと)方向性(ほうこうせい)(しめ)してくれる。 知力(ちりょく)には(もの)判断(はんだん)する能力(のうりょく)はあるが、方向性(ほうこうせい)がない
愚痴(ぐち)  無明(むみょう)(みょう)    一方(いっぽう)より()れば無明(むみょう) 一方(いっぽう)よりみれば(みょう)  これが()()である。
愚痴(ぐち)  無明(むみょう)(もと)とし、煩悩(ぼんのう)基盤(きばん)としているから、方向性(ほうこうせい)間違(まちが)えて()(しょう)じる。 無知(むち) 愚痴(ぐち) 智慧(ちえ) 知力(ちりょく) (みょう)
功徳(くどく) 嗔恚(しんに)功徳(くどく)(はやし)()く 「(おそ)るべし カッと(いか)りの (むね)()が (われ)()()を ()()くすなり」腹立(はらだ)ち、(さん)(どく)煩悩(ぼんのう)
愚鈍(ぐどん) (たの)みなば ただひしひしと (たの)むべし ()(かしこ)きは (みち)(とお)きぞ 愚鈍(ぐどん) 念仏(ねんぶつ) 往生(おうじょう)()
(くに)(おも)ふ (みち)(ふた)つは なかりけり いくさの()に ()つも()たぬも
求不得苦(ぐふとっく)  有田(うでん)憂田(うでん) 有宅(うたく)有宅(うたく)   無量寿経(むりょうじゅきょう)  () 求不得苦(ぐふとっく)
熊谷(くまがい)次郎(じろう)直実(なおざね)  浄土(じょうど)にも (ごう)のものとや 沙汰(さた)すらん 西(にし)()いて (うし)ろみせねば   熊谷(くまがい)次郎(じろう)直実(なおざね) 恭敬(くぎょう)(しゅ)
熊谷(くまがい)(れん)(せい) ()むれば(すなわ)(ほとけ)(ふく)み、()むれば(すなわ)(ほとけ)()く「寐(そく)(がん)(ぶつ)(かく)(そく)()(ぶつ)」 (にんちょう)上人() 善導(ぜんどう)大師(だいし) (熊谷(くまがい) (れん)(せい) 藤枝(ふじえだ) 蓮華寺(れんげじ)
(くも)とわかつ (とも)かや(かり)の ()きわかれ
(くも)にただ 今宵(こよい)(つき)を まかせてむ いとふとしても ()れぬものゆゑ
苦樂(くらく)   (さか)三里(さんり) (つら)さが(たの)し 里帰(さとがえ)り 若葉(わかば)彼方(あなた) (もも)()(いえ)  苦樂(くらく) 故郷(ふるさと)
黒田(くろだ)上人() 伊賀(いが)黒田(くろだ)上人() (しゅん)(じょう)(ぼう)重源(ちょうげん)  東大寺(とうだいじ) 大仏(だいぶつ)再建(さいこん) ()(ごう)始祖(しそ)
()()るは(ぜん)(ごう)をひらく(しょ)(もん)なり。 愚痴(ぐち)
君子(くんし) 真実(しんじつ) 白魚(しらうお)の (あら)えば(にご)る 清水(しみず)かな 表面(ひょうめん)   虚仮(こけ) 真実(しんじつ) 
群書(ぐんしょ)(るい)(しゅう)  (ばん)(まち)で ()あきめくらに (みち)()き    (はなわ) () 己一(きいち)   天満宮(てんまんぐう)   群書(ぐんしょ)(るい)(しゅう)
ゲーテ  (なみだ)とともにパンを()べた(もの)でなければ、人生(じんせい)(あじ)はわからない  ゲーテ
(けが)れ (いけ)(みず) (ひと)(こころ)に ()たりけり (にご)りすむ(こと) さだめなければ 法然上人() (つみ) (けが)れ 清浄(しょうじょう) (こころ) (にご)
懈怠(けたい)  ()(しゅ) 恭敬(くぎょう)(じゅ)高慢(こうまん)  ()()(しゅ)(ぞうき)起   無間(むけん)(じゅ)懈怠(けたい)   (じょうじ)(しゅ)退転(たいてん)
懈怠(けたい)無間(むけん)(じゅ)   懈怠(けたい)(こころ)修正(しゅうせい)するために 三種(さんしゅ)行儀(ぎょうぎ)
結婚(けっこん)  (もも)(よう)(よう)たる、その()(しん)(しん)たり、(この)()(いえ)(とつ)ぐ、かの(いえ)(ひと)(よろし)し 大学(だいがく)   (もも) () 結婚(けっこん)
結婚(けっこん)  昔、ある青年が菩提心を起こして、是非とも仏になりたい。そのためには当時の仏様にお花を供養しなければならない、弟子入りの作法として。そこで、お花を捜すんですが、どこの花屋にも花がないんです。ないはずです。その国の王様が、仏様にお花を供養したら功徳が大きいということを聞いて、国中の花を独占して買い占めていた。だから、どこの花屋にも花がない。はなはだ困った……。そこへ、一人の娘さんが花を持ってきます。「その花を私に分けてください」「分けられません」「どうして」「これは王様に予約済みです。今から持っていって、頂くお金が私の貧しい家の足しになるんです」「いや、私はどんな犠牲を払ってもその花がほしい」「あなた、どうしてそんな無茶なことおっしゃるんですか」「私は今、菩提心を起こし、是非とも仏になりたい。成仏をしたい。だから、仏様にお花を供養したい。出来たら、あなたも私と一緒にお花を供えてくれませんか」その青年の意気に感じた娘さんが、赤い花を青年に渡し、自分は白い花を持って、ふたり揃って仏様にお花を供養した。二人の若者の捧げた花は、永遠にしぼまなかったが、王様の独占したお花は一晩にしてしぼんだ。それがご縁となって、ふたりは結ばれて結婚をします。それが、その世だけの契りではなくして、その次の世もその次の世も、二人は結ばれて夫婦になる。そうして先程申したように、力を合わせ心をひとつにして成仏めざして修養した。最後に青年が、インドの国シッダルタ太子として現れて、最後に釈迦牟尼仏という成仏の位に到達した。そうして、娘がヤソダラ姫となって青年と結婚し、釈迦牟尼仏によって救われて成仏します。そうやって仏教の結婚は、夫婦が成仏めざして互いに助け合い、補い合いながら修養していこうじゃないか、これが仏教の結婚観でございます。と共に、夫婦がひとつになるということは、容易ならぬ過去からの(えん)があったわけでございますね。「生まれる前から結ばれていたそんな気がする紅の糸」、これ『命くれない』……。そういうわけで、どうぞひとつ、結婚ということは単なる子孫保存だけが目的じゃなく、修養のためだ、成仏のための結婚であるということを忘れないでいただきたいのでございます。
()(やく)  摂化(せっけ)  摂取(せっしゅ)()(やく)
(げん) 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  (げんにびぜつしんに)耳鼻舌身意(じんに) が(きよ)められる 色声香味触法(いろしょうこうみしょくほう)(ぜん)5つが五塵(5じん) 五賊(ごぞく)二河白道(にがびゃくどう)) (こころ)三垢(3あか)(わく)(ごう)()
建久(けんきゅう)二年(1191(ねん)2月27日)、あらぬことを吹聴する(もの)たちの告げ口によって、法然上人()には源元彦という(かえ)俗の名前が与えちれ、流罪(るざい)の命が下されたので、上人の教導を仰ぐ道(ぞく)貴賎は皆んな欺き悲しみ合ったが、上人はこの下命に触れて、むしろ喜び従う御様子をなさって、「源空が流罪という羽目を受けることは、遠い地方にも念仏教化の(えん)が熟したということで、誠に喜ばしいことなのです。広くあらゆる人々を教化して、念仏の信仰(しんこう)に導き入れましよう」とまでおっしゃった。法然上人の御慈悲からするそうした御誓願の趣きが外に顕われて、しみじみと(とうと)く思われた。月輪殿(九条兼実(かねざね)公)はしばらく御別れしなければならない欺きを静めるために、法性寺の小御堂に法然上人を一夜おとめ申し上げた。そのとき依然上人は、「会者定離はこの世の道理であつて、今に始まることでほありません。どうして深く欺く必要がありましょうか。ずっと以前からの縁が空しいものでないならば、行く末は同じ蓮台に坐ることになりましょう。浄土での再会も間もないものです。今のお別れは、ひと時の悲しみであつて、春の夜の夢のようなものです。念仏の教えが(しん)(じゅん)されようが誹謗(ひぼう)されようが、それぞれを(えん)として先ずは自らが往生して、後の人たちを導くよぅにいたしましょう。引接(えん)というのは、極楽浄土の「楽」の一つでもあるのです(往生(おうじょう)(よう)(しゅう))。私どもはこの現世ですら疎遠な間柄ではなかったのですから、同じ名号を唱え、同じ光明の中に在って、同じ(しょう)衆の護念を蒙るのです。信仰(しんこう)を同じくしでいる者は、最も親しい間柄であるのですから、思慮もなく、疎遠となってしまうと(おも)われてはなりません。南無阿彌陀佛()(とな)えなされば、たとえ住所(じゅうしょ)(へだ)たっていても、源空(げんくう)(した)しいのです。というのも、源空もまた南無阿弥陀仏と唱え申し上げているからです。念彿を(こと)(こと)としない人は、たとえ源空と肩を並べ、膝を交えたとしても、漁空には疎遠の人なのです。身・口・意の(3)(ごう)が皆、私とは異なつているからです。」とおしゃたので、月輪(つきのわ)殿(でん)(かな)しみの(こころ)(みだ)れさせて、一言(ひとこと)(かた)られなかった。同建久二年三月十六日、法然上人は(ほう)()を出立されて、配所に赴かれた。配所は讃岐国の小松の庄である。このように門弟の住(れん)・安楽が不善の行いをした過失の責任があると吹聴し中傷する言動によって、罪なき上人は流罪にされてしまったのである。このように言葉巧みに告げ口をして人を陥れる者らの訴えによって左遷された賢者たちは昔から例がないわけではない。わが国では役行者、菅原道真、他国では唐の一行阿闍梨、詩人で宮人であつた白楽天などは、いずれも罪なくして流罪地に住まわれた人たちである。そもそも(ほとけ)や菩薩が衆生の機根に応じて化現されるその巧みな方便は、凡夫の知を越えた(はか)り難いものである。だから、仏(ほう)(しん)順されようが、仏法が誹謗(ひぼう)されようが、(ぶつ)菩薩はそれぞれに縁を結ばれるので、逆縁も共に益を受けることになるのである。法然上人が流罪の地に赴かれたので、都は闇夜に点る灯火を失ったかのようであり、地方は仏(ほう)に暗い地であったのに灯火を得たようであつた。従って、都は悲しみにつつまれ、田舎は喜びにつつまれ、都の人は悲しみのうちに念(ぶつ)を唱え、田舎の人は喜びのうちに称名念彿をしたのである。このように、悲しみにつけ喜びにつけ、(ぜん)を勧めるそうした(ぶつ)菩薩の教化利益は誠に巧みであり貴いものである。
現実(げんじつ) ()をすてて ()(すく)(ひと)も ますものを (くさ)(あん)に ひまもとむとは 良寛(りょうかん)  理想(りそう)現実(げんじつ)
現象学(げんしょうがく)  法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさつ)()(こう)思唯(しゆい)阿弥陀(あみだ)(さま)(ほう)(しん)阿弥陀(あみだ)(さま)である。(()()()(しゅう)) (()()()(しゅう)()()()(しゅう)現象学(げんしょうがく)による。)
謙遜(けんそん) 天狗と反対の心である。天狗は仏道修行の上で一番の禁物である。大ミオヤさまからお育てをいただいたみ恵みを人さまに話したりすると、この天狗の魔につけ入られて信仰が進まなくなる。鼻が高くては五体投地の礼拝の時に額が地につきません。“稔るほど頭を垂るる稲穂かな″ である。
(けん)(みが)けば(みが)くほど (ひかり)()
見佛(けんぶつ) 阿弥陀仏(あみだぶつ)と (もう)すばかりを つとめにて 淨土(じょうど)荘厳(しょうごん) ()るぞうれしき 法然上人() 浄土(じょうど) 荘厳(しょうごん) 見佛(けんぶつ) 念仏(ねんぶつ) 三昧(さんまい)
見佛(けんぶつ) 煩悩(ぼんのう)()さえられ ()えねども ()えず(われ)らを (しょう)()(たま)う 煩悩(ぼんのう) 護念(ごねん) (ほとけ) 増上(ぞうじょう)
()  形見(かたみ)とて はかなき(おや)の とどめてし この(わか)れさえ いかにせん 法然上人()15(さい)比叡山(ひえいざん) (はた)(うじ) (はは)親子(おやこ)
()  (ぎん)のくがねも (たま)もせむに まされる(たから) () にしかめやも
()  里帰(さとがえ)り ()どものまえで ()にかえる  (おや)  ()
(こい) かりそめの いろにゆかりの こいにだに あふには()をも をしみやはする 法然上人() (こい) 
(こい) われはただ ほとけにいつか あふいぐさ こころのつまに かけぬひぞなき 法然上人() (こい) 父子(ふし)相好(そうごう)
古池(こいけ)や (かえる)()びこむ (みず)(おと)  (松尾(まつお)芭蕉(ばしょう)
()いしきと (おも)(こころ)は われならで (おや)(こころ)の かよい()るなり
(こい)しくて 阿彌陀(あみだ)ぶつぶつ (とな)うれば 弥陀(みだ)はこの()に すれつもつれつ
()いしくば (ほとけ)御名(みな)を (とな)ふれば われも(ひかり)の うちにこそあれ
(ごう)  三垢(さんく) (こころ)三垢(3あか)(わく)煩悩(ぼんのう)(ごう)=悪業(あくごう)()受苦(じゅく)) 垢質(くしつ)
(ごう) 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  (げんにびぜつしんに)耳鼻舌身意(じんに) が(きよ)められる 色声香味触法(いろしょうこうみしょくほう)(ぜん)5つが五塵(5じん) 五賊(ごぞく)二河白道(にがびゃくどう)) (こころ)三垢(3あか)(わく)(ごう)()
剛毅(ごうき) 意志の堅固をいう。ひと握りの綿火薬を爆発させても何の威力もないが、これに特別の装置を加えると、大巌をも砕くのである。一滴の水といえども、二疋の方向と不断の勢力を与えれば石をもうがつのである。意志また然りで、志すところ透徹せずんばやまざる執着心と勇気と意志は万物を開拓することができるのである。苦境に遭遇しても、これにくじけることなく、これを乗り越えてゆく力をいうのである。
(こう)()   (ぜん)(ねん)()(ねん)念念(ねんねん)   「念念(ねんねん)(ぼん)(しょう)(かい)(じょう)(こう)」((こう)())(法事讃(ほうじさん)
高山と海こそは山ながらかくも現しく海ながらしか真ならめ人は花物ぞうつせみの世人(こうざんとうみこそはやまながらかくもうつつしくうみながらしかまことならめじんははなものぞうつせみのせじん)
上野国(こうづけのくに)赤城(あかぎ)(やま)(みなみ)(ふもと)大胡(おおご)というところがある。藤原(ふじわら)秀郷(ひでさと)後胤(こういん)で、この地方(ちほう)勢力(せいりょく)()大胡(おおご)()のり、頼朝(よりとも)(こう)鎌倉(かまくら)(おこ)れるとき、()(さん)じて御家人(ごけにん)となった一族(いちぞく)建久(けんきゅう) 六年(ろくねん)二月(にがつ)將軍(しょうぐん)が、(いわ)清水(しみず)参詣(さんけい)あそばされた(とき)供奉(ぐぶ)(なか)()せらえれておりますから、当時(とうじ)上洛(じょうらく)して上人()(けん)(ざん)せるも、公事(くじ)(ひま)なく(かん)(すく)なくして、充分(じゅうぶん) 法門(ほうもん)沙汰(さた)にもあずからず、帰国(きこく)
(こう)は 百行(ひゃくぎょう)(もと)
(ごう)はただ 万事(ばんじ)はいらず 常不軽(じょうふきょう) 菩薩(ぼさつ)(ぎょう) 殊勝(しゅしょう)なりける   (良寛(りょうかん) 歌集(かしゅう)より)
高弁(こうべん)  めしいたる (かめ)()()に あうなれや たまたま()たる (のり)(はし)(ぶね)  高弁(こうべん)  本願(ほんがん)()う (かめ)
弘法大師(こうぼうだいし)  空海(くうかい)が (こころ)のうちに ()(はな)は 弥陀(みだ)より(ほか)に ()(ひと)はなし  弘法大師(こうぼうだいし) 信心(しんじん)(はな)
高慢(こうまん)  ()がるほど (ひと)()あぐる (ふじ)(はな)    高慢(こうまん)  (まん)
高慢(こうまん)  ()がるほど (ひと)()あぐる (ふじ)(はな)    高慢(こうまん)  (まん)
高慢(こうまん)  ()(しゅ) 恭敬(くぎょう)(じゅ)高慢(こうまん)  ()()(しゅ)(ぞうき)起   無間(むけん)(じゅ)懈怠(けたい)   (じょうじ)(しゅ)退転(たいてん)
光明(こうみょう)  ()えられぬ (ひかり)のみ()に ()きしめて (つね)(われ)らを 愛撫(あいぶ)(たま)う 無碍(むげ)(こう) 光明(こうみょう) 護念(ごねん) 愛撫(あいぶ) 増上(ぞうじょう)
光明(こうみょう)  同一(どういつ)名号(みょうごう)(とな)え、同一(どういつ)光明(こうみょう)(なか)にありて、(どう)(しょう)(じゅ)護念(ごねん)(こうむ)同胞(どうほう)(もっと)(した)し。(おろ)かに(うと)しと(おも)うべからず。 名号(みょうごう) 光明(こうみょう) (しょう)(じゅ) 別時(べつじ) 護念(ごねん) 同胞(どうほう) 
光明(こうみょう)  煩悩(ぼんのう)()さえられて 摂取(せっしゅ)光明(こうみょう)みえざれども 大悲(だいひ)ものうきことなくて (つね)()()()らすなり 光明(こうみょう) 摂取(せっしゅ) 慈悲(じひ)
光明(こうみょう)はくまなくそそぐ  (かぎ)()きいのちに()きよ  人間(にんげん)智慧(ちえ)なたのみそ  み(めぐ)みは(ひと)(えら)ばず  ただ(たの)阿弥陀(あみだ)(ほとけ)とおしえたる  いみじさの我等(われら)祖師(そし)や  A煩悩(ぼんのう)()てとは()らず  みだれたる(こころ)もゆるし  人間(にんげん)(さが)のまにまに  み(ほとけ)(くに)()()く  この(みち)(だれ)かひらきしなさけある  (した)わしのわれらが祖師(そし)や  (佐藤(さとう)春夫(はるお) 作詞(さくし)法然上人()(しょう) 煩悩(ぼんのう) 阿弥陀(あみだ) 光明(こうみょう) 祖師(そし)
光明(こうみょう)(ほん)願力(がんりき)である。 本願(ほんがん)
光明(こうみょう)遍照(へんじょう)  (つき)かげの (いた)らぬ(さと)は なけれども ながむる(ひと)の こころにぞすむ   ()む ()む ()む 光明(こうみょう)遍照(へんじょう) 観経(かんぎょう) (だい)(9)
(こえ)(こころ)がはこばれて (とな)うるごとに(かよ)()く ()てぬ(ちか)いのたのもしさ 大慈大悲(だいじだいひ)のひざの(うえ)
五感(ごかん)  (こころ) 五感(ごかん)によって(こころ)(つく)る (ほう)
五感(ごかん)  四智(しち) 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  1、(げんにびぜつしんに) 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】大円鏡智は 第8阿頼耶識が転じて智慧を得る。平等性智は第7まなしき【末那識】が転じて智を得る。妙観察知は第6意が転じて智を得る。成所作智は第1から5までの五感が転じて智を得る。
五逆(ごぎゃく)  (ただ)(たの)め よろずの(つみ)は (ふか)くとも ()本願(ほんがん)の あらんかぎりは  本願(ほんがん) (つみ) 十悪(じゅうあく) 五逆(ごぎゃく)
去行(こぎょう)  (あん)とは安置(あんち)なり、(しん)とは(しん)(ねん)なり。(ねん)所求(しょぐ)所帰(しょき)去行(こぎょう)(3)つに()くを安心(あんじん)という。 聖冏(しょうげい)観経(かんぎょう)(でん)(つう)() 9) 安置(あんち) 所求(しょぐ) 所帰(しょき) 去行(こぎょう) 安心(あんじん)
虚空界尽(こくうかい つ)きなば、わが礼はすなわち尽きん。虚空界は尽くすべからざるが故に、わがこの礼敬も窮尽あることなく、かくの如く乃至衆生界尽き、衆生の業尽き、衆生の煩悩尽きなば、わが礼、すなわち尽きん。而して衆生界乃至煩悩は尽きることなきが故に、わがこの礼敬には、窮尽あることなし。念々に相続して間断あることなく、身、語、意業において疲厭(ひえん)(ひえん)あることなし。」
極楽(ごくらく) 昨日(きのう)まで (おに)()みにし (むね)殿(どの)も 今日(きょう)みだ(そん)の 御堂(みどう)とはなる
極楽(ごくらく)は (ほとけ)のいます (くに)なれば (ほとけ)(とも)に ()めば極楽(ごくらく)。 徳本  地獄(じごく)とは (おに)()みける (くに)なれば (おに)一緒(いっしょ)に ()めば地獄(じごく)よ。 睡時(すいじ) (とく)(ほん)
極楽(ごくらく)へ つとめて(はや)く いで()たば ()のをわりには (まい)りつきなん
極楽(ごくらく)へ つとめて(はや)く いで()たば ()のをわりには (まい)りつきなん 法然上人() 往生(おうじょう) 
虚仮(こけ)  白魚(しらうお)の (あら)えば(にご)る 清水(しみず)かな 表面(ひょうめん)  虚仮(こけ) 真実(しんじつ) 
五劫思唯(ごこうしゆい)  (あつ)()も (さむ)きその()も (ゆき)()も 五劫思唯(ごこうしゆい)の ことを(おも)えば    荒巻(あらまき)くめ   五劫思唯(ごこうしゆい)  (あつ)い  (さむ)い  (ゆき)
(こころ)  (じょう)不浄(ふじょう) 元々(もともと)はないけれども自分(じぶん)(つく)っていく (こころ)(あか)でつくる。 ()(くるま) (つく)大工(だいく)は おらねども (おの)がつくりて (おの)()()く  自我(じが)オレガの(こころ)(つく)っていく。
(こころ)  煩悩(ぼんのう)をば(こころ)客人(まろうど)として、念佛(ねんぶつ)(こころ)主人(あるじ)としつらえば(あなが)ちに往生(おうじょう)をば(さわ)ぬなり((7)箇条(かじょう)起請文(きしょうもん) 7)煩悩(ぼんのう)客人(まろうど)念仏(ねんぶつ)主人(しゅじん)
(こころ) (いけ)(みず) (ひと)(こころ)に ()たりけり (にご)りすむ(こと) さだめなければ 法然上人() (つみ) (けが)れ 清浄(しょうじょう) (こころ) (にご)
(こころ) 五感(ごかん)によって(こころ)(つく)る (ほう)
(こころ) (じょう)不浄(ふじょう) 元々(もともと)はないけれども自分(じぶん)(つく)っていく (こころ)(あか)でつくる。 ()(くるま) (つく)大工(だいく)は おらねども (おの)がつくりて (おの)()()く  自我(じが)オレガの(こころ)(つく)っていく。
(こころ) 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  (げんにびぜつしんに)耳鼻舌身意(じんに) が(きよ)められる 色声香味触法(いろしょうこうみしょくほう)(ぜん)5つが五塵(5じん) 五賊(ごぞく)二河白道(にがびゃくどう)) (こころ)三垢(3あか)(わく)(ごう)()
(こころ)(きよ)きにしたがって、仏土(ぶつど)(きよ)し。 (仏土(ぶつど)とは、私達(わたしたち)(こころ)(きよ)まることによって(ひら)かれてゆく世界(せかい)であり、仏土(ぶつど)がどこか(べつ)(ところ)存在(そんざい)しているということではない。 (こころ)仏土(ぶつど)とは(1)つの事柄(ことがら)であり、浄土(じょうど)(こころ)浄化(じょうか)する(往生(おうじょう))と(とも)に、その(こころ)浄土(じょうど)(ひら)かれてゆくのである。) (維摩経(ゆいまきょう) )
(こころ)(くも)れば(くも)ったままに、(みだ)るれば(みだ)れたままに、()めば()むままに、()()のままに、智者(ちしゃ)智者(ちしゃ)のまままに、(しき)(よう)(しき)(よう)のままに、(しん)()(しん)()のままに
(こころ)から よこしまに()る (あめ)はあらじ (かぜ)こそ夜半(やはん)の (まど)をうつらめ
(こころ)から よこしまに()る (あめ)はあらじ (かぜ)こそ夜半(やはん)の (まど)をうつらめ
(こころ)(きよ)きに(したが)って、仏土(ぶつど)(きよ)し 維摩(ゆいま)(きょう) 維摩(ゆいま)居士(こじ)御経(おきょう)
(こころ)だに まことの(みち)に かなひなば (いの)らずとても (かみ)(まも)らん
こころだに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん
(こころ)のはたらきは、(のう)ばかりではなく、全身(ぜんしん)(いとな)まれている
心よ(こころよ)人事(ひとごと)いはず 慇懃(いんぎん)に 慈悲ある人に 遠慮ある人
(こころ)より (こころ)(もの)を (おも)わする ()(くる)しむる ()()なりけり
(こころ)をば (こころ)(あだ)と 心得(こころえ)て (こころ)のなきを (こころ)とは()
(こころ)をば (こころ)(あだ)と 心得(こころえ)て (こころ)のなきを (こころ)とは()
此処(ここ)を   聖冏(しょうげい) 此処(ここ)()ること(とお)からず 実体実義主義 聖冏 無方 無分量
五重(ごじゅう)  (でん)(ぼう)形式(けいしき)(コップ) (でん)(かい)内容(ないよう) ((みず)) 五重(ごじゅう) (じゅ)(かい)()
五種(ごしゅ)正行(しょうぎょう)    三重(さんじゅう)(ぎょう)  1、五種(ごしゅ)正行(しょうぎょう) 2、(じょ)(しょう)二行(にぎょう) 3、専修(せんじゅ)一行(いちぎょう)  念佛(ねんぶつ)
()白川(しらかわ) (ほとけ)(つね)にいませど (うつつ)ならぬぞ あらわれなる (ひと)(おと)せぬ (あかつき)に ほのかに (ゆめ)に ()えたもう  ()白川(しらかわ)法王(ほうおう)
()(じん)  汚染(おせん) (じん)(きょう)  心情(しんじょう)汚染(おせん)するから(じん)(きょう)  ()(じん)
()(じん)  六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  (げんにびぜつしんに)耳鼻舌身意(じんに) が(きよ)められる 色声香味触法(いろしょうこうみしょくほう)(ぜん)5つが五塵(5じん) 五賊(ごぞく)二河白道(にがびゃくどう)) (こころ)三垢(3あか)(わく)(ごう)()
(こずえ) あみだぶに そむる(こころ)の いろにいでば あきの(こずえ)の たぐいならまし 法然上人() (あき) ()める (こずえ)
(こずえ)()く (かぜ)(こころ)は いかがせん したがふ(はな)の (うら)めしきかな
梢吹(こずえふ)く (かぜ)の心はいかがせんしたがふ花の恨めしきかな
小僧(こぞう)とオカラの(はなし) ((しょ)()目的(もくてき)だけで、(なに)をするのか?)
()(ぞく) 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  (げんにびぜつしんに)耳鼻舌身意(じんに) が(きよ)められる 色声香味触法(いろしょうこうみしょくほう)(ぜん)5つが五塵(5じん) 五賊(ごぞく)二河白道(にがびゃくどう)) (こころ)三垢(3あか)(わく)(ごう)()
東風(こち)ふかば (にお)ひおこせよ (うめ)(はな) あるじなしとて (はる)(わす)れそ  (菅原道真(すがわらのみちざね)
(こっ)(しょ)より つくりいとなむ 殿堂(でんどう)に われも黄金(こがね)(くぎ) (ひと)()
(こっ)(しょ)より つくりいとなむ 殿堂(でんどう)に われも黄金(こがね)(くぎ) (ひと)()つ (与謝野(よさの) 晶子(あきこ)
ことしげき 心よりさく 物思(ものおも)ひ の(はな)(えだ)を ばつらつ()につく
事足(ことた)らぬ ()をな(うら)みそ (かも)(あし)(みじ)うてふぞ()かむ()もあれ
子供(こども)らと ()まりつきつつ この(さと)に (あそ)春日(はるび)は ()れずともよし
護念(ごねん)  ()えられぬ (ひかり)のみ()に ()きしめて (つね)(われ)らを 愛撫(あいぶ)(たま)う 無碍(むげ)(こう) 光明(こうみょう) 護念(ごねん) 愛撫(あいぶ) 増上(ぞうじょう)
護念(ごねん)  同一(どういつ)名号(みょうごう)(とな)え、同一(どういつ)光明(こうみょう)(なか)にありて、(どう)(しょう)(じゅ)護念(ごねん)(こうむ)同胞(どうほう)(もっと)(した)し。(おろ)かに(うと)しと(おも)うべからず。 名号(みょうごう) 光明(こうみょう) (しょう)(じゅ) 別時(べつじ) 護念(ごねん) 同胞(どうほう) 
護念(ごねん)  煩悩(ぼんのう)()さえられて 摂取(せっしゅ)光明(こうみょう)みえざれども 大悲(だいひ)ものうきことなくて (つね)()()()らすなり 光明(こうみょう) 摂取(せっしゅ) 慈悲(じひ)
護念(ごねん) 煩悩(ぼんのう)()さえられ ()えねども ()えず(われ)らを (しょう)()(たま)う 煩悩(ぼんのう) 護念(ごねん) (ほとけ) 増上(ぞうじょう)
この(あき)は (あめ)かあらしか ()らねども 今日(きょう)のつとめの (くさ)()るかな
このたびは 迷ひ悟の 分けめなり あつささむさも 厭ふべきかは
この秋は 雨か嵐か 知らねども けふの努めの種をまくかな
この年も またいたづらに 暮らし来て 春に逢はんと 思はざりけり
()()して たどりゆくらん ()()(たび) (みち)()れずとて かえりこよかし
(こめ) 一粒(ひとつぶ)の米の中にも、一滴の水の中にも一枚の紙の中にも、法身の血は通い、生命は宿っている、一切万物は生き物である。故に古徳たちは「粒々皆是仏身、滴々悉是仏物」と申されて、一粒のお米の中に通っている法身の血、一滴の水の中に宿っている法身の命を拝んで、これを大切にし、粗末にせず、勿体ないの生活に明け暮れなさいました。鳥や魚を殺すことだけが殺生では決してなく、天地一切のものは法身から産んでいただいた、法身の血の通い命の宿っているものであるから、物を大切にしない、粗末にするということが、とりもなおさず、その物の中に宿っている命を殺している、これが殺生である。積極的には物を大切にしてゆくということでありましょう。この粗末にしない、大切にする、勿体ないという生活のそこに、私たちの消費生活はひきしまってくるとおもうのであります。
(こめ)(わら) (こめとわら)田植えが終ると稲は青々と成長していく。秋風が吹きそめると稲はだんだん枯れていくが、穂の先にはお米がだんだん稔りへ稔りへと近づいていく。収穫期になって刈りとられた稲は藁となり、藁は来年稲田にまいても芽の出ない死んだもの、しかるに穂の先に稔ったお米を来年稲田にまけば、お米から芽が出る、すなわちお米は死なない命である。そのお米が稔るためには太陽のお恵みをうけなければならない。
ごめんなさい。  懺悔(さんげ)  (つぎ)()は よき(むし)()まれこよと ()()わせつつポリドールまく  (むし) (ころ)す 懺悔(さんげ)
子らは皆 戦の庭に 出ではてて 翁や一人 山田守るらむ(こらはみな いくさのにわに でではてて おきなやひとり やまだまもるらむ)
これはこれはとばかり花の吉野山
これを()ん おりおりことに おもひてて 南無阿彌陀佛()と (つね)にとなえよ 法然上人() 精進(しょうじん) 称名(しょうみょう) 
(ころ)す  (つぎ)()は よき(むし)()まれこよと ()()わせつつポリドールまく  (むし) (ころ)す 懺悔(さんげ)
()(おも)(おや)(こころ)  (わたし)(おも)(ほとけ)(こころ)  親子(おやこ) (おや)() 阿弥陀(あみだ) (ほとけ)
(こん) (げん) (ざい) (せつ) (ぽう)
欣求(ごんぐ)  今日(きょう)もまた (こころ)(かね)を ()()らし ()()らしつつ (あこが)れていく
欣求(ごんぐ)浄土(じょうど)  (そう)安心(あんじん) 厭離穢土(えんりえど) 欣求(ごんぐ)浄土(じょうど)    (べつ)安心(あんじん) 三心(さんじん)  至誠心(しじょうしん) 深心(じんしん) 回向(えこう)発願(ほつがん)(ごころ)  安心(あんじん)
(ざい)()  (てら)()()る (かえ)りは(くも)る (いえ)(かえ)れば (あめ)()る  (えん)(ざい)()(ざい)(こころ) (ざい)(えん) (ざい)決定(けつじょう)
(ざい)() (てら)じゃてるてる (みち)では(くも)る うちに(かえ)れば (あめ)()る  (えん)(ざい)()(ざい)(こころ) (ざい)(えん) (ざい)決定(けつじょう)
(ざい)(えん) (てら)じゃてるてる (みち)では(くも)る うちに(かえ)れば (あめ)()る  (えん)(ざい)()(ざい)(こころ) (ざい)(えん) (ざい)決定(けつじょう)
(ざい)決定(けつじょう) (てら)じゃてるてる (みち)では(くも)る うちに(かえ)れば (あめ)()る  (えん)(ざい)()(ざい)(こころ) (ざい)(えん) (ざい)決定(けつじょう)
西(さい)(しん)  きささぎの (なか)五日(いつか)の 夜半(よわ)(つき) ()りにしあとの (やみ)ぞかなしき 西(さい)(しん)  涅槃(ねはん) 釈迦(しゃか)
(ざい)(しん) (てら)じゃてるてる (みち)では(くも)る うちに(かえ)れば (あめ)()る  (えん)(ざい)()(ざい)(こころ) (ざい)(えん) (ざい)決定(けつじょう)
(ざい)(しん) (てら)()()る (かえ)りは(くも)る (いえ)(かえ)れば (あめ)()る  (えん)(ざい)()(ざい)(こころ) (ざい)(えん) (ざい)決定(けつじょう)
最澄(さいちょう) ()(なか)(ごく)()(きょう)(なか)(ごく)(きょう)(じん)禿(とく)有情(うじょう)(てい)()最澄(さいちょう)
災難(さいなん)(あう)時節(じせつ)には、災難(さいなん)(あう)がよく(そうろう)()時節(じせつ)には、()ぬがよく(そうろう)(これ)はこれ災難(さいなん)をのがるる妙法(みょうほう)にて(そうろう)
(さい)河原(かわら) 持戒(じかい)念仏(ねんぶつ)往生(おうじょう)() ()(なか)は (さい)河原(かわら)の (いし)なれや ()んではくずし くずしては()む  ()(なか) (さい)河原(かわら) (いし) ()
西方(さいほう)  聖冏(しょうげい) 此処(ここ)()ること(とお)からず 実体実義主義 聖冏 無方 無分量
西方(さいほう)  本来(ほんらい)()東西(とうざい) 何処(どこ)()南北(なんぼく) 本来(ほんらい)(ひがし)西(にし)もない のに 何処(どこ)南北(なんぼく)があろうか (じつ)(たい)(じつ)()主義(しゅぎ) 聖冏(しょうげい) ()(ほう) ()分量(ぶんりょう)
西方(さいほう)()って(しょ)()()し、弥陀(みだ)()って(しょ)()()し、念仏(ねんぶつ)」を()って()(ぎょう)()す((しょ)()(しょ)()()(ぎょう)
()えられぬ (ひかり)のみ()に ()きしめて (つね)(われ)らを 愛撫(あいぶ)(たま)う 無碍(むげ)(こう) 光明(こうみょう) 護念(ごねん) 愛撫(あいぶ) 増上(ぞうじょう)
さえられぬ (ひかり)もあるを をしなへて (へだ)(かお)なる (あさ)(かすみ)かな
さえられぬ (ひかり)もあるを をしなへて (へだ)(かお)なる (あさ)(かすみ)かな   (はる) 法然上人() 無碍(むげ)(こう)(どんな(もの)があってもさえぎることがない)
さえられぬ (ひかり)もあるを をしなへて (へだ)(かお)なる (あさ)(かすみ)かな   (はる) 法然上人() 無碍(むげ)(こう)(どんな(もの)があってもさえぎることがない)
(さか) 人生(じんせい)には(3)っつの(さか)がある。 (のぼ)(ざか)(くだ)(ざか)、そしてもう(ひと)つ、まさかという(さか)。 (のぼ)(ざか)(くだ)(ざか) まさか?
(さか)三里(さんり) (つら)さが(たの)し 里帰(さとがえ)り 若葉(わかば)彼方(あなた) (もも)()(いえ)  苦樂(くらく) 故郷(ふるさと)
さかりをば 見る人多し  散る花の  あとを訪ふこそ  情けなりけり  (はな)   (なさ)
()がるほど (ひと)()あぐる (ふじ)(はな)    高慢(こうまん)  (まん)
先立(さきだ)たば おくるる(ひと)を まちやせん (はな)(うてな)に なかばのこして
先立(さきだ)ちし (ひと)よかれとの追善(ついぜん)は ()()よかれの (いの)りなりけり  回向(えこう) 追善(ついぜん)
(さけ) (ひと) 念仏(ねんぶつ) @(ひと)(さけ)()む A(さけ)(さけ)()む B(さけ)(ひと)をのむ  (さけ)念仏(ねんぶつ)にしたらよい。
作業(さごう)  ()(しゅ) 作業(さごう)()(しゅ)三種(さんしゅ)行儀(ぎょうぎ)) 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()()(しゅ) 無間(むけん)(じゅ) (じょうじ)(しゅ)
さし出る 鉾先折れよ 物毎に 己が心を 金槌として
作善(さぜん)   随喜(ずいき)(ぜん)功徳(くどく)作善(さぜん)(しゃ)のそれより(すぐ)れたり   作善(さぜん)
佐藤(さとう)春夫(はるお)  光明(こうみょう)はくまなくそそぐ  (かぎ)()きいのちに()きよ  人間(にんげん)智慧(ちえ)なたのみそ  み(めぐ)みは(ひと)(えら)ばず  ただ(たの)阿弥陀(あみだ)(ほとけ)とおしえたる  いみじさの我等(われら)祖師(そし)や  A煩悩(ぼんのう)()てとは()らず  みだれたる(こころ)もゆるし  人間(にんげん)(さが)のまにまに  み(ほとけ)(くに)()()く  この(みち)(だれ)かひらきしなさけある  (した)わしのわれらが祖師(そし)や  (佐藤(さとう)春夫(はるお) 作詞(さくし)法然上人()(しょう) 煩悩(ぼんのう) 阿弥陀(あみだ) 光明(こうみょう) 祖師(そし)
里帰(さとがえ)り ()どものまえで ()にかえる  (おや)  ()
(さと)(おんな)や (むぎ)骨折(ほねお)る うしろ(おび)
さとりとは (こころ)(なか)と (おも)いしに (にわ)(はな)さえ さとり(ひら)きつ
(さと)る 動詞(どうし)名詞(めいし)()()(かた)がある。 動詞(どうし)()()るならば、「目覚(めざ)め」「覚醒(かくせい)」「無辺(むへん)(さと)り」 (かく) ()づき
(さとる)とは 我性(がせい)(ごころ)を ()ることで なさけもあれば ()もあり
さへられぬ ひかりもあるを をしなべて へだてかおなる あさがすみかな 法然上人() (はる)
作法(さほう)  (しょ)(かい)(らく)  蓮華(れんげ)(はな)(ひら)くようにゆっくり両手(りょうて)(みぎ)(ひだり)(まえ)袱紗(ふくさ)(ひら)く 終わったら十念(じゅうねん)(のち)袱紗(ふくさ)()じる。説法(せっぽう) 作法(さほう) 袱紗(ふくさ)(ひら)(かた)()(かた)
さまざまの 色をつくして 咲く菊も かをりは一つ 庭の秋月
(さむ)い (あつ)()も (さむ)きその()も (ゆき)()も 五劫思唯(ごこうしゆい)の ことを(おも)えば    荒巻(あらまき)くめ   五劫思唯(ごこうしゆい)  (あつ)い  (さむ)い  (ゆき)
さやかなる 月の光の てらさすは 暗き道にや ひとりゆかまし
左様に、そら言を、たくみて、申し候ふらん人をば、帰りて哀れむべきなり。左程の者の、申さんによりて、念仏に疑いなし、不信を、発さん者は、云うに足らぬ程の、事にてこそは候はぬ。大方彌陀に縁浅く、往生に、時到らぬ者は、聞けども信ぜず、行うを見ては、腹を立て、怒りを含みて、妨げんとする事にて候なり。その心を得て、いかに人申すとも、御心ばかり、動がせ給うべからず。強(あなが)ちに信ぜざらんは、佛なお力及び、給うまじ。如何に況や凡夫の力,及び候ふまじき事なり。かかる不信の衆生を、利益せんと、思うわんに、つけても、とく(さよう)極楽へ、参りて、悟りを、開きて、生死に、返りて、誹謗不信の者をも、渡して、一切衆生、遍く利益せんと、思ふべき事にて候ふなり。『 勅伝 第二十八 』
(さん)(がく)()(ぶん)法然(ほうねん)愚痴(ぐち)法然(ほうねん)烏帽子(えぼし)()ざる(おとこ)
(さん)(がく)(はな)れて生死(しょうじ)()づべきの()あり、これ法然上人()のつくり(もの)であるとあるが(じつ)偉大(いだい)なるつくりものであります。
慚愧(ざんき) (ざん)(じん)()じ、()(てん)()ず。これを慚愧(ざんき)(めい)づく。()慚愧(ざんき)()づけて畜生(ちくしょう)とす。 涅槃經(ねはんきょう) (はじ) 慚愧(ざんき) 羞恥心(しゅうちしん)
三垢(さんく) (こころ)三垢(3あか)(わく)煩悩(ぼんのう)(ごう)=悪業(あくごう)()受苦(じゅく)) 垢質(くしつ)
三垢(さんく) 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  (げんにびぜつしんに)耳鼻舌身意(じんに) が(きよ)められる 色声香味触法(いろしょうこうみしょくほう)(ぜん)5つが五塵(5じん) 五賊(ごぞく)二河白道(にがびゃくどう)) (こころ)三垢(3あか)(わく)(ごう)()
懺悔(さんげ)  (つぎ)()は よき(むし)()まれこよと ()()わせつつポリドールまく  (むし) (ころ)す 懺悔(さんげ)
(さん)羯磨(こんま) 衆生(しゅじょう) (ぶっ)(かい)()けぬれば すなわち諸仏(しょぶつ)(くらい)()る。(くらい)(だい)(がく)(おな)(おわ)りなば、(まこと)にこれ諸仏(しょぶつ)(みこ)なり
三重(さんじゅう)(ぎょう)  1、五種(ごしゅ)正行(しょうぎょう) 2、(じょ)(しょう)二行(にぎょう) 3、専修(せんじゅ)一行(いちぎょう)  念佛(ねんぶつ)
三種(さんしゅ)行儀(ぎょうぎ)  ()(しゅ) 作業(さごう)()(しゅ)三種(さんしゅ)行儀(ぎょうぎ)) 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()()(しゅ) 無間(むけん)(じゅ) (じょうじ)(しゅ)
三種(さんしゅ)行儀(ぎょうぎ) 無間(むけん)(じゅ)   懈怠(けたい)(こころ)修正(しゅうせい)するために 三種(さんしゅ)行儀(ぎょうぎ)
三心(さんじん)  (そう)安心(あんじん) 厭離穢土(えんりえど) 欣求(ごんぐ)浄土(じょうど)    (べつ)安心(あんじん) 三心(さんじん)  至誠心(しじょうしん) 深心(じんしん) 回向(えこう)発願(ほつがん)(ごころ)  安心(あんじん)
三心(さんじん)  本願(ほんがん)三心(さんじん)一心(いっしん)()(らん)=「観経(かんぎょう)」 至心(ししん)信楽(しんぎょう)(よく)(しょう)()(こく)
三心(さんじん)  来迎(らいこう)往生(おうじょう)増上縁(ぞうじょうえん)、 三心(さんじん)往生(おうじょう)安心(あんじん)  往生(おうじょう) 増上縁(ぞうじょうえん) 三心(さんじん) 安心(あんじん)(勅修御伝随聞記19)
三心(さんじん) 往生(おうじょう)は よにやすけれど (みな)(ひと)の (まこと)(こころ) なくてこそせね 法然上人() 至誠心(しじょうしん) 三心(さんじん) (まこと)
三世(さんせ)流転(るてん)(しん) 1、現在(げんざい)罪悪(ざいあく)生死(しょうじ)凡夫(ぼんぶ)) 2、過去(かこ)(ひろい)(こう)以来(いらい)(つね)(もつ)) 3、未来(みらい)出離(しゅっり)(えん)あることなし)
(さん)(とう)()  なかぬなら殺してしまへ時鳥      織田右府(織田信長)
· 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉)
· なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康)
· 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火
(さん)(どく) 嗔恚(しんに)功徳(くどく)(はやし)()く 「(おそ)るべし カッと(いか)りの (むね)()が (われ)()()を ()()くすなり」腹立(はらだ)ち、(さん)(どく)煩悩(ぼんのう)
三宝(さんぼう)   @(ぶつ)名医(めいい)  A(ほう)名薬(めいやく) B(そう)看病(かんびょう)  恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
三宝(さんぼう)  住持(じゅうじ)三宝(さんぼう) @(ぶつ)絵像(えぞう)木像(もくぞう)  A(ほう)()(かみ)(しゅ)(じく) B(そう)剃髪(ていはつ) ()() 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
三宝(さんぼう) @(ぶつ)(あか)るく  A(ほう)(ただ)しく B(そう)(なご)やかに 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
三宝(さんぼう) @(ぶつ)(あか)るく  A(ほう)(ただ)しく B(そう)(なご)やかに 明治(めいじ) 大正(たいしょう) 昭和(しょうわ)
三宝(さんぼう) @(ぶつ)浄土(じょうど)弥陀(みだ)  A(ほう)念仏(ねんぶつ)()(のり) B(そう)浄土(じょうど)菩薩(ぼさつ) 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
三法印(さんぼういん) 諸行(しょぎょう)無常(むじょう) 諸法(しょほう)無我(むが) 涅槃(ねはん)寂静(じゃくじょう)
三昧(さんまい) 阿弥陀仏(あみだぶつ)と (もう)すばかりを つとめにて 淨土(じょうど)荘厳(しょうごん) ()るぞうれしき 法然上人() 浄土(じょうど) 荘厳(しょうごん) 見佛(けんぶつ) 念仏(ねんぶつ) 三昧(さんまい)
三輪(さんりん)清浄(しょうじょう)  布施(ふせ) (あた)える(ひと)(もの)(いただ)(ひと) の(みっ)つが清浄(しょうじょう)
()  ()きてよし ()してまたよし 極楽(ごくらく)の 弥陀(みだ)のみ(もと)に ()まる(うれ)しさ    生死(しょうじ) 阿弥陀(あみだ) 往生(おうじょう) 極楽(ごくらく) ()
() (せつ) ()  布施(ふせ)()(ぎょう) (あい)() 同時(どうじ)
上人()ある夜夢見らく。一の大山あり。その峯きはめてたかし。南北長遠にして西方にむかへり。山のふもとに大河あり。碧水(へきすい)北より出て、波浪南にながる。河原眇(びょう)々として辺際なく、林樹茫々として限数をしらず。山の腹にのぼりて、はるかに西方を見たまへば、地よりかみ五丈ばかりあがりて、空中に、聚(じゅ)の紫雲あり。この雲とび来りて、上人のところにいたる。希有の思をなし給ところに、この紫雲の中より、無量の光をいだす。光の中より孔雀鸚鵡(おうむ)等の、百宝色の鳥、とびいでゝ、よもに散じ、又河浜に遊戯(け)す。身より光をはなちて照耀(しょうよう)きはまりなし。其後衆鳥とびのぼりてもとのごとく紫雲のなかにいりぬ。この紫雲また、北にむかひて、山河をかくせり。かしこに往生人あるかと、思惟し給ほどに、又須叟にかへりきたりて、上人のまへに住す。やうやくひろごりて一天下に覆ふ。雲の中より一人の僧出て、上人の所にきたり住す。そのさま腰より下は、金色にして、こしよりかみは、墨染なり。上人合掌低頭して申給はく。これ誰人にましますぞやと。僧答給はく。我は是善導なりと。なにのために、来給ぞやと申給に、汝専修念仏を、ひろむること、貴(たっとき)がゆへにきたれるなり、との給と見て夢さめぬ。画工乗台におほせて、ゆめに見るところを図せしむ。世間に流布して、夢の善導といへるこれなり。その画像、のちに唐朝よりわたれる、影像に、たがはぎりけり。上人の化導、和尚の尊意にかなへること、あきらけし。しかれば、上人の勧進によりて、称名念仏を信じ、往生をとぐるもの、一州にみち、四海にあまねし。前兆のむなしからざる、たれの人か、信受せざらむ。
椎尾(しいお)辨匡(べんきょう) (とき)(いま) ところ足元(あしもと) そのことに うちこむ(いのち)  永久(とわ)のみいのち  椎尾(しいお)(べん)(きょう) (いま) 人権(じんけん) (いのち) 精進(しょうじん)
ジェンダーフリー 舎利(しゃり)(ほつ)女装(じょそう)登場(とうじょう)した(とき)にお釈迦様(しゃかさま)が「舎利(しゃり)(ほつ)(おとこ)か?(おんな)か?」と(たず)ねた!みんな(おとこ)ですよ!釈迦(しゃか)は「本来(ほんらい)(くう)(おとこ)(おんな)もない」「(くう)平等(びょうどう)同等(どうとう)(ちが)う」(くう)束縛(そくばく)されない、開放(かいほう)される。阿弥陀(あみだ)(さま)(まえ)平等(びょうどう)。  (おとこ)から開放(かいほう)される(まえ)(おんな)から開放(かいほう)されること。(仏教(ぶっきょう)(てき)に)
(しお)   ()(まえ)よりも()たらず、かねてうしろにせまれり。(ひと)みな()あることを()りて()つことしかも(きゅう)ならざるに(おぼ)えずして()る。(おき)干潟(ひがた)はるかなれども、(いそ)より(しお)滿(みつる)つるがごとし。  吉田(よしだ)兼好(けんこう) 徒然草(つれづれぐさ) () (しお) 
四恩(しおん) 1、父母(ちちはは) 2、国王(こくおう) 3、三宝(さんぼう) 4、衆生(しゅじょう)
自我(じが)  (じょう)不浄(ふじょう) 元々(もともと)はないけれども自分(じぶん)(つく)っていく (こころ)(あか)でつくる。 ()(くるま) (つく)大工(だいく)は おらねども (おの)がつくりて (おの)()()く  自我(じが)オレガの(こころ)(つく)っていく。
持戒(じかい)念仏(ねんぶつ)往生(おうじょう)() ()(なか)は (さい)河原(かわら)の (いし)なれや ()んではくずし くずしては()む  ()(なか) (さい)河原(かわら) (いし) ()
持戒(じかい)念仏(ねんぶつ)往生(おうじょう)() ()(なか)は (さい)河原(かわら)の (いし)なれや ()んではくずし くずしては()む  ()(なか) (さい)河原(かわら) (いし) ()
(しき)  (てん)(しき)()() (しき)(てん)じて()()る 四智(しち)  清浄(しょうじょう) 六根(ろっこん) 
四季(しき)  (はる)(はな) (なつ)ほととぎす (あき)(つき) (ふゆ)(ゆき)さえて すずしかりけり   道元(どうげん)禅師(ぜんじ) 四季(しき) 季節(きせつ) 春夏(はるなつ)(あき)(ふゆ)
四季(しき) (はる)(ひゃか)花あり、(あき)(つき)あり、(なつ)涼風(りょうふう)あり、(ふゆ)(ゆき)あり  四季(しき)季節(きせつ) 春夏(はるなつ)(あき)(ふゆ)  ()(かい)禅師(ぜんじ)
()帰依(きえ)(ぶつ) (とう)(がん)衆生(しゅじょう) (たい)()大同(だいどう) (ほつ)無上(むじょう)()(しん))  ((さん)帰依(きえ)(もん)(はじめ)言葉(ことば))(華厳経(けごんきょう) (じょう)(ぎょう)(ぼん)
敷島(しきしま)の 大和(やまと)(ごころ)を 人問(ひととい)はば 朝日(あさひ)(におい)ふ (やまさくらばな)桜花
(じき)()き ()(さいわい)を (よろこ)びて ()えに(くる)しむ (じん)(あわ)れめ
(じき)平等(びょうどう)布施(ふせ)差別(しゃべつ)
(じき)平等(びょうどう)とは大僧正(だいそうじょう)小僧(こぞう)も、十人(じゅうにん)十人(じゅうにん)百人(ひゃくにん)百人(ひゃくにん)(じき)において差別(しゃべつ)がない(ゆえ)平等(びょうどう)
しき島の 大和島根の をしへ草 神代の種の 残るなりけり
四苦(しく)   (しん) (ねん) (いち) (ひゃく) (さい)、 (ちょう) (しゅう) 八十(はちじゅう) () (100(さい)老親(ろうしん)が82(さい)()心配(しんぱい)していることで、老婆(ろうば)親切(しんせつ)である。その(うえ)往生(おうじょう)(ねが)い、念仏者(ねんぶつしゃ)になった)
四苦(しく)  はえば()て ()てば(あゆ)めの 親心(おやごころ) わが()()もる ()いを(わす)れて  (そだ)て (まも)り 親子(おやこ) (ろう) 四苦(しく)
()弘誓願(ぐせいがん)  ()六度(ろくど)) (だん) () (しょう)   
示現(じげん)  谷川(たにがわ)の ()()(した)の おぼれ(みず) (なが)るるもゆく (したた)るもゆく (つぶつぶもゆく ざらざらもゆく) 示現(じげん) (いわ)清水(しみず)八幡(はちまん) (はやし) 227
示現(じげん) 念珠(ねんじゅ)のとり(かた) 1、(しん)(しゅ)一称(いっしょう)(いち)() 粒粒(つぶつぶ)念佛(ねんぶつ) 2、(はや)くりーざら念佛(ねんぶつ)谷川の 木の葉の下の おぼれ水 つぶつぶもゆく ざらざらもゆく
地獄(じごく)  昨日(きのう)まで (おに)()みにし (むね)殿(どの)も 今日(きょう)みだ(そん)の 御堂(みどう)とはなる
地獄(じごく) 餓鬼(がき) 畜生(ちくしょう) 阿修羅(あしゅら) (ふつ) 菩薩(ぼさつ)なにに()ろうと ままな(いつ)(ねん)
()(しゅ)  (うやま)いて ただ()ばかり 日日(にちにち)に (いのち)のかぎり  (つと)むるが()(しゅ)  ()(しゅ)
()(しゅ)  (おこた)らず ()かば千里(ちさと)()ても()ん (うし)(あゆ)みのよし おそくとも 無間(むけん)(しゅ) ()(しゅ)
()(しゅ)  恭敬(くぎょう)(じゅ)  (やすし)(からだ)(うやま)う。  (けい)(こころ)(うやま)う。 (こころ)(した)()し、身体(しんたい)(うやま)う。日常(にちじょう)他人(たにん)(たい)する。 (こころ)(うやま)身体(しんたい)では(けい)ない 親子(おやこ)関係(かんけい)。 (ふつ)(たい)しては(こころ)身体(しんたい)(うやま)う。(なに)もいわないから!
()(しゅ)  三宝(さんぼう)   @(ぶつ)名医(めいい)  A(ほう)名薬(めいやく) B(そう)看病(かんびょう)  恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
()(しゅ)  住持(じゅうじ)三宝(さんぼう) @(ぶつ)絵像(えぞう)木像(もくぞう)  A(ほう)()(かみ)(しゅ)(じく) B(そう)剃髪(ていはつ) ()() 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
()(しゅ)  (べっ)(たい)三宝(さんぼう) @(ぶつ)浄土(じょうど)弥陀(みだ)  A(ほう)念仏(ねんぶつ)()(のり) B(そう)浄土(じょうど)菩薩(ぼさつ) 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
()(しゅ)  ()()(しゅ) ()とは余分(よぶん)なもの、()ざり()(こころ)で、余分(よぶん)のものを()ぜずに、ただ念佛(ねんぶつ)だけをの()   ()(しゅ)
()(しゅ) 恭敬(くぎょう)(しゅ) (かたち)(うやま)うを(く )(こころ)(うやま)うのを(ぎょう)。 1、有縁(うえん)(しょう)(にん)(うやま)う。2、有縁(うえん)知識(ちしき)(うやま)う。3、有縁の像教を敬う。4、(どう)(えん)(とも)(うやま)う。6、三宝(さんぼう)(うやま)う。  ()(しゅ)
()(しゅ) 恭敬(くぎょう)(じゅ)高慢(こうまん)  ()()(しゅ)(ぞうき)起   無間(むけん)(じゅ)懈怠(けたい)   (じょうじ)(しゅ)退転(たいてん)
()(しゅ) 作業(さごう)()(しゅ)三種(さんしゅ)行儀(ぎょうぎ)) 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()()(しゅ) 無間(むけん)(じゅ) (じょうじ)(しゅ) ((うやま)いて ただ御名(みな)ばかり (おこた)らず (いのち)(かぎ)(つと)むるが()(しゅ)
()(しゅ) 三宝(さんぼう) @(ぶつ)(あか)るく  A(ほう)(ただ)しく B(そう)(なご)やかに 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
()(しゅ)ともに 大事(だいじ)なれども ()(けん)(しゅ)が 大事(だいじ)のなかの 大事(だいじ)なりける   無間(むけん)(しゅ)
()(しょう)  (たい)(しょう)(らん)(しょう)湿(しつ)(しょう)化生(けしょう)
至誠心(しじょうしん)  (そう)安心(あんじん) 厭離穢土(えんりえど) 欣求(ごんぐ)浄土(じょうど)    (べつ)安心(あんじん) 三心(さんじん)  至誠心(しじょうしん) 深心(じんしん) 回向(えこう)発願(ほつがん)(ごころ)  安心(あんじん)
至誠心(しじょうしん) 往生(おうじょう)は よにやすけれど (みな)(ひと)の (まこと)(こころ) なくてこそせね 法然上人() 至誠心(しじょうしん) 三心(さんじん) (まこと)
至心(ししん)  本願(ほんがん)三心(さんじん)一心(いっしん)()(らん)=「観経(かんぎょう)」 至心(ししん)信楽(しんぎょう)(よく)(しょう)()(こく)
至心(ししん)に勧請す   三身即一に在ます如来よ 如来の真応身は在さざる処なきが故に今我身体は 如来の霊応を安置すべき宮なりと信ず 諸の聖者の心宮に在しし如く 常に我等が心殿に在らせ給え 今や己が身を献げて至心に如来の霊応を勧請し奉る 霊応常住に我心殿に在まして転法輪を垂れ給え
自身(じしん)(げん)に 罪悪(ざいあく)生死(しょうじ)凡夫(ぼんぶ)
(した) 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  (げんにびぜつしんに)耳鼻舌身意(じんに) が(きよ)められる 色声香味触法(いろしょうこうみしょくほう)(ぜん)5つが五塵(5じん) 五賊(ごぞく)二河白道(にがびゃくどう)) (こころ)三垢(3あか)(わく)(ごう)()
()(だい)() (唯識(ゆいしき)) 仏果(ほとけはたし)をきわめたときに具有(ぐゆう)する四種(よんしゅ)()。すなわち、大円鏡智(だいえんきょうち)平等(びょうどう)性智(せいさとし)妙観察智(みょうかんさつち)(しげ)所作智(しょさち)
(した)はしと (おも)(こころ)や (つう)ひけん むかしの(ひと)ぞ (ゆめ)()えける
()() (唯識(ゆいしき)) 仏果(ほとけはたし)をきわめたときに具有(ぐゆう)する四種(よんしゅ)()。すなわち、大円鏡智(だいえんきょうち)平等(びょうどう)性智(せいさとし)妙観察智(みょうかんさつち)(しげ)所作智(しょさち)
四智(しち) (てん)(しき)()() (しき)(てん)じて()()る 四智(しち)  清浄(しょうじょう) 六根(ろっこん) 
四智(しち) 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  1、(げんにびぜつしんに) 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】
四智(しち) 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  1、(げんにびぜつしんに) 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】大円鏡智は 第8阿頼耶識が転じて智慧を得る。平等性智は第7まなしき【末那識】が転じて智を得る。妙観察知は第6意が転じて智を得る。成所作智は第1から5までの五感が転じて智を得る。
上人()知恵(ちえ)第一(だいいち)のほまれちまたにみち、多聞(たもん)(こう)(がく)のきこえ()にあまねし。
(しち)箇条(かじょう)起請文(きしょうもん)  煩悩(ぼんのう)をば(こころ)客人(まろうど)として、念佛(ねんぶつ)(こころ)主人(あるじ)としつらえば(あなが)ちに往生(おうじょう)をば(さわ)ぬなり((7)箇条(かじょう)起請文(きしょうもん) 8)煩悩(ぼんのう)客人(まろうど)念仏(ねんぶつ)主人(しゅじん)
(しち)(ぶつ)通誡(つうかい)()  諸悪(しょあく)(まく)() (しゅ)(ぜん)奉行(ぶぎょう) 自浄(じじょう)其意(ごい) ()(しょ)仏教(ぶっきょう)   「(もろもろ)(あく)はなすなかれ (もろもろ)(ぜん)奉行(ぶぎょう)せよ (みずか)らその(こころ)(きよ)める これを諸仏(しょぶつ)(おし)えという」(法句(ほっく)(きょう) 138)
(じつ)(たい)(じつ)() 聖冏(しょうげい) 此処(ここ)()ること(とお)からず 実体実義主義 聖冏 無方 無分量
(じつ)(たい)(じつ)() 本来(ほんらい)()東西(とうざい) 何処(どこ)()南北(なんぼく) 本来(ほんらい)(ひがし)西(にし)もない のに 何処(どこ)南北(なんぼく)があろうか (じつ)(たい)(じつ)()主義(しゅぎ) 聖冏(しょうげい) ()(ほう) ()分量(ぶんりょう)
此土(しど)往生(おうじょう)  往生(おうじょう)此土(しど)往生(おうじょう)理想的(りそうてき)浄土(じょうど)有余(ゆうよ)涅槃(ねはん)精神更生(せいしんこうせい)不体失(ふたいしつ)往生(おうじょう)
()にたいと いう(ひと)()に (きゅう)(あと) (本当(ほんとう)長生(ながい)きしたい)
(しの)ぶ  もとよりも (しの)ぶの(さと)に (しのぶ)れば (しの)びてかよへ 弥陀(みだ)淨土(じょうど)へ  苦楽(くらく) (にん) (しの)ぶ 
(しのぶ) とは(くる)しいことを、ねばり(つよ)()ちこたえる意味(いみ)  (だい)(にん) 参照(さんしょう) 大西(おおにし) (じゅん)(きょう)
(しの)ぶ ()にしたがえば,身,くるし.したがはねば,狂せるに似たり.いずれの所を占めて,いかなるわざをしてか.しばしもこの身を宿し,たまゆらも心を休むべき.  方丈記(ほうじょうき)
(しの)ぶ 大忍とは耐えしのんだり、がまんすることとはちがう。苦しいときはくるしいままに、嬉しいときは嬉しいままに身体ごと素直に順応していくことである。悲しいときは子供のように、ごく自然に涙を浮かべ悲しいんでいる。また念願かなって嬉しいときは、子供のように無邪気に嬉しがるこれを大忍という。 寂しいときは寂しいままに独り静かにいる。これが日本文化の「わび」「さび」の精神である。身体で抑えて、首から上に上げない。文句、愚痴を言わないようにしよう。争いの元となる。罪作り。(板橋興宗 曹洞宗)
(しば)()に あけくれかくる 白雲(しらくも)を いつむらさきの (いろ)にみなさん
(しば)()に あけくれかくる 白雲(しらくも)を いつむらさきの (いろ)にみなさん 法然上人()
()(まえ)よりも()たらず、かねてうしろにせまれり。(ひと)みな()あることを()りて()つことしかも(きゅう)ならざるに(おぼ)えずして()る。(おき)干潟(ひがた)はるかなれども、(いそ)より(しお)滿(みつる)つるがごとし。  吉田(よしだ)兼好(けんこう) 徒然草(つれづれぐさ) () (しお) 
慈悲(じひ)  かつてWTO(世界(せかい)保健(ほけん)機構(きこう))はアフリカのマラリア患者(かんじゃ)(おお)地域(ちいき)徹底的(てっていてき)なマラリア(ぼく)(めつ)作戦(さくせん)展開(てんかい)した。その結果(けっか)乳幼児(にゅうようじ)死亡率(しぼうりつ)が10(ぶん)の1に低下(ていか)した。そかし10(ねん)あとには、その地域(ちいき)住民(じゅうみん)のほとんどが餓死(がし)してしまった。マラリア患者(かんじゃ)がいなくなって、爆発的(ばくはつてき)人口(じんこう)増加(ぞうか)したためである。WHOは、はたして()いことをしたのか?(わる)いことをしたのか(あたま)をかかえこんだという。 慈悲(じひ) 科学(かがく) 理論(りろん) ()いこと (わる)いこと 知恵(ちえ)
慈悲(じひ)  煩悩(ぼんのう)()さえられて 摂取(せっしゅ)光明(こうみょう)みえざれども 大悲(だいひ)ものうきことなくて (つね)()()()らすなり 光明(こうみょう) 摂取(せっしゅ) 慈悲(じひ)
慈悲(じひ) ()えられぬ (ひかり)のみ()に ()きしめて (つね)(われ)らを 愛撫(あいぶ)(たま)う 無碍(むげ)(こう) 光明(こうみょう) 護念(ごねん) 愛撫(あいぶ) 増上(ぞうじょう) 慈悲(じひ)
慈悲(じひ) 真砂(ますな)なす (かず)なき(ほし)の そのなかに (われ)()かいて (ひかる)(ほし)あり
慈悲(じひ)
「慈」は与楽の心であって、一切衆生を真実に愛念して常にその心を安んじ満足せしめ、自分が大ミオヤさまの大慈悲にいだかれている真実の幸福を、一切衆生にも同じく得させようという愛念をいうのであり、「悲」とは抜苦の心で、一切衆生の苦悩に対して同情にたえず、いかにすればその苦を抜き平和が得られるかと、方便し救済し、その抜苦のために、山をくだき、 ミオヤさまの絶対のみカによらざれば、その苦悩や煩悩は解脱し難いことを方便として教え、大ミオヤさまの大悲を伝えて信心を得せしめようとする同情の心である。
慈悲(じひ)二字(にじ)別説(べつせつ)すれば、()与楽(よらく)()抜苦(ばっく)(ふた)つは性質(せいしつ)(ちが)うから、()無量(むりょう)においては、()無量(むりょう)()無量(むりょう)分説(ぶんせつ)されいる。
渋柿(しぶがき)の 甘柿(あまがき)となる ()(めぐ)み   (かき) 煩悩(ぼんのう)
渋柿(しぶがき)の (しぶ)そのままの (あま)さかな  煩悩(ぼんのう)(そく)涅槃(ねはん)
自分(じぶん)  山本(やまもと)有三(ゆうぞう) 路傍(ろぼう)(いし) 「たった一人(ひとり)しかいない自分(じぶん)をたった一度(いちど)しかない人生(じんせい)をほんとうに()きなかったら、()まれてきた甲斐(かい)がないじゃないか」 人生(じんせい) 自分(じぶん) 生死(しょうじ)
自分(じぶん)(みぎ)(かた)には(ちち)を (ひだり)(かた)には(はは)背負(せお)って百年(ひゃくねん)もの(あいだ)(ある)(まわ)ってとしても(むく)いられないほど、(おや)(おん)広大(こうだい)なものだ
(しま)()い (しま)()いけり 彼岸(ひがん)(ばな)  (泊清寺(はくせいじ) )
()無量(むりょう)(しん) ()(たの)しみを(あた)え) ()()()き) ()(とも)(よろこ)ぶ) (しゃ)執着(しゅうちゃく)しない) (差別(さべつ)()てる)
釈迦(しゃか)  きささぎの (なか)五日(いつか)の 夜半(よわ)(つき) ()りにしあとの (やみ)ぞかなしき 西(さい)(しん)  涅槃(ねはん) 釈迦(しゃか)
釈迦(しゃか)  (つた)()く (つる)(はやし)の 夜半(よわ)(こえ) (みな)()(おも)言葉(ことば)なりけり  (てい)(ごく) I(かく)(りん)涅槃(ねはん) 釈迦(しゃか)
釈迦(しゃか) お釈迦(しゃか)(さま)(じゅう)大弟子(だいでし) @智慧(ちえ)第一(だいいち)(ちえ) 舎利(しゃり)(ほつ) A説法(せっぽう)第一(だいいち)(ときかた) ()()() B神通(じんずう)第一(だいいち)(はたらき) (もく)(けん)(れん) C論義(ろんぎ)第一(だいいち)(はなしかた) ()(せん)(ねん)  D頭陀(ずだ)第一(だいいち)(はげみ) 摩訶(まか)迦葉(かしょう) E持律(じりつ)第一(だいいち)(たもちかた) 優波離(うばり)  F(てん)(げん)第一(だいいち)(みとおし)  阿那律(あなりつ)  G(みつ)(ぎょう)第一(だいいち)(おさめ) 羅睺羅(らごら) H()(くう)第一(だいいち)(しりかた) 須菩提(しゅぼだい) I多聞(たもん)第一(だいいち)(ききかた)阿難(あなん)()
釈迦(しゃか)如来(にょらい)(かく)れまして 二千余年(にせんよねん)になり(たま)う 正像(しょうぞう)二時(にじ)()わりにき 如来(にょらい)遺弟(ゆいてい) ()()せよ
釈迦(しゃか)()け 弥陀(みだ)は ()いよに (なか)(われ) ()され()かれて まいる極楽(ごくらく)
釈迦(しゃか)()け 弥陀(みだ)は ()いよに (なか)(われ) ()され()かれて まいる極楽(ごくらく)  二河(にが)白道(びゃくどう) ()(そん)
(しゃ)()(おう)() 蓮華(れんげ)化生(けしょう) ((この)())を()てて、()の(()、すなわち浄土(じょうど)()き、蓮華(れんげ)化生(けしょう)する))
借金(しゃっきん)を (しち)()いても (はつ)(がつお) (もと)めて()わん ()()はば()
娑婆(しゃば)()も (いま)(くる)しと おもほえじ ミオヤにとはに なぐさまる()
十悪(じゅうあく)  (ただ)(たの)め よろずの(つみ)は (ふか)くとも ()本願(ほんがん)の あらんかぎりは  本願(ほんがん) (つみ) 十悪(じゅうあく) 五逆(ごぎゃく)
十悪(じゅうあく) (しん)(さん)殺生(せっしょう)偸盗(ちゅうとう)(じゃ)(いん)) ()()妄語(もうご)綺語(きご)(あく)()(りょう) (ぜつ)) ()(さん)貪・瞋・癡(とんじんち)) 身口意(しんくい) 貪・瞋・癡(とんじんち)
十五夜は座頭のつまの哭く夜かな(じゅうごやはざがしらのつまのこくくよるかな)
住持(じゅうじ)三宝(さんぼう) @(ぶつ)絵像(えぞう)木像(もくぞう)  A(ほう)()(かみ)(しゅ)(じく) B(そう)剃髪(ていはつ) ()() 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
就寝(しゅうしん) 阿弥陀仏(あみだぶつ)と 十声(10こえ)(とな)えて まどろまん (なが)(ねむ)りに なりもこそすれ 法然上人() 十念(じゅうねん) すいじ十念(じゅうねん) 就寝(しゅうしん) ()(とき)
(じゅう)大弟子(だいでし)  お釈迦(しゃか)(さま)(じゅう)大弟子(だいでし) @智慧(ちえ)第一(だいいち)(ちえ) 舎利(しゃり)(ほつ) A説法(せっぽう)第一(だいいち)(ときかた) ()()() B神通(じんずう)第一(だいいち)(はたらき) (もく)(けん)(れん) C論義(ろんぎ)第一(だいいち)(はなしかた) ()(せん)(ねん)  D頭陀(ずだ)第一(だいいち)(はげみ) 摩訶(まか)迦葉(かしょう) E持律(じりつ)第一(だいいち)(たもちかた) 優波離(うばり)  F(てん)(げん)第一(だいいち)(みとおし)  阿那律(あなりつ)  G(みつ)(ぎょう)第一(だいいち)(おさめ) 羅睺羅(らごら) H()(くう)第一(だいいち)(しりかた) 須菩提(しゅぼだい) I多聞(たもん)第一(だいいち)(ききかた)阿難(あなん)()
羞恥心(しゅうちしん)  慚愧(ざんき) (ざん)(じん)()じ、()(てん)()ず。これを慚愧(ざんき)(めい)づく。()慚愧(ざんき)()づけて畜生(ちくしょう)とす。 涅槃經(ねはんきょう) (はじ) 慚愧(ざんき) 羞恥心(しゅうちしん)
羞恥心(しゅうちしん)  人間(にんげん)とは()ずかしさを()きかかえて()きる動物(どうぶつ)といっていい  ラッセル イギリスの哲学者(てつがくしゃ)  (はじ) 羞恥心(しゅうちしん) 
十念(じゅうねん) 阿弥陀仏(あみだぶつ)と 十声(10こえ)(とな)えて まどろまん (なが)(ねむ)りに なりもこそすれ 法然上人() 十念(じゅうねん) すいじ十念(じゅうねん) 就寝(しゅうしん) ()(とき)
十万(じゅうまん)の (おく)()きしも まことには かぎりもしれぬ (こころ)なりけり
十夜(じゅうや)  一声(ひとこえ)も すてぬ(ちかい)いの うれしさに (おも)わず()もる 弥陀(みだ)のかずかず  
十夜(じゅうや) (われ)(ほっ)する(ところ)(ぜん)(おこな)うわたわず (ほっ)せざる(ところ)(あく)(おこな)う あぁ(なや)める(われ)なるかな。(パウロ)十夜(じゅうや) (ぜん) (あく) (よく) () 意思(いし)
授戒(じゅかい)  (でん)(ぼう)形式(けいしき)(コップ) (でん)(かい)内容(ないよう) ((みず)) 五重(ごじゅう) (じゅ)(かい)()
主客(しゅきゃく) あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや(つき) (明恵(みょうえ)主客(しゅきゃく) 川端(かわばた)康成(やすなり) ノーベル(しょう) (つき) ()
修行(しゅぎょう) 安心(あんじん)()(もく))・起行(きぎょう)(ぎょう)(そく)) 起行(きぎょう) 二重(にじゅう) 修行(しゅぎょう)
受苦(じゅく) 三垢(さんく) (こころ)三垢(3あか)(わく)煩悩(ぼんのう)(ごう)=悪業(あくごう)()受苦(じゅく)) 垢質(くしつ)
授手印(じゅしゅいん)   同体(どうたい) (べっ)(たい)三宝(さんぼう) の(がん)(かい)をおどろかし(もう)してもうさく。 授手印(じゅしゅいん) ()() 鎮西(ちんぜい)聖光(しょうこう)
衆生(しゅじょう) (とん) (じん) 煩悩(ぼんのう) (ちゅう)よく 清浄(しょうじょう)の (がん)(しん)(おこ)
衆生(しゅじょう) (ぶっ)(かい)()けぬれば すなわち諸仏(しょぶつ)(くらい)()る。(くらい)(だい)(がく)(おな)(おわ)りなば、(まこと)にこれ諸仏(しょぶつ)(みこ)なり。((さん)羯磨(こんま)
衆生(しゅじょう) ()むときはすなわち菩薩(ぼさつ)()み、衆生(しゅじょう) (やまい) ()えれば菩薩(ぼさつ)もまた()ゆ。  あなたが(くる)しむから(わたし)(くる)しむあなたが()えれば(わたし)()えますという関係(かんけい)  (維摩(ゆいま)(きょう)) (随喜(ずいき)
衆生(しゅじょう)(えん)法縁(ほうえん)無縁(むえん)
衆生(しゅじょう)(えん)法縁(ほうえん)無縁(むえん)三種(さんしゅ)。 衆生(しゅじょう)(えん)とは父母(ぶも)妻子(さいし)兄弟(きょうだい)親族(しんぞく)(とう)(らく)(あた)えんとするのを()します。法縁(ほうえん)とは兄弟(きょうだい)夫婦(ふうふ)父子(ふし)()ず、一切(いっさい)(ほう)(えん)より()こるとみておこすのを()します。無縁(むえん)とは法相(ほっそう) (およ)衆生(しゅじょう)()ず、畢竟(ひっきょう)(くう)平等(びょうどう)見地(けんち)からおこすのを()します。
衆生(しゅじょう)(えん)声聞(しょうもん)慈悲(じひ)法縁(ほうえん)菩薩(ぼさつ)慈悲(じひ)無縁(むえん)慈悲(じひ)諸佛(しょぶつ)慈悲(じひ)
衆生(しゅじょう)(ほとけ)(らい)すれば(ほとけ)これを()(たも)う、衆生(しゅじょう)仏を(とな)えれば仏これを()き給う、衆生仏を(ねん)ずれば仏も衆生(しゅじょう)(ねん)じ給う。
主人(しゅじん)  煩悩(ぼんのう)をば(こころ)客人(まろうど)として、念佛(ねんぶつ)(こころ)主人(あるじ)としつらえば(あなが)ちに往生(おうじょう)をば(さわ)ぬなり((7)箇条(かじょう)起請文(きしょうもん) 12)煩悩(ぼんのう)客人(まろうど)念仏(ねんぶつ)主人(しゅじん)
数珠(じゅず)くれば (にご)(こころ)も すみやかに 菩提(ぼだい)(たね)も (ちか)くなるらん   福田(ふくだ)(ぎょう)(かい)  念珠(ねんじゅ)
(しゅ)(ぜん)() (つう)(だつ) (しょ)法性(ほっしょう) 一切(いっさい)(くう)無我(むが)   專求(せんぐ)(じょう) 仏土(ぶつど) (ひつ)(じょう) (みょう) ()(せつ)  (しゅ)(ぜん)() (つい)(れん) (くう)(がい)75(さい)(しょ)
手段(しゅだん)   (やま)青々(あおあお)()はうらら ()には漫々(まんまん)慈悲(じひ)(みず) (あき)はみのらん無量寿を 歌え南無阿弥田植え歌 青い稲葉はその中に 白いお米のみのるため 死ぬる身体はその中に 死なぬ命のそだつため (田中木叉 心田植歌)
(しゅん)(じょう)  黒田(くろだ)上人() 伊賀(いが)黒田(くろだ)上人() (しゅん)(じょう)(ぼう)重源(ちょうげん)  東大寺(とうだいじ) 大仏(だいぶつ)再建(さいこん) ()(ごう)始祖(しそ)
諸悪(しょあく)(まく)() (しゅ)(ぜん)奉行(ぶぎょう) 自浄(じじょう)其意(ごい) ()(しょ)仏教(ぶっきょう)   「(もろもろ)(あく)はなすなかれ (もろもろ)(ぜん)奉行(ぶぎょう)せよ (みずか)らその(こころ)(きよ)める これを諸仏(しょぶつ)(おし)えなり」((7)(ぶつ)通誡(つうかい)())(法句(ほっく)(きょう) 183)
(しょう)  ()にたいと いう(ひと)()に (きゅう)(あと) (本当(ほんとう)長生(ながい)きしたい)
(じょう)  不浄(ふじょう)にて (もう)念仏(ねんぶつ)に とがあらば めしこめられよ 弥陀(みだ)浄土(じょうど)へ  法然上人() (じょう)不浄(ふじょう) トイレ
称我(しょうが)名号(みょうごう)下至十声(げしじゅっしょう)
聖冏(しょうげい)  (あん)とは安置(あんち)なり、(しん)とは(しん)(ねん)なり。(ねん)所求(しょぐ)所帰(しょき)去行(こぎょう)(3)つに()くを安心(あんじん)という。 聖冏(しょうげい)観経(かんぎょう)(でん)(つう)() 6) 安置(あんち) 所求(しょぐ) 所帰(しょき) 去行(こぎょう) 安心(あんじん)
聖冏(しょうげい) 此処(ここ)()ること(とお)からず 実体実義主義 聖冏 無方 無分量
聖冏(しょうげい) 此処(ここ)()ること(とお)からず 実体実義主義 聖冏 無方 無分量
聖冏(しょうげい) 本来(ほんらい)()東西(とうざい) 何処(どこ)()南北(なんぼく) 本来(ほんらい)(ひがし)西(にし)もない のに 何処(どこ)南北(なんぼく)があろうか (じつ)(たい)(じつ)()主義(しゅぎ) 聖冏(しょうげい) ()(ほう) ()分量(ぶんりょう)
上下(じょうげ)関係(かんけい)  吉川(よしかわ)英二(えいじ)  (われ) 以外(いがい) (みな) (わが)()  恭敬(くぎょう)(じゅ)  上下(じょうげ)関係(かんけい) 
聖光(しょうこう)  同体(どうたい) (べっ)(たい)三宝(さんぼう) の(がん)(かい)をおどろかし(もう)してもうさく。 授手印(じゅしゅいん) ()() 鎮西(ちんぜい)聖光(しょうこう)
荘厳(しょうごん) 阿弥陀仏(あみだぶつ)と (もう)すばかりを つとめにて 淨土(じょうど)荘厳(しょうごん) ()るぞうれしき 法然上人() 浄土(じょうど) 荘厳(しょうごん) 見佛(けんぶつ) 念仏(ねんぶつ) 三昧(さんまい)
生死(しょうじ)  ()きてよし ()してまたよし 極楽(ごくらく)の 弥陀(みだ)のみ(もと)に ()まる(うれ)しさ    生死(しょうじ) 阿弥陀(あみだ) 往生(おうじょう) 極楽(ごくらく) ()
生死(しょうじ) いけらば 念仏(ねんぶつ)(こう)をつもり ()なば浄土(じょうど)にまいりなん とてもかくても この()には(おも)(わずら)う (こと)ぞなき 法然上人() 生死(しょうじ) 称名(しょうみょう)
生死(しょうじ) 山本(やまもと)有三(ゆうぞう) 路傍(ろぼう)(いし) 「たった一人(ひとり)しかいない自分(じぶん)をたった一度(いちど)しかない人生(じんせい)をほんとうに()きなかったら、()まれてきた甲斐(かい)がないじゃないか」 人生(じんせい) 自分(じぶん) 生死(しょうじ)
長時(じょうじ)(しゅ)  ()(しゅ) 恭敬(くぎょう)(じゅ)高慢(こうまん)  ()()(しゅ)(ぞうき)起   無間(むけん)(じゅ)懈怠(けたい)   (じょうじ)(しゅ)退転(たいてん)
長時(じょうじ)(しゅ)  ()な夜なミオヤと共に寝ね 朝な朝なもともに起き 立ち居起き臥し添いまして しばしも離るることぞなき (田中(たなか)(もく)(しゃ) (しん)(でん)()(うた)) 長時(じょうじ)(しゅ) 田中(たなか)(もく)(しゃ)  (しん)(でん)田植(たう)(うた) ()
(しょう)(じゅ)  同一(どういつ)名号(みょうごう)(とな)え、同一(どういつ)光明(こうみょう)(なか)にありて、(どう)(しょう)(じゅ)護念(ごねん)(こうむ)同胞(どうほう)(もっと)(した)し。(おろ)かに(うと)しと(おも)うべからず。 名号(みょうごう) 光明(こうみょう) (しょう)(じゅ) 別時(べつじ) 護念(ごねん) 同胞(どうほう) 
清浄(しょうじょう)  四智(しち) 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  1、(げんにびぜつしんに) 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】大円鏡智は 第8阿頼耶識が転じて智慧を得る。平等性智は第7まなしき【末那識】が転じて智を得る。妙観察知は第6意が転じて智を得る。成所作智は第1から5までの五感が転じて智を得る。
清浄(しょうじょう)  (じょう)不浄(ふじょう) 1、清浄(しょうじょう)(こう)によって浄化(じょうか)される。 2、清浄(しょうじょう)(こう)によって(おのれ)不浄(ふじょう)()がつく。
清浄(しょうじょう)  (てん)(しき)()() (しき)(てん)じて()()る 四智(しち)  清浄(しょうじょう) 六根(ろっこん) 
清浄(しょうじょう) (いけ)(みず) (ひと)(こころ)に ()たりけり (にご)りすむ(こと) さだめなければ 法然上人() (つみ) (けが)れ 清浄(しょうじょう) (こころ) (にご)
清浄(しょうじょう) 汚染(おせん) (じん)(きょう)  心情(しんじょう)汚染(おせん)するから(じん)(きょう)  ()(じん)
清浄(しょうじょう) かわやにて (もう)念仏(ねんぶつ)に とがあらば ()しこめよかし 弥陀(みだ)浄土(じょうど)へ 法然上人() 便所(べんじょ) 不浄(ふじょう) 清浄(しょうじょう) 行住坐臥(ぎょうじゅうざが)
清浄(しょうじょう) (じょう)不浄(ふじょう) (あき)()ぬと ()にはさやかに ()えねども (かぜ)(おと)にぞ (おどろ)かれぬる  人生(じんせい)春夏秋冬(しゅんかしゅうとう)  信仰(しんこう)芽生(めば)え  古今集・秋上・一六九、藤原敏行  秋が来たと目にははっきりとは見えないが、風の音で気づいたことだ。
清浄(しょうじょう) 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  (げんにびぜつしんに)耳鼻舌身意(じんに) が(きよ)められる 色声香味触法(いろしょうこうみしょくほう)(ぜん)5つが五塵(5じん) 五賊(ごぞく)二河白道(にがびゃくどう)) (こころ)三垢(3あか)(わく)(ごう)()
清浄光(しょうじょうこう)   あら(とうと)と 青葉(あおば)若葉(わかば)に ()(ひかり)   清浄光(しょうじょうこう)     松尾(まつお)芭蕉(ばしょう) 
清浄光(しょうじょうこう)   雪下(ゆきした)に (はる)(こえ)あり ことことと ()えぬ小川(おがわ)の (なが)(おと)()く  清浄光(しょうじょうこう)、 河波(かわなみ)
清浄光(しょうじょうこう)  (くさ)()も からくれないに ()ゆるなれ (あか)()がねを かけし(ひと)には
清浄光(しょうじょうこう)  それ衆生(しゅじょう)ありて、この(ひかり)()うものは三垢(さんく)消滅(しょうめつ)し(清浄光(しょうじょうこう))、身意柔軟(しんににゅうなん)に(智慧光(ちえこう))、歓喜踊躍(かんぎゆやく)して(歓喜(かんぎ)(こう))、善心(ぜんしん)(しょう)ぜん(不斷(ふだん)(こう))  礼拝儀(らいはいぎ)  無量寿経(むりょうじゅきょう)
小乘(しょうじょう)(さん)(がく)大乘(だいじょう)(さん)(がく)顕教(けんぎょう)(さん)(がく)密教(みっきょう)(さん)(がく)があるが、これは(よう)するに価値(かち)認識(にんしき)相違(そうい)であって(さん)(がく)多種(たしゅ)(るい)あるわけではない。戒 定 慧 の三学です。
(じょう)(しょ)()()  ()(だい)() (唯識(ゆいしき)) 仏果(ほとけはたし)をきわめたときに具有(ぐゆう)する四種(よんしゅ)()。すなわち、大円鏡智(だいえんきょうち)平等(びょうどう)性智(せいさとし)妙観察智(みょうかんさつち)(しげ)所作智(しょさち)
(じょう)(しょ)()()(だい)1から5までの五感(ごかん)(てん)じて()()る。六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  1、(げんにびぜつしんに) 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】
精進(しょうじん)  (けん)(みが)けば(みが)くほど (ひかり)()
精進(しょうじん)  (とき)(いま) ところ足元(あしもと) そのことに うちこむ(いのち)  永久(とわ)のみいのち  椎尾(しいお)(べん)(きょう) (いま) 人権(じんけん) (いのち) 精進(しょうじん)
精進(しょうじん) (おこた)らず ()かば千里(ちさと)()ても()ん (うし)(あゆ)みのよし おそくとも 無間(むけん)(しゅ) ()(しゅ)
精進(しょうじん) これを()ん おりおりことに おもひてて 南無阿彌陀佛()と (つね)にとなえよ 法然上人() 精進(しょうじん) 称名(しょうみょう) 
(じょうじ)(しゅ)  作業(さごう)()(しゅ)) 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()()(しゅ) 無間(むけん)(じゅ) の三種(さんしゅ)一生涯(いっしょうがい)かけて(つと)めること。
(じょうじ)(しゅ)  作業(さごう)()(しゅ)三種(さんしゅ)行儀(ぎょうぎ)) 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()()(しゅ) 無間(むけん)(じゅ) (じょうじ)(しゅ)
(じょう)(ずい)守護(しゅご)(じん)()(みょう)(どう)(さだ)めて無道(むどう)(しょう)(なん)をとがめ(たま)はんか。(いのち)あらんともがら、因果(いんが)のむなしからざる(こと)(おも)()わすべし。因縁(いんねん)()きずば、(なん)(また)今生(こんじょう)再会(さいかい)なからんや。
浄土(じょうど)  往生(おうじょう)此土(しど)往生(おうじょう)理想的(りそうてき)浄土(じょうど)有余(ゆうよ)涅槃(ねはん)精神更生(せいしんこうせい)不体失(ふたいしつ)往生(おうじょう)
浄土(じょうど) 阿弥陀仏(あみだぶつ)と (もう)すばかりを つとめにて 淨土(じょうど)荘厳(しょうごん) ()るぞうれしき 法然上人() 浄土(じょうど) 荘厳(しょうごん) 見佛(けんぶつ) 念仏(ねんぶつ) 三昧(さんまい)
淨土(じょうど) (つゆ)()は 此処彼処(ここかしこ)にて ()えぬとも (こころ)(おな)じ (なは)(だい)ぞ 法然上人() 流罪(るざい) (つゆ) (はな) 淨土(じょうど) 往生(おうじょう) 倶会一処(くえいっしょ)
浄土(じょうど) (べっ)(たい)三宝(さんぼう) @(ぶつ)浄土(じょうど)弥陀(みだ)  A(ほう)念仏(ねんぶつ)()(のり) B(そう)浄土(じょうど)菩薩(ぼさつ) 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
成道(じょうどう)  (わたし)人間(にんげん)()まれ 人間(にんげん)(ちょう)じ、人間(にんげん)(ほとけ)()たり 
成道(じょうどう) (われ)()大地(だいち)有情(うじょう) 同時(どうじ)成道(じょうどう) 
浄土(じょうど)にも (ごう)のものとや 沙汰(さた)すらん 西(にし)()いて (うし)ろみせねば   熊谷(くまがい)次郎(じろう)直実(なおざね) 恭敬(くぎょう)(しゅ)
浄土(じょうど)法門(ほうもん)(ゆう)(れん)(ぼう)とにあえるこそ (にん)(かい)()をうけたる(おも)()(はべ)れ。 法然上人() 勅伝(ちょくでん)44
(じょう)不浄(ふじょう) 1、清浄(しょうじょう)(こう)によって浄化(じょうか)される。 2、清浄(しょうじょう)(こう)によって(おのれ)不浄(ふじょう)()がつく。
(じょう)不浄(ふじょう) (あき)()ぬと ()にはさやかに ()えねども (かぜ)(おと)にぞ (おどろ)かれぬる  人生(じんせい)春夏秋冬(しゅんかしゅうとう)  信仰(しんこう)芽生(めば)え  古今集・秋上・一六九、藤原敏行  秋が来たと目にははっきりとは見えないが、風の音で気づいたことだ。
(じょう)不浄(ふじょう) 元々(もともと)はないけれども自分(じぶん)(つく)っていく (こころ)(あか)でつくる。 ()(くるま) (つく)大工(だいく)は おらねども (おの)がつくりて (おの)()()く  自我(じが)オレガの(こころ)(つく)っていく。
淨土門(じょうどもん)  西(にし)()く (みち)より(ほか)は (いま)()に 浮世(うきよ)(いづる)づる (もん)やなからん 淨土門(じょうどもん)
浄土門(じょうどもん)(じょうどもん)と云うは、此の娑婆世界を、厭い捨てて、急ぎて、極楽にうまるる也。彼の国、生るる事は、阿弥陀仏の、誓いにて、人の善悪を、選ばず、只、佛の、誓いを、頼み、頼まざるによる也。此の故に、道綽(どうしゃく)は、浄土の一門のみありて、通入すべき、道なりと、宣(のたま)えり。されば、このごろ、生死を、離れんと、思うはん人は、證し難き、聖道を捨てて、行き易き、浄土を願うべき也。此の聖道浄土をば、難行道、易行道と、名付けたり。例えを、とりて、これを云うに、難行道は、険しき、道を、かちにて、ゆくが如し。易行道は、海路を、船に乗りて、行くが如しといえり。足萎(な)え、目しい、たらん人は、斯(か)かる、道には、向かうべからず。只船に、乗りてのみ、向かいの岸には、つく也。然(しかる)るに、このごろの、我らは、智恵の、眼、しひ、行法の、あしなえたる輩也。聖道難行の、険しき、道には、惣(そう)じて、望みを、絶つべし。ただ彌陀の本願の、船に乗りて、生死の海を渡り、極楽の岸に、着くべき也。
正念(しょうねん) ちとせふる 小松(こまつ)のもとを すみかにて 無量寿(むりょうじゅ)(ぶつ)の (むか)えをぞまつ 法然上人() 来迎(らいこう) 正念(しょうねん) 往生(おうじょう)
称名(しょうみょう)  念佛(ねんぶつ)の (まこと)(あじ)は (とな)()よ (とな)えぬものにゃ わからぬものぞ  称名(しょうみょう) 
称名(しょうみょう)  (ゆき)のうちに (ほとけ)御名(みな)を (とな)うれば つもれる(つみ)そ やがて()えぬる  法然上人() ((つみ)浄化(じょうか)) (ふゆ) (ゆき) 称名(しょうみょう)
称名(しょうみょう) いけらば 念仏(ねんぶつ)(こう)をつもり ()なば浄土(じょうど)にまいりなん とてもかくても この()には(おも)(わずら)う (こと)ぞなき 法然上人() 生死(しょうじ) 称名(しょうみょう)
称名(しょうみょう) これを()ん おりおりことに おもひてて 南無阿彌陀佛()と (つね)にとなえよ 法然上人() 精進(しょうじん) 称名(しょうみょう) 
正面(しょうめん)に ()大慈悲(だいじひ)の たのもしさ (うれ)しい(とき)も (かな)しい(とき)
昭和(しょうわ)  三宝(さんぼう) @(ぶつ)(あか)るく  A(ほう)(ただ)しく B(そう)(なご)やかに 明治(めいじ) 大正(たいしょう) 昭和(しょうわ)
所帰(しょき)  (あん)とは安置(あんち)なり、(しん)とは(しん)(ねん)なり。(ねん)所求(しょぐ)所帰(しょき)去行(こぎょう)(3)つに()くを安心(あんじん)という。 聖冏(しょうげい)観経(かんぎょう)(でん)(つう)() 8) 安置(あんち) 所求(しょぐ) 所帰(しょき) 去行(こぎょう) 安心(あんじん)
所求(しょぐ)  (あん)とは安置(あんち)なり、(しん)とは(しん)(ねん)なり。(ねん)所求(しょぐ)所帰(しょき)去行(こぎょう)(3)つに()くを安心(あんじん)という。 聖冏(しょうげい)観経(かんぎょう)(でん)(つう)() 7) 安置(あんち) 所求(しょぐ) 所帰(しょき) 去行(こぎょう) 安心(あんじん)
(しょく)ゑし(しょく)ゑば (あき)なき(とき)や (さき)かざらん はなこそ(さん)らめ ()さへ()れめや
(じょ)(しょう)二行(にぎょう)  三重(さんじゅう)(ぎょう)  1、五種(ごしゅ)正行(しょうぎょう) 2、(じょ)(しょう)二行(にぎょう) 3、専修(せんじゅ)一行(いちぎょう)  念佛(ねんぶつ)
じょっとこらえよ 3分間(ぷんかん)   瞋恚(しんに)煩悩(ぼんのう) 腹立(はらだ)
白魚(しらうお)の (あら)えば(にご)る 清水(しみず)かな 表面(ひょうめん) 虚仮(こけ) 真実(しんじつ) 
白露のおきふし毎に思ふかな民のはぐさのさかゆかんよを(しらつゆのおきふしまいにおもふかなたみのはぐさのさかゆかんよを)
白露(しらつゆ)を とめおく(よる)には をみなえし (いち)しほいろの そひまさるらん 弁栄(べんねい)上人()
しろがねもこがねもたまもなにせんにまされるたから子にしかめやも
(しろ)(しろ) ()()のままに ()小菊(こぎく) とりかえられぬ (とうと)さを()
師走(しわす)()()たす
(じん)  (となり)(くら)()てば、こちらに(はら)()ち   (じん)
(じん) 十悪(じゅうあく) (しん)(さん)殺生(せっしょう)偸盗(ちゅうとう)(じゃ)(いん)) ()()妄語(もうご)綺語(きご)(あく)()(りょう) (ぜつ)) ()(さん)貪・瞋・癡(とんじんち)) 身口意(しんくい) 貪・瞋・癡(とんじんち)
(しん) (ねん) (いち) (ひゃく) (さい)、 (ちょう) (しゅう) 八十(はちじゅう) () (100(さい)老親(ろうしん)が80(さい)()心配(しんぱい)していることで、老婆(ろうば)親切(しんせつ)である。その(うえ)往生(おうじょう)(ねが)い、念仏者(ねんぶつしゃ)になった)
(じん) 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  (げんにびぜつしんに)耳鼻舌身意(じんに) が(きよ)められる 色声香味触法(いろしょうこうみしょくほう)(ぜん)5つが五塵(5じん) 五賊(ごぞく)二河白道(にがびゃくどう)) (こころ)三垢(3あか)(わく)(ごう)()
(しん) わが()(ほど)を(()信心(しんじん))  (ほとけ)(がん)を((ほう)信心(しんじん)
(しん)()  弥陀(みだ)(ちかい)()(ひかり)に (うたが)いとけては(はる)るなりけり  (ほう)(しん) (しん)(ぽう)
(しん)() 富士(ふじ)白雪(しらゆき)朝日(あさひ)()ける (むね)(こおり)思案(しあん)じゃとけぬ  ()(しん) (しん)()
(しん)()(しん)(ほう)  不断(ふだん)煩悩(ぼんのう)()(しん)(そく)涅槃(ねはん)(ほう)(しん)) 曇鸞(どんらん)善道(ぜんどう))  
(じん)(きょう)  心情(しんじょう)汚染(おせん)するから(じん)(きょう)
信楽(しんぎょう)  本願(ほんがん)三心(さんじん)一心(いっしん)()(らん)=「観経(かんぎょう)」 至心(ししん)信楽(しんぎょう)(よく)(しょう)()(こく)
身口意(しんくい)  十悪(じゅうあく) (しん)(さん)殺生(せっしょう)偸盗(ちゅうとう)(じゃ)(いん)) ()()妄語(もうご)綺語(きご)(あく)()(りょう) (ぜつ)) ()(さん)貪・瞋・癡(とんじんち)) 身口意(しんくい) 貪・瞋・癡(とんじんち)
人権(じんけん)  (あい)反対(はんたい)無関心(むかんしん)だ    マザーテレサ 人権(じんけん) 関心(かんしん)  怨憎会苦(おんぞうえく)関心(かんしん)がある
人権(じんけん)  一輪(いちりん)の その一輪(いちりん)の (うつく)しさ    尊厳(そんげん) 人権(じんけん) 千利休(せんのりきゅう) 全体(ぜんたい)一点(いってん) 
人権(じんけん)  (とき)(いま) ところ足元(あしもと) そのことに うちこむ(いのち)  永久(とわ)のみいのち  椎尾(しいお)(べん)(きょう) (いま) 人権(じんけん) (いのち) 精進(しょうじん)
信仰(しんこう)  (あき)()ぬと ()にはさやかに ()えねども (かぜ)(おと)にぞ (おどろ)かれぬる  人生(じんせい)春夏秋冬(しゅんかしゅうとう)  信仰(しんこう)芽生(めば)え  古今集・秋上・一六九、藤原敏行  秋が来たと目にははっきりとは見えないが、風の音で気づいたことだ。
信仰(しんこう)仕事(しごと)  人と生まれし甲斐性には、南無阿弥陀仏と歌わんせ、歌うばかりが芸じゃない、歌が出たら舞わしゃんせ、きりきり舞うてきり舞うて、立ち働くが報恩業、それが顕現極楽の、舞と楽しくなってこそ、これで誠の人となる。    「人と生まれし甲斐性には、南無阿弥陀仏と歌わんせ」。すなわち、信仰を持ちなさい。「歌が出たら舞わしゃんせ、きりきり舞うてきり舞うて立ち働くが報恩業」。すなわち、仕事に勢を出しなさい。「それが顕現極楽」。すなわち、この世に極楽をあらわしていく源である。こうおっしゃっておるのでございます。(大谷(おおたに)(せん)(かい)上人() 直方(のうがた)() 長安寺(ちょうあんじ)
真言(しんごん)阿彌陀(あみだ)はもともと阿彌陀(あみだ)であって、阿彌陀(あみだ)(ぶつ)になった阿彌陀(あみだ)ではない。キリスト(きょう)同様(どうよう)にもともと(かみ)であった(法身(ほっしん))。浄土(じょうど)阿彌陀(あみだ)(しゅう)(いん)()(じょう)阿彌陀(あみだ)である。法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさつ)阿彌陀(あみだ)()った阿彌陀(あみだ)である。
深山(しんざん)()の その()ずゑとも ()えざりし (さくら)(はな)に あらはれにけり
真実(しんじつ) (うそ)()いて(よろこ)んで、本当(ほんとう)()いて(はら)()てた。  世間(せけん) 愚者(ぐしゃ) (おろ)か 真実(しんじつ)
真実(しんじつ) 白魚(しらうお)の (あら)えば(にご)る 清水(しみず)かな 表面(ひょうめん)  虚仮(こけ) 真実(しんじつ) 
真実(しんじつ) 人間本分を尽くすの道。虚栄と虚名をむさぼる情から、善を作さないのに善の聞こえを好む者あり、また、自分で賞揚せられんがために自己を膨大にし、自己の短所欠点を隠し覆う者あり、自分の名を高らしめんがために他人の非を掲げる傾向がある。虚偽は大ミオヤさまを欺き、自分を欺き、また他人を欺くが故に、自分を欺く者はみずから自己の人格を重んじないからであって、結果は人から信用されなくなってしまうのである。真実は清浄潔白、品格おのずから高尚である。
尋常(じんじょう)行儀(ぎょうぎ)  不浄(ふじょう)にて (もう)念仏(ねんぶつ)に とがあらば めしこめられよ 弥陀(みだ)浄土(じょうど)へ  法然上人() (じょう)不浄(ふじょう) トイレ
深心(じんしん)   ()(つよ)く つけばはずみて (あが)(まり) ()をくだしてぞ すべむ極楽(ごくらく)  (のり)()草子(ぞうし) 深心(じんしん)
信心(しんじん)  空海(くうかい)が (こころ)のうちに ()(はな)は 弥陀(みだ)より(ほか)に ()(ひと)はなし  弘法大師(こうぼうだいし) 信心(しんじん)(はな)
深心(じんしん)  (そう)安心(あんじん) 厭離穢土(えんりえど) 欣求(ごんぐ)浄土(じょうど)    (べつ)安心(あんじん) 三心(さんじん)  至誠心(しじょうしん) 深心(じんしん) 回向(えこう)発願(ほつがん)(ごころ)  安心(あんじん)
深信(じんしん) (しん)()(しん)(ぽう) (ほう)(しん) ()(しん)
信心(しんじん) 念仏(ねんぶつ)は アクビの(あと)の (くち)なおし  信心(しんじん) 疑心(ぎしん) 信心(しんじん)()るような()いような
人生(じんせい)  (あき)()ぬと ()にはさやかに ()えねども (かぜ)(おと)にぞ (おどろ)かれぬる  人生(じんせい)春夏秋冬(しゅんかしゅうとう)  信仰(しんこう)芽生(めば)え  古今集・秋上・一六九、藤原敏行  秋が来たと目にははっきりとは見えないが、風の音で気づいたことだ。
人生(じんせい)  山本(やまもと)有三(ゆうぞう) 路傍(ろぼう)(いし) 「たった一人(ひとり)しかいない自分(じぶん)をたった一度(いちど)しかない人生(じんせい)をほんとうに()きなかったら、()まれてきた甲斐(かい)がないじゃないか」 人生(じんせい) 自分(じぶん) 生死(しょうじ)
人生(じんせい)二十八(28)(ねん)旅路(たびじ)をここに(おわ)ります。 みなさんお世話(せわ)になりました。(おっと)()どもよ、ありがとう。 (かあ)さんほんとにありがとう。(わたし)(こころ)(おろ)かさに(かあ)さん()かせてきましたね。 (わたし)宿業(しゅくごう)()きしめて、み(おや)とともに()きました。 (おし)えてもらったその()から、(わたし)(こころ)()れました。()()三途(さんず)(しず)()が、二河(にが)白道(びゃくどう)一筋(ひとすじ)永遠(えいえん)のみ(おや)(まい)ります。 一日(いちにち)ごとに()ってゆく(いた)みのつもるこの(はら)の、なでては()いたこの口で、今は念仏(ねんぶつ)()えません。 (わたし)()んだそのあとに、 (おさな)三人(さんにん)()どもらは、(はは)(たず)ねてなくでしょう。(おも)えば(こころ)(いた)みます。 お淨土(じょうど)さまからお(かあ)さんがジッと(まも)っておりますよ。 世間(せけん)(ひと)(あい)されて()きぬくように(たの)みます。 (おさな)三人(さんにん)()どもらよ。 (かあ)さん(こい)しく(おも)うなら、み(ほとけ)さまに()()わせ、南無阿彌陀佛()(もう)してね。み(そら)にかかる(つき)さえも、(くも)(ひと)つなく()えわたり、西(にし)西(にし)へと(いそ)ぎます。(わたし)の往きます西の国、輝く光のお淨土へ、そらだはみなさんサヨウナラ。 南無阿彌陀佛() 南無阿彌陀佛()
人生(じんせい)には(3)っつの(さか)がある。 (のぼ)(ざか)(くだ)(ざか)、そしてもう(ひと)つ、まさかという(さか)。 (のぼ)(ざか)(くだ)(ざか) まさか?
人生(じんせい)の (もっと)(くる)しい いやな (つら)い (そん)場面(ばめん)を まっ(さき)に 微笑(ほほえみ)をもって 担当(たんとう)せよ
(しん)(でん)田植(たう)(うた)   (やま)青々(あおあお)()はうらら ()には漫々(まんまん)慈悲(じひ)(みず) (あき)はみのらん無量寿を 歌え南無阿弥田植え歌 青い稲葉はその中に 白いお米のみのるため 死ぬる身体はその中に 死なぬ命のそだつため (田中木叉 心田植歌)
(しん)(でん)田植(たう)(うた)   ()な夜なミオヤと共に寝ね 朝な朝なもともに起き 立ち居起き臥し添いまして しばしも離るることぞなき (田中(たなか)(もく)(しゃ) (しん)(でん)()(うた)) 長時(じょうじ)(しゅ) 田中(たなか)(もく)(しゃ)  (しん)(でん)田植(たう)(うた) ()
瞋恚(しんに) じょっとこらえよ 3分間(ぷんかん)   瞋恚(しんに)煩悩(ぼんのう) 腹立(はらだ)
嗔恚(しんに)功徳(くどく)(はやし)()く 「(おそ)るべし カッと(いか)りの (むね)()が (われ)()()を ()()くすなり」
嗔恚(しんに)功徳(くどく)(はやし)()く 「(おそ)るべし カッと(いか)りの (むね)()が (われ)()()を ()()くすなり」腹立(はらだ)ち、(さん)(どく)煩悩(ぼんのう)
(しん)(ねん) 壱百(いっぴゃく) (さい)  、 (ちょう) (しゅう) 八十(はちじゅう)  ()。  100(さい)老親(ろうしん)が80(さい)()っを心配(しんぱい)している。 老婆(ろうば)親切(しんせつ)
(しん)(ねん)おかあさん おかあさん  おかあさんたら おかあさんなんにも ごようはないけれど なんだかよびたい おかあさん
(しん)(ほう) 富士(ふじ)白雪(しらゆき)朝日(あさひ)()ける (むね)(こおり)思案(しあん)じゃとけぬ  ()(しん) (しん)()
親鸞(しんらん)  煩悩(ぼんのう)()さえられて 摂取(せっしゅ)光明(こうみょう)みえざれども 大悲(だいひ)ものうきことなくて (つね)()()()らすなり 光明(こうみょう) 摂取(せっしゅ) 慈悲(じひ)
(しん)六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  (げんにびぜつしんに)耳鼻舌身意(じんに) が(きよ)められる 色声香味触法(いろしょうこうみしょくほう)(ぜん)5つが五塵(5じん) 五賊(ごぞく)二河白道(にがびゃくどう)) (こころ)三垢(3あか)(わく)(ごう)()
()障 四機 (おこた)らず ()かば千里(ちさと)()ても()ん (うし)(あゆ)みのよし おそくとも 無間(むけん)(しゅ) ()(しゅ)
()障 四機(あめ)たれに くぼみし(のき)の (いし)()ても かたきわざとて おもいすてめや ()(しょう) ()()
()障 四機(てら)じゃてるてる (みち)では(くも)る うちに(かえ)れば (あめ)()る  (えん)(ざい)()(ざい)(こころ) (ざい)(えん) (ざい)決定(けつじょう)
()障 四機(ほう)()と ()うか()わぬかを 調(しら)べての ()(おこな)う (みち)(さだ)めよ ()(ほう)一体(いったい) () (ほう) 
随喜(ずいき)(ぜん)功徳(くどく)作善(さぜん)(しゃ)のそれより(すぐ)れたり   作善(さぜん)
睡時(すいじ)  極楽(ごくらく)は (ほとけ)のいます (くに)なれば (ほとけ)(とも)に ()めば極楽(ごくらく)。 徳本  地獄(じごく)とは (おに)()みける (くに)なれば (おに)一緒(いっしょ)に ()めば地獄(じごく)よ。 睡時(すいじ) (とく)(ほん)
すいじ 十念(じゅうねん) 阿弥陀仏(あみだぶつ)と 十声(10こえ)(とな)えて まどろまん (なが)(ねむ)りに なりもこそすれ 法然上人() 十念(じゅうねん) すいじ十念(じゅうねん) 就寝(しゅうしん) ()(とき)
睡時(すいじ)十念(じゅうねん)  阿彌陀仏(あみだぶ)と ()(こえ)(とな)へて まどろまん (なが)きねぶりに なりもこそすれ  睡時(すいじ)十念(じゅうねん)
(すく)い  光明(こうみょう)はくまなくそそぐ  (かぎ)()きいのちに()きよ  人間(にんげん)智慧(ちえ)なたのみそ  み(めぐ)みは(ひと)(えら)ばず  ただ(たの)阿弥陀(あみだ)(ほとけ)とおしえたる  いみじさの我等(われら)祖師(そし)や  A煩悩(ぼんのう)()てとは()らず  みだれたる(こころ)もゆるし  人間(にんげん)(さが)のまにまに  み(ほとけ)(くに)()()く  この(みち)(だれ)かひらきしなさけある  (した)わしのわれらが祖師(そし)や  (佐藤(さとう)春夫(はるお) 作詞(さくし)法然上人()(しょう) 煩悩(ぼんのう) 阿弥陀(あみだ) 光明(こうみょう) 祖師(そし)
(すく)い 阿彌陀仏(あみだぶ)に (たす)(たま)えと すがるより ほかに(たよ)りの なき()なりけり
頭上(ずじょう)()(ぶつ)  観音(かんのん) 頂戴(ちょうだい)  (かん) (ちゅう) (じゅう) ((ちゅう)()礼讃(らいさん))   念仏者(ねんぶつしゃ)基本(きほん)   頭上(ずじょう)()(ぶつ)  善導(ぜんどう)
鈴木(すずき)大拙(だいせつ)(しゅう) いいなぁ 世界(せかい)虚空(こくう)がみな(ほとけ) わしもその(なか) 南無阿彌陀佛()  浅原(あさはら)才一(さいち) 
(すず)しき あみだぶと (こころ)西(にし)に うつ(せみ)の もぬけはてたる (こえ)(すず)しき 法然上人() (なつ) 念仏(ねんぶつ) (せみ) (すず)しき
すべてを(おお)ミオヤにお(まか)(もう)()げて、(つね)(だい)ミオヤを(ねん)ず。・・・・だんだん(ふか)(はい)るにしたがいて、あなたの(こころ)はなくなりて、(ただ)のこる(ところ)はお慈悲(じひ)如来(にょらい)さまばかりと()(そうろ)う。((べん)(えい)上人() お慈悲(じひ)のたより(うえ)47大谷(おおたに)(せん)(かい)上人()への書簡(しょかん)
(すみ) (たきぎ) 米麦(べいばく) (まめ)(いた)るまで (せん)(さん)しづの (あせ)(おも)へば
()(つき)かげの (いた)らぬ(さと)は なけれども ながむる(ひと)の こころにぞすむ   ()む ()む ()む 光明(こうみょう)遍照(へんじょう) 観経(かんぎょう) (だい)(9)
すゑつひに海となるべき山水もしばし木の葉の下くぐるなり
(せい) (かい)  夫れ雪山(そ   せっせん)童子(どうじ)半偈(はんげ)(ため)()投じ(とう)常啼大士(じょうたいだいし)一句(いっく)開いて(ひら)(きも)()き、惠可(えか)禅師(ぜんじ)(ひじ)()って伝法(でんぽう)表し(あらわ)惠思(えし)禅師(ぜんじ)(いのち)捨て()難謝(なんじゃ)(とく)(むく)ゆ。  (五重(ごじゅう)相傳(そうでん) (よう)()道場(どうじょう) (せい)(かい)より)
()() 諸佛(しょぶつ)大悲(だいひ) (かん)() 淨土(じょうど) (これを()って、諸佛(しょぶつ)大悲(だいひ)(すす)めて淨土(じょうど)()せしむ)
正義(せいぎ)  大ミオヤさまの命じたまう邪悪を捨て、大ミオヤさまの命じたまう正善をつくすことで、わが力は弱いが内に宿りたまう大ミオヤさまのみ力がお強いから、その絶対のみ力によって十善を行い、八正道をすすむことができるのである。
勢至丸(せいしまる) 形見(かたみ)とて はかなき(おや)の とどめてし この(わか)れさえ いかにせん 法然上人()15(さい)比叡山(ひえいざん) (はた)(うじ) (はは)親子(おやこ)
(せい)()せば (こお)()もなし 水車(みずぐるま)
施餓鬼(せがき)  三輪(さんりん)清浄(しょうじょう)  布施(ふせ) (あた)える(ひと)(もの)(いただ)(ひと) の(みっ)つが清浄(しょうじょう)
施餓鬼(せがき)  もの()わぬ (おや)にあうなり (ぼん)まいり
世間(せけん)  (うそ)()いて(よろこ)んで、本当(ほんとう)()いて(はら)()てた。  世間(せけん) 愚者(ぐしゃ) (おろ)か 真実(しんじつ)
摂化(せっけ)  摂取(せっしゅ)()(やく)
摂取(せっしゅ)  摂化(せっけ)  摂取(せっしゅ)()(やく)
摂取(せっしゅ)  煩悩(ぼんのう)()さえられて 摂取(せっしゅ)光明(こうみょう)みえざれども 大悲(だいひ)ものうきことなくて (つね)()()()らすなり 光明(こうみょう) 摂取(せっしゅ) 慈悲(じひ)
摂取(せっしゅ)(まも)(いだ)かれている。
殺生(せっしょう)  ああ、痛ましい哉、我等幾千かの仏肉を食い、我等幾千かの仏血を吸い、我等幾千かの仏命を断ち、我等幾千かの仏眼を決り、我等幾千かの仏肩を桂り、我等幾千かの仏皮を着つる」と『大智度論(だいちどろん)』の中で申され竜樹のみ心に、一歩いな半歩たりとも近づかせていただきたいものであります。  殺生(せっしょう)
接待(せったい) 無畏(むい)() (おそ)れがない→(やす)らぎ  (きゃく)接待(せったい)仕方(しかた) 施無畏(せむい)
説法(せっぽう)  蓮華(れんげ)(しょ)(かい)(らく)  蓮華(れんげ)(はな)(ひら)くようにゆっくり両手(りょうて)(みぎ)(ひだり)(まえ)袱紗(ふくさ)(ひら)く 終わったら十念(じゅうねん)(のち)袱紗(ふくさ)()じる。説法(せっぽう) 作法(さほう) 袱紗(ふくさ)(ひら)(かた)()(かた)
説法(せっぽう) ()ごろ()く (おし)えは(すべ)て 今日(きょう)()の わが()のためと (おも)()らるる (羽田(はた)(けい)(さん)) 説法(せっぽう) ()() (ほう)
(せみ) あみだぶと (こころ)西(にし)に うつ(せみ)の もぬけはてたる (こえ)(すず)しき 法然上人() (なつ) 念仏(ねんぶつ) (せみ) (すず)しき
施無畏(せむい)  無畏(むい)() (おそ)れがない→(やす)らぎ  (きゃく)接待(せったい)仕方(しかた) 施無畏(せむい)
(ぜん) (われ)(ほっ)する(ところ)(ぜん)(おこな)うわたわず (ほっ)せざる(ところ)(あく)(おこな)う あぁ(なや)める(われ)なるかな。(パウロ)十夜(じゅうや) (ぜん) (あく) (よく) () 意思(いし)
(ぜん)(けい)  ()のまいも (あし)のふみども 白波(しらなみ)や (ちかい)(ふね)に ()()つる()は   (よろこ)び (ぜん)(きょう)  ()(きょう)  (きょう)(ちゅう)
先祖(せんぞ) 真砂(ますな)なす (かず)なき(ほし)の そのなかに (われ)()かいて (ひかる)(ほし)あり
全体(ぜんたい)  一輪(いちりん)の その一輪(いちりん)の (うつく)しさ    尊厳(そんげん) 人権(じんけん) 千利休(せんのりきゅう) 全体(ぜんたい)一点(いってん) 
善知識(ぜんちしき)は これ(なんじ)父母(ぶも)なり。 (なんじ)らの菩提心(ぼだいこころ)養育(よういく)(たま)えばなり。  法句(ほっく)(きょう)  (おや) 菩提心(ぼだいしん)
選択(せんちゃく)(しゅう) 名号(みょうごう) 六字(ろくじ)名号(みょうごう)の中には、阿弥陀様おひとりが持っていらっしゃるあらゆる内面の功徳、つまり、四智(しち)・三身・十力・四無畏(しむい)などのお徳から、阿弥陀様の外に対する御はたらき、つまり、相好・光明・説法・利生などというお徳、その内なる御はたらき、また外に向かう御はたらき、一切み功徳が、お名号の中に、摂し収められて在る。法然上人は、こう申されているのでございます。お名号の中には、あらゆる善根功徳、善と名のつくものは全部入っているわけでございます。そういう意味からいたしまして、「お名号」ということがいえるわけでございます。だからお名号「南無阿弥陀仏」の種を仏性心田に蒔く。そうして蒔いたお名号の種が、仏様の絶大なる御力によって、それが蒔くと同時に芽を出すのでございます。仏種の発芽でございますね。(選択(せんちゃく)(しゅう)
(せん)(ちゅう) 無一(むいち)(お浄土(じょうど)はできても、お(まえ)たちの(ちから)()いと手招(てまね)いても、(きた)資格(しかく)のあるものは1人(ひとり)もない。千人(せんにん)(なか)1人(ひとり)もいない)
善導(ぜんどう)  観音(かんのん) 頂戴(ちょうだい)  (かん) (ちゅう) (じゅう) ((ちゅう)()礼讃(らいさん))   念仏者(ねんぶつしゃ)基本(きほん)   頭上(ずじょう)()(ぶつ)  善導(ぜんどう)
善道(ぜんどう)  不断(ふだん)煩悩(ぼんのう)()(しん)(そく)涅槃(ねはん)(ほう)(しん)) 曇鸞(どんらん)善道(ぜんどう))  
善導(ぜんどう)大師(だいし) 中国初唐の浄土教の僧。終南大師と尊称する。安徽省(あるいは山東省)の人。道綽(どうしゃく)に学んで中国浄土教を大成。主著「観無量寿経疏」「往生礼讚」「般舟讚」。(六一三〜六八一)法然上人()弥陀(みだ)化身(けしん)(あお)がれた。
(ぜん)(ねん)()(ねん)念念(ねんねん)   「念念(ねんねん)(ぼん)(しょう)(かい)(じょう)(こう)」((こう)())(法事讃(ほうじさん)
千利休(せんのりきゅう) 一輪(いちりん)の その一輪(いちりん)の (うつく)しさ    尊厳(そんげん) 人権(じんけん) 千利休(せんのりきゅう) 全体(ぜんたい)一点(いってん) 
千利休(せんのりきゅう) と朝顔(あさがお) 千利休の屋敷の庭一面に咲くに朝顔の花は大変美しいという噂が立った。これを耳にした秀吉が「明朝見に行くからそのつもりでいるように」と利休に言いつけた。翌朝秀吉は利休の家を訪れ、露地を歩き始めたが朝顔の花などどこにも咲いていない。あの噂はいいかげんなものだったのかとだんだん不愉快な気分になり、「利休も利休だ。わしが見に行くといったときに、朝顔の花など咲いておりませんと言えばよいものを」と思うと一層腹が立ってきた。しかし、そのまま帰るのも大人げないと思い、躙り口(にじりぐち)を開けふと床を見ると、朝顔が一輪だけ生けてある。それを見た秀吉は、庭一面に咲き誇る朝顔には見られない独特の美しさに感動し、また利休にいっぱい食わされたということがようやく分かった。利休は前日に朝顔を一輪だけ残し全て抜き取り、それを生けてみせたのである。黄金づくりの茶室を得意げに見せびらかしている秀吉に対し、一輪の花が持つ美しさを示した利休の作意であった。 (全体(ぜんたい)一点(いってん)) 
(そう)  三宝(さんぼう)   @(ぶつ)名医(めいい)  A(ほう)名薬(めいやく) B(そう)看病(かんびょう)  恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
(そう)  住持(じゅうじ)三宝(さんぼう) @(ぶつ)絵像(えぞう)木像(もくぞう)  A(ほう)()(かみ)(しゅ)(じく) B(そう)剃髪(ていはつ) ()() 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
(そう)  (べっ)(たい)三宝(さんぼう) @(ぶつ)浄土(じょうど)弥陀(みだ)  A(ほう)念仏(ねんぶつ)()(のり) B(そう)浄土(じょうど)菩薩(ぼさつ) 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
(そう)安心(あんじん) 厭離穢土(えんりえど) 欣求(ごんぐ)浄土(じょうど)    (べつ)安心(あんじん) 三心(さんじん)  至誠心(しじょうしん) 深心(じんしん) 回向(えこう)発願(ほつがん)(ごころ)  安心(あんじん)
(ぞうき)起   ()(しゅ) 恭敬(くぎょう)(じゅ)高慢(こうまん)  ()()(しゅ)(ぞうき)起   無間(むけん)(じゅ)懈怠(けたい)   (じょうじ)(しゅ)退転(たいてん)
増上(ぞうじょう)  煩悩(ぼんのう)()さえられ ()えねども ()えず(われ)らを (しょう)()(たま)う 煩悩(ぼんのう) 護念(ごねん) (ほとけ) 増上(ぞうじょう)
増上(ぞうじょう)  煩悩(ぼんのう)()さえられて 摂取(せっしゅ)光明(こうみょう)みえざれども 大悲(だいひ)ものうきことなくて (つね)()()()らすなり 光明(こうみょう) 摂取(せっしゅ) 慈悲(じひ)
増上縁(ぞうじょうえん)  来迎(らいこう)往生(おうじょう)増上縁(ぞうじょうえん)、 三心(さんじん)往生(おうじょう)安心(あんじん)  往生(おうじょう) 増上縁(ぞうじょうえん) 三心(さんじん) 安心(あんじん)(勅修御伝随聞記19)
(そう)()は 万事(ばんじ)はいらず 常不軽(じょうふきょう) 菩薩(ぼさつ)(ぎょう) 殊勝(しゅしょう)なりける   (良寛(りょうかん) 歌集(かしゅう)より)
そことなく そよぐ難波の 浦風に よしあしのみや みだれそむらん
祖師(そし)  光明(こうみょう)はくまなくそそぐ  (かぎ)()きいのちに()きよ  人間(にんげん)智慧(ちえ)なたのみそ  み(めぐ)みは(ひと)(えら)ばず  ただ(たの)阿弥陀(あみだ)(ほとけ)とおしえたる  いみじさの我等(われら)祖師(そし)や  A煩悩(ぼんのう)()てとは()らず  みだれたる(こころ)もゆるし  人間(にんげん)(さが)のまにまに  み(ほとけ)(くに)()()く  この(みち)(だれ)かひらきしなさけある  (した)わしのわれらが祖師(そし)や  (佐藤(さとう)春夫(はるお) 作詞(さくし)法然上人()(しょう) 煩悩(ぼんのう) 阿弥陀(あみだ) 光明(こうみょう) 祖師(そし)
そしり、(ぼう)ぜんともがらも、(かなら)九品(くほん)(うてな)(えん)(むす)び、(たが)いに、(いち)(ぶつ)淨土(じょうど)のともたらん。
(そし)るまじ たとひ()ある (じん)なりと わがあやまりは (じん)(まさ)れり   ((つみ)
(そだ)て  はえば()て ()てば(あゆ)めの 親心(おやごころ) わが()()もる ()いを(わす)れて  (そだ)て (まも)り 親子(おやこ) (ろう) 四苦(しく)
(そで)すりあうも他生(たしょう)(えん)  柳生(やぎゅう)()家訓(かくん) 「(しょう)(さい)(えん)出会(であ)って(えん)()づかず  (ちゅう)(さい)(えん)()づいて(えん)()かさず (だい)(さい)(そで)すり()った(えん)をも()かす」(えん)怨憎会苦(おんぞうえく) 不可思議(ふかしぎ) 「(そで)すりあうも他生(たしょう)(えん)
その(ひつぎ)はどこに()くのですか?火葬場(かそうば)へ。それからどこにゆくのですか?お(はか)へ。それからどこにゆくのですか?()りません。           かわじ‐りゅうこう(かはぢリウコウ)【川路柳虹】 詩人、美術評論家。東京出身。本名、誠。聖謨(としあきら)の孫。詩草社同人。わが国初の口語自由詩「塵溜(はきだめ)」を発表し、その先駆をなした。詩集「路傍の花」「かなたの空」「曙の声」。(一八八八〜一九五九)
()める あみだぶに そむる(こころ)の いろにいでば あきの(こずえ)の たぐいならまし 法然上人() (あき) ()める (こずえ)
()りたきは (こころ)(なか)の (みだ)(がみ) つむりの(かみ)は とにもかくにも
それ衆生(しゅじょう)ありて、(この)(ひかり)()うものは (さん)()消滅(しょうめつ)し、(しん)()(にゅう)(なん)に、歓喜(かんぎ)()(やく)して、善心(ぜんしん)(しょう)ぜん
それ衆生(しゅじょう)ありて、この(ひかり)()うものは三垢(さんく)消滅(しょうめつ)し(清浄光(しょうじょうこう))、身意柔軟(しんににゅうなん)に(智慧光(ちえこう))、歓喜踊躍(かんぎゆやく)して(歓喜(かんぎ)(こう))、善心(ぜんしん)(しょう)ぜん(不斷(ふだん)(こう))  礼拝儀(らいはいぎ)  無量寿経(むりょうじゅきょう)
それですから、そのように偽りをたくらんでいう人をかえって哀れむペきものです。その程度の者のいうことですので、念仏するのになんの懸念もありません。疑いをおこす者は、いうに足りない程度のことでございます。だいたいが阿弥陀仏に縁が浅く、往生を願うよい磯会にめぐり合わない者は、聞いても信じないで、人が行なっているのを見ては腹を立て、怒りを含んで、さまたげようとするのです。そのことを心得て、どのように人がいおうとも、お心だけはいいかげんになさってはなりません。ましてや凡夫というものは力の及ぶものではありません。このような不信の人びとのために、慈悲をおこし、ためになるようにと思うにつけても、早く極楽へ参って、さとりを開いて、ふたたびこの迷いの世界に帰ってきて非難している不信の人を極楽に渡らせ、一切の生きとし生けるものをあまねく利益を持させようと思いなさることです。
尊厳(そんげん)  一輪(いちりん)の その一輪(いちりん)の (うつく)しさ    尊厳(そんげん) 人権(じんけん) 千利休(せんのりきゅう) 全体(ぜんたい)一点(いってん) 
だWTO かつてWTO(世界(せかい)保健(ほけん)機構(きこう))はアフリカのマラリア患者(かんじゃ)(おお)地域(ちいき)徹底的(てっていてき)なマラリア(ぼく)(めつ)作戦(さくせん)展開(てんかい)した。その結果(けっか)乳幼児(にゅうようじ)死亡率(しぼうりつ)が10(ぶん)の1に低下(ていか)した。そかし10(ねん)あとには、その地域(ちいき)住民(じゅうみん)のほとんどが餓死(がし)してしまった。マラリア患者(かんじゃ)がいなくなって、爆発的(ばくはつてき)人口(じんこう)増加(ぞうか)したためである。WHOは、はたして()いことをしたのか?(わる)いことをしたのか(あたま)をかかえこんだという。 慈悲(じひ) 科学(かがく) 理論(りろん) ()いこと (わる)いこと 知恵(ちえ)
大円(だいえん)(きょう)()  ()(だい)() (唯識(ゆいしき)) 仏果(ほとけはたし)をきわめたときに具有(ぐゆう)する四種(よんしゅ)()。すなわち、大円鏡智(だいえんきょうち)平等(びょうどう)性智(せいさとし)妙観察智(みょうかんさつち)(しげ)所作智(しょさち)
大円(だいえん)(きょう)()は (だい)阿頼耶識(あらやしき)(てん)じて智慧(ちえ)()る。六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  1、(げんにびぜつしんに) 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】
大海の(たいかいの ) (いそ)もとどろに 寄する浪 わけて(くだ)けて さけて散るかも
(だい)(がん)(ごう)(りき)(かま)()だすところ、(まん)(どく)行者(ぎょうじゃ)(ゆず)(たま)う。他力(たりき)(なん)()(ぎょう) 方便(ほうべん)一称(いっしょう)(しゅう)(ぜん)超過(ちょうか)せしむ。((わたし)たちは阿弥陀(あみだ)(さま)(だい)(しゅう)(たまもの)で (まん)(どく)を、(じょう) ()()()(けい)()されている。(じつ)(さいわ)いの()(うえ)であり、もったいない()(うえ)です。)
(だい)()  いまします (ほとけ)姿(すがた) よく()れば みな(くる)しみに ()えしみ姿(すがた)  () (だい)(しゅう) (だい)()
大工(だいく) (じょう)不浄(ふじょう) 元々(もともと)はないけれども自分(じぶん)(つく)っていく (こころ)(あか)でつくる。 ()(くるま) (つく)大工(だいく)は おらねども (おの)がつくりて (おの)()()く  自我(じが)オレガの(こころ)(つく)っていく。
第九(だいく) (つき)かげの (いた)らぬ(さと)は なけれども ながむる(ひと)の こころにぞすむ   ()む ()む ()む 光明(こうみょう)遍照(へんじょう) 観経(かんぎょう) (だい)(9)
(だい)() 法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさつ)が (わたし)のために悪因(あくいん)悪果(あっか)()()わってしてくれたこと  (だい)() (だい)(しゅう)
(だい)(しゅう)  いまします (ほとけ)姿(すがた) よく()れば みな(くる)しみに ()えしみ姿(すがた)  () (だい)(しゅう) (だい)()
(だい)(しゅう) 法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさつ)が (わたし)のために修行(しゅぎょう)したこと
大乘(だいじょう)  1000(ねん)単位(たんい)歴史(れきし)()ると「キリスト(きょう)大乗(だいじょう)仏教(ぶっきょう)出会(であ)った」と記録(きろく)されるであろう。(トインビー歴史学者)
大正(たいしょう)  三宝(さんぼう) @(ぶつ)(あか)るく  A(ほう)(ただ)しく B(そう)(なご)やかに 明治(めいじ) 大正(たいしょう) 昭和(しょうわ)
(だい)(しょう)釈尊(しゃくそん)がこの()出現(しゅつげん)目的(もくてき)理想(りそう)、お役目(やくめ)はただちに念仏(ねんぶつ)()くのであったのである。 だから、念仏(ねんぶつ)釈尊(しゃくそん)出世(しゅっせ)本懐(ほんかい)(もう)す。何故(なぜ)ならば、念仏(ねんぶつ)(まさ)最上(さいじょう)妙法(みょうほう)はないからである。 (浄土(じょうど)(てき)解釈(かいしゃく)
大乗(だいじょう)仏教とキリスト(きょう)出会(であ)った」と1000年単位で歴史を見ると「記録(きろく)されるであろう。(トインビー歴史学者)
大智度論(だいちどろん)  ああ、痛ましい哉、我等幾千かの仏肉を食い、我等幾千かの仏血を吸い、我等幾千かの仏命を断ち、我等幾千かの仏眼を決り、我等幾千かの仏肩を桂り、我等幾千かの仏皮を着つる」と『大智度論(だいちどろん)』の中で申され竜樹のみ心に、一歩いな半歩たりとも近づかせていただきたいものであります。殺生(せっしょう)
退転(たいてん)  ()(しゅ) 恭敬(くぎょう)(じゅ)高慢(こうまん)  ()()(しゅ)(ぞうき)起   無間(むけん)(じゅ)懈怠(けたい)   (じょうじ)(しゅ)退転(たいてん)
(だい)(にん)とは()えしのんだり、がまんすることとはちがう。(くる)しいときはくるしいままに、(うれ)しいときは(うれ)しいままに身体(からだ)ごと素直(すなお)順応(じゅんのう)していくことである。(かな)しいときは子供(こども)のように、ごく自然(しぜん)(なみだ)()かべ(かな)しいんでいる。また念願(ねんがん)かなって(うれ)しいときは、子供(こども)のように無邪気(むじゃき)(うれ)しがるこれを(だい)(にん)という。 (さみ)しいときは(さみ)しいままに(ひと)(しず)かにいる。これが日本(にほん)文化(ぶんか)の「わび」「さび」の精神(せいしん)である。身体(からだ)(おさ)えて、(くび)から(うえ)()げない。文句(もんく)愚痴(ぐち)()わないようにしよう。(あらそ)いの(もと)となる。罪作(つみつく)り。(板橋(いたばし)興宗 曹洞宗)
タイムズの記者(きしゃ)がマハトマ・ガンディーに質問(しつもん)した「あなたは、非暴力(ひぼうりょく)(アサンサー)でインド独立(どくりつ)()ちとりましたが、(いま)、あなたに()けて原子(げんし)爆弾(ばくだん)搭載(とうさい)した爆撃(ばくげき)()があなたの頭上(ずじょう)飛来(ひらい)してきたら、どうされますか?」するとガンディーさんはその記者(きしゃ)微笑(ほほえ)みながら、こう(こた)えたといいます。「(わたし)(わたし)()かって原爆(げんばく)をつんだ飛行機(ひこうき)()んできたら、その飛行機(ひこうき)()をふって笑顔(えがお)敵意(てきい)のないことをしめすだろう」
(たえ)()は (わか)(おんな)の みだれ(がみ)、 ()うに()われず、()くに()かれず
打かへす 土黒みゆく 春田かな(だかへす つちくろみゆく はるたかな)
高松(たかまつ) おぼつかな (だれ)かいいけん 小松(こまつ)とは (ゆき)をささふる 高松(たかまつ)(えだ)  法然上人() (ふゆ) (ゆき) 高松(たかまつ)
(たから)  (ぎん)のくがねも (たま)もせむに まされる(たから)  ()にしかめやも
(たき)つせの (きよ)きいづみに そそげかし 日々(ひび)(あら)たに こころのあかを  念佛(ねんぶつ)する私達(わたしたち)念念(ねんねん)刻々(こくこく)清浄(しょうじょう)なる(みず)(こう)(みょう))に(そそ)がれて、(わたし)たちの(こころ)浄化(じょうか)されてゆくのである。((べん)(えい)上人()
武夫(たけお)の 八十氏(はちじゅうし)(かわ)の ゑびす(しま) おち(きた)(みず)の たけくもなるかな
他生(たしょう)(えん)  柳生(やぎゅう)()家訓(かくん) 「(しょう)(さい)(えん)出会(であ)って(えん)()づかず  (ちゅう)(さい)(えん)()づいて(えん)()かさず (だい)(さい)(そで)すり()った(えん)をも()かす」(えん)怨憎会苦(おんぞうえく) 不可思議(ふかしぎ) 「(そで)すりあうも他生(たしょう)(えん)
(たず)ねよと (おし)ゆる宿(やど)を よそに()て ()つの(みち)には (あし)(やす)めず
(たず)ねよと (おし)ゆる宿(やど)を よそに()て ()つの(みち)には (あし)(やす)めず  六道(ろくどう)
ただ、淨土(じょうど)(こころ)にかくれば心行(しんぎょう)にて(そうろ)うなり。 淨土(じょうど)(こころ)にかくる とは、念佛(ねんぶつ)することであるが、このようにして淨土(じょうど)往生(おうじょう)していくことが、そのまま(こころ)浄化(じょうか)という内容(ないよう)(ともな)っているのである。(法然上人() 和語(わご)(とう)(ろく) 3(かん)
(ただ)しく 三宝(さんぼう) @(ぶつ)(あか)るく  A(ほう)(ただ)しく B(そう)(なご)やかに 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
(ただ)しさが (ふた)つもあって する喧嘩(けんか)
(ただ)(たの)め よろずの(つみ)は (ふか)くとも ()本願(ほんがん)の あらんかぎりは  本願(ほんがん) (つみ) 十悪(じゅうあく) 五逆(ごぎゃく)
ただ見れば何の苦もなき水鳥の足にひまなき我おもひかな
()ちならぶ (かげ)やなからん 萬代(よろずよ)の (のち)まで()らす (のり)灯火(ともしび)   (のり) 
(たちばな)は (おのれ)(えだ)々 (うま)れれども (たま)(つらぬ)くとき (おな)(ちょ)(つらぬ)
ダッソは(くさ)るまで(いた)い! これは如来(にょらい)さまの(たまもの)だ。 (唐津(からつ)冨田(とみた)上人()) (抜苦(ばっく)与楽(よらく)歓喜(かんぎ)(こう)(たまもの)
たった一人(ひとり)しかいない自分(じぶん)を たった一度(いちど)しかない人生(じんせい)をほんとうに()かせなかったら 人間(にんげん)()まれてきた甲斐(かい)が ないじゃないか
田中(たなか)(もく)(しゃ)   (やま)青々(あおあお)()はうらら ()には漫々(まんまん)慈悲(じひ)(みず) (あき)はみのらん無量寿を 歌え南無阿弥田植え歌 青い稲葉はその中に 白いお米のみのるため 死ぬる身体はその中に 死なぬ命のそだつため (田中木叉 心田植歌)
田中(たなか)(もく)(しゃ)  ()な夜なミオヤと共に寝ね 朝な朝なもともに起き 立ち居起き臥し添いまして しばしも離るることぞなき (田中(たなか)(もく)(しゃ) (しん)(でん)()(うた)) 長時(じょうじ)(しゅ) 田中(たなか)(もく)(しゃ)  (しん)(でん)田植(たう)(うた) ()
谷川(たにがわ)の ()()(した)の おぼれ(みず) (なが)るるもゆく (したた)るもゆく (つぶつぶもゆく ざらざらもゆく) 示現(じげん) (いわ)清水(しみず)八幡(はちまん) (はやし) 227
他人(たにん)関係(かんけい)  恭敬(くぎょう)(じゅ)  (やすし)(からだ)(うやま)う。  (けい)(こころ)(うやま)う。 (こころ)(した)()し、身体(しんたい)(うやま)う。日常(にちじょう)他人(たにん)(たい)する。 (こころ)(うやま)身体(しんたい)では(けい)ない 親子(おやこ)関係(かんけい)。 (ふつ)(たい)しては(こころ)身体(しんたい)(うやま)う。(なに)もいわないから!
(たね)(たいら)() つの太刀(たち)を はけりけむ ()(いつ)ふりと (にぶ)(いつ)ふり
(たの)みなば ただひしひしと (たの)むべし ()(かしこ)きは (みち)(とお)きぞ 愚鈍(ぐどん) 念仏(ねんぶつ) 往生(おうじょう)()
(たの)みなば ただひしひしと (たの)むべし ()(かしこ)きは (みち)(とお)きぞ 愚鈍(ぐどん) 念仏(ねんぶつ) 往生(おうじょう)()
(たの)みなば ただひしひしと (たの)むべし ()(かしこ)きは (みち)(とお)きぞ 愚鈍(ぐどん) 念仏(ねんぶつ) 往生(おうじょう)()
煙草(たばこ)のむ()と (こい)する()には (むね)にけぶりの()()ない。  アミタアミタと(こい)する()には (むね)(ほとけ)のたえまなきぞ (とく)(ほん) 無間(むけん)(しゅ)
たはむれに (はは)背負(せお)いて そのあまり (かろ)きになりて 三歩(さんぽ)あゆまず (石川(いしかわ)啄木(たくぼく))いしかわ‐たくぼく(いしかは‥)【石川啄木】 明治末期の浪漫派の歌人、詩人。本名一(はじめ)。岩手県出身。与謝野鉄幹夫妻に師事。口語体の三行書きの生活派の歌をよみ、評論「時代閉塞の現状」などで社会主義への関心を示す。歌集「一握の砂」「悲しき玩具」、小説「雲は天才である」など。(一八八六〜一九一二)
(たま)きはる (いのち)(まえ)に ()りし(みず)を こらえて()よと われは()いつる((やまい)(みず)(わる)いのだが、あげなかった)
(たみ)くさの みをも(けん)しより なりいてし (おく)(ぜい)のしつくの 白玉(しらたま)そこれ
たらちねの 名をばくださじ 梓弓 いなばの山の 露と消ゆとも
()らぬ自分の力では 越すに越されぬこの峠 まもるお慈悲のみ力で 越されぬまゝに越せてゆく
(たわむ)れに (はは)背負(せお)いて そのあまり (かる)きになりて 三歩(さんぽ)あゆめず
団子(だんご)もろたら砂糖(さとう)()しい。(さかな)もろたら(さけ)()しい。(ねこ)もらうなら三毛(みけ)もらえ (もの)もらうなら ようけもらえ
()  (てん)(しき)()() (しき)(てん)じて()()る 四智(しち)  清浄(しょうじょう) 六根(ろっこん) 
() 十悪(じゅうあく) (しん)(さん)殺生(せっしょう)偸盗(ちゅうとう)(じゃ)(いん)) ()()妄語(もうご)綺語(きご)(あく)()(りょう) (ぜつ)) ()(さん)貪・瞋・癡(とんじんち)) 身口意(しんくい) 貪・瞋・癡(とんじんち)
() 十悪(じゅうあく) (しん)(さん)殺生(せっしょう)偸盗(ちゅうとう)(じゃ)(いん)) ()()妄語(もうご)綺語(きご)(あく)()(りょう) (ぜつ)) ()(さん)貪・瞋・癡(とんじんち)) 身口意(しんくい) 貪・瞋・癡(とんじんち)
知恵(ちえ)  (かしこ)いと(おろ)かは一如(いちにょ)である ( (ひかり)(かげ)(ぜん)(あく) 極楽(ごくらく)地獄(じごく) )  (聖徳(しょうとく) 太子(たいし)
知恵(ちえ)  かつてWTO(世界(せかい)保健(ほけん)機構(きこう))はアフリカのマラリア患者(かんじゃ)(おお)地域(ちいき)徹底的(てっていてき)なマラリア(ぼく)(めつ)作戦(さくせん)展開(てんかい)した。その結果(けっか)乳幼児(にゅうようじ)死亡率(しぼうりつ)が10(ぶん)の1に低下(ていか)した。そかし10(ねん)あとには、その地域(ちいき)住民(じゅうみん)のほとんどが餓死(がし)してしまった。マラリア患者(かんじゃ)がいなくなって、爆発的(ばくはつてき)人口(じんこう)増加(ぞうか)したためである。WHOは、はたして()いことをしたのか?(わる)いことをしたのか(あたま)をかかえこんだという。 慈悲(じひ) 科学(かがく) 理論(りろん) ()いこと (わる)いこと 知恵(ちえ)
智慧(ちえ)  (てん)(しき)()() (しき)(てん)じて()()る 四智(しち)  清浄(しょうじょう) 六根(ろっこん) 
智慧(ちえ)  来迎(らいこう)蓮台(れんだい)(ふね)来迎(らいこう)(ひかり)智慧(ちえ) (勅修御伝随聞記22) 蓮台(れんだい) (ふね) 智慧(ちえ) (ひかり)  安心(あんじん)
智慧(ちえ) 無明(むみょう)(もと)とし、煩悩(ぼんのう)基盤(きばん)としているから、方向性(ほうこうせい)間違(まちが)えて()(しょう)じる。 無知(むち) 愚痴(ぐち) 智慧(ちえ) 知力(ちりょく) (みょう)
智慧(ちえ)(こう)  それ衆生(しゅじょう)ありて、この(ひかり)()うものは三垢(さんく)消滅(しょうめつ)し(清浄光(しょうじょうこう))、身意柔軟(しんににゅうなん)に(智慧光(ちえこう))、歓喜踊躍(かんぎゆやく)して(歓喜(かんぎ)(こう))、善心(ぜんしん)(しょう)ぜん(不斷(ふだん)(こう))  礼拝儀(らいはいぎ)  無量寿経(むりょうじゅきょう)
智慧(ちえ)物事(ものごと)方向性(ほうこうせい)(しめ)してくれる。 知力(ちりょく)には(もの)判断(はんだん)する能力(のうりょく)はあるが、方向性(ほうこうせい)がない
知恩院(ちおんいん)  (くさ)()も ()れたる野辺(のべ)に ただ(ひと)り (まつ)のみ(のこ)る 弥陀(みだ)本願(ほんがん)   本願(ほんがん) 知恩院(ちおんいん)  吉水(よしみず)
(ちかい)  一声(ひとこえ)も すてぬ(ちかい)の うれしさに (おも)わずつもる 弥陀(みだ)のかずかず  念佛(ねんぶつ)(ちかい) 、弥陀(みだ)
知行(ちぎょう)兼備(けんび)念仏(ねんぶつ)往生(おうじょう)() 空海(くうかい)が (こころ)のうちに ()(はな)は 弥陀(みだ)より(ほか)に ()(ひと)はなし  弘法大師(こうぼうだいし) 信心(しんじん)(はな)
(ちち)遺言(ゆいごん)(わす)れがたくして、とこしなえに隠遁(いんとん)(こころ)ふかきよしのべ(たも)うに、少年(しょうねん)にしてはやく出離(しゅっり)(こころ)をおこせり。
父母(ちちはは)が (あたま)かきなぜ (さち)あれと ()いし言葉(ことば)ぞ (わす)れかねつる
父母(ちちはは)が (あたま)かきなぜ (さち)あれと ()いし言葉(ことば)ぞ (わす)れかねつる (おや) (おん)
父母(ちちはは)の (めぐ)みをあだに おもうなよ 弥陀(みだ)たのむ()を (そだ)(たま)えば
父母(ちちはは)の (めぐ)みをあだに おもうなよ 弥陀(みだ)たのむ()を (そだ)(たま)えば (おや)(おん)
ちとせふる 小松(こまつ)のもとを すみかにて 無量寿(むりょうじゅ)(ぶつ)の (むか)えをぞまつ
ちとせふる 小松(こまつ)のもとを すみかにて 無量寿(むりょうじゅ)(ぶつ)の (むか)えをぞまつ 法然上人() 来迎(らいこう) 正念(しょうねん) 往生(おうじょう)
()(つよ)く つけばはずみて (あが)(まり) ()をくだしてぞ すべむ極楽(ごくらく)  (のり)()草子(ぞうし) 深心(じんしん)
(ちゅう)()礼讃(らいさん)  観音(かんのん) 頂戴(ちょうだい)  (かん) (ちゅう) (じゅう) ((ちゅう)()礼讃(らいさん))   念仏者(ねんぶつしゃ)基本(きほん)   頭上(ずじょう)()(ぶつ)  善導(ぜんどう)
超越(ちょうえつ)内在(ないざい)調和(ちょうわ)   万有(ばんゆう)(ざい)(しん)(ろん) pan en thiesmus 汎神論(はんしんろん) (たい) 唯物(ゆいぶつ)(ろん) (クラウゼ) 参照 如来蔵思想、内在と超越 万有在神論 包含と展開
重源(ちょうげん)  黒田(くろだ)上人() 伊賀(いが)黒田(くろだ)上人() (しゅん)(じょう)(ぼう)重源(ちょうげん)  東大寺(とうだいじ) 大仏(だいぶつ)再建(さいこん) ()(ごう)始祖(しそ)
勅伝(ちょくでん)  浄土(じょうど)法門(ほうもん)(ゆう)(れん)(ぼう)とにあえるこそ (にん)(かい)()をうけたる(おも)()(はべ)れ。 法然上人() 勅伝(ちょくでん)46
(ちょく)にしも ()まばよからむ 横文字(よこもじ)を よみてな(はい)りそ よこしまの(みち)
()らざりき (ふつ)とともに おきふして ()()らしける (われ)()なりとは  (盲目(もうもく)
知力(ちりょく)  智慧(ちえ)物事(ものごと)方向性(ほうこうせい)(しめ)してくれる。 知力(ちりょく)には(もの)判断(はんだん)する能力(のうりょく)はあるが、方向性(ほうこうせい)がない
知力(ちりょく) 無明(むみょう)(もと)とし、煩悩(ぼんのう)基盤(きばん)としているから、方向性(ほうこうせい)間違(まちが)えて()(しょう)じる。 無知(むち) 愚痴(ぐち) 智慧(ちえ) 知力(ちりょく) (みょう)
(ちり)(はら)わん、(あか)(のぞ)かん
鎮西(ちんぜい)  同体(どうたい) (べっ)(たい)三宝(さんぼう) の(がん)(かい)をおどろかし(もう)してもうさく。 授手印(じゅしゅいん) ()() 鎮西(ちんぜい)聖光(しょうこう)
鎮西(ちんぜい)  ()() 末代(まつだい)念仏(ねんぶつ)授手印(じゅしゅいん) 修行(しゅぎょう) 安心(あんじん)()(もく))・起行(きぎょう)(ぎょう)(そく)) 起行(きぎょう) 二重(にじゅう) 修行(しゅぎょう)
追善(ついぜん) 先立(さきだ)ちし (ひと)よかれとの追善(ついぜん)は ()()よかれの (いの)りなりけり  回向(えこう) 追善(ついぜん)
(つう)(だつ) (しょ)法性(ほっしょう) 一切(いっさい)(くう)無我(むが)   專求(せんぐ)(じょう) 仏土(ぶつど) (ひつ)(じょう) (みょう) ()(せつ)  (しゅ)(ぜん)() (つい)(れん) (くう)(がい)75(さい)(しょ)
(つき) あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや(つき) (明恵(みょうえ)主客(しゅきゃく) 川端(かわばた)康成(やすなり) ノーベル(しょう) (つき) ()
(つき)かげの (いた)らぬ(さと)は なけれども ながむる(ひと)の こころにぞすむ   ()む ()む ()む 光明(こうみょう)遍照(へんじょう) 観経(かんぎょう) (だい)(9)
(つぎ)()は よき(むし)()まれこよと ()()わせつつポリドールまく  (むし) (ころ)す 懺悔(さんげ)
(つき)みれば ちぢに(もの)こそ ()しけれ (われ)()ひとつの (あき)にはあらねど
(つき)やあらぬ (はる)(むかし)の (はる)ならぬ (われ)()ひとつは もとの()にして
つくりおく (つみ)須弥(しゅみ)ほど あるならば えんまの(ちょう)に つけどころなし
(つた)()く (つる)(はやし)の 夜半(よわ)(こえ) (みな)()(おも)言葉(ことば)なりけり  (てい)(ごく) I(かく)(りん)涅槃(ねはん) 釈迦(しゃか)
(つつ)めども (ひと)(こころ)の よしあしは (おわ)りの(とき)に あらわれぞする
()(くに)の 難破(なんぱ)(はる)は ゆめなれや あしの枯葉(かれは)に (かぜ)わたるなり
(つの)()したる 蝸牛(かたつむり)さえも こちらの(しお)で まるくなる (()けて()つ すみませんと(あやま)ると(まる)くなる(藤堂 俊章 台下)
粒々(つぶつぶ)皆是仏身、滴々悉是仏物
(つま)こふる 鹿(しか)ぞなくなる 女郎花(おみなえし) おのが()()の (はな)()らずや
(つみ)  (ただ)(たの)め よろずの(つみ)は (ふか)くとも ()本願(ほんがん)の あらんかぎりは  本願(ほんがん) (つみ) 十悪(じゅうあく) 五逆(ごぎゃく)
(つみ)  なおしても なおらむものは (こころ)なり なおらぬ(ゆえ)に 弥陀(みだ)(たの)むなり  ((つみ)
(つみ)  (ぬす)みせず (ひと)(ころ)さずを よきことに われ(つみ)なしと (おも)うおろかさ  (とく)(ほん)上人()
(つみ) (いけ)(みず) (ひと)(こころ)に ()たりけり (にご)りすむ(こと) さだめなければ 法然上人() (つみ) (けが)れ 清浄(しょうじょう) (こころ) (にご)
(つみ) (ゆき)のうちに (ほとけ)御名(みな)を (とな)うれば つもれる(つみ)そ やがて()えぬる  法然上人() ((つみ)浄化(じょうか)) (ふゆ) (ゆき) 称名(しょうみょう)
(つみ)1、外道(げどう)(ともがら)は (ほとけ)教法(きょうぼう)において、すべてこれを(しん)じない。いわんや念仏(ねんぶつ)(ほう)にいおておやである。2、仏法(ぶっぽう)(なか)でも、小乘(しょうじょう) (きょう)他方(たほう)世界(せかい)あるを(しん)(じゅ)しないのである。(とう)(こん)(くち)には大乘(だいじょう)(きょう)()いつつ、西方(さいほう)浄土(じょうど)(しん)じないのが(おお)いようです。これはみな小乘(しょうじょう) (きょう)(ひと)と申すべきです。3、大乘(だいじょう)(まな)()(しん)のものでも、具縛(ぐばく)凡夫(ぼんぶ)がわずかの念仏(ねんぶつ)往生(おうじょう)(しん)じない。4、たとい善人(ぜんにん)といえどもいかんぞ、煩悩(ぼんのう)具足(ぐそく)凡夫(ぼんぶ)一日(いちにち)二日(ににち)十念(じゅうねん)一念(いちねん)(ちから)で、ただちに、三界(さんがい)穢惡(えあく)(はな)れて淨土(じょうど)不退(ふたい)にいる。これはこれ凡夫(ぼんぶ)誘引(ゆういん)気休(きやす)めの(ことば)ならんとして(しん)ぜず。5、五逆(ごぎゃく)(じゅう)(あく)罪人(ざいにん)(みずか)らその()において(うたが)いをなす。われはこれ五逆(ごぎゃく)十悪(じゅうあく)罪人(ざいにん)である。この(じゅう)罪人(ざいにん)はたとえ念仏(ねんぶつ)(しゅう)するとも、いかでか往生(おうじょう)()()べきと()()して往生(おうじょう)(うたが)うものです。これを浄土宗()では()(ぞう)(ざい)退(たい)(もう)しています。(みずか)(ぞう)(ざい)して退(しりぞ)くのである。
(つみ)ありて (むっ)つの(ちまた)に さまよえる (ひと)()わらん (ちか)(とうと)
()む 持戒(じかい)念仏(ねんぶつ)往生(おうじょう)() ()(なか)は (さい)河原(かわら)の (いし)なれや ()んではくずし くずしては()む  ()(なか) (さい)河原(かわら) (いし) ()
()めよ()め (ざい)をつむより (とく)をつめ まことの(とく)は (くず)るることなし
露とおき 露と消えゆる わが身かな 難波の事は 夢の又夢(つゆとおき つゆときえゆる わがみかな なにわのことは ゆめのまたゆめ)  (豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)
つゆと落ち つゆと消えにし わがみかな 難波のことも 夢のまた夢(つゆとおち つゆときえにし わがみかな なにわのことも ゆめのまたゆめ)
(つゆ)()は 此処彼処(ここかしこ)にて ()えぬとも (こころ)(おな)じ (なは)(だい)ぞ 法然上人() 流罪(るざい) (つゆ) (はな) 淨土(じょうど) 往生(おうじょう) 倶会一処(くえいっしょ)
(つゆ)()は 此処彼処(ここかしこ)にて ()えぬとも (こころ)(おな)じ (なは)(だい)ぞ 法然上人() 流罪(るざい) (つゆ) (はな) 淨土(じょうど) 往生(おうじょう) 倶会一処(くえいっしょ)
(つゆ)()は ここかしこにて きえぬとも こころはおなじ (はな)のうてなぞ(一蓮托生(いちれんたくしょう)
(つゆ)()は ここかしこにて きえぬとも こころはおなじ (はな)のうてなぞ」九条(くじょう)兼実(かねざね)(こう)(つぎ)(うた)返歌(へんか)「ふりすてて ゆくは(わか)れの (はし)なれど ふみわたすことを しぞおもう 」(じゅう)(れん) 安楽(あんらく)過失(かしつ)(ともな)流罪(るざい)
徒然草(つれづれぐさ)  ()(まえ)よりも()たらず、かねてうしろにせまれり。(ひと)みな()あることを()りて()つことしかも(きゅう)ならざるに(おぼ)えずして()る。(おき)干潟(ひがた)はるかなれども、(いそ)より(しお)滿(みつる)つるがごとし。  吉田(よしだ)兼好(けんこう) 徒然草(つれづれぐさ) () (しお) 
(てい)(ごく)  (つた)()く (つる)(はやし)の 夜半(よわ)(こえ) (みな)()(おも)言葉(ことば)なりけり  (てい)(ごく) I(かく)(りん)涅槃(ねはん) 釈迦(しゃか)
貞操(ていそう)  ()()(しゅ)  阿弥陀(あみだ)(いち)(ほとけ)(しん)じ、念仏(ねんぶつ)一行(いっこう)(ぎょう)ずる。 宗教的(しゅうきょうてき)貞操(ていそう)(まも)ること。 (あしゃく)(やく)(かん)(てん)(てん)八蔵(はちぞう)
貞操(ていそう) 肉体上の貞操は勿論のこと、信仰上の貞操が大切である。「わが身と心とのすべてを捧げて仕え奉らん」といい、「すべてを大ミオヤさまにおまかせ申し上げて」といいながら、いかがわしい俗信をつづけている。ことのよしあしは別として、あの00学会を見れば宗教上の貞操の大切さが分かる。わが身と心とのすべてを捧げて帰命し奉るのは大ミオヤさまのみである。
(てい)つれて (しょう)より(しょう)も ますらをの (こころ)にかへる 夜半(やはん)のかりかね
()(とな)え (こころ)におもい (わす)れずば たとい(くち)には ()(かた)るとも   (とく)(ほん) 念珠(ねんじゅ)
()にむすぶ (みず)宿(やど)れる (つき)(かげ) 大空(おおぞら)(つき)を (はら)みぬ(くさ)(つゆ)
()のまいも (あし)のふみども 白波(しらなみ)や (ちかい)(ふね)に ()()つる()は   (よろこ)び (ぜん)(きょう)  ()(きょう)  (きょう)(ちゅう)
(てら)じゃてるてる (みち)では(くも)る うちに(かえ)れば (あめ)()る  (えん)(ざい)()(ざい)(こころ) (ざい)(えん) (ざい)決定(けつじょう)
(てら)()()る (かえ)りは(くも)る (いえ)(かえ)れば (あめ)()る  (えん)(ざい)()(ざい)(こころ) (ざい)(えん) (ざい)決定(けつじょう)
てるつきの ひかりはいまださむ けれどはるにかはらぬ うめがかぞする
てるにつけ 曇るにつけて 思ふかな 我が民草の 上はいかにと
(てる)もお慈悲(じひ)()るもお慈悲(じひ) 、()()晴好(せいこう)、 日々(ひび)(これ)好日(こうじつ)
()()わす (ほとけ)にすまぬ ことばかり
()(おり)て (むかし)(とも)を (かず)うれば なきは(おお)くぞ なりにけるかな
()をとりて (おな)(はちす)に (のぼ)れかし 親子(おやこ)(つま)も この()ばかりか
()を叩く 鹿は寄り来る 鳥は飛ぶ 下女は茶をくむ 猿沢の池
天狗(てんぐ) 『平家物語』では、「人にて人ならず、鳥にて鳥ならず、犬にて犬ならず、足手は人、かしらは犬、左右に羽根はえ、飛び歩くもの」とある。
(てん)(しき)()() (しき)(てん)じて()()る 四智(しち)  清浄(しょうじょう) 六根(ろっこん) 
(てん)(はら) ()ちたる(ほし)の (かげ)()えて (つき)(ひかり)に なれる(から)かな
(てん)(なん)とも()わねども 四時(4じ)はつねにあやまらず (はる)芽生(めば)えて (なつ)しげり (あき)はみのりて (ふゆ)おさむ (おお)(おや)のおきては(こころ)なき 草木(くさき)(まも)りて(たが)わじを まして(こころ)()()より (あお)弥陀(みだ)(とおと)しな
天は二物を与えず天は二物を与えず    身体の丈夫な人 頭が悪い頭のよい人 身体が悪い器量のよい人愛想が悪い 愛想のよい人 器量が悪い愛想も器量もどちらもよけりゃ 身体がわるくて病院通い 金のある時 暇がない暇のある時 金がないお金お金と無理してためた たまった途端に 生命がもたぬ 家も新築お金も 出来たが肝心要の 子が出来ぬ 出来た出来たと ちやほやしたら ためたお金を 湯水と使う お金も子どもも 言うことないが もらった嫁御が 気に入らぬ 生んだわが子も親にたてつく 世の中だ 他家で生まれた 人じゃも(てんはにぶつをあたえず)の 辛抱のが 当たり前 二つ揃って よい事ないと 悟るまでには 月日がかかる わかりかけたら この身の終わり ほんに浮世は ままならぬ

(でん)(ぼう)形式(けいしき)(コップ) (でん)(かい)内容(ないよう) ((みず)) 五重(ごじゅう) (じゅ)(かい)()
天満宮(てんまんぐう)  (ばん)(まち)で ()あきめくらに (みち)()き    (はなわ) () 己一(きいち)   天満宮(てんまんぐう)   群書(ぐんしょ)(るい)(しゅう)
(てん)()ければ ()(じょう)(あいだ)の (ひと)(わる)いのみ
(てん)(うら)み (じん)(しゅう)むる ことはあらじ わがあやまちを (おも)ひかへさば
トイレ 不浄(ふじょう)にて (もう)念仏(ねんぶつ)に とがあらば めしこめられよ 弥陀(みだ)浄土(じょうど)へ  法然上人() (じょう)不浄(ふじょう) トイレ
同一(どういつ)名号(みょうごう)(とな)え、同一(どういつ)光明(こうみょう)(なか)にありて、(どう)(しょう)(じゅ)護念(ごねん)(こうむ)同胞(どうほう)(もっと)(した)し。(おろ)かに(うと)しと(おも)うべからず。 名号(みょうごう) 光明(こうみょう) (しょう)(じゅ) 別時(べつじ) 護念(ごねん) 同胞(どうほう) 
(とう)(かつ)(こく)(じょう)(しゅ)(ごう)叫喚(きょうかん)(だい)叫喚(きょうかん)焦熱(しょうねつ)(だい)焦熱(しょうねつ)無間(むけん)阿鼻(あび)
唐辛子(とうがらし) (はね)()えれば (あか)とんぼ
道元(どうげん)禅師(ぜんじ)  (はる)(はな) (なつ)ほととぎす (あき)(つき) (ふゆ)(ゆき)さえて すずしかりけり   道元(どうげん)禅師(ぜんじ) 四季(しき) 季節(きせつ) 春夏(はるなつ)(あき)(ふゆ)
当時(とうじ)日ごとの、お念仏をも、かつがつ回向し、まいらせられ候うべし。亡き人のために、念仏を回向し候へば、阿弥陀仏、光を放ちて、地獄、餓鬼、畜生を、照らし給い候へば、此の三悪道に、沈んで、苦を受ける者、その苦しみ、休まりて、命終わりて後、解脱すべきにて候。大経にもし三途勤苦の処に在りて、此の光明を見奉らば、皆休息を得て、又苦悩無し。寿終の後、皆解脱を蒙らんと云えり。『 勅伝 第二十三 』
同体(どうたい) (べっ)(たい)三宝(さんぼう) の(がん)(かい)をおどろかし(もう)してもうさく。 授手印(じゅしゅいん) ()() 鎮西(ちんぜい)聖光(しょうこう)
東大寺(とうだいじ)   黒田(くろだ)上人() 伊賀(いが)黒田(くろだ)上人() (しゅん)(じょう)(ぼう)重源(ちょうげん)  東大寺(とうだいじ) 大仏(だいぶつ)再建(さいこん) ()(ごう)始祖(しそ)
(とうと)いのは(あたま)でなく ()でなく (あし)(うら)である 一生(いっしょう)(ひと)()れず 一生(いっしょう)きたない(ところ)(せっ)黙々(もくもく)として その(つと)めを()たしてゆく (あし)(うら)(おし)えるもの しんみんよ (あし)(うら)(てき)仕事(しごと)をし (あし)(うら)(てき)人間(にんげん)になれ (あたま)から(ひかり)がでる まだまだだめ (あたま)から(ひかり)がでる まだまだいかん (あし)(うら)から(ひかり)でる そのような(ひと)こそ 本当(ほんとう)(えら)(ひと)である。
藤堂(とうどう) (つの)()したる 蝸牛(かたつむり)さえも こちらの(しお)で まるくなる (()けて()つ すみませんと(あやま)ると(まる)くなる(藤堂 俊章 台下)
同胞(どうほう) 同一(どういつ)名号(みょうごう)(とな)え、同一(どういつ)光明(こうみょう)(なか)にありて、(どう)(しょう)(じゅ)護念(ごねん)(こうむ)同胞(どうほう)(もっと)(した)し。(おろ)かに(うと)しと(おも)うべからず。 名号(みょうごう) 光明(こうみょう) (しょう)(じゅ) 別時(べつじ) 護念(ごねん) 同胞(どうほう) 
(どう)名号(みょうごう)(とな)え、同一光明の中にあって(どう)(しょう)(しゅう)護念(ごねん)(こうむ)る。同法(どうほう)(ほう)(ほう)(しん))、(もっと)(ちか)きとなす。
(とう)()言わざれども下おのずから蹊(みち)をなす               桃やすももは、何も言わなくても、花の美しさにひかれて多くの人が集まってくるので、自然に木の下に道ができる。徳望のある人は、みずから求めなくても、人が自然とその徳を慕い寄って来ることのたとえ。
(とき)   なにごとも (とき)ぞと(おも)え (なつ)()ては (にしき)(まさ)る (あさ)のさ(ごろも)   (とき) (なつ) 末法(まっぽう)
ときどき別時(べつじ)念仏(ねんぶつ)(しゅう)して、(こころ)をも()をもはげまし、ととのえすすむべきなり。
(とき)(いま) ところ足元(あしもと) そのことに うちこむ(いのち)  永久(とわ)のみいのち
(とき)(いま) ところ足元(あしもと) そのことに うちこむ(いのち)  永久(とわ)のみいのち  椎尾(しいお)(べん)(きょう) (いま) 人権(じんけん) (いのち) 精進(しょうじん)
徳川(とくがわ)· なかぬなら殺してしまへ時鳥      織田右府(織田信長)
· 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉)
· なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康)
· 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火
()(ほう)に (こころ)(はな)は (ひら)けども その(じつ)となれる (ひと)はまれなり
(とく)(ほん)  ()(とな)え (こころ)におもい (わす)れずば たとい(くち)には ()(かた)るとも   (とく)(ほん) 念珠(ねんじゅ)
(とく)(ほん)  (ぬす)みせず (ひと)(ころ)さずを よきことに われ(つみ)なしと (おも)うおろかさ  (とく)(ほん)上人()
(とく)(ほん) 煙草(たばこ)のむ()と (こい)する()には (むね)にけぶりの()()ない。  アミタアミタと(こい)する()には (むね)(ほとけ)のたえまなきぞ (とく)(ほん) 無間(むけん)(しゅ)
(とく)(ほん) (のち)()の (ひと)(かがみ)に のこしおく 南無阿彌陀佛() 知識(ちしき)をぞ()よ  (とく)(ほん)行者(ぎょうじゃ)  (かがみ)   無明(むみょう)(みょう)
(とく)(ほん)上人()   極楽(ごくらく)は (ほとけ)のいます (くに)なれば (ほとけ)(とも)に ()めば極楽(ごくらく)。 徳本  地獄(じごく)とは (おに)()みける (くに)なれば (おに)一緒(いっしょ)に ()めば地獄(じごく)よ。 睡時(すいじ) (とく)(ほん)
とこよなる 無為(むい)(みやこ)は よそならず (ひかり)(なか)に すむ(こころ)かな
(とし)ごとに (とし)(ひと)つづつ とられつつ めでためでたと (いわ)元旦(がんたん)
(とし)(うち)に つくれる(ざい)は かきくらし ふる白雪(はくせつ)と (とも)()えなん
年寄(としよ)りは 半分(はんぶん)あけた 米俵(こめだわら) (くち)(かろ)うて (しり)(おも)さよ
(とし)(きょう)し (いと)のみだれの (くる)しさに (ころも)のたては ほころびにけり
(とし)をとったら出しゃばらず  憎まれ口に 泣きごとに人のかげ口 愚痴言わず   他人のことは誉めなはれ 聞かれりや教えてあげてでも  知ってることでも知らんふり いつでもアホでいるこっちゃ  いつでもアホでいるこっちゃ 勝ったらあかん負けなはれ  いずれお世話になる身なら 若いもんには花持たせ  一歩下がって譲るのが 円満にいくコツですわ   いつも感謝を忘れずに どんな時でも ヘエおおきに  どんな時でも ヘエおおきに お金の欲を捨てなはれ  なんぼゼニカネあってでも 死んだら持って行けまへん  あの人はええ人やった そないに人から言われるように 生きているうちにバラまいて 山ほど徳を積みなはれ    山ほど徳を積みなはれ そやけどそれは表向き   ほんまはゼニを離さずに 死ぬまでしっかり持ってなはれ  人にケチやと言われても お金があるから大事にし   みんなベンチャラ言うてくれる 内緒やけどほんまだっせ   内緒やけどほんまだっせ 昔のことはみな忘れ   自慢話はしなはんな わしらの時代はもう過ぎた   なんぼ頑張り力んでも 体がいうこと聞きまへん  あんたはえらい わしゃあかん そんな気持ちでおりなはれ   そんな気持ちでおりなはれ 我が子に孫に世間さま  どなたからでも慕われる ええ年寄りになりなはれ  ボケたらあかんそのために 頭の洗濯生きがいに   何か一つの趣味持って せいぜい長生きしなはれや  せいぜい長生きしなはれや
(とつ)()に (わす)れず(もた)す 数珠(じゅず)(ひと)
(とな)ふれば ここにいながら 極楽(ごくらく)の (しょう)(しゅ)(かず)に ()るぞうれしき
(となり)(くら)()てば、こちらに(はら)()ち   (じん)
(とも) ()まれては まづ(おも)いでん ふるさとに (ちぎ)りし(とも)の (ふか)きまことを 法然上人() 故郷(ふるさと) (とも) 往生(おうじょう) 
豊臣(とよとみ)· なかぬなら殺してしまへ時鳥      織田右府(織田信長)
· 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉)
· なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康)
· 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火
豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)  露とおき 露と消えゆる わが身かな 難波の事は 夢の又夢(つゆとおき つゆときえゆる わがみかな なにわのことは ゆめのまたゆめ)  (豊臣(とよとみ)秀吉(ひでよし)
とるさをの心長くぞ漕ぎ寄せむ芦間の小舟さはりあるとも
取る棹の心長くぞ漕ぎ寄せん蘆間の小舟さはりありとも(とるとうのこころながくぞこぎよせんろかんのこぶねさはりありとも)
(どろ)(みず)を ぬけて(すず)しき 蓮華(れんげ)かな
(とん)  (よく)(かわ) ひっぱりみれば (なが)いもの どこがどことて ()てしなければ  煩悩(ぼんのう) 貪・瞋・癡(とんじんち)
貪・瞋・癡(とんじんち) 十悪(じゅうあく) (しん)(さん)殺生(せっしょう)偸盗(ちゅうとう)(じゃ)(いん)) ()()妄語(もうご)綺語(きご)(あく)()(りょう) (ぜつ)) ()(さん)貪・瞋・癡(とんじんち)) 身口意(しんくい) 貪・瞋・癡(とんじんち)
とんぼつり今日はどこまで行ったやら
曇鸞(どんらん)  不断(ふだん)煩悩(ぼんのう)()(しん)(そく)涅槃(ねはん)(ほう)(しん)) 曇鸞(どんらん)善道(ぜんどう))  
曇鸞(どんらん)大師(だいし)中国(ちゅうごく)、北魏時代の僧。はじめ般若思想を学んだが、のち不老長寿を願って仙士陶弘景を訪ね、仙術を修得した。しかし帰途、洛陽で菩提流支(ぼだいるし)に会うに及び仙経をすてて浄土教に帰した。著に「往生論注」「讚阿弥陀仏偈」など。浄土五祖の第一。(四七六〜五四二)
なおしても なおらむものは (こころ)なり なおらぬ(ゆえ)に 弥陀(みだ)(たの)むなり  ((つみ)
ながながと お世話(せわ)になりし (きく)(はな)  (おん) (おや)
仲良(なかよ)く 三宝(さんぼう) @(ぶつ)(あか)るく  A(ほう)(ただ)しく B(そう)(なご)やかに 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
()きざまを ()()くしたり 涅槃(ねはん)(ぞう)
()(ひと)(はは)(ちち)(おや))の ためにたむくる 念仏(ねんぶつ)は ()きる()()の (おし)えなりけり
()(ひと)を (とむら)うまことの(みち)は、(のこ)れるものの(ただ)しき(あゆ)みによる
なく· なかぬなら殺してしまへ時鳥      織田右府(織田信長)
· 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉)
· なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康)
· 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火
なく· なかぬなら殺してしまへ時鳥      織田右府(織田信長)
· 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉)
· なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康)
· 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火
なく· なかぬなら殺してしまへ時鳥      織田右府(織田信長)
· 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉)
· なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康)
· 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火
なく· なかぬなら殺してしまへ時鳥      織田右府(織田信長)
· 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉)
· なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康)
· 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火
なく· なかぬなら殺してしまへ時鳥      織田右府(織田信長)
· 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉)
· なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康)
· 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火
なく· なかぬなら殺してしまへ時鳥      織田右府(織田信長)
· 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉)
· なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康)
· 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火
なく· なかぬなら殺してしまへ時鳥      織田右府(織田信長)
· 鳴かずともなかして見せうほととぎす 豊太閤(豊臣秀吉)
· なかぬなら鳴くまで待とふほととぎす 大權現様(徳川家康)
· 鳴かぬなら鳴かなくてよいほととぎす -種田山頭火
()(こえ)の よきも()しきも その(おや)の (おし)えによるぞ (やぶ)のうぐいす
()くなった(ひと)たちに()える()を (つく)って(くだ)さった 釈迦(しゃか)()()世尊(せそん)に (こころ)からお(れい)を申し上げよう そして亡くなった人たちが 喜んで帰って下さる 楽しいお盆にしよう せっかく帰って下さった方々を 悲しませたり 落胆させたり もう帰らないことにしようなど 思わせたりしない 心あたたかいお盆にしよう   迎え火のうれしさ (おく)()のさみしさ そうした人間(にんげん)本然(ほんぜん)(こころ)にかえって (まも)られて()きる ありがたさを()ろう  (坂村(さかむら) (しん)(みん)
(なご)やかに 三宝(さんぼう) @(ぶつ)(あか)るく  A(ほう)(ただ)しく B(そう)(なご)やかに 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
(なさ)け  さかりをば 見る人多し  散る花の  あとを訪ふこそ  情けなりけり  (はな)   (なさ)
(なつ)   なにごとも (とき)ぞと(おも)え (なつ)()ては (にしき)(まさ)る (あさ)のさ(ごろも)   (とき) (なつ) 末法(まっぽう)
(なつ)  (はる)(ひゃか)花あり、(あき)(つき)あり、(なつ)涼風(りょうふう)あり、(ふゆ)(ゆき)あり  四季(しき)季節(きせつ) 春夏(はるなつ)(あき)(ふゆ)  ()(かい)禅師(ぜんじ)
(なつ)  (はる)(はな) (なつ)ほととぎす (あき)(つき) (ふゆ)(ゆき)さえて すずしかりけり   道元(どうげん)禅師(ぜんじ) 四季(しき) 季節(きせつ) 春夏(はるなつ)(あき)(ふゆ)
(なつ) あみだぶと (こころ)西(にし)に うつ(せみ)の もぬけはてたる (こえ)(すず)しき 法然上人() (なつ) 念仏(ねんぶつ) (せみ) (すず)しき
なつかしさ (みな)同胞(はらから)()れぬ(えん) (ひと)りのミオヤ おやとせる(ひと)
夏草(なつくさ)や (つわもの)どもが (ゆめ)のあと (松尾(まつお)芭蕉(ばしょう)
(なつ)たけて (ほり)のはちすの (はな)みつつ (ほとけ)(おし)へ (おも)(あさ)かな
七施(ななせ)無財(むざい)七施(ななせ)。雑然と諸種の因縁・誓喩・本事・本生等を集録した『雑宝蔵経』というお経の中に七種施の因縁が説かれてあります。仏説きたまうに、七種施あり、財物を損せずして大果報を獲ん。●一には眼施と名づく、常に好眼を以て父母、師長、沙門、婆羅門を視るに悪眼を以てせず、名づけて眼施となす。身を捨つるも身を受けて、清浄眼を得、未来に成仏して天眼、仏眼を得ん。是を第一の果報と名づくるなり。●二には和顔悦色施と名づく、父母、師長、沙門、婆羅門に於いて、悪色を以て肇燈(ひんしゅく)せず、身を捨つるも身を受けて、端正色を得。未来に成仏して真金色を得ん。是を第二の果報と名づくるなり。●三には言辞施と名づく、父母、師長、沙門、婆羅門に於いて、柔軟の語を出し(あら)悪(そあく)の言に非ざれば、身を捨つるも身を受けて、言語の弁了を得ること言説すべからずして、人の為めに信受せられ、未来成仏して四弁才を得ん、是を第三の果報と名づくるなり。●四には身施と名づく、父母、師長、沙門、婆羅門に於いて、起ち迎えて礼拝す。是を身施と名づく。身を捨つるも身を受けて、端政(正)の身、長大の身、人に敬わる身を得、未来成仏して身は尼拘()陀樹(にくろだじゅ) の如く頂を見る者なけん。是を第四の果報と名づくるなり。●五には心施と名づく、上の事を以て供養すと(いえども)も、心和善ならずんば名づけて施と為さず。善心にして和善ならば深く供養を生ぜん、是を心施と名づく。身を捨つるも身を受けて、明了心を得て()狂の心ならず。未来に成仏して一切種智心を得ん。是を名づけて心施、第五の果報と名づくるなり。●六には床座施と名づく、若し父母、師長、沙門、婆羅門を見ば、為めに床座を敷きて坐せしめ、乃至自らすでに自坐せる所を以て請いて坐せしむるなり。身を捨つるも身を受けて、常に尊貴なる七宝の床座を得。未来に成仏して獅子法座を得ん。是を第六の果報と名づくるなり。●七には房舎施と名づく、前の父母、師長、沙門、婆羅門をして、屋舎の中に行来坐臥することを得しむ、即ち房舎施と名づくるなり。身を捨つるも身を受けて、自然の宮殿舎宅を得、未来に成仏してもろもろの禅屋宅を得ん。是を第七の果報と名づくるなり。是を七施と名づく。財物を損せずと(いえども)も大果報を得るなり。
七度(ななど) (たず)ねて (ひと)(うたが)
七十(なな)にして(わが)(こころ)(ほっ)するところに(したが)って (のり)(こえる)えず
何事(なにごと)の おはしますかは ()らねども (かたじけな)けなさに(なみだ)こぼるる ((ふつ)
何事(なにごと)も (いつわ)(おお)き ()(なか)に ()ぬるばかりは まことなりけり
何事(なにごと)も (おも)ふがままに ならざるが かへりて(にん)の ()()にこそ
なにごとも (とき)ぞと(おも)え (なつ)()ては (にしき)(まさ)る (あさ)のさ(ごろも)   (とき) (なつ) 末法(まっぽう)
()にし()はばいざことはむ 都鳥(みやこどり) わが(おも)(ひと)は ありやなしやと
(なに)しかも (ぶつ)くるしげに うめくらむ (つき)(はな)との おもしろの()
難波(なにわ) あみだぶと いうよりほかは ()(くに)の 難波(なには)のことは あしかりぬべし 法然上人()
なべて世の 民の愁の 深き江に 身をつくしても 救いひてしがな
波風(なみかぜ)の (しず)かなる()も (せん)(ひと)は (かじ)(こころ)を (もと)さざらなむ
(なみだ)とともにパンを()べた(もの)でなければ、人生(じんせい)(あじ)はわからない  ゲーテ
南無(なむ)とは、また(これ)帰命(きみょう)発願(ほつがん)回向(えこう)()なり。
南無(なむ)()ぶ (こえ)(まよ)いの (くも)()れて さやかに()ゆる 弥陀(みだ)のおも(かげ)
(なら)()く (じん)にはよしや (あと)るとも (ただ)しき(みち)を (くつ)みなたがへそ
南無阿彌陀佛()を (とな)ふれば ここはそのまま 極楽(ごくらく)で そこらじゅうが(はな)だらけ
(なんじ)さらに会稽(かいけい)(はじ)(おも)い、敵人(てきじん)をうらむ(こと)なかれ。これ(せん)()宿業(しゅくごう)なり。もし遺恨(いこん)をむすばば、そのあだ()々に()(がた)かるべし。しかじ(はや)(ぞく)をのがれて(いえ)をいでて、わが菩提(ぼだい)をとぶらひ、(みずか)らが解脱(げだつ)をもとめんには」と()ひて、端座(たんざ)して西(にし)()かひ、合掌()して(ほとけ)(ねん)じ、めぶるがごとくして(いき)()えにけり。 (勅伝(ちょくでん)
二河(にが)  (まえ)弥陀(みだ) (うし)ろはお釈迦(しゃか) (なか)(われ) ()きつ()されつ (まい)極楽(ごくらく)  白道(びゃくどう)  二河(にが)
(にが)い  あさ(みどり) (ふき)(とう)ひとつ (つち)もたげ  (はる) 彼岸(ひがん) (あじ) (にが)い 
二河(にが)(なか) 四五(45)(すん)ほどの (しろ)(みち) 南無阿彌陀佛()と (もう)してぞ()く  白道(びゃくどう) 
二河白道(にがびゃくどう)  釈迦(しゃか)()け 弥陀(みだ)は ()いよに (なか)(われ) ()され()かれて まいる極楽(ごくらく)  二河(にが)白道(びゃくどう) ()(そん)
二河白道(にがびゃくどう) 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  (げんにびぜつしんに)耳鼻舌身意(じんに) が(きよ)められる 色声香味触法(いろしょうこうみしょくほう)(ぜん)5つが五塵(5じん) 五賊(ごぞく)二河白道(にがびゃくどう)) (こころ)三垢(3あか)(わく)(ごう)()
(にく)(よめ) 可愛(かわい)(まご)を やたら()
(にく)むとも (にく)(かえ)すな (にく)まれて (にく)(にく)まれ ()てしなければ (怨憎会苦(おんぞうえく)
(にご)り (いけ)(みず) (ひと)(こころ)に ()たりけり (にご)りすむ(こと) さだめなければ 法然上人() (つみ) (けが)れ 清浄(しょうじょう) (こころ) (にご)
()(こん)最勝(さいしょう)なるにより、(ほとけ)慈悲(じひ)()って名号(みょうごう)(かえ)った (華厳経(けごんきょう)
西田(にしだ)幾多郎(きたろう) わが(こころ) (ふか)(そこ)あり よろこびも うれいの(なみ)も とどかじと(おも)う。 (西田(にしだ) 幾多郎(きたろう)
西(にし)()く (おしえ)えのおやの こいしさに せめてみあとを めぐりてもがな 弁栄(べんねい)上人() 日本(にほん)のひかり p112
西(にし)()く (みち)のしるべは なかなかに ただ(おろ)かなる (こころ)なりけり
西(にし)()く (みち)より(ほか)は (いま)()に 浮世(うきよ)(いづる)づる (もん)やなからん 淨土門(じょうどもん)
二重(にじゅう)  安心(あんじん)()(もく))・起行(きぎょう)(ぎょう)(そく)) 起行(きぎょう) 二重(にじゅう) 修行(しゅぎょう)
にせものは 変り易きに かはらぬは まことの信の 験なりけり
()()  同体(どうたい) (べっ)(たい)三宝(さんぼう) の(がん)(かい)をおどろかし(もう)してもうさく。 授手印(じゅしゅいん) ()() 鎮西(ちんぜい)聖光(しょうこう)
()() 末代(まつだい)念仏(ねんぶつ)授手印(じゅしゅいん) 修行(しゅぎょう) 安心(あんじん)()(もく))・起行(きぎょう)(ぎょう)(そく)) 起行(きぎょう) 二重(にじゅう) 修行(しゅぎょう)
()(そん)  釈迦(しゃか)()け 弥陀(みだ)は ()いよに (なか)(われ) ()され()かれて まいる極楽(ごくらく)  二河(にが)白道(びゃくどう) ()(そん)
日課(にっか)念佛(ねんぶつ) かずを(さだ)めずば懈怠(けたい)因縁(いんねん)なれば、()(へん)をすすむるにて(そうろ)う 法語(ほうご)15
日本人(にほんじん)精神(せいしん)特色(とくしょく)は 1、さっぱり 2、(かみ)ゝしさ 3、(した)しみ
(にゅう)() ()(にゅう) (如来(にょらい)(われ)(はい)(たま)い、(われ) 如来(にょらい)(はい)る)
如来(にょらい) すでに()ている。(いま)未来(みらい)では()い。
如来(にょらい)(ぞう)思想(しそう) 凡夫(ぼんぶ)の心の中にある如来(仏)となりうる可能性。それは煩悩におおわれているが、本来清浄で永遠に変わらないさとりの本性であるとされる。(のう)(ぞう)(わたし)たちの(なか)にある(ほとけ)が) 所蔵(しょぞう)(わたし)たちを(つつ)んでいる)(いん)(ぷく)(ぞう)(そのことに()づかない)参照 如来蔵思想、内在と超越 万有在神論 包含と展開
如来(にょらい)(いま)さざる(ところ)なきが(ゆえ)に (いま)(げん)此処(ここ)(まし)ますことを(しん)じて 一心(いっしん)(きょう)(らい)(たてまつ)
如来(にょらい)(いま)さざる(ところ)なきが(ゆえ)に、(いま)(げん)此処(ここ)(まし)ます
如来(にょらい)威力(みちから)恩寵(みめぐみ)とに()りて、()(はたら)きあることを()たる(われ)は、()()(こころ)との(すべ)てを(ささ)げて(つか)(たてまつ)らん。(こいねが)わくは、(いつ)光栄(みさかえ)(あらわ)すべき(つと)めを()たす(みめぐみ)(ちょう)()(たま)
如来(にょらい)一切(いっさい)(だい)(しゅう)()ること一子(いっし)のごとしで、男女(だんじょ)上下(じょうげ)も、煩悩(ぼんのう)罪悪(ざいあく)浅深(せんじん)も、一切(いっさい)差別(さべつ)なしに()ること一子(いっし)のごとし、(なお)一子(いっし)()(なお一子(いっし)(ごと)(ゆえ)に)これを平等(びょうどう)一子(いっし)(もう)します。 いずれにしても 「(ひと)(きら)うことは(そうろう)わぬなり」です。
如来(にょらい)(みょう)(しき)(しん) 世間(せけん)()()(とう) ()()不思議(ふしぎ) ()()(こん)(きょう)(らい) 如来(にょらい)(しき)無尽(むじん) 智慧(ちえ)(やくぶ)(ねん) 一切(いっさい)(ほう)常住(じょうじゅう) ()()()帰依(きえ)  ( 如来(にょらい)(たえ)なる(しき)(しん)は 世間(せけん)(ひと)しきものはなく ()するものなく不思議(ふしぎ)なり この(ゆえ)(いま)(きょう)(らい)す 如来(にょらい)(しき)無尽(むじん)にして 智慧(ちえ)(また)(また)(しか)なり。 一切(いっさい)(ほう)常住(じょうじゅう)なり この(ゆえ)(われ)帰依(きえ)したてまつる ) (善導(ぜんどう)大師(だいし)
にわかに(いか)りをなすことなかれ、(いま)(もち)いずとも たまたま(もち)いることあり。譬喩(ひゆ) 瓢箪(ひょうたん)のはなし。骨董(こっとう)()きな王様(おおさま)新婚(しんこん)家来(けらい) 新婚(しんこん)(つま)(もと)(よる)(おとこ)がいる。((いか)り)瓢箪(ひょうたん)のなかの言葉(ことば)(おも)()しよく(たし)かめてみると(ちち)だった。(ころ)さなくてすんだ 忍辱(にんにく) (いか)り 煩悩(ぼんのう) 
(にん)  もとよりも (しの)ぶの(さと)に (しのぶ)れば (しの)びてかよへ 弥陀(みだ)淨土(じょうど)へ  苦楽(くらく) (にん) (しの)ぶ 
(にん) 大忍とは耐えしのんだり、がまんすることとはちがう。苦しいときはくるしいままに、嬉しいときは嬉しいままに身体ごと素直に順応していくことである。悲しいときは子供のように、ごく自然に涙を浮かべ悲しいんでいる。また念願かなって嬉しいときは、子供のように無邪気に嬉しがるこれを大忍という。 寂しいときは寂しいままに独り静かにいる。これが日本文化の「わび」「さび」の精神である。身体で抑えて、首から上に上げない。文句、愚痴を言わないようにしよう。争いの元となる。罪作り。(板橋興宗 曹洞宗)
人間(にんげん)とは()ずかしさを()きかかえて()きる動物(どうぶつ)といっていい  ラッセル イギリスの哲学者(てつがくしゃ)  (はじ) 羞恥心(しゅうちしん) 
人間(にんげん)は 一生(いっしょう)(あいだ)に 二度(にど) 誕生(たんじょう)しなければならない(第一(だいいち)(はは)から、第二(だいに)(ほとけ)()ちしての誕生(たんじょう)
人間(にんげん)は (みが)けば(みが)くほど (きたな)さがみえてくる
忍澂(にんちょう)上人() ()むれば(すなわ)(ほとけ)(ふく)み、()むれば(すなわ)(ほとけ)()く「寐(そく)(がん)(ぶつ)(かく)(そく)()(ぶつ)」 (にんちょう)上人() 善導(ぜんどう)大師(だいし) (熊谷(くまがい) (れん)(せい) 藤枝(ふじえだ) 蓮生(はすお)(てら)
忍辱(にんにく)  にわかに(いか)りをなすことなかれ、(いま)(もち)いずとも たまたま(もち)いることあり。譬喩(ひゆ) 瓢箪(ひょうたん)のはなし。骨董(こっとう)()きな王様(おおさま)新婚(しんこん)家来(けらい) 新婚(しんこん)(つま)(もと)(よる)(おとこ)がいる。((いか)り)瓢箪(ひょうたん)のなかの言葉(ことば)(おも)()しよく(たし)かめてみると(ちち)だった。(ころ)さなくてすんだ 忍辱(にんにく) (いか)り 煩悩(ぼんのう) 
忍辱(にんにく) ()にしたがえば,身,くるし.したがはねば,狂せるに似たり.いずれの所を占めて,いかなるわざをしてか.しばしもこの身を宿し,たまゆらも心を休むべき.  方丈記(ほうじょうき)
盗人(ぬすっと)を (つか)へて()れば (われ)()なり きりたくもあり きりたくもなし
(ぬす)みせず (ひと)(ころ)さずを よきことに われ(つみ)なしと (おも)うおろかさ  (とく)(ほん)上人()
()れば(ゆめ) さむればうつつ (つか)()の (わす)(がた)きは 弥陀(みだ)面影(おもかげ)
(ねがい)はくは (われ)春風(はるかぜ)に ()をなして なげきある(ひと)の (もん)(おとず)はばや
(ねが)わくは、常に慈悲、歓喜、正義、安忍、剛毅、貞操、謙遜、真実等の徳を体し、外は怨親平等に同体大悲の愛を以て()
涅槃(ねはん)   ()()涅槃(ねはん) ()()涅槃(ねはん)
涅槃(ねはん)   ()きざまを ()()くしたり 涅槃(ねはん)(ぞう)
涅槃(ねはん)  きささぎの (なか)五日(いつか)の 夜半(よわ)(つき) ()りにしあとの (やみ)ぞかなしき
涅槃(ねはん)  きささぎの (なか)五日(いつか)の 夜半(よわ)(つき) ()りにしあとの (やみ)ぞかなしき 西(さい)(しん)  涅槃(ねはん) 釈迦(しゃか)
涅槃(ねはん)  渋柿(しぶがき)の (しぶ)そのままの (あま)さかな  煩悩(ぼんのう)(そく)涅槃(ねはん)
涅槃(ねはん)  不断(ふだん)煩悩(ぼんのう)()(しん)(そく)涅槃(ねはん)(ほう)(しん)) 曇鸞(どんらん)善道(ぜんどう))  
涅槃(ねはん)  不断(ふだん)煩悩(ぼんのう)()(しん)(そく)涅槃(ねはん)(ほう)(しん)) 曇鸞(どんらん)善道(ぜんどう))  
涅槃經(ねはんきょう) 慚愧(ざんき) (ざん)(じん)()じ、()(てん)()ず。これを慚愧(ざんき)(めい)づく。()慚愧(ざんき)()づけて畜生(ちくしょう)とす。 涅槃經(ねはんきょう) (はじ) 慚愧(ざんき) 羞恥心(しゅうちしん)
()むれば(すなわ)(ほとけ)(ふく)み、()むれば(すなわ)(ほとけ)()く「寐(そく)(がん)(ぶつ)(かく)(そく)()(ぶつ)」 (にんちょう)上人() 善導(ぜんどう)大師(だいし) (熊谷(くまがい) (れん)(せい) 藤枝(ふじえだ) 蓮華寺(れんげじ)
()る   ()な夜なミオヤと共に寝ね 朝な朝なもともに起き 立ち居起き臥し添いまして しばしも離るることぞなき (田中(たなか)(もく)(しゃ) (しん)(でん)()(うた)) 長時(じょうじ)(しゅ) 田中(たなか)(もく)(しゃ)  (しん)(でん)田植(たう)(うた) ()
()(とき) 阿弥陀仏(あみだぶつ)と 十声(10こえ)(とな)えて まどろまん (なが)(ねむ)りに なりもこそすれ 法然上人() 十念(じゅうねん) すいじ十念(じゅうねん) 就寝(しゅうしん) ()(とき)
拈華(ねんげ)()(しょう)  釈迦(しゃか)説法(せっぽう)せずに、金蓮(ごんはす)(ねん)じた。大衆(たいしゅう)はその意味(いみ)がわからずにいたが、迦葉(かしょう)だけが微笑(びしょう)したこと
(ねん)() 念仏(ねんぶつ) (()() 聖光(しょうこう) 上人()
念珠(ねんじゅ)  阿彌陀仏(あみだぶ)と (とな)うるごとに すすむ数珠(じゅず) ()もるを()れば なお(いさ)みける (ぶつ)(さだ)  念珠(ねんじゅ)
念珠(ねんじゅ)  数珠(じゅず)くれば (にご)(こころ)も すみやかに 菩提(ぼだい)(たね)も (ちか)くなるらん   福田(ふくだ)(ぎょう)(かい)  念珠(ねんじゅ)
念珠(ねんじゅ)  ()(とな)え (こころ)におもい (わす)れずば たとい(くち)には ()(かた)るとも   (とく)(ほん) 念珠(ねんじゅ)
念珠(ねんじゅ)  (のち)()の おもいの(たま)の かずかずに ()こす(こころ)を みがけとぞおもう 福田(ふくだ)(ぎょう)(かい)  念珠(ねんじゅ) 
念珠(ねんじゅ) 谷川(たにがわ)の ()()(した)の おぼれ(みず) (なが)るるもゆく (したた)るもゆく (つぶつぶもゆく ざらざらもゆく) 示現(じげん) (いわ)清水(しみず)八幡(はちまん) (はやし) 227
念珠(ねんじゅ)のとり(かた) 1、(しん)(しゅ)一称(いっしょう)(いち)() 粒粒(つぶつぶ)念佛(ねんぶつ) 2、(はや)くりーざら念佛(ねんぶつ)谷川の 木の葉の下の おぼれ水 つぶつぶもゆく ざらざらもゆく
念念(ねんねん)  (ぜん)(ねん)()(ねん)念念(ねんねん)   「念念(ねんねん)(ぼん)(しょう)(かい)(じょう)(こう)」((こう)())(法事讃(ほうじさん)
年々(ねんねん)歳々(さいさい) (はな)(ひら)けど 歳々(さいさい)年々(ねんねん) (ひと)(おな)じからず
(ねん)は (ひと)二人(ふたり)の (こころ)()く  ((ねん)
念仏(ねんぶつ)   (こころ)(くも)れば(くも)ったままに、(みだ)るれば(みだ)れたままに、()めば()むままに、()()のままに、智者(ちしゃ)智者(ちしゃ)のまままに、(しき)(よう)(しき)(よう)のままに、(しん)()(しん)()のままに
念佛(ねんぶつ)  一声(ひとこえ)も すてぬ(ちかい)の うれしさに (おも)わずつもる 弥陀(みだ)のかずかず  念佛(ねんぶつ)(ちかい) 、弥陀(みだ)
念仏(ねんぶつ)  (べっ)(たい)三宝(さんぼう) @(ぶつ)浄土(じょうど)弥陀(みだ)  A(ほう)念仏(ねんぶつ)()(のり) B(そう)浄土(じょうど)菩薩(ぼさつ) 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
念仏(ねんぶつ) @(ひと)(さけ)()む A(さけ)(さけ)()む B(さけ)(ひと)をのむ  (さけ)念仏(ねんぶつ)にしたらよい。
念仏(ねんぶつ) 阿弥陀仏(あみだぶつ)と (もう)すばかりを つとめにて 淨土(じょうど)荘厳(しょうごん) ()るぞうれしき 法然上人() 浄土(じょうど) 荘厳(しょうごん) 見佛(けんぶつ) 念仏(ねんぶつ) 三昧(さんまい)
念仏(ねんぶつ) あみだぶと (こころ)西(にし)に うつ(せみ)の もぬけはてたる (こえ)(すず)しき 法然上人() (なつ) 念仏(ねんぶつ) (せみ) (すず)しき
念仏(ねんぶつ) (たの)みなば ただひしひしと (たの)むべし ()(かしこ)きは (みち)(とお)きぞ 愚鈍(ぐどん) 念仏(ねんぶつ) 往生(おうじょう)()
念仏(ねんぶつ) 同一(どういつ)名号(みょうごう)(とな)え、同一(どういつ)光明(こうみょう)(なか)にありて、(どう)(しょう)(じゅ)護念(ごねん)(こうむ)同胞(どうほう)(もっと)(した)し。(おろ)かに(うと)しと(おも)うべからず。 名号(みょうごう) 光明(こうみょう) (しょう)(じゅ) 別時(べつじ) 護念(ごねん) 同胞(どうほう) 
念佛(ねんぶつ) 日課(にっか)念佛(ねんぶつ) かずを(さだ)めずば懈怠(けたい)因縁(いんねん)なれば、()(へん)をすすむるにて(そうろ)う 法語(ほうご)15
念仏(ねんぶつ) 煩悩(ぼんのう)をば(こころ)客人(まろうど)として、念佛(ねんぶつ)(こころ)主人(あるじ)としつらえば(あなが)ちに往生(おうじょう)をば(さわ)ぬなり((7)箇条(かじょう)起請文(きしょうもん) 11)煩悩(ぼんのう)客人(まろうど)念仏(ねんぶつ)主人(しゅじん)
念仏(ねんぶつ)(しゃ)   (しん) (ねん) (いち) (ひゃく) (さい)、 (ちょう) (しゅう) 八十(はちじゅう) () (100(さい)老親(ろうしん)が83(さい)()心配(しんぱい)していることで、老婆(ろうば)親切(しんせつ)である。その(うえ)往生(おうじょう)(ねが)い、念仏者(ねんぶつしゃ)になった)
念仏(ねんぶつ)(しゃ)基本(きほん)  観音(かんのん) 頂戴(ちょうだい)  (かん) (ちゅう) (じゅう) ((ちゅう)()礼讃(らいさん))   念仏者(ねんぶつしゃ)基本(きほん)   頭上(ずじょう)()(ぶつ)  善導(ぜんどう)
念仏(ねんぶつ)(しゃ)(しん)本尊(ほんぞん)六十(60)(まん) 10(まん)(おく)(おく)(ぎょう)(どう)   阿彌陀(あみだ)さまを(いただ)く、畏敬(いけい)
念仏(ねんぶつ)とは大悲(だいひ)誓願(せいがん)(いかだ)、 (いま) 弥陀(みだ)(かく)(おう)(こう)()衆生(しゅじょう)(ふね)なり  (聖光(しょうこう)
念佛(ねんぶつ)の (まこと)(あじ)は (とな)()よ (とな)えぬものにゃ わからぬものぞ  称名(しょうみょう) 
念仏(ねんぶつ)の (もう)されぬことは よもあらじ 無間(むけん)地獄(じごく)の ()(おも)いなば
念佛(ねんぶつ)(ぎょう)は、(もと)より行住坐臥(ぎょうじゅうざが)(とき)(ところ)(しょ)(えん)をえらばず、(しん)(くち)(こころ)不浄(ふじょう)をもきらわぬ(ぎょう)にて(そうろ)らえば易行(いぎょう)往生(おうじょう)とは(もう)(そうろ)うなり。(()(がた)いことに、いかに(きよ)まろうと努力(どりょく)しても(きよ)まりようのない罪悪(ざいあく)(じん)(じゅう)凡夫(ぼんぶ)であってもその不浄(ふじょう)のままで念佛(ねんぶつ)すれば、(おの)ずとその念仏(ねんぶつ)(なか)浄化(じょうか)されて()く。)(法然上人() 和語(わご)(とう)(ろく)
念仏(ねんぶつ)は アクビの(あと)の (くち)なおし  信心(しんじん) 疑心(ぎしん) 信心(しんじん)()るような()いような
念佛(ねんぶつ)は (とな)えて()れば ありがたや 念佛(ねんぶつ)が 念佛(ねんぶつ)()んで 阿弥陀仏(あみだぶつ)   無間(むけん)(しゅ)
念佛(ねんぶつ)は (もう)(もう)し (もう)しても (もう)したらぬが 念佛(ねんぶつ)なりける 無間(むけん)(しゅ)
念仏(ねんぶつ)閻魔(えんま)(かがみ)  閻魔(えんま) (かがみ)  わが心 鏡にうつる ものならば さぞや姿の 醜かるらん (心の気持ちの表れ、気表⇒けほ⇒かほ⇒顔)
念仏(ねんぶつ)(ぎょう)ずれば、自然(しぜん)妄念(もうねん)もやみ、自然(しぜん)(せい)(あく)()もあがり、自然(しぜん)無漏(むろ)正智(しょうち)(おこ)る。
ノーベル(しょう) あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや(つき) (明恵(みょうえ)主客(しゅきゃく) 川端(かわばた)康成(やすなり) ノーベル(しょう) (つき) ()
(のち)()の おもいの(たま)の かずかずに ()こす(こころ)を みがけとぞおもう 福田(ふくだ)(ぎょう)(かい)  念珠(ねんじゅ) 
(のち)()の (ひと)(かがみ)に のこしおく 南無阿彌陀佛() 知識(ちしき)をぞ()よ  (とく)(ほん)行者(ぎょうじゃ)  (かがみ)   無明(むみょう)(みょう)
(のち)()を (わた)(はし)とぞ (おも)いしに 世渡(よわた)(そう)と なるぞ(かな)しき                                恵心(えしん)僧都(そうず) (源信(げんしん)) は7(さい)(ちち)(うしな)い 13(さい)比叡山(ひえいざん)にのぼり16(さい)宮中(きゅうちゅう)村上(むらかみ)天皇(てんのう)に「(しょう)(さん)浄土教(じょうどきょう)」の(こう)(ぜつ)されて、(きぬ)(ぬの)(あた)えた。古里(ふるさと)(はは)(ぬの)(わた)した。しかし(はは)から、手紙(てがみ)とともに、返品(へんぴん)された。その手紙(てがみ)内容(ないよう)は「あなたが比叡山(ひえいざん)(のぼ)られてからは、朝夕(あさゆう)(とうと)修行者(しゅぎょうしゃ)になることを(たの)しみにしていました。それなのに宮中(きゅうちゅう)出入(ではい)りし、官位(かんい)(すす)み、お(きょう)(こう)(ぜつ)して品物(しなもの)をいただき、”名聞(みょうもん)” ”()(よう)”の僧侶(そうりょ)になりはてたとは、なんとも残念(ざんねん)でなりません。名聞(みょうもん)、つまり名誉(めいよ)のために(こう)(ぜつ)し、()(よう)、つまり利益(りえき)のためのお布施(ふせ)(こころ)うばわれるなど、()のなかの()にして、いやしい(まよ)いというべきです。 (ゆめ)のようなこの()であって、(おな)(まよ)いの(なか)()きている(ひと)たちに、たとえ()をしられたところどうしょうというのですか?。今後(こんご)は、(さと)りをきわめて、(ほとけ)御前(みまえ)()をあげてください。宮中(きゅうちゅう)でいただいたこの(ころも)(ぬの)(わたし)がいただいたのでは、淨土(じょうど)へお(すく)いいただけるところか、三途(さんず)におとされるようで(おそ)ろしいことです。この(ぬの)はおかえしいたします。」その手紙(てがみ)(はは)(なみだ)(ところ)どころ(にじ)んでいた。(はは)(かな)しい手紙(てがみ)であった。                       
()(やま)に うかれうかれて (かえ)るさを (ねや)まで(おく)る (あき)(よる)(つき)
(のぼ)(ざか) 人生(じんせい)には(3)っつの(さか)がある。 (のぼ)(ざか)(くだ)(ざか)、そしてもう(ひと)つ、まさかという(さか)。 (のぼ)(ざか)(くだ)(ざか) まさか?
()(やま)も るりの(ひかり)に かがやくは きよきに()らしむ しるしなるらめ ((こころ)浄化(じょうか)
(のり)   ()ちならぶ (かげ)やなからん 萬代(よろずよ)の (のち)まで()らす (のり)灯火(ともしび)   (のり) 
()()ては ()(とう)もいらじ 海士(あま)小舟(こぶね) 片瀬(かたせ)(なみ)の あらん(かぎ)りは
()()ても (こころ)(ゆる)すな 海士(あま)小舟(こぶね) 片瀬(かたせ)(なみ)に ()(しず)みあり
(のり)()草子(ぞうし)   ()(つよ)く つけばはずみて (あが)(まり) ()をくだしてぞ すべむ極楽(ごくらく)  (のり)()草子(ぞうし) 深心(じんしん)
はえば()て ()てば(あゆ)めと (いそ)ぐなり ()()につもる (ろう)(わす)れて
はえば()て ()てば(あゆ)めと (いそ)ぐなり わが()()もる (ろう)(わす)れて (おや)(おん)
はえば()て ()てば(あゆ)めの 親心(おやごころ) わが()()もる ()いを(わす)れて  (そだ)て (まも)り 親子(おやこ) (ろう) 四苦(しく)
はえば()て ()てば(あゆ)めの 親心(おやごころ) ()()()もる ()いを(わす)れて((おや)何故(なぜ)ありがたいのか?(だい)(しゅう)くだされ、(だい)受苦(じゅく)くだされるから(とうと)いのです。大関(おおぜき)(おや)()けて見事(みごと)です。私達(わたしたち)のなさねばならぬ(こと)を、一切(いっさい)合切(がっさい)(だい)(しゅう)くだされたのが、名号(みょうごう)です。)
(はか)(あら)う ()()(やわ)らぐ (いし)(そう)
(はか)りなき ()()(ほとけ)の かずかずは ただみほとけの わかれなりけり 弁栄(べんねい)上人() (どう)(えい)(しゅう) p1
(はぎ)(はな) 尾花(おばな)(すすき)(くず)(はな) 撫子(なでしこ)の このはな女郎花(おみなえし) また 藤袴(ふじばかま) 朝顔(あさがお)(はな) (山上(やまのうえ) 憶良(おくら))((あき)七草(ななくさ)
はきものをそろえると (こころ)もそろう (こころ)がそろうと、 はきものもそろう むぐときにそろえておくと、はくときに(こころ)がみだれない (だれ)かが(みだ)しておいたら、(だま)ってそろえておいてあげる そうすれば きっと、世界(せかい)(じゅう)(ひと)(こころ)もそとうでしょう
()けば()り (はら)えばまたも (ちり)つもる (ひと)(こころ)も (にわ)落葉(おちば)
(はじ) 慚愧(ざんき) (ざん)(じん)()じ、()(てん)()ず。これを慚愧(ざんき)(めい)づく。()慚愧(ざんき)()づけて畜生(ちくしょう)とす。 涅槃經(ねはんきょう) (はじ) 慚愧(ざんき) 羞恥心(しゅうちしん)
()じ 人間(にんげん)とは()ずかしさを()きかかえて()きる動物(どうぶつ)といっていい  ラッセル イギリスの哲学者(てつがくしゃ)  (はじ) 羞恥心(しゅうちしん) 
はじめには もの()かれしが (いま)はまた 念仏(ねんぶつ)せざれば わびしかりけり  (無能(むのう)上人()
(はた)(うじ)  形見(かたみ)とて はかなき(おや)の とどめてし この(わか)れさえ いかにせん 法然上人()15(さい)比叡山(ひえいざん) (はた)(うじ) (はは)親子(おやこ)
(はた)(うじ) 形見(かたみ)とて はかなき(おや)の (とど)めてし この(わか)れさえ またいかにせん 法然上人() (はた)(うじ) (はは) (わか)れ ()(わか)れ 形見(かたみ) (おや)
羽田(はた)(けい)(さん)  ()ごろ()く (おし)えは(すべ)て 今日(きょう)()の わが()のためと (おも)()らるる (羽田(はた)(けい)(さん)) 説法(せっぽう) ()() (ほう)
はちす葉の にごりにしまぬ 心もて なにかは露を 玉とあざむく
初恋(はつこい)) まだあげ初そめし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけりやさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは 薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり わがこゝろなきためいきの その髪の毛にかゝるとき たのしき恋の盃を 君が情に酌みしかな 林檎畑の樹(こ)の下に おのづからなる細道は 誰(た)が踏みそめしかたみぞ ()ひたまふこそこひしけれ (島崎(しまざき) 藤村(とうそん))しまざき‐とうそん【島崎藤村】 詩人、小説家。本名春樹。長野県出身。明治学院卒。キリスト教の洗礼を受ける。北村透谷・平田禿木らと「文学界」を創刊。明治三〇年「若菜集」を出版し、浪漫主義詩人としての地位を確立。のち散文に転じ、同三九年には自然主義文学の先駆的作品「破戒」を刊行、つづいて自伝的作品「春」「家」「新生」などを発表、自己解剖により内面的真実を追求した。晩年には「夜明け前」を完成。(一八七二〜一九四三)
(はな)  さかりをば 見る人多し  散る花の  あとを訪ふこそ  情けなりけり  (はな)   (なさ)
(はな) (つゆ)()は 此処彼処(ここかしこ)にて ()えぬとも (こころ)(おな)じ (なは)(だい)ぞ 法然上人() 流罪(るざい) (つゆ) (はな) 淨土(じょうど) 往生(おうじょう) 倶会一処(くえいっしょ)
(はな) (はる)黄色(きいろ)(はな)(おお)い (はな) 黄色(きいろ)
(はな) 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  (げんにびぜつしんに)耳鼻舌身意(じんに) が(きよ)められる 色声香味触法(いろしょうこうみしょくほう)(ぜん)5つが五塵(5じん) 五賊(ごぞく)二河白道(にがびゃくどう)) (こころ)三垢(3あか)(わく)(ごう)()
(はな)(こころ)なくして(ちょう)(まね)き、(ちょう)(こころ)なくして(はな)(たず)ぬ。(はな)(ひら)くとき、(ちょう)()たり(ちょう)()(とき)花開(はなひら)く。
(はな)()の (まと)にあてたる うれしさは (われ)をわすれて (おも)()るなり
(はな)にさそわれ()(ちょう)の 使(つか)いでむすぶ(はな)()を それとは()らぬ(ちょう)(はな) たのもしきかな(おお)()(わざ)
(はな)()く (はる)をば()ちし かいもなく (かた)()よりして ()れし白梅(しらうめ)
(はな)()に (とり)古巣(ふるす)に (かえ)れども (ひと)(わか)きに (かえ)ることなし 
(はなわ)()己一(きいち) (ばん)(まち)で ()あきめくらに (みち)()き    (はなわ) () 己一(きいち)   天満宮(てんまんぐう)   群書(ぐんしょ)(るい)(しゅう)
(はは) 形見(かたみ)とて はかなき(おや)の (とど)めてし この(わか)れさえ またいかにせん 法然上人() (はた)(うじ) (はは) (わか)れ ()(わか)れ 形見(かたみ) (おや)
(はは) かたみとて はななき(おや)の とどめてし この(わか)れさえ (また)いかにせん  法然上人() (はは)(うえ)
(はは)(おが)めば ()(おがむ)む (うしろ) 姿(すがた)(うつく)しさ
(はは)(ささ)ぐ」という(だい)  ごめんなさいね おかあさん ごめんなさいね おかあさん ぼくが()まれてごめんなさい ぼくを背負(せお)う おかあさんの(ほそ)いうなじにぼくはいう ぼくさえ()まれなかったら かあさんのしらがもなかったろうね (おお)きくなった このぼくを背負(せお)って (ある)(かな)しさも 「かたわな()だね」とふりかえる つめたい視線(しせん)()くことも ぼくさえ()まれなかったら・・・・ありがとう おかあさん ありがとう おかあさんおかあさんがいるかぎりぼくは()きていくのです 脳性(のうせい)マヒを()きていく やさしさこそが大切(たいせつ)で (かな)しさこそが(うつく)しい そんな(ひと)()(かた)を (おし)えてくれたおかあさん おかあさん あなたこそがそこにいる(かぎ)り。
(はやし) 谷川(たにがわ)の ()()(した)の おぼれ(みず) (なが)るるもゆく (したた)るもゆく (つぶつぶもゆく ざらざらもゆく) 示現(じげん) (いわ)清水(しみず)八幡(はちまん) (はやし) 227
腹立(はらだ)ち  じょっとこらえよ 3分間(ぷんかん)   瞋恚(しんに)煩悩(ぼんのう) 腹立(はらだ)
腹立(はらだ)ち 嗔恚(しんに)功徳(くどく)(はやし)()く 「(おそ)るべし カッと(いか)りの (むね)()が (われ)()()を ()()くすなり」腹立(はらだ)ち、(さん)(どく)煩悩(ぼんのう)
薔薇(ばら)()に 薔薇(ばら)(はな)さく なんの不思議(ふしぎ)もなけれども
はりつとう (ねずみ)(みち)も (みち)なれど まこことの(みち)ぞ ひとのみちゆく
(はる)  あさ(みどり) (ふき)(とう)ひとつ (つち)もたげ  (はる) 彼岸(ひがん) (あじ) (にが)い 
(はる)  さえられぬ (ひかり)もあるを をしなへて (へだ)(かお)なる (あさ)(かすみ)かな   (はる) 法然上人() 無碍(むげ)(こう)(どんな(もの)があってもさえぎることがない)
(はる)  雪下(ゆきした)に (はる)(こえ)あり ことことと ()えぬ小川(おがわ)の (なが)(おと)()く  清浄光(しょうじょうこう)、 河波(かわなみ)
(はる) (いわ)もあり ()()もあれど サラサラと ただサラサラと (みず)(なが)るる
(はる) さへられぬ ひかりもあるを をしなべて へだてかおなる あさがすみかな 法然上人() (はる)
春風(はるかぜ)に 深山(しんざん)(ゆき)は とけぬれど 岩間(いわま)によどむ 谷川(たにがわ)(みず)
(はる)(あき) いずれ(こい)ひむとは あらねども (かえる)なくころ (やま)ぶきの(はな)
(はる)(ひゃか)花あり、(あき)(つき)あり、(なつ)涼風(りょうふう)あり、(ふゆ)(ゆき)あり  四季(しき)季節(きせつ) 春夏(はるなつ)(あき)(ふゆ)  ()(かい)禅師(ぜんじ)
(はる)黄色(きいろ)(はな)(おお)い (はな) 黄色(きいろ)
(はる)(はな) (なつ)ほととぎす (あき)(つき) (ふゆ)(ゆき)さえて すずしかりけり
(はる)(はな) (なつ)ほととぎす (あき)(つき) (ふゆ)(ゆき)さえて すずしかりけり   道元(どうげん)禅師(ぜんじ) 四季(しき) 季節(きせつ) 春夏(はるなつ)(あき)(ふゆ)
萬機(ばんき)()(やく)(わたし)一人(ひとり)のためなり  (わたし) 一人(ひとり) ()(やく)
(ばん)(まち)で ()あきめくらに (みち)()き    (はなわ) () 己一(きいち)   天満宮(てんまんぐう)   群書(ぐんしょ)(るい)(しゅう)
() あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや(つき) (明恵(みょうえ)主客(しゅきゃく) 川端(かわばた)康成(やすなり) ノーベル(しょう) (つき) ()
比叡山(ひえいざん)  (ろん) 湿(しつ) (かん) (ぴん)
(ひかり)  来迎(らいこう)蓮台(れんだい)(ふね)来迎(らいこう)(ひかり)智慧(ちえ) (勅修御伝随聞記23) 蓮台(れんだい) (ふね) 智慧(ちえ) (ひかり)  安心(あんじん)
(ひかり) さへられぬ ひかりもあるを をしなべて へだてかおなる あさがすみかな 法然上人() (はる)
(ひかり)(つよ)ければ、(かげ)また(つよ)し。光が強ければ強い程、影が濃くなる様に、阿弥陀さまの光明をいただけばいただくほど、罪悪の影が濃くなって、しまいには自分ほど罪な者はない、と罪悪の自覚に到達するものでございます。そういう意味に於いて、どうか最初は、罪悪の我であると信じて、懺悔(さんげ)の鍬で罪悪の雑草を刈り取っていただきたいと、こう思うのでございます。((10)(あく)(ほう)(ねん)(ぼう)
(ひかり)(かげ)()()()ず。()()()かず。(こころ)(こころ)()らず。」 ()は何でも見えるんですが、自分の眼が見えない。鼻さえ見えない。そうでしょ。火、火を焼かず。火は何でも焼きますが、火が火を焼くことばございません。心、心を知らず。自分の心というものは、なかなか自分でわからないのでございます。「影は光によって生ずる」。真夜中、一暗闇ですと影がございません。朝、お天道さまが出ていらっしゃると、それにふさわしい影が出てきます。それと同じように、念仏を申さない間は、如来さまのお光明をいただかない間は、自分の罪悪の影に気付かないのであります。ですから、最初は、我々も煩悩の我であるということを信じて、お念仏申しているうちに、お光明がいただけてまいりますと、自分の罪悪に気付かせていただく、初め信じておったものがわかってくるのです。その自分の罪悪に気が付くから、阿弥陀さまにおすがりする気持ちが強くなって、真剣な念仏が出る。
「光強ければ、影また渡し」。光が強ければ強い程、影が濃くなる様に、阿弥陀さまの光明をいただけばいただくほど、罪悪の影が濃くなって、しまいには自分ほど罪な者はない、と罪悪の自覚に到達するものでございます。そういう意味に於いて、どうか最初は、罪悪の我であると信じて、懺悔(さんげ)の鍬で罪悪の雑草を刈り取っていただきたいと、こう思うのでございます。
彼岸(ひがん)  (かん)()梅花(ばいか) うららかなり  
彼岸(ひがん)  今日(きょう)彼岸(ひがん) 菩提(ぼだい)(たね)を まく()かな 
彼岸(ひがん) あさ(みどり) (ふき)(とう)ひとつ (つち)もたげ  (はる) 彼岸(ひがん) (あじ) (にが)い 
()きそめし (こころ)のままに (あずさ) (ゆみ) (おも)ひかへさで (とし)(きょう)にけり
()きよせて (むす)べば(くさ)の (いおり)なり ()くればもとの 野原(のはら)なりけり
比丘(びく)(ただ) 万事(ばんじ)はいらず 常不軽(じょうふきょう) 菩薩(ぼさつ)(ぎょう) 殊勝(しゅしょう)なりける   (良寛(りょうかん) 歌集(かしゅう)より)
肥後(ひご)、熊本城主、加藤清正が大勢の人を招いて茶会を催したときのことであった。 その準備に忙殺されていた一人の小姓が、あやまって清正秘蔵の 茶器を落して、こっぱみじんに割ってしまった。 たいへん値打のある古い茶器で、いつもみんなにみせて自慢して いたから、今日もそのつもりで出されたものであろう。 それを割ったとわかれば、清正はカンカンに怒って、おそらく打ち首にするにちがいない。落した小姓はいうまでもなく、他の小姓たちも、まっ青になって集まってきたが、今さらどうしょうもない。 そこで小姓たちは、いろいろ相談のすえ、 「お叱りはみんなで受けることにして、どんなことがあっても落 した者の名前を言わないようにしょうじやないか」 という約束をした。いうまでもなく、落した小姓の命を、みんなで 助けようと思ってのことである。 やがて清正にそのことがわかると、案の定、たいへんな怒りよう で、「誰が割ったのか。名前をいえ………」 と、どなりつけた。だが小姓たちは、 「割ったのは、わたしたちです」 と言って、平あやまりにあやまったが、約束をまもって名前を言おうとしなかった。 清正は、いよいよ激しく怒りだし、「私共などいって、このワシをごまかすつもりか。お前たち憶病者だ。親の顔がみたいもんだ」 と、ののしった。その小姓たちの中に、加藤平三郎という少年がいた。彼は、いくら殿さまだといっても、父の名を汚す憶病者とののしられると、我慢ならなかった。そこで打首覚悟で、きっと顔をあげて言った。「私たちは小姓でも、命を惜しむような者は一人もいません。ただ私たちは、それがどんな高価な茶碗でも、国を治め、国を守ることに関しては、何の役にたたぬ焼物だと思います。それにひきかえ、私たちは、いずれ御薗国を守るいしずえになる者です。そんな私たちの命をとろうとするお殿さまは、私共を焼物以下にお考えになっていることで、残念です。まして、私共の父の名まで仰せられて、私共を憶病者扱いなさったからには、なおさらその者の名前は申しません」。そのりんとした言葉を聞いているうちに、清正の顔はだんだんやわらいで、「なにもワシは、手討ちにするなどとは言っておらんではないか」と笑い、それからうれしそうに「よしよし、名前は言わなくてもよいぞ。お前たちはあっばれな小姓どもだ。おそらく親たちに勝るとも劣らない立派な武士になるだろう。たのもしいかぎりだ」と褒め、それから平三郎のそばへきて、その頭をなでながら、「お前のような子をもった父がうらやましい。今の心をいつまでもわすれるなよ」 と、言った。平三郎は命をかけて親の名誉を守った。「この子にしてこの父あり」 という。父もまた、そのようにして親の名誉を守る人であったのだろう。そういうことを何よりも大事にしてきたのが日本人の親子であったのである。(鶴山瑞教)
()ごろ()く (おし)えは(すべ)て 今日(きょう)()の わが()のためと (おも)()らるる (羽田(はた)(けい)(さん)) 説法(せっぽう) ()() (ほう)
()(さか)りの (たま)なす(あせ)を (なが)すとも (いね)(みの)らん この(あつ)さこそ ((いのち)をつなぐ(いね)は、(いのち)()である。この(あつ)さがねければ豊作(ほうさく)(のぞ)めない。(あつ)ければ(あつ)いほど(てん)(めぐ)みである。)
微笑(びしょう)   拈華(ねんげ)()(わらい)  釈迦(しゃか)説法(せっぽう)せずに、金蓮(ごんはす)(ねん)じた。大衆(たいしゅう)はその意味(いみ)がわからずにいたが、迦葉(かしょう)だけが微笑(びしょう)したこと
ピタゴラス 全体(ぜんたい)として(わたし)たちを(つつ)み、()えて(そだ)(まも)られている。
(ひと) 念仏(ねんぶつ) @(ひと)(さけ)()む A(さけ)(さけ)()む B(さけ)(ひと)をのむ  (さけ)念仏(ねんぶつ)にしたらよい。
(ひと)かかへ あれど(やなぎ)は (やなぎ)かな
一声(ひとこえ)も すてぬ(ちかい)いの うれしさに (おも)わず()もる 弥陀(みだ)のかずかず  十夜(じゅっや)
一声(ひとこえ)も すてぬ(ちかい)の うれしさに (おも)わずつもる 弥陀(みだ)のかずかず  念佛(ねんぶつ)(ちかい) 、弥陀(みだ)
ひとごとにくせをば笑ふ世の中にうらやむべきは念仏のくせ
(ひと)にしかない3(ぼん)()(なさ)け、(しつけ) 、やり()げ)チンパンジーさんより3%DNAが(おお)人間(にんげん)さま)
(ひと)一生(いっしょう)は (おも)()を ()うて(とお)(みち)をゆくがごとし  いそぐべからず 不自由(ふじゆう)(つね)とおもえば不足(ふそく)なし (徳川家(とくがわけ)(やすし)
(ひと)一生(いっしょう)は (おも)()()うて(とお)(みち)をゆくが(ごと)し いそぐべからず 不自由(ふじゆう)を (つね)とおもえば不足(ふそく)なし
(ひと)(おや)の こころは(やみ)に あらねども ()(おも)(みち)に (まど)ひぬるかな ((おや)(かな)しい行為(こうい)
(ひと)()に 谷間(たにま)(やみ)に (そこ)までも (しず)かに()らす 弥陀(みだ)月影(つきかげ)
人目(ひとめ)には ()浮雲(うきぐも)に かぐろへて なほすみわたる (やま)のはの()
一人(ひとり)  萬機(ばんき)()(やく)(わたし)一人(ひとり)のためなり  (わたし) 一人(ひとり) ()(やく)
()(くるま)  (じょう)不浄(ふじょう) 元々(もともと)はないけれども自分(じぶん)(つく)っていく (こころ)(あか)でつくる。 ()(くるま) (つく)大工(だいく)は おらねども (おの)がつくりて (おの)()()く  自我(じが)オレガの(こころ)(つく)っていく。
日々(ひび)好日(こうじつ)  (てる)もお慈悲(じひ)()るもお慈悲(じひ) 、()()晴好(せいこう)、 日々(ひび)(これ)好日(こうじつ)
白道(びゃくどう)  (まえ)弥陀(みだ) (うし)ろはお釈迦(しゃか) (なか)(われ) ()きつ()されつ (まい)極楽(ごくらく)  白道(びゃくどう)  二河(にが)
白道(びゃくどう) 二河(にが)(なか) 四五(45)(すん)ほどの (しろ)(みち) 南無阿彌陀佛()と (もう)してぞ()く  白道(びゃくどう) 
病気(びょうき)  三宝(さんぼう)   @(ぶつ)名医(めいい)  A(ほう)名薬(めいやく) B(そう)看病(かんびょう)  恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
平等(びょうどう)(しょう)()  ()(だい)() (唯識(ゆいしき)) 仏果(ほとけはたし)をきわめたときに具有(ぐゆう)する四種(よんしゅ)()。すなわち、大円鏡智(だいえんきょうち)平等(びょうどう)性智(せいさとし)妙観察智(みょうかんさつち)(しげ)所作智(しょさち)
平等(びょうどう)(しょう)()(だい)7まなしき【末那識】が(てん)じて()()る。六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  1、(げんにびぜつしんに) 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】
表面(ひょうめん)  白魚(しらうお)の (あら)えば(にご)る 清水(しみず)かな 表面(ひょうめん)  虚仮(こけ) 真実(しんじつ) 
不可思議(ふかしぎ) 柳生(やぎゅう)()家訓(かくん) 「(しょう)(さい)(えん)出会(であ)って(えん)()づかず  (ちゅう)(さい)(えん)()づいて(えん)()かさず (だい)(さい)(そで)すり()った(えん)をも()かす」(えん)怨憎会苦(おんぞうえく) 不可思議(ふかしぎ) 「(そで)すりあうも他生(たしょう)(えん)
布教(ふきょう)  (きゃく)(そう)の 朝寝(あさね)よろこぶ (そう)(つま) (牛畝(ぎゅうほ)
袱紗(ふくさ)(ひら)(かた)()(かた)  蓮華(れんげ)(しょ)(かい)(らく)  蓮華(れんげ)(はな)(ひら)くようにゆっくり両手(りょうて)(みぎ)(ひだり)(まえ)袱紗(ふくさ)(ひら)く 終わったら十念(じゅうねん)(のち)袱紗(ふくさ)()じる。説法(せっぽう) 作法(さほう) 袱紗(ふくさ)(ひら)(かた)()(かた)
福田(ふくだ)(ぎょう)(かい)  数珠(じゅず)くれば (にご)(こころ)も すみやかに 菩提(ぼだい)(たね)も (ちか)くなるらん   福田(ふくだ)(ぎょう)(かい)  念珠(ねんじゅ)
福田(ふくだ)(ぎょう)(かい)  (のち)()の おもいの(たま)の かずかずに ()こす(こころ)を みがけとぞおもう 福田(ふくだ)(ぎょう)(かい)  念珠(ねんじゅ) 
藤枝(ふじえだ)  ()むれば(すなわ)(ほとけ)(ふく)み、()むれば(すなわ)(ほとけ)()く「寐(そく)(がん)(ぶつ)(かく)(そく)()(ぶつ)」 (にんちょう)上人() 善導(ぜんどう)大師(だいし) (熊谷(くまがい) (れん)(せい) 藤枝(ふじえだ) 蓮華寺(れんげじ)
父子(ふし)相好(そうこう) (やみ)(よる)に ()かぬ(からす)の (しょう)きけば ()まれぬ(さき)の (ちち)(こい)しき  (父子(ふし)相好(そうこう)) 一休(いっきゅう)和尚(かしょう)
父子(ふし)相好(そうごう) われはただ ほとけにいつか あふいぐさ こころのつまに かけぬひぞなき 法然上人() (こい) 父子(ふし)相好(そうごう)
富士(ふじ)白雪(しらゆき)朝日(あさひ)()ける (むね)(こおり)思案(しあん)じゃとけぬ  ()(しん) (しん)()
不捨(ふしゃ) ()えられぬ (ひかり)のみ()に ()きしめて (つね)(われ)らを 愛撫(あいぶ)(たま)う 無碍(むげ)(こう) 光明(こうみょう) 護念(ごねん) 愛撫(あいぶ) 増上(ぞうじょう) 慈悲(じひ)
不浄(ふじょう)  (じょう)不浄(ふじょう) 元々(もともと)はないけれども自分(じぶん)(つく)っていく (こころ)(あか)でつくる。 ()(くるま) (つく)大工(だいく)は おらねども (おの)がつくりて (おの)()()く  自我(じが)オレガの(こころ)(つく)っていく。
不浄(ふじょう)  (じょう)不浄(ふじょう) 元々(もともと)はないけれども自分(じぶん)(つく)っていく (こころ)(あか)でつくる。 ()(くるま) (つく)大工(だいく)は おらねども (おの)がつくりて (おの)()()く  自我(じが)オレガの(こころ)(つく)っていく。
不浄(ふじょう) かわやにて (もう)念仏(ねんぶつ)に とがあらば ()しこめよかし 弥陀(みだ)浄土(じょうど)へ 法然上人() 便所(べんじょ) 不浄(ふじょう) 清浄(しょうじょう) 行住坐臥(ぎょうじゅうざが)
不浄(ふじょう)にて (もう)念仏(ねんぶつ)に とがあらば めしこめられよ 弥陀(みだ)浄土(じょうど)へ  法然上人() (じょう)不浄(ふじょう) トイレ
布施(ふせ)  三輪(さんりん)清浄(しょうじょう)  布施(ふせ) (あた)える(ひと)(もの)(いただ)(ひと) の(みっ)つが清浄(しょうじょう)
布施(ふせ)というと、すぐお寺へもってゆくのをおもい起こされるのでしょうが、布施には財施・法施・無畏施の三種類があり、物質的なものを施すのが財施、精神的なものを施すのが法施、おそれをなくしてあげるのが人生の無畏施です。それには三輪清浄、三輪空ということが大切です。三輪とは能施(施す人) 所施(施される人)施物(施し物)の三つで、この三つが清浄であり、この三つにおれがおれがの「我」があってはならない。おれがの「我」を空にしなければ、真の布施とはいわないと申すのであります。「おれが」「あいつに」「あれをやった」 では三輪不浄です。それでは、その次にでてくるのは「然るに、あいつは恩知らずだ」という不平と愚痴です。施す方がそうなれば、施される方も「なあんだ、あいつが、これっぼっちか」と悪言とあざ笑いです。また施した者はいつまでも施したことを忘れませんが、施された者はすぐ施されたことを忘れるからいけません。これが逆にならねばなりません。
()(たい)(しつ)往生(おうじょう)  往生(おうじょう)此土(しど)往生(おうじょう)理想的(りそうてき)浄土(じょうど)有余(ゆうよ)涅槃(ねはん)精神更生(せいしんこうせい)不体失(ふたいしつ)往生(おうじょう)
不斷(ふだん)(こう)  それ衆生(しゅじょう)ありて、この(ひかり)()うものは三垢(さんく)消滅(しょうめつ)し(清浄光(しょうじょうこう))、身意柔軟(しんににゅうなん)に(智慧光(ちえこう))、歓喜踊躍(かんぎゆやく)して(歓喜(かんぎ)(こう))、善心(ぜんしん)(しょう)ぜん(不斷(ふだん)(こう))  礼拝儀(らいはいぎ)  無量寿経(むりょうじゅきょう)
不断(ふだん)煩悩(ぼんのう)()(しん)(そく)涅槃(ねはん)(ほう)(しん)) 曇鸞(どんらん)善道(ぜんどう))  
(ぶつ)  三宝(さんぼう)   @(ぶつ)名医(めいい)  A(ほう)名薬(めいやく) B(そう)看病(かんびょう)  恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
(ぶつ)  (べっ)(たい)三宝(さんぼう) @(ぶつ)浄土(じょうど)弥陀(みだ)  A(ほう)念仏(ねんぶつ)()(のり) B(そう)浄土(じょうど)菩薩(ぼさつ) 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
(ぶつ) 三宝(さんぼう) @(ぶつ)(あか)るく  A(ほう)(ただ)しく B(そう)(なご)やかに 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
(ぶつ) 住持(じゅうじ)三宝(さんぼう) @(ぶつ)絵像(えぞう)木像(もくぞう)  A(ほう)()(かみ)(しゅ)(じく) B(そう)剃髪(ていはつ) ()() 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
仏教(ぶっきょう)因果(いんが)根底(こんてい)である。因果(いんが)とは善因(ぜんいん)善果(ぜんか)悪因(あくいん)(あく)()()(いん)()()()(いん)()()です。
仏教(ぶっきょう)八万(はちまん)()(せん)法門(ほうもん)(きょう)(りつ)(ろん)三蔵(さんぞう)七千(7せん)(ゆう)()(かん)経文(きょうもん)(もう)していますがなにを()かすかといえばその内容(ないよう)(かい) (じょう) () の(さん)(がく)です。
(ぶつ)(さだ)  阿彌陀仏(あみだぶ)と (とな)うるごとに すすむ数珠(じゅず) ()もるを()れば なお(いさ)みける (ぶつ)(さだ)  念珠(ねんじゅ)
仏心(ぶっしん)というは、(だい)慈悲(じひ)これなり。  (観経 第九 仏身観文)
(ふところ)の (なか)とも()らで みどりごは 生死(しょうじ)(ゆめ)に うなされにけり  (盲目(もうもく)
(ふね)  来迎(らいこう)蓮台(れんだい)(ふね)来迎(らいこう)(ひかり)智慧(ちえ) (勅修御伝随聞記21) 蓮台(れんだい) (ふね) 智慧(ちえ) (ひかり)  安心(あんじん)
父母(ぶも)(おん)(じゅう)(きょう) ()(きょう) (れん)(みん)(おん) (おや)はおのれ()して(のち)にも、()()(まも)ることを(ねが)
()(やく)  萬機(ばんき)()(やく)(わたし)一人(ひとり)のためなり  (わたし) 一人(ひとり) ()(やく)
(ふゆ)  (はる)(ひゃか)花あり、(あき)(つき)あり、(なつ)涼風(りょうふう)あり、(ふゆ)(ゆき)あり  四季(しき)季節(きせつ) 春夏(はるなつ)(あき)(ふゆ)  ()(かい)禅師(ぜんじ)
(ふゆ)  (はる)(はな) (なつ)ほととぎす (あき)(つき) (ふゆ)(ゆき)さえて すずしかりけり   道元(どうげん)禅師(ぜんじ) 四季(しき) 季節(きせつ) 春夏(はるなつ)(あき)(ふゆ)
(ふゆ) おぼつかな (だれ)かいいけん 小松(こまつ)とは (ゆき)をささふる 高松(たかまつ)(えだ)  法然上人() (ふゆ) (ゆき) 高松(たかまつ)
(ふゆ) (ゆき)のうちに (ほとけ)御名(みな)を (とな)うれば つもれる(つみ)そ やがて()えぬる  法然上人() ((つみ)浄化(じょうか)) (ふゆ) (ゆき) 称名(しょうみょう)
プラトン エロス=深心(じんしん)(あい)
ふりあげた(こぶし)は 地獄(じごく)姿(すがた) それが合掌(がっしょう)になれば 極楽(ごくらく)姿(すがた)
ふりむけば ご(おん)をうけし (ひと)ばかり
故郷(ふるさと)  (さか)三里(さんり) (つら)さが(たの)し 里帰(さとがえ)り 若葉(わかば)彼方(あなた) (もも)()(いえ)  苦樂(くらく) 故郷(ふるさと)
故郷(ふるさと) (うさぎ)()いしかの(やま) 小鮒(こぶな)()りしかの(かわ) (ゆめ)(いま)もめぐりきて (わす)れがたき故郷(ふるさと) 如何(いか)にいます父母(ちちはは) (つつが)なしや(とも)がき (あめ)(かぜ)につけても (おも)()ずる故郷(ふるさと) (こころざし)をはたして いつの()にか(かえ)らん (やま)(あお)故郷(ふるさと) (みず)(きよ)故郷(ふるさと)  作詞(さくし) 高野(たかの)辰之たかの‐たつゆき【高野辰之】 国文学者。長野県出身。上田万年に師事。東京音楽学校教授。歌謡史、演劇史を専門に文献を重視した考証的研究に力を尽くした。著に「日本歌謡史」「日本演劇史」など。(一八七六〜一九四七)
故郷(ふるさと) ()まれては まづ(おも)いでん ふるさとに (ちぎ)りし(とも)の (ふか)きまことを 法然上人() 故郷(ふるさと) (とも) 往生(おうじょう) 
ふるさとは (とお)きにありて (おも)うもの、 そして(かな)しく うたふもの、 
ふるさとは遠きにありて思うもの、そして悲しくうたふもの、よしや、うらぶれて異土の乞食となるとても、帰るところにあるまじや、 ひとり都のゆふぐれに、ふるさとおもひ涙ぐむ、そのこころもて、遠き都にかへらばや、遠き都にかへらばや」、室生犀星・抒情小曲集(大正8年) 
降れば先づ積らぬ中に吹き捨てて風ある松は雪折もせず(ふればさきづつもらぬなかにふきすててかぜあるまつはゆきおれもせず)
不老(ふろう)(もん) いつも(こころ)は 十八(18)の (がん)(じょう)ずる ()こそ(やす)けれ
文明(ぶんめい)発展(はってん)宗教(しゅうきょう)がかかわっている。(トインビー歴史(れきし)学者(がくしゃ)
(べつ)安心(あんじん)  (そう)安心(あんじん) 厭離穢土(えんりえど) 欣求(ごんぐ)浄土(じょうど)    (べつ)安心(あんじん) 三心(さんじん)  至誠心(しじょうしん) 深心(じんしん) 回向(えこう)発願(ほつがん)(ごころ)  安心(あんじん)
別時(べつじ)  同一(どういつ)名号(みょうごう)(とな)え、同一(どういつ)光明(こうみょう)(なか)にありて、(どう)(しょう)(じゅ)護念(ごねん)(こうむ)同胞(どうほう)(もっと)(した)し。(おろ)かに(うと)しと(おも)うべからず。 名号(みょうごう) 光明(こうみょう) (しょう)(じゅ) 別時(べつじ) 護念(ごねん) 同胞(どうほう) 
(べっ)(たい)三宝(さんぼう) @(ぶつ)浄土(じょうど)弥陀(みだ)  A(ほう)念仏(ねんぶつ)()(のり) B(そう)浄土(じょうど)菩薩(ぼさつ) 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
便所(べんじょ) かわやにて (もう)念仏(ねんぶつ)に とがあらば ()しこめよかし 弥陀(みだ)浄土(じょうど)へ 法然上人() 便所(べんじょ) 不浄(ふじょう) 清浄(しょうじょう) 行住坐臥(ぎょうじゅうざが)
便所(べんじょ)は その(いえ)内情(ないじょう)を のぞく節穴(ふしあな)である
弁栄(べんねい)上人()  (いそ)がねば ()がくるる あせると(あし)()につかぬ  弁栄(べんねい)上人()
弁栄(べんねい)上人()  白露(しらつゆ)を とめおく(よる)には をみなえし (いち)しほいろの そひまさるらん 
弁栄(べんねい)上人() (どう)(えい)(しゅう) 26 (わたくし)の おのがはからい うちすてて ただみこころに したがえよかし 
弁栄(べんねい)上人() (どう)(えい)(しゅう) p1 (はか)りなき ()()(ほとけ)の かずかずは ただみほとけの わかれなりけり 
弁栄(べんねい)上人() 日本(にほん)(ひかり) p112 西(にし)()く (おしえ)えのおやの こいしさに せめてみあとを めぐりてもがな 
法然上人()    浄土(じょうど)法門(ほうもん)(ゆう)(れん)(ぼう)とにあえるこそ (にん)(かい)()をうけたる(おも)()(はべ)れ。 法然上人() 勅伝(ちょくでん)45
法然上人()  形見(かたみ)とて はかなき(おや)の とどめてし この(わか)れさえ いかにせん 法然上人()15(さい)比叡山(ひえいざん) (はた)(うじ) (はは)親子(おやこ)
法然上人()  かたみとて はななき(おや)の とどめてし この(わか)れさえ (また)いかにせん  法然上人() (はは)(うえ)
法然上人()  光明(こうみょう)はくまなくそそぐ  (かぎ)()きいのちに()きよ  人間(にんげん)智慧(ちえ)なたのみそ  み(めぐ)みは(ひと)(えら)ばず  ただ(たの)阿弥陀(あみだ)(ほとけ)とおしえたる  いみじさの我等(われら)祖師(そし)や  A煩悩(ぼんのう)()てとは()らず  みだれたる(こころ)もゆるし  人間(にんげん)(さが)のまにまに  み(ほとけ)(くに)()()く  この(みち)(だれ)かひらきしなさけある  (した)わしのわれらが祖師(そし)や  (佐藤(さとう)春夫(はるお) 作詞(さくし)法然上人()(しょう) 煩悩(ぼんのう) 阿弥陀(あみだ) 光明(こうみょう) 祖師(そし)
法然上人() 阿弥陀仏(あみだぶつ)と 十声(10こえ)(とな)えて まどろまん (なが)(ねむ)りに なりもこそすれ 法然上人() 十念(じゅうねん) すいじ十念(じゅうねん) 就寝(しゅうしん) ()(とき)
法然上人() 阿弥陀仏(あみだぶつ)と (もう)すばかりを つとめにて 淨土(じょうど)荘厳(しょうごん) ()るぞうれしき 法然上人() 浄土(じょうど) 荘厳(しょうごん) 見佛(けんぶつ) 念仏(ねんぶつ) 三昧(さんまい)
法然上人() あみだぶと いうよりほかは ()(くに)の 難波(なには)のことは あしかりぬべし 法然上人()
法然上人() あみだぶと (こころ)西(にし)に うつ(せみ)の もぬけはてたる (こえ)(すず)しき 法然上人() (なつ) 念仏(ねんぶつ) (せみ) (すず)しき
法然上人() あみだぶに そむる(こころ)の いろにいでば あきの(こずえ)の たぐいならまし 法然上人() (あき) ()める (こずえ)
法然上人() (いけ)(みず) (ひと)(こころ)に ()たりけり (にご)りすむ(こと) さだめなければ 法然上人() (つみ) (けが)れ 清浄(しょうじょう) (こころ) (にご)
法然上人() いけらば 念仏(ねんぶつ)(こう)をつもり ()なば浄土(じょうど)にまいりなん とてもかくても この()には(おも)(わずら)う (こと)ぞなき 法然上人() 生死(しょうじ) 称名(しょうみょう)
法然上人() ()まれては まづ(おも)いでん ふるさとに (ちぎ)りし(とも)の (ふか)きまことを 法然上人() 故郷(ふるさと) (とも) 往生(おうじょう) 
法然上人() 往生(おうじょう)は よにやすけれど (みな)(ひと)の (まこと)(こころ) なくてこそせね 法然上人() 至誠心(しじょうしん) 三心(さんじん) (まこと)
法然上人() おぼつかな (だれ)かいいけん 小松(こまつ)とは (ゆき)をささふる 高松(たかまつ)(えだ)  法然上人() (ふゆ) (ゆき) 高松(たかまつ)
法然上人() 形見(かたみ)とて はかなき(おや)の (とど)めてし この(わか)れさえ またいかにせん 法然上人() (はた)(うじ) (はは) (わか)れ ()(わか)れ 形見(かたみ) (おや)
法然上人() かりそめの いろにゆかりの こいにだに あふには()をも をしみやはする 法然上人() (こい) 
法然上人() かわやにて (もう)念仏(ねんぶつ)に とがあらば ()しこめよかし 弥陀(みだ)浄土(じょうど)へ 法然上人() 便所(べんじょ) 不浄(ふじょう) 清浄(しょうじょう) 行住坐臥(ぎょうじゅうざが)
法然上人() 極楽(ごくらく)へ つとめて(はや)く いで()たば ()のをわりには (まい)りつきなん 法然上人() 往生(おうじょう) 
法然上人() これを()ん おりおりことに おもひてて 南無阿彌陀佛()と (つね)にとなえよ 法然上人() 精進(しょうじん) 称名(しょうみょう) 
法然上人() さえられぬ (ひかり)もあるを をしなへて (へだ)(かお)なる (あさ)(かすみ)かな   (はる) 法然上人() 無碍(むげ)(こう)(どんな(もの)があってもさえぎることがない)
法然上人() さへられぬ ひかりもあるを をしなべて へだてかおなる あさがすみかな 法然上人() (はる)
法然上人() (しば)()に あけくれかくる 白雲(しらくも)を いつむらさきの (いろ)にみなさん 法然上人()
法然上人() ちとせふる 小松(こまつ)のもとを すみかにて 無量寿(むりょうじゅ)(ぶつ)の (むか)えをぞまつ 法然上人() 来迎(らいこう) 正念(しょうねん) 往生(おうじょう)
法然上人() (つき)かげの (いた)らぬ(さと)は なけれども ながむる(ひと)の こころにぞすむ   ()む ()む ()む 光明(こうみょう)遍照(へんじょう) 観経(かんぎょう) (だい)(9)
法然上人() (つゆ)()は 此処彼処(ここかしこ)にて ()えぬとも (こころ)(おな)じ (なは)(だい)ぞ 法然上人() 流罪(るざい) (つゆ) (はな) 淨土(じょうど) 往生(おうじょう) 倶会一処(くえいっしょ)
法然上人() 不浄(ふじょう)にて (もう)念仏(ねんぶつ)に とがあらば めしこめられよ 弥陀(みだ)浄土(じょうど)へ  法然上人() (じょう)不浄(ふじょう) トイレ
法然上人() (ゆき)のうちに (ほとけ)御名(みな)を (とな)うれば つもれる(つみ)そ やがて()えぬる  法然上人() ((つみ)浄化(じょうか)) (ふゆ) (ゆき) 称名(しょうみょう)
法然上人() われはただ ほとけにいつか あふいぐさ こころのつまに かけぬひぞなき 法然上人() (こい) 父子(ふし)相好(そうごう)
(ほう)    (こころ) 五感(ごかん)によって(こころ)(つく)る (ほう)
(ほう)  三宝(さんぼう)   @(ぶつ)名医(めいい)  A(ほう)名薬(めいやく) B(そう)看病(かんびょう)  恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
(ほう) 住持(じゅうじ)三宝(さんぼう) @(ぶつ)絵像(えぞう)木像(もくぞう)  A(ほう)()(かみ)(しゅ)(じく) B(そう)剃髪(ていはつ) ()() 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
(ほう) ()ごろ()く (おし)えは(すべ)て 今日(きょう)()の わが()のためと (おも)()らるる (羽田(はた)(けい)(さん)) 説法(せっぽう) ()() (ほう)
(ほう) (べっ)(たい)三宝(さんぼう) @(ぶつ)浄土(じょうど)弥陀(みだ)  A(ほう)念仏(ねんぶつ)()(のり) B(そう)浄土(じょうど)菩薩(ぼさつ) 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
法演(ほうえん)()(かい) 1、(いきお)い、使(つか)()くすべからず 2、(ふく)()けつくすべからず 3、規矩(きく)(おこな)()くすばからず 4、(こう)()()きつくすべからず (法演(ほうえん)禅師(ぜんじ) 中国(ちゅうごく) 住職(じゅうしょく)として自戒(じかい)すべき(4)つの徳目(とくもく)これを法演(ほうえん)()(かい)という。)
(ほう)()(きょう)  善知識(ぜんちしき)は これ(なんじ)父母(ぶも)なり。 (なんじ)らの菩提心(ぼだいこころ)養育(よういく)(たま)えばなり。  法句(ほっく)(きょう)  (おや) 菩提心(ぼだいしん)
法語(ほうご)15 日課(にっか)念佛(ねんぶつ) かずを(さだ)めずば懈怠(けたい)因縁(いんねん)なれば、()(へん)をすすむるにて(そうろ)う 法語(ほうご)15
法事讚(ほうじさん)  (ぜん)(ねん)()(ねん)念念(ねんねん)   「念念(ねんねん)(ぼん)(しょう)(かい)(じょう)(こう)」((こう)())(法事讃(ほうじさん)
方丈記(ほうじょうき) ()にしたがえば,身,くるし.したがはねば,狂せるに似たり.いずれの所を占めて,いかなるわざをしてか.しばしもこの身を宿し,たまゆらも心を休むべき.  方丈記(ほうじょうき)
(ほう)(しん)  弥陀(みだ)(ちかい)()(ひかり)に (うたが)いとけては(はる)るなりけり  (ほう)(しん) (しん)(ぽう)
法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさつ)が (わたし)のために悪因(あくいん)悪果(あっか)()()わってしてくれたこと  (だい)()
法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさつ)が (わたし)のために修行(しゅぎょう)したこと  (だい)(しゅう)
法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさつ)()(こう)思唯(しゆい)(ちょう) (さい)多劫(たこう)修行(しゅぎょう)によって、阿彌陀(あみだ)(ぶつ)()った
法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさつ)()(こう)思唯(しゆい)阿弥陀(あみだ)(さま)(ほう)(しん)阿弥陀(あみだ)(さま)である。(()()()(しゅう)) (()()()(しゅう)()()()(しゅう)現象学(げんしょうがく)による。)
(ほう)()と ()うか()わぬかを 調(しら)べての ()(おこな)う (みち)(さだ)めよ ()(ほう)一体(いったい) () (ほう) 
菩薩(ぼさつ)  (べっ)(たい)三宝(さんぼう) @(ぶつ)浄土(じょうど)弥陀(みだ)  A(ほう)念仏(ねんぶつ)()(のり) B(そう)浄土(じょうど)菩薩(ぼさつ) 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
菩薩(ぼさつ) 「上求(じょうぐ)菩提(ぼだい) ()()衆生(しゅじょう)
(ほし) 真砂(ますな)なす (かず)なき(ほし)の そのなかに (われ)()かいて (ひかる)(ほし)あり
菩提(ぼだい)   いかにして(ほとけ)(みち)にかないなん 千才(せんさい)のうちの一日(いちにち)なりとも  
菩提(ぼだい)(しん) 善知識(ぜんちしき)は これ(なんじ)父母(ぶも)なり。 (なんじ)らの菩提心(ぼだいこころ)養育(よういく)(たま)えばなり。  法句(ほっく)(きょう)  (おや) 菩提心(ぼだいしん)
発願(ほつがん) 内みずからには「慈悲・歓喜・正義・安忍・剛毅・貞操・謙遜・真実等の徳」が身についてまいりますように大ミオヤさまの恩寵を願うと共に、次に外に向かっては「怨親平等に同体大悲の愛を以て柁に待し得らるるように恩寵を垂れ給え」と願うのが発願である。
発願(ほつがん)) (みむね)意を体して霊的行為を成就せられんことをいのる。 1、道徳の原動力は如来の霊応なること。2、教祖・釈迦牟尼はミダの人格(げん)なること。3、釈迦牟尼は教主にしてまた完徳の(かがみ)なること。4霊応に充たされていかなる境遇にも動ぜざるを誓うこと。5、(よわ)(われ)()(ぜん)(くに)(すす)むべき道徳(どうとく)行為(こうい)()しうるように(みむね)意を(あお)ぐこと。
法身(ほっしん) もの(みな)の (そこ)(ひと)つの(ほう)ありと ()にけに(ふか)(おも)(はい)りつつ  湯川(ゆかわ) 秀樹(ひでき)()()えぬもの」 法身(ほっしん) (ほとけ)
(ほとけ)  ()(おも)(おや)(こころ)  (わたし)(おも)(ほとけ)(こころ)  親子(おやこ) (おや)() 阿弥陀(あみだ) (ほとけ)
(ほとけ) 煩悩(ぼんのう)()さえられ ()えねども ()えず(われ)らを (しょう)()(たま)う 煩悩(ぼんのう) 護念(ごねん) (ほとけ) 増上(ぞうじょう)
(ほとけ) もの(みな)の (そこ)(ひと)つの(ほう)ありと ()にけに(ふか)(おも)(はい)りつつ  湯川(ゆかわ) 秀樹(ひでき)()()えぬもの」 法身(ほっしん) (ほとけ)
(ほとけ)関係(かんけい)   恭敬(くぎょう)(じゅ)  (やすし)(からだ)(うやま)う。  (けい)(こころ)(うやま)う。 (こころ)(した)()し、身体(しんたい)(うやま)う。日常(にちじょう)他人(たにん)(たい)する。 (こころ)(うやま)身体(しんたい)では(けい)ない 親子(おやこ)関係(かんけい)。 (ふつ)(たい)しては(こころ)身体(しんたい)(うやま)う。(なに)もいわないから!
(ほとけ)にも (まさ)(こころ)と ()らずして (おに)(ばば)なりと (ひと)()うらむ ((よめ)(しゅうとめ)人間(にんげん)関係(かんけい))(税所(さいしょ)敦子(あつこ)(うえ)() お(しゅうとめ)さんが(した)())さいしょ‐あつこ【税所敦子】 歌人。京都の生まれ。旧姓は林。薩摩藩士税所篤之に嫁し、夫と死別後、明治八年宮内省に出仕し、権掌侍となり、昭憲皇太后に仕えた。新桂園派の歌人で、歌集に「み垣の下草」など。(一八二五〜一九〇〇)
(ほとけ)(こころ)は、慈悲(じひ)をもて。(たい)とする(こと)にて(そうろう)うなり
(ほとけ)説法(せっぽう)(ずい)()()(ずい)()()(ふた)つがあります。(ずい)()()とは文字(もじ)のごとく()(こころ)(したが)うことであって、不本意(ふほんい)ながら衆生(しゅじょう)機縁(きえん)、すなわち要求(ようきゅう)(おう)じての説法(せっぽう)である。これを (おう)(びょう) ()(やく)、 (ずい)() (かい)(どう)(ずい)(るい) (おう)(どう)という。 念佛以(ねんぶつい)(がい)一切(いっさい)法門(ほうもん)はみな対機(たいき)説法(せっぽう)であって、()(よく)(おう)じて()むなくお()きなされたのである。 (ほとけ)(みずか)らのみ(こころ)(そこ)、すなわち(ずい)()()のお(せつ)ではないのです。 (ずい)()()文字(もじ)のごとく(ほとけ)()()のお(せつ)()します。
(ほとけ)は いつも()てござる ()いてござる ()ってござる  (善導(ぜんどう)大師(だいし)
(ほとけ)(つね)にいませど (うつつ)ならぬぞ あらわれなる (ひと)(おと)せぬ (あかつき)に ほのかに (ゆめ)に ()えたもう  ()白川(しらかわ)法王(ほうおう)
(ほとけ)(つね)にいませども (うつつ)ならぬぞあわれなる (ひと)(おと)せぬ(あかつき)に、ほのかに(ゆめ)に ()(たま)
法然上人()()うものは、法師(ほっし)(こころ)()ってこそ、極楽(ごくらく)(まい)らん(ひと)は、阿彌陀(あみだ)(ぶつ)御意(ぎょい)()ってこそと(つね)(のたまう)いし(なり)
(ぼん) もの()わぬ (おや)にあうなり (ぼん)まいり
本願(ほんがん)   (くさ)()も ()れたる野辺(のべ)に ただ(ひと)り (まつ)のみ(のこ)る 弥陀(みだ)本願(ほんがん)   本願(ほんがん) 知恩院(ちおんいん)  吉水(よしみず)
本願(ほんがん)  光明(こうみょう)(ほん)願力(がんりき)である。 本願(ほんがん)
本願(ほんがん)  (ただ)(たの)め よろずの(つみ)は (ふか)くとも ()本願(ほんがん)の あらんかぎりは  本願(ほんがん) (つみ) 十悪(じゅうあく) 五逆(ごぎゃく)
本願(ほんがん)  めしいたる (かめ)()()に あうなれや たまたま()たる (のり)(はし)(ぶね)  高弁(こうべん)  本願(ほんがん)()う (かめ)
本願(ほんがん) ()えられぬ (ひかり)のみ()に ()きしめて (つね)(われ)らを 愛撫(あいぶ)(たま)う 無碍(むげ)(こう) 光明(こうみょう) 護念(ごねん) 愛撫(あいぶ) 増上(ぞうじょう) 慈悲(じひ)
本願(ほんがん)念仏(ねんぶつ)(3)(しゅ) 1、請求(せいきゅう)念仏(ねんぶつ) ((しょ)()(たす)(たま)え、2、感謝(かんしゃ)念仏(ねんぶつ)中位(ちゅうい)有難(ありがと)う、3、讃歎(さんだん)念仏(ねんぶつ) (終極(しゅうきょく)) あゝ  (念仏(ねんぶつ)方法(ほうほう)
本願(ほんがん)三心(さんじん)一心(いっしん)()(らん)=「観経(かんぎょう)」 至心(ししん)信楽(しんぎょう)(よく)(しょう)()(こく)
本気(ほんき)になると 自分(じぶん)がかわってくる 世界(せかい)()わってくる ()わってこなかったら まだ本気(ほんき)になっていない証拠(しょうこ)だ 本気(ほんき)(こい) 本気(ほんき)仕事(しごと) こいつをつかまんことには
ほんとうに(あい)するとは、お(たが)いがお(たが)いを()つめ()うことではなくお(たが)いが同一(どういつ)方向(ほうこう)(ほとけ))を見上(みあ)げることである」フ(フランスの小説家、飛行家。パイロットの体験をもとに人間の崇高さ、勇気、知恵などを扱った作品を残す。「夜間飛行」「戦う操縦士」「星の王子さま」など。(一九〇〇〜四四)
煩悩(ぼんのう)   渋柿(しぶがき)の 甘柿(あまがき)となる ()(めぐ)み   (かき) 煩悩(ぼんのう)
煩悩(ぼんのう)   不断(ふだん)煩悩(ぼんのう)()(しん)(そく)涅槃(ねはん)(ほう)(しん)) 曇鸞(どんらん)善道(ぜんどう))  
煩悩(ぼんのう)  光明(こうみょう)はくまなくそそぐ  (かぎ)()きいのちに()きよ  人間(にんげん)智慧(ちえ)なたのみそ  み(めぐ)みは(ひと)(えら)ばず  ただ(たの)阿弥陀(あみだ)(ほとけ)とおしえたる  いみじさの我等(われら)祖師(そし)や  A煩悩(ぼんのう)()てとは()らず  みだれたる(こころ)もゆるし  人間(にんげん)(さが)のまにまに  み(ほとけ)(くに)()()く  この(みち)(だれ)かひらきしなさけある  (した)わしのわれらが祖師(そし)や  (佐藤(さとう)春夫(はるお) 作詞(さくし)法然上人()(しょう) 煩悩(ぼんのう) 阿弥陀(あみだ) 光明(こうみょう) 祖師(そし)
煩悩(ぼんのう)  三垢(さんく) (こころ)三垢(3あか)(わく)煩悩(ぼんのう)(ごう)=悪業(あくごう)()受苦(じゅく)) 垢質(くしつ)
煩悩(ぼんのう)  渋柿(しぶがき)の (しぶ)そのままの (あま)さかな  煩悩(ぼんのう)(そく)涅槃(ねはん)
煩悩(ぼんのう)  じょっとこらえよ 3分間(ぷんかん)   瞋恚(しんに)煩悩(ぼんのう) 腹立(はらだ)
煩悩(ぼんのう)  (よく)(かわ) ひっぱりみれば (なが)いもの どこがどことて ()てしなければ  煩悩(ぼんのう) 貪・瞋・癡(とんじんち)
煩悩(ぼんのう) (しょう) (げん) (すい) () (けん)  大悲(だいひ)()(けん) (じょう) (しょう) () (煩悩(ぼんのう)(まなこ) (さわ)えられて われはほとけを()ず われはほとけを()ざるに ほとけはわれを()て われを ()らすこと()まず。)
煩悩(ぼんのう) 嗔恚(しんに)功徳(くどく)(はやし)()く 「(おそ)るべし カッと(いか)りの (むね)()が (われ)()()を ()()くすなり」腹立(はらだ)ち、(さん)(どく)煩悩(ぼんのう)
煩悩(ぼんのう) にわかに(いか)りをなすことなかれ、(いま)(もち)いずとも たまたま(もち)いることあり。譬喩(ひゆ) 瓢箪(ひょうたん)のはなし。骨董(こっとう)()きな王様(おおさま)新婚(しんこん)家来(けらい) 新婚(しんこん)(つま)(もと)(よる)(おとこ)がいる。((いか)り)瓢箪(ひょうたん)のなかの言葉(ことば)(おも)()しよく(たし)かめてみると(ちち)だった。(ころ)さなくてすんだ 忍辱(にんにく) (いか)り 煩悩(ぼんのう) 
煩悩(ぼんのう)()さえられ ()えねども ()えず(われ)らを (しょう)()(たま)う 煩悩(ぼんのう) 護念(ごねん) (ほとけ) 増上(ぞうじょう)
煩悩(ぼんのう)()さえられて 摂取(せっしゅ)光明(こうみょう)みえざれども 大悲(だいひ)ものうきことなくて (つね)()()()らすなり 光明(こうみょう) 摂取(せっしゅ) 慈悲(じひ)
煩悩(ぼんのう)()(くすり)である。
煩悩(ぼんのう)をば(こころ)客人(まろうど)として、念佛(ねんぶつ)(こころ)主人(あるじ)としつらえば(あなが)ちに往生(おうじょう)をば(さわ)ぬなり((7)箇条(かじょう)起請文(きしょうもん) 6)煩悩(ぼんのう)客人(まろうど)念仏(ねんぶつ)主人(しゅじん)
(ぼん)はな (ぼん)はうれしや (わか)れた(ひと)が はれてこの()に ()いにくる
(ぼん)はな (ぼん)はうれしや (わか)れた(ひと)が はれてこの()に ()いにくる
凡夫(ぼんぶ)(こころ)(もの)にしたがいてうつりやすし。たとえば(えん)(こう)(えだ)につたふがごとし。まことに散乱(さんらん)して、(どう)じやすく、一心(いっしん)にしづまりがたし。
本来(ほんらい)()東西(とうざい) 何処(どこ)()南北(なんぼく) 本来(ほんらい)(ひがし)西(にし)もない のに 何処(どこ)南北(なんぼく)があろうか (じつ)(たい)(じつ)()主義(しゅぎ) 聖冏(しょうげい) ()(ほう) ()分量(ぶんりょう)
本来(ほんらい)()東西(とうざい) 何処(どこ)()南北(なんぼく) 本来(ほんらい)(ひがし)西(にし)もない のに 何処(どこ)南北(なんぼく)があろうか (じつ)(たい)(じつ)()主義(しゅぎ) 聖冏(しょうげい) ()(ほう) ()分量(ぶんりょう)
(まい)()も ()ゆや(なみだ)の ()ゆる(おと) (知人(ちじん)一人(ひとり)()()(たい)して)
(まえ)弥陀(みだ) (うし)ろはお釈迦(しゃか) (なか)(われ) ()きつ()されつ (まい)極楽(ごくらく)  白道(びゃくどう)  二河(にが)
まこと (うら)(こころ)は いかなるすべをもつとも (うら)みを(いだ)くその()まで (ひと)()にはやは(かた)し (うら)みなきによりてのみ (うら)みは(つい)()ゆるべし こは(かわ)らざる真理(まこと)なり。
(まこと) 往生(おうじょう)は よにやすけれど (みな)(ひと)の (まこと)(こころ) なくてこそせね 法然上人() 至誠心(しじょうしん) 三心(さんじん) (まこと)
まことにこれ法然(ほうねん)道理(どうり)のひじりなりと随喜(ずいき)して、法然(ほうねん) (ぼう)(ごう)し、実名(じつめい)源光(げんこう)(うえ)()と、叡空(えいくう)(した)()をとりて源空(げんくう)とぞつけられける。
マザーテレサ  (あい)反対(はんたい)無関心(むかんしん)だ    マザーテレサ 人権(じんけん) 関心(かんしん)  怨憎会苦(おんぞうえく)関心(かんしん)がある
まさか? 人生(じんせい)には(3)っつの(さか)がある。 (のぼ)(ざか)(くだ)(ざか)、そしてもう(ひと)つ、まさかという(さか)。 (のぼ)(ざか)(くだ)(ざか) まさか?
真砂(ますな)なす (かず)なき(ほし)の そのなかに (われ)()かいて (ひかる)(ほし)あり
また現在、それぞれの日課念仏をも、少しずつ亡くなつた人のために振り向けられるがよいでしょう。亡き人のために念仏を振り向けられれば、阿弥陀仏は光を放って地獄・餓鬼・畜生の三悪道を照らされますから、その悪道に堕ちて苦しみを受けている者は、その苦しみが止んで、命終の後に苦しみの境界からすっかり解放されることになるのです。ですから、『無量寿経』巻上には、「もし三悪道の疲れ苦しまなければならない境界にある人が、この阿弥陀彿の光明を見ることができれば、すべて苦しみが止み安らいで、また苦しみ悩むこともなく、命終の後にすべて迷いの束縛から解放されるのだ」と説かれています。
松尾(まつお)芭蕉(ばしょう)   あら(とうと)と 青葉(あおば)若葉(わかば)に ()(ひかり)   清浄光(しょうじょうこう)     松尾(まつお)芭蕉(ばしょう) 
末代(まつだい)念仏(ねんぶつ)授手印(じゅしゅいん) 修行(しゅぎょう) 安心(あんじん)()(もく))・起行(きぎょう)(ぎょう)(そく)) 起行(きぎょう) 二重(にじゅう) 修行(しゅぎょう)
末法(まっぽう)   なにごとも (とき)ぞと(おも)え (なつ)()ては (にしき)(まさ)る (あさ)のさ(ごろも)   (とき) (なつ) 末法(まっぽう)
末法(まっぽう)(なら)い、昨日(さくじつ)今日(こんにち)(わず)かに戒定慧(かいじょうえ)()ありと(いえど)も (ぎょう) (にん)なし。(じょう)(きゅう)知者(ちしゃ)なし。ただ()(みょう) 無実(むじつ)なり。(たと)至極(しごく)上乗(じょうじょう)法門(ほうもん)(もてあそぶ)ぶと(いえど)も、さらに(だん)悪生死の知恵にあらず。これは問答料簡の知恵なり。この知恵(ちえ)をもっては生死(しょうじ)()でがたきか。(しか)れば(すなわ)釈尊(しゃくそん)出世(しゅっせ)本意(ほんい)のまかせ、弥陀(みだ)悲願(ひがん)(あお)いで(しょう) (どう)難行(なんぎょう)()て、淨土(じょうど)易行(いぎょう)をとって、専称(せんしょう)名号(みょうごう)往生(おうじょう)(ねが)うべきなり。
まなしき【末那識】まなしき【末那識】
唯識宗で説く八識の一つ、第七識をいう。第六意識と区別される識作用で、意識がなくなった状態にも不断に存在し、自己を愛し存在させる迷いの根源とされる心のはたらきをいう。
(まも)り  はえば()て ()てば(あゆ)めの 親心(おやごころ) わが()()もる ()いを(わす)れて  (そだ)て (まも)り 親子(おやこ) (ろう) 四苦(しく)
(まも)り 真砂(ますな)なす (かず)なき(ほし)の そのなかに (われ)()かいて (ひかる)(ほし)あり
(まよ)い 動詞(どうし)名詞(めいし)()()(かた)がある。 動詞(どうし)()()るならば、「目覚(めざ)め」「覚醒(かくせい)」「無辺(むへん)(さと)り」 (かく) ()づき
マラリア かつてWTO(世界(せかい)保健(ほけん)機構(きこう))はアフリカのマラリア患者(かんじゃ)(おお)地域(ちいき)徹底的(てっていてき)なマラリア(ぼく)(めつ)作戦(さくせん)展開(てんかい)した。その結果(けっか)乳幼児(にゅうようじ)死亡率(しぼうりつ)が10(ぶん)の1に低下(ていか)した。そかし10(ねん)あとには、その地域(ちいき)住民(じゅうみん)のほとんどが餓死(がし)してしまった。マラリア患者(かんじゃ)がいなくなって、爆発的(ばくはつてき)人口(じんこう)増加(ぞうか)したためである。WHOは、はたして()いことをしたのか?(わる)いことをしたのか(あたま)をかかえこんだという。 慈悲(じひ) 科学(かがく) 理論(りろん) ()いこと (わる)いこと 知恵(ちえ)
客人(まろうど)  煩悩(ぼんのう)をば(こころ)客人(まろうど)として、念佛(ねんぶつ)(こころ)主人(あるじ)としつらえば(あなが)ちに往生(おうじょう)をば(さわ)ぬなり((7)箇条(かじょう)起請文(きしょうもん) 10)煩悩(ぼんのう)客人(まろうど)念仏(ねんぶつ)主人(しゅじん)
万善(まんぜん)(みょう)(たい)は 名号(みょうごう)六字(ろくじ)(そく)し 恒沙(ごうじゃ)功徳(くどく)は 口称(くしょう)一行(いちぎょう)(そな)う 恒沙(ごうじゃ)=ガンジス(かわ)(すな)(かず) (名号(みょうごう)
眉間(みけん)(びゃく)(ごう)(みぎ)(めぐる)って(えん)(てん)せり。()須弥山(しゅみせん)(ごと)し。 (観経(かんぎょう) 第九(だいく) (ぶつ)(しん)観文(かんもん)
()(ひと)の (けむ)りときえし (ゆう)べより (めい)もむつまじき しほ(かま)(うら)
弥陀(みだ)   釈迦(しゃか)()け 弥陀(みだ)は ()いよに (なか)(われ) ()され()かれて まいる極楽(ごくらく)
弥陀(みだ)  一声(ひとこえ)も すてぬ(ちかい)の うれしさに (おも)わずつもる 弥陀(みだ)のかずかず  念佛(ねんぶつ)(ちかい) 、弥陀(みだ)
弥陀(みだ)  (べっ)(たい)三宝(さんぼう) @(ぶつ)浄土(じょうど)弥陀(みだ)  A(ほう)念仏(ねんぶつ)()(のり) B(そう)浄土(じょうど)菩薩(ぼさつ) 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
弥陀(みだ) 真砂(ますな)なす (かず)なき(ほし)の そのなかに (われ)()かいて (ひかる)(ほし)あり
弥陀(みだ)(しん)(しん)(へん)(しん)法界(ほうかい) (えい)(げん)衆生(しゅじょう)(しん)(そう)(ちゅう) (弥陀(みだ)(しん)(しん)法界(ほうかい)(へん)じ、衆生(しゅじょう)(しん)(そう)(なか)(えい)(げん)したもう)
弥陀(みだ)(ちかい)()(ひかり)に (うたが)いとけては(はる)るなりけり  (ほう)(しん) (しん)(ぽう)
(みち)といふ ことばに(めい)ふ ことなかれ あさゆふおのが なすわざと()
(みち)(ため)め 手折(たお)るとならば (ひめ)小松(こまつ) もとより千代(せんだい)は (ねがい)はざるらん
みどりなる 一つ草とぞ 春は見し 秋は色々の 花にぞありける
みな(ひと)の (こころ)(そこ)の (おく)(いん) 開帳(かいちょう)すれば (おに)本尊(ほんぞん)  (地獄(じごく)(こころ)
()をよぶ (こえ)(こころ)が のせられて (かよ)(こころ)に (かよ)うみ(こころ)  (感応(かんのう) 道交(どうこう)
御名(みな)()ぶ (こえ)(こころ)が ()せられて よぶたび(かよ)う 慈悲(じひ)のふところ  (歓喜(かんぎ) 称名(しょうみょう)
()(のり) (べっ)(たい)三宝(さんぼう) @(ぶつ)浄土(じょうど)弥陀(みだ)  A(ほう)念仏(ねんぶつ)()(のり) B(そう)浄土(じょうど)菩薩(ぼさつ) 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
(みの)るほど あたまを()ぐる 稲穂(いなほ)かな
(ほとけ)の ただ(なか)にして 流転(るてん)かな
みほとけを ますます(たか)く おもうほど おのが(こころ)も いやとうとけれ
(みみ) 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  (げんにびぜつしんに)耳鼻舌身意(じんに) が(きよ)められる 色声香味触法(いろしょうこうみしょくほう)(ぜん)5つが五塵(5じん) 五賊(ごぞく)二河白道(にがびゃくどう)) (こころ)三垢(3あか)(わく)(ごう)()
()も安く  心も安き  古寺の 深き恵みは  楽しかりける
(みょう)  (のち)()の (ひと)(かがみ)に のこしおく 南無阿彌陀佛() 知識(ちしき)をぞ()よ  (とく)(ほん)行者(ぎょうじゃ)  (かがみ)   無明(むみょう)(みょう)
(みょう)  無明(むみょう)(みょう)    一方(いっぽう)より()れば無明(むみょう) 一方(いっぽう)よりみれば(みょう)  これが()()である。
(みょう) 無明(むみょう)(もと)とし、煩悩(ぼんのう)基盤(きばん)としているから、方向性(ほうこうせい)間違(まちが)えて()(しょう)じる。 無知(むち) 愚痴(ぐち) 智慧(ちえ) 知力(ちりょく) (みょう)
明恵(みょうえ) あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや(つき) (明恵(みょうえ)主客(しゅきゃく) 川端(かわばた)康成(やすなり) ノーベル(しょう) (つき) ()
(みょう)(かん)察智(さつち)  ()(だい)() (唯識(ゆいしき)) 仏果(ほとけはたし)をきわめたときに具有(ぐゆう)する四種(よんしゅ)()。すなわち、大円鏡智(だいえんきょうち)平等(びょうどう)性智(せいさとし)妙観察智(みょうかんさつち)(しげ)所作智(しょさち)
(みょう)(かん)察知(さっち)(だい)(こころ)(てん)じて()()る。六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  1、(げんにびぜつしんに) 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】
名号(みょうごう) 同一(どういつ)名号(みょうごう)(とな)え、同一(どういつ)光明(こうみょう)(なか)にありて、(どう)(しょう)(じゅ)護念(ごねん)(こうむ)同胞(どうほう)(もっと)(した)し。(おろ)かに(うと)しと(おも)うべからず。 名号(みょうごう) 光明(こうみょう) (しょう)(じゅ) 別時(べつじ) 護念(ごねん) 同胞(どうほう) 
名号(みょうごう) 六字(ろくじ)名号(みょうごう)の中には、阿弥陀様おひとりが持っていらっしゃるあらゆる内面の功徳、つまり、四智(しち)・三身・十力・四無畏(しむい)などのお徳から、阿弥陀様の外に対する御はたらき、つまり、相好・光明・説法・利生などというお徳、その内なる御はたらき、また外に向かう御はたらき、一切み功徳が、お名号の中に、摂し収められて在る。法然上人は、こう申されているのでございます。お名号の中には、あらゆる善根功徳、善と名のつくものは全部入っているわけでございます。そういう意味からいたしまして、「お名号」ということがいえるわけでございます。だからお名号「南無阿弥陀仏」の種を仏性心田に蒔く。そうして蒔いたお名号の種が、仏様の絶大なる御力によって、それが蒔くと同時に芽を出すのでございます。仏種の発芽でございますね。(選択(せんちゃく)(しゅう)
名号(みょうごう)@万行(まんぎょう)万善(まんぜん)()(とく)円満(えんまん)名号(みょうごう)、 A自覚(じかく)(かく)()(がく)(ぎょう)(ぐう)(まん)名号(みょうごう)、 B萬徳(まんとく)無漏(むろ)一切(いっさい)功徳(くどく)名号(みょうごう)
名号(みょうごう)(まん)(どく)()するのを、発願(ほつがん)(こく)(ねん)という。(こく)(ねん)とは専心(せんしん)鋭意(えいい)(こころ)です。
名号(みょうごう)はこれ(まん)(とく)()する(ところ)なり。(しか)れば(すなわ)弥陀(みだ)(いち)(ぶつ)のあらゆる()()三身(さんじん)・ 十力(じゅうりき)・ 四無畏(しむい)(とう)一切(いっさい)内証(ないしょう)功徳(くどく)相好(そうごう)光明(こうみょう)説法(せっぽう)利生(りしょう)(とう)一切(いっさい)外用(げゆう)功徳(くどく)(みな)(ことごと)阿彌陀(あみだ)(ぶつ)名号(みょうごう)(なか)摂在(しょうざい)せり。(ゆえ)名号(みょうごう)功徳(くどく)(もっと)(すぐ)れたりとなす。
()(ひと)の (こころ)ごころに まかせおきて 高嶺(たかね)()める (あき)(よる)(つき)
()(まい)に (みな)そのままの 姿(すがた)かな (やなぎ)はみどり (はな)はくれなゐ
()るもよし ()くもまたよし (うん)ふもよし 心一(こころひと)つを (さる)になさずば
()ればただ (なん)()もなき 水鳥(みずとり)の (あし)にひまなき わが(おも)ひ (徳川(とくがわ)光圀(みつくに)
見渡(みわた)せば (とお)(こん)きは なかりけり おのれおのれの 住家(すみか)にぞある
()をすてて ()(すく)(ひと)も ますものを (くさ)(あん)に ひまもとむとは 良寛(りょうかん)  理想(りそう)現実(げんじつ)
民族(みんぞく)滅亡(めつぼう)人口(じんこう)()(つづ)けていくことである。和田(わだ)(きよし)東洋(とうよう)()学者(がくしゃ)
み山べの 深雪とけなば 谷川に よどめる水は あらじとぞ思ふ
無畏(むい)() (おそ)れがない→(やす)らぎ  (きゃく)接待(せったい)仕方(しかた) 施無畏(せむい)
無一物(むいちもつ)(ちゅう)無尽蔵(むじんぞう) ((ぜん)
(むかし)(おも)ふ (あき)のねざめの (ゆか)(うえ)に ほのかにかよふ (みね)松風(まつかぜ)
(むかし)たれかかる(さくら)(はな)(しょく)ゑてよしのを(はる)(やま)となしけむ
(むかし)(いま)も うそもまことも はれやらぬ (みね)のうす (くも)()()りて のちの(ひかり)と (おも)はずや(きみ)
無碍(むげ)(こう)  (がい)碍子(がいし)であって「さえぎる」の(こころ) さえぎる(もの)がない。 さえられぬ 光もあるを をしなへて 隔て顔なる 朝霞かな   春 法然上人 無碍光(どんな物があってもさえぎることがない)
無碍(むげ)(こう) ()えられぬ (ひかり)のみ()に ()きしめて (つね)(われ)らを 愛撫(あいぶ)(たま)う 無碍(むげ)(こう) 光明(こうみょう) 護念(ごねん) 愛撫(あいぶ) 増上(ぞうじょう)
無碍(むげ)(こう) さえられぬ (ひかり)もあるを をしなへて (へだ)(かお)なる (あさ)(かすみ)かな   (はる) 法然上人() 無碍(むげ)(こう)(どんな(もの)があってもさえぎることがない)
無碍(むげ)(こう) さへられぬ ひかりもあるを をしなべて へだてかおなる あさがすみかな 法然上人() (はる)
無間(むけん)(じゅ)   懈怠(けたい)(こころ)修正(しゅうせい)するために 三種(さんしゅ)行儀(ぎょうぎ)
無間(むけん)(しゅ)  (おこた)らず ()かば千里(ちさと)()ても()ん (うし)(あゆ)みのよし おそくとも 無間(むけん)(しゅ) ()(しゅ)
無間(むけん)(じゅ)  間断(かんだん) ()念仏(ねんぶつ)(しゅう)していこう、念仏(ねんぶつ)念仏(ねんぶつ)との(あいだ)()()くしていこう、()()くしていこうという(こころ)がまえ。
無間(むけん)(じゅ)  ()(しゅ) 恭敬(くぎょう)(じゅ)高慢(こうまん)  ()()(しゅ)(ぞうき)起   無間(むけん)(じゅ)懈怠(けたい)   (じょうじ)(しゅ)退転(たいてん)
無間(むけん)(じゅ)  ()(しゅ) 作業(さごう)()(しゅ)三種(さんしゅ)行儀(ぎょうぎ)) 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()()(しゅ) 無間(むけん)(じゅ) (じょうじ)(しゅ)
無間(むけん)(しゅ)  ()(しゅ)ともに 大事(だいじ)なれども ()(けん)(しゅ)が 大事(だいじ)のなかの 大事(だいじ)なりける   無間(むけん)(しゅ)
無間(むけん)(しゅ)  睡時(すいじ)十念(じゅうねん)  阿彌陀仏(あみだぶ)と ()(こえ)(とな)へて まどろまん (なが)きねぶりに なりもこそすれ  睡時(すいじ)十念(じゅうねん)
無間(むけん)(しゅ)  煙草(たばこ)のむ()と (こい)する()には (むね)にけぶりの()()ない。  アミタアミタと(こい)する()には (むね)(ほとけ)のたえまなきぞ (とく)(ほん) 無間(むけん)(しゅ)
無間(むけん)(しゅ)  念佛(ねんぶつ)は (とな)えて()れば ありがたや 念佛(ねんぶつ)が 念佛(ねんぶつ)()んで 阿弥陀仏(あみだぶつ)   無間(むけん)(しゅ)
無間(むけん)(しゅ)  念佛(ねんぶつ)は (もう)(もう)し (もう)しても (もう)したらぬが 念佛(ねんぶつ)なりける 無間(むけん)(しゅ)
()(ざい)(なな)() 1 捨身(しゃしん)() 2(しん)(りょ)() 3()(げん)() 4慈眼(じげん)() 5(あい)()() 6(しょう)()() 7(ぼう)(しゃ)()
()()   無明(むみょう)(みょう)    一方(いっぽう)より()れば無明(むみょう) 一方(いっぽう)よりみれば(みょう)  これが()()である。
(むし)  (つぎ)()は よき(むし)()まれこよと ()()わせつつポリドールまく  (むし) (ころ)す 懺悔(さんげ)
()()()(しゅう)  法蔵(ほうぞう)菩薩(ぼさつ)()(こう)思唯(しゆい)阿弥陀(あみだ)(さま)(ほう)(しん)阿弥陀(あみだ)(さま)である。(()()()(しゅう)) (()()()(しゅう)()()()(しゅう)現象学(げんしょうがく)による。)
無上(むじょう)(ほう)アーノクタラサミャクサンボダイ(疑惑(ぎわく)がきえる)、甚深(じんじん)(ほう)(くう))、微妙(みみょう)(ほう)(みょう)()
無知(むち)  智慧(ちえ)物事(ものごと)方向性(ほうこうせい)(しめ)してくれる。 知力(ちりょく)には(もの)判断(はんだん)する能力(のうりょく)はあるが、方向性(ほうこうせい)がない
無知(むち)  無明(むみょう)(みょう)    一方(いっぽう)より()れば無明(むみょう) 一方(いっぽう)よりみれば(みょう)  これが()()である。
無知(むち)  無明(むみょう)(もと)とし、煩悩(ぼんのう)基盤(きばん)としているから、方向性(ほうこうせい)間違(まちが)えて()(しょう)じる。 無知(むち) 愚痴(ぐち) 智慧(ちえ) 知力(ちりょく) (みょう)
無能(むのう)  安心(あんじん)は ()ることかたく ()しやすく ()ること(やす)く ()しがたきかな   無能(むのう) 安心(あんじん) 
()分量(ぶんりょう)  聖冏(しょうげい) 此処(ここ)()ること(とお)からず 実体実義主義 聖冏 無方 無分量
()分量(ぶんりょう) 本来(ほんらい)()東西(とうざい) 何処(どこ)()南北(なんぼく) 本来(ほんらい)(ひがし)西(にし)もない のに 何処(どこ)南北(なんぼく)があろうか (じつ)(たい)(じつ)()主義(しゅぎ) 聖冏(しょうげい) ()(ほう) ()分量(ぶんりょう)
無辺(むへん)  (さと)る 動詞(どうし)名詞(めいし)()()(かた)がある。 動詞(どうし)()()るならば、「目覚(めざ)め」「覚醒(かくせい)」「無辺(むへん)(さと)り」 (かく) ()づき
()(ほう)  聖冏(しょうげい) 此処(ここ)()ること(とお)からず 実体実義主義 聖冏 無方 無分量
()(ほう)  本来(ほんらい)()東西(とうざい) 何処(どこ)()南北(なんぼく) 本来(ほんらい)(ひがし)西(にし)もない のに 何処(どこ)南北(なんぼく)があろうか (じつ)(たい)(じつ)()主義(しゅぎ) 聖冏(しょうげい) ()(ほう) ()分量(ぶんりょう)
無明(むみょう)  智慧(ちえ)物事(ものごと)方向性(ほうこうせい)(しめ)してくれる。 知力(ちりょく)には(もの)判断(はんだん)する能力(のうりょく)はあるが、方向性(ほうこうせい)がない
無明(むみょう)  (のち)()の (ひと)(かがみ)に のこしおく 南無阿彌陀佛() 知識(ちしき)をぞ()よ  (とく)(ほん)行者(ぎょうじゃ)  (かがみ)   無明(むみょう)(みょう)
無明(むみょう)(みょう)    一方(いっぽう)より()れば無明(むみょう) 一方(いっぽう)よりみれば(みょう)  これが()()である。
無明(むみょう)(もと)とし、煩悩(ぼんのう)基盤(きばん)としているから、方向性(ほうこうせい)間違(まちが)えて()(しょう)じる。 無知(むち) 愚痴(ぐち) 智慧(ちえ) 知力(ちりょく) (みょう)
()()(しゅ)  阿弥陀(あみだ)(いち)(ほとけ)(しん)じ、念仏(ねんぶつ)一行(いっこう)(ぎょう)ずる。 宗教的(しゅうきょうてき)貞操(ていそう)(まも)ること。 (あしゃく)(やく)(かん)(てん)(てん)八蔵(はちぞう)
()()(しゅ)  ()(しゅ) 恭敬(くぎょう)(じゅ)高慢(こうまん)  ()()(しゅ)(ぞうき)起   無間(むけん)(じゅ)懈怠(けたい)   (じょうじ)(しゅ)退転(たいてん)
()()(しゅ)  ()(しゅ) 作業(さごう)()(しゅ)三種(さんしゅ)行儀(ぎょうぎ)) 恭敬(くぎょう)(じゅ) ()()(しゅ) 無間(むけん)(じゅ) (じょうじ)(しゅ)
()()(しゅ) ()とは余分(よぶん)なもの、()ざり()(こころ)で、余分(よぶん)のものを()ぜずに、ただ念佛(ねんぶつ)だけをの()   ()(しゅ)
無量(むりょう) ((はか)()れない) 生死(しょうじ)(ぜん)(なく)貧富(ひんぷ)(こう)不幸(ふこう) 不可思議(ふかしぎ)である。 法然上人()幼少(ようしょう)(ちち)()浄土(じょうど)(ひら)けた不可思議(ふかしぎ)
無量寿経(むりょうじゅきょう)  それ衆生(しゅじょう)ありて、この(ひかり)()うものは三垢(さんく)消滅(しょうめつ)し(清浄光(しょうじょうこう))、身意柔軟(しんににゅうなん)に(智慧光(ちえこう))、歓喜踊躍(かんぎゆやく)して(歓喜(かんぎ)(こう))、善心(ぜんしん)(しょう)ぜん(不斷(ふだん)(こう))  礼拝儀(らいはいぎ)  無量寿経(むりょうじゅきょう)
無量寿経(むりょうじゅきょう) 有田(うでん)憂田(うでん) 有宅(うたく)有宅(うたく)   無量寿経(むりょうじゅきょう)  () 求不得苦(ぐふとっく)
() 
()()()ず。()()()かず。(こころ)(こころ)()らず。」 ()は何でも見えるんですが、自分の眼が見えない。鼻さえ見えない。そうでしょ。火、火を焼かず。火は何でも焼きますが、火が火を焼くことばございません。心、心を知らず。自分の心というものは、なかなか自分でわからないのでございます。「影は光によって生ずる」。真夜中、一暗闇ですと影がございません。朝、お天道さまが出ていらっしゃると、それにふさわしい影が出てきます。それと同じように、念仏を申さない間は、如来さまのお光明をいただかない間は、自分の罪悪の影に気付かないのであります。ですから、最初は、我々も煩悩の我であるということを信じて、お念仏申しているうちに、お光明がいただけてまいりますと、自分の罪悪に気付かせていただく、初め信じておったものがわかってくるのです。その自分の罪悪に気が付くから、阿弥陀さまにおすがりする気持ちが強くなって、真剣な念仏が出る。
「光強ければ、影また渡し」。光が強ければ強い程、影が濃くなる様に、阿弥陀さまの光明をいただけばいただくほど、罪悪の影が濃くなって、しまいには自分ほど罪な者はない、と罪悪の自覚に到達するものでございます。そういう意味に於いて、どうか最初は、罪悪の我であると信じて、懺悔(さんげ)の鍬で罪悪の雑草を刈り取っていただきたいと、こう思うのでございます。
名医(めいい)  三宝(さんぼう)   @(ぶつ)名医(めいい)  A(ほう)名薬(めいやく) B(そう)看病(かんびょう)  恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
明治(めいじ) 三宝(さんぼう) @(ぶつ)(あか)るく  A(ほう)(ただ)しく B(そう)(なご)やかに 明治(めいじ) 大正(たいしょう) 昭和(しょうわ)
名薬(めいやく)  三宝(さんぼう)   @(ぶつ)名医(めいい)  A(ほう)名薬(めいやく) B(そう)看病(かんびょう)  恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
()がさめて 今日(きょう)もうれしや わがからだ
目覚(めざ)め (さと)る 動詞(どうし)名詞(めいし)()()(かた)がある。 動詞(どうし)()()るならば、「目覚(めざ)め」「覚醒(かくせい)」「無辺(むへん)(さと)り」 (かく) ()づき
めしいたる (かめ)()()に あうなれや たまたま()たる (のり)(はし)(ぶね)  高弁(こうべん)  本願(ほんがん)()う (かめ)
()()えず (みみ)()こえず 身体(からだ)()れず (こころ)()れし 慈悲(じひ)(とうと)
()()えぬ (かみ)(こころ)に (つう)ふこそ (ひと)のこころの (まこと)なりけれ (明治(めいじ)天王(てんのう)
()(まえ)の ものを(かがみ)と 心得(こころえ)て かげをまことに うつせ()(ひと)
もう、自分(じぶん)一人(ひとり)幸福(こうふく)(もと)める時代(じだい)(おわ)った。()(ひと)幸福(こうふく)でなくて、どうして自分(じぶん)幸福(こうふく)になれるだろう。もう、自分(じぶん)(くに)だけの平和(へいわ)(もと)める時代(じだい)(おわ)った。()(くに)平和(へいわ)でなくて、どうして自分(じぶん)(くに)平和(へいわ)であり()よう」
盲目(もうもく) ()らざりき (ふつ)とともに おきふして ()()らしける (われ)()なりとは  (盲目(もうもく)
目的(もくてき)手段(しゅだん)   (やま)青々(あおあお)()はうらら ()には漫々(まんまん)慈悲(じひ)(みず) (あき)はみのらん無量寿を 歌え南無阿弥田植え歌 青い稲葉はその中に 白いお米のみのるため 死ぬる身体はその中に 死なぬ命のそだつため (田中木叉 心田植歌)
目連(もくれん) 父母(ぶも)(おん)(じゅう)(きょう) ()(きょう) (れん)(みん)(おん) (おや)はおのれ()して(のち)にも、()()(まも)ることを(ねが)
()光明(こうみょう)名号(みょうごう) 摂化(せっけ)十方(じっぽう)
もし、念仏(ねんぶつ)せん(もの)は、(まさ)()るべし。この(ひと)(すなわ)ちこれ(にん)(ちゅう)(ふん)()()()(びゃく)蓮華(れんげ))なり  ((かん)無量寿経(むりょうじゅきょう)
もしもそれ(ぞう)(ぞう)()(とう)をもって本願(ほんがん)となし(たま)わば、(びん)(ぐう)(こん)(ぼう)のものは(さだ)めし往生(おうじょう)(のぞ)みを()たん。もし知恵(ちえ)(こう)(さい)をもって本願(ほんがん)とし(たま)わば、愚鈍(ぐどん)()()のものは(さだ)めて往生(おうじょう)(のぞ)みを()たん。もし、持戒(じかい)持律(じりつ)をもって本願(ほんがん)とし(たま)わば、破戒(はかい)無戒(むかい)のものは(さだ)めて往生(おうじょう)(のぞ)みを()たん。()()(ぎょう)これに(じゅん)じて()るべし。
もしよく相続(そうぞく)して念仏(ねんぶつ)する(もの)は、この(ひと)(はなは)希有(けう)なりとす。さらに(もの)をもってこれにくらぶべきなし。(ゆえ)に芬陀利華(白蓮華)を()いて(たと)えとすることを()かす。
()ちきれぬ 荷物(にもつ)(おも)たし (まえ)うしろ  ((さん)(とう)()
()(ひと)の (こころ)によりて かはらとも (たま)ともなるは こがねなりけり
()(ひと)の (こころ)によりて (たから)とも (あだ)ともなるは 黄金(おうごん)なりけり
もとよりも (しの)ぶの(さと)に (しのぶ)れば (しの)びてかよへ 弥陀(みだ)淨土(じょうど)へ  苦楽(くらく) (にん) (しの)ぶ 
(もの)  智慧(ちえ)物事(ものごと)方向性(ほうこうせい)(しめ)してくれる。 知力(ちりょく)には(もの)判断(はんだん)する能力(のうりょく)はあるが、方向性(ほうこうせい)がない
もの()わぬ (おや)にあうなり (ぼん)まいり
ものみなの (そこ)(ひと)つの (ほう)ありと ()に、けに、(ふか)く (おも)いいりつつ
ものみなの (そこ)(ひと)つの (ほう)ありと ()に、けに、(ふか)く (おも)いいりつつ
ものみなの (そこ)(ひと)つの (ほう)ありと ()に、けに、(ふか)く (おも)いいりつつ (湯川(ゆかわ) 秀樹(ひでき)
もの(みな)の (そこ)(ひと)つの(ほう)ありと ()にけに(ふか)(おも)(はい)りつつ  湯川(ゆかわ) 秀樹(ひでき)()()えぬもの」 法身(ほっしん) (ほとけ)
(もも)  (もも)(よう)(よう)たる、その()(しん)(しん)たり、(この)()(いえ)(とつ)ぐ、かの(いえ)(ひと)(よろし)し 大学(だいがく)   (もも) () 結婚(けっこん)
(もも)(よう)(よう)たる、その()(しん)(しん)たり、(この)()(いえ)(とつ)ぐ、かの(いえ)(ひと)(よろし)し 大学(だいがく)   (もも) () 結婚(けっこん)
もろともに (こけ)(した)には ()ちずして うずもれぬ()を ()るぞかなしき
(もろもろ)凡夫(ぼんぶ)(こころ)()()(ごと)く、(しき)(えん)(こう)よりもはげしく(ろく)(じん)()(へい)して(なん)ぞかつて(じょう) (そく)せん、
柳生(やぎゅう)()家訓(かくん) 「(しょう)(さい)(えん)出会(であ)って(えん)()づかず  (ちゅう)(さい)(えん)()づいて(えん)()かさず (だい)(さい)(そで)すり()った(えん)をも()かす」(えん)怨憎会苦(おんぞうえく) 不可思議(ふかしぎ) 「(そで)すりあうも他生(たしょう)(えん)
()のたとえ!一番の矢と二番矢 苦の一番矢を受けても二番の苦の矢は念仏を称えている人は受けない! 一番矢楽は二番矢は欲の働きによって苦の始まりになる。  苦楽(くらく) 挨拶(あいさつ)
(やまい)  三宝(さんぼう)   @(ぶつ)名医(めいい)  A(ほう)名薬(めいやく) B(そう)看病(かんびょう)  恭敬(くぎょう)(じゅ) ()(しゅ)
(やま)(はし)の (つき)はさやかに てらせども まだはれやらぬ (みね)のうす(ぐも)
(やま)青々(あおあお)()はうらら ()には漫々(まんまん)慈悲(じひ)(みず) (あき)はみのらん無量寿を 歌え南無阿弥田植え歌 青い稲葉はその中に 白いお米のみのるため 死ぬる身体はその中に 死なぬ命のそだつため (田中木叉 心田植歌)
山本(やまもと)(くう)(がい) (つう)(だつ) (しょ)法性(ほっしょう) 一切(いっさい)(くう)無我(むが)   專求(せんぐ)(じょう) 仏土(ぶつど) (ひつ)(じょう) (みょう) ()(せつ)  (しゅ)(ぜん)() (つい)(れん) (くう)(がい)75(さい)(しょ)
山本(やまもと)有三(ゆうぞう) 路傍(ろぼう)(いし) 「たった一人(ひとり)しかいない自分(じぶん)をたった一度(いちど)しかない人生(じんせい)をほんとうに()きなかったら、()まれてきた甲斐(かい)がないじゃないか」 人生(じんせい) 自分(じぶん) 生死(しょうじ)
(やみ)(よる)に ()かぬ(からす)の (しょう)きけば ()まれぬ(さき)の (ちち)(こい)しき  (父子(ふし)相好(そうこう)
(やみ)(よる)に ()かぬ(からす)の (しょう)きけば ()まれぬ(さき)の (ちち)(こい)しき  (父子(ふし)相好(そうこう)) 一休(いっきゅう)和尚(かしょう)
やめやめんと(ほっ)すれども、やめられざるをいかにせん。 (はい)(はい)せんと(ほっ)すれども、(はい)しせざるをいかにせん
湯川(ゆかわ)秀樹(ひでき)  もの(みな)の (そこ)(ひと)つの(ほう)ありと ()にけに(ふか)(おも)(はい)りつつ  湯川(ゆかわ) 秀樹(ひでき)()()えぬもの」 法身(ほっしん) (ほとけ)
(ゆき)  (あつ)()も (さむ)きその()も (ゆき)()も 五劫思唯(ごこうしゆい)の ことを(おも)えば    荒巻(あらまき)くめ   五劫思唯(ごこうしゆい)  (あつ)い  (さむ)い  (ゆき)
(ゆき) おぼつかな (だれ)かいいけん 小松(こまつ)とは (ゆき)をささふる 高松(たかまつ)(えだ)  法然上人() (ふゆ) (ゆき) 高松(たかまつ)
雪下(ゆきした)に (はる)(こえ)あり ことことと ()えぬ小川(おがわ)の (なが)(おと)()く  清浄光(しょうじょうこう)、 河波(かわなみ)
雪下(ゆきした)に (はる)(こえ)あり コトコトと ()えぬ小川(おがわ)の (なが)(おと)()く (北海道(ほっかいどう)釧路(くしろ)現象学(げんしょうがく) 地下(ちか)(はる)がやって()る。(はる)がやって()た。(往生(おうじょう)することと往生(おうじょう)がやって()る。)
(ゆき)のうちに (ほとけ)御名(みな)を (とな)うれば つもれる(つみ)そ やがて()えぬる  ((つみ)浄化(じょうか)
(ゆき)のうちに (ほとけ)御名(みな)を (とな)うれば つもれる(つみ)そ やがて()えぬる  法然上人() ((つみ)浄化(じょうか)) (ふゆ) (ゆき) 称名(しょうみょう)
ゆく(とき)が (しず)()わざの (から)(おけ)に になえて(かえ)る (あき)()(つき)(むかし)(みず)()みは大変(たいへん)だった。(から)(おけ)井戸(いど)まで()ってくんできた。()(とき)(から)(かえ)るときは(みず)(みず)()かぶお月様(つきさま)宿(やど)っている)
()く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみにうかぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまることなし。・・・・あしたに死しゆうべに生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いつかたより来りていづかたへ去る
(ゆみ)()れ ()もつきは つるところにて さしもゆるさで (つよ)()てみよ
(ゆめ)()し (ゆめ)()るる 朝寝坊(あさねぼう) ()きて()()る 釈迦(しゃか)よりはまし
(ゆめ)()に あだにはかなき ()()れと おしえて(かえ)る ()善知識(ぜんちしき) (和泉(いずみ)式部(しきぶ)
(ゆめ)()に あだにはかなき ()()れと (おし)えて(かえ)る ()知識(ちしき)なり (和泉(いずみ)式部(しきぶ)
(ゆめ)()に (あだ)にはかなき ()()れと (おし)えてかえる()は 知識(ちしき)なり (和泉(いずみ)式部(しきぶ)
(ゆめ)(よる)に かつまどろみて (ゆめ)をまた (かた)るも(ゆめ)も それのまにまに
夜遊(よあそ)びや 朝寝(あさね)昼寝(ひるね)遊山(ゆさん)ずき 引込思案(ひっこみじあん)  油断(ゆだん)()根気(こんき)
()いこと  かつてWTO(世界(せかい)保健(ほけん)機構(きこう))はアフリカのマラリア患者(かんじゃ)(おお)地域(ちいき)徹底的(てっていてき)なマラリア(ぼく)(めつ)作戦(さくせん)展開(てんかい)した。その結果(けっか)乳幼児(にゅうようじ)死亡率(しぼうりつ)が10(ぶん)の1に低下(ていか)した。そかし10(ねん)あとには、その地域(ちいき)住民(じゅうみん)のほとんどが餓死(がし)してしまった。マラリア患者(かんじゃ)がいなくなって、爆発的(ばくはつてき)人口(じんこう)増加(ぞうか)したためである。WHOは、はたして()いことをしたのか?(わる)いことをしたのか(あたま)をかかえこんだという。 慈悲(じひ) 科学(かがく) 理論(りろん) ()いこと (わる)いこと 知恵(ちえ)
ようやくに (のぞ)みをとげた 長生(ながい)きの ()てのざまみよ (いえ)邪魔者(じゃまもの)()きているだけでない!こうなる(まえ)()にたい)
よき事を 見ざる聞かざる 云はざるは 人にうまれし 甲斐もあらざる
(よく)  (われ)(ほっ)する(ところ)(ぜん)(おこな)うわたわず (ほっ)せざる(ところ)(あく)(おこな)う あぁ(なや)める(われ)なるかな。(パウロ)十夜(じゅうや) (ぜん) (あく) (よく) () 意思(いし)
(よく)(かい)(しき)(かい)()(しき)(かい)(よく)(かい)人間界(にんげんかい)(しき)()(しき)(かい)天上(てんじょう)(かい)ともに(めい)(きょう)流転(るてん)世界(せかい)。(三界(さんがい)
(よく)(しょう)()(こく)  本願(ほんがん)三心(さんじん)一心(いっしん)()(らん)=「観経(かんぎょう)」 至心(ししん)信楽(しんぎょう)(よく)(しょう)()(こく)
(よく)(かわ) ひっぱりみれば (なが)いもの どこがどことて ()てしなければ  煩悩(ぼんのう) 貪・瞋・癡(とんじんち)
(よく)(ふか)き (ひと)(こころ)と ()(ゆき)は ()もるにつけて (みち)わかぬなり ((よく)(みち)) 小欲(しょうよく) 知足(ちそく)生活(せいかつ)
(よく)ふかき (ひと)(こころ)と ()(ゆき)は ()もるにつれて (みち)(わす)るる  (盲目(もうもく)
()(ごう) 五種(ごしゅ)()() 現当(げんとう)利益(りやく) 生死(しょうじ)解脱(げだつ) 滅罪(めつざい) 見佛(けんぶつ) 護念(ごねん)
よしあしの 二の道に たへはてぬ 心とてげに すがたなければ
吉川(よしかわ)英二(えいじ)  (われ) 以外(いがい) (みな) (わが)()  恭敬(くぎょう)(じゅ)  上下(じょうげ)関係(かんけい) 
吉田(よしだ)兼好(けんこう)  ()(まえ)よりも()たらず、かねてうしろにせまれり。(ひと)みな()あることを()りて()つことしかも(きゅう)ならざるに(おぼ)えずして()る。(おき)干潟(ひがた)はるかなれども、(いそ)より(しお)滿(みつる)つるがごとし。  吉田(よしだ)兼好(けんこう) 徒然草(つれづれぐさ) () (しお) 
吉水(よしみず)  (くさ)()も ()れたる野辺(のべ)に ただ(ひと)り (まつ)のみ(のこ)る 弥陀(みだ)本願(ほんがん)   本願(ほんがん) 知恩院(ちおんいん)  吉水(よしみず)
()な夜なミオヤと共に寝ね 朝な朝なもともに起き 立ち居起き臥し添いまして しばしも離るることぞなき (田中(たなか)(もく)(しゃ) (しん)(でん)()(うた)) 長時(じょうじ)(しゅ) 田中(たなか)(もく)(しゃ)  (しん)(でん)田植(たう)(うた) ()
()(なか) 持戒(じかい)念仏(ねんぶつ)往生(おうじょう)() ()(なか)は (さい)河原(かわら)の (いし)なれや ()んではくずし くずしては()む  ()(なか) (さい)河原(かわら) (いし) ()
()(なか)に (おそ)ろしきものは なけれども 屋根(やね)()るのと 馬鹿(ばか)借金(しゃっきん)
()(なか)に (おも)あれども ()(こい)ふる (おも)ひにまさる (おも)なきかな  (親子(おやこ)
()(なか)に (おも)いはあれど ()(おも)う (おも)いにまさる (おも)いなきかな  (親子(おやこ)
()(なか)に か(())ほどうるさき ものはなし ぶんぶ(文武(ぶんぶ))といひて(よる)もねられず
()(なか)に ()はなきものを ()(われ)が (らく )をもとめて (くる)しみぞする (苦樂(くらく)
()(なか)に 虎狼(ころう)(なに)ならず (じん)(くち)こそ なほまさりけれ
()(なか)に (しょうじ)死の(みち)に ()れはなし たださみしくも (どっ)()(どく)(らい)  ((ひと)り)
()(なか)に (なげ)きはなきに (よろこ)びをもとめて (つい)になげきとはなる  (()(はじ)まり)
()(なか)の 生死(しょうじ)(みち)に ()れはなし たださみしくも 独去(どっこ)独来(どくらい)
()(なか)は 今日(きょう)より(ほか)は なかりけり 昨日(きのう)()ぎつつ 明日(あす)()られず(現在(げんざい)有体(ゆうたい)()()無体(むたい)
()(なか)は こその二文字(ふたもじ) つけどころ おさまるもこそ (みだ)るるもこそ
()(なか)は (とく)して(ひと)に ほめられて (そん)して(ひと)に (わらい)はるるなり
()(なか)は (ひと)つかなえば、また(ふた)つ。(みっ)つ、(よっ)つ、(いつ)つ むつかしの()
()(なか)は (むすめ)(よめ)と (はな)()きて (かか)としぼんで (ばば)()りゆく
()(なか)を (わた)りくらべて (いま)()る 阿波(あわ)のなるとに ()(なみ)もなし
よもすがら仏の道をもとむればわがこころにぞ尋ね入ぬる
(よろこ)び ()のまいも (あし)のふみども 白波(しらなみ)や (ちかい)(ふね)に ()()つる()は   (よろこ)び (ぜん)(きょう)  ()(きょう)  (きょう)(ちゅう)
来迎(らいこう) ちとせふる 小松(こまつ)のもとを すみかにて 無量寿(むりょうじゅ)(ぶつ)の (むか)えをぞまつ 法然上人() 来迎(らいこう) 正念(しょうねん) 往生(おうじょう)
来迎(らいこう)往生(おうじょう)増上縁(ぞうじょうえん)、 三心(さんじん)往生(おうじょう)安心(あんじん)  往生(おうじょう) 増上縁(ぞうじょうえん) 三心(さんじん) 安心(あんじん)(勅修御伝随聞記19)
来迎(らいこう)(さん)()@臨終(りんじゅう)正念(しょうねん)  A道路(どうろ)先達(せんだつ)  B(たい)()()()   臨終(りんじゅう)
来迎(らいこう)蓮台(れんだい)(ふね)来迎(らいこう)(ひかり)智慧(ちえ) (勅修御伝随聞記19) 蓮台(れんだい) (ふね) 智慧(ちえ) (ひかり)  安心(あんじん)
来迎(らいこう)蓮台(れんだい)(ふね)とし、来迎(らいこう)(ひかり)智慧(ちえ)として ((ちょく)(しゅう)()(でん)随聞記(ずいもんき)19)
来年(らいねん)は 小便(しょうべん)くさき 炬燵(こたつ)かな
来年(らいねん)は 小便(しょうべん)くさき 炬燵(こたつ)かな(来年(らいねん)()どもがうまれるであろう!と(いわ)いの言葉(ことば)
礼拝儀(らいはいぎ)  それ衆生(しゅじょう)ありて、この(ひかり)()うものは三垢(さんく)消滅(しょうめつ)し(清浄光(しょうじょうこう))、身意柔軟(しんににゅうなん)に(智慧光(ちえこう))、歓喜踊躍(かんぎゆやく)して(歓喜(かんぎ)(こう))、善心(ぜんしん)(しょう)ぜん(不斷(ふだん)(こう))  礼拝儀(らいはいぎ)  無量寿経(むりょうじゅきょう)
礼拝(らいはい)(ねん)とは、別行(べつぎょう)にあらざるなり
(らく)  もとよりも (しの)ぶの(さと)に (しのぶ)れば (しの)びてかよへ 弥陀(みだ)淨土(じょうど)へ  苦楽(くらく) (にん) (しの)ぶ 
(らく)  矢のたとえ!一番の矢と二番矢 苦の一番矢を受けても二番の苦の矢は念仏を称えている人は受けない! 一番矢楽は二番矢は欲の働きによって苦の始まりになる。  苦楽(くらく) 挨拶(あいさつ)
(らく) 大忍とは耐えしのんだり、がまんすることとはちがう。苦しいときはくるしいままに、嬉しいときは嬉しいままに身体ごと素直に順応していくことである。悲しいときは子供のように、ごく自然に涙を浮かべ悲しいんでいる。また念願かなって嬉しいときは、子供のように無邪気に嬉しがるこれを大忍という。 寂しいときは寂しいままに独り静かにいる。これが日本文化の「わび」「さび」の精神である。身体で抑えて、首から上に上げない。文句、愚痴を言わないようにしよう。争いの元となる。罪作り。(板橋興宗 曹洞宗)
理想(りそう)   いかにして (まこと)(みち)に (かな)いなん 千歳(せんさい)のうちの 一日(いちにち)なりとも 良寛(りょうかん) 理想(りそう)
理想(りそう) ()をすてて ()(すく)(ひと)も ますものを (くさ)(あん)に ひまもとむとは 良寛(りょうかん)  理想(りそう)現実(げんじつ)
(りゅう)  (りゅう)(つの)鹿(しか)()(あたま)駱駝(らくだ)()()(おに)()(くび)(へび)()(はら)(しん)()(うろこ)(こい)()(つめ)(たか)()(たなごころ)(とら)()(みみ)(うし)()ている。という (りゅう)九種(9しゅ)動物(どうぶつ)(たと)える(9)()(せつ)()す。  ()には八十一(81)(うろこ)(くち)(もと)には(ひげ)(のど)(もと)にはそれに()れるとはげしく(いか)()す。逆鱗(げきりん)をもつ。(中国(ちゅうごく) (そう)(だい)の字書 ()()(よく))じが【爾雅】
中国の字書。十三経の一つ。作者は周公あるいは孔子とその弟子の手が加わっているという説もあるが、否定されており、漢の学者たちが諸経書、特に詩経の伝注を集録したものといわれる。釈詁・釈言・釈訓・釈親以下釈鳥・釈獣・釈畜の一九編は、古語を用法と種目別に分類・解説した最古の字書で、経書の訓詁解釈の貴重な史料。注釈書として晋の郭璞の注と宋の刑拮の疏を合わせた「爾雅注疏」がある。
(しん)(つの)とてがみえおもつ大蛇(だいじゃ)想像上(そうぞうじょう)動物(どうぶつ)である。蜃気楼(しんきろう)()くとわれている。岩国(いわくに) 法真寺(ほうしんじ) 資料(しりょう)より
竜樹(りゅうじゅ) ああ、痛ましい哉、我等幾千かの仏肉を食い、我等幾千かの仏血を吸い、我等幾千かの仏命を断ち、我等幾千かの仏眼を決り、我等幾千かの仏肩を桂り、我等幾千かの仏皮を着つる」と『大智度論(だいちどろん)』の中で申され竜樹のみ心に、一歩いな半歩たりとも近づかせていただきたいものであります。 殺生(せっしょう)
良寛(りょうかん)   いかにして (まこと)(みち)に (かな)いなん 千歳(せんさい)のうちの 一日(いちにち)なりとも 良寛(りょうかん) 理想(りそう)
良寛(りょうかん)  (うぐいす)の (こえ)もききつる あしたより (はる)(こころ)に なりにけるかな 良寛(りょうかん)
理論(りろん)  かつてWTO(世界(せかい)保健(ほけん)機構(きこう))はアフリカのマラリア患者(かんじゃ)(おお)地域(ちいき)徹底的(てっていてき)なマラリア(ぼく)(めつ)作戦(さくせん)展開(てんかい)した。その結果(けっか)乳幼児(にゅうようじ)死亡率(しぼうりつ)が10(ぶん)の1に低下(ていか)した。そかし10(ねん)あとには、その地域(ちいき)住民(じゅうみん)のほとんどが餓死(がし)してしまった。マラリア患者(かんじゃ)がいなくなって、爆発的(ばくはつてき)人口(じんこう)増加(ぞうか)したためである。WHOは、はたして()いことをしたのか?(わる)いことをしたのか(あたま)をかかえこんだという。 慈悲(じひ) 科学(かがく) 理論(りろん) ()いこと (わる)いこと 知恵(ちえ)
臨終(りんじゅう)   来迎(らいこう)(さん)()@臨終(りんじゅう)正念(しょうねん)  A道路(どうろ)先達(せんだつ)  B(たい)()()()   臨終(りんじゅう)
輪廻(りんね)思想(しそう)西洋(せいよう)から(はい)ってきた→ヴェーダ思想(しそう)(ピタゴラスは10(かい)(まえ)生死(しょうじ)()えた)
流刑(るけい)さらにうらみとすべからず。そのゆえは(よわい)すでに(はち)(じゅん)にせまりぬ。たとひ師弟(してい)おなじみやこに(じゅう)すとも、娑婆(しゃば)離別(りべつ)ちかきにあるべし。たとひ山海(さんかい)をへだつとも、淨土(じょうど)再会(さいかい)なんぞうたがはん。
流罪(るざい)  (つゆ)()は 此処彼処(ここかしこ)にて ()えぬとも (こころ)(おな)じ (なは)(だい)ぞ 法然上人() 流罪(るざい) (つゆ) (はな) 淨土(じょうど) 往生(おうじょう) 倶会一処(くえいっしょ)
流転(るてん)三界(さんがい)(ちゅう) 恩愛(おんない)不能(ふのう)(だん)  ()(おん)(にゅう)無為(むい) 真実(しんじつ)報恩(ほうおん)(しゃ)
例なく開け行く世を見ることもみちびく神のあればなりけり(れいなくひらけいくよをみることもみちびくかみのあればなりけり)
蓮華(れんげ)(しょ)(かい)(らく)  蓮華(れんげ)(はな)(ひら)くようにゆっくり両手(りょうて)(みぎ)(ひだり)(まえ)袱紗(ふくさ)(ひら)く 終わったら十念(じゅうねん)(のち)袱紗(ふくさ)()じる。説法(せっぽう) 作法(さほう) 袱紗(ふくさ)(ひら)(かた)()(かた)
(れん)(せい)  ()むれば(すなわ)(ほとけ)(ふく)み、()むれば(すなわ)(ほとけ)()く「寐(そく)(がん)(ぶつ)(かく)(そく)()(ぶつ)」 (にんちょう)上人() 善導(ぜんどう)大師(だいし) (熊谷(くまがい) (れん)(せい) 藤枝(ふじえだ) 蓮生(はすお)(てら)
蓮生(れんせい)(てら)  ()むれば(すなわ)(ほとけ)(ふく)み、()むれば(すなわ)(ほとけ)()く「寐(そく)(がん)(ぶつ)(かく)(そく)()(ぶつ)」 (にんちょう)上人() 善導(ぜんどう)大師(だいし) (熊谷(くまがい) (れん)(せい) 藤枝(ふじえだ) 蓮生(はすお)(てら)
蓮台(れんだい)  来迎(らいこう)蓮台(れんだい)(ふね)来迎(らいこう)(ひかり)智慧(ちえ) (勅修御伝随聞記20) 蓮台(れんだい) (ふね) 智慧(ちえ) (ひかり)  安心(あんじん)
(ろう)  (しん) (ねん) (いち) (ひゃく) (さい)、 (ちょう) (しゅう) 八十(はちじゅう) () (100(さい)老親(ろうしん)が80(さい)()心配(しんぱい)していることで、老婆(ろうば)親切(しんせつ)である。その(うえ)往生(おうじょう)(ねが)い、念仏者(ねんぶつしゃ)になった)
(ろう)  はえば()て ()てば(あゆ)めの 親心(おやごころ) わが()()もる ()いを(わす)れて  (そだ)て (まも)り 親子(おやこ) (ろう) 四苦(しく)
老人(ろうじん)(6)歌仙(かせん)  1(しわ)がよる ホクロができる (こし)()がる (あたま)ははげる (かみ)(しろ)くなる  2()はふるう (あし)はひょろつく ()()ける (みみ)()こえず ()はうとくなる 3()にそうは 頭巾(ずきん) えりまり (つえ) 眼鏡(めがね) たんぽ 温石(おんじゃく) 尿瓶(しびん) (まご)() 4()きたがる ()にともながる (さび)しがる (こころ)()がる (よく)ふかくなる 5くどくなる 気短(きみじか)になる 愚痴(ぐち)になる でしゃばりたがる 世話(せわ)やきたがる 6またしても (おな)(はなし)に ()をほめる 達者(たっしゃ)自慢(じまん)に (ひと)(いや)がる ((せん)(がい) 博多(はかた) (しょう)(ふく)()
老人(ろうじん)にとって、一番(いちばん)さみしいことは、する仕事(しごと)のないことです。老人にとって、一番みじまなことは、 手足(てあし)(からだ)不自由(ふじゆう)のまま、 人間(にんげん)らしい生活(せいかつ)のできないことです。 老人にとって、一番(かな)しいことは (うやま)れて、(とお)ざけられることです。 老人にとって、一番(みにく)いことは、過去(かこ)にしがみつくことです。老人にとって、一番(たの)しいことは、(わか)(もの)邪魔(じゃま)にならないよう、(わか)(もの)のためになるよう、(かげ)(ちから)をつくすことです。 老人にとって、一番(とうと)いことは()(わす)れないことです。
老婆(ろうば)親切(しんせつ)  (しん)(ねん) 壱百(いっぴゃく) (さい)  、 (ちょう) (しゅう) 八十(はちじゅう)  ()。  100(さい)老親(ろうしん)が81(さい)()っを心配(しんぱい)している。 老婆(ろうば)親切(しんせつ)
六感(ろっかん)  あらやしき【阿頼耶識】
(梵Dlaya-vijDnaの訳。蔵識、真識、阿梨耶識、無没識などと訳す)仏語。唯識宗で説く八識の一つ。宇宙の万有を保って失わず、万有が展開する際の基体であり、万有を収蔵している心の主体。
六感(ろっかん)  四智(しち) 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  1、(げんにびぜつしんに) 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】大円鏡智は 第8阿頼耶識が転じて智慧を得る。平等性智は第7まなしき【末那識】が転じて智を得る。妙観察知は第6意が転じて智を得る。成所作智は第1から5までの五感が転じて智を得る。
六感(ろっかん)  まなしき【末那識】まなしき【末那識】
唯識宗で説く八識の一つ、第七識をいう。第六意識と区別される識作用で、意識がなくなった状態にも不断に存在し、自己を愛し存在させる迷いの根源とされる心のはたらきをいう。
六感(ろっかん) 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  1、(げんにびぜつしんに) 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】
六感(ろっかん) 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  (げんにびぜつしんに)耳鼻舌身意(じんに) が(きよ)められる 色声香味触法(いろしょうこうみしょくほう)(ぜん)5つが五塵(5じん) 五賊(ごぞく)二河白道(にがびゃくどう)) (こころ)三垢(3あか)(わく)(ごう)()
六根(ろっこん)  (てん)(しき)()() (しき)(てん)じて()()る 四智(しち)  清浄(しょうじょう) 六根(ろっこん) 
六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  1、(げんにびぜつしんに) 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】
六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  1、(げんにびぜつしんに) 2、耳 3、鼻 4、舌 5、身 6、意 7、まなしき【末那識】 8、あらやしき【阿頼耶識】
六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  (げんにびぜつしんに)耳鼻舌身意(じんに) が(きよ)められる 色声香味触法(いろしょうこうみしょくほう)(ぜん)5つが五塵(5じん) 五賊(ごぞく)二河白道(にがびゃくどう)) (こころ)三垢(3あか)(わく)(ごう)()
路傍(ろぼう)(いし)  山本(やまもと)有三(ゆうぞう)  「たった一人(ひとり)しかいない自分(じぶん)をたった一度(いちど)しかない人生(じんせい)をほんとうに()きなかったら、()まれてきた甲斐(かい)がないじゃないか」 人生(じんせい) 自分(じぶん) 生死(しょうじ)
(ろん) 湿(しつ) (かん) (ぴん)  比叡山(ひえいざん)
(ろん) 湿(しつ) (かん) (ぴん) (比叡山(ひえいざん)議論(ぎろん)湿気(しっけ)寒気(かんき)(まず)しいということ!)
(わか)きは(うるわ)し されど、 ()いたるはなお(うるわ)し   (ホイットマン)
(わか)()ゆ (つま)(うつ)() 祭壇(さいだん)に かすかに(わら)う ()えぬ(わら)いを
わが(こころ) (かがみ)にうつる ものならば さぞや姿(すがた)の (みにく)かるらん ((こころ)気持(きも)ちの(あらわ)れ、()()⇒けほ⇒かほ⇒(かお)
わが(こころ) (ふか)(そこ)あり よろこびも うれいの(なみ)も とどかじと(おも)う。 (西田(にしだ) 幾多郎(きたろう)
若竹(わかたけ)の ()びや()(おん) (つち)(おん)。  (たけのこ)生長(せいちょう)するにしたがって、(した)(ふし)から順番(じゅんばん)にその(かわ)()いでゆくそして すらりと()びて(たけ)らしい姿(すがた)(ととの)える。それが若竹(わかたけ)である。()(あさ)(みどり)にひろがり()(とお)るように(あか)るく萌黄(もえぎ)(いろ)である。今年(ことし)(たけ)といわれる。  (なつ)季語(きご) 若竹(わかたけ) (吉川(よしかわ)英治(えいじ)
()() ()ごろ()く (おし)えは(すべ)て 今日(きょう)()の わが()のためと (おも)()らるる (羽田(はた)(けい)(さん)) 説法(せっぽう) ()() (ほう)
()()をも(こころ)をもはなちわすれて (ほとけ)(いえ)()()れて (ほとけ)のかたよりおこなわれて これにしたがいてゆく(とき) (ちから)()れず (こころ)をもついやさずして 生死(しょうじ)をはなれて(ほとけ)となる。
若者(わかもの)(しか)るな ()(みち)だ。 年寄(としよ)(わら)うな ()(みち)だ。
(わか)れ  かたみとて はななき(おや)の とどめてし この(わか)れさえ (また)いかにせん  法然上人() (はは)(うえ)
(わか)れ  (くも)とわかつ (とも)かや(かり)の ()きわかれ
(わか)れ 形見(かたみ)とて はかなき(おや)の (とど)めてし この(わか)れさえ またいかにせん 法然上人() (はた)(うじ) (はは) (わか)れ ()(わか)れ 形見(かたみ) (おや)
()かれても (こころ)(かよ)う (はす)(いと) (おな)(うてな)に (のぼ)るうれしさ
(わく) 三垢(さんく) (こころ)三垢(3あか)(わく)煩悩(ぼんのう)(ごう)=悪業(あくごう)()受苦(じゅく)) 垢質(くしつ)
(わく) 六根(ろっこん)清浄(しょうじょう)  (げんにびぜつしんに)耳鼻舌身意(じんに) が(きよ)められる 色声香味触法(いろしょうこうみしょくほう)(ぜん)5つが五塵(5じん) 五賊(ごぞく)二河白道(にがびゃくどう)) (こころ)三垢(3あか)(わく)(ごう)()
(わたくし)の おのがはからい うちすてて ただみこころに したがえよかし 弁栄(べんねい)上人() (どう)(えい)(しゅう) p26
(わたし)  萬機(ばんき)()(やく)(わたし)一人(ひとり)のためなり  (わたし) 一人(ひとり) ()(やく)
(わたし)人間(にんげん)()まれ 人間(にんげん)(ちょう)じ、人間(にんげん)(ほとけ)()たり  成道(じょうどう)()
わづかなる (にわ)(しょう)(ぐさ)の 白露(しらつゆ)を もとめて宿(やど)る (あき)(よる)(つき)
(わる)い 三垢(さんく) (こころ)三垢(3あか)(わく)煩悩(ぼんのう)(ごう)=悪業(あくごう)()受苦(じゅく)) 垢質(くしつ)
(わる)いこと かつてWTO(世界(せかい)保健(ほけん)機構(きこう))はアフリカのマラリア患者(かんじゃ)(おお)地域(ちいき)徹底的(てっていてき)なマラリア(ぼく)(めつ)作戦(さくせん)展開(てんかい)した。その結果(けっか)乳幼児(にゅうようじ)死亡率(しぼうりつ)が10(ぶん)の1に低下(ていか)した。そかし10(ねん)あとには、その地域(ちいき)住民(じゅうみん)のほとんどが餓死(がし)してしまった。マラリア患者(かんじゃ)がいなくなって、爆発的(ばくはつてき)人口(じんこう)増加(ぞうか)したためである。WHOは、はたして()いことをしたのか?(わる)いことをしたのか(あたま)をかかえこんだという。 慈悲(じひ) 科学(かがく) 理論(りろん) ()いこと (わる)いこと 知恵(ちえ)
(われ) 以外 皆 吾師   吉川(よしかわ)英二(えいじ)  (われ) 以外(いがい) (みな) (わが)()  恭敬(くぎょう)(じゅ)  上下(じょうげ)関係(かんけい) 
(われ)(そで)の (なみだ)にやどる (かげ)とだに ()らで雲井(くもい)の (つき)やすむらん
(われ)がものと (おも)へば(かる)し (かさ)(ゆき)
(われ)がものと (おも)へば(かる)し (かさ)(ゆき)
われ(しょう)(きょう)()ざる()なし。木曾(きそ)冠者(かんじゃ)()(らく)乱入(らんにゅう)のとき、、ただ一日(いちにち)(しょう)(きょう)()ざりき
われ浄土宗()をたつる(こころ)は、凡夫(ぼんぶ)報土(ほうど)に、むまるることを、しめさんがためなり。
われと来て 遊べや親の ない雀
われにかちみかたに勝ちて敵に勝つこれを武将の三勝といふ
われはただ あみだ(ほとけ)に ()りにけり あみだ(ほとけ)は (われ)にまします
われはただ ほとけにいつか あふいぐさ こころのつまに かけぬひぞなき 法然上人() (こい) 父子(ふし)相好(そうごう)
われはただ ほとけにいつか あふいくさ こころのつまに かけぬ()ぞなき(われは唯 ほとけにいつか 葵草 心の妻(端)に 懸けぬ日ぞ無き)
(われ)(ほっ)する(ところ)(ぜん)(おこな)うわたわず (ほっ)せざる(ところ)(あく)(おこな)う あぁ(なや)める(われ)なるかな。(パウロ)
(われ)()から (じん)のあらめが ()ゆるとも ()はぬがひじき (のり)(とも)だち
(われ)()大地(だいち)有情(うじょう) 同時(どうじ)成道(じょうどう)   成道(じょうどう)